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外伝1【レガリア王国の落日】第2章『裏切りの黄金、鉄壁の産声』

第2章:裏切りの黄金、鉄壁の産声


1

王都レガリアの防衛指揮所、通称「牙の塔」の作戦室に、引き裂くような悲鳴に近い急報が飛び込んできたのは、北方の戦況が膠着して間もない頃だった。


「報告! 西方国境守備隊より緊急伝令! ガルド族の軍勢が国境の防衛線を突破、国内へ侵攻を開始しました!」

作戦室に残っていた文官や老将たちが一斉に色めき立つ。

「ガルド族だと!? あの西の蛮族ども、この大戦の最中に……! 兵数は!? 規模はどれほどだ!」

「ひ、五万……! 斥候の報告によれば、戦象部隊を筆頭に、飢えた狼を駆る狼兵など、前代未聞の圧倒的な破壊力で進軍中とのこと! 西方の防衛網はすでに壊滅状態です!」

「五万!? 馬鹿な、西にはグリフィスの第4騎士団がいるはずだろう! なぜそれほどの軍勢の接近を許した!」

老将の怒号が響く。だが、伝令兵の顔は恐怖で青ざめ、ガチガチと歯を鳴らしていた。本当に恐ろしい報告は、その後に控えていたのだ。


「……第4騎士団は、交戦していません。それどころか……」

伝令兵は血の気の失せた唇を震わせ、言葉を絞り出した。

「第4騎士団、反乱……! 黄金騎士グリフィス様、いや、グリフィスがガルド族の手を引き、王都に向けて反旗を翻しました! 『現王政を排し、我らこそが王国を正しく導く』と声明を出しております!」

「なっ――」

作戦室の空気が、一瞬で凍りついた。

誰もが耳を疑った。王国史上、騎士団が丸ごと反乱を起こした例など一度もない。しかも、その首謀者が、民からも兵からも「清廉潔白な英雄」と慕われていたグリフィス・フォン・ローエンシュタインだというのだ。


「北方侵攻は……陽動だったのか」

残された白騎士ヴィルヘルムが、低く、しかし地鳴りのような声で呟いた。彼の拳が、作戦机の縁をメリメリと軋ませる。

「帝国の四万は、我々の目を北へ釘付けにするための巨大な罠。本命は……この西からの五万と、グリフィスの裏切りか!」

「おのれグリフィス! 狂ったか!」

「王宮へ報告を! 陛下を安全な場所へ!」

「王宮からにる準備を…」

狼狽し、右往左往する文官や貴族たちの中で、ヴィルヘルムだけは静かに背後の聖剣へと手を伸ばした。彼の眸には、王国最高の守護者としての、苛烈なまでの覚悟が宿っていた。


「騒ぐな、腰抜けはここを去れ。敵が西から来るならば、私がここで迎撃するまでのこと」

銀髪を揺らし、ヴィルヘルムが冷徹に言い放った。レガリア王国の落日は、ここから急速に加速していく。



2

王都の遙か西に築かれた臨時の土塁、そして「薄暮の砦」と呼ばれる小さな拠点が、王国に残された唯一の防壁だった。

そこに陣を敷くのは、白騎士ヴィルヘルム率いる第1騎士団の二万、そして団長に就任してわずか一年の若きアイザックが率いる第2騎士団の一万、合わせて計三万の軍勢である。

しかし、迎撃の拠点となる「薄暮の砦」はあまりにも小さく、三万もの大軍をすべて収容することは到底不可能だった。そのため、王国軍は砦を背面の防衛線・兼総本陣として使い、その前方から左右の平原にかけて広大な野戦陣地を展開せざるを得なかった。兵たちの緊迫した息遣いが、風に乗って土埃と共に舞う。


対する敵は、五万のガルド族と、それを先導する精強無比な第4騎士団の一万五千。合わせて六万五千という、こちらの倍以上の圧倒的な大軍勢であった。

地平線を黒く埋め尽くすようにして迫り来る、巨大な戦象の群れ。その地響きは、大地を裂く震えとなってアイザックの足元を激しく揺らしていた。

「……これが、本物の戦争か」

アイザックは、愛用のタワーシールドを握る左手に、じんわりと汗がにじむのを感じていた。まだ三十歳。傭兵時代に数々の修羅場をくぐってきた彼だったが、国家の命運を一身に背負い、この剥き出しの平原で倍以上の大軍を迎え撃つという重圧は、これまでとは次元が違った。

