そんな事件はなかった
もし、過去に戻れるとしたら、あんな馬鹿げた王命など絶対に出さなかった。
国王は混乱する状況の中、現実逃避のようにそんなことを考えていた。
知らなかったといはいえ帝国皇家の血を引く令嬢に、平民の愛人に傾倒するあまり長く独身生活を貫いている貴族当主としての責務を放棄した屑男との婚約を命じてしまったという現実を受け入れられず、心の中で後悔ばかりしていた。
だが、一度下した命令を取り下げる真似など出来ない。
それをするということは玉座から退くことを意味する。こんなことで退位しては一生の笑い者だ。それどころか後世まで愚王として語り継がれてしまう。
だからなんとしてもこの王命に正当な理由があったことにしなくてはならない。
それで目の前に並ぶ絶大な権力を保持する面々に納得してもらわなくてはならない。
国王は散々頭を悩ませた結果、名案と言っていいほどの理由を思いついた。
「実はフロンティア子爵令嬢とバーティ侯爵の婚約は亡き先王の遺言にありましてな。それを知った時は余も理不尽な内容だと頭を抱えたものです。しかしながら先王が死の間際に遺した願いは叶えなくてはならない義務がある。なので、苦渋の決断を下し、ご令嬢を彼の者と婚約させようとしたまでです……」
我ながら苦しい言い訳だが、これなら責任を亡くなった先王に押し付けることが出来る。亡くなった父親に申し訳ないという気持ちは国王には全くない。生前から家族を顧みることのなかった父だ。親子の情などあるはずもない。だから責任を押しつけようとも罪悪感など一つも湧きやしない。
それに先王の遺書に記載されていたことなど半分も遂行していない。
遺言書の内容など公表されるものでもないので、不利になりそうなものは全て無視した。だから別に遺言を叶える必要性などないのだが、しおらしく亡き父の願いを叶えたいとでも言っておかなければこの場をやり過ごせない。
まあ、その件についてはそもそも遺言に記載されてすらいないのだが……。
「ほお、先王の遺言ですか……」
流石のシーグラス翁とはいえ「遺言書を見せろ」などという不作法な真似はしないだろう。もし見せろと言われたら全力で拒否する。書かれていないことがバレてしまうからだ。
「確か数十年前にこちらにいるヘブンズ伯爵のご息女がフロンティア子爵の過ちにより儚くなられたとお聞きしました。それで伯爵が親友である先王陛下に頼み、フロンティア子爵に自分と同じ苦汁を味合わせたいと願ったらしいですね。つまり、ご息女と同じように恋人のいる男のもとへと嫁がせ、ご息女と同じように不幸な結婚生活をさせろと。遺言にはそのような事が記載されているということですか?」
「え……!? あ、は、はい……その通りです」
帝国のノア皇子の指摘に国王は心臓が口から飛び出そうだった。
どうして他国の人間がそんな細かい部分まで知っているのか。その時忘れていた存在が目の端に映った。
(まさかヘブンズ伯爵が喋ったのか!? それどころじゃないから存在を忘れていたが、そもそもどうしてシーグラス翁と一緒にいるんだ……?)
今の今まで放置していたが、何故ヘブンズ伯爵がシーグラス翁と共に王宮を訪れ、話し合いの場に同席しているのだろうか。
しかも様子がおかしい。まるで痴呆が入ってしまったかのように呆けており、心ここにあらずといった様子だ。国王のことはおろか、シーグラス翁や帝国の皇子の存在すら認識していないように見える。
「それについても大分おかしな点がありますが……あえて言及することもないでしょう。先王陛下の倫理観について指摘することは無礼でしょうから」
暗に「お前の父ちゃん頭おかしいな!」と言いたいのだろう。
だが敢えてそれについて反論する気はない。何の情も無い父親がどれだけ悪く言われても構わないし、そもそも遺言書にそんな記載は無いのだ。ヘブンズ伯爵が煩かったのと、爵位没収という目的を叶える為にあんな馬鹿げた王命を下した。そこに先王の遺志は関わってすらいない。
(そういえば……フロンティア子爵一家には当初父上の遺志で王命を下したと伝えていたな。今思い出した……。適当についた嘘だから忘れていたな)
適当な嘘で臣下を言いなりにする。
それがどれだけ非道で卑劣な所業かを国王は理解していない。
そしてそれがどういう形で自分に返ってくるのかも……。
「一つお聞きしたいのですが、ヘブンズ伯爵のご息女が嫁ぎ先で自ら世を儚んだというのは、いったい誰がそう言ったのでしょうか?」
「は……? それは、どういう意味でしょうか?」
「そのままの意味ですよ。実はヘブンズ伯爵のご息女の嫁ぎ先である彼の国に問い合わせたところ、そのような事実はないとの回答を得ましてね。いったいどうして事実が捻じ曲げられて伝えられたのかと……」
皇子の発言に国王は一瞬頭が真っ白になった。
ヘブンズ伯爵の娘は嫁ぎ先で自ら死を選んだと聞いたはず。
それに当時の記録にもそのような事が記載されて……
(いや、余は当時の記録を読んだ覚えがない……。特に興味も無かったから、ヘブンズ伯爵から聞いた話を鵜呑みにして……)
国王は額に脂汗を垂らし俯いた。
