リリーとクリス
「今、貴方何と仰いました?」
感情のない冷たい言葉を、目の前の女が口にした。
先程まで笑顔を振りまき、何を言っても笑っていた女が、まるで人が変わったように視線を外さず立っている。
無意識に、ごくりと唾を飲み込み、これも無意識に一歩身体が下がっていた。
「お、おれはC級冒険者だぞ、生意気な女め」
女の雰囲気に完全に飲まれてしまっている男の言葉に力はなく、プライドを保つ為に振り絞った一言を聞いて、女は嘲笑した。
「それで?」
顎を上げ、視線を下げて男を見下す。
圧倒的な圧力が、目の前にある。剣も持たず、魔法を唱える為の杖も持たず、何も持たない女は剣を構えた目の前の冒険者に対峙しゆっくりと近づいてきた。
そして男の剣先が、女の首先へ届くか届かないか程の距離まで自ら近づいていた女に、男は再度一歩下がる。
その姿を確認した女は、先程放った言葉を再度口にした。
「貴方、何と仰いました?」
美しい女ほど、怒りに満ちたその顔は迫力を増す。
容姿端麗、気品に満ち溢れたその女は、自身に湧き上がる怒りを抑える気もないのだろう。視線だけで殺さんとする様はまるで鬼神と呼ぶに相応しい。
「うだつの上がらぬ旦那を捨てて、俺の下に来い。そう、仰ったのかしら?」
張り詰めた空気は、周囲にも伝染する。
いつもならここ冒険者ギルドは、常に喧騒と怒号が飛びあう静寂とは無縁の空間。
それがたった一人の『冒険者』の圧に押され、静まり返っている。
二人のやり取りを見ていた周囲の冒険者も、息を潜め誰も言葉を発しない。
テーブルに置かれたフォークを手に取り、手元でクルクルと器用に回して見せた。
そしてそのままドンッ!とテーブルにフォークを突き立てる。
「死んで」
口元を吊り上げにこりと微笑む。微笑んでいるはずなのに、女の瞳はどこまでも静かで冷酷で。
女が右手を頭上に翳したその時。
「リリー、用事はもう終わったかのぅ~」
唐突に入口の扉が開かれ、この場の空気に似合わぬ能天気な声が、建物中に響き渡る。
「ああっ旦那様ぁ~。もうご用事は終わったのですか~」
今まであれ程の殺気を放っていた目の前の女が、弾けた様に満点の笑顔で建物へ入って来た男の下へと駆け寄っていく。
先程迄殺気を当てられていた男は、気が抜けた様にその場にへたり込んだ。
リリーと呼ばれた女は、まるで初めて恋した少女の様に甘ったるい笑顔を男へ向け、誰にも渡さないとばかりに細くしなやかな腕を男の腰に回した。
「はい。もう終わりました。更新手続きも滞りなく済みました」
言って、手にした冒険者カードをクリスへ差し出した。
金色に輝くそれは、見間違いでなければこの世に数人しかいないはずのS級ランク以上を示す冒険者カードである。
「んじゃ帰るべ~」
「はいっ、旦那様ぁ」
ギルドカードを懐へ仕舞い、クリスの腕に絡みつく。
ぎゅっとリリーのふくよかな胸に押し付けられたクリスの腕が、極上のクッションに沈んでいく様にゆっくりと埋もれていく。
ざわっ。
先程迄の張り詰めた空気が一転し、ゆっくりといつもの喧騒を取り戻していく。
「な、なんなんだ・・・」
先程まで目の前にいた、既にいない女の後ろ姿を扉と重ねる、
今起きていた事がまるで夢だったのではと勘違いしてしまう程に、自分の中にあるふわりとした感覚が頭に浮かぶ言葉を否定していく。
彼女もまた一人の冒険者であり、以前帝都で名を馳せた超一流の付与術師。
S級冒険者のリリー・ヴェルトマリアである。
「リリー、お前またギルドで揉めとったろう。いつもやめとけと言っとるじゃろ」
「・・・ご、ごめんなさい」
悪戯を叱られる子犬の様に、耳を垂らして落ち込む様は先程あれ程の殺気を放っていた女と同一人物とは思えない。
そんなリリーの姿に思わず笑みが零れてしまう。
いまにも泣き出しそうなリリーの頭を、くしゃりと片手で優しく愛撫し、気持ちの沈んだリリーを励ます様に、クリスは子供の様な笑顔でリリーと向き合う。
「分かれば宜しい。じゃ」
その言葉を聞いて、リリーの顔がぱっと輝く。
この世の全ての幸せを一身に受けると、あの様な顔になるのだろう。
リリーは、胸元に抱き寄せたクリスの腕をもう一度強く握り締めた。
「旦那様の方はどうだったのですか?」
心配そうに見つめるリリー。
そんな顔を心配しないでくれよとばかりに、肩を竦めておどけて見せる。
「みんな昔からの知り合いだからなぁ。何事もなく無事に終わった。なんなら色を付けてくれたぞぉ」
「あら、それは良かった」
ここリンゴクは、自身が住むレニオンと馬車で約半刻ほどの距離。
たまに出てくる畑の周りに寄って来た魔物達は、その都度クリスやリリーに狩られ、そのままリリーの収納袋へ入れられている。
冒険者時代に帝都の王様に頂いた『収納袋』はとても特殊なもので、容量の大きい収納させるだけの袋ではなく、中に入れられた物は時の流れも停止させる事が出来る優れもの。
獲物であれば狩った当初の姿そのままに、新鮮な状態での維持が出来た。
よって、数か月に渡り狩った獲物を纏めて売りに来る事が可能なのである。
本来であれば魔物は冒険者ギルドへ売りに行くのが通例だが、何度かに一度は商業ギルドへ持ち込んでいる。買取の値段は然程変わらない為こちらにメリットはないのだが、当然買取側にはそれがあり、直接買い取った商品は利益が段違いに違うらしい。
それだけ冒険者ギルドから商業ギルドへ卸す際に、高い利益を載せているのだろうか?
