泥棒猫?
花嫁の選定が始まった翌日、朝の庭を散歩していたアリッサは余所行きの恰好をした侯爵と愛人に出くわした。
「ごきげんよう、侯爵様。お出かけですか?」
「君はいったい何をしているんだ……?」
まだ二日目だというのに、我が物顔で堂々と庭を歩く彼女に侯爵は唖然とした顔を返す。
「え? 何って……散歩ですけど?」
何を言っているのだこの人は、と言わんばかりの態度をとるアリッサ。
その堂々とした態度に侯爵は一瞬自分の質問がおかしかったかという錯覚にとらわれた。
「い、いや……なんで堂々と他人の屋敷を散歩しているのかと……」
「まあ、まるで私が不法侵入したかのような言い方ですこと! 私は招かれた客人ですよ? 来客が屋敷の庭を散策することなど普通じゃありませんか?」
「え? あ、ああ……まあ……そう、なのか……?」
怯むことなく堂々と言ってのけるアリッサに侯爵は完全に「あれ? こっちがおかしいのか?」と錯覚する。そんな頼りない侯爵を愛人のジェシカは鋭い目で睨みつけた。
「ちょっと、マクス! 何でこんな小娘に言い包められているのよ? しっかりしてよ!」
「あっ……す、すまない、ジェシカ……」
情けない恋人に向かって舌打ちしたジェシカは鋭い眼光をアリッサへと向ける。
そして感情のままに怒鳴りつけた。
「馴れ馴れしくマクスに話しかけないでよ、この泥棒猫!」
その場に響き渡るほどの大きな声量に侯爵は思わず耳を塞いだ。
しかしそれを向けられたアリッサは少しも動じることなくキョトンとした表情を見せる。
「泥棒猫と言われましても……私、貴女から何かを盗もうとは思っていないのですけれど?」
「白々しいわね! マクスの妻になる為にここに来たくせに嘘をつかないでよ!!」
「すみません、その“マクス”さんとはどなたのことです……?」
「はあ⁉ ふざけているの? マクスはマクシミリアンの愛称よ!」
「マクシミリアン……? あー……確か、侯爵様がそのようなお名前だったような……?」
「ちょっと!? アンタは自分の夫になるかもしれない男の名前も覚えていないわけ?」
「いや、興味が無かったものでして……」
アリッサのこの発言にジェシカはもちろんのこと、侯爵も驚きのあまり声が出なかった。
嫁ぐ相手の名前を覚えていないどころか興味も無い。そうハッキリと本人の目の前で言ってしまえるアリッサの神経に。
「まあ、そんなことはどうでもいいです。それより、これから出かけてしまうのですか?」
「どうでもよくないでしょう⁉ 結婚するかもしれない相手の名前よ?」
「はあ……でも、どちらにしても名前を呼ぶ機会は無いかと思われますので……」
「無いの⁉」
「え⁉ 貴女は私に侯爵様を名前で呼んでほしいのですか?」
「えっ? あ、いや……アタシは呼んでほしくないけど……」
花嫁候補とは思えないほどのやる気のない発言に流石のジェシカも怒りを忘れて突っ込んだ。おかしい。何がおかしいってこの令嬢の態度だ。花嫁候補としてやって来た女がする態度とは思えない。
「何もしないのも忍びないので、今日はお仕事のお手伝いをしようと思いましたが……外出されるならそれは難しいですかね? 『ヴィクトリア』は書類仕事が得意ですので溜まっている仕事があればお手伝いしようと思ったのですが……」
「え? 『ヴィクトリア』ってあの女装男のこと?」
「はい。父は当主歴が長いですし、書類仕事はお手の物です」
「父って……アンタ、あれを花嫁候補として押し通したいならその設定を貫きなさいよ……」
一応は“花嫁候補”として連れてきているのに、ハッキリと“父”と口にしたらよくないだろうとジェシカは呆れたように呟いた。
「いかがですか、侯爵様? 帰宅後に仕事が片付いていたら気が楽になるのではありませんか?」
「へっ? あ、ああ…………」
アリッサに質問をされても侯爵は心ここにあらずであった。
花嫁候補として訪れた娘が名前すら憶えていないほどこちらに関心がないことにかなりのショックを受けたからだ。
自分には最愛のジェシカがいるから、どんな令嬢がこようとも心を奪われる気は無いつもりだった。
だが、まさか相手にここまで関心を持たれていないとは……。
「では、いくつか処理を済ませておきますね。詳しいことは家令に聞けば分かるでしょうか?」
「ああ……そう、だな……」
初対面が強烈過ぎてまともにアリッサの顔を見ていなかった侯爵だが、こうして改めて目にするとかなり美しい容姿だということが分かる。顔の造形は勿論のこと、この国では珍しい艶やかなストロベリーブロンドが特に目を引く。
「それでは早速とりかからせていただきます! 気を付けていってらっしゃいませ!」
元気よくそう告げたアリッサは踵を返して邸内へと向かって行った。
残されたジェシカと侯爵は呆気にとられながらその後ろ姿を茫然と眺めていた。
「な、なんなのあの子…………」
仮にも正妻となるべくしてこの邸に来たのならば、愛人である自分をもっと敵視してもいいのではないか。なんであんな道端で会ったご近所さん並みに軽い態度で話しかけられるのか。ジェシカは不思議で仕方なかった。
「…………………………」
よく分からないがアリッサが恋敵のように見えないのでジェシカは彼女に対する警戒を解きつつあった。しかし、反対に侯爵はアリッサに対して妙な執着を芽生えさせた。
(僕に興味が無いだって……? 有り得ない……そんな……)
見目の良い侯爵は美男子として社交界でも名を馳せていた。
だから当然のようにアリッサも自分に愛されたいと願っているものだと思いきや、まさかの「興味が無い」宣言。強がりと思うには無理があるほど無関心を極めた態度は侯爵にとってひどく屈辱的だった。
「マクス……? どうしたの?」
「え? ああ……何でもないよ、ジェシカ……」
怖い顔でアリッサの後ろ姿を凝視していた侯爵を見てジェシカは驚いた。
恋人のそんな顔を見たのは初めてだ。
「あ、もしかしてあの女が貴方の名前を覚えていなかったことに怒った?」
「……ああ、うん……そうだね」
いつもと様子が違う恋人に疑問を感じながらも、出発が遅れるのでそのまま馬車へと乗りこむ。乗車の際にエスコートをしてくれるのはいつものことだけど、その目がこちらを見ているようで見ていない。
車内に不穏な気配を漂わせたまま、馬車は目的地へと進んでいった。




