第1話 私と謎の青年 (8)
「この扉を開いた先が、王都に繋がっているんです。」
転移の魔法は、転移元と転移先を繋げるための座標の特定をしなければならない。毎回座標を特定する手間を省くため、魔女の小屋の扉を転移元に、王都店の扉を転移先として利用している。
据え置きで転移魔法を利用できるように魔法道具等を配置しているのだが、それらを壊してしまったり、少しでも配置をずらしてしまったりするだけでその繋がりが消えてしまうという、なかなかに繊細なものだ。普段、扉を開け閉めして扉をくぐるだけなら、そのようなことは起きないだろうが。
「…素晴らしい魔法であられる。私には到底扱えそうにもありません。」
「…アルベールにそう言って貰えると、自分が凄くなったような気がしますね。」
アルベールほどの魔力を持っていても、転移は使えないものなのだろうか。一般的な魔法使いでも手間さえかければ扱えるものだと思っていたのだが、どうやらそうでも無いらしい。エイダが簡単に扱っていたので、そのように錯覚してしまっていたのかもしれない。
「貴女はとても素晴らしい魔法使いであられる。」
「そ、そうですか?ありがとうございます…」
「貴女が魔女となった暁には弟子にして頂きたいものです。」
私が魔女の弟子だからか。確かに弟子に弟子入りするなんて聞いたことがない。
この嘘がつけない小屋でここまで言ってくれるのだから、本心なのだろう。私がエイダに憧れたように、魔法使いであればより多くの魔力を持つこと、知識や技術を持つことを望み、それを持つ者に憧れるのはわかる。…が、私は確かに彼より魔力を持っていそうだが、知識と技術においては疑問だ。
「それじゃあ、行きましょう。」
これ以上褒め称えられるのも気が引けて、慌てて話をそらす。しかし、アルベールは何故か少し表情を曇らせた。
「…王都に行く前に、お願いがございます。」
「はい?」
アルベールは少し言い難いようで、言い出したものの言葉が続かない。じっと彼が言い出すのを待っていると、ややあって目を伏せながら言葉をひねり出す。
「…私の名は、あまり他の人間には知られたくないのです。」
己でも非常に厄介なことを言っている自覚があるのだろう。この世界では、名がとても大切にされている。故に、愛称といったものは存在せず、正しい名を呼ばなければ失礼になる。外に出れば、どうしても名を呼ばなければならないような場面があるだろう。その時に、彼の名を呼ばないというのは難しい話だ。
だが、アルベールは追われている身だ。隣国とはいえ警戒しているのだろう、彼が名を知られたくないと思ってもおかしくはない。
「…極力呼ばないようにしますが、どうしても必要となった時は…その時は、私の失礼を許してもらえますか?」
「私が無理を申しているのです。トモエに非は、何一つもございません。」
やはり、失礼にあたると分かっていると、本人がこの様に許してくれたとしても気が引ける。出来ることなら、その様な状況にならない事を祈るしかない。
「それでは、アルベール。…あの、扉の先は王都なんですけど。」
「はい。」
「目と鼻の先でもすごい距離が離れていることになるので…どうしようかなって…」
今度は私が言い難くなってしまう。アルベールの呪いによる位置把握を私の元へ届くようにしたのだが、それは近くにいなければならないという条件付きだ。なので、この扉を開いて通ろうとした際、見た目は目と鼻の先だとしても離れていることになる。それを回避する手段は一つは、通る際にお互いに触れていることだ。
簡単に言うと手を繋いでいきましょう、と言えばいい。
(でも、すごく恥ずかしいじゃない…)
たった一言だけでいいのだが、なかなかうまく言葉が出てこない。そんな私の葛藤を知ってか知らないでか、アルベールはすっと手を差し出してきた。
「では、手に触れていれば大丈夫でしょうか。」
「…そうですね…さすがアルベールですね。」
アルベールは魔法使いだ、大体のことは察しているのだろう。そして、私も魔法使いなのだから、当然その答えを知っているということも察しているのだろうに、黙っていてくれるようだ。
その手に自分の手を重ねると、そのまま自然な流れで扉を開けてくれる。会釈しながら先に通してもらうと、アルベールもそれに続いた。無事王都側に来れたようで、呪いの反応も不自然なことは何も起きなかった。
「ええっと、ありがとうございます。」
