デイリーデイリー1
「レイヴァンの妻にはもっと相応しい女性を用意しているんだ。君なんかよりずっとな」と侮蔑の視線を隠そうともしない家族たち。
「急にやってきて偉そうに」「旦那様も気まぐれな」と嘲笑い無視をする使用人たち。
「どう比べても、わたくしと貴女、価値の高いのはわたくしで間違いないでしょう?」と派手な身なりを揺らして笑う令嬢たち。
そんなものを予想していたラビは見事に裏切られた。
一週間経った今、ラビは穏やかな生活を日常としていた。
空気を凪ぐ音がする。
まだ日の出過ぎ。冬の朝は、まだまだ冷えるはずなのに、その音は毎朝ラビの眠る部屋まで届いてくる。
女の子というものは、準備に時間がかかる生き物だ。だから、まだその音の発信源を確かめたことはないのだが、十中八九の婚約者様の素振りの音と見ている。ぶん、ぶん、と素早く振り下ろされる剣、良い腕をしている。
ラビはこっそりと持ち込んだ化粧品で、丁寧に化粧を施す。
派遣先にもよるのだが、ラビのような貴族の屋敷に派遣される所員は特に情報統制の規則に神経質になる。中には完全に変装してしまう所員もいるのだが、それだけの技術を持たないラビは化粧で顔を変える。微妙に顔のつくりが変わるだけだが、それでもラビにはなくてはならないものだ。何度か一緒に派遣されたことのあるルノは見る度変わるラビの顔に「厚化粧」とのたまってくれたが、実際の所、一見しただけでは化粧しているともわからない出来栄えを自負している。
鏡越しに、お世辞で言うなら美女がいる。
眦を誤魔化して猫目っぽく見せた大きな目、その目元に一つあるほくろも作り物だ。睫は増量し、本来薄い唇はより柔らかそうに見えせてあるし、日に焼けた肌も色白く思わせてある。
―――いい出来。
このために、人より早く起きる。うっかり侍女たちに見られてはならないから、結構大変なのだ。
しっかり作り上げたころには、レイヴァンの朝の鍛練も終わっている。これから犬の散歩に行くのだろう。
ラビは衣装棚の前に立つ。
レイヴァンが有言実行で用意した衣装たちは、ラビの好みを無視したお姫様仕様のキラキラ感だ。白やピンク、黄色といった淡色が多いのだが、ピンクの頭にその取り合わせは本当に痛すぎる。
―――うっかり鏡に映った自分を見てしまって息が止まるかと思った。
以来、ラビは街に出るのが恐ろしくてならない。うっかり事務所の人間にでも見られたものなら、と考えると嫌になる。あのオッサンたちはげらげら笑い転がりこれでもかと茶化すのだろうし、マルディヘルは嬉々としてラビで遊ぶだろう。タンドリーはさらっと一番傷つくことを言ってくれそうだ。
「あーあ、あたしなんでこんなことやってるんだろう」
仕事だ。
わかっていても、ふとした瞬間に落ち込んでしまう。
しかし、いつまでも落ち込んではいられない。ラビがラビであれる時間はそろそろ終わりだ。
たたたたーと聞こえてきた軽い足音に、ラビは気合を入れ直した。
「あー、また負けましたわぁ」
勝負をしているわけではないのだが、悔しそうにする砂糖含有量の高い美少女。
「遅くなって申し訳ありません、お嬢様」
対照的に、仕事に徹して堅苦しいまでの挨拶をする甘さのかけらもない美人。
フィオナとオリオ。ラビにつけられた二人の侍女である。
「気にしないでください。目が覚めてしまっただけなので」
朗らかに笑って誤魔化す。
化粧前の顔を見られてはまずいから、毎朝が早起き競争だ。二人とも侍女歴は浅いため、早起きに慣れていないようだ(レイヴァンの呆れる散財の一つが、これ。ラビーナのためだけに二人も侍女を雇ったというのだ)。今の所、ラビの七戦七勝で終わっている。
「いけませんわ。またドレスを一人で着られて。あたしが決めたかったのにぃ」とフィオナ。
「彼女の言い方はいかがなものかと思いますが、同意見です。侍女の仕事を取らないでいただきたい」とオリオ。
