第32話 何者
「――リラ!」
機械音が、変わった。
枕元のモニターが規則正しい拍を捨て、甲高い連続音に裏返る。緑だった波形が、赤く跳ねた。
天井の照明が、白く、一斉に灯る。闇に慣れた目を、光が刺した。
その白い光の下で、彼女の顔は灰色をしていた。
カイルは壁の緊急ボタンを掌で叩いた。乾いた警報が廊下の奥へ走っていく。
せわしない足音と共に扉が開いた。
「――退いて!」
肩を掴まれ、押しのけられた。
カイルが二歩下がると、四つの白衣がベッドを囲んだ。消毒液の匂いに、走ってきた人間の汗の匂いが混じる。
先頭の医師がリラの首筋に指を当てた。
当てて――止まった。
「取れない」
「――え」
「脈が、取れない」
医師は、モニターを見た。
「波形、出てます!はっきり出てます!」
「取れないのよ」
指が、移る。頸の反対側。手首。それから、また、頸。
「波形は出てるのに、指で拾えない。……これで、どうして生きてるの」
「圧、測ります」
カフの膨らむ、低い唸り。そして沈黙。
「測れません。エラーじゃない。値が、出ないんです。……範囲外です」
「体温、三十二・一」
「――どうなってるの」
四人の背中の隙間から、リラの手が見えた。
だらりとシーツの上に落ちている。
さっきまで、彼の頬に触れていたのに。
指先が、白い。爪が、紫がかっている。その手は今、動かなかった。
「――中尉。外へ」
「――」
「中尉!外へ!」
カイルは押し出され、扉は無機質に締め切られた。
背を壁に預けて目の前の扉をぼんやりと眺めると、廊下は妙に白く見えた。
医務室と同じ白。空調が一定の高さで途切れずに鳴っている。
壁は厚く、扉の向こうの声は言葉にならない。小さな響きだけが伝わってくる。
誰かが短く言い、誰かが短く返す。一度、金属が床を打つ音。それから、また声だけ。
七年間、軍にいた。
扉の向こうで人が死ぬのを待った夜は何度もある。第三区でも、ハロウブルクの北の防疫線でも。壁に背を預け、時計を見ず、頭を空にする。それが正しい待ち方だと彼は知っていた。今夜は、そのどれもできなかった。
――七年、頑張った。
彼女の声が、頭の中で鳴る。
生きろと言った。
彼女は、頷いた。
「――中尉」
カイルは振り返らなかった。レインは気にせず隣に立つ。
「――中佐」
「うん」
「あの人は、死にますか」
四秒。
「――俺には、分からん」
初めて聞く言葉だった。この男が「分からん」と言うのを、カイルは、一度も聞いたことがなかった。
「――そうですか」
「うん」
扉の向こうの声が変わった。間隔が空いていく。
それから――止まった。
気がつけば、カイルはの手は扉に触れていた。
「――中尉。手を、離せ」
「……はい」
扉が開いたのは、その七分後。
出てきた医師は五十代の女医で、心底分からない、という顔をしていた。
「――ハーヴィ医師。彼女は」
ハーヴィはレインを見て、それからカイルを見た。言葉を選ぶ時間が永かった。
「――生きてます。ただ……」
ハーヴィの声が、続く。
「彼女の身体で何が起きているのか、私には説明できません」
「脈は指で拾えない。血圧は測定範囲の外。体温は三十二度台。それでも、生きている。三十年、どの教科書にも載っていなかった」
医師は、カイルをまっすぐ見た。
「中尉。あの人は、いったい何なんですか」
カイルは、答えられなかった。
七年間通った店の、カウンターの向こうの女。
名前と、注文。
彼が知っていたのは、それだけだった。
いつも読んでいただきありがとうございます。
投稿するたびに細かな改稿を重ねていたところ、ストックがほとんどなくなってしまいました。
そのため、今後は毎日更新が難しくなります。
更新頻度は少し落ちますが、その分、一話ずつしっかり仕上げてお届けしていきますので、これからもお付き合いいただけると嬉しいです。




