第一話 悪役令嬢は今日も笑う
今日も、誰かを犠牲にする。
大広間のシャンデリアが朝の陽光を受けて輝き、白磁のティーカップに注がれたアールグレイへ金色の光を落とした。ベルガモットの爽やかな香りが立ち上り、一口含めば、舌の上で輪郭をはっきりと描く。
今日も完璧な出来栄え。
エリザベスは満足げにカップを置いた。
赤いビロード張りの長椅子の中央に腰掛けた彼女を囲むように、公爵家や侯爵家、伯爵家の令嬢たちが談笑している。
磨き上げられた銀食器に、色とりどりのマカロン。焼きたてのスコーン、ジャムはバラ色。
甘い香りの中に漂うのは、見えない緊張だった。
エリザベスが静かに視線を巡らせる。
それだけで令嬢たちは会話を止めた。
口元を隠して微笑む者。
伏し目がちになる者。
何か面白いことが始まると期待して、瞳を輝かせる者。
今日の主役は誰なのか。
皆、その合図を待っている。
エリザベスは、部屋の隅に近い席へ視線を止めた。
「リリア様」
名を呼ばれた子爵令嬢が、小さく肩を震わせた。
まだ十七歳ほどの少女。
薄い水色の夏用ドレスは質の良い布ではあるものの、流行のふんわりと膨らんだパフスリーブではない。袖は細く、数年前の流行を思わせる仕立てだった。襟元のたっぷりついたレースだけが白々しく、ドレスの古めかしさを目立たせてしまっている。
かつて広大な農地を持っていた子爵家。
しかし、女王による農地改革によって土地は農民へ分け与えられた。
今では屋敷を維持するだけで精一杯だと聞く。
エリザベスは優雅に微笑んだ。
「流行はお嫌いなの?」
令嬢たちが一斉に息を潜める。
リリアは困ったように微笑んだ。
「い、いえ……」
「では、どうして今年の流行を取り入れませんの?」
返事がない。
俯いたまま指先をぎゅっと握り締めている。
エリザベスは内心で小さく息をついた。
———ごめんなさい。
でも、あなたは今日、泣かなければならない。
それがあなたの物語だから。
「せっかく可愛らしいお顔をしていらっしゃるのに」
横から声が飛ぶ。
「このドレスなら、もっとお似合いになりますのに」
腰巾着のサリアが楽しそうに笑った。
周囲からくすくすと笑い声が漏れる。
「申し訳……ありません……」
リリアは立ち上がると、深く頭を下げた。
「少し、気分が優れませんので……失礼いたします」
スカートの裾を持ち上げ、大広間を足早に去っていく。そのドレスは執事がレースや飾りを縫い付けてくれたものだった。
閉じた扉の向こうで、誰かが忍び笑いを漏らした。
「かわいそうに」
「でも少し野暮ったかったですものね」
「やっぱり子爵家では大変なのかしら」
令嬢たちは何事もなかったように紅茶を飲み始める。
エリザベスもまた、カップを持ち上げた。
アールグレイは、少し冷めていた。
――この後の展開は知っている。
リリアは屋敷へ帰る。
人目につかない廊下で泣く。
そこへ、幼い頃から仕える執事がやって来る。
『お嬢様は悪くありません。』
そう慰められ、二人は互いの想いを確かめ合う。
そして、ついには身分を捨てて駆け落ちする。
それが、この世界で決められた筋書き。
エリザベスは、その物語を知っていた。
死ぬ前に夢中になって読んでいたネット小説。この世界は、その物語そのものだった。
この世界に転生した時、自分が悪役令嬢エリザベス・フォン・ローゼンベルクになっていると知った。
最初は運命を変えようとした。
優しく接したこともある。
泣かせないようにしたこともある。
だが、そのたびに物語は歪み、誰も幸せにならなかった。
結ばれるはずの恋人はすれ違い、救われるはずのヒロインは孤独になった。
だから決めた。
エリザベスは悪役を演じよう、と。
ヒロインが前を向くための壁になろう。
恋物語を最高に盛り上げるための悪役になろう。
今日は涙を流す。
その涙は、明日の幸せへ続く。
明日はきっと、大切な人の腕の中で笑う。
だからエリザベスは今日も笑う。
誰より美しく。
誰より嫌われる悪役令嬢として。




