外伝2【第七騎士団創設記】第2章『北方の嵐、アイアンサイド砦の奇跡』
第2章:北方の嵐、アイアンサイド砦の奇跡
第1節:灰狼たちの凱旋
北西の治安崩壊を力ずくでねじ伏せた第一騎士団が、王都レガリアへと帰還したのは、あの激闘から数日後のことだった。
レガリアの王都は、白亜の巨石で築かれた壮麗な城壁に囲まれ、中央貴族たちの権勢と富を具現化したかのような、目も眩むばかりの繁栄を誇っていた。大通りには、勝戦の報を聞きつけた大勢の市民や、着飾った貴族たちがひしめき合い、第一騎士団の凱旋を一目見ようと色めき立っていた。
「見よ! 第一騎士団の御帰還だ!」
「さすがはヴィルヘルム様! レガリアの誇る白銀の至宝だ!」
割れんばかりの歓声と、五色の紙吹雪が空を舞う。
隊列の先頭を行くのは、純白の駿馬に跨り、一分の曇りもない白銀の甲冑を纏った【白騎士】ヴィルヘルム・フォン・ヴァイスブルク。その背筋は鉄の規律の如くまっすぐに伸び、三十五歳の整った容貌には、王都の誰もが憧れる「完璧な騎士」の威厳が湛えられていた。続く五百の重装騎士たちもまた、整然と隊列を組み、蹄の音を一つに響かせながら、大通りを厳かに進んでいく。ここまでは、いつも通りの、誰もが予想した美しい凱旋の風景であった。
しかし、その「美しさ」は、第一騎士団の本隊に続く【後尾】が姿を現した瞬間、凍りついたような静寂へと叩き落とされることになる。
「……な、何だ、あの連中は?」
「騎士団の隊列に、なぜあんな汚らしい野良犬どもが混ざっているのだ?」
沿道の貴族たちの顔から一斉に笑みが消え、怪訝と嫌悪の表情が広がっていった。華やかな扇子を携えた高貴な婦人たちは、露骨に顔を顰め、絹のハンカチで鼻を覆う。
そこにいたのは、新設されたばかりの第一騎士団「灰狼隊」――すなわち、数日前まで荒野の修羅場を潜り抜け、地べたを這い回っていたリチャード・ガルフレイズ率いる元・灰狼傭兵団の面々であった。
彼らの姿は、洗練された王都の美意識に対する、強烈な異物であった。
身に纏うのは、傷だらけで錆びついた黒鉄の歪な防具。あちこちに他人の凝固した返り血がこびりつき、肩から羽織った獣の皮からは、戦場の荒々しい臭気と、硝煙の匂いが立ち込めている。
先頭を歩くリチャードは、馬に乗るでもなく、二振りの片手剣を腰にぶら下げたまま、だらしなく肩を揺らして歩いていた。浅黒い肌に刻まれた鋭い傷跡、前髪の隙間から覗く獰猛な黄金色の瞳。彼は、沿道の貴族たちが向ける冷ややかな視線を察知すると、怯えるどころか、唇の端を不敵に吊り上げ、わざと自身の籠手にこびりついた乾いた血糊を、見せつけるように大げさに拭ってみせた。
「おいおい、見ろよアイザック。王都のブタどもが、まるで化け物でも見るようなツラしてやがるぜ」
リチャードの口調は、王宮の手前だというのに相変わらず不遜そのものだった。
「当たり前だろ、頭」背後で長槍を担いだ巨躯のアイザックが、呆れたように、しかし周囲の豪華な街並みを物珍しそうに見回しながら応じる。
「俺たちのこの格好、どう見ても王都のド真ん中を歩いていいツラじゃねぇ。せめて川で血落としくらいしてから来りゃ良かったんだ。ほら見ろ、あっちのお偉方、今にも卒倒しそうな顔をしてやがる」
二百の元傭兵たちは、王都の威容に気圧されることなく、むしろ獲物を品定めするような獣の目で周囲の貴族たちを見つめていた。白亜の王都に突如として現れた、狂暴な「異物」。その存在は、王都の秩序に生きる者たちにとって、計り知れない恐怖を呼び起こしていた。
凱旋の隊列がそのまま王宮の広大な中庭へと入ると、そこにはすでに、貴族院の重鎮たちがずらりと居並び、冷徹な面持ちでヴィルヘルムたちを待ち受けていた。
中央貴族たちを代表する最高長老たる老貴族ボードウィン卿が、杖をコツンと大理石の床に打ち鳴らし、馬から降りたヴィルヘルムを 睨みつけた。
「ヴィルヘルム殿。まずは北西の山賊どもを退けた武功、見事であった。……だが、貴殿には聞かねばならぬことがある」
