動き続けるもの
その少し前、スカイラウンジでは。
元春と玲奈はグラスで乾杯をし、著書の受賞を改めて祝った。
今日の祝賀会でのこと、玲奈の今回の海外出張のこと、その間の家族の様子などが話題に挙がった。
そして話は予定外に保護した少女、ロゼリーヌの話題に移っていく。
「優奈は嬉しそうだったなぁ。優雅はやっぱり……拒否ってほどじゃないけど難色を示していたね」
「そうねぇ。私もまだ信じられないことも多いけど……。
でも優奈とは同い年だし、優雅もそのうち慣れるでしょ。
それにさっきね、お祖父様に電話をしたの」
元春には、玲奈がこれから先のことについては、あまり心配していないように見えた。
それよりも、玲奈が祖父と連絡を取ったという言葉が気にかかる。
「英国の?」
「ええ。身元のわからない女の子を、しばらく預かることになったって。見た目は、あちらの親戚にいてもおかしくない子だってお伝えしたの。
お祖父様を頼ることがあるかもしれないって」
「……ずいぶん早い報告だね」
「こういうのは早いほうが良いかと思ってね」
「そうかぁ……それで、どんなお返事だったんだい?」
「ふふっ。それがね、『ひ孫娘が増えるのは喜ばしいことだ』なんて言ってらして。
まだ問題は山ほどあるのに、先走りすぎだわ」
「あぁ、子ども好きな閣下らしいねぇ。
……ロゼリーヌさんが、早く生活に慣れてくれれば良いね」
夫婦二人の会話は、ワインと共に和やかに進んでいった。
———そして、翌朝。
向坂家にとっては、2泊3日のホテル滞在を終えて帰る日である。
「熱は下がったわね。でも、まだ治ったとは限らないから、今日は帰ったら大人しくしていなさい」
向坂一家が使う客室で、体温計を確認しながら玲奈は言った。
「……はぁーい」
熱を測られた優奈は、ここでは玲奈の手前、しおらしく返事をする。
だが体調は戻ったようで、朝から元気だ。
昨夜はいつもより夜更かしをしたが、起きた時間も少し遅かったため、睡眠時間は十分に取れているようだ。
午前9時になり、予定していた朝食が運ばれてきた。
妙子とロゼリーヌを含めた6人分だ。
「妙子さんたち、ちょっと遅いわね……? 連絡してみようかしら」
玲奈が、届いた食事を優奈と共にテーブルに配膳しながら、ソファにいる元春に尋ねるように言った。
優雅もソファにはいたが、自分は関係ないというような態度で、黙ってスマホゲームをしている。
「そうだねぇ」
元春は時計を確認しながら、玲奈の言うことに同意した。
「……優雅も配膳を手伝ってね」
玲奈は優雅に話を振る。
「いや……あとちょっと」
まだゲームを続けたいようで、優雅は画面から目を離さずに返事をした。
「ふぅん……。優雅あなた、私がいない間、家のことはほとんど手伝ってなかったらしいじゃない?
妙子さん、お疲れだったでしょうに」
「だって俺、サークルもバイトもあるし……」
玲奈につっこまれ、優雅は言い訳をしようとした。
「あらそう。じゃあ私が家にいる間は、妙子さんに長期休暇を取ってもらって、旅行にでも行ってもらおうかしらねぇ?
