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白銀の一枝  作者: 鷹司蒼志
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白銀の一枝20

(四十八)


「キュイっ!」


 今しがたこの世へと生を受けたばかりの獣は、突然の右目へのダメージに戦き一瞬の隙を見せる。眼前を風の様に掠めた黒い軌跡は、其の鋭い爪にて一太刀を浴びせる事に成功したのだ。そして巨大な樹木の固い表皮へとぶち当たり、否、四肢の関節にて一旦衝撃を殺した其れは、

次の攻撃へと移る為に己が主である結界の外にいる厳治朗へと、信頼に満ちた艶やかな漆黒の瞳を向けるのだ。


「!漆黒!」


 藁だ。藁を見つけた。本来ならば二体一組の式神である管狐。その片割れだけではその力を存分に発揮する事は出来ないであろう。それでも少しでも、ほんの少しでもこの絶望を撥ね除ける切っ掛けに成ると信じた。瞬時に集中に入り、有りったけの念を凝らす厳治朗の心には強い願いが確固たる意思を持って渦巻いていた。そして厳治朗の力の本質を明確に浮かび上がらせる。力だ。強い力が欲しい。守りたいんだ。此の国を、人々の営みを、生きとし生けるもの達を、そして豪太朗を!お嬢ちゃんを!!!


「臨兵闘者皆陣裂在前 !天地神明 刀拝武神!天照の血に於いて我は揮う。式神よ有れ!!!」


 体内から沸き上がる金色の光を感じながら漆黒はその滑らかな体毛を逆立てていた。らんらんと輝くつぶらな瞳は力に満ち満ちた。天照大御神の力、神通力に依ってその力を発揮する式神、その力を最大限に受けた管狐は気迫とでもいおうか強い意思の力に包まれて、通常以上のポテンシャルを発揮するのだ。本領の公使に必要な物は、鍛錬と固く誓った意思の力だ。時代がどう変ろうとも真理は其処に有る。


 方や傷を負った獣は怒りを露にそのギラギラした赤い瞳を燃やし、鋭さを輝かせる牙を小さな管狐へと剥くのだ。喉の奥から無遠慮に響き渡る太低い唸り声に、怒りと闘争心を増幅させる。高まる緊張の中、糸の切れたマリオネット宜しくだらしなく地面へと転がる縊鬼は、最早焦点すら合わなくなった眼球で天を見上げ、ただただケラケラと笑い続けるのだ。自分だけの悦に浸り込み外界の事など見えてはいないのだろう。


 俺はまだ死ねない。鍵を解き放ってしまうには時期尚早なのだ。だがしかし、奴の生み出した鍵にアメノイワトの封を解く事が出来るとしたら、所詮は同じ事だ。最早出し惜しみなどしている場合ではない。俺の全てを燃やすのだ。死ぬかもしれない。危険な賭けだ。だがしかし今遣るしかないのだ。極度の集中、そして覚悟。嘗て無い程にまで肥大化した厳治朗の神通力はその願いを天へと送り届けた。堂々と天へとそそり立つ枝、梢がその緑の濃さを増した。ざわめき、そして大地を揺らす振動。厳治朗の神通力をその身に満たしたのは漆黒だけでは無かった。要石と呼ばれる封印を覆い生え茂る巨木。その大きく広がる枝が、地を這う極太の根が今しがた目を覚ました獣の様に活動を開始したのだ。地中から這い出し巨大な根は鞭の様に波打ち、土塊、岩石を散撒きながら獣へと迫る。


「!!!式神なのか!?」


”これ程までに巨大な式神だと?一体誰が!!!“


「くっ!重い!」


”何なんだ、この重圧は!命までも燃やす俺の神通力でも、動かすだけでやっと・・・だというのか!?“


 それでも、力強い味方を得た事は確かだった。そして感じるのだ、秘められし大きな力を。誰の式神なのか?いつから?何故こんな処に?何も分からない。だが今はそう、戦うのだ。やってみせるさ!


