36話 ライバルがいっぱい2
「おお、ユージィン、役得だなぁ、お前」
「あのさアルフ、そういうジョークはいいから」
マリアージュに体を支えられているユージィンを、アルフはニヤニヤしながらからかった。
マリアージュはマリアージュで、「とにかく今すぐ休憩しなさい!」とユージィンを無理やり近くのソファに座らせている。
「………」
「………」
元々下町出身で仲の良かったアルフ・ユージィン・コーリーの三人は言わずもがな、下町で起こった殺人事件をきっかけにアルフと距離を縮めたマリアージュ、衛兵隊と協力体制を築いたエフィムはすでに一つのチームと化している。それを傍から見ているルークとオスカーのアウェイ感がすごい。
このままじゃさっさと帰れと追い出されるのがオチだな……と、ルークは軽くため息をついた。
「それにしてもユージィンの徹夜の理由はあれか? 例のDNA鑑定の術式がどうとか……」
「もう、そんなに焦らなくていいと言っているのに」
「そんなわけにはいかないよ。DNA鑑定法は一分でも一秒でも早く完成させなきゃ。この術式が組めれば、未解決事件の真犯人を特定できるんだから」
「………ん?」
これはさっさと退散するに限るか?………とルークが踵を返しかけたその時、ユージィンから魔法に関する話題が出て、思わず足を止める。
「でぃえぬえー? それは一体何だい、マリアージュ?」
「あら、殿下、まだいらしたんですの」
案の定、マリアージュのルークに対する態度は辛辣だ。それをフォローするかのように、エフィムがほっほっほっと笑いながら質問に答えた。
「殿下、DNAとは人間一人一人に組み込まれた遺伝子情報のことです」
「遺伝子?」
「例えばほれ、殿下の見事な金髪は皇后陛下譲りのものでいらっしゃるでしょう?それはいわゆるお母上から遺伝した情報。つまりそれがDNA。先祖代々受け継がれてきた体の組織図みたいなものですな。そして両親から受け継がれたそれは一人一人違い、同じものは一つとして存在しない。……まぁ、一卵性双生児などの例外はありますが。とにかく個人を特定するのにとても有益な情報なのですよ」
「へぇ……」
エフィムの説明でDNAに興味を持ったルークは、マリアージュにニコッと微笑みかける。
「すごいな、それも知神メメーリヤ様のご宣託かい?」
「え? そ、そうですの! メメーリヤ様はさすが知識の女神でいらっしゃいますわね、ほーっほっほっほっ!」
痛い所を突っ込まれたマリアージュは、ルークから思いっきり目を逸らして高笑いで誤魔化す。
「で、その鑑定を解析魔法で何とかしたい……と」
「そうなんですが、ユージィンでもこれがかなり大変らしくて……」
コーリーが顔色の悪い幼馴染を心配する傍ら、ルークは腕を組んで「ふむ」と何か考え始める。
「ユージィン、その術式、どこまで完成してるんだい?」
「え?」
「よければ僕に見せてもらえる? 何か力になれるかもしれない」
「………」
ルークの提案にユージィンはすぐさま眉を顰めた。
それは魔道士としては当たり前の反応だ。術式とは魔道士が自力で編み出し極限まで昇華させるもの。特に戦争で使われる戦闘魔法の術式などは、敵方にバレれば対策が練られほぼ役立たずになる。
しかし今回ユージィンが苦心して組んでいるのは戦闘魔法ではなく、あくまで人の役に立つための解析魔法だ。
それでなくともルークは魔道士としては超一流。この国一番の術者であることに変わりはない。ここはくだらないプライドにこだわっている場合ではない、とユージィンは瞬時に判断した。
「わかりました。今魔導書を持ってきます」
そう言って一度自分の研究室に戻りユージィンが取り出したのは、電話帳並みに分厚い魔導書だった。
ルークはそれをぺらぺらとめくりながら、ユージィンの思考をトレースする。
「なんだ、もうほぼ完成しているじゃないか」
「え? そうなんですの?」
「うん、なるほど。細胞サンプルを炎魔法で熱処理した後、重力魔法の応用でDNAとやらをエーテル粒子に結合させ、それを風魔法で遠心分離させたのち抽出、洗浄するといった手順だね?」
「はい」
「特に飛行技術に使われている重力魔法に着目したのはいいね。エーテル粒子を利用しているところも、さすがファムファロスを首席で卒業しただけはある……と言ったところかな」
「お褒めにあずかりどうも」
ルークとユージィンが専門用語で話だし、マリアージュは何が何やらさっぱりだった。隣に立つコーリーにこっそり小声で質問する。
「ねぇ、重力魔法とかエーテル粒子とか、一体なんですの?」
「えーと重力魔法は文字通り重力……地属性から派生した魔法で、例えば自分の体を浮かすのに使ったりします。それを基に空を飛ぶ乗り物の開発とかが行われていますね」
