蒼流星
長く伸ばし放題の黒髪を左右に紐で束ねた殺人鬼が、肉屋の揚げた豚肉に手をつけている。
「なかなかいけるわね」
その女は、殺人鬼ポゥ=グィズィー。彼女が木製の箸を器用に使いながら皿に盛られたトンカツに手をつけている。調理者のゴリラの様なゴツい指からは想像も出来ないほど繊細な盛り付けね。
「だろ?俺の自慢の豚さんだからな」
茶色の短髪を掻きながらジョゼフが照れ笑いを浮かべる。私は上手く箸が使えないのでフォークの要領で揚げた豚肉を突き刺して口に運ぶ。
「きっと餌はゾンビね。昔、アメリカのカルフォルニアに人肉を豚に食べさせていた殺人鬼が居てね……そいつの育てる豚は品評会でもお墨付き。確か名前をジョセフ=ブリゲンとか言ったわね。あなた、ジョゼフじゃなくてジョセフなんじゃないかしら?」
ゴリラのジョゼフが怪訝な表情でポゥにムッとする。
「いくら豚でも腐った肉じゃ腹を壊しちまうよ。それに倫理的にアウトだろ?」
「平気な顔してゾンビを解体する貴方が今さら何を」
「子供を殺して食うゾンビ女に倫理を問われたくねぇよ」
「フフフ、あっ、ちょっとアレンジしてカツ丼作ってもいいかしら?」
「カツドン?なんだそりゃ?弾道間ミサイルか?」
「出汁で玉葱と一緒にトンカツを煮ながら卵でとじて、青ネギを乗せて完成よ?お米はあるかしら?」
「変な食い方だな……。まぁ、それぐらいの食材ならあるが。卵は別の場所で飼ってる鶏小屋から拝借しないといけないがな」
「それは面倒ね」
ポゥが半分諦めた様にこちらに視線を送る。私の左横に彼女は座っていてどこか嬉しそうにこちらを眺めている。
「何かしら?」
人喰魔女と呼ばれる彼女に見つめられると居心地が悪くなる。しかも私は丁度彼女の食材適齢期。ジョゼフが手元がおぼつかない私を見て声をかける。
「ユニ、フォークとナイフもあるぞ?」
「いらないわ」
ジョゼフの申し出を私は断固として断る。ポゥがまるでこちらに見本を見せる様に左手に握った箸をカチカチと動かす。
「意外と不器用なのね、可愛い」
私はポゥの箸使いを無視してそのまま切り分けられたトンカツを突き刺す。
「胃に入れば同じよ」
噛みしめた衣がサクリと音を立てて柔らかな豚肉の肉汁が口の中に広がって美味しいけど、半分ぐらいでもう満足ね。
「あら、もう食べないのかしら?」
「えぇ。私、小食なの」
箸を置いて口に付いた油分をハンカチで拭う。
「確かにこのボリュームはゴリラ仕様ね。私は大食いだから丁度いいけど。食べていいかしら?」
「えぇ。私はゴリラでも食人鬼でも無いから……」
ポゥが私に抱きついてきて私の左耳に噛みついてくる。私の口から変な声が漏れて恥ずかしい。
「か、可愛い!」
「ツルゲーネフ、殺れ」
入口で待機していた鉄パイプを持った亡者がポゥに殴りかかる。
「あら、だって食べて良いって言ったでしょ?」
振り下ろされた鉄パイプを難なく避けたポゥが私から離れて飛び退く。
「13歳以下は食べないんじゃなかったの?」
「うん。食べないよ。けど、ユニちゃんはすごく美味しそうなの。その絹糸の様な銀色に近い黄金の髪に、何処までも透き通ったガラス玉の様な青い瞳。小さいけどその柔らかそうな唇に、可愛いい小さな耳、小さいけどツンと上を向いた白い鼻に、小さくて華奢だけどどこもふわふわと柔らかいそのお肌!未成熟な膨らみかけた胸元も素敵ね……年齢制限を14歳に繰り上げれば万事解決じゃないかしら?また一緒にお風呂入りましょ、ユニちゃん!」
「おいおい、人の家で暴れるなよ?」