老貴族の鋭い視線が、ヴィルヘルムの背後に平然と佇むリチャードたちへと向けられる。
「貴族院の命令は『金鉱山および精錬所の死守』であったはず。それを貴殿は、独断で防衛線を放棄し、麓の貧村へと兵を動かした。これは明確な【命令違反】である。さらに、そのような軍令に拠らぬ勝手な行動の末に、国籍すら定かではない野良犬どもを、あろうことか第一騎士団の直属として王都に連れ帰るとは……一体、何のつもりだ! 騎士団の規律を汚す気か!」
周囲の貴族たちから、一斉に同意の囁きと、ヴィルヘルム弾劾を支持する冷ややかな視線が突き刺さる。組織の論理、政治の都合。彼らにとって、見捨てられた民の命などどうでもよく、ただ「命令に背いたこと」こそが、許しがたい大罪であった。
だが、三十五歳のヴィルヘルム・フォン・ヴァイスブルクは、その非難を正面から受け止めながらも、一歩も引かなかった。彼の眸には、かつてのような盲目的な従順さは消え失せ、自らの意志で立つ者の、強固な輝きが宿っていた。
「お言葉ですが、閣下」
ヴィルヘルムの声は、中庭の隅々にまで響き渡るほど、冷徹で、そして理路整然としていた。
「我が第一騎士団の行動により、貴族院の資産である金鉱山、および精錬所の損失は【皆無】であります。山賊の先遣隊、およびその後方に控えていた本隊にいたるまで、精錬所に接近することすら許さず、そのすべてを麓にて完全に無力化いたしました」
「ぐ、それは……結果論に過ぎん!」老貴族が声を荒げる。
「結果こそがすべてであります。さらに」
ヴィルヘルムは一歩前へ踏み出し、背後のリチャードたちを堂々と手で示した。
「今回、我が第一騎士団が撃破した山賊の規模は、先遣隊と本隊を合わせて【一、〇〇〇名】。これは単なる追剥の域を遥かに超えた、北西地域を揺るがす大山賊団でありました。これを我が騎士団の損害を最小限に抑えつつ、一網打尽にできたのは、ここにいるリチャード率いる灰狼隊の、卓越した戦術指揮と武力があったからに他なりません」
ヴィルヘルムの言葉は、完璧な正論であった。
貴族院の損失はゼロ。それどころか、長年北西の憂いとなっていた大規模な暴徒の群れが、完全に消滅したのだ。これを罪として処罰すれば、前線で命を懸けた兵たちの反発を招くだけでなく、民衆からの支持も完全に失うことになる。何より、利益に敏い貴族たちにとって、「自分の財布が傷つかなかった」という事実は、ヴィルヘルムを追及する最大の動機を失わせるに十分だった。
老貴族は苦虫を噛み潰したような顔をして、杖を握る手を震わせた。
「……チッ。損失がないのであれば、これ以上の追及はせぬ。だが、ヴィルヘルム殿。その野良犬どもの管理は、すべて貴殿の責任だ。もし王都の治安を乱すような真似があれば、その時は貴殿の首を以て償ってもらうぞ」
「承知しております」
ヴィルヘルムは深く一礼した。
お咎め無し。政治的な足枷を、ヴィルヘルムは自らの知略と、もたらした圧倒的な成果によって完全に撥ね退けたのだ。
貴族たちが忌々しそうに背を向け、王宮の奥へと去っていくのを見届けながら、リチャードは喉の奥でクククと笑った。
「やるじゃねぇか、ヴィルヘルムの旦那。お上品なだけかと思ったが、あのタヌキどものあしらい方も心得てやがる。まぁ、あいつらのケチな面子を潰してやっただけでも、わざわざこんな退屈な街まで付いてきた甲斐があったってもんだ」
リチャードは満足そうに首の骨を鳴らすと、勝利の余韻に浸るように、広大な中庭の青空を見上げた。不条理な権力に一矢報いた二人の男は、不敵な笑みを交わし合い、堂々と王宮の敷地を進んでいく。これこそが、新設された「灰狼隊」の、最高にイカした完璧な初陣の締めくくりであった。
第2節:白銀の檻と、鉄血の警告
数日後。第一騎士団の兵舎内にある広大な練兵場は、奇妙な熱気と、にぎやかな罵声に包まれていた。
「――ぶはっ!! ぎゃはははは! おい見ろよアイザック! 全然似合ってねぇぞ、そのツラ!!」
