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まだ何も咲いていない畑

 三浦との話を終えたあと。

 グリフとローサは農園を一回りした。

 コーヒー。

 カカオ。

 野菜。

 まだ試験栽培の区画も多い。

 日本人もいる。

 中国人もいる。

 インドネシア人もいる。

 ベトナム人。

 フィリピン人。

 その他の国から来た者もいる。

 世界平和という看板は、どこにも出していない。

 ただ農園があるだけだった。


「どうする、グリフ」

「何が?」

「今日こっち泊まる?」

 グリフは少し考えた。

「いや」

「帰る?」

「ルンザットに帰ろう」

「じゃあ夕飯は向こうね」

「ああ」

「今日、グリフの当番だから」

「覚えてるよ」

「忘れてた顔してた」

「覚えてた」

「何作るの?」

「帰ってから考える」

「忘れてたんじゃん」


 *


 ホジャンとルンザットの間は、グリフの高速艇なら1時間ほどだった。

 三浦はホジャン島に残ることにした。

「じゃあな」

「明日もいるから」

「嫁探し頑張れよ」

「まだ会ってもいねえよ!」

 グリフとローサは船へ乗った。


 *


 夕方。

 2人はルンザットへ戻った。

 港が近づく。

「あ」

 ローサが指さした。

「里奈だ」

 桟橋の少し先。

 里奈が釣りをしていた。

 日本から飛行機が動き始めると、里奈はすぐルンザットへ来た。

 日本が落ち着くまでは、こちらにいる予定だった。

 ローサは船を降りると、そのまま里奈のほうへ向かった。

「釣れてる?」

「全然」

「竿ある?」

「あるよ」

 横にもう1本置いてあった。

「最初からお母さん来るつもりだった?」

「チャットした」

「俺には?」

 グリフが聞いた。

「夕飯よろしく」

「はいはい」

 母娘は並んで釣りを始めた。

「仲いいな」

 グリフは1人で家へ向かった。


 *


 家に着く。

 コーヒーを淹れる。

 椅子へ座る。

「さて、夕飯どうするかな」

 そんなことを考えていたところ。

 誰かが来た。

 足音。

 玄関先に男が立った。

「なんだ」

 グリフは顔を見る。

「お前か」

 男が笑った。

「久しぶり」

「2週間ぶりくらいか?」

「そんなもんかな」

「どこ行ってたんだよ」

「まあ、あちこち」

 劉志遠。

 中国籍。

 インドネシア人の母を持つ。

 こちらで使っている名前は、アリだった。

 グリフもルンザットでは、劉ではなくアリと呼ぶようになっている。


 *


「中国、どうだった?」

 グリフが聞く。

 アリが眉を上げた。

「別に中国行ったとは言ってないぞ」

「民主化するって言ってたやつが2週間いなくなったら、そう思うだろ」

「決めつけは良くないな」

「で、生きてて良かったよ」

「ああ」

 アリは勝手に椅子へ座った。

「無事だ」

「何してた」

「聞きたい?」

「……聞かないほうがいい?」

「いや。お前ならいいよ」

「じゃあ言え」


「活動家には会ってない」

「そうなの?」

「企業家」

「企業家?」

「ああ」

「あと、少し政治家」

「十分怪しいじゃねえか」

「普通に話しただけだよ」

「何を」

 アリは笑った。

「中国を世界一の覇権国家にするには、どうすればいいでしょうねって」

 グリフが目を細める。

「そこから民主化へ持っていくのか?」

「俺は民主化なんて言ってない」

「じゃあ?」

「まず経済」


 *


「アメリカだって、軍事力の前に経済力がある」

「まあな」

「世界中に企業がある」

「うん」

「投資が集まる」

「うん」

「ドルが信用される」

「うん」

「技術も人材も集まる」

「そうだな」

「中国がこれから本当にアメリカを超えようと思ったら、経済をさらに伸ばさなきゃならない」

「それで?」

「どこかで今の仕組みに限界が来る」

 グリフは黙って聞いた。

「もっと自由が必要になる」

「経済の?」

「最初はな」


 グリフも口を挟む。