感謝を伝えると、アルベールは小さく笑った。私が恥ずかしくなってなかなか言えなかったことを代わりに言ってくれたこと、扉を開けてくれたこと、先を譲ってくれたこと、色々なものが含まれた感謝だ。アルベールは何も言わないで、ただそれを受け取ってくれる。その気遣いが有難い。
「それじゃあ、店を開けちゃいますね。」
店内のカーテンを開くと、暗かった店内に光が入り込みさっと明るくなった。営業中の札を窓の外にかけるために扉を開けて外へ出ると、そこに常連客であるアイリーンが通りの向こうから歩いてきているのが見える。向こうもこちらに気づいたようで、手を振ると小走りで駆け寄ってきた。
「まあトモエ!おはよう、今から開店かしら?」
「おはようございます、アイリーン。丁度今、準備していたところです。」
「あら、私は幸運ね!今日はこちら側に用事があったの。でもまだ少し早いから、トモエのお店に寄ってもいいかしら?」
「勿論ですよ。大歓迎です。」
アイリーンは満面の笑みを浮かべる。それがとても愛らしいものだから、思わずつられて笑顔になった。彼女は店に来てはいろんなものを買っていってくれるが、何より私によく話しかけてくれ、よく笑ってくれる。この世界での初めての、友人のように思える人物だ。
アイリーンと共に店内に戻ると、彼女はあら、と驚いた声を零した。彼女の視線の先にあるのは、アルベールだ。
「お客さんではないわよね?」
開店前の店内にいたのだから、客ではないと思ったのだろう。確かにアルベールは客ではないが、関係性を説明するのは戸惑われる。アルベールの身の上のこともあるし、話そうとすれば、まず私が魔女の弟子であることを話さなくてはならなくなるだろう。ただの異国から移住してきた一般人である体を装っている身としては、それは避けたい。
「ええっと、その、ここで働いてもらうことになったのです。」
「まあ、そうなのね!名前はなんというの?」
何故かアイリーンは、アルベール本人ではなく私に彼の名をきいてきた。つい先程名前を知られたくないと言われたばかりなのに、まさかこんなにも直ぐに名を呼ぶ必要がある状況になるとは。
「ええ…その、彼は…あ、そう…アル、と…」
「アルト?」
「ああ、そうです、アルトです!そうなんです!ねえ、アルト。」
力強く肯定し、アルベールにはとても失礼ではあるが、脳内で謝罪しつつ偽名で呼んだ。すると、彼は嫌な顔をすることなく、笑顔で一礼する。
「アルトと申します。不肖の身ながら、トモエの元で働かせて頂くことになりました。」
私が口にしたことで、彼はアルトとしてここで働くことが決まった。何故なら、私達は魔法使いなのだから。アルベールは私の言葉に従ってくれるようで、すべてが突然決まったことであるのに、何一つ不自然なところもなく振舞っている。アイリーンは羨ましいわと小さく呟いていたが、彼女はチラリとアルベールを見やった後、こちらに向き直り、両手を握りしめてくる。
「アイリーン?」
「トモエ、私は客という立場だけれども、あなたのことは仲の良い友達だと思っているわ!」
「ええ、私もそう思っています。」
今でこそ他の人々も馴染んでくれたが、この王都に来て、異国の風貌である私に対してなんの隔たりもなく接してくれたのは彼女が初めてだった。年齢が離れていても、そんな彼女のことを大切に思うし、よき友人だと思っている。が、突然どうしたのだろうか。
「だから、私のことはイレーネって呼んで?」
不思議に思っていると、アイリーンに驚きのお願いをされて目を見開いた。この世界の人間は、名を二つ、姓を一つもっている。以前、出会った頃に教えて貰った彼女の一つ目の名はアイリーンなので、イレーネは二つ目の名だろう。彼女の正式な姓名はアイリーン・イレーネ・クロムウェルということになる。
姓はその者が属する一族を指すものだ。そして、二つの名は、どちらも個を指すものになるのだが、使用用途が異なる。一つ目が普段から使われ呼び合うものだ。二つ目の名は、平民の間では家族や特に親しい友人などの親愛する者同士で呼び合う。
つまり、アイリーンは親愛なる友として二つ目の名を私に教えてくれたのだ。それはとても嬉しい…のだが、何故このタイミングだったのだろうか。
アルベールを横目で見ると、驚愕といった表情を浮かべていた。そして私の視線に気づいたのか、気まずそうに目をそらされる。この反応からして、彼は貴族ではないだろうかと思う。
何故なら、二つ目の名は貴族の間ではもっと重く扱われているからだ。家族同士でも呼び合うことはなく、生涯を共にする夫や妻、それを誓い合った婚約者や恋人同士間で呼び合う。…アルベールは勘違いしているのだろう。