そして二人は月夜に消える
余りに多くの難事が重なり、それがいつ収束したのか整理するのに時間を要した。結論から言うと、我がタルニト国は最大の国難を乗り切った。
ウラフを中心とする武装勢力の連合は壊滅した。ギリア軍団の首領はカリフェース軍ブリツアード少将に斬られ、ジノア軍団の首領は同じくカリフェース軍ラルフロット少将に倒された。
そしてバーギス軍団の首領は、我がタルニト軍パッパラ大将が見事討ち取った。だが、ウラフだけは戦場から逃げ延びたらしい。
軍団は文字通り殲滅されたので、ウラフの再起は難しいと言うのだが大方の見解だった。
カリフェース軍三万の損害は死傷者三千人。タルニト軍四千五百の死傷者は千六百人だった。
私はタルニト、カリフェース合わせて戦死した千人の兵士達に、心から冥福と感謝を捧げた。
兵士達の合同葬儀の際、私はカリフェースの王、ウェンデル様に再び会う機会があった。
ウェンデル様は気さくに笑顔で接してくれ、タルニト国の条約加盟を確約してくれた。相変わらずウェンデル様はどこか人間離れてした雰囲気を持つ方だった。
戦場でウェンデル様を間近で見たパッパラとスカーズは、すっかりこの紅茶色の髪の王に惚れ込んでいた様子だった。
「マジ凄いんですよ女王陛下!ウェンデル王が黄金の剣をかざすと、いきなり十体の甲冑の騎士が現れたんです!その騎士達が強いの何のって!」
「いや。あれッスね。ウェンデル王は人間の範疇を超えてるッスよ。あの人マジで世界統一とかしちゃうんじゃないッスか?」
パッパラとスカーズは興奮冷めやらぬ様子で戦場の事を話してくれた。私は二人が無事に帰ってきてくれた事が何よりだった。
マケンドお兄様も無事に帰って来てくれた。最後まで陣頭で戦った兄は、兵士達の信頼を完全に取り戻した。
王都での魔物達との戦いは、ソレット達が勝利した。三百体の魔物は全て息絶え、地底人一族の生き残りはソレットとの一騎打ちの末に倒された。
魔物の死体は暫くすると貨幣に変わる。戦場に残った大量の金貨を、ハリアスさんは必死に掻き集めていた。
ゴントさんとクリスさんは、そんなハリアスさんを無視してさっさと引き上げた。ハリアスさんの「拾うの手伝えお前等!」と言う声が響いていた。
サラント国ではハッパス大将がフォルツ軍を破った。フォルツ国が二万の軍勢でサラント国に侵入した時、国境にはサラント軍一万が配置されていた。
サラント軍一万は蜘蛛を散らすようにフォルツ軍から逃げ惑った。だが、これは偽の撤退だった。
サラント軍一万は殆ど損害を出さずに後退し、ハッパス大将率いる三万の軍勢に合流を果たした。
緒戦で勝利したフォルツ軍は勢いに乗りサラント領内に奥深く侵入した。だが、そこに待ち受けていたのは名将ハッパス率いる四万の兵力だった。
フォルツ軍は倍のサラント軍に完膚無き迄に叩きのめされた。この報告を受けた私は、改めてハッパス大将の恐ろしさを感じた。出来ればこの人とは、事を構えたくないと心から思った。
ナニエルは砦に拘束していた両大国の駐留軍兵士達を完全に眠らせ、ナニエル自身も無事に王都に戻って来た。
だが、ナニエルは一人では無かった。砦にいたタルニト女兵士が付いてきたのだ。女兵士の名はアネル。
ナニエルより三歳年上の彼女は、ナニエルの砦での不眠不休の奮闘する姿に惚れ込み、兵士の職を辞して付いて来たと言う。
ナニエルは困りきった様子だったが、果たしてこの先二人はどうなるのか。
センブルク国からはロイランが無事に帰国してくれた。軟禁状態だったロイランは、センブルク国の三番目の王子を籠絡し、見事タルニト国に帰還を果たした。
これでセンブルク国の王族が長男、次男、三男がロイランを争って三つ巴の戦いを繰り広げる事になった。
私達はロイランの手練手管に、ただ口を開けて呆れるしかなかった。臨時参謀だったロンティーヌは、役目は終わったとばかりに住処に帰ろうとした。
私はそんなロンティーヌに提案をした。タルニト国の歴史管理書官にならないかと。ロンティーヌは黙り込んで思案した後、考えておくと言い残し去って行った。
ルルラは相変わらず侍女兼秘書官として、私に尽くしてくれた。正式な秘書官にならないかと誘ったが、ルルラは侍女の仕事も好きで続けたいと笑顔で謝絶した。
ロンティーヌの一番弟子らしく、ロンティーヌの新作の本の作成に協力している様子だった。
