まだ諦めたわけじゃない
遅くなってすみません。
鳥の囀り。風が木の葉をそよがす音。落ち着いた場所なんだなと脳が無意識に思考し、ぱちっと目を覚ます。俺は森の中で仰向けに転がっていた。
……何でこんなところに?
すぐに事情を思い出して、パッと立ち上がり<周囲・察知>を使う。
……気配は薄いが、二度も見れば推測はつく。ニルスは遠くに離れて行ったようだ。虫籠の反魔道具を持って……レギナを連れて。
ダミーのレギナの気配を探る。影虫に追われているのはあと三体。いや、一体が捕まった。後、二体。
「……?」
何かデジャブのようなものを感じたが、気のせいだろうか。
しかし、事態は最悪だ。レギナを取り戻さなければ魔王城に行けない。場所もわからない上に、入城に何らかの制限があるからだ。俺はその突破法を知らない。仮に俺だけで魔王城に辿りついても、どうしようもできず右往左往するしかないだろう。無駄足だ。
どうするか。ニルスには真っ向に勝負を仕掛けても勝ち目はないと悟った。すぐに取り返すのは無理だ。
まずに思いついたのは、ダミースライムを助けることだった。レギナの分身なら、記憶も共有している可能性がある。ニルスに捕まったときの状況、魔王城のことも知っているかもしれない。
移動前にさっと身の回りのものを落としていないか確認し……いつの間にか魔法が解けて、男の姿に戻っていることに気がついた。
……意識を失っていたのだから、制御ができずに魔法が解けたのはわかる。
もう一つおかしなことがある。あれだけ影虫に刺されたのに、俺の体には傷ひとつないのだ。
「……」
変幻が解けた時に傷も塞がった? いや、怪我は物理的な具象であり魔法ではない。体に痕は残るはずだ。それに気絶していたなら、勝手に治癒魔法が発動したとも思えない。
「……」
最後に唱えたのは確か、<蘇生の術式>。ただ呂律が回っていなかったからな。きちんと発動するはずがない。
……俺は悪運が強いようだ。失敗魔法がたまたまいい方向に働いたのだろう。
「……」
もしかしたらフォチュアやリーリィに起きたような”転生”が起きて、俺にも何かありえないものが備わったかもしれない。
だが確かめる時間はない。自分のことはさておき、ダミースライムの気配を辿る。ニルスの位置を時々確認しながら、一番近くのレギナの元へ走った。
ザザザと草木を後ろへ流していく。虫の羽音が近づいてきて、俺は詠唱すべき魔言語を頭に浮かべる。
「<炎の術式=其・周囲……」
視界が開けた。虫の群れに俺の体を突っ込ませるようにして、
「業火>」
ごうっと周りに炎を散らす。じゅうっと焦げる匂いが鼻に届く。
「レギナ」
声を掛けた先、その姿は何故かいつもの少女ではなく、ゼリーの塊にグラドウルフの足を生やした珍妙な生物だった。虫が追いかけてこないことに気がついたのか、ダミースライムのレギナは落ち葉の上を滑るようにズザーっと止まる。
「レギナ、聞きたいことがある。魔王城は……」
ぐにゃりとグラドウルフの足が曲がって、ピンク色になる。溶けたゼリーがどろどろと地面に広がり、水のようになった。
「……」
<察知>を使って魔力の動きを確認するが、目の前のレギナはすでに事切れているとわかる。
影虫に体液を吸われたのか? だがさっきまで、魔力の動きにおかしいところはなかった。ダミーの状態が限界に達していた、と考えるべきか。
残りもう一体を追うつもりで再度<周囲・察知>を使う。
……手遅れだった。影虫に捕まって魔力が弱っている。
「……っ」
やはり、ニルスに捕まった本体のレギナを取り戻さないとだめか。
ニルスはレギナを殺すつもりはないだろう。魔王の座を放棄してでもレギナを望んでいた。簡単に捨てるはずがない。何処かに隔離して監禁するだろう。
……ニルスが村を出て、俺の<周囲・察知>の稼働範囲を超えた場所に行ってしまったら、探し出すことが難しい。だが特定の存在だけ察知する魔法を使うなら別だ。問題は、小さい紋を察知対象に刻まないといけないことだが。