もちろんその間は、妙子さんの代わりにロゼリーヌさんのお世話をしてね? 優雅」
玲奈はにっこりとして言う。
「はぁぁ!? 何で俺がそんなこと……!」
玲奈の言葉に驚き、優雅は抗議しようとした。
「妙子さんに旅行へ行ってほしくないのなら、家事の負担を減らすようにお手伝いをするのが当然でしょう?」
「……させていただきます」
優雅はスマホをソファに置いて、すくっと立ち上がった。
手伝いを始めた優雅に、玲奈は満足そうである。
そんなやり取りをしていると、部屋の呼び鈴が鳴った。
手が空いている元春が対応し、妙子とロゼリーヌだと分かると、挨拶をしつつ部屋へ招き入れる。
「皆さん、おはようございます。遅くなってすみませんねぇ」
「おはよう、妙子さん、ロゼリーヌさん。
まだ食べ始めてないから、大丈夫よ?」
妙子の挨拶に、玲奈も笑顔で返した。
「お、おはようございます……。
遅れてしまい、大変申し訳ございません……」
ロゼリーヌが殊勝な態度で、朝の挨拶と謝罪をした。
玲奈は、遅れた原因はロゼリーヌの寝坊だろうとすぐさま察して、彼女に笑いかける。
「いいのよ。疲れてたんでしょう?
朝ごはんの用意できてるわよ。みんなで食べましょう」
「ですが……」
ロゼリーヌは、時間に遅れたことに対して誰にも咎められず、叱られたりしないことに戸惑ってしまった。
「今日は急ぐ予定もないんだから、気にしなくていいのよ」
「大丈夫ですよ、ロゼリーヌさん。
こちらに座って、朝ごはんをいただきましょう」
「……わかりましたわ」
玲奈と妙子に促され、ロゼリーヌは席についた。
ロゼリーヌは多少傲慢なところも見受けられるが、本来は真面目さもあるのだろうと、玲奈は微笑んだ。
「おはよう! ロゼリーヌ」
ロゼリーヌの対面に座っている優奈が、朝の挨拶がてら声をかける。
「……おはようございます」
優奈はロゼリーヌと仲良くなりたい一心のようだが、ロゼリーヌはまだまだ警戒態勢だ。
「じゃあ、いただきます」
「いただきます」
元春の掛け声で、皆が声を合わせて食事が始まった……が、ロゼリーヌだけは目をぱちくりとしてちょっと固まっている。
「いただきます……?」
こちらの食前の挨拶に戸惑っているようだ。
「あー。ご飯前の挨拶だよ。食べ終わったら『ごちそうさま』って言うの」
優奈がさも当然のことのように言う。
「……そう」
「そうだよ。ロゼリーヌのところは、挨拶するの食後だけなの?」
「……ええ、まあ」
「そっかぁ」
優奈は軽く焼かれたトーストにバターを塗りながら話をする。
「それぞれのお国でやり方は違うでしょうから、そんなに気にしなくても大丈夫ですよ」
ロゼリーヌの隣に座っている妙子がフォローを入れた。
「……わかりましたわ」
ロゼリーヌは納得しつつも、まだ食事には手を出さずに優奈の食べる様子をじっと見ている。
「どうしたの?」
「……それは、なんですの?」
「パンだよ。食パン」
優奈は食パンに齧り付きながら話を聞き、口をモゴモゴとさせながら答えた。
「優奈ちゃん。お行儀が悪いですよ?」
「ふぁーい」
妙子に嗜められるが、優奈はどこ吹く風だ。
「これが……パン?」
丸い形のパンしか知らないロゼリーヌは、初めて見る四角いパンに興味津々のようだ。
「ロゼリーヌさん、食パンは初めてですかね?
