第十七話 不器用なハンカチと教会で泣く美女
花嫁の控え室で、エリザベスはサリアにカモミールティーを淹れていた。
サリアは泣いてばかりで、なかなか化粧を始められない。
外は雲一つない晴天だった。教会のステンドグラスを通した光が、床を赤や青、黄色に色をつけている。
礼拝堂では、新郎のアルフレッドが待っている。
「本当に、私なんかが……あんな素敵な方と結婚していいのかしら」
サリアが純白のウエディングドレスを涙で濡らす。
繊細なレースの長袖に、丸く開いた襟元、胸の下から何枚も重ねられたシフォンが柔らかく広がるドレスは、細身のサリアによく似合っていた。
「もう泣くのはよしなさい、サリア。決心なさいよ」
エリザベスはサリアの額を撫で、少し強い口調で言った。
「これ以上泣いたら、せっかくの花嫁姿が台無しよ。さあ、きれいにお化粧するの。泣きやみなさい」
サリアはハンカチで涙を拭ったが、またすぐに泣きそうな顔になる。
「見てよ、この刺繍のハンカチ……ああ、我ながらみっともないわ」
小さな白いハンカチに刺された薔薇は、上手とは言えなかった。
花びらの大きさは揃っておらず、葉の向きも少し歪んでいる。
「大丈夫よ。それは誰かに見せるためのものではないわ。あなたが頑張って最後まで刺した。それでいいじゃない」
エリザベスは冷たい水で濡らしたガーゼを、サリアの目元へ当てる。
「少し冷やして。腫れが引いたら、お化粧を始めましょう」
しばらくして、エリザベスは控え室の扉を開け、廊下で待っていたジェリーを招き入れた。
意外なことに、サリアは花嫁化粧をジェリーへ頼んでいた。
実は自分も、長い睫毛にしてみたかったらしい。
「さーて、サリアをもっときれいにするよ! やっばーい、花嫁メイクってテンション上がる!」
ジェリーの大きな声に、サリアが少しだけ笑った。
「………大声を出さないでよ、緊張に響くわ」
「はいはい。まずは肌をしっとりさせるからね」
ジェリーは化粧水でサリアの肌を整え、丁寧に化粧を施していく。
目元には淡い桃色を置き、頬に薄く紅を差す。睫毛が長く際立つと、サリアの大きな瞳がより華やかになった。
髪はメイドが編み込みながら結い上げ、ベルガモットとエンジュの白い花を飾る。
小さな銀のティアラを載せ、最後に長いベールをつけた。
サリアはエリザベスの手を借りて立ち上がる。
「決心、ついたわ」
ベール越しに見える瞳には、もう涙はなかった。自信と喜びが潤んでいる。
「行きましょう」
エリザベスはサリアの手を取った。
※
教会でサリアを待っていたアルフレッドは、白いタキシードがよく似合っていた。
扉が開き、サリアが姿を現すと、アルフレッドの緑色の瞳は、まっすぐ彼女へ引き寄せられた。
その視線を見て、エリザベスは安心した。
二人は本当に愛し合っている。
祭壇の前で、サリアとアルフレッドが向かい合う。
神父が二人の手を重ねた。
「今ここに、世界樹の祝福のもと、二人の魂が一つの未来を紡ぐことを誓います。手を取り合い、互いを信じ、困難の時は寄り添い話し合い、祝福の時には喜びを分かち合うこと。病める時も健やかなる時も、互いを信じ、愛し合うと誓いますか」
「誓います」
「誓います」
二人の声が重なる。
エリザベスは微笑みながら、その姿を見届けた。
※
「私の大切な友人を、幸せにしてください」
結婚式が終わり、披露宴へと向かうアルフレッドにエリザベスは声をかけた。
「もちろんです」
アルフレッドは力強く答え、サリアの肩を抱いた。
披露宴はサリアの屋敷で開かれる。
エリザベスはすぐには教会を出ず、迎えの馬車が来るまで一人で礼拝堂に残った。
結婚したばかりの二人が残した、幸せな香りに浸っていたかった。
ステンドグラスから落ちる光へ手をかざす。青や赤の色が、自分の白い手袋へ映り込む。
その様子を眺めていると、後ろの方から泣き声が聞こえた。
「うっ……うう……」
振り返る。
教会の隅にある長椅子で、一人の女性が背もたれへ突っ伏して泣いていた。
豊かな栗色の髪が背中で揺れている。声を抑える様子もなく、肩を大きく震わせて泣いていた。
エリザベスは、そっと近づく。
けれど女性は気配に気づかない。
泣き声は、ますます大きくなっていく。
どうしよう。
エリザベスが戸惑っていると、教会の扉が開いた。
眩しい光が礼拝堂へ差し込む。
「エリザベス、馬車来たよ……って、あれ? どうしたの?」
ジェリーが教会へ入ってきた。
泣いている女性と、立ち尽くすエリザベスを交互に見る。
女性が顔を上げた。
高い鼻筋に、アーモンド形の緑色の瞳。涙で顔はぐしゃぐしゃになっているが、とても美しい人だった。
「うっ……」
エリザベスたちを見た途端、女性はまた激しく泣き出した。
頬を大量の涙が伝う。
目を強く閉じ、口から幼い子どものような嗚咽を漏らす。
あまりにも激しく泣くので、エリザベスは泣きじゃくる赤子を前にしたような気持ちになった。
どう声をかければいいのか分からない。
「ちょっとぉ、どうしたん!?」
ジェリーはすぐに女性の隣へ座り、肩を抱いた。
「号泣じゃん! 大丈夫だから、ゆっくりでいいよ。何があったか話してみて」
エリザベスも慌ててガーゼのハンカチを差し出した。女性はそれを両手でつかみ、目元へ押し当てる。
「私も……」
震える声を出した。
「私も、結婚したいの」
大人びた外見とは不釣り合いな、幼い声だった。
「そうなのね。結婚したい人がいるのね」
エリザベスが尋ねると、女性は何度も頷いた。
「そっか」
ジェリーは女性の顔を覗き込む。
そして、はっと目を見開いた。
「あれ……あなた、ノラ様の秘書のクロエ?」
クロエ。
その名前には、エリザベスも覚えがあった。
女王を支える三官女の一人、外交の名手ノラ。その秘書であるクロエは、若くして外交文書や会談の調整を任される、有能な女性として知られている。
そして本来ならば、悪役令嬢エリザベスのお茶会へ招かれるはずだったヒロインだ。
クロエが愛しているのは、城で働く衣装洗濯係の男性メイドだ。
エリザベスのお茶会で、その身分違いの恋をこき下ろされる。
傷つけられたことで、クロエは彼を愛する気持ちを強く自覚する。
そして女王のお茶会で、自分から彼へ結婚を申し込む。
それが、物語の筋書きだった。
クロエが目の前で、子どものように泣いている。
もしかして、私がお茶会をやめたせいで、物語が止まってしまったのだろうか。
エリザベスは教会の影へと、後退した。先程までの幸せな気持ちは吹き飛び、どうしよう、と指先が震えた。