その時、敵陣から一騎の美しい白馬が進み出てきた。

眩いばかりの黄金の甲冑、背負う大剣。かつての同僚、グリフィスだった。


「ヴィルヘルム閣下、そしてアイザック。聞こえるか」

グリフィスの声は、裏切り者とは思えないほど清澄で、迷いがなかった。

「私は王国を憎んで反乱を起こしたのではない。腐敗し、貴族どもの利権にまみれたこの旧きレガリアは、一度壊されねばならん。民を救い、真に強い王国を再建するためには、この痛みが必要なのだ。自らこそが王国を変えるべき存在だと、私は確信している。……剣を収め、道をあけてくれ」

ヴィルヘルムは、その高潔な風体に隠された狂気を見据え、静かに聖剣を引き抜いた。


「グリフィス。お前がどのような理想を抱こうとも、異民族の爪牙を王土に招き入れた時点で、それはただの反逆だ。我が剣は王国の盾。一歩も通しはせん」

「そうか。……惜しいな」

グリフィスが冷徹に右手を掲げる。それが、地獄の幕開けの合図だった。

「突撃ィッ!! 灰の街へ変えてやれ!」

ガルド族の狼兵たちが咆哮をあげ、怒涛の勢いで押し寄せてきた。



3

王都西方の戦場は、一瞬にして凄惨な屠殺場へと変貌した。

「ウオオオオッ!」

白騎士ヴィルヘルムの武力は、まさに神話の領域だった。平原を突き進み、陣地を蹂躙しようとするガルド族の戦象部隊に対し、彼は単単騎で正面から突撃すると、聖剣の一閃で象の巨体を一刀両断にしてみせた。

「レガリアの騎士の意地を見よ! 踏みとどまれ!」

その圧倒的な背中に鼓舞され、崩壊寸前だった平原の野戦陣地で、王国軍の兵たちが辛うじて戦線を維持する。しかし、六万五千という圧倒的な物量と、グリフィス率いる第4騎士団の洗練された波状攻撃は、確実に王国軍の肉体をすり潰していった。前線は徐々に押し込まれ、兵たちの死体が累々と積み上がっていく。


押し込まれた戦線の最奥、ついに敵の先鋒は「薄暮の砦」の城門へと達した。

「門を破れ! 突き崩せ!」

ガルド族の突撃兵たちが、巨大な丸太の破城槌を抱えて何度も門へと激突する。バリバリと不吉な音を立てて木片が飛び散り、ついに城門の右半分が完全にへし折られた。

「うわあああ! 門が破られた! 敵がなだれ込んでくるぞ!」

悲鳴をあげる兵士たちの前に、巨岩のような質量を持って立ちはだかった男がいた。

「――誰も通さんと言ったはずだ」

第2騎士団長、アイザックだった。

彼はへし折れた門の隙間に自らの巨体を割り込ませると、巨大なタワーシールドを地面に深く突き立てた。

「ガアアッ!」

躍りかかってきたガルド族の狼兵が、アイザックの盾に激突する。だが、アイザックは眉一つ動かさず、盾の裏から長槍を突き出し、敵の胸を正確に貫いた。

一人、また一人と、なだれ込む敵を狭い門の隙間で文字通り「肉の壁」となって食い止める。


「アイザック、無茶だ! 一旦下がって陣を立て直せ!」

副官が叫ぶが、アイザックは血を吐きながら叫び返した。

「退けるか! ここを抜かれたら、平原で戦う仲間たちの背後が突かれ、後ろにいる村や街の民たちがどうなるか分かっているのか! おれはリチャード団長に……あの人に認めてもらったんだ!ここで不覚を取ったら、あの世でアイザックは弱虫だったと笑われちまう!」

