第2話『大聖者シエル』
『大聖者シエル』は神の子——どんな穢れも浄化して下さる慈愛の子。死に抱きしめられた者にも手を差し伸べて下さる救済の子。それが巷で吟遊詩人達が唄う『大聖者シエル』の詩だった。
その当人であるシャーリーは途方に暮れていた。
突然押し入って来た国王軍の二人を、まだ子供が寝ているからと何とか押し返し、ペタリと床に座り込んだままシャーリーはため息をついた。何もずっとこの生活が続くと思っていた訳では無いが、こうも突然 目の前に突きつけられると心は酷く揺れた。
本来であれば、人々の為に穢れを浄化し、金品も受け取らぬとなれば、それは聖者と称えられる崇高な行いであろう。国王の耳に噂が入るのも時間の問題で、そうなれば「ひと目、観てみよう」と思うのも理解出来る。更に利用価値が有るとするなら、何がなんでも引っ張って来いと言われるだろう。国王に謁見し、褒美を貰い、国の人々の為に働く、それは一見するととても素晴らしい栄誉に映る。これまでにも長い歴史の中、そうした『大聖者』は数多くいた。その者達が全て不幸になったとは言わない。いや、それどころか、今よりも良い生活が出来るだろう。もう雨風に身を晒す事も、着るものに困る事も無くなる。
それでも、シャーリーは国王に謁見する訳には行かなかった。何故なら王都の門にはそこを通る人間を丸裸にしてしまう装置があるからだ。何も文字通り裸にされる訳では無い。巨大な門のセキュリティで、両手を機器にかざすと名前や年齢、髪・肌・目の色や身長体重、出身地、持っているスキルや属性までデータに登録されると云う、とんでもない装置があるのだ。これは他国のスパイを警戒してというのもあるが、その多くは”魔人”を見つけ出す為のものである。
魔人とは、魔素の濃い土地で産まれた人間が、少しづつ耐性を身につけた結果である。彼等は見た目こそ人とそう変わらないが、抜群の身体能力を持っており、人を襲う事もある。食べる為では無いが(中には食人鬼もいるが)魔素に侵された土地ではあまり状態の良い作物は取れ無いため、土地を奪うのだ。これが人と魔人に軋轢をもらたしている。敵対していると思ってもらっても良い。
彼等を見分ける特徴のひとつとして、頭部に角が生えている事が挙げられる。しかしこれはフードなどをかぶってしまえば分からないし、位置や大きさも個体差がある為、簡単に見分けがつくものでも無い。角の数が多く、より大きなものを持つ者は、比例して体も鋼のようになるという研究結果もある。魔人が王都へ侵入しないように、こうして門で炙り出すのだ。
シャーリーはまたため息をついた。国王に謁見するならば、必ず門を通らねばなるまい。しかしそうなれば、シャーリーは『大聖者』から『大罪人』に変わってしまう。そもそもシャーリーは、『大聖者』になど成るつもりは無かった。母と死に別れ、ひとりぼっちになったあの日から、ただただ、静かに暮らしたいだけだった。始めは魔素に侵された土地の草を食べて暮らしていた。しかし含まれる魔素の量は微量で、お腹いっぱいにするには一日中食べて居るしかない。そんなに食べていたら辺りは地面むき出しの荒地になってしまう。
そう、シャーリーは人では無かった。
母は人だったので、魔人とのハーフという事になるだろう。父の影響なのか、母から受け継いだのか、それともシャーリーのみの特性なのか、それは分からないが、シャーリーは魔素を「食事」としている。魔素を吸い上げた食物での料理も勿論、食べる事はあるが、あまりにも保有している魔素の量が少ない為、意味は無い。
そこで目をつけたのは、魔素によって穢れた人々だ。彼等の纏う魔素は食物から摂取するよりもよっぽど多くの魔素を持っていて、ひとりの穢れでお腹いっぱいになる事は無いが、数をこなせば飢える事は無くなる。穢れた人々からすれば、死から救ってくれる聖者に見えるのは当然といえよう。まさか「食事」にされているだなんて思いもよらない。
最初はそのまま、人々から穢れを吸い上げ消化していたシャーリーだったが、我も我もと現れる穢れた人間に対して、「もうお腹いっぱいなんで」と断る訳にもいかず、一旦、吸い上げた穢れを固める事にした。最初こそ上手くいかなかったが、すぐに黒曜石のような塊を作り出す事に成功した。それを麻袋にしまっておけば、穢れた人間が見つからなくともその黒石で「食事」をする事が出来る。ひとつの町に腰を据え、寄ってくる穢れ人を浄化して過ごす。季節を跨ぐ頃には穢れ人は居なくなり、惜しまれながらシャーリーは穢れた人間を求めて土地を点々とした。助けられた人々はシャーリーに対価を渡そうとしたが、シャーリーの方では食事をさせてもらった上に金まで貰うのは気が引けて、いつも辞退していた。旅は自分ひとりの気ままなものであるし、着の身着のままでも一向に構わなかったからだ。しかしそれがかえって、『大聖者』の名を欲しいままにしてしまった。
「…私も、他の方々のように、対価を求めるべきだったのかな…」
呆けたまま、独り言が口から零れる。その声でなのか腹が空いたからなのか、モゾリとベッドの上の毛布が動いた。
「…んん、しえる?」