「あと、安全性だろ」

「そう」

「政治情勢で企業の扱いが急に変わると思われたら、海外投資は入りにくい」

「その通り」

「中国企業が海外へ投資する場合も警戒される」

「そう」

「輸入規制も増える」

「そう」

「つまり」

 グリフは言った。

「世界から、“中国はルールを守る国だ”と思ってもらう必要がある」

「そこ」

「予測できる国にする」

「そう」


「民主主義なら同じルールになる、って話?」

「そこまで単純じゃない」

 アリは首を振った。

「民主国家でも危ない国はある」

「まあな」

「でも、権力を変える手続きが決まっている。法律を変えるにも手続きがいる。政府が変わっても全部が翌日にひっくり返るわけじゃない」

「相手から見ると予測しやすい」

「そう」

「予測できる相手は、付き合いやすい」

「そういうこと」


「それで、“民主化しましょう”って?」

「言わない」

「言わないの?」

「自分で考えてもらう」

「面倒なやつだな」

「俺が答えを言ったら反発されるだけだ」

「それは分かる」

「だから途中まで」

「途中?」

「世界一になるには経済が必要ですよね」

「うん」

「経済には世界の信用が必要ですよね」

「うん」

「世界から信用される制度って、どんな制度でしょうね」

「そこで止める?」

「止める」


「反応は?」

「大体黙る」

「駄目じゃねえか」

「あとは首を横に振る」

「さらに駄目だ」

「話題を変える」

「全敗じゃねえか」

 アリは笑った。

「それでいい」

「どこが」

「1回考えた」

「……」

「頭の中にそれまで無かった選択肢が、1秒でも出ればいい」

 グリフは少し笑った。

「100年計画向きだな」

「だろ?」


 *


「そのあと」

 アリが言った。

「お前の話をする」

「俺?」

「馬鹿な友人がいてねって」

「おい」

「100年後の世界平和を本気で目指してるって」

「馬鹿な友人はいらないだろ」

「必要」

「何で」

「警戒されないから」

 グリフは苦笑した。

「確かに、まともな政治工作には聞こえないな」

「そこがいい」

「100年後ってのも?」

「それが一番いい」

「どうして」

「今の政権を倒すとか、来年制度を変えるとか言ったら敵になる」

「100年後なら?」

「自分たちは死んでる」

「気楽だな」

「だから少し考えてくれる」


「金出してくれるやついた?」

「まだ」

「人を紹介するとか」

「まだ」

「駄目じゃないか」

「急ぐなよ」

「100年あるしな」

「そういうこと」

 2人は笑った。


 *


 グリフは新しいコーヒーを淹れようとして。

 ふと思い出した。

「なあ、アリ」

「何」

「お前」

「うん」

「AIRに関わってるだろ」

 アリが一瞬止まった。

「……」

 そして笑った。

「ばれたか」

「認めるの早っ!」

「別に犯罪告白してるわけじゃない」

「十分怪しいだろ」

     *

「俺が首謀者じゃないぞ」

「本当か?」

「本当」

「最初?」

「できる範囲で少し手伝っただけ」

「今の運営は?」

「知らない」

「嘘っぽい」

「本当に知らん」

「リーダーいないって声明、あれ本当なのか?」

「ああ」

「本当に?」

「最初からそういう制度にした」

「軍事組織なのに?」

「軍事組織だから」

 グリフは黙った。


「1人の人間が命令できないようにしてある」

「じゃあ誰が決める」

「複数の人間」

「多数決?」

「単純な多数決だけじゃない。行動の大きさによって必要な同意も変わる」

「安全なのか、それ」

「絶対安全なんてない」

「だろうな」

「でも少数の人間の意思だけで大きなことはできない」

「大勢が一時的に興奮したら?」

「それはあり得る」

「駄目じゃないか」

「じゃあ通常の軍隊なら安全か?」

 アリが言った。

 グリフが黙る。

「上から命令が来る」

「うん」

「下は従う」

「軍隊だからな」

「AIRは拒否できる」

「現場が?」

「ああ」

「命令を?」

「理不尽だと思えば」