(四十九)


 激しい地震だった。要石の天面に力なく立つ豪太朗はよろめき、冷たい石の表面に膝を付いた。目の前にある扉、それら全てを覆う様に根を張り、青々と成長した枝が梢が葉が生き物の様にしなやかに動き始めた所以だった。その根はゴリゴリと地中より抜け出し、足の様に力強くその巨体を支え立ち上がるのだ。敵を前にして荒ぶる枝々は、威嚇でもするかの如く中空へとその身を広げ、細かな枝葉がミシミシと音を立てながら空気を掻く。ただの偶然だった。一陣の風を孕み、柔らかな緑の葉が豪太朗の身体に触れる。その刹那、豪太朗は目覚めたのだ。それはまるで身体中を犯す毒素が抜け落ちたかの様に、自我を取り戻したのだ。


「・・・!俺は一体・・・ここは???」


 眼前に立つ不可思議な扉を一瞥しながらも、突然の様に繰り広げられる異様な状況に困惑と動揺に支配される少年、その瞳が己の背後へと振り返った時、事態の優先順位に焦点が合ったのだ。その瞳に映ったのは、冷たい石の床へと座り込み、振動に身を任せるままの瑠璃子だった。其の目は何処を見ているのかも分からず、生気すら感じられなかった。


「瑠璃子!大丈夫か!?」


 訳が分からねえ。でも一つだけは分かってる。世界中がおかしくなっちまったとしても、瑠璃子だけは俺が守るんだ!振幅に足を取られつつも彼女の元へと辿り着いた豪太郎は、力の抜けた身体を強く抱き締め、安全圏への脱出ルートを探すのだ。


「くそっ!どうしちまったんだよ!瑠璃子を早く病院に・・・」


 周囲は際限なくクルクルとその様相を変え、その先にはオーロラの様に輝く金色の幕が見える。そして獣の咆哮。下だ。下に何かが居るのだ。地割れ、地響き、土煙。そして・・・厳治朗。


「オッサン!」


 斜に構えた人影、それこそが己が探しに来た者だという事を思い出させる。叔父の身体が輝いて見えるのは金色の幕越しだからだろうか。露になった確かな筋肉が全身に込められた力を辺りへと知らしめている。時折見える白い歯が、喰い縛る必死な形相を感じさせるのだ。そして見たのだ。地上よりその姿を浮かび上がらせた獣の後姿を。壊れたアンプの様な何処か電子的な声を無作法に揚げながら、少しだけ此方へと振り向いたのだ。


「・・・悪魔・・・」


 そのキメラの様な異形はニタリと笑った気がした。全身に冷たい汗が吹き出し、口中は乾き切っていた。動く事すら忘れ、石膏の様に強張った頬は体温を失うのだ。恐怖。鉛の様に重く冷たい物が豪太朗の内蔵を押し潰すかの如く、彼自身を浸食するのだ。そして未だ知らぬ死の到来を如実に感じるのだ。


「キュイッ!」


 瞬きさえも忘れていた豪太朗の視界に、一瞬の影が過る。軽やかに天蓋へと着地したのは一体の管狐だった。獣と豪太朗達の間に割って入った漆黒は、二人を守る様に獣と相対するのだ。


「お前達!生きているか!」

「えっ!?」


 管狐の口から発せられたそれは、紛れも無く叔父厳治朗の声だった。


「えええええええ!オッサン?」

「正気に戻ってるな。説明は後だ。出来るだけ中心に寄るんだ。落っこちるんじゃねえぞ!」


そう言い放った管狐は鋭いジャンプと共に大きく開かれた口より、無数の大気の鎌を繰り出すのだ。


(五十)


“よし!あいつらはとりあえず大丈夫だ。”


 重い。脂汗を滲ませながら、巨木の式神を繰る厳治朗は目の前の敵を見据える。そして非常な精神力を要する式神繰りに全神経を集中するのだ。漆黒の攻撃に体勢を崩した獣へと、鞭の様に撓る枝々がその反動により練り上げた力を叩き付ける。だがしかし、寸での所で躱した獣は甲殻類由来の巨爪で薙ぎ払い切り裂くのだ。分断された細かな枝葉ははらはらと儚く舞い散り、霞の様に辺りを覆い隠した。その刹那、蛇の様に地を這いそのタイミングを狙っていた木の根が獣の四肢へと絡み付き奴の動きを捉えた。


 それは思いもしない力だった。夢の様に欠片程の抵抗すら無く、古びた石膏の様に彩度を失った獣の体に細かなヒビが走り、ハラハラと崩れ始めたのだ。強力な力の流れ。チリチリと髪の毛が逆立つ程の爆大な力の流れをその身に感じながら、式神の力を確信していた。根だ。本来ならば大地に根ざし、水や様々な養分を吸い上げる木根が、触れた獣の身体よりエネルギーを、生命力を吸い取っているのだ。崩れ始めた獣の身体には最後の煌めきを誇示するが如く、蛇を思わせる尾の部分に、鬼から産まれた獣にはおよそ似つかわしくない金色の光が走るのだ。声も無く、抵抗する所作さえ見せずに鍵と成るべき生み出された獣は、その本懐を遂げる事なく塵となり、その存在を失った。戦いは突然に終わったのだ。限界を越えた神通力を行使した厳治朗は疲労困憊だった。張り詰め過ぎた弦が弾け切れる様に一瞬、目の前が暗くなり意識が飛ぶ。地面へと身体を打ち付ける冷たい痛みに、辛うじて意識を取り戻す事が出来た厳治朗の視界からは、件の巨木はその姿を消失していた。金色のベールの様な結界は相も変わらず輝き続け、アメノイワトの起動状態が続いている事を示していた。地面へと這いつくばり、立ち上がる事さえ叶わぬ男は、同じく天照の血を引き継ぐ甥に託すのだ。


