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嵐のような人

 ダッシュ。ダッシュ。猛ダッシュ!

 アパートの階段を一段とばしで駆けのぼり、4F自室の前へ。リュックをがさごそやるけど鍵が出てこない! 一刻を争うのに!

 四次元ポケットをあれでもないこれでもないとひっくりかえす映画版のドラえもんのように、リュックの中身を次々に放りなげ、やっと鍵を発掘。

 鍵を差し込んで回すわずかな時間さえ惜しい。

 ドアに体当たりする勢いで自室に入り、ビーサンを脱ぎ捨ててだだだっと我が6畳間へ。息を切らしながらベッドを見やると、やっぱり奴はまだ寝てやがる。タオルケットからむき出しの肩がのぞいてるけど、もしや全裸? いくら暑いからってそれはない。

「起きて! 起きて! あーっもう、さっさと起きろ!」

 琥太郎先輩に馬乗りになって両肩をつかんでゆすった。

「起きろ! そんで、荷物をまとめて出て行って!」

「……あー? 緋色ー? もう帰ってきたのー?」

 寝ぼけてるし! ていうかいつまで寝てるの! もう十時半なんですけど!

「お願いだから起きて服を着て。そんで、先輩の持ち物、ぜんぶ、まとめて!」

 ああもう時間がない。最悪、押し入れに押し込むか……。

 と、先輩はにやっと笑い、

「つーか。妙に積極的じゃん。まだこんなに明るいのにさー」

 と、私の腕をとって引き寄せた。

「ひゃっ」

「よしよーし。小早川との約束をキャンセルしてまで俺のとこに戻ってくるとは」

「ちょ、バカ、ちが、やめ……っ!」

 ぎゅっと私を腕の中に閉じ込めたまま、ひらりと体制を変えて私を組みしこうとしてきた。もちろん私は全力で抗う! まじでそれどころじゃない!

「話聞いてよ! 緊急事態なんだってば! とにかく、一刻も早く出て行ってもらわなきゃ困るの!」

 ばたばた暴れるけど、148センチ女子が182センチ男子に勝てるわけがない。ていうか寝起きのくせになんなの! 先輩は、私の抵抗を、いつものような単なるじゃれ合いだと思ってるみたいで、おもしろがるような笑みをうかべている。ちがうの、今日はね、ほんとにやばいの。

 ピンポーン、と、インターホンが鳴った。

「ひっ」

 来た! 思ったより早いし!

 ピンポンピンポンピンポンとインターホンが連打され、ドンドンとドアが叩かれ、「ひいろー。ひいろ、戻ってんのー?」と、野太い声が私を呼ぶ。借金の取り立てじゃあるまいし、近所迷惑だから!

「……誰?」

 ようやく冷静になった先輩がつぶやいた。遅い。遅いよ。

「……おかーさん」

 思い込みで猪突猛進、ひとの話を聞かない、声と態度がでかい、の三拍子がそろった我が母です。どっちかというとかかわりたくないタイプの人間が、よりにもよって母親だなんて、ひたすら残念です。

 先輩の顔から一気に血の気がひいた。だから、話を聞いてって言ったのに。

「とりあえず服を……。ていうかもう、押し入れかどっかに隠れたほうが早い……?」

 おたおたしていると、がちゃり、とドアノブが回る音がした。

「何よ開いてるじゃない不用心ねー。居るなら居るでさっさと出てきなさいよー」

 こだまする母の(でかい)ひとりごと。響く足音。

 慌てるあまり、鍵をかけるのを忘れていたなんて、私はなんてバカなんだろう。

 がらりと音をたてて、せまいキッチンと六畳リビング(兼寝室)の間の、引き戸が開いた。万事休す。

「…………」

「…………」

 なんという沈黙。永遠のような沈黙。母の目が大きく大きく見開かれていく。先輩と母は、目を合わせたまま、瞬間冷凍したみたいに固まっている。

「えーっと、これは、その……っ」

 何か言わなきゃ。何か……!

「ひゃああああああーっ!」

 母が叫んだ。

「あんた誰あんた誰あんた誰! 娘から離れなさい!」

 わめきながら母は、先輩につかみかかった。

「犯罪者! 変質者! 出て行け! 出て行け!」

「だ、だめ! おかあさん!」

 タオルケットがはらりとはがれ落ちる。 ああっ……!

 顔を両手で覆った。指の隙間からおそるおそるちら見する。

 ……。なんだ、全裸じゃなかった。だよね。さすがにパンツは履いてるよね。よかった……。

 じゃ、ないっ! ちっともよくないっ!