リチャードの爆笑が、石造りの高い天井に反響した。
笑い転げるリチャードが指差す先には、第一騎士団の職人が数人がかりで、特注の「きらびやかな白銀の重装鎧」を無理やり着せられている最中のアイザックがいた。
「笑うな頭……! 笑い事じゃねぇんだよ、これが!」
アイザックは顔を真っ赤にし、窮屈そうに首を回しながら身悶えしていた。傭兵団一の巨躯を誇る彼の肉体に合わせて仕立てられた鎧は、あまりにも純白で、あまりにも美しい装飾が施されていた。しかし、その中身は、無精髭を生やし、顔に戦傷のあるむさ苦しい大男である。
「なんなんだこの胸当ての妙な彫刻は。それにこの肩当て、腕を振り上げるとカチカチ当たって戦いにくくてしょうがねぇ! 俺のイカした毛皮の肩当てを返しやがれ!」
「いいから大人しくしてろ、アイザック」
溜め息混じりにその様子を見ていたのは、同じく第一騎士団の制式鎧に身を包んだ灰狼隊の荒くれ者たちだった。もちろん彼らもまた、まるで借りてきた猫のように動きが硬い。
「……なぁ、お頭、いや、団長」
アイザックが、まだ笑っているリチャードをジロリと睨みつけた。
「そんなに人を笑うなら、一度鏡を見てみたらどうです? ぶっちゃけ、頭の方が一倍……いや、十倍は似合ってねえですよ」
「は? 何言ってんだ。俺は生まれつき何を着ても――」
リチャードは自信満々に振り返り、兵舎の壁に立てかけられた等身大の姿見(鏡)に目を向けた。
そして、言葉を失った。
「…………え? ほんとだ、何だこれ、クソ似合わねぇ……」
鏡の中にいたのは、普段の鋭利な野性が、ピカピカに磨き上げられた白銀のプレートアーマーによって完全に「殺されて」しまっているリチャードの姿だった。
洗練された美しさを誇る第一騎士団の鎧は、彼の浅黒い肌や、荒々しく跳ねた髪、そして何よりその凶暴な佇まいと、壊滅的に相性が悪かった。まるで、檻の中に無理やり押し込められた密猟者のような、凄まじい違和感。
「だろ?(笑)」アイザックが勝ち誇ったように笑う。
「クソっ、この鎧の光沢が眩しすぎて反吐が出るぜ! 灰狼隊の初仕事は、このピカピカの鉄屑を泥水で汚すことから始めなきゃならねぇな!」
リチャードは首元の襟をイライラと引っ張りながら、毒づいた。
その時、練兵場の重厚な鉄の扉が開き、いくつかの足音が響き渡った。
「相変わらず、騒がしいやつらだな」
低く、まるで地響きのような威圧感を伴った声。
現れたのは、第一騎士団長【白騎士】ヴィルヘルム・フォン・ヴァイスブルク、そして彼と共に歩んできた他騎士団の長たちであった。
その中央に立つ一人の男を見て、リチャードの眸が細められた。
その男は、傷だらけの、しかし一切の無駄がない漆黒の重鎧を纏っていた。引き締まった強靭な肉体、厳格そのものの四角い顎、そして何より、一切の妥協を許さない氷のような双眸。
――第二騎士団長、【鉄血】グスタフ・アイアンサイド。
規律を重んじ、鉄の如き防衛戦を得意とする彼は、後に「第八騎士団長」として王国の不屈の盾となる男であった。
グスタフは、白銀の鎧を着てふざけ合うリチャードたちを一瞥すると、露骨に不快そうな鼻鳴らしを響かせた。
「ヴィルヘルム。貴殿が北西で独断専行を働いた上、このような規律も品性もない傭兵風情を直属の部隊として招き入れたと聞いた時、私は耳を疑った。……第一騎士団は、我が国の『至宝』であり『模範』のはずだ。これでは、王都の治安を乱す爆弾を抱え込んだも同然。私は、彼らを騎士団の一員とは認めん」
グスタフの言葉は、冷徹なまでの拒絶だった。彼にとって、規律のない武力はただの「暴力」であり、国家を害する害悪でしかなかった。
「まあまあ、堅いことを言うな、グスタフ」
グスタフの背後から、楽しげな笑い声を上げて進み出たのは、対照的に華美な金色の装飾を施した鎧を纏う男だった。
――第四騎士団長、【黄金騎士】グリフィス・フォン・ローエンシュタイン。
彼は美貌を崩して笑いながら、リチャードの鎧姿を興味深げに眺めた。