(五十一)


「・・・豪太朗!」


それは式神、漆黒の口を通じて発せられた厳治朗の言葉だった。


「オッサン!何がどうなってんだよ!あのバケモンも木も消えちまうし!それに瑠璃子がおかしいんだ!早く病院に連れてかないと!」

「細かい事は後回しだ。良く聞け。お前達がいるその石は要石。邪を封じている封印だ。お前の血に反応して、ちょっくら目を覚ましちまったんだ。だからお前が其れを閉じなければならない。」

「訳分かんねえよ!俺にそんな事出来る訳ねえだろ!」

「出来なきゃお前達は其処から出る事はできん。」

「そんな!」

「お前の親父、惣一朗はこの封印を守る為に命を落としたのだ。」

「えっ!?」

「我ら一族はこの封印「アメノイワト」を守る為に在る。兄貴も俺もさっきのバケモンみてーな鬼を狩る退魔師だ。そしてその力の源は、始祖「天照大御神」から受け継いだ血脈。お前の中にもその神の血が流れている。笛を構えろ。兄貴は占月で神通力を揮い数多の鬼を調伏してきた。お前にもその力が秘められているのだ。奏者として力を揮うのだ。そして命ずるのだ。イワトの封印を。」

「・・・俺が・・・」

「お前には遣らねばならぬ事がある。親父の仇を討つのだ。信じろ。親父の残した血脈と占月を。さあ。其処から出て来るのだ。お前の仇なら、俺の足に封じてある。」

「!」


 これは賭けだった。占月に触れつつも未だ目覚めぬ豪太朗の神通力。荒療治なのは承知している。だがしかし少年の覚悟が切っ掛けとなるやもしれぬ。ヤツは強く成らねばならん。惣一朗の仇を撃つ為に。そしてこの人の世を守る為に。


 腕の中でぐったりとしている瑠璃子は、青ざめた顔で呼吸すら浅く感じられた。その顔を見つめる少年の表情には何らしかの決意が浮かんだ。優しくそっと少女を床へと寝かせた少年はやおら立ち上がるのだ。親父が守った封印。鬼。仇。正直、分からない事だらけだ。此の目で見ちまったバケモンも、キラキラ光ってやがる結界とやらも、今はそんな事どうでもいい。瑠璃子だ。瑠璃子を助けたい。その為の力が俺にはあるとオッサンは言った。難しい事は後回しだ。今はそう、それだけでいい。


 腰で揺れているのは黒革で設えた笛袋。ガサツな豪太朗には似つかわしくない程に美しく流れるような所作にて引き抜かれた横笛「占月」は、自信に満ち溢れるかの如く黒々と艶を増し、少年の集中に答えるようにその身を張りつめさせた。切る様に鋭く、その唇を相棒である横笛へと添わせる。瞳を閉じた豪太郎の心には、先刻までの複雑な心の渦など静まり返り、決意がその全てを支配していた。心の奥底で未だ顕現すら叶わぬ小さな金色の炎は、微かにけれども確かに揺らめいた。


「力を貸してくれ。占月!」


 少年は今、信頼と想いの丈を愛笛へと注ぎ込むのだ。


(五十二)


 疲弊は厳治朗の意識を奪った。天を仰ぎ、大の字のまま転がる彼の着物は焼け焦げ、破損した着衣の間より覗く逞しい足には、ぶすぶすと火の粉を舞い散らし焼け落ちつつある札が見えた。一度は封じ直した封印符も、起動したイワトの影響か、活性化した奴の力を押さえ切れなくなっていた。目覚めたアメノイワト、そして今ここに真の鍵が解き放たれようとしている。天照大御神不在のこの世に於いて、イワトの解放は人の世の終わりを意味する。計らずも”封じられし者”を解き放つ結果になった縊鬼は、未だ要石の麓に力無く傾れ掛かり狂った様に笑っているのだ。それを認識しているのかどうかすら既に怪しく、事の成り行きさえも其の目には映ってはいなかった。


 未だ動く気配すら感じられぬ厳治朗の体躯、其の脇には小さな白い獣が寄り添っていた。


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