ポゥが少女の様な笑顔で笑いながら亡者との距離を開ける。私の右側に座るジョゼフが溜息を吐きながら床で待機しているベーブに餌をあげている。ここでこの女を殺して本当のゾンビ女にしてやるわ。
「さぁ、食事が済んだら、作戦会議を始めるぞ?」
お腹がいっぱいになった私達は、リビングの机に広げられた地図に注目する。ジョゼフがエプロンを外したラフな格好に、ポゥは黒のワンピースを素肌に羽織っているだけだ。胸元が危険ね。ジョゼフは完全にポゥの事をゾンビ女としか見ていないので全く興味がなさそう。辺りを見渡すと、私が着ていた紺色の毛皮コートと帽子が丁寧に掛けられていて、今の私の服装はロシアの民族衣装。
机の上に広げられた地図はサンクト・ペテルブルク全体が書かれている。そこに書き込まれたジョゼフの詳細な情報。街を囲う様に黒いテープでぐるりと線引きされている。それはこの街を囲う二百Mを越える強大な壁。
「ジョゼフ、本当にこの街から出られるの?殺されるぐらいなら、ここでじっとしていた方がいいような気がしてきたわ」
ジョゼフが目を丸くしながらこちらを見る。
「ユニはずっとここに住みたいのか?」
「幸いな事に軍の爆撃機はこの一帯を焼き払う様な真似はしていないわ」
ジョゼフが怪訝な顔をしながら顔をしかめる。同じくポゥも。
「ユニ、この地図に引かれた赤い斜線部が何を意味してるか分かるよな?」
「えぇ。爆撃された地区よ」
「そうだ」
「でも、爆撃されていない地区は55日経った今でも無傷に近いわ」
今度はポゥが立ち上がってその細い指で爆撃地区の隙間をなぞり辿っていく。
「ユニちゃん、それは違うわ。まだ55日しか経っていないのよ。この地図を見て何かに気づかない?」
爆撃の被害は壁の近く、とその付近。都心部への爆撃は行われた形跡が無かった。他にもライフラインに関わる施設や歴史的価値のある建造物への攻撃も加えられていない。病院は悉く焼き払われていたけど。
「軍は意図的に破壊する建物や地区を選んでる?」
ポゥが白い指先を地図から離すと前屈みな体勢のまま私の鼻先に触れる。その胸の深い谷間が羨ましい。けど、きちんと下着は付けた方がいいと思うわ。私もほとんど必要無いけど着用している。
「アタリよ、ユニちゃん。やっぱり賢いわね」
「それなら尚更……安全な地区で大人しくしていた方が……って、もしかして生存者って結構な数が居るのかしら?」
私は気持ちを抑えられなくなって立ち上がってしまう。ジョゼフがそれに優しい表情で答えてくれる。
「あぁ。恐らく半数以上が都心部、もしくは文化的価値のある建造物の近くで集落を作って生活している。バリケードさえ作って警戒さえしていればゾンビ達から街を守ることも可能だ。それも政府は見越している」
「じゃあ、学校の皆も……」
「空爆が開始された時間帯は昼頃だ。学校に登校していた子供達の大半が恐らく無事だ。今はな」
「今は?」
「ポゥが指し示した小道を辿っていくと、かならず都心部の中央に繋がっている。これはある意味、住民を誘導しているともとれる」
「まさか、集めて、一気に殺す気?」
「恐らくな。今回の件に対する有効な手立てが無い以上、早くてあと一ヶ月、遅くて一年以内に……大規模な攻撃が行われる。しかも、その選択肢の中に核攻撃も入っている」
「まさか、この壁の意味は……」
「そうだ。そういう場合も想定して作られている」
「そんな……私達の街が核の炎に焼かれるなんて……」
「だから、俺はお前を壁の外に出してやりたいと思っている」
