第321話 無駄なく頂こう、ね
“不死のエナリア”第7層にある放牧場にやって来たファイとミーシャ。両開きの扉を開けたファイの目に映ったのは、扉を囲うようにして立てられた鉄柵だ。
細い横穴と縦穴を伝って行く培養室と違って、放牧場は入り口が廊下と地続きになっている。そのため、扉を開閉する際に中の動物が逃げ出さないよう、鉄柵を設けているようだった。
高さはファイの胸のあたり。1.5mほどだろうか。そんな鉄柵にはいくつもの縄が結ばれ、家畜となるブルが係留されていた。
『『ブモォ~……』』
やって来たファイ達に驚いたのか、歓迎してくれているのか。低い声で鳴いたブル。地面に座り込んだり、口をモゴモゴと動かしていたり。外敵もおらずのんびりと思い思いに過ごす彼らの姿はまさに、牧歌的という言葉がよく似合っている。
それでも彼らが窮屈そうに見えるのは、入り口周辺、ブル達が居る場所以外が全て、背の高い草でおおわれてしまっているからだろう。
高さは3mほどだろうか。まさに「草の壁」と呼ぶべきものが視界を遮り、放牧場の全容を隠してしまっていた。
部屋全体の観察はさておき、ファイが目を向けるのは目の前のブルたちだ。
「ブル。可愛い」
言いながら、柵の向こうから顔を出すブルの1頭に右手を伸ばしてみるファイ。すると、少しの間ファイの手の匂いを嗅いでいたブルが、パクッと、ファイの手を丸ごと飲み込んでしまった。
だが、ブルは草食の動物で鋭い牙はない。じゃれ合いも兼ねた甘嚙みだろうため、ファイの手が痛みを訴えることは無かった。
ブルに右手をしゃぶられながら、ファイは背後で扉を閉めてくれているミーシャに目を向ける。
「ミーシャ。この子たち、は? オウフブルと柄が違う」
普段、エナリアの表で見かけるオウフブルたちは茶色い毛をしている。だが、ここにいるブル達は白と茶色のまだら模様だ。
恐らく家畜用に改良されたブルだろうと推測するファイに、戸締りを確認するミーシャが口を開く。
「『モゥブル』ね。オウフブルよりもっと温厚で、基本的に人を襲うことは無いわ」
「モゥブル……。よろしく、ね」
改めて目の前のブルに挨拶をすると、「モゥ」と短く鳴いたモゥブルがファイの手を解放してくれるのだった。
「で、モゥブルの特長と言ったら、メスは牛乳の量。オスは肉質の良さね」
「おー、牛乳」
ブルと言えばお肉の印象があったが、そう言えば牛乳もブルから搾るのだったと思い出すファイ。
メレが料理当番になってからというもの。ファイはティオと一緒に毎朝牛乳を飲んでいる。その牛乳は恐らく、このモゥブルから搾られたものだと思われた。
「オウフブルのお乳より栄養満点。それなのに脂っこくなくて、飲みやすい。1日の搾乳量も倍近くあるわ」
そんなミーシャの説明を聞いてからモゥブル達のお腹をみてみれば、なるほど。オウフブルのお乳よりも1回りほど大きなお乳が揺れている。
「寄ってきたってことは、多分この子はお乳を搾ってほしいのね。……ふふっ、ちょっと待っててね」
ファイの手をしゃぶっていたメスのモゥブルの頬を撫でたミーシャが、入り口のすぐわきに置かれていた鉄桶を手に取る。
そして躊躇なくモゥブル達が待つ柵の中へ入っていくと、くだんのモゥブルの搾乳を始めた。
その慣れた様子から、ファイはここ最近の牛乳の出所がこのモゥブル達とミーシャであることを確信する。
牛乳と言えば栄養満点で、特に成長期のティオには欠かせない飲み物だ。彼女の健やかな健康を支えてくれるメレと、牛乳を運んでくれているらしいミーシャには感謝しかないファイ。
「ミーシャ。いつもありがとう、ね」
「にゃっ!? きゅ、急に何よ、気持ち悪いわね……」
相変わらず言葉足らずのファイの感謝は、ミーシャの言葉の短剣によって両断されてしまう。しかし、ファイが肩を落としていたのも束の間だ。
「そんなことより……ファイ。あなたもモゥブルの乳搾り、してみる?」
「……っ! うん!」
ミーシャからの提案を受けて、すぐに瞳をきらりと輝かせたファイ。自身もまた躊躇なく柵の向こう側へと赴き、ミーシャのすぐ隣にしゃがみ込む。
「えっと……触る、ね?」
言葉は通じないと分かっていても、ひとまずモゥブルに断りを入れるファイ。一瞬だがモゥブルが確かにこちらを見たことを確認して、6つあるお乳の1つに手を伸ばす。
これまでも、主にお菓子作りのためにオウフブルのお乳を搾ったことがあるファイだ。
(親指と人差し指で輪っかを作って、中指、薬指、小指……。順番に指を動かす)
かつてミーシャに聞いた指使いで、乳搾りをしていく。が、細かな手指の動きは苦手なファイだ。すぐ隣、肩が触れ合う中で乳搾りをしているミーシャと比べると、搾乳量は半分にも満たない。
それでも、ファイに焦りはない。
(ぴゅー……ぴゅー……♪)
絶対に力んでしまわないよう意識しながら、自分の律動でもって乳搾りを続ける。
そのまましばらく無言で乳搾りをしていると、他のメスのモゥブル達もファイ達の所にやって来た。どの子もみんなお乳が張っていて、ファイ達に乳搾りをして欲しいらしい。
そこからはミーシャと手分けして、モゥブルの乳搾りをしていく。と、ファイの倍以上の速度で搾乳するミーシャが口を開いた。