「私は面白いと思うよ。あの堅物のヴィルヘルムが、自らの地位を賭けてまで手に入れた『牙』だ。王都の型にはまった戦い方しか知らない僕たちに、新しい風を吹かせてくれるかもしれない。……それにしても、リチャード君だったかい? その鎧、本当に似合っていないね」
「あぁ? 喧嘩売ってんのか、金ピカ野郎」
リチャードが黄金色の瞳を獰猛に光らせる。一触即発の空気が流れるが、ヴィルヘルムがその間に静かに割って入った。
「そこまでにしてもらおう。彼らはすでに、我が第一騎士団の直属部隊だ。その実力は、私がこの目で確かめている。彼らの価値は、これからの戦場で証明されるだろう」
ヴィルヘルムの毅然とした態度に、グスタフはフンと視線を逸らし、「精々、身内に後ろから刺されぬよう気をつけることだな」と言い捨てて、練兵場を去っていった。グリフィスもまた、「じゃあね、狼の皆さん」とひらひらと手を振ってそれに続く。
他団長たちが去り、練兵場に静けさが戻ると、ヴィルヘルムはリチャードに向き直った。その表情は、いつになく険しい。
「リチャード、先ほど王宮より急報が入った。……第三騎士団のロドリック殿が、北西の山岳地帯にて、奇妙な状況に直面している」
「第三騎士団? ロドリック?」
リチャードは鎧の籠手を外し、ベンチにどっかりと腰掛けながら首を傾げた。「誰だそりゃ。聞いたこともねぇな」
「貴族院の命を受け、我らが撃破した山賊団の残党狩りと、彼らの本拠地である砦の制圧に向かった騎士団だ。だが……その第三騎士団から、たった今、信じがたい報告が王都に届いた」
ヴィルヘルムは声を潜め、言葉を絞り出すように続けた。
「ロドリック殿が山賊の砦に到着した時……そこには、すでに生きた山賊は一人もいなかったそうだ。砦は完全に陥落しており、中には【無数の死体の山】が築かれていたという」
「……あぁ?」
リチャードの黄金色の眸が、怪訝そうに細められた。
「死体の山だと? 俺たちが麓で千人の本隊を相手にしてる間に、砦に残ってた残党どもが内輪揉めでも起こしたってのか?」
「いや、報告によれば、死体の傷跡は身内同士の殺し合いのような乱雑なものではないらしい。統制された、圧倒的な武力によって一瞬で蹂躙されたような大虐殺だったと……。ロドリック殿は現在、警戒を最大に高めて砦の調査を行っている」
麓で襲ってきた千人の山賊たちは、間違いなく本物の、粗暴な暴徒の群れだった。ならば、その留守を狙って、山奥の強固な砦を影も形もなく消し去ったのは、一体何者なのか。
沈黙が練兵場を支配する。
リチャードは、カチカチと音を立てていた鎧の胸当てを乱暴に叩き、立ち上がった。彼の表情から、先ほどまでのふざけた空気が完全に消え失せ、数々の修羅場を生き抜いてきた野生の直感が、その脳裏に鋭い警告を鳴らし始めていた。
「……おい、ヴィルヘルムの旦那」
リチャードの声は低く、地を這うような響きを帯びていた。
「どうした?」
リチャードは前髪をクシャリと掻きむしると、鋭い眼光でヴィルヘルムをまっすぐに見据えた。
「……すぐに軍を動かせるように、裏で準備だけは整えておいた方がいいぜ。」
第3節:帝国の影、囚われの白銀
リチャードの発した警告から、わずか数日後のことだった。
王都レガリアが誇る偽りの平穏は、たった一人の男の悲鳴によって、跡形もなく崩壊することとなる。
「ほ、報告ゥゥゥッ!!! 北の国境より、ノルドハイム帝国の大軍勢が侵攻!! 第三騎士団、すでに交戦状態に入っております!!!」
白亜の巨石で築かれた王宮、その広大な謁見の間に、引き裂くような叫びが響き渡った。
転がり込んできたのは、全身に浴びた返り血が赤黒く凝固し、甲冑のあちこちを損壊させた第三騎士団の伝令だった。息も絶え絶えに床へ頽れたその姿を見た瞬間、さっきまで優雅にワインを傾け、国政を語っていた貴族院の面々は、文字通り総毛立った。
「な、何だと……!? ノルドハイム帝国だと!?」
「あの北の猛狂どもが、ついに国境を越えたというのか!」
