求婚を受けられない理由
アリッサの母メリッサはノアの母と義理の姉妹関係にある前に、友人関係でもあった。
そのためアリッサとノアは幼い頃交流する機会に恵まれ、自然と惹かれあうようになった。
皇子と子爵令嬢という身分差はあったものの、アリッサがシーグラス家の養女となって公爵令嬢の身分となれば問題は無い。ノアの父である皇帝もそれに賛成していた。
何の問題も無く二人の婚約は結ばれる。そう思っていたのだがそこに待ったをかけたのが、アリッサの伯父にあたるシーグラス家の現当主だった。
「アリッサがフロンティア子爵令嬢として嫁ぐ分には構わないが、シーグラス公爵令嬢としてノア殿下に嫁がせるわけにはいかない」
いくらノアが側妃の子であり第三皇子であろうと、シーグラス家が後ろ盾につけば帝位継承権を巡る争いが生じる可能性がある。現皇太子はノアの兄で皇后の子。しかも妻は公爵家出身と血筋も後ろ盾も申し分ない。だが、それでもシーグラス家はそれを凌駕するほどの影響力がある。そうなってくるとノアにその気がなくとも、彼の方が皇太子に相応しいと担ぎ上げる者は必ず出てくる。
シーグラス家の当主は姪であるアリッサを可愛がってはいるものの、流石に帝国を二分するような継承権争いを勃発させるわけにはいかないとアリッサを養女にすることは認めなかった。
ならばフロンティア子爵令嬢として嫁ぐとなると、圧倒的に身分が足りない。
ノアは将来的に皇子のまま皇宮に残るか、臣籍降下して大公位を得るかのどちらかを選択する。そのどちらを選んだとしても子爵令嬢のアリッサでは彼の妻となれない。皇子妃にしろ大公夫人にしろ最低でも侯爵家の家格が必要になってくる。
アリッサは幼いながらも物分かりのいい子だったので、ノアと婚約できない理由に納得して身を引いた。本当は泣き喚いてでも彼と一緒になりたかったが、そうしたところでどうしようもないうえに多方面に迷惑をかけてしまうと分かっていたから。
しかし、アリッサを諦めきれないノアは「ならば自分が子爵家に婿入りする」と言ってくれたがそれは丁重に断った。帝国の皇子が子爵家に婿入りするなんて体裁が悪い。何よりノアに何か瑕疵があるから子爵家に婿入りするのだろうと周囲に勘繰られかねない。彼が悪く言われるのだけは耐えられなかった。
そうして身を引いたアリッサはそれ以降帝国へ足を踏み入れることはなかった。
ノアにはその身分に相応しい令嬢と幸せになってもらいたいと願いつつも実際それを目にしたら胸が苦しくてたまらなくなるから。
もう会わない。そう決めていたはずなのに……彼がいると聞いただけでいてもたってもいられなかった。ただ、会いたい。それしか考えられなかった。
そうして久しぶりに会った彼はあの頃よりもずっと逞しく成長し、一目見ただけで胸の高鳴りが抑えられなかった。彼もまだ自分を想ってくれていたと聞き嬉しくてたまらなかった。
再び彼から求婚され、今度こそこの手を取りたいと願ってしまった。
だが、ギリギリ残った理性がそれを押しとどめる。
この人と自分では身分が違い過ぎると。
「……いけません、殿下。私と貴方では身分が違います」
「アリッサ、それは私も分かっているよ。そのせいで私達は婚約することが叶わなかったのだから。あれからずっと悔いてきた。どうして現状に抗おうとしなかったのか、君が身を引くことを大人しく受け入れてしまったのかと。駆け落ちしてでも君から離れるのではなかったと……ずっと悔やんできた」
「殿下……それは、現実的ではありませんわ」
駆け落ちしよう、とあの時差し伸べられた手をアリッサは取らなかった。
王侯貴族として生きてきた自分達が何もかもを捨てて生きていけるとは思えなかったから。
「そうだな……その通りだ。君は幼いながらもしっかり現実を見ていた。見ていなかったのは私の方だ。だから……今度こそきちんと君を迎えるための準備を済ませてきたよ」
「え? 殿下、それはどういう……」
迎えるための準備とはどういう意味かと聞き返そうとしたアリッサだったが、その時耳にけたたましく響いた馬の嘶きと蹄の音に驚き言葉を詰まらせた。
「何だ! 何があった?」
急に聞こえてきた大きな音にノアはアリッサを守るように抱き寄せた。
近くで雰囲気を壊さぬよう気配を消していた護衛騎士に何があったかを尋ねた時だった。馬に乗った大量の兵士がこちらへ押し寄せる様を視界にとらえたのは。
「殿下、お嬢様、お下がりください」
ただならぬ雰囲気に護衛騎士達がノアとアリッサを守る為前に出た。
二人を背に周囲を囲うように並び、腰から剣を抜く。
「あの旗印……どうやらこの国の王家のものですね」
こちらへやってくる兵士が掲げる旗を見て護衛騎士がそう告げた。
「王家の兵士……? ああ、もしやこの屋敷の主人を捕らえに来たのかもしれないな。アリッサ、危険だから私から離れないようにね」
「は、はい……畏まりました」