こちらの白いほうは、四角い型で焼いたパンを切った『食パン』です。
茶色いほうは、その表面をもう一度軽く焼いた『トースト』ですよ。
どちらがいいですか?」
妙子が説明をしつつ、さりげなく聞いた。
「……では、トーストを」
「はいはい」
ロゼリーヌが希望を言うと、妙子はトーストされたほうの食パンをバスケットから皿に取り、彼女の目の前に置いた。
「はい、どうぞ。バターやジャムを塗っても美味しいですよ?」
「……では、バターを……」
優奈がバターを塗ったトーストを食べているのがとても美味しそうに見え、ロゼリーヌも食べたくなった。
だが、プライドが邪魔して『優奈とおなじものを』とは言えず、すまし顔で妙子に注文をする。
しかし、口にするだけで自分から動く様子がない。
「あらあら、うふふ。ロゼリーヌさん、次からはご自分でバターを塗ってくださいね? 今日は私がやり方を見せますから」
「……ええ」
昨夜、ロゼリーヌは『自分のことはできるだけ自分で』と教わったばかりだ。
まだ身の回りのことに関して、自分から動くことに慣れていないのだろう。
ロゼリーヌは多少気まずそうに返事をする。
バターを塗りながら、ロゼリーヌのことは今後じっくり教えていけば良いと、妙子は考えていた。
目の前にバターが塗られたトーストが置かれ、改めてロゼリーヌが食事に手をつける。
「これは……!」
トーストされた食パンは表面はカリッと香ばしく、中は柔らかいままで、軽く溶けたバターの芳醇な香りととても相性が良い。
昨夜の料理も美味しかったが、このシンプルな食パンもとても素晴らしいと感じた。
スルスルと食べられるので、朝食としてもピッタリだ。
ロゼリーヌはパクパクと食べ進め、半分ほど食べたところでふと気がついた。
目の前の優奈が、昨夜と同じような笑顔で自分のことを見ている。
「……なんですの? また……」
「いやぁ、べっつにー? 出された料理は、そればっかり食べちゃいけないんだよ?」
優奈は物知り顔で言う。
「存じておりますわ! 今から他のものもいただこうと思っていたのです!」
ロゼリーヌは多少ムキになって反論した。
「はいはい。どうぞー」
優奈のニヨニヨ顔の再来だった。
そしてふと、思い出すように話題を変える。
「そういえば、せっかくホテルに泊まったのに、全然楽しめなかったなぁ……」
「お前、あれだけ大騒ぎしてまだ足りねえのかよ」
それを聞いた優雅が、少し呆れたように言う。
「そういう楽しさじゃないの! お土産買ったりとか、ゆっくりお風呂とか、そういうの!」
「異世界人まで出てきたんだから、充分すぎんだろ」
優雅は皮肉で言うが、もちろん全てを信じて言っているわけではない。
優奈を揶揄う材料として口にしていた。
「だから、そういうのを計画してたわけじゃないってば!」
「宿泊するための施設で、何を楽しむのです?」
ロゼリーヌが疑問を口にする。
「そこから説明するの!?」
「知らないから聞いているのですけど」
ロゼリーヌは不満げに眉を寄せ、トーストをひと口かじった。
「うーん……あとで見ればわかるよ」
「説明を放棄しないでくださる?」
「……ごちそーさん」
食べ終えるのが早い優雅が、食後の挨拶をしてから席を立った。
「優雅、言葉を崩さないのよ? ロゼリーヌさんのお手本にならないでしょう?」
「うっ……。はい」
母親である玲奈に勝てるはずもなく、優雅は素直に返事をした。
「ごちそうさま。
さてと……チェックアウトは11時よ。みんな、それまでに荷物を纏めておいてね?