ライツ隊長には最近双子の子供が産まれたらしい。ライツ隊長は仕事が定刻になると、沈着冷静な表情をかなぐり捨て、我が子に会うために必死の形相で自宅に帰って行った。
戦いが集結した後、王都では勝利の宴が開かれた。ウェンデル様達も参加してくれ、宴は一日続き、その日の王都には笑い声がいつまでも響き渡っていた。
マケンドお兄様と私は、二人でタルニトを共同統治する事を選んだ。マケンドお兄様も正式な王となり、私の負担もかなり軽減された。
本当は私はもう一人の兄弟と共に、三人で共同統治するつもりだった。だが、異母兄弟はそれを拒否した。
「どうしてメフィス?お父様の未公開の遺言を何故公開しないの?」
病室で私は、ベットに横たわるメフィスに問いかけた。あの時の背中の傷は、幸い命には別状は無かった。
「······面倒だからだ。下手に即位すれば、またお前に小言を言われ続ける。そんな面倒は御免こうむる」
「家族は面倒な物よ。厄介でもある。でも、それを全部含めて家族なの」
私はベッドに両手で頬杖をつきながら異母兄弟の顔を見つめる。
「······その小言が面倒だと言うのだ。私は今の宰相のままでいい」
メフィスの両目は、以前の鋭さが幾分か和らいでいるように私には見えた。
「······メフィス。まだお父様を恨んでいる?」
私の問いかけに、メフィスは意外な言葉を返して来た。
「······恨むも何も。もうその相手は生きていない。生きていれば、恨みも晴らしようがあったがな」
私はその言葉に、メフィスの複雑な心境を感じた。お父様の急死は、メフィスにとっても突然過ぎたのかもしれない。
「しっかり傷を治してね。そして早く復帰しなさい。そしたら復讐なんてする暇が無いほどこき使ってあげるから」
私は今自分に出来る精一杯の笑顔を異母兄弟に向けた。その兄は、不快げにため息をついた。
「······もう行け、私は眠る」
「······うん。また来るね。お兄ちゃん」
······私は自分の言葉に驚いた。でも、それはとても自然に溢れた言葉だった。一瞬メフィスの瞳が揺れたような気したが、私はそのまま病室を出た。
······武装勢力との戦いから一ヶ月が過ぎた。私は相変わらず忙しい日々を送っていた。マケンドお兄様に王の仕事を半分任せているのに何故こんなに忙しいのか?
「そりゃ女王陛下。仕事ってのは大量発生するネズミのように湧いてくる物ですよ」
私と一緒に財務書類を決済しているタインシュが、有り難くない真実を教えてくれた。
「それにしてもここ数ヶ月でこの国も状況が激変しましたなあ。カリフェースの後ろ盾を得た今、サラント国とセンブルク国は簡単にタルニトに手出し出来なくなりましたから」
タインシュはボサボサ頭を掻きながら呟く。私は今、両大国に交渉していた。タルニト国内に駐留しているサラント軍とセンブルク軍の撤退を求めて。
そもそも両大国駐留軍の武力衝突が大きな戦いに発展した元凶だ。私は再びそんな事が起こらないように、駐留軍撤退を粘り強く求めて行くつもりだった。
「それにしてもレドカ侯爵とホワツ侯爵も変わりましたなあ」
タインシュが話題をいきなり変えた。好戦派のレドカ侯爵は今回の戦いの後、態度が軟化し平和こそ正しいと意趣返しした。
反対に守戦派のホワツ侯爵は、戦うべき時は戦う必要があると好戦派に変わりつつあった。
まったくこの二人の侯爵には、こらからも手を焼きそうだった。
「タインシュ様。一つ訂正がございます。タルニト国の後ろ盾はカリフェースだけではありません。生ける伝説。勇者ソレット様もお忘れ無く。なんと言ってもアーテリア女王陛下の恋人なんですから」
ルルラがテーブルにお茶を置きながら、悪戯っぽい笑顔をタインシュに向けた。その瞬間私は赤面する。
「そうでしたなあ。まああれですな。もし女王と勇者の間に子が生まれたら、その子はどちらの親の仕事を継ぐのですかなあ」
紅茶の湯気に分厚い眼鏡を曇らせ、タインシュはとんでも無い事を言う。な、な、何を言っているのよ!?
そもそもルルラもそうよ!大体私はソレットに告白されて無いし。私もソレットに告白してないし。
なのに周囲は私達の事を恋人成立みたいな目で見てるし。こ、困るんですけどそう言うの?わ、私とソレットにはお互いのペースと言う物があるんです!
