第1話『出逢い』
出逢い
それは暑かった日々がようやく落ち着き、世界が真っ白に変えられてしまう前の ひと時の間。
珍しく夜半から降り出した雨は、陽が出る時刻を迎えても止む様子はなく、それどころか深夜の闇を未だ纏い、風と雨が吹き荒れ 安宿の窓ガラスを激しく打ち鳴らしていた。
シャーリー・テンプル。彼は近頃、行く先々の町で『聖者』として迎えられる事が多くなっていた。しかしそれは彼にとって喜ばしい事ではなかった。町から町へと彷徨う旅人なれば、名が広まっていた方が便利な事の方が多い、しかし ただただ、ひっそりと 人目に晒されずに暮らしたいシャーリーにとっては、評判が広がり人々から救いを求める声が彼に集まり、やがて国王の目に止まった結果 王宮付きになってしまう程、怖い事は無かった。彼以外の人間であれば、その出世は喉から手が出るほど欲しい栄誉であろうが。
『評判』——それはこの世界に蔓延る『穢れ』と呼ばれる魔素を、祓える能力ゆえの事だった。
この世界はずいぶん昔から魔力の素である魔素に侵食されて来た。一部、濃い地域には魔素に耐えうるべく進化を遂げた魔人と呼ばれる元人間や、魔獣と呼ばれる元獣も存在しているが、大体の人間は魔素を浴び続けると生命力を削られてしまい やがて死に絶える。大地を切り分け土地の権利を主張する人間の長である王家は、各地域に教会を建て そこへ魔素による穢れを浄化出来る者を置いた。これにより人々の生存率は上がったが、穢れを浄化出来る者「聖者」は高い教育と適性がないとなれない為、その数は依然として少なく、更に「詐欺師」も増え続けている為、人々の生活は苦しいものだった。基本的に教会付きの聖者も、詐欺師も浄化の代わりに金品を請求する。(特に詐欺師の要求する金額は高いので、引っかかる者は少ないが)国王主導と云っても慈善事業では無いのだ。勿論、ある程度は支給金が各地域の教会に配られるが、新しい教会が増えれば増える程、その金額は減っていく。教会の存続、食料調達の為 聖者達は穢れを祓う代わりに金品を要求する。その為、魔素の濃い地域に燐している町や村は、聖者に浄化代が払えず、その一生を儚く終える者も少なくない。
そんな中——、シャーリーだけは金品を要求せず、ひたすらに人々の穢れを祓っていた。これだけ聞けば確かに人々から崇められ、『大聖者』と呼ばれる事にも納得が行くだろう。しかし……。
コンコン。
この町に居着いて二週間、明日にでもそろそろ次の町へと移動しようと考えていたシャーリーの安宿のドアを叩く音が響いた。辺りはまだ暗かったが、既に身支度を整え机に向かっていたシャーリーの体がビクリと震える。こんな天気…それにこんな時分になんだろう?シャーリーは立ち上がり、ドアまでソッと近づいた。硬いベッドの上にはまだ子供が毛布にくるまって眠っている。
「…はい。なんでしょうか?」
声を落として問いかけると、向こうも声を落としてこう返して来た。
「…聖者様、申し訳ありません。どうしても貴方様にお目通り叶いたいと申される方がおりまして…、夜も明けきぬうちから、とお断りしたんですが、どうにも…」
宿屋の主人の声だった。誰ぞ、ここまで噂を聞き、シャーリーを頼って朝も夜もなくやって来たのだろう。主人の言葉に幾らか安堵し、シャーリーはドアを開けた。安宿のドアには簡単な掛けがねがあるだけで鍵穴は無い。体当たりすれば簡単に開くようなドアだが、あるだけマシではあった。しかしシャーリーはドアを開けた瞬間、酷く後悔した。申し訳なさそうな宿の主人の後ろには、国軍のマントを羽織った二人の武人が控えていたのだから。
せめて昨日のうちにここを発っていたら——そんな詮無き事を考えて無言になってしまったシャーリーに、仕切りに謝る主人を押し退けて若そうな武人が進み出て来る。これまで声を出さなかったのは、素直にドアを開けさせる為だろう。
「貴方が『大聖者シエル』か?」
大柄な若者はドア枠よりも背が高く、潜るようにしてシャーリーの部屋へ押し入った。シャーリーも背は高い方だが、そのシャーリーよりも頭ひとつ分高い。おそらく百九十を超えているのだろう。彼がドア前に立つだけで、どこへも逃げられない気がして来る。迫力に呑まれ、シャーリーが僅かに後づさった時、若者の後ろから壮年の男の声がした。もう一人いた武人だろう。
「おい、シルヴァ。相手は仮にも聖者様だぞ、そんな脅しつけるような声音はよせよ。怯えてるじゃあないか。」
黒髪に黒い瞳の若者の後ろから、柔らかい茶色の髪を短く刈り上げた赤い瞳の武人が、無礼を窘めるように入って来た。
「『聖者シエル様』、私はロバート・バーンズ。この若いのはシルヴァ・ブレッドと申します。この度の突然の訪問をお許し下さい。我々は、国王ゴールデン・ドリームの命令により貴方様を王宮へお連れする為に馳せ参じました。」