ロゼリーヌさんにも説明しておくわね。私たちはこのホテルには2泊する予定だったから、今日が帰る日なの。
あなたも一緒に、私たちの家へ来てもらうわ」
皆が朝食を食べ終わる頃合いに、玲奈はあとの予定を伝え、ロゼリーヌにも説明をした。
「……承知しましたわ」
ロゼリーヌはそれを聞きながら姿勢を正した。
まだ、こちらの世界はホテル内の一部しか知らない。
これから、昨夜窓から見えた外へ出て向坂家へ向かう。そのことに少し緊張しているようだ。
「送りのハイヤーは、手筈通りの時間にきてくれるって話だよ」
今回のホテルの宿泊は、出版社側が手配してくれた車の送迎付きだ。
もう予定していることだが、元春は確認の意味も含めて口にした。
「ええ。荷物は全てベルスタッフがこの部屋から運んでくれるわ。
あぁ、あとアタッシュケースなんかレンタルしてくれないかしら? ロゼリーヌさんの装飾品を保管して持って帰らなきゃ。
ドレスの仕上がりも確認して……まだ汚れが残っていたら、もう一度クリーニングをお願いしなきゃ。
家への配送なども、全部コンシェルジュに相談ね」
玲奈は、ホテルを出る際の懸念事項を次々と口にした。
忘れないために言っている節もある。
ロゼリーヌが身につけていた装飾品は、総計すると向坂一家が持ち込んだ荷物より高額になるかもしれない。
防犯対策はしっかりと取っておかなければと考える玲奈の意見に、元春たちも否やはない。
「……感謝いたしますわ、玲奈さん」
自分のことを考えてくれていると気付いたロゼリーヌが、言葉に出していた。
「ふふっ。いいのよ」
ロゼリーヌから感謝の言葉が出たことを内心嬉しく思いながら玲奈は答え、話を続ける。
「……それと、出る前に少しだけブティックを見たいのよね」
玲奈は個人的に買い物をしたいようで、少しソワソワしている。
「そうですねぇ。いってらっしゃいな、玲奈さん。
こちらのことは私がやっておきますから」
妙子からGOサインが出された。
大人たちが相談している間にも、ロゼリーヌからの「コンシェルジュとはなんですの?」という問いに、優奈が「えーと。ホテル専用の執事みたいな?」などと雑に答えている。
「じゃあちょっと行ってくるわね。私の荷物は、もうまとめてあるから」
用意周到な玲奈は、さっさと部屋から出て行ってしまった。
「はいはい。いってらっしゃいませ。
……元春さんと優雅君、コーヒーでもお淹れしましょうか? とは言ってもホテルのお部屋なので、簡単なものしかできませんけどねぇ」
玲奈を見送った妙子は、ソファに移動した元春と優雅に声をかける。
「いやいや、ここので十分だよ。ホットのブラックでお願いできるかい?」
元春が言うと
「俺も同じのでお願い」
と、優雅も返事をした。
「はいはい。
優奈ちゃんは……今、牛乳飲んでますね。ロゼリーヌさんも何か飲みますか?」
妙子はロゼリーヌにも伺いを立てた。
「いえ、私はけっこうよ」
「あら、そうですか。
じゃあ私は一度、泊まっていた部屋に戻りたいんですが、ロゼリーヌさんはどうします?
昨日ロゼリーヌさんに買ったお洋服があちらに少しあるんですけど、ここで待っていてもいいですよ」
ここに残れば、妙子はいなくなる。
ロゼリーヌは思わず、座っていた椅子から立ち上がりかけてハッとした。
座りなおすと、誤魔化すように澄まし顔で答える。
「……いっしょに部屋に戻るわ」
(あー。ロゼリーヌは妙子さんに懐いてきてるんだぁ。
ちょっと悔しい気もするけど、妙子さんだもんねぇ……)
ロゼリーヌを観察している優奈は、妙に納得してしまった。
妙子はコーヒーを二人分出したあと、ロゼリーヌと連れ立って部屋に戻って行った。
「じゃあ私、服とかまとめてくるねー。
……そうだ制服もあるんだった……」