謁見の間は、一瞬にしてハチの巣をつついたような騒然たる空気に包まれた。
だが、彼らの狼狽は国家の危機を憂うものではなかった。
「ま、待て! 北の国境付近には、わしの広大な領地と、今期一番の利益を上げるはずの鉱山があるのだぞ!?」
「領地防衛じゃ! 早く、早く騎士団を遣わせ! わしの土地が、あの北の獣どもに焦土にされてしまう!!」
数日前まで「騎士団の規律」や「貴族の面子」を偉そうにのたまっていた老貴族たちが、今は肥えた身体を震わせ、見苦しく怒号を上げながら互いの胸ぐらを掴み合わんばかりに慌てふためいている。私利私欲と保身の弾頭が飛び交う混沌の渦。
その醜悪な喧騒を切り裂くように、一歩前へ踏み出した男がいた。
第一騎士団長、【白騎士】ヴィルヘルム・フォン_ヴァイスブルクである。その白銀の甲冑は、取り乱す有象無象の中で唯一、冷徹な理性の光を放っていた。
「静粛に、閣方」
ヴィルヘルムの低く、しかし驚くほどよく通る声が、謁見の間を圧した。貴族たちがハッと息を呑み、彼に視線を集める。
「ノルドハイム帝国の侵攻速度は、我らの想定を遥かに上回っている。山賊の砦が全滅していたのも、すべてはこの大侵攻のための先遣隊の仕業だったということだ。……だが、我が第一騎士団は、軍師リチャードの進言により、すでに出兵の支度を【完全に】整えております。これより直ちに、国境へと向かい、第三騎士団を救援いたす」
ヴィルヘルムの淀みのない宣言。さらに彼は、背後に控える他騎士団長たちへ視線を走らせた。
「第二騎士団長グスタフ殿、第四騎士団長グリフィス殿。貴公らも、準備が整い次第、即座に北へ軍を動かされたし」
「承知した。我が鉄血の駒、いつでも動かせる」グスタフが厳かに頷く。
「僕たちもすぐに行くよ。派手な戦争になりそうだね」グリフィスも薄く笑みを浮かべた。
すべては迅速に、完璧な防衛体制へと移行するはずだった。
しかし、それを阻んだのは、またしても前線を知らぬ「円卓の老人たち」だった。
「――待て! 待たぬか、ヴィルヘルム殿!」
先日、ヴィルヘルムを弾劾しようとした、貴族院の最高長老たる老貴族、ボードウィン卿が、狂ったように杖を床に打ち鳴らし、恐怖と猜疑心で醜く歪んだ顔で叫んだ。
「ノルドハイムが第三騎士団を突破し、この王都まで一気に侵攻してきた場合、一体誰がこのレガリアを、我らを守るのだ!? レガリア王国の至宝たる貴殿が王都を離れ、もしものことがあれば国家の損失である! ……ヴィルヘルム殿、お主は王都に残り、本陣の指揮を執れ!」
「なっ……閣下! 今、前線で起きているのは――」
ヴィルヘルムが反論しようとしたが、老貴族はそれを遮るように、傍らに控えていた一人の男を前に突き出した。
「これは貴族院の絶対命令である! 第一騎士団の出陣は許すが、前線での総指揮を執るのは、副長ハインリヒ・フォン・ベルガーだ! ハインリヒよ、お主が軍を率いて北へ向かえ! 何としても、我が貴族院の、我が領地を守り抜くのだ!!」
指名された男――第一騎士団副長ハインリヒは、きっちりと七三に分けられた金髪に、青白い神経質そうな肌をした三十代前半の男だった。名門貴族ベルガー家の出身であり、王都の士官学校を首席で卒業した「マニュアル型エリート」である。彼の纏う白銀の甲冑は、指一本の狂いもなく完璧に着こなされ、傷一つなくピカピカに磨き上げられていた。
「……は! 謹んで、大命を拝命いたします……!」
平伏するハインリヒの唇の端が、一瞬だけ、歪に吊り上がった。
彼は、ずっと嫉妬していたのだ。同じ第一騎士団でありながら、平民からも貴族からも「レガリア王国の至宝」と称えられ、絶対的なカリスマとして君臨するヴィルヘルムに。座学の成績も、家柄の格式も自分の方が上であるはずなのに、常にその背中を見上げることしか許されなかった屈辱。
(ついに巡ってきた……! 貴族院はヴィルヘルムではなく、この私を総指揮官に選んだのだ。このノルドハイム戦で私が完璧な防衛を成し遂げれば、第一騎士団長の座は私のものだ……!)
