第343話 むむっ、妙ですわね……
「ふぅ……。おかしいですわね」
あごから滴る汗をぬぐったニナ。呼吸を整えながら、夜光石が輝くエナリアの天井を見上げる。
いま彼女が居るのは“不死のエナリア”の第15層。大瀑布の階層と呼ばれ、奇妙に輝く水をたたえる川と、洞窟とで形成された場所だ。
そして、ニナがこの階層に足を運んだ理由の1つが、彼女の足元に転がっている。
「くぅん~……」
弱々しい声を漏らして目を回しているのは、エシュラム家の双子姉妹の妹・ムアだ。
白髪のウルン人で構成された探索者組合『白の艦隊』。彼女たちの来訪に伴って厳戒態勢、もとい、歓迎態勢を整えていたニナ。
しかし、この水色髪の獣人娘に本来の持ち場――第15層の階層主の間――に戻るよう促したところ、
『あそこ、待ってるだけで退屈だからイヤ~』
と、拒否されてしまったのだった。
ニナがフーカから聞いた話では、白の艦隊はウルンでも最強と名高い黒探索者組合。等級は堂々の黒色等級だという話だ。
第15層まで来る可能性があることもあって、どうしてもムアには階層主の間に戻ってもらう必要がある。
『わふっ♪ そんなにムアに言うこと聞かせたいなら、ニナが遊んでくれたら良いよ~!』
というムアの言質。また、
『まっ、しょるいしごと? ばっかりで運動不足だもんね、ニナ! 今回こそムアが勝っちゃうかもだけど~♪』
という挑発もあったため、こうしてきちんと上下関係のしつけを行なっていたのだった。
ただ、ニナも汗をかき、息を乱しているように、ムアを分からせるのはいつも相当骨が折れる。
しかもニナと長く遊ぶためだろうか。今回は「追いかけっこ」と称してムアが第15層を逃げ回っていた。最終的には好物の干し肉とユアの匂いが染みついた布で罠を仕掛けておびき寄せ、誅することになった。
当然、そうしている間にも白の艦隊は攻略を進め、事態は切迫している。そう思っていたと矢先の「おかしいですわね」だ。
(ファイさん、アミスさん、フーカさんの3人体制でさえ、ほんの少しの時間で第10層までいらっしゃっていた……)
当時のファイ達の強さと進行速度を思うと、白髪4人以上で攻略している白の艦隊はニナをして“あっという間”に来てしまう。そう思っていたのだが、未だに下層にやってくる気配がない。
「念のため……ピュレさん! 音声出して、ですわ!」
ニナは固掛け鞄の中から青いピュレを取り出し、通信を繋げる。すると、やや間を置いてから応答があった。
『やっほー、ニナちゃん。どしたの?』
「ルゥさん、お疲れ様ですわ。その後、進捗はどうでしょう――ひゃわぁっ?」
第10層で白の艦隊を待ち受けているだろうルゥに連絡を入れたニナ。言葉の途中、ピュレ越しに聞こえてきた大声量に悲鳴を上げてしまう。
しかし、その声が「鳴き声」であることに気づいた瞬間、ニナの表情が晴れやかなものへと変わった。
「この声は……赤ん坊! ということは、もしかして、ヒトナさんのところでしょうか!?」
声を弾ませるニナに、ルゥから「さすがニナちゃん、正解!」と答えがある。
ヒトナとは、第6層に住んでいる獣人族の女性だ。先日、ニナが訪問したところ、もうすぐ子供が生まれると嬉しそうに話してくれていた。それがちょうど、今日だったらしい。
「まあ、まあ、まあ! ヒトナさん、聞こえていらっしゃるでしょうか!? おめでとうございますわ!」
ニナが言うと、ヒトナから「ありがとうございます」と返答がある。
興奮のまま赤ん坊についてルゥに聞いてみれば、性別は男の子。名前は『レイズ』。ガルンに伝わるおとぎ話の、獣人族の英雄と同じ名前だ。
「レイズちゃん……いいお名前ですわぁ~~~! それでルゥさん。ヒトナさんの体調は……」
『さっき会話もできたように、今のところは大丈夫そうかな。ただ、やっぱり出血はひどいから、しばらくは様子見かも』
子供が生まれても母親が死んでしまって喜ぶに喜べない。ひとまずヒトナが存命で、ニナとしては一安心だ。
「こほん……了解ですわ。平常運転に戻り次第、改めて、栄養のあるお食事と共に伺うとお伝えくださいませ」
はしゃいだ声では母体に響くかもしれない。努めて冷静に言いながら、赤ん坊についての話をまとめるニナだった。
『了解。それで、ニナちゃん。用件は? もしかしてわたしからの連絡がないから、寂しくなっちゃったとか~?』
冗談めかして言うルゥに、ニナはピュレの前で照れながらも正直に答える。
「えへへ……! 実は、そうなのです。わたくし、ルゥさんのお声が聞きたい、と。そう思い、連絡させていただいたのですわ!」
別にルゥの実力を信じていないわけではないが、いかんせん、彼女が相対するのはウルン最強の探索者組合だ。万が一のことがあって、連絡ができなかったのではないか。そう心配したのは事実だ。
「そのうえで、白髪の探索者さん達についてお尋ねしようと……ルゥさん? ルゥさん~? 聞こえていらっしゃいますでしょうか~?」