昨日、着ることのできなかった新しい制服の存在を思い出し、少しげんなりしながら優奈は個室へ入っていった。
「ああ、いってらっしゃい」
部屋内のことだが、優しい元春はコーヒーを飲みつつ優奈に声をかけた。
リビングで男二人になり、コーヒーを啜る音だけが響いていたが、おもむろに優雅が口を開く。
「ところで親父」
「うん?」
「昨日は俺、ああ言ったけどさ。
現実的に考えて、あのお嬢様を家に受け入れるのって難しくねぇか?」
優雅の懸念も、もっともだろうと元春は思った。
「まあ、簡単なことばかりじゃないだろうね。
でも、優奈も優雅も、家の中に自分たちと全然違う価値観の人がいるのは、悪いことばかりじゃないと思うんだよね」
「いや、だからって家に住ませるのは別問題だろ」
「まあ、そうなんだけどねぇ……。
ホームステイだと思えば、そこまで突飛でもないんじゃないかな」
「異世界人のホームステイなんて聞いたことねえよ」
「僕もないねぇ」
元春があっさりと同意してしまったせいで、優雅はガックリと項垂れた。
これでは反論のしようがない。
「……親父、今の状況楽しんでるだろ……」
優雅は反論の代わりにツッコミを入れた。
「あー。いや、そんなことは……」
どうやら図星のようである。
「はぁぁー……」
「ははっ。優雅が今、家族の中でいちばん現実的なところを見てくれてるなとは、わかってるつもりだよ。
でもなぁ……ちょっと昔話になるけど、僕がまだ会社勤めだった若い頃な、妙子さんと、妙子さんの夫の勇太郎さんには大変お世話になったんだよ。
経営していたジュピターって喫茶店、覚えてるかい?」
「ああ……あのめっちゃ苦いエスプレッソ出してた店だよな……」
「そうそう。優雅を連れて行ったのは、まだ3歳か4歳頃だったかなぁ。
それより前だけど、会社員をしながら物書きを始めた頃の僕は、ほんとにお金がなくてね……。
仕事が休みの日は、毎週のようにジュピターに通ってコーヒー1杯でずっと居座ってて。
そこで原稿を書いてたら、勇太郎さんはよく『お金はいいから』って食事を出してくれてたんだよ。
妙子さんも今と同じ感じで、いつもニコニコして気遣ってくれてな」
「…………」
「それで、玲奈さんと結婚してからちょっとずつ原稿で稼げるようになって。
ある日、今までの食事代を返すつもりでまとまったお金を持って行ったらさ、『そんなものはいらない』なんて言われて、突き返されてしまったよ」
元春は苦笑ぎみに続ける。
「それでまぁ、ずっと返せないままで勇太郎さんは病気で亡くなってしまったんだけど……。
僕は受けた恩を、周囲の人たちや次の世代の人たちに渡すような、いわゆる『恩送り』を、ずっと続けているつもりなんだよ」
元春は元春なりの信念のもとで意思決定をし、実行していたらしい。
優雅は、すぐには返事ができなかった。
「……恩送りってのはわかった。でも、実際に一緒に暮らすのは俺たちだろ」
「うん。そこは優雅の言う通りだよ。
だから、困ったことがあれば遠慮せずに言ってほしい。僕と玲奈さんで考えるから」
「……最初からそう言えよ」
「言ったつもりだったんだけどなぁ」
「言ってねえよ」
優雅はまた、ため息をついた。
父の元春は優しくて大らかな性格だ。少し抜けているところもあるが、怒ったところは見たことがない。
怒鳴る代わりに、ずっと理詰めで説教をされるのだ。
ある意味、意志が強く頑固である。
そんな父を、今さら自分の言葉だけで説得するのは無理だと感じ、優雅は早々に匙を投げた。
「……俺、大学とかバイトで忙しいから……」
「うん。優雅は今までの生活を無理に崩さなくてもいいよ」
優雅は元春のその言葉で、ロゼリーヌとは関わらなくて良いというお墨付きをもらえたような気がした。
「あー……じゃあ、俺荷物まとめてくるわ」
