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白銀の一枝  作者: 鷹司蒼志
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白銀の一枝21

(五十三)


「はあはあ・・・」


 身を屈め、肩で荒い息をする豪太朗。渾身の演奏も空しく、ただイタズラに大気を振動させるだけだった。何度吹こうとも、やはり笛の音は鳴らず、少年の想いもイワトには届きはしなかった。己の無力さに唇を噛み締める豪太朗。その内なる心に、ふと漣が湧き上ったのだ。


”!何だ?この感じ・・・ザワザワする・・・?“


「下か!?」


 それはかつて感じた事の無い感覚だった。塊。強いエネルギーの高まりを感じるのだ。何だ?何が有る?何かが居る?ここからは決して見えはしないが、確かにその存在を感知しているのだ。それは少年の決意が呼び起こした力の片鱗だった。普通の人々には認知出来ないモノの存在を今確かに感じているのだ。得体の知れない感覚に、背中を伝う冷たい汗を感じながら、非現実の中で麻痺してしまっていた恐怖心がじわりじわりとその鎌首を擡げ始める。何だよ。何かヤバい気がする・・・アレは駄目だ。アイツを何とかしなくちゃ駄目なんだ!


「少年よ!」


 恐怖に捕われた豪太郎を呼び戻したのは、若者の声だった。豪太朗の視界には薄紫の靄が映る。それは手にした占月より立ち上る一条の煙だった。雅な香の香りを携えた薫煙は、次第に纏まり一つの塊へと変貌を遂げるのだ。見上げる豪太郎の目の前へと其の姿を現したのは、狩衣を身に纏った一人の公達だった。初見であるはずのその顔立ちに、ノスタルジーにも似た安心感が豪太朗の心を満たす。


「恐れるな。我らにはそれすらも許されない。」

「ってか、今度はユーレイかよ!」

「そうだ。確かに私はこの世の者ではない。」

「しかも肯定されてる!」


 気が付けば、すっかり何時ものペースを取り戻していた豪太朗は明らかに心が軽くなるのを実感するのだ。余計な事に捕われて固く縮こまっていた心は、本来の伸びやかな柔軟性を取り戻した。それと同時に、活力とも言おうかやる気とでも言おうか、前向きな力強さに充ち満ちてくるのだ。


「よく聞くのだ。有れを解き放ってはならない。今はまだ時期尚早なのだ。」

「アレってなんだよ。このざわざわするヤツの事か?」

「そうだ。有れを押さえ切れなければ、この世は終わる。」

「何サラッと物騒な事言ってくれちゃってんだよ!」

「少年よ。お前にならば出来るはずだ。顕現には私が力を貸そう。」

「・・・不思議だぜ。あんた見てると何かやれる気がしてきたぜ。」


 優しくも厳しい瞳は少年を見つめる。


「・・・せめてお前には添い遂げて欲しいのだ。心より切に願う。」

「?」


 束の間、穏やかな笑みを浮かべた公達は、厳かに表情を引き締める。


「では、参るぞ。」

「おうよ!」


 次第にぼやけ始めた輪郭は水墨画の様に滲んだ。透き通り虚ろな存在へと身を窶した公達は、豪太朗の身体を優しく包み、その姿を重ねるのだ。安らかな、だがしかし心強い味方を得た豪太朗の心には、不安も迷いも欺瞞すらも存在しなかった。信じられる。そして遣れる。あの時の様に。


(五十四)


 其処は深夜の闇の中だった。本来ならば虫や獣、生とし生ける者達が眠りの徒に就いた世界、閑散とした静寂に包まれているはずの山中だった。イレギュラーな事象、地響きや振動、激しい咆哮、時折輝く閃光、そして金色のオーロラ。得体の知れない数々の事象に或る者は怯え踞り、錯乱のあまり逃げ回り、呆然と立ち竦み山頂を見上げる者も居た。本能だろうか。人が忘れた野生がそう告げるのだろうか。其れを感じた者達は、迫り来る世界の終わりを認識しているのかもしれない。そして誰もが生きる為に精一杯の抵抗を試みている。だから立ち止まったのだ。終末が顕現しつある殺伐とした山中に響き渡る一節の旋律に。それは遠く遠く、天空にさえも届いたであろう清浄な楽だった。その刹那。上空より降りた金色のオーロラの如き幕はその姿を消失させる。連綿と続くかと思われた大地の振動もプツリと途切れ、それこそ当たり前の静けさが舞い戻る。耳をそばだて、あらゆる感覚器を研ぎすます生き物達は、過ぎ去った危機は既に過去の物だと決着をつけたのだ。


