天暦992年 7月20~21日 其の一
私の護衛が安部くんに代わってから、早くも三日が過ぎた。
「おはよう切原さん」
だけど、こうやって安部くんが朝迎えに来てくれるのは、まだ慣れない。安部くんの家は私の家からは真逆の方向らしいし、朝早くからこうして来てくれているのはとても申し訳ない。
「ごめんね安部くん……毎朝しんどいよね」
「そんなことないよ! こうしていないと、気が気じゃないし」
「うん、そうだね……」
ネズミ仮面は、あれからまた二回現れた。
一度は二日前。学校からの帰り道の途中、遠くからこちらを見ているネズミ仮面を安部くんが見つけた。
二度目は昨日、これも学校からの帰り道、人ごみの中にネズミの仮面をかぶった女の人がたたずんでいた。
「不気味だよな、あいつ。絶対性格ねじまがってるよ」
「うーん、どうかな。勝つための手段なんだし、性格が悪いとは限らないんじゃないかなぁ……」
「はは、切原さんは優しすぎるよ」
実際、地上の戦争でもひどい作戦を立てる人はいた。
非人道的な作戦こそが、もっとも相手に絶望を与えると信じてやまない人だった。別に日常生活において、性格に問題はなかった。確かにそれも一つの真理なのかもしれない。賛同できるかは、別の話だけど。
「今日でネズミ仮面が襲ってきてから三日目だ。深條は今日までに何とかするっていってたよな」
「うん」
「何も言ってこないけど、ほんとに大丈夫なのかな」
今日のPOPが終われば三セメスターが経ち、ネズミ仮面はまた私を襲う事ができる。深條くんが約束を破るとは思えないけど、どうやって解決するのか見当もつかない。まぁ、それはいつもの事なんだけど……。
「学校にいったら、聞いてみよ?」
「そうだな……」
結局、あの日から深條くんとは殆ど言葉を交わしていなかった。
翌日安部くんと何を喋っているのかをそれとなく聞かれたけど、それっきりだ。涼くんと戦闘技術の訓練に入っているらしいけど、それも安部くんと帰る様になったから見れていない。
涼くんの楽しそうな口ぶりからすると、深條くんは大分苦戦しているみたい。「ピットダウン」に「ムーンサルト」それに「フリックターン」。どれも最高難易度の技だから当然だ。初心者にいきなり教える技じゃないのに、涼くんも何考えてるんだろ。私の周りはそんな人ばっかりだ。
「ねぇ、切原さん」
「ん?」
「深條と喋れなくて、さみしい?」
「さ、さみしい?」
彼とは出会ってまだ一週間と経っていない。そんな感情が湧くのはもっと親しい間柄になってからじゃないのかなぁ。
「なんとなく、そんな気がしたんだ。あいつももっと話しかけてくればいいのにな」
「んー、なにか事情があるんだよ、きっと」
必要になればそのうち喋りにくるに違いない。深條くんはきっと、そういう人だ。
「俺は……」
何かを言いかけて、安部くんが首を振る。
「ごめん、なんでもない。そういえば今朝のニュースでやってたんだけど――――」
他愛ない会話に切り替えて、何事もなかったかのように安部くんが喋り続ける。何を言おうとしたのか、彼がどんな気持ちでいるのか、この三日でいやというほど分かったけれど。それにいい返事をできない自分がいて、申し訳なく思う。
安部くんはとってもいい人だ。ちょっと頑固なところもあるけど、話をしていて面白いし、何より私の事を気遣ってくれてるのがわかる。でもこんなに好意を向けられるのはあんまりない経験だから、どう対応すればいいのかわからない。
結局今日も、とりとめのない会話を交わしているうちに校門をまたいでいた。
◇◇◇
昼休みになり、お昼ご飯を由香ちゃんと沙織ちゃんと食べ終わった頃、ようやく深條くんが話しかけてきた。
安部くんはさっきまで近くでお弁当を食べていたけれど、今はいなくなっていた。お手洗いかな?