「そうだね。僕もそろそろ……」
コーヒーを飲み終わり、二人で話しながら立ち上がりかけたところで、優奈がキャリーケースと共にリビングへ戻ってきた。
「ヤバいプレスタ入れるの忘れてたよぉ〜。もうケースの中パンパンなんだけど! なんで!?」
元気な時の優奈はいつも賑やかだ。
優奈はテレビ前のスペースにキャリーケースを置いて、ジッパーを滑らせる。
ここでケースを開くつもりらしい。
元春は問題ないかと考え、個室へ向かう。
人の出入りがあるだろうと扉を開けたままにした。
「そりゃ、入れ方が悪いんだろ。来た時と同じようにケースに詰めるだけだろ?」
そう言いながらも、優雅は優奈のキャリーケースを覗き込んだ。
「そうなんだけどぉ! この前は私、用意してる時に荷物をこれに入れきれなかったから、妙子さんが手伝ってくれたんだよねー。
圧縮袋も使って全部入れ直してくれて。
なんか立体パズルみたいに、制服もプレスタもキレイに入っちゃってさぁ」
そう言いながら、優奈はゲーム機の電源プラグをコンセントから抜いた。
「あぁー……妙子さんならあり得るか」
「あ! ヤバ!!」
「何だよ!?」
優雅が納得しかけたところで、優奈が大声を上げる。
「スリープ状態だったのに電源プラグ抜いちゃった……」
「お前ほんっと……」
優雅はしかめ面になった。
昨日、優奈はいつもの癖でゲーム機をスリープモードにしてゲームを終わらせていた。
ゲーム機も精密機械なので、急な電力遮断は本体の故障にも繋がりかねない。
パソコンの起動中に電源プラグを抜くことと、ほぼ同義である。
優雅は大学に通うようになってあまりゲームをしなくなったので、自分のゲーム機を『大事にしろ』という条件で、優奈に譲った経緯がある。
だが、今の行動を見ていると優奈が大事に使っているようには思えず、イライラとしてしまった。
「あー……ごめんごめん。次からは気をつけるから……」
優奈は気まずそうに謝罪の言葉を口にするが、軽く聞こえてしまう。
「ちっ……。壊すなよ」
優雅は優奈のことは放っておいて、荷物をまとめるべく個室へ向かおうとする。
「……えっ!? なにこれ!!?」
「今度はなんだよ!?」
優奈が再び大声を出したので、優雅は振り返った。
「えっ、えっ!? 優雅兄ぃ、ランプがついたままなんだけど! ……動いてるっ!!」
優奈は慌てた様子で優雅に訴える。
「はぁ!? どういうことだ?」
「私にもわかんないよぉ! 電源抜いたのについたままだし!
プレスタって内部バッテリーとかあったっけ!?」
二人はゲーム機を取り囲んで、ゲーム機の異様な状態について議論になった。
「いや、本体を動かせるようなバッテリーはねぇよ……! 携帯用じゃねーからな。
うわこっわ! なんだコレ!?」
二人の驚きと疑問にゲーム機が答えてくれるはずもなく、静かに『UpStart!』のゲームソフトを回し続けている。
「だから私にもわかんないってばー!
……あ、ディスクも出てこない!?」
優奈は本体についている、ディスクの排出ボタンをポチポチと押してみたが、それも反応がなかった。
「マジかよ……」
優雅は愕然としていた。
昨日優奈の話を聞き、バグとか幻覚など散々揶揄ったり否定してきた。
だがここになってようやく、信じざるを得ない状況を自身で目撃してしまった。
「どうした?」
騒ぎを聞きつけた元春がリビングへ来て、優奈と優雅は困惑顔のまま元春に振り向いた。
「このゲーム機、電源プラグを抜いても動いたままなんだよ。
ちなみに据え置き用だから、電源プラグを抜いたまま動かせるバッテリーは入ってねーんだ」
「お父さぁん……!」
比較的冷静な優雅が説明をし、優奈が縋るような声を上げた。
「落ち着いて、優奈。