「ああ。そうですなあ。双子が生まれたら問題ないか。一人は勇者の父を目指し、一人は女王の後を継ぐ。これで問題無しですなあ」
タインシュの少し予言めいた言葉に私は絶句した。先の国難の出陣の際も、タインシュは「何とかなるかも」と呟いた。
最近私の中では、タインシュは預言者では無いのかと思うようになっていた。
そのソレットは、また別の戦いの為に旅立って行った。一つの戦いが終わると、私の部屋の窓をノックしに来てくれる。
私はその窓を開けて、ソレットと一緒に空に飛び夜空を散歩する。それが私達の逢瀬となった。
権力に染まった頭の中のもう一人の私は、相変わらず私に語りかけてくる。でも、私はもう気にしなかった。
それも私自身の一部なのだ。もう一人の私とは、一生つき合って行くつもりだ。
そして、また政務に勤しむ日々が続いて行く。
······私は長い廊下を歩いていた。これから会議室に向う為だ。厚い絨毯を踏みしめる度に、足が鉛のように重くなって行く。
足だけでは無い。頭も。何なら身体全体がどう仕様も無く重い。精神的にも憂鬱だ。私はこれから、我欲に支配された亡者達と対峙しなくてはならないのだ。
私は深い深いため息をつき、覚悟を決めて会議室のドアを開いた。そこには、我がタルニト国の臣下達が列席していた。
メフィスが立ち上がり、乾いた声で宣言する。
「では此れより、先のタルニト国に発生した未曾有の国難に対処した臣下の功績を論じ合う会議を始める」
······この会議室に入った瞬間、私は感じていた。臣下達は無言だったが、それぞれ顔にこう書かれていた。
メフィス宰相
「ウラフ軍団を始め武装勢力達を殲滅出来たのは、元を辿れば私がウラフに情報を流したからだ。付け加えれば女王暗殺を見を呈して防いだ。私以上の功績がある者がいる筈が無い。今度こそ私の浪漫であるメフィスハーレムを設立して見せる」
パッパラ大将
「何言ってるんッスか?命を懸けて戦場を駆け抜けた俺達の方が国の為に尽くしている筈ッス!今度こそ褒美をたんまり貰って「ニャンニャンスーパーランド」を造るッス!」
ロイラン外交大臣
「お二人共お戯れを。センブルク軍、主力二万を無力化させタルニトを救ったのはこのわたくし。更にセンブルク王子達を争わせ、センブルクは今や内乱寸前。この巨大な功績に並ぶ者などございません。今度こそ「ロイラン枕営業養成スクール」を設立する為の褒美を頂きますわ」
ナニエル近衛兵長
「······はあ。今朝は手淫するの忘れたなあ。早く会議終わらないかなあ。早く手淫したいなあ」
ライツ宮廷魔術師隊長
「激変する戦況の状況を正確に伝えた我ら宮廷魔術士の功績は小さくありません。ここは一番多くの褒美を頂き、双子の子供に山のような玩具を与える所存です」
ルルラ侍女兼秘書官
「······褒美などとおこがましいのですが、出来ましたら文化芸術予算の増額を」
記録官
「どんな発言も、一言も逃さず記録いたします!お任せを!」
······怨念だ。自分の欲望の事しか考えていない亡者達の怨念がこの会議室に充満している。その時、タインシュが突然立ち上がった。
「しまったあっ!!帰国したモンブラ殿に「チーズとマーズ」の結末を聞くのを忘れたあっ!!」
······ちょいボサボサ頭のおじさん。何故今?なんで今それを叫ぶの?いつまで引っ張るのその話?と、言うかいい加減に私もその結末が気になってくるわ。
······欲望の怨念に塗れた会議室から出た私は、心身共について疲れ果て自室に戻った。八月ももう終わろうとした夜だったが、まだ夏の暑さは残っていた。
でも、私は部屋の窓を決して開けなかった。ドアを開けてしまったら、外からノックが出来ないからだ。
そして、その瞬間は訪れた。
窓を叩く音に、私は疲れを忘れベッドから飛ぶように起き上がった。靴も履き忘れ、私は駆け足で窓を開いた。
夜風が室内に入り込み、カーテンと私の髪が揺れた。私の目の前に、私の勇者が空に浮かんでいた。
「アーテリア。何時も夜分に済まない」
ソレットは穏やかな笑顔で私を見つめる。私は手のひらをソレットの頬に添える。ソレットの頬には、また新しい傷が出来ていた。
今日もソレットは世界の平和の為にどこかで戦っていたのだ。私はその頬の傷が堪らなく愛おしく思えた。
ソレットが私のその手を優しく掴んだ。そして優しく呟く。
「行こうか。アーテリア」
私は勢いよく頷く。この時。この瞬間。私は世界中の誰よりも幸福だった。私はソレットの首に抱きつき、ソレットは私の身体を抱えてくれる。
夏星座を従える月夜の空へ、女王と勇者は飛び立った。