……少し考えて、捻った答えが浮かぶ。
ニルスに直接つけなくても、影虫に紋を刻めばいい。巣はニルスの両肩にあるのだ。生き残った虫は蟲使いの元に帰るだろう。
魔力を操る虫に紋を刻んだところで、うまく効果を発揮してくれるかはわからない。
だがものは試し。襲われているもう一体のレギナの元へ向かう。大きく離れてはいない。<我・身体強化>で己の脚力をあげる。ニルスにばったり遭遇しないように、相手の気配にも注意しつつ。
捕獲の術式を使おうかと思ったが、対象が小さいと的を絞りにくい。ならば虫取り網を使って、物理的に数匹まとめて捕獲してしまった方がいい。
「<手持ち倉庫>」
四次元空間の奥から愛用の網を取り出す。絹糸を細く細かく編んで作られた優れものだ。絹製だから魔法も遮断できる。
何故こんなものを持ち歩いているかというと、魔道具を作る時に虫の羽を使うことがあるからだ。例えばパルーバでもたまに見かける発光蝶。羽は魔力を通すと光るから、魔法水晶の光が外から見えない魔道具の、*魔力サインとしてうってつけだ。
徐々に速度を抑えて足を止める。レギナのダミーが丸い塊になってじっとしているが見えた。覚悟を決めるための深呼吸をひとつしてから、止まっている虫に網をばさっと振りかぶると、ブワッと一斉に虫が飛んだ。すぐに距離を取り、迫り来る奴等を<着火>でぼんぼんと燃やす。
……うまくいった。絹の魔法を通さない性質のおかげで、網の中の虫は無事だ。
一、二、三……四匹ゲット。ブンブンと網の中で暴れまわる虫たちをしげしげと眺める。サイズは大人の親指の爪くらい、体は平べったくて、三角と四角の間の子みたいな形をしている。やっぱり見たことがない虫だ。
……魔力を吸い出すことができるその力を魔道具に組み込めないかと。好奇心が疼いてしまい、一匹だけ小瓶の中に入れてみた。生き物だから<手持ち倉庫>には入れられない。布で包んで懐にしまい、残り三匹に指輪をはめた指で紋を貼り付けるための魔法を唱える。
「生成の術式=魔法・紋」
ぼうっと浮かんだ赤い光を掴み、粘土のように捏ねて変形させ、<其・増多>で三つに増やす。網の上から押さえつけた影虫にえいとそれを埋め込むと、ボワっと赤く光って影虫を包むように張り付いた。
三匹の背中に取り付けたら、<探知の術式=其>で虫が正しく感じ取れることを確認し、さっと離した。あとは刺される前にすたこらさっさと逃げるだけだ。
身体強化で脚力をあげれば、影虫から距離を離すのは意外と簡単だった。虫の気配が背中から消えたと思い、振り返る。もう一度<探知の術式=其>を唱えて、目標を見失って俺から離れていく影虫を確認した。
……バレないといいが。蟲使いとはいえ、まさか何千匹もいそうな数を一匹一匹把握しているとは思えない。
「……」
ぽぽぽ、と近くで間抜けな鳥の声がした。さっきまで危険な虫が飛び回っていたというのに。影虫の存在は鳥の危機感を大きく煽るものではないようだ。
とりあえず、これでニルスが何百キロ離れようと、大まかな動向は把握できる。
……さて。ヴァヌサのところに戻ろう。というかそれ以外にできることがない。俺の心臓の爆弾が起動してしまうかもしれないが、ヴァヌサに事情を話さなければ、レギナを取り返す算段もつかない。
嫌いな相手に会うのは億劫だ。普通の<周囲・察知>でニルスの位置を確認してから、傷のない肌を疼いた痛みを取るように爪で掻き、フォチュアの家の方に引き返した。足取りは重い。
*魔力サイン:魔法はマナを動かして発動する。そのマナを動かす力(=魔力)は通常五感で確認できないため、触媒(=魔法水晶など)が光るかどうかで魔力が動いているか目視で確認する必要がある。この魔力が動いたことで起こる発光を魔力サインと呼ぶ。ちなみに発光蝶の羽自体は触媒ではないため、あくまでも魔力サインを確認するために使う素材である。