「ネズミ仮面については、なんとなく解決しそうなんだ」
ひどくあっさりとした結末に、気が抜けてしまう。
「はは、変な顔。なに、解決できないと思ってたの?」
「そ、そういうわけじゃないけど。でもランキング四位の人だよ? どうやったの?」
「んー」
深條くんが腕を組んで意味ありげに笑う。
「そこに関してはもう少し確認したいから、明日の午後六時、クジラ公園のベンチで待っててくれない? もちろん、安部くんも一緒に」
「い、いいけど。て、クジラ公園ってどこ?」
この辺りの地理はまだまだ良く分からない。最近ようやくスーパーと商店街に顔見知りができてきたくらいだ。
「クジラ公園はねー、ここから歩いて五分くらいの、デートスポットなんだよん」
「ひぅっ」
首にすべすべの腕が絡まってきて、思わず変な声がでてしまった。恥ずかしくて、顔が熱くなるのを感じる。
「あら、綾香ったらもしかして」
「沙織ちゃん、びっくりさせないでよー……」
「へへ、ごめんごめん。まぁクジラ公園の場所なら後で教えてあげるよ」
なんでわざわざ、そんな場所に……。あ、明日は日曜日だから学校はお休みなのか。
「じゃぁ、そういう事だから。明日はのんびり過ごして大丈夫だと思うよ。よい休日を」
「深條君」
立ち去ろうとする深條くんを由香ちゃんが引きとめた。
「なに? 田村さん」
「ネズミ仮面の着ていた制服。フェリオ女学院の制服だって噂ですけど、ほんとですか?」
「らしいね」
フェリオ女学院といえば、このあたりでは有名なお嬢様学校で美しい女性が多く、学際などがあれば男性がこぞってデートに誘いたがる学校の一つ、と涼くんが昨日教えてくれた。
またくだらない情報仕入れてきて……と白い目で見ていたんだけど、まさかこんなところで役に立つとは。
「フェリオ女学院にネズミ仮面に該当するような生徒がいるかどうか、確かめてみたんです」
「へぇ……」
深條くんの目が細くなる。私を屋上で問い詰めた時と同じ目を、している。
「フェリオ女学院内でPOPがどの程度行われているのか、知り合いに聞きました。ネズミ仮面はランキング四位。それなりの数が学院内で殺されていてもおかしくはない。けれどその子の話では、最近目立ってPOPを学院内でやっている人はいないとのことです。三年前までは、居たそうですが」
由香ちゃんがそんなことを調べていたことに驚きつつ、私も自分なりに整理してみる。なるほど、確かに制服から割り出せる情報は多い。学校はもちろん絞り込めるし、そこから更に、背丈、行動範囲、居住地などの情報から特定の人物を割り出せる。けれど、だからひっかかる。そんな分かりやすいヒントを、ランキング四位の人が残すのだろうか。
「ねぇ、田村さん」
「深條君、あなたもしかして」
「田村さん」
「おね」
「田村由香」
由香ちゃんの肩がびくりと跳ねた。関係ない私ですらどきっとしたんだから、当の本人はもっと怖いんじゃないかな。今の深條くん、いつもと全然声質が違った。
「僕の答えは変わらない。君がどんなに知的で女性らしくて魅力的でも、変わらない」
「……はい」
「じゃぁ、僕は行くね」
残された私たちの間に、しばし沈黙が走る。ほどなくして由香ちゃんが口を開いた。
「また、嫌われてしまいましたね……」
「由香……」
それ以上何も聞かずに、沙織ちゃんが横に座った。
由香ちゃんが結局、深條くんに何を言いたかったのかは分からなかったけど、何故落ち込んでるのかは、流石に分かった。薄々気づいてはいたことだけど。
何か声をかけようとして、はたと気づく。
私は沙織ちゃんみたいに、隣に座ってもいいのだろうか。今、深條くんに護衛してもらっている立場の私が。
彼女は私の事を、どう思っているのだろう。
「切原さん」
そんなことをうじうじと考えていると、後ろから安部くんが声をかけてきた。なんとなく助かった思いで振り向く。どこか、いつもより険しい顔をしていた。
「安部くん、さっき深條くんが来てね――――」
深條くんの伝言を言うと、安部くんの顔は更に険しくなった。
「そうか、あいつが……」
「どうしたの?」
「……いや、大丈夫だ。丁度いい」
どこか決心したような面持ちで、安部くんが言った。
「決着を、つけよう」
◇◇◇
次の日。
POPの合図がかからないまま、約束の時間になった。安部くんは終止険しい顔をしていて、声がかけづらい。
クジラ公園はデートスポットというだけあって、綺麗な公園だった。
芝生は良く管理されているし、裏手にある池は水も澄んでいて、掃除が行き届いている。地上ではこんなに綺麗な公園はあまりない。
昔は沢山あったみたいで、よく教科書の写真なんかで使われているのを授業中ぼんやりと眺めていた。綺麗だったころの地上がとっても羨ましい。こう言う場所でお弁当とか食べたら、楽しいんだろうなぁ。
「来たか」
ベンチから腰をあげて、安部くんが立ち上がった。六時丁度。時間通りに深條くんはやってきた。
「お待たせ、ごめんねこんなところまで来てもらって」
そう言いながら、肩にかけていたショルダーバックを下した。何が入ってるんだろこれ。
「で、さっそくだけどネズミ仮面の事。全部分かったよ」
ようやく真実を知ることができる。
何故、私が狙われたのか。ネズミ仮面の狙いは何なのか。
けれど、深條くんがしゃべりだす前に、安部くんが唸るように言った。
「あぁ、俺もだ」
「え?」
いつの間に分かったのだろう。確かに昨日から様子はおかしかった。ずっと何かを考え込んでいた。その結果、真実にたどりついたのだとしたら、それはすごいことだ。
でも、なのにどうして。
そんなに怖い声を出すの?