ハインリヒの胸の内で、醜悪な野心が鎌首をもたげていた。
実質的な、ヴィルヘルムの【王都軟禁】。
有能な最高指揮官の足を政治の鎖で縛り、功名心に駆られた実戦経験のないエリートを前線へ送る。これ以上ない最悪の愚策が、今、決定されてしまった。
ヴィルヘルムは、拳を血がにじむほど強く握りしめ、言葉を失った。
「……ハインリヒ。戦場は、王都の教科書通りにはいかない。くれぐれも、現場の将校たち、そして軍師リチャードの声を聞くのだ」
「フン、ご忠告感謝いたしますよ、ヴィルヘルム『前』総指揮官殿。私はあなたとは違う。貴族院の命令を完璧に遂行してみせます」
ハインリヒは冷ややかに言い放つと、誇らしげに胸を張り、謁見の間を後にした。ヴィルヘルムの白銀の横顔には、無力感と、そして前線へ向かう兵たちへの、痛烈な悲痛が刻まれていた。
それから数日後。
果てしなく広がる北の平原、その前線に位置する貴族の領地へ、第一騎士団の本隊が到着した。
だが、そこに広がっていたのは、戦争の熱気ではなく、ただ不気味なまでの静寂だった。
風が吹き抜ける平原には、まだ戦火の煙は届いていない。しかし、それこそが異常だった。
「第、第三騎士団は、一体どうなっている……? なぜ報告が来ない!」
領地に築かれた本陣の天幕の中。総指揮官となったハインリヒは、度の強い眼鏡の奥の目を血走らせ、ガチガチと歯を鳴らしながら地図を凝視していた。
彼の完璧なマニュアルには、現在の状況の対処法など一行も記載されていなかった。すでに、前線で戦っていたはずの第三騎士団からの定時報告は、丸一日以上【完全に途絶えて】いた。焦って放った斥候も、誰一人として戻ってはこない。
本物の戦争、本物の死の気配。王都の模擬戦しか知らないハインリヒの青白い額からは、滝のような冷や汗が流れ落ちていた。
「敵の規模も分からんのに動けるか! 我らの任務は、この貴族院の領地を死守することだ! このままここに陣を張り、防衛を固める! 第二、第四騎士団の合流を待つのが、もっとも正当な戦術だ!」
それは、事実上の「敵への恐怖による敵前静止」だった。前線で何が起きているかも分からぬまま、己の保身のために動こうとしない無能な指揮官。本陣には、重苦しい停滞と不安だけが澱のように溜まっていく。
天幕の外。
冷たい夜風が吹き荒れる中、第一騎士団の兵舎の片隅で、リチャードは一人北の空を睨んでいた。
闇の向こうで一体何が起きているのか、リチャードには知る由もない。
ハインリヒという歪んだ火種を本陣に残したまま、ただその黄金色の瞳は、深く、冷徹に闇の奥を見据えていた。
第4節:泥に咲く赤き花、アイアンサイド砦の奇跡
極寒の夜が明け、薄明の光が北の平原を白々と照らし始めた早朝。
第一騎士団の兵舎は、突如として響き渡った一人の男の怒号によって、叩き起こされることとなった。
「――野郎ども、起きやがれ! 荷物をまとめろ、出陣だ!!」
リチャードの声が、朝靄の立ち込める練兵場に激しく響き渡る。
驚いて飛び起きた第一騎士団の生真面目な将校たちが、色めき立ってリチャードの元へと駆け寄った。
「何を言っている、リチャード殿!?」将校の一人が、血相を変えてリチャードの前に立ちはだかる。「総指揮官であるハインリヒ様からは、そんな指示は一切出ていないぞ! 独断専行は軍律違反だ、大人しく陣に戻れ!」
「うるせぇ!!」
リチャードは、すれ違いざまに将校の胸当てを容赦なく突き飛ばした。金属の激しい衝突音が響き、将校がたたらを踏む。リチャードの黄金色の瞳は、かつてないほど獰猛な、本物の戦士の輝きを放っていた。
総司令官のハインリヒが寝所から出てくる。
「なにを騒いでいる!!睡眠の邪魔だ!貴族院からそんな指示は出てない!!そんなに行きたいなら一人で行け!野良犬めが!!」
「ハインリヒの無能のクソ坊ちゃんや、お前らみたいな腰抜けは、ここでベッドに潜ってかぁちゃんのおっぱいでもしゃぶってろ! 俺は、向こうでまだ戦ってるかもしれねぇ仲間たちを救いに行く。仲間を救いたい、命の張れる命知らずだけ、俺に付いてきやがれ!!」
その言葉は、ハインリヒの無能な日和見に辟易していた将校や若き騎士たちの魂に、激しく火をつけた。
「……俺も行く!」
「そうだ!まだ全滅したとは決まってない!」
「第三騎士団の生存者たちを見殺しにはできん!」
ヴィルヘルムが不在の中、リチャードという規格外の男の背中に、本物の主将の器を見た騎士たちが、次々と武器を手に立ち上がる。
「お、おい!何をしている!命令をきけ!」
ハインリヒは地団駄を踏みながら怒鳴る。