確かにもっともな意見だが、二人共に言い方がどうかと思う。また、対照的な二人をそろえたものだ。
「レイヴァン様の朝の鍛練を見たいと思ったのだけど、用意している間に終わってしまったのです」
責任は、朝からぶんぶん剣を振り回す婚約者様に丸投げだ。
―――顔を作る時間がいるんです、なんて言えない。
それに、ごめんなさい。次から気を付ける。などと言っても、まだ後二か月半以上あるのだから、適当に理由をでっち上げた方がいい。察してくれと言ったところで、この二人には難しい相談だろう。
現に、フィオナはよくわからない自分本位の理屈で、オリオはこんこんとわかるようで納得しがたい堅苦しい理屈で、ラビに言ってくる。耳が痛い。
「ラビーナ様、失礼いたします。―――二人とも、声が外まで聞こえていますよ。どうであれ、仕事に不備が出たのは貴方がたの失態。それをラビーナ様に言ってはなりません」
すっと音もなく入ってきた老紳士に、ラビはほっとした。
ロイド=ダーロン。
先にレイヴァンから聞いていた家令であり、初日ラビを迎えてくれた人だ。
性格は温厚篤実、気が利きルールばかりを押し付けない柔軟な人だ。この人の少ない屋敷の中では、ルールでがんじがらめにするよりも時に主人の好きにさせた方がいいと知っている。
レイヴァンが自分でお茶を淹れている時に気づいた。
この屋敷で主人格は、ラビーナが来るまでレイヴァン一人だった。既に実家を出ているらしく、オリエスの名字もレイヴァンが国から賜ったものだという。主人一人に家人四人のアットホームな屋敷の中では、下手なルールの方が邪魔だ。
未だ納得がいかない様子の二人をロイドは下がらせる。その顔に苛立ちも呆れもなく、物腰も落ち着いたものだった。上司に欲しくなる手際だ。
「教育が行き届いておらず、申し訳ございません。あの二人にはよく言い聞かせますので、少しの間、ヘレンに任せてもよろしいでしょうか?」
「そうかたく考えないでください。二人ともまだ慣れていないんだから、仕方ありません。それに、仕事を取ってしまったのはわたしの方です。それで二人を責めるのはお門違いだと思いますよ」
二人を擁護するわけでない。あの二人が技術面以前に問題があるのは、明らかだ。もしここに侍女として派遣されていたなら、今後のためにも諭してやりたいところだ。派遣ではなく女主としているのなら、きっちりしつけた。今のラビに出来るのは、せいぜい記憶喪失な婚約者らしく鷹揚に振舞うことだけ。出来ることに制限が掛けられるのは、歯がゆさがある。
「―――ラビーナ様は、少々気を回し過ぎる気がありますね。もう少し、おおらかに考えられてもバチは当たりませんよ」
どきん、とした。
六十は過ぎているだろうに、背筋の曲がらない家令は静かに微笑んでいた。その顔からは何も読み取れない。
「朝の御支度は、二人の仕事から省いておきましょう。手が必要になられましたら、呼び鈴をならして下さいませ。私どもは主人が快適に過ごしていただくためにいるのです、遠慮は不要ですよ」
―――気づかれているのだろうか?
レイヴァンはラビを婚約者として雇ったということを誰に言ったとは言わなかった。ラビから見て、屋敷の誰も知らないと判断していたのだが。
ロイドは何かを知っているようだった。
だが、確証はない。
耳近くで聞こえる心音を徐々に落ち着かせる。今、ラビの方から不用意に守秘義務に触れるのはまずい。
「ありがとうございます」
無難に答えると、彼は揚々と笑った。やっぱり知っているのか知らないのかわからない。
「さぁ、折角ご用意が整っているのです。ご朝食は旦那様と取りましょう。ちょうど出来上がる頃ですよ」
穏やかな笑みをたたえたロイドについて、ラビは空腹をくすぐる匂いが漂ってくる食堂へと向かった。