「すごいね安部君。僕、これ調べるの結構時間かかったんだけどなぁ……」
「しらばっくれるなよ」
どんっ、という鈍い音と共に深條くんの体が吹き飛んだ。
「お前がネズミ仮面だ」
仰向けに転がった深條くんが手についた土を払いながら立ち上がった。ぎこちなく微笑みつつ、首をかしげる。
「な、何いってるの? そんなわけないよ。だってあれは――――」
「俺昨日見ちまったんだよ。お前があのネズミの仮面を持って校舎裏を歩いてる所を」
私は今の状況を飲み込もうと精いっぱい頭を働かせた。
深條くんが、ネズミ仮面?
確かにACSISでの名前を教えてもらったわけではない、でも、でもそれはあり得ない。だってポイントは安部くんの方が上だ。もしネズミ仮面が深條くんなら、安部くんは上位三名の誰かということになる。
「安部君、それは誤解だ。話を聞いて」
「うるせぇ黙れよ。あぁ、確かにお前がネズミ仮面なわけねぇよな。こんなひょろくてどうしようもなく弱いやつが、ランキング四位のはずない。お前はただ、名前を使っただけだ。自分の顔も隠せて丁度いい、ネズミ仮面って名前を語ったんだ。見ろよ」
そういうと安部くんは、深條くんのショルダーバックを開け、逆さにした。がちゃがちゃと音をたてながら筆記用具やノートが落ちて行く。そしてその中にあったのが……ネズミの仮面。あの女性が付けていたものと、まったく同じものだった。
「これが何よりの証拠だ。お前は切原さんを襲ったのが自分だとばれないよう、女の制服を着て、この仮面をかぶったんだ。確かお前、姉貴がいたよな。制服の調達は容易いってことだ」
「な、なんで僕が切原さんを襲わなくちゃいけないんだ!」
「それを今から聞くんだよ」
「ちょ、ちょっと待って!」
今にも深條くんに詰め寄ろうとしている安部くんの右腕を掴んでとめる。
何故深條くんがネズミの仮面を持っているのかは分からないけれど、でも私を殺すなんてありえない。
だってそれは、涼くんとの約束を破る事になる。
それだけは、深條くんは絶対にしないはずだ。だから、深條くんはネズミ仮面じゃない。
「まずは深條くんの話を聞こうよ。ね? それからまた皆で考えなおせば――――」
その時。
【POP開始】
はかったかのように、無機質なアナウンスが流れた。
「いいタイミングだ。【purify】」
安部くんがそう呟くと同時に、深條くんの腕輪が赤く染まった。
「殺されたくなかったら、白状しろ深條。五秒間だけ待ってやる。五」
「待って安部くん! まってったら!」
私の声が、まるで聞こえていない。頑固なところはあると思っていた。でもまさか、これほどまでとは思わなかった。
「四」
「切原さん」
深條くんが立ち上がり、そして、悲しそうに言った
「三」
「危ないから」
「二」
「絶対に近寄らないでね」
「一」
深條くんの言わんとする事が分かる。
深條くんが最初のPOPの時に私を守ってくれたように、私が深條くんを守ればいい。そうすればもしかしたら、安部くんが冷静にはなしを聞いてくれるかもしれない。
けれど、それを深條くんは拒んだ。
インターセプトが高度な技術なのは、見ていればわかった。特に相手が強くなればなるほど、自分の身が危険にさらされるのは明らかだ。
だから
「ゼロ」
だから私は、同時に駆けだした二人を、ただ見送ることしかできなかった。自分の無力さが、憎い。