実力
影虫と呼ばれる平たい蟲は、ニルスが指揮者のように腕を振るとまだまだ出てくるようだ。近づいてくる奴を次々に燃やして行くが、キリがない。
防戦一方。俺は攻撃のぶつけ方で悩んでいた。単純な話、<着火>でニルスの服そのものを燃やしてしまえばいいが、そうなるとあらゆる虫が火から逃げ出して一気に押し寄せてくるだろうから、対処できる自信がない。
影虫は吸血することで魔力も吸い取り、相手を魔力酔いさせる力がある。だが他の虫はどんな力を持っているかわからない。何らかの理由で火炎耐性を持つ虫もいるかもしれない。蟲使いの本体を狙うには、慎重にしなくてはいけない。
ぼんやりため息を零す。早い段階でレギナに<洗脳の術式>を教えてもらうべきだった。少しは戦いで有利になれたかもしれない。
尻込みしているわけじゃないが、俺は少しずつ、無意識に相手から距離を取っていた。ニルスは動かない。どこか神妙そうな顔をして、笑っているだけだ。
「ずっと虫を燃やしているだけだね。私を狙わないのか? それとも対人戦闘が苦手なのかな?」
「アンデットに魔法をぶつけることに躊躇いはない」
死人に魔法は無効。これは通説だ。だからこそアンデット、つまり生ける屍と呼ばれる魔物は、魔法耐性が非常に高い。これは魔法を発動するための魔言語がもともと魔物が使っていたことが関係しているらしいが。
だが魔言語を使わない魔法は有効だ。太陽神教に基づき、人間が作り出した神聖魔法。神聖魔法は開発されて歴史が浅い分、耐性を持つものが少ない。アンデットには最も有効だ。問題は発動に時間がかかること。悠長に祈印を結んでいたら虫に襲われる。
「正直、君と遊びたい気分じゃない。さっさとカタをつけさせてもらうよ」
ニルスは空いている右手で、パサリと服の裾をはためかせた。
「行け。蛾艶虫」
バサバサと二、三匹。現れたのは小さな茶色い虫だった。畑では野菜を守るために幼虫とたくさん戦ったな、と、つい孤児院での生活のことを懐古する……まさかこれ走馬灯か?
「<炎の術式=其・周囲・業火」>」
ごうっと火炎の壁を作り、虫の襲来を防ぐ。
「火で防壁を作れば祈印を結べるか……」
四方を火で囲むと熱いが仕方がない。炎の範囲を広げようとした瞬間、自分の背中で魔力があらぬ方向に動いたことに気がつき、はっとする。
「<着火>」
俺の太腿から焦げた匂いを放ち、ぽてりと平たい虫が地面に落ちた。いつの間にか影虫に血を吸われたのだ。
結構強い魔力操作だ。俺は相当たくさん吸われない限り魔力酔いをしないだろうが、何十匹、何百匹と刺されたらまともに魔法が撃てなくなる。
「<炎の術式=其・周囲・業火>……」
妙な感覚がしたと同時に、魔法が自分を掠めた。「熱っ」と飛び上がって、袖に引火した火をぶんぶんと振る。
「……<水の術式=我>!」
ばしゃっと水が頭から掛かった。袖の火は鎮火したが、やはりおかしいと思って焦げ茶色になった袖を眺める。
「腕に水をかけるつもりが……」
そしてとんでもないことに気がつく。
「俺、ノーブラだった……」
今は女の体に変身している。ずぶぬれになれば服が肌に張り付き、色々とボディラインが目立つ。女性が濡れるのを嫌がる理由が少しわかった気がする。
羽音を耳にして我に返り、慌てて<着火>を唱える。何匹か逃す。俺はパッとしゃがんで、炎の壁を盾にした。
「苦戦しているようだね」
炎が弾ける音の向こうに、からりとしたニルスの声が入ってくる。
「一体何をした。お色気を見せている余裕はない」
「いきなり何の話? ……まあオカマの色気なんかどうでもいいけど。魔法がうまく使えないだろうよ」
「……っ」
「多種多様な魔法を使えるからといって調子に乗らないことだ。私とて、魔法師との戦い方くらい心得ている」
「……」
空を見上げると、高いところでひらひらとあの蛾たちが飛んでいるようだった。
