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悪役令嬢の受難

 ゆるゆると彼女の意識が覚醒する。

 それと共に、重いまぶたをゆっくりと開いた。


 しかし、目を開いても、そこに広がるのは暗闇だけだった。

 何も見えない。


 まるで重い闇そのものに、身体を押し潰されているような感覚。


——ここ、は……?頭が、痛い……。


 身体の感覚も取り戻し、少し身じろぎするが、頭に鋭い痛みが走る。


「うっ……」


(わたくし…気を失って…?)


 どれほど時間が経ったのだろう。

 四肢は冷え切り、思うように動かせない。


 このままではまずい。


 理由など考えるまでもなく、本能がそう訴えていた。


(…どうして……?)


 痛む頭をどうにか働かせ、彼女は少し前の記憶を手繰り寄せる。


 ——そう。


 学園の卒業パーティー。


 祝典大広間で——。


 そこまで思い出した瞬間、胸の奥から悔しさと絶望が一気に込み上げてきた。


(ルードリヒ様……!)


 敬愛するその人の名と共に、今日起きた出来事が鮮明に蘇る。


 おそらく、これまでの人生で最大級の衝撃だった。


 一瞬、怒りにも似た感情が首をもたげる。


 だが今は、それどころではない。


 彼女は小さく頭(かぶり)を振り、湧き上がる感情を無理やり押し込めた。


(わたくし、倒れたのかしら?

 ……いいえ。あれから……そうだわ。

 穴のようなものに落ちて……)


 気を失う直前の記憶が蘇ってくる。


(では、ここは祝典大広間の地下……?)


 まさか、落とし穴にでも嵌まったとでもいうのだろうか。


(何なの……ここは?)


 混乱しながら首を巡らせる。


 だが、やはり見えるのはどこまでも続く闇だけだった。


「だ、誰か! 誰かいないの!? 助けてちょうだい!」


 外の様子は窺えない。


 それでも、自分が落ちてきたはずの頭上へ向かって、できる限り声を張り上げた。


「誰か! 聞こえないの!?」


 何度も助けを求める。


 しかし、彼女の声に応える者はいなかった。


「そんな……っ」


 卒業パーティーには、貴族の子女が大勢集まっている。

 当然、会場には使用人や警備兵もいるはずだ。


 それなのに、誰一人として気づかないなどあり得るのだろうか。


(何か、おかしいわ……)


 とはいえ、助けが来ないのであれば、自力でどうにかするしかない。


 彼女は身体に力を込め、起き上がろうとした。


 だが、華美なドレスの長い裾が邪魔をして、思うように身体を動かせない。


「もう……っ、このドレス……!」


 もたつきながら、どうにか仰向けからうつ伏せになる。


 それだけの動作で息が上がった。


 身体はひどく重い。

 頭痛も続いている。


 立って歩くのは、とても無理そうだった。


「ううっ……何なの? こんなことって……」


 誰に見られているわけでもない。


 それでも、地面に這いつくばるような格好をしていること自体が、侯爵令嬢である彼女には耐え難い屈辱だった。


 苦々しく顔を歪めながら、再び頭上を見上げる。


 落ちてきたはずの穴の開口部を探す。


 ——ない。


 どれだけ目を凝らしても、それらしきものすら見つからなかった。


(もしかして……穴に蓋をされたの?)


 それまで彼女は、穴に落ちたのなら、いずれ誰かが気づいて助け出してくれるだろうと、どこかで考えていた。


 だが——もし、そうではなかったら。


 もしこれが偶然ではなく。


 誰かの策略によって、自分がここへ落とされたのだとしたら。


(幽閉……された?)


 そう思い至った瞬間、さっと血の気が引いた。


「い、いや……っ」


 身体が震える。


「助けて……! 誰か! お願い、助けて!」


 こんな時、真っ先に思い浮かんだのは家族の顔だった。


 父。

 母。

 兄。


 いつだって、自分を守ってくれた大切な家族。


 けれど、こんな場所では連絡を取る術などない。


(お父様……お母様……お兄様……)


 大好きな家族に、自分のせいで悲しい顔などさせたくない。


 それに——。


(死にたく、ない……!)


 彼女はまだ十五歳。


 未来など、これからいくらでもあるはずの、うら若き乙女なのだ。


(どうにか……何か……!)


 恐怖に顔を引き攣らせながら、必死に周囲を見渡した。


 その時だった。


「……え?」


 遠く。


 右手奥のほうに、小さな光が見えた。


 目を凝らす。


 気のせいではない。


 洞窟の横穴のように伸びる暗闇の、そのずっと先。


 確かにそこだけが、淡く光っている。


「あっ……! あそこに……!」


 自然と声が出た。


 彼女はうつ伏せのまま手足を踏ん張り、身体を光の方向へ向ける。


(もしかしたら、地下階に繋がっているのかもしれないわ。あそこまで辿り着ければ……!)


 そもそも祝典大広間に地下階があるのかどうか、彼女は知らない。


 だが今の彼女にとって、その光は間違いなく希望だった。


 上にあるはずの出口を探し、崖のような壁を這い上がるよりも、横方向へ進むほうが今の自分にもまだ可能だろう。


(歩けないなら……這って行くしかないわ)


 そう覚悟を決め、前へ手を伸ばす。


 ——カツッ。


「……?」


 何かが指先に当たった。


 一瞬、身体が強張る。


 暗闇の中に落ちている正体不明の物など、本来なら触れるべきではない。


 けれど、恐怖よりも「何かに縋りたい」という気持ちのほうが勝った。


 彼女は恐る恐る、それを手に取る。


「……!」


 手触りだけで、すぐにわかった。


「わたくしの扇子……。良かった……」


 落ちた時にも手にしていた、愛用の扇子だった。


 美しい装飾が施されたそれは、長く使っているため彼女の手によく馴染んでいる。


 好みの香水をわずかに纏わせていたこともあり、暗闇の中でも間違えようがなかった。


 彼女はそれを左手で、ぎゅっと握り締める。


 そして改めて、遠くに見える光へと顔を向けた。


 ゆっくりと。


 少しずつ。


 暗闇の中を、前へ進み始める。


 ——匍匐前進をするのなら、手に何かを持っているのは邪魔なだけかもしれない。


 それでも。


 この異常な状況の中で、愛用の扇子だけが唯一、彼女にとって心の拠り所だった。


 今の彼女に、それをこの場へ置いていくという選択肢はなかった。

【こっそり】中華冷麺始めました(違)

よろしくお願いします!

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