 アリは少し遠くを見る。

「殺せと言うやつは」

「何」

「大抵、自分で殺さない」

 グリフは何も言わなかった。

「遠くで命令する」

「……」

「自分は相手の顔を見ない」

「……」

「だから簡単に命令できる」

 アリはそれ以上説明しなかった。

 若いころ。

 彼は危険な集団の近くにいた。

 詳しいことを、グリフは今でも全部は知らない。

 AIRの思想にも、そのころの経験が影を落としているのかもしれなかった。


 *


「でもAIRって、何の略なんだ?」

 グリフが聞いた。

「さあ」

「お前知らないの?」

「いろいろ後付けされてる」

「例えば?」

「空気」

「空気?」

「見えない」

「うん」

「でも、すぐそばにある」

「うん」

「どこにでも入り込む」

「なるほど」

「とか」

 アリが笑った。

「でも?」

「何」

「文字、並べ替えてみろ」

「AIR?」

「ああ」

「A、I、R……」

 グリフが指で空中に書く。

「A……R……I……」

 止まった。

「ARI」

 アリが笑う。

「……お前!」

「偶然だよ」

「絶対お前だろ!」

「偶然、偶然」

「気持ち悪っ!」

「ひどいな」


 *


 グリフは改めてアリを見た。

「お前、最初に会ったころからそうだった」

「何が」

「何か隠してる感じ」

「そう?」

「ゲリラのこと教えてくれたときだって、別に狙いあったんじゃないか」

「ないない」

「本当か?」

「警告しただけ」

「怪しい」

「でも俺が言わなかったら?」

「何」

「ルンザット、ゲリラに占領されてたかもしれないぞ」

「……」

「結果的に助かったろ」

「結果論だ」

「結果大事だろ」

「そのせいで、俺がゲリラ対策やることになったんだぞ」

「ああ」

「殺されかけたんだぞ」

「でも生きてる」

「お前な」

「いろいろ経験できたじゃないか」


 *


 グリフは言い返そうとして。

 やめた。

 確かに。

 あのときからだった。

 ゲリラへ対抗するために。

 島の人間たちが集まった。

 どうするかを皆で考えた。

 誰か1人の命令に従うのではなく。

 島全体で考える。

 それが少しずつ普通になった。

 その経験を日本へ持ち帰った。

 倉沢。

 市民会議。

 住民投票。

 そして三浦と出会った。

 国政選挙。

 直接民主制。

 電子署名。

 VOICE。

 いつの間にか、ずいぶん遠くまで来た。


 グリフはアリを見る。

「お前」

「何」

「また何か始めさせようとしてないよな」

 アリは答えなかった。

 ただ笑った。

「その顔やめろ」

「何もしてないよ」

「信用できん」

「100年後のお楽しみ」

「お前まで100年使うな」


 グリフが自分のカップを手に取る。

 冷たい。

「あ」

「何?」

「コーヒー冷めてる」

「しゃべりすぎたな」

「もう1杯淹れるか」

「頼む」

 グリフは立ち上がった。

 2人分のコーヒーを淹れる。

 豆の香りが部屋に広がる。

 ふと窓の外を見た。

 海。

 夕方の光。

 どこか懐かしい。

「そういえば」

「何?」

「最初にお前とまともに話したのも、ここだったっけ」

「さあ」

「ディオもいたよな」

 父の姿を思い出す。

 もういない。

 ずいぶん昔のことになった。

 だが不思議なことに。

 あのころ始まった何かは、まだ終わっていない。

 グリフは新しいコーヒーを2つ、テーブルへ置いた。


 *


 同じころ。

 日本。

 海翔は父との電話を終えると、スマートフォンをしまった。

 農園の作業へ戻った。

 畑へ出る。

 土を運ぶ。

 苗を見る。

 収穫した野菜を箱へ入れる。

 しばらくすると。

 VOICEのことも。

 FlowerGardenのことも。

 AIRのことも。

 日本政府のことさえ忘れた。

 ただ目の前の仕事をした。


 *


 夕方。

 1日の仕事を終えた。

 宿舎へ戻る。

 農具を肩へ担ぐ。

 空は赤く染まっていた。

 遠くの山の向こうへ太陽が沈んでいく。