『あっ、うん、聞こえてる! ニナちゃんの可愛い声、嬉しい言葉! ちゃんと全部聞こえてるよ! もはやそれだけでわたしも妊娠できる、子供産めちゃう!』
「まぁ! お世辞でも嬉しい……子供ですわ?」
いったいどこから子供の話が出てきたのか。聞き間違いかと思ってニナが確認してみると、ルゥは「ううん、何でもない」とごまかそうとしてくる。
「る、ルゥさん? 妊娠していらっしゃるのですか? そう言った重要なことは、きちんと申して――」
『いや、うん、ごめん、ニナちゃん! ほんとに何でもない! 冗談だから、追求しないで……っ!』
「そ、そうですか? であればよろしいのですが……」
ピュレの向こうでルゥが顔を真っ赤にしていることなど、ニナが知る由もない。
『そんなことより、例のウルン人たちのことだよね! って言っても、多分その人たち、まだ来てないけどね~』
ルゥからの報告によれば、この間の会議の後から第10層にやって来た探索者は1組だけなのだという。それも、ルゥの毒で動けなくなってしまうような、かなり弱い探索者だけのようだ。
『ファイちゃんと同等以上ってことは、わたしの毒なんかちょちょいのチョイでしょ? 鎧とって顔と髪色も確認してみたけど、ほとんど男だったし、白髪じゃなかったし』
それどころか、ここ少しの間は第10層にやって来る探索者の数自体が減っているのだとルゥは言う。体感では、マィニィによる立て直しが行なわれる直前くらいにまで減っているのではないかという話だ。
手持ち無沙汰にしていたところミーシャ経由でヒトナの破水の情報があったため、そちらに駆けつけているようだ。
『あっ、もちろんミーシャちゃんから連絡があったらすぐに駆け付けられるようにしてるから安心してね。服とか装備とかも臨戦態勢だし。そこんとこは大目に見てくれると……』
持ち場は離れているが、別に怠けてるってわけじゃない。強調するルゥに、ニナは「もちろんですわ!」と理解の言葉を返す。
確かにいまルゥには階層主を任せているが、彼女の本業は“お医者さん”だ。新たな命の誕生とあっては、むしろニナとしては駆けつけてくれてありがとうという話でもあった。
「むしろ問題は、探索者さんが減っているというお話の方ですわ……」
『確かに。回転が速い上層はともかく、中層とかはまだ宝箱の補充も間に合ってるんだよね?』
「はい。実際、ほんの少し前に補充させていただきましたわ。なのに、どうして……」
突然の探索者の減少と、白の艦隊の進みの遅さ。同時期に発生した両者に関係はあるのか、ないのか。それぞれの原因は、何なのか。
(探索者さんの減少についてはのちほどフーカさん達の意見も聞くとして、差し当たり問題なのは……)
ひとまずルゥとの通信を切ったニナは、続いて、通信室のミーシャに連絡を繋げる。
『あら、ニナじゃない。どうしたの?』
「ミーシャさん、お疲れ様ですわ。さっそくで申し訳ないのですが、白の艦隊の皆様はいま、どちらに?」
攻略路においた撮影機でおおよその状況を掴んでいるだろうミーシャ。進みが遅く思えるウルン最強の探索者たちについて聞いてみる。と、返ってきたのは意外な答えだ。
『第4層。ファイが魔獣の補充をしてる階層主の間の前で、野営をしてる感じかしら』
「……ふぇ? 第4層ですわ?」
思っていたよりもさらに浅い階層に居たことに、目を丸くする。そんなニナの驚きを声から感じ取ったのだろう。ミーシャがさらなる詳細を教えてくれる。
『どうしてか分からないけど、第5層から帰ってくる探索者が多いのよ』
「なるほど。白の艦隊の方々が入る前に、帰ってきた探索者さん達が階層主に挑戦してしまうのですわね」
ニナの推測に、ミーシャは短く「そうよ」とだけ答える。
階層主の間に続く大扉は、大気中のエナを吸収する素材が組み込まれている。そして、必要なエナが溜まると稼働し、前後どちらかに人が触れればそちらを解放。一定時間後、もう片方の扉が開く仕組みだ。
都合、先に別の探索者が挑戦した場合、一定時間、次の挑戦者は階層主に挑むことができない。
どうやら白の艦隊は、帰ってくる探索者たちが絶え間なく第4層の階層主に挑むため、半ば足止めを食っている状態のようだ。
(探索者さん達がたくさんお戻りになっている。だから中層の探索者さんも減っている……辻褄は合いますわね。……ですが、どうして突然、探索者さん達がお帰りになり始めたのかが分からないままですわ)
いったい自分たちのエナリアで何が起きているのか。ニナは、早急な調査に動き出すことにする。ただ、その前に――
「ム~ア~さ~ん~?」
「わふっ!?」
――そろりそろりと逃げようとしていた自由奔放な少女に、上位者としてきちんと命令しておかなければならない。
「わたくしが『よし』と申し上げるまで、きちんと階層主の間に居てくださいませね?」
「そんなぁ~~~……!」
笑顔のニナの言葉にくぅん、と。ムアの弱々しい鳴き声が響き渡ったのだった。