「あら、まさかこの世界で飛行機が出来てしまうんですの?」
なんだか自分が思った以上に科学が進んでいるなと、今さらながらマリアージュは感心する。
「ヒコウキ? ええと、それが何かはわかりませんが、重力魔法を使える使い手っていうは限られているのが難点です。自分一人の体を浮かすだけでも大量の魔力を消費しますから」
「へぇ、じゃやっぱりユージィンってすごいのね」
「はい!」
コーリーは自分のことのように笑顔になって、大きく頷く。
「それからエーテル粒子って言うのは魔法を使う際、基となるエーテルのことですね。この世界の住人ならば多かれ少なかれこのエーテルの影響を受けているんです」
「誰でも? 私は魔法が使えないけれど?」
「魔力がないマリアージュ様の体内にもエーテルは微量に巡っています。人によってそれは火属性に偏っていたり、風属性に偏っていたり……種類は様々ですね。ちなみにユージィンのエーテルは大きく氷属性に偏ってます。だから氷魔法が得意ってわけですね」
「ふむふむ」
つまり言い換えると、そのエーテル属性とか言うのは異世界特有のもう一つの血液型と言ったところか。やはり魔法とかエーテルは便利なチートアイテムだと、マリアージュは納得する。
「それで、ほぼここまで術式を完成させているのに、ユージィンは何が不満なんだい?」
「確かにDNAの抽出は既に理論上可能です。でもそれを増幅し、さらにパターン画像化する手段に手こずっているんです」
ユージィンはルークの隣に立ち、魔導書を指さし「ここと、ここ」と指さしながら自分の術式の問題点を説明する。この時点でマリアージュやアルフは完全に蚊帳の外で、暇を持て余していた。
「あー、やっぱりお偉い魔道士様って言うのはすげぇなぁ」
「本当にねぇ」
ルークとユージィンの会話を聞きながら、マリアージュ達がボーっとしていると。
「わかった、なるほど。じゃこう言うのはどうだい? そのDNAとやらにエーテルも含まれているなら、それに魔力増幅魔法をかけてみては? そうすればDNAの大量コピーが可能となる」
「あ……!」
「それからDNAの画像パターン化は、光・水・雷の魔法を三重行使することで可視化することができるだろう。この辺りは記録魔法の応用だね」
「そうか、そういう手もあったか……」
ルークはあっさりと解法を提示し、ユージィンもそれに感服した。
お、いよいよDNA鑑定法の完成か?……と思いきや、最後の難問が立ちふさがる。
「でも最大の問題は、この術式を展開するのに大量の魔力と時間を消費するということです」
「そうだねぇ」
「あら、大量の魔力と時間って一体どのくらい?」
「これだけ複雑で、しかもいろいろな属性の魔法を同時行使するというのは、僕でも骨が折れる仕事だよ。普通にやれば一つのサンプルを解析するのに十日……いや半月はかかるかもね。ちなみに魔力消費が激しすぎて、その半分の日数は多分寝込んでる」
「そんなに大変なの!?」
ルークの答えに、マリアージュはげんなりした。現代日本でもDNA検査にはそれなりの時間がかかったものだが、さすがに一つのサンプル解析に半月は時間がかかり過ぎる。しかも話を聞く限り、この魔法は魔道士に大変負担をかけるようだ。それでは日常的に利用するという訳にはいかないだろう。
「……やっぱり駄目だ。この術式じゃあまりに効率が悪すぎる」
「とは言っても、この術式はこれ以上いじりようがないと思うけど」
「……」
ルークの返しに、ユージィンは今度こそ押し黙った。
このままDNA鑑定法の確立は頓挫してしまうか……と思われたが。
「はぁ、仕方ない。マリアージュを医術士に指名したのは僕だしね」
そう苦笑しながら、ルークはおもむろに自分の右中指にはめていた銀色の指輪を外す。
「ユージィン、これ使いなよ」
「これ、は?」
「ん? “アイギス王の神智”だよ」
「………」
「………」
「何それ?」
マリアージュが何が何だかわからずポカンとしていると、ユージィンとコーリーの体からはダラダラと冷や汗が流れ、顔色も真っ青になっていった。
「ア、アイギス王の神智ーーー!? そ、そんな大変なものお借りできません!」
「そ、そうです。そんなすごいもの、簡単に手渡しちゃいけませんよ、殿下!」
「え? どういうこと? その指輪、なんかすごいの?」
訳が分からずマリアージュが首を傾げると、ユージィンが焦ったように振り返る。
「すごいとかそういうレベルじゃありません。国宝級のアーティファクトです。特にこの【アイギス王の神智】は古代モラルタを創立した大魔道士・アイギスがはめていたとされる指輪で、アーティファクトの中でも最上級に属する古代遺産です」
「あら、さすが殿下。すごいものを持っているんですわね」