ポゥが退屈そうに手持ちの短刀の手入れを始め、その作業の傍らで口を開く。
「その口振り、貴方はまるでここから出ないみたいね」
「そのつもりだよ」
私はジョゼフに突っかかる。
「どういう事?私だけ逃がした後、貴方はここに残るって……自ら死ぬことを選んでるみたいじゃない!」
「俺が、俺だけが街の人間を残して生き延びるなんて出来ねぇよ。その時はベーブを宜しくな?」
私はジョゼフのシャツに掴みかかる。
「貴方に何の罪があるっていうのよ!この地図を見て!貴方はこの55日間を必死に生きようとしてきた。その場所から動かずじっとしていた私なんかと違って、貴方こそ生き残る資格はあるわ!そこの殺人鬼はともかくね!」
短刀の手入れをしながら、ポゥが可愛く舌を出す。
「俺もそこの殺人鬼と大差無いさ。俺も人を殺してる」
私はサッとジョゼフの体から手を離す。いや、彼の言っているのは亡者達の事。彼らは死にきれなかった者達。実質的に既に死んでしまっている人達だ。罪にはならない。
ポゥが短刀を掲げ、刃先を拭きながら呟く。
「彼はね、私と同じよ。何の罪もない生きている一般市民を多く殺した」
「ジョゼフが殺人鬼?」
「そうね……虐殺者と言った方が正しいかしら?ね?肉屋のジョゼフ?きっとその名前も偽名なんでしょ?」
ジョゼフがバツが悪そうに頭を掻きながらそれに頷く。虐殺者である事を彼が認めた事になる。ポゥが短刀を鞘に仕舞い立ち上がる。
「私と彼が出会ったのはあの壁が隆起した日よ。中からは只の壁にしか見えないけど、あれは軍事施設なのよ」
「その中で出会ったの?」
「私はちょっと別件でこの街に侵入してきただけだけど、彼は違うわ」
「まさか……ジョゼフ、貴方は……」
ジョゼフが壁際に設置されたロッカーを開くと中から大量の銃器がその姿を覗かせる。
「どういう事?」
「すまないな。俺は元軍人だ。命令で人も殺した。それも数え切れないぐらいにな」
私は軍の炎に焼かれた家族や街の人達の事を思い出して、叫ぶ。
「この人殺し!私の家族は亡者じゃない!人間に!軍隊に、政府に殺された!ふざけないでよっ!」
私は扉に向かって歩き出そうとするのを慌ててジョゼフが止める。その大きな手が私の白くて細い手首を掴む。その優しい暖かさも偽りだ。
「放して」
「だめだ。外は危ない」
「私は平気よ。護衛も居るし」
「……罪は償うつもりだ」
「その人数を殺した罪を償うのに貴方の一生じゃ到底賄いきれないわよ」
「そうだな。だが、君を外に連れて行く。それまでは我慢してくれ」
「お断りよ」
私が三人の護衛亡者に合図を送ると素早くジョゼフに殴りかかる。それを避けるために私の腕を放す。その隙に私は扉を開けて外へと飛び出した。
その瞬間、轟音と共に空に蒼い閃光が走る。
慌てて見上げると青白い流星が夜空を滑る様にどこまでも天に昇っていく。雲が弾け、地球の大気圏に阻まれた流星が光を散らしながら霧散する。数瞬遅れて2kmほど離れたドヴォルツォーヴァヤ河岸通りの方から爆炎の炎が立ち上る。その場所には歴史的建造物や生きている人達が集落を作っているはずの地域だった。まだ大丈夫って言ってたのに。
その轟音を聞きつけたジョゼフの腕が私を抱き抱える様に伸びてきて私を引き留める。あの炎の下、一体何人の人が死んだのだろうか。私の耳に聞こえるはずも無い、死に行く人々の悲鳴が聞こえてきた様な気がした。
「まだ大丈夫だって言ったじゃない、ジョゼフの嘘つき……」
あの蒼い流星の煌めきは私の目に見える魂の輝きによく似ていた。