薄い毛布から顔を出して、三歳くらいの子供が口を開く。まだ眠そうに目を擦っている。
「あ…ごめん、ミント…起こしちゃったかな…」
ミントと呼ばれた子供はプルプルと頭を振って、両手をシャーリーに差し出した。
「しえる、ミントの事 だっこしなさい?」
「ふふ…はいはい、おいで」
可愛い顔から舌足らずな命令をされて、シャーリーは頬を緩めてミントを抱きしめた。ミントは キャッキャと喜んでいる。ミント——この子供と出逢ったのは一年前の事だった。例のごとく穢れた人間を求めて彷徨ううち、ミント畑かと思うほど沢山咲いている野原に、彼は蹲っていた。名前を聞いても親は何処かと聞いても、「わからない」を繰り返す子供を、そのままにして置く事も出来ず、結局、長く悩んだ末、自立出来る歳になるまでは…と、手元で育てる事にした。
「しえる、ミント、お腹がすかすか」
さっきまで楽しそうにはしゃいでいたのに、ウルウルと瞳を潤ませてミントは空腹を訴えた。
「そう、どうする?食事にする?」
「ん!ごはん、食べさせなさい!」
シャーリーが聞くとミントは食事の方を選んだ為、身支度を整えてやってから食堂のある下の階へ降りて行った。
この安宿は二階建てで、値段の割に清潔で部屋数も多く、一階には食堂や風呂場もあった。壁の薄さや建物の古さは否めないが、充分に快適に過ごさせて貰っている。食堂に入ると、早くも起き出していた他の客に混じって、先程追い出した国王軍の武人 二人も食事をしている所だった。ロバートと名乗った壮年の男性がシャーリーに気づいて片手を挙げたので、仕方なくシャーリーはミントを抱いたまま二人の側へ歩いて行った。
「おはよう、僕ちゃん。名前は何か聞いてもいいかな?オジサンはロバートだ。」
四人がけのテーブルに向かい合って座っていたロバートは、シルヴァの隣の席へ移動しながら、シャーリーが抱いている子供ミントに話しかけた。
「ほら、ミント。お返事出来るかな?」
隣の席に降ろしながらシャーリーが促すと、ジロジロと二人を見ていたミントは、パッと笑顔になる。
「おはよ!ろー、ミントはね、ミントだよ!」
と答えた。ロバートはその答えに微笑み、シルヴァは眉間に皺を寄せた。
「ミントくん、こっちの黒くてデカイのはシルヴァだ。宜しくな。」
「しる…?ふぅん。」
ミントは人見知りしない子だが、シルヴァがニコリともしないせいか、珍しく反応が鈍い。
「すみません、まだ起きたばかりで…」
慌ててシャーリーがそう謝ると「いやいや、悪いのはこの無愛想でしょ!」とロバートがとりなしてくれた。その後、女将さんが慣れた様子で二人の食事を運んで来てくれたが、その量を見てシルヴァだけでなく、ロバートまで怪訝な顔になった。
「それ…前菜ってわけじゃ無いですよね…?」
子供の分、としてならこんなもんなのか、武人は普通の人間よりも良く食べる奴が多いが、その中でもこの二人は群を抜いて良く食べる為、判断がつかない。ミントの前に置かれたトレーには具だくさんのスープに白パンひとつ、それにカットされたリンゴが一個分。そして、シャーリーの前に置かれたトレーにはスープだけだったのだ。
「ええ、ミントは食べムラがあって、一度に全部食べない事もあるので…」
「だからアンタはスープだけか?仮にコイツが食べ残したとしても、たいした腹の足しにもならんだろう?」
元から無愛想だが、シルヴァの眉間には深い皺がよっている。二人揃って怪訝な顔をしているので、シャーリーは焦った。シャーリーはこうした料理では食事にならない。穢れの対価を受け取って居ないが、中には感謝の印だと言って金貨を渡してくる人もいる。だからと言って手持ちがそれ程沢山ある訳でもないし、食事はお金の無駄にしかならないが、まるで食べないのも周囲の視線が気になり、こうして最小限に済ませる事にしていた。
「アンタは…」
シルヴァの目つきがキツくなり、ロバートの目頭には涙が滲む。
「シエル様、貴方は本当に聖者なのですね…」
何だか盛大に勘違いされているようだが、その誤解を解く訳にもいかず、曖昧に微笑むしか無かった。それをどう受け取ったのか、シルヴァは無言で自分の骨付き肉が載った皿を、ドンッとシャーリーの前に置いた。
「えっ…いやあの…コレ」
「食え」
戸惑うシャーリーにシルヴァはひと言そう言うと、サッと席を立ち、食堂を出て行ってしまった。
「えっ…ええ〜……」
どうして良いか分からずに辺りをキョロキョロするシャーリーに、ロバートが殊更 優しい声を出す。
「食べて下さい。小さいお子さんを抱えての旅は、いくら『大聖者様』でも…いや、貴方は対価を受け取らないんでしたね。それなら一層の事、大変でしょう。これからは我等がおりますから、食事の心配は要りませんよ。」
ニコニコとそう言われてしまい、「別にお金が無いから食べれないわけじゃないんです!意味が無いからなんですよ!」と言える訳もなく、シャーリーは「お世話になります…ハハハ…」とまた、曖昧に微笑む事しか出来なかった。
そんな大人達のやり取りなど 何処吹く風で、ミントは口元を汚しながら、楽しそうにスープを頬張っていた。