「ねぇ、ファイ。モゥブルは品種改良……人に都合がいいように作られた特別なブルなの」
そう語るミーシャの声は心なしか暗い。
「牛乳を出してもらうためにはあの子たちと交尾させないといけないし、妊娠してもアタシ達がこうやって定期的にお乳を搾ってあげないと、病気になっちゃうわ」
少し離れた場所で草を食んでいるオスのモゥブル達。そして、自身が乳を搾ってあげているモゥブルを順に見たミーシャが、ゆらりと黒い尻尾を揺らしている。
こちらに背を向けているため、ファイからミーシャの表情は伺えない。
ただ、ユアに負けず劣らず動物たちを愛しているミーシャだ。人の都合で動物の在り方を変えてしまうことに抵抗があるのだろうことは、想像に難くない。
だからと言って「品種改良はダメ!」などと頭ごなしに否定するほど、ミーシャは子供ではないらしい。
「だからアタシ達がきちんと、世話をしてあげないとね」
人の都合で生み出したのであれば、人はきちんと生み出した責任を持たなければならない。硬い声でミーシャが語った内容は奇しくも、ファイがニナに語ったものと同じだった。
「ん。大事に育てて、お世話して、美味しく食べよう……ね」
手元の鉄桶にたまった牛乳も、モゥブルが生み出した大切な飲み物だ。
人が飲んだりお菓子に使ったりするのはもちろん、ユアの実験場や培養室で生まれた魔獣の赤ちゃんの育成など、用途は様々あるはずだ。
どうすれば、一滴残らず牛乳を使うことができるだろうか。手や指についた美味しい牛乳を舐めとりながら考えるファイ。
と、真面目な話で少し重くなった雰囲気を払しょくするためだろうか。ファイの背後で乳搾りを終えたらしいミーシャが、牛乳たっぷりの鉄桶を手に口を開いた。
「よいしょ! ……美味しく食べるって意味だと、さっきも言ったわね。モゥブルのお肉は絶品よ!」
「おー、絶品。いつも食べてるブル肉とは、どう違う?」
尋ねてみると、えっちらおっちら柵の向こうに鉄桶を運ぶミーシャが尻尾をしきりに動かし始めた。
「そうね……。まずは脂の入り方が違うわ。オウフブルの肉は良くも悪くも脂身少な目でさっぱりしてるけど、モゥブルのお肉はいい具合にサシが入ってるわ」
おかげで程よい脂と柔らかさを備えた肉質なのだとミーシャは言う。
「その分こってりした印象を受けるけど、大抵の人はモゥブルのお肉の方が好きなんじゃないかしら」
じゃあミーシャは、と。ファイが効くまでもない。なにせモゥブル肉について語るミーシャの声は弾んでおり、瞳もらんらんと輝いているからだ。
「ミーシャもモゥブルのお肉。食べたことある、の?」
「ええ、一度だけ! アタシがエナリアに来て、最初にニナが出してくれたのがモゥブルのお肉だったわ!」
当時のことを思い出しているのだろうか。虚空を眺めて頬を押さえるミーシャの顔は、いつになくとろけている。
「舌で噛み切れる歯切れの良さ。噛むたびにあふれる甘い脂……。あのお肉をまた食べられる日が来るなんて……じゅるり」
舌なめずりをしながらオスのモゥブルを見るミーシャは、獲物を狙う肉食動物そのものだ。
つい先ほど大切に育てようという話をしたばかりだ。このままではモゥブルが「牛肉」になってしまいかねないため、ファイは急いで話題の転換を図る。
「ミーシャ、ミーシャ。そういえばオスは少ない、ね?」
今回、ニナが買い付けたモゥブルは計10頭。そのうち、メスが8頭なのに対してオスは2頭しか居ない。なんとなく5頭ずつだと思っていたファイとしては、明らかな数の偏りが気になるところだった。
「にゃ? まぁ、そうね。これからモゥブル達を繁殖させるわけだけど、子供を産めるのはメスだけでしょ? 逆にオスは1頭いれば事足りるもの。2頭いるのは、もしもの時の備えでしょうね」
「あ、そっか。数を増やすなら、メスが大事」
ようやくファイの中で線を結び始めたモゥブルの畜産の構図はこうだ。
まず、牛乳を搾るためにはメスのモゥブルは妊娠していなければならない。そのため、オスのモゥブルと交配させて妊娠してもらう。
すると、いずれ子供が生まれるわけだが、メスは新たな母体兼お乳の主として育てる。一方、オスはたくさんいても仕方ないため、大事に育てた後で屠殺。お肉として美味しく頂く。
主に牛乳を搾る用のメスと、お肉となるオス。両者の数を適切に調整することが畜産の肝になりそうだ。
「つ、ついでに……。オスが生まれてきたら、その……きょ、去勢もしないといけないはずよ」
「きょせい……? なに、それ?」
「にゃっ!? あ、アタシに聞くな、バカファイ! そのあたりはあの陰険犬とか、ルゥ先輩あたりに聞きなさい!」
なぜか怒り出し、去勢の内容については教えてくれなかったミーシャ。だが、それを行なうことでオスの性格が温厚になり、肉質が良くなるということは教えてくれる。
「それに、モゥブルだって魔獣よ。飼料に魔素がたくさん含まれてると進化して、凶暴になったりするわ。だから餌にも気を配らないといけないの」
普段、培養室で魔獣たちの世話をしているミーシャだ。モゥブルの世話をするうえでの苦労や注意事項において、彼女以上の理解者はいないだろう。
改めてミーシャという協力者の存在に感謝しながら、ファイも焦らず、自身の拍で搾乳作業を終わらせるのだった。