 ただ一点、山頂近くに座する開けた場所だけがその様相を変え、未だチリチリと金色の光が、水面に映る花火の様に揺れ弾けていた。ぽっかりと抜け落ちた様に、かつてその体躯を誇っていた巨木の姿は失われたその場所には、月の光を柔らかに反射させる石のモニュメントが見て取れる。その頂上に立つ少年。鮮やかな蒼のオーラを身に纏いし少年だ。凛と構えた横笛から迸る衝撃波は此れまでの比ではなく、目に見える程までに空間を震わせていた。真夏のアスファルトにゆらゆらと浮かぶ陽炎の様に、人の目に鮮やかな世界を浮かび上がらせる光を捩じ曲げ、ざわざわと少年の心に触れる力の塊へと波の方向性を定めるのだ。地に横たわる和装の男、彼を根源とする爆撃な力の奔流は、形を成そうと飛び上がった中空にて、件の振動波に因って押し止められている。少年が一心に奏でた旋律は、雅楽師であった父が好んだと聞いている、誰の作かすら言い伝えられてはいない古の曲だった。その旋律は平安の世を生きた公達にも身の覚えの有る懐かしい楽だった。生きて戦ったあの日の想い、シンクロする二人の心は本来の力を解き放つ。


「大切な人を守りたい。」それが原動力になる。


 感情の高まりと共にその振幅を増す衝撃波は、やがて押し留め、ジリジリと押さえつけ十五年もの間封じ込められていた男の太腿の裂け目へと押さえ込まれるのだ。男はタイミングを合わせ間髪入れず、一枚の札で封印するのだ。男の足元には、己の力を送り込む事で主の身体を回復させ、力を使い果たして札へと還った式符が横たわっていた。


「白雪。ありがとな。」


 活動を停止した天岩戸からは、生命力にも似た輝きも消え失せ、少年の身体から放たれる蒼い光だけが夜空を染めていた。闇の中、浮かぶ様にちらちらと仄輝く光を見て取った厳治朗は、血が滲みボロボロになった掌で其れを拾い上げる。赤みを帯びた銀色の光を纏う其の珠は、件の獣の核と成って居たモノだった。優しく袂へと仕舞った男は空を見上げ、満天の星々を想う。何処までも遠く遠く響き渡る美しい笛の音をその心に刻み付けながら。


(五十五)


「ちょっと豪太朗!何時まで寝てんのよ!また遅刻するつもり!?」

「・・・分かった分かった。うるせえ女だな。」


 あれから十日程経った。重傷にも関わらずこっそりと病院を抜け出し、その上更なる怪我まで披露したオッサンは、先生と婦長さんにこれでもかと言わんばかりに叱られて、流石に観念して大人しくしている。だがしかし、たった一週間で退院してきたオッサンは本当に人間なのか疑っている所だ。


 あの後、俺は何時の間にか気を失っていた。縊鬼はオッサンによって封じられ、大島智子へと戻り、親族の手により荼毘に伏された。不幸にも遺体が起き上がり飛び出して行く娘の姿を見てしまった両親からの依頼だったそうだ。


 そして大沢紗香は未だ退院の兆しは見られない。何もかもを忘れ、自分が誰なのかすら分からず、ただ無邪気に笑っているらしい。やりきれないよな。


 そして、オッサンの仕事も始めて知った。その筋で有名な退魔師なんだと。法外な報酬なんて要求してなけりゃいいけどな。親父の事。一族の役目。俺の力。天岩戸。封じられし者。鍵。一応一通りの話は聞いた。長年の胸の支えもとりあえずは取れた様な取れない様な、更に増えたかもくらいの有様ではあるものの、件の鍵は未だオッサンの太腿の中で大人しく封じられている。彼奴は親父の仇でもある。だから俺は仇を討つ為に、神通力の修行に入るのだ。残念ながら今の俺の力では死んでも敵わないらしいからな。勿論、師匠はオッサンだ。こうして無事帰って来れた俺達、これにて大円団といきたいところではあるのだが、二つだけ謎が残った。あの時、俺に力を貸してくれた男。平安時代的な格好をしたヤツだった。何となく知っている様な気がしないでもないけれど、正体は知れないままなのだ。そしてもう一つ、俺にとっては何よりもでっかい謎。