右手を心臓の位置に当て深く腰を折った礼で、ロバートが宣言する。シャーリーは、ああやっぱり…と、恐れていた事が現実になってしまったと深く落ち込んでいた。しかし目の前の屈強な二人の武人の隙を着き、駆け出す事は出来ない。何故ならまだ子共がベッドで丸くなっているからだ。いや、子供の支度が全て済んで居たとしても、この二人から逃れる事は出来ないだろう。たった一歩で、捕えられる気すらする。そもそもこの武人達は、大聖者であるシャーリーが逃げるなどとは思って居ないだろう。国王からの招集は類い稀な栄誉であるし、少しでも王都に近付こうとするのが人の世の常であるからだ。
「あの…国王様のご命令と言うのは…」
「絶対、です。」
おどおどと口を開いたシャーリーに、叩きつけるようにシルヴァが言う。ああ、やっぱり…と、また思って、それでもシャーリーは口を開く。
「でも…、私が貴方がたの探して居られる『聖者』とは違うかも知れませんでしょう?」
「………」
「…失礼ですが、貴方の名前は?」
黙ってしまったシルヴァの代わりに横からロバートがシャーリーに聞く。
「…シャーリー …シャーリー・テンプルと申します。」
言いにくそうにシャーリーが言うと、顔を緩めてロバートが頷く。
「ああ、なら『大聖者シエル様』で間違いありませんね。」
シエルは、シャーリーの愛称である。その名が大聖者に着いて回っている時点で、逃げられるはずも無いのだが、それでもシャーリーは言い募る。
「しかし、シエルを名乗る方は大勢いますし…」
確かに『大聖者シエル』の名が広まると同時に、詐欺師達もその名を使って商売をしようとしていた。だが、実際のシャーリーは金品を要求しない為、その嘘は直ぐにバレ、逆に商売をしずらくさせる事になった為、詐欺師の間では禁忌の名となっている。
「「『大聖者シエル』は子供連れ」だと云う事も一致しているな。」
腕組みをしたシルヴァがその漆黒のような瞳を、未だベッドでスヤスヤ眠る子供に移してそう断言した。
「………」
そこを言われてしまっては黙るしかなく、シャーリーは力なく下を向いた。
「シエル様、我々は罪人を捉えに来た訳ではありません。この国に尽くして下さっている尊きお方に ひと言、礼を申したい国王に変わって、こうして長い旅を続けて来たのです。」
「なら、そのお心はしかとお受け致しました。どうぞ、私の事はお気になさらずに…」
「そう言う訳にはいかない。貴方を連れて帰るのが我々の使命だ。」
ロバートの優しい言葉を受けて、シャーリーがそう返すと、またシルヴァが叩きつけるように断言する。
「……!」
「こら、シルヴァ…ッ」
ビクリと軽く飛び上がってしまったシャーリーを気にするでも無く、目の前のシルヴァは依然として無表情だった。シルヴァを窘めるロバートの声にも眉毛ひとつ動かさない。
「すみません、シエル様。コイツは下町育ちで礼儀に疎いところがありまして…悪気は無いんです、許してやって下さい。」
「あの…今すぐに王都へ向けて旅立たねばなりませんか?…この国には、まだまだ助けを必要としている人が多く…」
優しそうなロバートなら、何とか言いくるめられないかと、シャーリーが ヨヨヨ、と撓垂れ掛かるが、ロバートは見た目ほど優しい訳でもないようだった。
「勿論、『大聖者様』にはこれからもたくさん、助けて頂かねばなりません。それにはまず、王宮へ渡り然るべき約束を交わして頂きませんと。」
ニッコリ笑いながら、とても褒美を受ける者に対する言葉ではないような事を言う。青ざめるシャーリーに、今度はシルヴァが口を開いた。
「…大聖者が望むなら、いくらでも寄り道をする事は出来る。」
「…えっ…」
「おい!シルヴァ…?」
戸惑うシャーリーがシルヴァに目線を戻すと、シルヴァはひとつ大きく頷く。
「…証明して見せればいい。貴方が本物なら」
冷酷に響くその言葉に、シャーリーは心から喜びに震えた。彼は、シルヴァは、シャーリーが本物であるか疑っているのだ。これまでの旅でも、何人もの偽物と相対して来た。その度に失望し、詐欺師を王宮の牢屋へ送り込んで来たのだ。今回の、目の前にいる美しい男が詐欺師でないと、どうして断言出来る?だからこそ、シルヴァは「聖者の仕事」を確認する必要がある。
「おい、シルヴァ…。国王様から早く連れて来いって言われてるだろう。」
ヤレヤレと、ロバートが叱るのにシルヴァは全くこたえて居ない。
「そうやって何人も連れ帰っただろう?そんな事ばかりしていたら、王宮の牢屋があっという間にいっぱいになっちまうだろ、師匠。」
どうやらこの二人は師弟関係らしい。それにしては言う事に従う様子は無いが。
「…はぁ、分かったよ。またあの距離を戻るのも体に堪えるしなぁ、ヤレヤレ歳はとりたくないもんだ。…シエル様、そう言う訳ですので…そうですね、寄り道をして下さっても構いませんよ。」
ウィンクしてそういうロバートに、シャーリーは安堵の息をもらし、礼を言った。
これまでの旅でも、彼らをひと目観て逃げ出そうとする者も、早く一緒に王宮へ連れて行ってくれと言う者も、多く居た。どちらにせよ、偽物ならば その仮面は直ぐに剥がされる事になる。まあ、急ぐ事もないか、と既に国軍を退役した元大団長は軽いため息と共に肩を回した。
こうして、長い旅の幕が上がった。