 お母さんが、先輩の髪を引っ張って、何か言ってる。もはや言語の体を成してないから意味はわかんない。先輩は顔面蒼白で、いまにも泡を吹いて倒れそうだ。

「おかーさん! ちがうの! このひと、彼氏! 彼氏だからっ!」

「はあーっ?」

 母がじっとりと私をねめつける。

「彼氏ぃ?」

 こくこくと、うなずく。母は、ゆっくりと、今自分が髪をつかんでいる男の顔を、見つめた。まじまじと、見つめた。

「緋色に彼氏? 緋色に?」

 実の親のくせにずいぶん失礼なんですけど。

「しかも、よく見たらいい男だし? ま、顔は、だけど?」

 先輩の顔に、すこしだけ血の気が戻る。

 先輩は、すうっと息を吸い、

「はじめまして。木下琥太郎と申します。緋色さんとおつき合いさせていただいてます」

 と、かすれた声で、自己紹介した。

 母は、ようやっと、先輩の髪から手を離した。

「あ。あ、そ、そうなの。ホントなの。えーっと、とりあえずアナタ、服でも着たら?」

 うろたえている。明らかにうろたえている。変質者に襲われているわけじゃなかったものの、娘が彼氏とこんな自堕落なふるまいを……。いや、私は拒否してたんだけど、この状況で、なにを言っても言い訳にはならないだろう。

 先輩は私のたんすからもそもそと自分のTシャツとジーンズを引っ張り出して、すみっこでこそこそ着ている。ああ、服を置きっぱにしているのもバレた。

 私はベッドから降りて、ぼうっとへたり込んでいる母の前に正座した。

「お母さん。いえ、お母様。このこと、くれぐれも、お父さんには内密に……」

 手をついて、深々と頭を下げる。思い込みで猪突猛進・人の話を聞かない、そんな母でも父よりマシです。娘大好き父にこのことがバレたら、私たち、別れさせられちゃう……。

 母の眉がぴくりと動く。

「お父さんの話はしないでくれる? 緋色。あー。思い出した。思い出したらはらわた煮えくりかえってきちゃった!」

 母の瞳に炎が宿った。そうだった。お母さん、お父さんと激しい喧嘩をして、突発的に家を飛び出してきたんだった。

 そもそも私は今日、さえちゃんの買い物につき合う約束をしていた。なのに、待ち合わせ場所に着いたときに、母から電話がかかってきたのだ。

「もしもし緋色? あのね、家、出てきちゃった。あまりにも腹が立って、勢いで。今からあんたの部屋に行くから」

「行くからって、いまどこにいるの?」

「あんたのアパートの近くのコンビニ。今日日曜だし、学校休みでしょ? ところであのアパート、駐車場、使ってもいいの?」

「ちょ、ちょっと待って。今私、友達と出かけるところで……っ」

「えー? じゃあ一旦戻って鍵開けなさいよ。足伸ばして座りたいのよ」

 こんな感じで、一方的に指令された。

 何があったか知らないけど、母は怒りで興奮してて聞く耳持たず。どっちにしても、うちに居る先輩を追い出して、その形跡を消しさらなくちゃいけない。

 なのに先輩は電話に出ない。ぜったい、寝てる。そう確信した私は、さえちゃんに手を合わせて、家にとんぼ帰りした。ただならぬ様子の私に、さえちゃんは何かを悟ったのか、「がんばってね」とだけ、言ってくれた。ありがとう。この埋め合わせは、いつか必ず。

 で。

 私からの連絡を待たず、しびれを切らした母は、うちを突撃し、今の状況に至る……、と、いうわけだ。

「あの。とりあえず、これ、飲んで」

 ミニテーブルに、アイスコーヒーのグラスを置いた。

 服を着た先輩と母は、ミニテーブルをはさみ、向かい合わせに座ってまんじりともしない。

 先にグラスに手を伸ばしたのは母だ。それを確認してから、先輩もグラスを手に取る。

「あの。お母さん。なにが原因でお父さんと喧嘩したの?」

 とりあえず、自分のことは脇に置くことにする。母はアイスコーヒーをぐっとあおると、がんっ、と、グラスを叩きつけるように置いた。

「浮気よ浮気! あーもう信じらんないっ!」

 やっぱり。私はがっくりと肩を落とした。

 先輩が驚いて身を乗り出している。あー、真に受けてる。早く説明しないと。

「携帯をスマホに換えてからね、いっつもいっつもうれしそうに画面のぞいて。しょちゅう誰かとラインのやりとりしてるみたいなの! ぜったいオンナよ!」

 あーあ。そんなことだと思った。

「詰め寄ってやったら、にやにや笑って、バカかおまえはこれは会社の子だよ、ってごまかすのよ! なによなんなのよ、いっつもスマホ見ながらアホみたいにしまりのない顔してるくせに! 女房の勘を甘く見ると痛い目見るんだからっ!」