「すまんのう。お嬢ちゃん。儂がこんな身体でさえなければ(涙)」

「いいんですオジサマ。あたしさえ犠牲になれば・・・」

「っつーかお前やりたい放題じゃねえか。これ以上何が不満だってんだよ。」


ボコッ!朝の芳しい香りが立ち込める九条家のリビングに、何らしかの打撲音が響くのは何時もの事で、ついぞ日常を取り戻した安心感に満たされるのだ。


「しっかし不思議よねえ。あたし夢遊病なのかしら?気が付いたら山の上で、オジサマと豪太郎がいて・・・何も覚えてないのよね~それまでの事。」

「・・・案外、ショックな出来事に遭遇して記憶を無くしちゃったのかものう。なあ豪太朗くん。」

「なんで俺にふるんだよ!」

「・・・まさかあんた、あたしにヒドい事したんじゃないでしょうね!」

「ぶっ!」

「何よその『ぶっ』は!何か心当たりがあるのね。そうでしょ?そうなのね!白状なさい!!!」

「ばっ馬鹿野郎!そんな訳あるか!!!」


 勿論、あの日の口づけもサッパリチャッカリ覚えていない訳で。というかアレ自体が瑠璃子の意思ではなかった訳で。と、いろいろと混乱はしてはいるものの、物理的には全くの完全な疑いようもなく其処はかとないファーストキッスである事に間違いは無い。例えそんな意味合いを1ミリも含んでいないなんて事は分かりすぎるくらい分かってはいるものの、無駄に爛々とエネルギーを生産し続ける青春時代ってヤツは色んな意味で押さえなんてききようもなく、妄想の中で反復したりもう一歩踏み込んでみたりとわりと忙しかったりするのが年頃の男子という生き物だったりする。だが、瑠璃子が覚えていない以上、俺達の関係は一ミリも進展していない訳で。あいつが俺の事を、その、どう思ってたり思ってなかったりという辺りは俺史上最大の謎と言わざるを得ない。


「何真っ赤になってんのよ。怪しいわね。」

「えっ・・・と。そうそうそうそう俺ってばついに笛吹ける様になったんだぜ?」

「ふーん。まあいいわ。とりあえず吹いてみなさいよ。」

「おうよ!」

「はっ!いかん!」


 叔父厳治朗の危機察知も空しく、無音の笛の音は無情にも家中の硝子を粉々に吹き飛ばすのだ。


「キャッ!」

「あれ?おかしいな。あの時は吹けたのに・・・」

「貴様!其処に直れ!成敗してくれる!!!」

「え・・・っと。行ってきま~す!」

「逃げるんじゃねえ!」

「ちょっと待ってよ!豪太郎!」




 でも、人が死んだんだ。


 しかも俺の知ってるヤツらばっかりだ。テレビの中のモノだった「死」が突然目の前に突きつけられた。そんな簡単に心の整理なんてつかないし、忘れられる訳なんかない。否。忘れちゃいけないんだ。誰もがもっと遣りたい事もあっただろうし、生きていたかったに違いないんだ。不条理だよな。何時如何なる時も、俺達の都合なんてお構いなしに「災難」ってヤツは襲ってきやがる。誰にでも平等に、きっと気が付けば何時だって手遅れで、それでも精一杯の抵抗をして、どんなに割り切れない想いでもいつかは自分自身で昇華して生きていかなければならないのだろう。


 だから俺は生きてゆく。どんなに足掻いてもみっともなくても構わない。例え後悔ばかりが残ったとしても、前へ前へ。


 そう、この胸が熱く鼓動する限り。


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