その辺りの大人の事情は考えないようにする。
本来商業者ギルドへ獲物を直接持ち込む等すると冒険者ギルドからクレームが入るのだが、リリーの実績に対し、ギルド長さえも文句は言えない。
だが、ギルドへリリーが足を運ぶのは半年に一度程度の頻度である為、他所から流れて来た冒険者や新人の冒険者が稀にリリーに絡んでくる。
普段は大人な対応で流すリリーだが、クリス絡みで揶揄してくる人間にはどうしても理性のタガが外れてしまいがちだ。
以前今回の様に絡んできた冒険者がいたが、全身の骨を砕き切った記憶がある。
その後手持ちのポーションで完治したはずだが、翌日その冒険者の姿は街から消えていた。
その様なやり取りを知っている古巣の冒険者は、リリーに対し声を掛けようとする者はいない。
誰しも腕や足が曲がってはいけない方向を向いてしまう事は避けたいのだ。
暫く街中を歩いていると、小さな屋台の前に長い行列が出来ていた。約20人位だろうか?並んでいるのは若者が多い様に感じるが・・・屋台で売っているのは食べ物みたいだ。
「あっ、あれ最近うちの村でも路駐販売してるホットドッグ屋さんじゃねえべか?」
「ですねぇ」
丁度小腹も空いてきた。見上げた空に浮かんだ太陽の位置から察するに、時間的にも昼時であろうと推測する。
「よし、飯にするべ。リリー、ホットドッグで良かったじゃろか?」
「はい、もちろんです♪」
元々焼いたものをパンに挟んでソースを絡めただけで完成するので、大した手間は掛かってはいない。
だから並びが多くても、次から次へと人がはけていく。
二人も商品を受け取り、近くで売っていた飲み物を購入する。リンゴをすり潰して絞ったものらしい。
近くにあった椅子に腰を掛け、包み紙をそっと開く。
食欲をそそる香ばしいソーセージ匂いがつんと鼻を突く。暴力的なまでのその香りに二人は大きく口を開けて食らいつく。
「・・・うまい」
「・・・美味しい」
ほんの数秒で食べつくした二人は、傍らに置いてあったジュースを流し込む。
「あー、うまかったなぁ~」
口元に付いたソースを指で拭い、それを再び舌で舐める。
二人は目の前を通り過ぎる人々を優しげな眼で見つめ、いつも通り賑わっている街をはしゃぐ子供を見守る親の様に目を細めた。
「そういえば・・・最初に旦那様と御逢いした時もこんな感じでしたね」
「あの時のリリーは・・・何というか、少し怖かったなぁ~」
クリスの言葉に、慌てて弁解する。
「い、いえあの時は私の方に責任があったと言いますか・・・あぅぅぅ」
しどろもどろになるリリーの頭を優しく撫でると、とたんにリリーの瞳が熱を帯び、白い頬がみるみる赤くなる。
リリーは赤く染まった頬を擦り、昔を思い出す様に遠くを見つめた。
元々そこにあったはずのものを、今となっては愛おし気に撫でる。
「あの時、旦那様に直して頂いてなかったら、私はここにはいなかったかもしれませんね」
ふふふと、悪戯をして見つかった子供の様に無邪気に笑うと、手にしていた飲み物を飲み干した。
残った小さな氷が、カサカサと音を立てて崩れ去る。
「あの時は私、あのまま死のうと思っていましたから」
遠くを見つめたまま、リリーは軽く笑った。しかしその笑った顔が少し痛々しい。
そんなリリーを、クリスはそっと抱きしめた。
その後もクリスは何も言わない。ただじっと、優しく抱きしめ続けた。
もう大丈夫だから。
そっと抱きしめられ、仄かに伝わる体温がそう言っている様だった。
暫くして、リリーはクリスの背中を優しくポンポンと叩く。
それを合図に身体を離し、ゆっくりと立ち上がった。
リリーはクリスの手を握り、一歩前を歩きだ出す。
「帰りましょう、旦那様」
先程迄の痛々しい笑顔は既になく、いつも通りの笑顔がそこにあった。