もし、皇子の言う通りその事実が無かったとしたら事態はもっと不味いことになる。
「アリッサから聞いた話によりますと、何でもフロンティア子爵がヘブンズ伯爵のご息女のサラ嬢に異国の友人を結婚相手として紹介したとか。それで互いに意気投合し、サラ嬢はご友人の国へ嫁がれた。ここまでは合っていますね。ヘブンズ伯爵にも確認がとれていますので」
合っている、ということは間違っていることをこれから話すということだろうか……。
何も言えず国王はただ皇子の話に耳を傾けた。
「そして嫁いで一年後、王家主催の夜会でご夫君が平民の愛人をパートナーに選び、妻であるサラ嬢に一人で来るよう命じた。社交のパートナーに妻である自分ではなく愛人、しかも平民を選んだことに耐えがたい屈辱を覚え王宮のバルコニーから身を投げた……。件の事件の概要はこれで合っておりますか?」
「はあ……。そう聞いておりますが……」
「ふむ……。陛下はこの話に違和感があると思いませんか?」
「え? 違和感ですか?」
「はい。王家主催の夜会ともなれば警備は厳重で、招待客も会場入りする前に念入りな検査をされるもの。貴国もそうではありませんか?」
「あ、ああ……確かにそうですな」
確かにこの国でも王族が同席する場に招待客が危険物を持ち込んでいないか、また招待客に成りすました暗殺者が紛れ込んでいないか、それらを入念に調べたうえで会場入りさせている。そうでもしないと暗殺し放題になってしまう。
「そんな場所に招待されていない者が来たらどのような対応をしますか?」
「そうですね……不審者とみなして拘束するかと」
「そうでしょう? 下手をすれば王族を害しようとしたと疑われてもおかしくない。それは貴族であれば誰でも分かっていることです。そんな場所に招待されていない愛人を連れていくなど考えられない。仮に愛人をサラ嬢と偽って会場入りしたとしても、後から本物のサラ嬢が来れば一発で偽物だとバレてしまう。そうなればご夫君と愛人は拘束され、サラ嬢も事情聴取のため連行されてしまうでしょう。こんな状態では身投げするなど困難だ。そう思いませんか?」
「た、たしかに…………」
「最初にこの違和感に気づいたのはこちらにいるシーグラス翁です。それで私に彼の国へ直接赴き、当時の事件の記録を閲覧するよう頼まれました。王家主催の夜会に招待客以外が堂々と混じっていたことや、王宮のバルコニーから貴族夫人が身投げするという大きな事件なら必ず記録が残っているはずですからね」
「……は!? わざわざその国まで足を運んだのですか?」
「ええ。皇帝陛下の書状を持参しましたら快く承諾してくださいました」
皇帝陛下の書状持って行ったらどの国もそうなるよ……。
どの国も帝国に比べたら吹けば飛ぶような存在だもの。いきなり押し掛けられてもそりゃ承諾しちゃうよ。今の我が国のように……。
「そうしてあちらの担当者に当時の記録を探ってもらったところ、『そんな事件は無かった』との回答を頂きました。おまけに貴国へそのような報告をしたという記録も抗議したという記録もありませんでした」
「そんな馬鹿な……! あちらが事実を隠しているのではないですか!?」
「いえ、そもそもその当時は王太后様が亡くなられ、その喪に一年は服さなければならず夜会等の催し物は開催されていなかったそうです。つまり、サラ嬢が参加したという王家主催の夜会さえ無かったのですよ」
「そんな……では、何故こちらにはそんな偽の報告が入ったのですか!? それにその話が本当ならサラ嬢は生きていると?」
「いえ、残念ながらサラ嬢は既に亡くなっています。それで彼女の死亡記録を拝見させてもらったのですが、驚くべきことに彼女は何者かの手によって殺されていました」
「は? 殺されていた……?」
「はい、ご夫君と共に本邸で亡くなっていたところを出入りの商人に発見されて事件が発覚したそうです。使用人も全て同じように殺されており、すぐに王宮騎士団が捜査したところご夫君の愛人が容疑者にあがったようですが……こちらも自宅で事切れていたようです」
「え? は? なんだそれは……! ちょっと待ってくれ、そんな事件があれば我が国にも報せがあるはずだろう!? ヘブンズ伯爵! 其方はこのことを知っていたのか!?」
顔色の悪いヘブンズ伯爵に詰め寄ると、彼は力なく頭を横に振った。
こんな話をしているのに被害者の父親が取り乱さないのはおかしい。もしかして既に彼等から全て聞いているのだろか。
「彼の国はきちんと使者を立ててこの件を報せたそうですよ。何せ異国から来た夫人が無残な事件の被害者になったんだ。速やかに遺族にこの事を報せなくてはとすぐに使者を貴国に向かわせた。その時の記録が残っていたのですが、使者は当時の国王に謁見し直接報告したとありました」
「……ちょっと待ってくれ! それではまるで亡くなった我が父が事実を捻じ曲げたみたいではないか!?」
「ええ、そう考えた方が自然ですね」
あまりにも衝撃的な展開に頭が追い付かない。
亡くなった父は彼の国から真実を聞いていたのにそれを捻じ曲げて伝えていた?
いったいどうして? 何の為に……?