「真の騎士はおれに続けぇ!!」
「おおおおぉぉぉ!!」
元・灰狼傭兵団の二百名はもちろんのこと、第一騎士団の半数――実に【五千の騎馬兵】が、ハインリヒの命令を無視し、リチャードの独断専行に従って北の国境へと疾駆し始めた。
リチャード率いる五千もの騎馬の軍勢が、地平線を越えて国境付近の砦へと辿り着いた時、そこに広がっていたのは、まさに地獄そのものの光景だった。
そこにあったのは、のちに「アイアンサイド(鉄壁)砦」と呼ばれることになる、黒巨石の古ぼけた砦。
数日前まで山賊の死体の山が築かれていたその場所を、今は、漆黒の甲冑と巨大な斧、そして悍ましいまでの鉄の規律を誇る、ノルドハイム帝国の正規軍【二万名】の大軍勢が埋め尽くしていた。
二万の軍勢が、津波のように砦へと押し寄せている。対する砦の中に立てこもっているのは、生存者わずか数千にまで減りながらも、ボロボロの盾を掲げて必死に門を死守している、【赤鎧騎士】ロドリック・ハーゲン率いる第三騎士団の生き残りたちだった。
すでに丸二日、水も食料も絶たれ、圧倒的な物量差に晒されながらも、第三騎士団の騎士たちは「国境を抜かれれば王国が滅ぶ」という矜持だけで、文字通り命を削って耐え抜いていたのだ。
「頭……! どうする、五千で二万の正面突破は自殺行為だぞ!」
アイザックが長槍を握り直し、鋭く問う。
「正面からぶつかるバカがどこにいる」
リチャードは不敵に唇を吊り上げ、二振りの片手剣を同時に引き抜いた。
「あの砦には四つの門がある。一番破られそうなのは……東門だ。敵の包囲陣のケツが薄くなってる。あそこに全軍で【一撃離脱(ヒット&アウェイ)】を仕掛けるぞ!」
リチャードの軍略は、戦場の常識を遥かに超越していた。
五千の騎馬兵を完全に一つの巨大な「槍」として統制し、敵の包囲陣の最も脆弱な背後へと、全速力で突撃を敢行したのだ。
「突っ込めぇぇぇーーーッ!!!」
リチャードの咆咆とともに、第一騎士団の重装騎兵が帝国の背後を食い破る。不意を突かれた帝国軍の陣形が大きく歪んだ。だが、リチャードは深追いしない。敵の肉を大きく削ぎ落とした瞬間、
「引け! 追うな、距離を取れ!」
と即座に反転させ、またたく間に敵の射程圏外へと離脱する。これを東門、西門、北門と、神出鬼没に場所を変えながら、完璧なタイミングで何度も繰り返した。この執拗な外側からの揺さぶりにより、砦への総攻撃の圧力を、リチャードは完全に分散させてみせた。
そして、この日はなんとか耐え抜き夜を迎えた。
ノルドハイム帝国軍は一匹の蟻も逃すまいと、砦を取り囲むように陣を張る。
戦場が深い闇に包まれると、リチャードの真に緻密な軍略が動き出す。
「アイザック、矢文の準備はいいな」
「おう、バッチリだ。砦のド真ん中に叩き込んでやったぜ」
「――よし、野良犬ども。ド派手な花火を打ち上げるぞ!」
リチャードの合図とともに、第一騎士団の別動隊が北門とは真逆の南門付近で一斉に松明を掲げ、突撃の鬨の声を上げた。
「敵の増援だ! 南門を警戒せよ!」
帝国軍の注意が完全に南へと削がれたその瞬間、リチャードは北門へと繋がる包囲網の一角へ、自ら牙を剥いて突撃した。
「そこを退きやがれ、鉄屑ども!!」
リチャードの二振りの片手剣が闇を裂き、帝国の警備兵を次々と切り伏せる。切り開かれたわずかな「隙間」へ、アイザックが少数の手下と共に物資の馬車を猛烈な勢いで走らせた。
それと同時に、内側からギギギ……と重々しい音を立てて北門が僅かに開く。
「行くぞ野郎ども! 門の隙間から砦の中へ突っ込め!!」
アイザックの豪快な咆哮と共に、大量の物資を積んだ馬車と灰狼傭兵団200の精鋭が滑り込むように砦の内部へと突入した。
リチャード自身は砦の中へは入らず、迫り来る帝国の追撃を外側で食い止め続け、アイザックたちの搬入が完了したのを見届けると、再び闇の中へと鮮やかに兵を引いた。
リチャードは強襲に先立ち、ハインリヒの本陣と駐屯した貴族の蔵から密かに運び出していた大量の干し肉や酒、医療物資、そして武器などを馬車に満載し、砦の内部へ「今から北門の包囲を一時的にブチ抜く。合図と共に門を開け」という旨の矢文を放ち、水面下で完璧な連携を取り付けていたのだ。
砦の内側では、ハインリヒや貴族から奪い取ってきた大量の食料と酒、武器、そしてアイザックら灰狼傭兵団200の精鋭たちの救援の報が届いていた。丸二日、飲まず食わずで絶望の淵に立たされていた第三騎士団の兵たちの眸に、一瞬にして爆発的な生命の火が灯る。
「――おお、おおおおおおッ!!!」
