第十八話 温かな鍋料理ともてなしの食卓
夕闇が木々の隙間をすっかり覆い尽くす頃、僕たちは煙突から細い煙の立つ丸太小屋へと辿り着いた。
張り出した一枚岩の下、苔と泥で隙間なく組まれた丸太の防壁と頑丈な木の扉を目にしたダグラスは、息を呑んで目を丸くした。
「こ、これは驚いた……。こんな樹海の奥深くに、これほど立派な隠れ家を造り上げていたとは……!」
「頑丈でしょ! 私の自慢の砦よ!」
アリアが得意げに胸を張り、閂を外して扉を開ける。
気絶していた護衛の青年を毛布の上に横たえ、呼吸と脈拍を確認する。
鎧猪に吹き飛ばされた際の打撲と激しい疲労はあるものの、骨折や内臓の破裂といった致命傷は免れているようだった。
「ふぅ……ひとまず命に別状はなさそうだよ」
「おお……そうか、よかった……! 彼が死んでしまったら、儂は一生悔やむところじゃった……」
ダグラスは土間の丸太椅子にへたり込み、安堵の涙を流しながら何度も胸を撫で下ろした。
けれど、彼の顔色は極度の緊張と恐怖、そして長時間の空腹によって青白くやつれ果てている。
「おじさん、今すぐ温かいご飯を作るからね。少し待ってて」
「ご飯……? いやいや、儂らのためにそんな気を使わんでも……」
「いいから座ってて! リュートのご飯を食べれば、どんな疲れも吹き飛ぶんだから!」
「きゅうっ!」
ハクも机の上から顔を出し、アリアの言葉に賛同するように短く鳴いた。
ダグラスは「なんと、白銀の狐……いや、霊獣の幼体かね……?」とハクの姿にも驚いていたが、僕が台所に立つと、その視線は手元へと釘付けになった。
僕が取り出したのは、先ほどアリアが仕留めた『鎧猪』の新鮮なバラ肉だ。
狩人の娘であるアリアが、馬車から小屋へ戻る途中で手早く一番良い部位を切り出し、血抜きを済ませてくれていた。
――スキル発動:【至高の食卓】。
視界に黄金の文字が浮かび上がる。
――素材看破:鎧猪の胸バラ肉(極上新鮮)。
――特性:強靭な筋肉と濃厚な脂身。煮込むことで極上のコラーゲンと滋養成分を抽出可能。
――適正調理:香草煮込み(ポトフ風)。打撲・筋損傷の修復促進。
僕は熱した鉄鍋に、昨日のうちに絞っておいた『油椰子』の黄金オイルをひと回し。
角切りにした鎧猪の肉を投入すると、ジュワァァァッ!と心地よい重低音が響き、脂の焦げる香ばしい匂いが立ち上る。
表面にこんがりと焼き色をつけたら、岩棚から汲んできたばかりの清浄な湧水をたっぷりと注ぎ入れた。
そこに、手帳に記したばかりの樹海の恵み――スライスカットした『ヴェルデ野生姜』、甘みのある『木漏れ日葡萄』の乾燥果皮、そして臭みを消す乾燥香草を惜しみなく放り込む。
昨日仕込んでおいたヤマメの『燻製魚の粗粉』を隠し味としてひとつまみ。
蓋をして、薪の炎でじっくりと煮立たせる。
十分も経たないうちに――。
鍋の隙間から噴き出してきた湯気は、小屋の中だけでなく、外の寒気すら忘れさせるような圧倒的な香気を放ち始めた。
「――っ!? な、なんじゃこの匂いは……!?」
疲弊してうなだれていたダグラスが、弾かれたように顔を上げた。
脂の濃厚な甘みと、野生姜の清々しい柑橘香。そして燻製の奥深い薫香が一体となった香りは、王都の最高級亭で出される宮廷料理すら凌駕するほどだった。
「できたよ。『鎧猪と樹海香草の滋養ポトフ』だ!」
深めの木皿に、黄金色に澄んだ熱々のスープと、ホロホロに煮崩れそうな肉塊を盛り付ける。
ダグラスの前へ差し出すと、彼は震える手で木匙を握りしめた。
「い、いただきます……」
息を吹きかけ、恐る恐る黄金のスープをひと口啜る。
ゴクリ、と喉を鳴らした瞬間――ダグラスの丸い目が、限界まで見開かれた。
「――ッッ!? な、なんじゃあぁぁっ……これは……!?」
ダグラスは木匙を取り落としそうになりながら叫んだ。
「鎧猪の肉といえば、硬くて野性臭く、煮込んでも筋が残る下級の肉のはず……! それが、なぜこんなにも柔らかく舌の上で解けるのじゃ!? スープに溶け出した脂の甘み、野草の爽やかさ……喉を通った瞬間、胃袋の底から熱い奔流が全身へ駆け巡っていく……!」
――スキル発動:【至高の食卓】。
――付与効果:
・生体活力の急速充填(中)
・精神疲労・ショック症状の緩和(大)
・筋組織の自然治癒促進(微増)
・血行促進・耐寒性上昇
ダグラスはもう止まらなかった。
我を忘れたように木匙を動かし、熱々のスープととろける肉を次々と口へと運ぶ。
みるみるうちにその青白かった顔に健康的な赤みが差し、額にはじんわりと心地よい汗が滲み始めていた。
「う、美味い……美味すぎる……! 生き返るようじゃ……いや、骨の髄まで力が満ち溢れてくる……!」
「……ん……うぅ……」
その時、毛布の上で倒れていた護衛の青年が、微かに呻き声を上げて身を起こした。
「……ここは……? 俺は……」
「おお、気がついたか! おい、これを飲むんじゃ! この坊やの作った奇跡のスープを!」
ダグラスに促され、青年も差し出された木皿のスープを一口、二口と口に運んだ。
すると、打撲で重そうだった青年の呼吸がみるみるうちに整い、濁っていた瞳に力強い光が戻っていく。
「な、なんだこれ……身体が……痛みが引いて、軽くなっていく……?」
二人揃って呆然と木皿を見つめ、それから信じられないものを見るような眼差しで僕を見上げた。
「ぼ、坊や……お前さん、一体何者なんじゃ……? この料理、ただの美味い飯ではないぞ。最高級の滋養魔薬ですら、こんなに優しく身体を癒やし、力を満たすことなどできん……!」
王都の大聖堂で「無価値の飯炊き」と嘲笑された僕のスキルが、いま、酸いも甘いも噛み分けた百戦錬磨の商人を芯から打ちのめしていた。
(第19話へ続く)