ふむ……優奈がここでゲームをやってたら、このテレビ画面からロゼリーヌさんが出てきたと言っていたよな?」
「そうだよ! 信じてもらえないかもしれないけど、本当なの!」
「わかった、わかったから……。
これはほんとに優奈の言う通り、ロゼリーヌさんが現れたことと、このゲーム機の今の現象は何か関係があると考えたほうが自然だねぇ……」
「そう……だよな……。いや、信じらんねーけどよ……」
優雅は元春の言葉に同意しながらも、ゲーム機から目を離せず、呆然と返事をした。
そしてふと、思いついたことを呟く。
「コレってもしかして……電源切れたらあのお嬢様消えちゃうんじゃね?」
「えぇっ!? そんな……ダメだよ! そんなのダメ!!」
それを聞いた優奈は全力で否定をし、優雅に詰め寄った。
「うわ! そんな怒るなって! 悪かったって! もしかしてって言っただろ!」
優雅は優奈の勢いに押されてタジタジになる。
「ロゼリーヌが消えちゃうなんて、どうしよう!」
「優奈。大丈夫、大丈夫だから。
ロゼリーヌさんは妙子さんとあっちの部屋にいるんだろう? 僕が電話してみようか?」
優奈の慌てぶりに、元春が宥めにかかる。
「そっか……! ロゼリーヌ!」
元春の言葉を聞いて、何か閃いたかのように優奈は立ち上がり、急いで部屋の出入り口へ向かう。
「お、おい! 優奈!?」
優雅が呼び止めようとするが、優奈はおかまいなしに部屋を飛び出した。
昨日の夜、往復した廊下だ。順路は覚えている。
また叱られるかもしれないが、それどころではない。
すぐに部屋の前に辿り着き、呼び鈴を連打した。
「はいはい。……あら、優奈ちゃん。どうしました?」
妙子が対応してくれ、優奈だとわかると扉を開ける。
「ロ、ロゼリーヌは……っ!?」
扉が開いた瞬間、優奈は妙子の横を通り過ぎて部屋に駆け込んだ。
「あら、どうしましたの?」
そこには、悠長に紅茶を飲みながら時間を潰しているロゼリーヌがいた。
「な、なにか変わったことない!? 体が痛いとか、透けてるとか!」
「透けてる……? い、いえ。特になにもありませんわ」
「よ、よかったぁぁ〜……」
優奈は安堵と共にヘナヘナと座り込んだ。
「どうしたんです? 優奈ちゃん。大丈夫ですか?」
妙子も後ろから聞いてくる。
「あ、うん。大丈夫……はぁぁー……。
な、なんでもない……。お邪魔しました……」
今ここで全てを説明することができないと優奈は思い、すぐに元の部屋へトボトボと引き返す。
ロゼリーヌと妙子が不思議そうな顔で見送っていたが、今の優奈は気づかなかった。
そして元の部屋の扉の前に着くが、また何も持ってないことに気づき、ここでも呼び鈴を押す。
「ああ、優奈。……大丈夫かい?」
扉を開けてくれた元春が聞いてきた。
「……うん。ロゼリーヌ、いた。大丈夫だったよ」
喜ばしいことなのだが、何故か優奈の元気がない。
「そうか。良かったじゃないか」
元春は優しい笑顔で迎え入れ、落ち込んでいるような優奈の背中を軽く撫でた。
「……まだ僕たちも色々とわからないことだらけだけど、優奈が心配していたことは起こらなかったんだから、良かったじゃないか。
そのゲーム機は布かなにかで包んで、手に持って車に乗りなさい。
家に帰って、またテレビに繋いで確認してみよう。それから考えればいいじゃないか」
「お父さぁん……、ぐずっ。うん、そうする」
元春に慰められながら目に涙を浮かべてしまった優奈だが、元春の肯定的な意見に少し前向きになれた。
「はぁー……。じゃあさっさと荷造りしようぜ。
早く帰りたいんだろ?」
優雅は、こんなにも優奈が取り乱すとは思いもしなかったが、自分の発言のせいでこうなったことには罪悪感を感じていた。
「う、うん……」
「……プレスタ、俺が包んでやるから。
お前は荷物、詰めろよ」




