◆悲観
どうにかしてあの高飛車バンパイアにお詫びをさせたい!あたしはそれ一心で思案し、それが楽しくてワクワクしてしまい、テンションが上がってなかなか寝付けないでいた。1番エリクにやらせたいのはこれ。有り得ないけど、エリクを床に土下座させて「駆け付けるのが大変遅くなり、ナタリー様の美しいお身体に傷をつけてしまったことをどうかお許し下さい」って言わせて、あたしはどうするかって言うと〜〜……。
もちろん許してあげないの!
土下座するエリクの頭を踏ん付けて、「出来の悪いバンパイアはあたしの用心棒には必要ないわ〜」なーんて言って、お払い箱。バイバイ。エリク。もう戻ってこなくていいよ。あ、ついでに世界中の下級バンパイアもやっつけて帰ってよね。人間界にはかなり不必要だから。
……てな訳で、あたしは全身打撲したせいで頭も一時的におかしくなってたんだと思う。そんな変な妄想を布団被りながらげへげへ考えていたんだから。
…気持ち悪いわねあたし…。でもそんな妄想もいつの間にか飽きて、気づかないうちにぐっすり寝入ってた。当たり前だ。身体は人生で一番傷ついて、休息を欲しているのだ。夢なんて見ないくらい深い眠りについて、時間の感覚も分からないくらい眠ったと思う。気がついた時は多分夜中。外、真っ暗だったから。部屋のカーテンは閉まっていて、誰かが閉めてくれたんだぁってぽけーっと見つめてた。まだ眠気で覚醒してない頭で考えて、喉が渇いていることに気づくのに十秒くらいかかってしまった。水が飲みたくてあちこち痛む身体を押さえてベッドから降り、キッチンに向かって足を引きずりながら歩き始めた。全身じんじん痛くて部屋のドアノブまで歩いていくのも一苦労。いつもの元気がないぶん、扉が遠く感じた。扉があたしから遠ざかっていってるんじゃないかって思うくらい、遠く。やっとの思いで辿りついたけど、キッチンまでの道のりは長い。一番難関の階段を降りて、広いリビングを横切ってやっとキッチン。イメージしただけで疲れる。でも頼れるのはあたしだけだから。一人で生きてくことはそういうことだからって魔法のように唱えて、ガチャって扉を開けた。あたしはその時扉に重心をかけすぎて勢いよく開いた扉に合わせて前にズッコケてしまう。前に倒れる身体を咄嗟に庇った腕や足から、衝撃が走り、全身に痛みが走って廊下で小さく縮こまった。あちこち痛くて言葉も出ない。なんだか自分が凄く惨めに思えて、少し涙が出る。水を飲みにいくことすらこんなに苦労するなんて。
少し泣いて顔をあげると周りは夜だから真っ暗。廊下の隅の方は暗くて何にも見えない。暗い、真っ黒な世界はあたしを襲った奴を連想させる。そう考えると何もかもが怖くなる。家の中が安全だなわけない。あたしが襲われた時、どっちも屋内だった。一回目は教会の中で。二回目は家の中。まさか自宅で化け物に襲われるなんて誰が思うだろう。危険は外だけにあらず。あたしは家の中にいても、外にいても安らぐ生活を送れない。不本意だけどエリクがいないと奴に出くわした時、あたしだけじゃ絶対太刀打ちできない。あたしじゃ蚊ほどの抵抗も出来ないのに、エリクは片手だけで遊ぶように余裕で奴をやっつけてた。雲泥の差ってこういうことを言うのね。だからエリクはあたし(人間)を馬鹿にするのかも。力の差ってやつをようくしらしめてくれたお陰であたしはその事、よく分かったわ。…ようくね…。
自分で自分にそう納得させたら、胸の奥がズキッと締め付けられた。
(おかしいわ、あたし。冷静に考えたらエリクがあたしを助けてくれたのはそういう当てつけだったり、あたしの血が欲しいからだけに決まってるのに。なのに……)
『随分ぼろぼろにされたな……』
まるであたしを労るかのように優しく手を差し出してきた事が凄く嬉しかったなんて。でもその理由がきっとあたしのことを‘思って’したことじゃなく、自分の‘利益のため’にしたのだとしたら、そう考えたらとてつもなく胸が痛くなって、体中の痛みなんかよりも痛い。この気持ちは何?どうしてあたしはエリクに‘優しくされた’のが嬉しかったの?そんなこと、エリクが本気でするはずないのに。
考えれば考えるほど彼の意図は読みとれなくて。訳の分からない感情に悩まされて、廊下で肩を抱きながらまた泣いた。今までこんなに泣くことも、誰かの仕草でこんなに悩むことも無かった。最近の自分は何だか弱い。ナタリーはそう感じていた。エリクソンという圧倒的強者が現れてから、あたしは弱者として振り回されっぱなし。エリクがいなかった時は、精神面では村の中では誰よりも強いと思ってるし、人一倍頑張って強く生きなきゃ、て思ってた。弱い自分を人に見せてはならない。見せたらあたしの強みとしてる部分が全部消えて無くなってしまう。そしたら天国の父様と母様が心配する。カトレアもきっと心配する。だから駄目。あたしなんかのために他の人に迷惑をかけちゃ駄目。そう思って強く強く、って。 なのに、エリクはそんな必死なあたしをことごとく攻撃して、ボロを出させようとしてくる。あたしの築きあげた強い精神を崩して、人間の弱さを突いて、どんなに気張っても誰かと手をとりあわなきゃ生きていけない人間なのだと認めさせようとしてくる。俺にはかなわないって。そして弱者のあたしはやがて強者に助けを求め、強者の足元に縋り付くのだ。
