フロンティア子爵領の話
帝国に避難したアリッサはそのままシーグラス家でお世話になっていた。
孫娘に理不尽な真似を強いたあの国へはもう返さないとシーグラス翁は息巻いており、アリッサもそれに甘えさせてもらうことにした。
「お前の母国からの謝罪を受け入れる代わりに、フロンティア子爵領を帝国の領土として貰うことが決まった」
麗らかな午後、陽当たりのいいサロンでアリッサは祖父と共にお茶を楽しんでいる時だった。母国の顛末を語られたのは。
「我が家の領地を帝国の領土に? それは何か帝国に得があるのですか?」
「もちろんだ。これでやっとあの港を好きに使えるからな」
実家の領地には帝国との貿易の為の港があるが、特段栄えているというわけでもない。というのもあの港は帝国からワインと嗜好品を少々仕入れる為だけに造られた場所だから。
「あの場所は先王の代に開港したのだが、本来であればもっと栄えた港町にするはずだった。しかしあちらは予算が無いとかで結局僅かばかりの品を我が商会から輸入するだけの場所となってしまったのだ」
「ええ……? それだったら最初から開港なぞしなければよかったでしょうに」
「その通りだ。それでも細々と続けていたのは単に『帝国と取引がある』という実績を作りたいだけだったのかもしれぬ。それでその尻拭いをさせられたのがお前の父親だ」
「お父様が?」
「お前の父親はお人好しが過ぎるが頭は良い。利益が少ない割に仕事量は多いあの場所の業務をこなし、我が商会で雇っておる多国籍の船乗りの言語も扱える。能力だけを見れば中々に優れた人材だ。先王もそれを理解していたからこそ何だかんだと罪をでっちあげてヴィンセントをあの場所の責任者にさせたかったのだろう」
「なるほど……。お父様は能力が高かったせいで先王陛下に目をつけられてしまったのですね? 不思議だったのですよ、先王陛下は何故お父様に罪を擦り付けたかったのか……。そういう理由だったのですね」
「確証はないが、多分そうだろう」
能力はあるけれど世渡りが下手なうえに他人を信じやすい父は昔から貧乏くじを引きやすいようだ。腹の黒い狐狸ばかりが蔓延る貴族社会で父のような使い勝手のよいお人好しはすぐに目をつけられてしまうのだろう。つくづく、貴族家当主に向いていない人だ。
「皇帝陛下はフロンティア領を名前はそのままで爵位を伯爵にまで上げてくださるそうだ。勿論、次代からという条件付きだが……」
アリッサには年が一回り以上離れた弟がおり、当主の座が父から幼い弟に譲位されることが決まっていた。後見として母が就くので今後はシーグラス商会と連携してあの地を盛り上げていくことだろう。
ちなみに父は首の皮一枚で離婚は免れた。
今後一切母の意向に反抗しないことを条件に出され、父はそれを喜んで受け入れたようだ。そんなに母のことが好きなのかと呆れてしまう。
「それと、お前が無理やり婚約させられそうになったあの碌でもない男……事件の全責任を取る形で死刑となったそうだ」
「そうですか……。そうなるだろうとは思いましたが、後味が悪いです」
「……後悔しているのか?」
「ええ、少しだけ……。ですが後悔はしておりません。もしあの状況を放置していたら国内外問わず再び薬物中毒者が蔓延してしまう可能性が高い。しかも我が国でその原材料が栽培されていたと他国に知られたら戦は免れないでしょう。罪なき民の血が流れることは断じて許されません。民を守ることが貴族としての務めですから」
自分が原因でバーティ侯爵を死なせてしまったことに罪悪感が無いといえば嘘になる。だが、あの状況を見ない振りをして放置すれば過去にあったように国内外へと薬物が蔓延してしまう恐れがある。そうなれば原因を作った母国は他国の怒りを買い、そのまま戦に発展する可能性がある。アリッサはどうしてもそれを避けたくて祖父を通じて国王へとバーティ侯爵領の現状を伝えてもらったのだ。
「うむ、流石だアリッサ。つまらない感傷に浸らず、己の選択を悔やまない。その潔さこそ上に立つ者として必要な気質よ。お前ならばこの先どのような立場になっても大丈夫だろう。儂はお前を誇りに思う」
「お祖父様、お褒めいただき大変ありがたく存じますが……どのような立場も何も、私は伯爵夫人となるだけですよ?」
祖父の含みのある言葉をアリッサは静かに否定した。
自分は伯爵夫人以外の何者にもならないと。
あれから晴れてノアと正式に婚約を交わしたアリッサは、近いうちに臣籍降下した彼の妻となり伯爵夫人となる。しかし、今の祖父の言い方だと、まるでアリッサが伯爵夫人より上の存在になることを暗示しているようだった。
「それより、領民たちはいったい何処に行ってしまったのでしょうね……」
「ああ、忽然と消えてしまったバーティ侯爵領の民のことか? それなら既に調べがついている」
「え!? 調べてくださったのですか?」
「どうにも気になってな。探ってみたらバーティ侯爵領から移住してきたという一家が見つかった。彼等に直接聞いてみたところ、どうやら領民たちは異国の民にあの土地を売ったようだ。そしてその金で各々が故郷を捨てて別の場所に移り住んだらしい」
「え? 土地を売った……?」
領民達のとんでもない行動にアリッサは驚いて目を丸くした。
彼等はそこに住む権利を有してはいるがあくまで管理者は領主であるバーティ侯爵だ。土地を売買する権利などないし、何より領民が領主に黙ってそんなことをするなど聞いたこともない。
「あの侯爵、領民からの陳情を全て無視していたようだぞ。どうやら領地は日照りと水不足で作物が育たず領民は餓死寸前だったそうだ。それを領主に訴えても何もしてくれない。そこに都合よくあの異国の民達が現れて土地の売買を申し出たらしい」
「そんなことが……。多分、侯爵様はそういうことがあったことも知らないと思いますよ。知らないというより知ろうとしないですね。成程、苦しい時に何もしてくれない領主の元に居たらいつ死んでもおかしくないですからね。故郷よりも自分や家族の命を取ることは当然です。そういった経緯があったのですか……」
まさか領民が故郷を売って何処かへ移り住むとは考えもしなかった。
てっきりあの異国の民達によって消されたのかと……。何にせよ無事でよかった。
しかしそんなに都合よく現れたということは、どこかであの領地は領主の目が届かない場所だという情報を耳にしたのかもしれない。監視の目が届かない場所はさぞかし都合がよかったのだろう。
「しかし……それを王家に知られたら元々の領民達も罰せられるかもしれません。大丈夫でしょうか?」
「あの国は領民の行方すら辿れなかったようだから大丈夫だろう。それに、次の王の選出や事件が国民の耳に入らぬように隠蔽工作する等忙しいようだ。領民の行方どころではないだろうよ」
「次の王の選出ですか……」
わざわざ『選出』という言葉を使うあたり王太子殿下が即位するわけではなさそうだ。可哀想だが彼の祖父も父も私欲の為にアリッサとフロンティア子爵に理不尽な真似を強いて、その結果国を混乱させた。二代に渡ってやらかした一族を玉座に就かせたくないと思うのは当然かもしれない。