「第一騎士団が、俺たちを見捨てずに来てくれたぞ!!」
赤鎧騎士ロドリックもまた、血まみれの長槍を掲げて吼えた。
物資の搬入と合流。この一撃により、砦の士気は文字通り「最高潮」へと達し、鉄壁の籠城戦へと変貌を遂げた。
だが、ノルドハイム帝国もまた、この事態を黙って見過ごすような甘い相手ではなかった。
翌朝、地平線の彼方から、大地を鳴らす凄まじい進軍音が響き渡る。
「ほ、報告! 後方よりノルドハイム軍の増援……その数、、、お、およそ【二万】!!」
前線に緊張が走る。すでに展開していた二万と合わせ、敵の総勢は【四万】。いくら第一騎士団の五千が援軍に来たとはいえ、砦の生存者と合わせても総勢一万人にも満たない王国軍にとっては、未曾有の圧倒的絶望だった。
黒鉄の甲冑を着た帝国の巨漢たちが、巨大な盾を隙間なく並べ、まるで歩く鉄の城壁のように砦へと迫ってくる。
「総員、決死の覚悟を固めよ! ここで一歩でも引けば、我が国の未来はない!」
ロドリックが声を枯らして叫び、騎士たちが防壁にへばりつく。
帝国の第一波が砦の門に激突し、火花と悲鳴が飛び交った。リチャードも砦の外側から揺さぶりをかけるが、四万の大軍の圧力は凄まじく、防衛線は一歩一歩、確実に押し潰されようとしていた。
その時だった。
戦場の西側の地平線から、一糸乱れぬ完璧な規律を伴った、眩いばかりの「金色」の光が炸裂した。
「――第四騎士団、これより参戦する。遅参、容赦されたし」
第四騎士団長・黄金騎士グリフィスである。
普段の優美な笑みを完全に消し去り、戦の冷徹さをその瞳に宿した彼は、数千の精鋭軽騎兵を率いて帝国の右翼へと真横から突撃を敢行した。グリフィスの振るう黄金の剣は、一切の無駄なく敵の急所を正確に、冷酷に穿っていく。彼の苛烈かつ統率された一撃により、帝国の右翼陣形が鮮やかに切り裂かれた。
さらに、呼応するように東側の地平線が、地響きと共に「漆黒」に染まった。
「よくぞ持ちこたえた。これより我が軍が、不屈の壁となろう!」
第二騎士団長・鉄血のグスタフ。一分の隙もない鉄の重装歩兵陣形「ファランクス」を敷き、まるで巨大な鉄の歯車のように帝国の左翼をじわじわとすり潰し始めた。グスタフの一撃は重く、大盾ごと敵を真っ二つに叩き割る。
王国が誇る二大騎士団の、決定的な援軍の襲来。
しかし、数で勝る帝国軍も引かない。中央の総大将が軍配を振り、四万の軍勢が三方に分散し、王国軍を逆に包囲せんとしがみつく。
戦場は、大地が血の海と化す、文字通りレガリア王国史上最大の【総力戦の大合戦】へと突入した。
鉄と鉄がぶつかり合い、耳を劈くような金属音が平原に響き渡る。グリフィスの騎兵が冷徹に敵の補給線を寸断すれば、帝国の重斧兵がその馬の脚を叩き折る。グスタフの盾が敵の猛攻を正面から受け止め、一歩も退かぬ防壁となれば、後方から無数の矢の雨が降り注ぐ。一進一退の、肉と骨を削り合う泥沼の死闘。
「――おいおい、特等席が空いてるじゃねぇか!」
総力戦の最前線、もっとも激しい激突の渦中。
リチャードは白銀の鎧を血に染めながら、敵の中央突破を狙って突撃を敢行した。砦の中から討って出たロドリックと第三騎士団の精鋭たち、そして物資搬入を終えて合流したアイザックの長槍が、リチャードの刃と同調するように突き進む。
「平民の野良犬に、これ以上格好つけさせてたまるかよ!」ロドリックが限界を超えた闘志で笑う。
「へっ、だったら遅れず付いてきやがれ、赤騎士様よぉ!」
【灰狼】リチャードの双剣が電光の如き軌跡を描き、【赤鎧騎士】ロドリックの突撃が帝国の最精鋭たちの肉を切り裂き、道を切り拓く。その背中を、【鉄血】グスタフが支え、【黄金騎士】グリフィスが冷徹に道を広げる。
身分も、所属も、規律の有無すら関係ない。ただ「目の前の敵を喰らい尽くす」という戦士の咆哮だけが、四万の戦場を支配していた。
数日間に及ぶ、文字通り大地が震え続けた死闘の果て。
四大騎士団の頭脳と武力、そして前線で意地を見せた男たちの執念が完全に一つとなったレガリア王国軍は、ついにノルドハイム帝国軍を撤退せしめた。圧倒的劣勢から始まったこの大戦端を、奇跡的な【総力戦の完全勝利】という最高の結末で制したのであった。
戦い終わり、赤く染まった夕日の下。
無数の敵の骸が転がる砦の上で、リチャードは傷だらけの身体を壁に預け、二振りの剣を鞘に収めながら、ただ一人空を仰いで大笑いした。
これこそが、レガリア王国史に刻まれる「北の砦の奇跡(後にアイアンサイド砦の奇跡に書き換えられる)」の全貌である。