(あなたの思惑どおりよ。あたしはあなたの力無しじゃ生きてけない弱い人間。そう認めさせたら、あたしは嫌でもあなたに縋り付いて助けをこうでしょう?そうしたら盟約通り。契約成立よね。あたしはあなたのために生きる家畜も同然だわ)
だからあの優しさもきっと偽り。あたしを盟約に縛りつけるためのひと芝居。でもやっぱりそう考えると悲しくなって。訳がわかんない。また泣きたくなって、喉が渇いてるはずなのに瞳からはボロボロと大粒の涙が零れてきて……。
辛い。こんなに辛いの初めて。誰かに助けを求めたくなる。どんなに頑張っても、あたしは弱い人間だから。誰か、来て。そばにいて―――。
「何やってんだよ。こんなところで」
突然ふってきた言葉。
なんでよりにもよってこの人なんだろう。あんまり会いたくなのに。この人には屈したくないのに。弱い所見せたくないのに。ああ、最悪だ。今のあたしはエリクから見て最高に大笑いしたくなるような状態に違いない。水が飲みたいのに身体が痛くて動けない。その上寝間着姿で廊下で泣きじゃくって顔はぐちゃぐちゃ。
――最悪―
(笑えばいいじゃない。いつもみたいに高圧的な口ぶりで。最高に惨めなあたしをののしれば?いっつもあたしに言ってたように。お前なんかそうやって地べたを這いつくばって生きる家畜だって。言えばいいじゃない)
もう、あたしは弱い部分を隠そうともしなかった。もうこの時のあたしは自暴自棄になっていた。
隠したって仕様がない。笑えばいい。笑え。笑え 。呪文のように繰り返す。
予めそうなることを予想しておかないと、本当にそうなった時のダメージが大きくなってしまうから。
でも―。
エリクはあたしの予想に反して何も言ってこなかった。そしてゆったりとした歩調で廊下に座り込むあたしの傍まで来ると、何も言わずにあたしを抱き上げ部屋に戻そうとしたのだ。
「きゃあ。やだ。降ろして。あたしは行かなきゃいけなきゃ所があるの」
突然の行動にあたしは驚いて痛む身体をばたつかせる。
「うるせー。耳元で騒ぐな。何が行く所があるだ。大袈裟な。動けないで泣いてたくせに。大人しくしてろ」
そう言ってあたしの頭を軽く小突いてあたしを黙らせる。
「…………っ……。おろしてよぉ…。あたし水飲みにいきたいだけなんだからぁ…」
駄々っ子のように身体をばたつかせて抵抗するあたしは本当にかっこ悪い。でもエリクはあたしが抵抗しても降ろしてくれなくて、ようやく離してもらったと思ったら、そこはベッドの上だった。
そしてエリクは静かに踵を返してどこかに行ってしまう。何だったの?
また布団を抜け出して部屋を出て行こうとしたらちょうど部屋に入ってきたエリクに捕まって、またベッドに連れ戻された。
「ったく。寝てろっつうの。ほら。水」
ぶっきらぼうに差し出されたのはコップに入った一杯の水。あたしのためにもってきてくれたの?
驚いてなかなか受け取らないあたしにじれったさを覚えたのか、エリクはあたしの手をとり、無理やりコップを手渡した。
「…ありがと…」
素直にお礼を言って、コップの中で揺れる透明な液体をじっとみていた。そしてコクリと喉に流し込む。泣いて枯れた喉に冷たい水が通ってからだの芯から全身が潤っていく感覚だ。ただの水なのに、すごくおいしい。
「落ち着いたかよ」
「…うん」
まだ目を真っ赤にして泣いてるあたしの様子を伺いつつ、エリクは一気に飲み干して空になったコップを奪い去ると、あたしを横に寝かしつけてぼそりと言った。
「………な。……さ…て」
「…ぇ?」
聞き返したときにはもうエリクは部屋を出て行った後で。
エリクって呼んでみたけど、彼は戻ってこなくて。隣の部屋の扉がパタンって閉じる音がした。自分の部屋に戻ったみたい。
あたしはゆっくり体を横にすると布団をかけてしばらく天井を見つめていた。
あたしの頭はエリク言葉を信じられない思いでずっと繰り返してた。
だってエリクよ?人間のこと馬鹿にしてて、指図されたらキレてすぐ怒るような奴なのよ?
でも、その言葉は、あたしの耳には彼の初めての謝罪の言葉に聞こえた。あのエリクが謝罪なんてまさか。ううん。
でもちゃんとした謝罪の言葉だった。
幻なんかじゃない。
「…悪かったな。怪我させて…」
思いもよらない言葉に、さっきまでのあたしの悲観的な考えも涙も一斉にふっとんで、あたしはただ目をぱちくりさせているだけだった。