ユージィンの説明を聞いてもそのすごさがよくわからないマリアージュは、相変わらずテンションが低い。でも以前も、確かこんな会話をみんなとしたことを思い出した。
アーティファクトとは確か某猫型ロボットの二次元ポケット並みに便利なアイテム。それがあればとユージィンも言っていたじゃないか。
「借りれるもんは何でもお借りしたほうがいいですわね。ありがとうございます、殿下。その何とかの指輪、我がメメーリヤ分院で有効活用させて頂きますわ」
「さすがマリアージュ。話が早い」
「えええ、本気ですかぁぁぁーー?」
マリアージュが安請け合いする傍らで、コーリーは相変わらずアワアワしている。
対するルークも軽妙なもので、国宝級のアーティファクトを貸し出すことに全く躊躇していなかった。
「そんなに大げさに受け取らなくてもいいよ。便利なアーティファクトも使わないままじゃ宝の持ち腐れ。有用に使ってもらえるならば問題ない」
「でも……」
「それにこれがあれば、ユージィンのDNA鑑定術式も一日かそこらに短縮できるだろう? 魔力消費もだいぶ抑えられるはず。ああ、後日、優秀な魔道技師をこちらに派遣しよう。ユージィンの術式とこの指輪を組み合わせたDNA鑑定魔道装置が完成すれば、さらに君達の負担も減るだろう」
「おお、それはなんとありがたい。何から何までお世話になります、殿下。さすが未来の王ですじゃ。先見の明がある」
エフィムもまた堂々としたもので、国宝級のアーティファクトを借りられることを素直に喜んだ。やっぱり金持ちの感覚は庶民にはよくわからない……とユージィンとコーリーは頭を悩ませる。
「じゃ、僕はそろそろ失礼させてもらうよ。君達の役に立てたようでよかった」
「あ、殿下!」
そしてルークが踵を返したその時、マリアージュが慌てて背後から声をかけた。マリアージュはほんの少し不貞腐れながらも、ほんのり頬を染めながら言う。
「殿下、5分ほどお時間頂けません?」
「5分? 別にいいけど」
「じゃこちらに座って下さい」
マリアージュは執務室中央のソファを指さし、パンパンと叩いた。一体何が始まるのかと、ルークは言われるがままソファに腰を落ち着ける。
「では参りますわよ……ふんぬっ!」
「いたっ!」
次の瞬間、ルークの両肩に強い衝撃が走った。一体何が起きたのかと背後を振り返れば、マリアージュがルークの肩を力任せに揉んでいたのだ。
「ちょ、マリアージュ、痛い。痛いってば」
「少し我慢あそばせ。すっかり首や肩が凝り固まっているではありませんか。これはアーティファクトを貸していただいたお礼ですわ。執務に熱心なのもよろしいですけど、たまには体を動かして下さい。この部屋に入ってきてからずっと、無意識に肩に手を回していましてよ」
「ハハハ、マリアージュは何でもお見通しだな」
今度はソフトな力で肩を揉まれながら、ルークは苦笑した。
嫌味を言いながらも、結局は自分のことを労わってくれるマリアージュ。伊達に何年も婚約者をやっているわけではない。
「ほっ、ほっ、ほっ、これはなんとも仲睦まじい光景ですな」
「エフィム、別にそういうんじゃないから!」
「いや、いずれこの国の王と王妃になられるお二人には、普段からこのように親交を持っていただきませんと。とりわけ殿下はマリアージュ様くらいのお人でないと言うことを聞きませんから」
「オスカー、君も何気に僕を困ったちゃん扱いするのやめてくれる?」
「………」
「………」
そんな会話の中、マリアージュとルークの姿を苦々しく見つめている男が二人。
なんだかんだ言いながらも、結局はルークを心配するマリアージュを見て、アルフとユージィンは無言になった。
ルークは先ほどと立場が入れ代わり、少しだけ溜飲を下げる。
(やれやれ、それにしてもマリアージュにこれほど人たらしとしての才能があったなんてね……)
ルークは自分のことを棚に上げながら、密かに今後のことを心配する。
この調子で事件に関わるたびに、マリアージュに惚れる男が次々と現れたらたまらない。
かと言って、それに対し何か具体的な対策を打てるわけではないのだけれど。
「ねぇ、オスカー」
「はい?」
「よもや君まで……なんてことはないよね?」
「……? 言っている意味が全く分からない」
肩越しに親友の顔を見やれば、オスカーは本気でルークの言葉の意味を理解できず頭の上に疑問符を浮かべていた。
マリアージュに接する機会がある若い男と言えば、オスカーも条件に当てはまる。
いや、やはりそれは考え過ぎかと、ルークはマリアージュに身を預けながら肩をそびやかす。
けれど――ルークはまだ知らない。
その懸念が、もうすぐ当たってしまうことを。
まさか一匹の黒猫を巡る事件をきっかけにして、マリアージュとオスカーの仲が急接近してしまうなどとは――
この時は、つゆほども知らずにいた。