防壁が崩れ、城門が破られ、何度敵の刃に身体を切り裂かれようとも、アイザックは一歩も退かなかった。ついに槍が折れたが剣を取り敵に斬りつける。

彼の鎧は自身の血と敵の血で真っ黒に染まる。


盾には無数の傷が刻まれていく。そして盾にひびが入る。しかしアイザックの大盾は決して折れない。

その神がかった執念の防衛戦こそが、後に王国史に深く刻まれることになる「鉄壁のアイザック」伝説の、まさに産声の瞬間だった。



4

その頃、北方の「東の古城」の本陣。

王都からの公式な西の異変に関する伝令が到着する、さらに1日前のこと。

リチャードは、地図を睨みつけたまま不敵な、しかし酷く冷めた笑みを浮かべていた。彼の中にあった違和感は、すでに確信へと変わっていた。

「ゼクス」

リチャードの声が、いつになく低く響く。

「これ以上、ここにいる意味はねぇ。北の帝国軍はただの引き止め役だ。本命は……別の場所で動き始めてやがる」

ゼクスは何も言わなかったが、その鋭い眸がリチャードを見つめる。公式の命令もなしに戦場を離脱する、それが何を意味するかは明白だった。軍法会議、下手をすれば反逆罪。しかし、リチャードの瞳にあるのは、そんな矮小なルールを遥かに超越した、戦場支配者としての絶対的な確信だった。


「ここは任せたぜ。お前なら、俺が抜けた穴くらい簡単に埋められるだろ」

リチャードが不敵に笑うと、ゼクスは無言のまま、深く、力強く頷いた。その沈黙には、言葉以上の絶対的な信頼が宿っていた。

「よし、野郎ども! 出陣だ! 馬を全速力で南西へ走らせろ!」

第7騎士団の軍勢が、公式の伝令が届く前に、リチャードの野生の勘だけで北の戦場を離脱し、猛烈な速度で駆け出し始めた。

同時に、リチャードが放った単騎の決死の伝令が、地響きを立てて「アイアンサイド砦」へとひた走っていた。


――アイアンサイド砦、第8騎士団本陣。

「何だと……!?」

リチャードからの緊急の早馬を受け取ったグスタフは、堅苦しい軍人顔をこれ以上ないほどに険しく歪めた。

公式のルートではない。しかし、あの「灰狼」が己の軍を独断で動かし、わざわざ自分に伝令を飛ばしてきたという意味を、グスタフは瞬時に理解した。

グスタフはすぐさま、共に前線を死守していた第3騎士団長、ロドリックを呼び寄せた。


「ロドリック、直ちに貴公の第3騎士団を引き連れ、王都へ向かえ」

グスタフの突然の下令に、ロドリックは赤鎧を揺らして目を見張った。

「何を言う、グスタフ! 目の前にはまだ帝国の軍勢が残っているのだぞ! 我らが抜ければ、この砦の負担はどうなる!」

「…灰狼リチャードが動いた。あの男が勘だけで動くときは、国がひっくり返るときだ」

グスタフは長槍を地面に突き立て、真っ直ぐにロドリックを見据えた。

「王都の西で何かが起きている。公式の伝令を待っていては手遅れになる。……ここはおれに任せて、貴公は一刻も早く王都へ行け」

ロドリックはグスタフの堅強な横顔をじっと見つめ、やがてフッと不敵な笑みを漏らした。その長槍を背負い直す。


「……わかった。反乱軍を蹴散らして戻ってくるから、それまで死ぬなよ、グスタフ」

「ふん」

グスタフは厳格な顔のまま、鼻で笑ってみせた。

「その頃には、こっちの雪虫どもはもう終わっておるわ。余計な心配をせず、疾風の如く駆けよ、ロドリック」

「応! 第3騎士団、全軍続けぇ! 目指すは王都西、薄暮の砦だ! 遅れるなァ!」


燃えるような赤旗が、アイアンサイド砦の門を飛び出していく。

公式の伝令が届くより早く、リチャードの野生の勘と、それに応じたグスタフの決断によって、王国の二大機動力が、最悪の戦場へと向かって咆哮を上げながら動き出したのだった。


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