諦め
三橋愛華を追いながら、俺は歯の隙間から汽笛のようにため息を吐き出した。
これではまるで悪者だ。 というより、ホラー映画の化け物だ。 少女を追い詰め、怯えさせ、殺してしまう化け物。
そう、殺すのだ。 俺はこれから彼女を、自分の意思で殺す。
先程は同じ人殺しの化け物である雅を苦心して殺さないようにしたのに、愛華は殺して、自分も人殺しの化け物になる。
彼女を放置する事なんてできない。 今日俺はその為に彼女を呼び出したのだ。
――血の跡を追いながら階段を上がっていくと、やがて行き着く先に察しがつく。
俺が先程まで雅と戦っていた体育館だ。
出ていく時に閉めた扉が、今は開いている。
俺は勢い良く、それを開けた。
中を歩きながら見回すと、壁や床が損傷し、隅では少女が横たわっている。
肩は上下しているから、きっと大丈夫だろう。
俺の目的は、その先にある小さなプールを一望できるテラスだ。
血の跡はそこに続き、三橋愛華は、震えながらそこに追い詰められていた。
彼女はその震えを隠すように両腕で蛇皮を抱き寄せ、肩を抱いている。
俺を見ようと視線を上げようとするのだが、どうしても出来ないようでまた伏せた。
「諦めろ」
俺は彼女に呟いた。 命を諦めろ。 そう呟いたつもりだった。
しかし俺の声はむしろ、彼女に懇願するような調子になっている。
まだ心の奥に、甘い期待があった。
彼女はもしかしたら、さっきのやりとりで恐怖を覚え、改心したかもしれない。
もしかしたら二度と蛇になんてなれないかもしれない。
俺のような化け物になるなんて願いなんて捨てたら、やり直せるかもしれない。
もしかしたら、かもしれない。
開いた俺の口は、自らをあざ笑うようにつり上っていた。
「……ません」
愛華のか細い声が、残っているか分からない耳に響く。
「ごめんなさい。私はこの思いを、諦められません」
しかし彼女の体からは、いつの間にか震えが止まっていた。
「最初はただ、貴方の立場に憧れていただけかもしれません。 でも今は違うんです」
言いつつ、彼女はついに目線を合わせ、俺を見つめる。
「好きなんです、貴方が。 孤独を隠して笑う仕草が。 殺人鬼の私をなお救おうとする優しさが」
愛華が、まとっていた蛇皮を落とした。 彼女はまるで聖女のように胸の前で手を組み、涙をひと筋流す。
「私は貴方になりたい。 一つになりたい。 偽者だというなら、もっともっと人を食べて本物になって見せます……」
浮かべたのは、曇りのない笑顔。
涙が頬を伝うと、その軌跡が鈍く、黒く光る。
雫と共に、ぽろぽろとまるで厚化粧のように彼女の面の皮がはがれていく。 その下には、黒い鱗。 涙を流す瞳は金色の光を宿し、瞳孔が縦に裂けている。
「愛しています、大輔さん」
その涙で、俺は悟った。
――あぁ、もうダメなんだ。
緩慢な動作で思いっきり口を開ける。
そして、ガチン。
閉じると、黒髪が宙に舞った。
手すりが削り取られ、俺の口を辛うじて避けた愛華だったが、バランスが崩れテラスから落下していく。
それを見送って、俺は彼女に背を向けた。