兵の大群が押し寄せようとアリッサ程の胆力の持ち主が怖いと思うはずもなかったのだが、お言葉に甘えてノアの胸に顔を埋めた。いくら豪胆で覇王めいた性質とはいえ恋する乙女に変わりはない。好きな人に触れられる機会があるのなら全力でそれに乗っかりたい。しかし、こうして幸福な時間に酔いしれている間にも兵の軍勢は段々とこちらに近づいてくる。
やがて兵士の大群が侯爵邸の門前に差し掛かかり、馬車が停車している場所の手前あたりで止まった。そして先頭にいた一際派手な鎧を身につけた兵士が馬上から降りてノア達の前までやってくる。
「我々は王国より派遣された兵士である。陛下の命を受け、この邸の家宅捜索に参った。全員その場で大人しくしろ」
。
横柄な態度にシーグラス家の護衛騎士達は眉根を寄せ、即座に「無礼者っ!!」と腹の底から叫んだ。
「痴れ者が! こちらにおわす御方を何と心得るか! 畏れ多くも帝国第三皇子ノア殿下にあらせられるぞ!」
「は…………? 帝国の皇子……?」
まさか帝国の皇子がいると予想をしていなかった兵士は予測不能の出来事に一瞬思考が停止し、唖然としてしまった。それに対しシーグラス家の騎士は「頭が高いぞ! 早う控えぬか!」と怒号を飛ばす。
ハッと我に返った兵士は慌ててその場に膝をついた。
「し、失礼致しました……!」
何故ここに帝国の皇子が? そう尋ねたかったが、大国の皇子相手にそのような質問は不敬にあたる。王の命令を受けて家宅捜索に来た兵士は自国の貴族相手になら多少の無礼は許されるが、流石に他国の皇族相手にそれは許されない。普通に処刑されてしまう。
「はあ……まったく騒々しい。家宅捜索したいのなら好きにしろ。ただし我らが去った後にな」
せっかくの求婚を邪魔され苛ついているノアが鬱陶しそうに吐き捨てた。
「は、はい……仰せの通りに!」
震えながら命令を承諾する兵士は、ふとノアの腕の中にいるアリッサへと目を向けた。
「あの……失礼ですがそちらにいらっしゃるご令嬢はもしやフロンティア子爵令嬢でしょうか?」
「……そうですけど、何か?」
尋ねられたので答えたアリッサだが、兵士は何故かバツが悪そうに目を逸らした。
「あの……実はフロンティア子爵令嬢を保護するように仰せつかっていまして……。大変申し訳ないのですが共に王宮に来ていただけないかと……」
「は? 勝手な命令でアリッサをこんな場所に送り込んでおいて今度は王宮に来いだと!? どこまでアリッサを見下すつもりだ! そんな命令になぞ従えるか!」
やっと会えた愛しい相手との再会をぶち壊す兵士の発言にノアは眉を吊り上げて激高した。国王の勝手でこんな場所に足を運ばせた挙句、今度は王宮まで連れていくなど勝手が過ぎる。
「ひいいい!? も、申し訳ございません……! ですが、わたくし共も陛下の命令には従わざるを得なく……」
「なら、帰って主君にこう言うことだな。『アリッサはこのまま帝国に連れて行く、文句があるなら皇宮まで直接来るがよい』と」
「皇宮に……!? わ、分かりました。そのように伝えておきます……!」
国王の命令に背くわけには……と思った兵士も帝国の皇子にそうまで言われては引き下がるしかなかった。皇宮まで来い、というのはつまるところ王家が皇家に文句を言いに行くという意味に繋がる。そんなことをすれば国際問題になることは明らかなので、ここは引くのが正解だと兵士は素直に従った。
「それと、其方達が道を塞いでいるせいで我等の馬車が通れないのだが?」
「ひっ!? 申し訳ございません! すぐに退かせます!」
慌て過ぎて足をもつれさせながら兵士は部下たちを退かせる為彼等がいる場所まで走っていった。ノアはそれを見ながら深いため息をつき、この国の王はつくづく無能だと呟く。
「我々がアリッサを迎えに行く旨は国王も聞いていたはずなのに、どうしてこう間が悪いことをするのか……」
「どうにも陛下は考えの足りない方のようですね。あの様子ですと兵士も殿下がこの邸に来ることを聞いていなかったようですし」
帝国の皇子がこの国に滞在し、バーティ侯爵家まで向かう旨は国王も聞いていたはずなのにどうして兵士をここへ派遣したのか。鉢合わせれば無礼に値すると分からないものだろうかと二人は不思議そうに顔を見合わせた。
「とりあえず、ここは騒がしい。続きは馬車の中で話そうか」
「はい……。そう致しましょう」
ノアは騎士に「御老公達に兵士が来た旨を伝えよ」と命じ、アリッサの手を引いて馬車へと向かった。
馬車は道の端に停車している為、馬を退かそうとする沢山の兵士の視線を感じた。
普通の令嬢ならば気まずい思いをするはずだが、心が鉄製と言っても過言は無いアリッサは少しも気にならなかった。むしろ彼等に向かって悠然と微笑むほどの余裕がある。
華のある優美な笑みに兵士達は思わず見惚れてしまう。
何故アリッサがこの屋敷に来たのか事情を知っていた彼等はこの時「こんな可憐な少女を父親ほど年の離れた男に無理やり嫁がせようとしたのか……」という憐憫の情が湧いた。
そしてそれは同時に国王への不信感に繋がっていくのであった。