 その「女房の勘」は、いつも見当違いで、空回りに終わるんだけどね。

「お母さん、あのね。お父さん、お母さんが思ってるより、モテないから。まったく、モテないから」

 残念ながらお父さんは潔白です。見た目もタヌキだし、キャラも、典型的な「いい人」で終わるタイプ。ただ、娘のことになると人が変わっちゃって恐ろしいけど。

「そんなことない。若い頃はね、あの人、モテてモテて大変だったんだからね?」

 お母さんは私をきつく睨んだ。若い頃の話も、お母さんの思い込みの可能性が高いけどね、と思ったけど言わなかった。

 じっと私とお母さんのやり取りを聞いていた先輩が、グラスを、ことりと置いた。

「なんか。いいですね……。少し、うらやましいっていうか……。お母さんに、そんなに思われているお父さんが」

 しみじみと、つぶやく。お母さんはきょとんとしている。もちろん、私も。

 母はぶうたれてミニテーブルに片肘をついた。

「べっつに思ってなんかないわよ。ただね、心配なのよ。ぼうっとしてるしお人好しだから、すぐに悪い女につけ込まれそうで」

 それはそれでひどい言い方。

「ほんとに、好きなんですね」

「そんなことないけど……。ほんとにもう、放っておけない感じなのよ? あのねアナタ、夫婦っていうのはね、そもそもね……」

 うわ、長くなるぞコレ、と思った。

 予感は的中し、お母さんの、のろけとも愚痴ともつかないトークが延々と続き、先輩は、いちいちくそまじめに相づちを打ったりしている。

「緋色、お酒。お酒がほしい」

 母はついに、そう言い放った。

「はあっ? こんな時間から飲む気? ていうかうちにお酒あると思ってるの?」

 いくらなんでも、自棄になりすぎ。

「じゃあ買ってきてよ」

「知らないの? 未成年には売ってくれないんだよ?」

「あ、じゃあ俺が買ってきます」

 先輩が手を挙げた。

「あらアナタ、今いくつなの?」

「21です」

「じゃお願い。適当に、アナタの好きなものでいいから」

 母は自分の財布から五千円札を抜き取り、先輩に渡した。

 先輩は一礼して、それから、母の顔をまっすぐに見つめた。

「お母さん。あの、俺、緋色さんのことを、ほんとに」

「いいからいいから、早く行ってきて頂戴」

 先輩の言いかけた言葉を乱暴にさえぎり、母は、手で虫を追い払うようなしぐさでもって、先輩を送り出した。

 ばたん、とドアの閉まる音がして、母とふたり、向き合う。母は、ふーっと、長い息を吐いた。

「さて。お昼まだでしょう? 何かつくってあげる。おつまみも要るし」

「お母さん、ほんとに飲む気なんだ」

「飲みますとも。飲んで、あんたの彼氏を酔わせて、本音吐き出させて、どんな人間か見極めてやるんだから」

 母はそう言って、立ち上がった。

「ま、悪い子じゃなさそうだけどね」

「……お母さん」

「あんたも手伝いなさい」

 せまいキッチンに、ふたり並んで立つ。お母さんは、肉や野菜をたっぷり買い込んできてくれていた。

 芯をくりぬいたレタスを洗う。じゃーっと、勢いよく流れる水の音。

「あんたのことを傷つけないように、とことん説教しておくから」

「……はい。あの、ごめんなさい」

 学費を払ってもらっている分際で。彼氏と半同棲とか。親不孝だよね。でも、はじめて好きになったひとなんだ。

 胡瓜を切っている母の、包丁の音。いつも聞こえてきていた、私に馴染んだ、なつかしいリズム。

 ふいに、母が包丁を止めた。 

「別れろって言っても、かえって燃えあがるだけだし。私とお父さんもそうだったしねー」

「えっ? まじ?」

 初耳ですよ、そんなこと。

「くわしく聞きたい?」

 母が私を見て、にやりと笑う。長くなりそうだな、と思った。

 


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