 海翔は歩きながら。

 また父との電話を思い出した。

「親父は、三浦さんじゃないって言ってたけど」

 少し笑う。

「絶対、三浦さんだよな」

 あの最後の言い方。

 間違えるはずがない。

 私たちだって、バカじゃない。

 あれは三浦だった。

 証拠はない。

 だが、それでよかった。


「FlowerGardenか」

 口にしてみる。

 花畑。

 現実が見えていない。

 理想ばかり語る。

 子供っぽい。

 甘い。

 馬鹿げている。

 そんな人間を笑うときに使う言葉。

「確かに、お花畑だよな」

 100年後の世界平和。

 暴力ではなく話し合い。

 一人一票を善意で守ってください。

 国籍の違う人間同士で畑を耕せば、少しは仲良くなれる。

 どれも。

 現実の政治を知っている人間から見れば、甘い話なのかもしれない。


 でも。

 海翔は夕日の向こうに広がる畑を見た。

「嫌いじゃないな」

 少し考え。

「花畑」


 *


 ふと思いついた。

「そうだ」

 明日。

 みんなに提案してみよう。

 この農園にも花を植えないか。

 野菜だけではなく。

 果物だけでもなく。

 売るためでもない。

 ただ花を植える。

 この農園には、いろいろな国の人がいる。

 日本。

 インドネシア。

 中国。

 ベトナム。

 フィリピン。

 ほかにもいる。

 それぞれに、

 自分が好きな花を一つ選んでもらえばいい。

 日本人だから桜を選ぶ必要もない。

 中国人だから牡丹を選ぶ必要もない。

 自分が好きなもの。

 ただ、それだけ。

 赤い花。

 黄色い花。

 白い花。

 大きな花。

 小さな花。

 同じ種類にそろえる必要もない。


 海翔は想像した。

 春になれば。

 畑の一角に、統一感のない花が咲く。

 背丈も違う。

 咲く時期も違う。

 好む土も違う。

 水が多く必要なものもあれば。

 乾いた場所を好むものもある。

 全部を同じ条件で育てれば、きっと何かが枯れる。

 だから。

 それぞれに合う場所へ植える。

 それでいい。


「親父が聞いたら、また難しい理屈つけそうだな」

 接触仮説がどうとか。

 多様性がどうとか。

 100年後の世界平和がどうとか。

「別に、そんな大げさな話じゃないんだけどな」

 海翔は笑った。

 花を植えたい。

 ただ、それだけだった。


 *


 農具を肩に担ぎ直す。

 帽子を直す。

 宿舎の前には、仕事を終えた仲間たちが集まっていた。

 誰かが夕食の準備をしている。

 誰かが笑っている。

 聞き慣れた日本語の中に。

 知らない言葉も混じっている。

 海翔はそちらへ歩いていった。

「明日さ」

 誰かが振り返る。

「何?」

「花、植えない?」

「花?」

「ああ」

「何で?」

 海翔は少し考えた。

「別に」

 そして笑った。

「花畑にしたら、きれいかなと思って」

 何人かが笑った。

「いいんじゃない」

「俺、植えたい花あるよ」

「私も」

「どこに植える?」

「明日決めよう」

 話は、それだけだった。


 海翔は宿舎へ向かいながら、まだ何もない畑の一角を見た。

 そこに。

 色も。

 形も。

 育った場所も違う花が、いつか咲いているところを想像した。

 100年後の世界がどうなっているのか。

 海翔には分からない。

 VOICEが残っているのか。

 FlowerGardenが本当に世界へ広がるのか。

 AIRが何になるのか。

 日本が再び以前のような国へ戻れるのか。

 父たちの願いが成功するのか。

 何一つ分からない。

 きっと父にも分からない。

 三浦にも。

 アリにも。

 誰にも分からない。

 それでも。

 明日、花を植えることはできる。

 海翔は、皆のいる宿舎へ歩いていった。

 夕日はもう山の向こうへ沈みかけていた。

 まだ何も咲いていない畑を、最後の光が照らしていた。


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