第三十三話 樹海の主の恵みと大祝宴の夜
黒き瘴気が嘘のように晴れ渡り、ヴェルデの樹海にはどこまでも澄み切った青空が広がっていた。
かつて死の灰に覆われていた大地からは、瑞々しい若草と色鮮やかな野花が一斉に芽吹き、梢の上では小鳥たちが生命の歓喜を歌い上げている。
神木の根元、かつて呪詛の祭壇だった場所の岩肌から、清らかな霊水が滝となって盆地の底へと注ぎ込んでいた。
水しぶきが朝日に照らされ、美しい七色の虹を描いている。
「きゅう~~っ!」
ハクはふかふかの若草の上をごろごろと転がり、手足を伸ばして全身で新しい森の空気を吸い込んでいた。
額の銀色の霊紋は優しく瞬き、母の無念を晴らした誇らしさと安心感で、金色の瞳を細めている。
「ふふ、ハクったら、すっかり野生を忘れちゃって」
アリアが包帯を巻いた右腕をさすりながら、柔らかく目を細めた。
決戦飯の驚異的な治癒促進バフのおかげで、脱臼した関節は綺麗に嵌まり、内出血の痛みもあらかた引いている。
「怪我、もう大丈夫そう?」
「ええ、信じられない回復力よ。リュートのご飯がなかったら、今頃腕が折れたまま寝込んでたわ。……それより、リュート! あそこ、見て!」
アリアが指差した先――完全に再生を果たした巨大な神木の幹の根元に、黄金の柔らかな光を放つ『何か』が実っていた。
駆け寄ってみると、それは大人の両手ほどの大きさがある、透き通った黄金の果実だった。
表面からは、蜂蜜と芳醇なワインを煮詰めたような、甘美で気品ある香りがふわりと漂っている。
――スキル発動:【至高の食卓】。
――素材看破:世界樹の雫実(しずくみ / 神級霊果)。
――品質:神話級(森の主の浄化に伴う奇跡の恵み)。
――特性:極上の糖度と滋養、万病を癒やす霊力を内包。
――食卓適性:至高(生食、ソース、煮込み、デザートの全てにおいて次元の違う美味を約束)。
「……世界樹の、雫実……!?」
僕が震える手でその果実を抱え上げると、手のひらにずっしりとした重みと温もりが伝わってきた。
「アリア、ハク! これ、森の主が浄化されたことで生まれた、神話級の果実だよ! これを使って、拠点でお祝いのご馳走を作ろう!」
「やったぁぁぁっ!!」
「きゅうぅぅっ!!」
二人と一匹は手を取り合い、新緑の木漏れ日が降り注ぐ小道を駆け抜けて、僕たちの愛しい我が家――岩棚の丸太小屋へと帰還した。
小屋の前に着くと、脇の湧水池は底の白砂までくっきりと見えるほどに澄み渡り、以前よりも遥かに甘美で清浄な霊水を滾々と湧き出させていた。
もう、毒水に怯える必要はない。
「よし……樹海で一番贅沢な大祝宴の始まりだ!」
腕まくりをして台所に立つ。
今日のメインは、ダグラスさんから手に入れた厚底鉄鍋と王都の白岩塩、そしてこの『世界樹の雫実』を使った至高のフルコースだ。
まずは、湧き出たばかりの清浄な霊水で、乾燥保存しておいた森キジの骨と野生姜をじっくり煮込み、透き通った黄金のスープを取る。
そこに、世界樹の雫実の果肉をスプーンですくい落とすと、スープ全体が淡い桜色に染まり、極上のポタージュへと昇華した。
メインディッシュは、保存食としてオイル漬けにしておいた鎧猪の最高級フィレ肉。
熱した鉄フライパンに油椰子のオイルを注ぎ、表面をカリッと香ばしく焼き上げる。
仕上げに、雫実の果汁と木漏れ日葡萄のエキス、白岩塩をひと煮立ちさせた『黄金の果実グレービーソース』を一気に回しかけた。
ジュワァァァァッ……!!
小屋の中どころか、テラスの外まで満たしていく暴力的なまでの香気。
果実の濃厚な甘みと、肉の香ばしい脂、そして霊水が引き出した素材の純粋な旨味が混ざり合い、もはや神話の宴の匂いそのものだった。
「できたよ! 『世界樹の雫実と極上肉の祝宴フルコース』だ!」
木皿に並べられた料理は、黄金の湯気を立ち上らせて輝いていた。
「いただきまーーすっ!」
アリアが両手を合わせ、待ちきれない様子で肉を口へと運んだ。
サクッ、ジュワッ。
「…………っっっ!!!!」
アリアの琥珀色の瞳がこぼれ落ちそうなくらい見開かれ、全身がカッと熱を帯びて赤く染まった。
モグ、モグと咀嚼するたびに、その顔がとろけそうな至福に緩んでいく。
「……んぐっ、……な、なんなのよこれぇっ……!?」
ゴクリと飲み込んだアリアは、木皿を抱きしめて涙ぐみながら叫んだ。
「お肉が……舌の上でふわっと消えたわよ!? 甘い果実のソースが肉汁と溶け合って、噛むたびに全身の毛穴から幸せが吹き出してくるみたい……! さっきまでの激闘の疲れが、スープを一口飲んだだけで全部消え去っていくわ……!」
――スキル発動:【至高の食卓】。
――付与効果:
・全身完全超回復(肉体疲労・魔力損耗・古傷の完全治癒)
・基礎ステータス永久微増(全能力+5%の恒久ボーナス)
・霊獣親和の極致(ハクとの魔力リンク深化)
・精神の絶対安寧と幸福感
「きゅうっ! きゅうぅ~~っ!」
細かく刻んだ肉と雫実のピュレを混ぜた特製ボウルに顔を突っ込み、ハクも夢中で舌を動かしていた。
あっという間にピカピカに舐め尽くし、お腹をぽんぽんに膨らませて僕の膝の上へコテンと倒れ込んでくる。満足そうにゴロゴロと喉を鳴らす重みが、愛しくてたまらない。
大皿のご馳走をすべて平らげ、夜風が吹き抜けるテラスの丸太椅子に腰掛ける。
見上げる夜空には、満天の星々と、清らかに光を放つ世界樹の梢。
「……ねえ、リュート」
アリアが温かいハーブティーの木製マグカップを両手で包みながら、ぽつりと呟いた。
ランタンの光に照らされた彼女の横顔は、いつになく穏やかだった。
「ん? どうしたの?」
「大聖堂を飛び出した日……私、不安じゃなかったって言ったら嘘になるわ。平民の私が騎士団を蹴って、あんたを連れて樹海に来て、本当にやっていけるのかなって」
アリアはマグカップを置き、そっと僕の手の上に、自分の温かい手を重ねてきた。
指先を絡めるように、ぎゅっと握りしめてくる。
「でもね、今は世界中の誰よりも幸せよ。……あんたのこの食卓があれば、私たちはどこでだって生きていける。何があっても、ずっとずっと、この場所を守りたいわ」
「……うん。僕もだよ、アリア」
僕が答えると、アリアは八重歯を覗かせて愛らしそうに笑い、僕の肩にコテンと頭を預けてきた。
膝の上ではハクが静かな寝息を立て、二人の温もりが夜の静寂を満たしていく。
過酷な戦いを乗り越え、僕たちはついに、この樹海の真の守護者となったのだ。
(第34話へ続く)