「……あの蛾が、魔力の流れを狂わせているのか」
どうやらあの蛾も影虫と同じで、魔力を勝手に操作できるタイプのようだ。遠隔で魔力を掻き混ぜて、正確な位置に飛ばすことができなくなる。
「なら……」
魔言語で方角を定めればいい。完璧に軌道を補正できる、とまではいかないが、あらぬ方向にはいかないはずだ。また距離を取りつつ、<方位・察知>で北の位置を魔法で確認。それから攻撃魔法を詠唱する。
「<炎の術式=其・方角・我・西・並>」
俺の正面にごうっと炎の壁が盛り上がる。予想通りの位置だ。
いける。確信した俺はさらに円柱状に炎を出して自分の周りを囲み、魔法水晶の指輪を取り出して宙に祈印を刻む。
「<我が神の名の下に、>
<我が道の邪悪を払うために、聖なる力を授けたまえ>」
<祈印と共に放たれよ────光擊>」
“合図”を追加することで、特定の印を切ると同時に発動できるようになる。
光撃は、実は生き物にとっては眩しさを感じるだけのもので、痛くも痒くもない。その代わり死体は焼き焦げてしまう。だからアンデットにも効くんだが。魔言語の魔法は基本は生物にしか効かないから、ちょうど魔言語と祈印は反対の力を持つようなものである。
発動の準備が整った。あとは狙いを定めるだけ……。
燃え盛る炎の壁を消すと、敵を見失ったことに気がつく。すぐに<周囲・察知>で場所を確認すると、背後に回られていた。
「……っ、<我・強化>!」
「噛め、縄虫」
ニルスの服の袖からにゅるりと伸びてきた三本の鞭……いや、ミミズか? 俺の右肩と右足、左腕に吸い付くようにしてくっついた。噛まれるより先に身体強化魔法を唱えたおかげで大した痛みはない。ミミズに歯があるのか知らないが。
ニルスはほぼ目の前だ。俺は指輪をはめている右手で大きく三角の印を結び、光撃を発動する。
三角印が輝き、その場の空間が白く裂ける。そこから出たビュンと真っ直ぐな光線がニルスの胸を貫いた。
「ふふ。甘いね」
白い光に突き刺されながらも、ニルスは平然としている。
何故だ。相手は半魔だから効果も半減するだろうと見込んでいたが、全くダメージが入らないなんてことがあるのか?
「……光撃が吸血鬼に効かないはずがない」
そう言いつつミミズを振り払おうと腕や足を振るが、全く離れない。
「いいや、もちろん効いているさ。ちりちりした熱を胸の前で感じるよ」
「……」
<察知>を発動してみればすぐに原因がわかった。ニルスの服の下で、蟻のような虫が死骸をちょうど胸元に集めているのだ。つまり、死体を盾にして光撃が蟲使いの肌に当たらないようにしている。
「神聖魔法の光の速度を避けるのは至難の技だ。でも光にも弱点がある。遮られたら影となり、その先に届かないことだ」
ぐらりと頭が揺れた。酔ったようにふらふらしてまっすぐ立つことができない。
「魔力、酔い……」
と、一瞬だけ思ったがそんなはずはない。<着火>や<炎の術式>、光撃は高位魔法ではないし、そんなに数も撃っていない。
ということは、毒だ。このミミズのせいか。
「炎の壁で周りを覆えば虫は入れない。合理的な方法だと思ったのかもしれないけど、戦っている最中に自ら視界を遮って、目標から目を離すとかありえないだろう」
ニルスの呆れたような微笑を見て、アレスからも同じ注意をされたことを思い出す。
「どんなにたくさんの魔法が使えても、うまく使えないんじゃ意味がないね。魔法が可哀想だ」
「……っ」
早く、<解毒の術式>を使わないと。だが魔言語を唱えようにも、まともに呂律が回らない。
「魔法紋に頼って森ごと破壊するような大技を撃てばよかったのに、使わなかったのはわざとか?」
それは、ヴァヌサに村を傷つけないように言われたから……。
「冗談を本気にして性転換して見たり、話を聞いていないかのような発言をしたり、一体君は何がしたかったのかな? 緊張感のようなものも対して感じなかった。私を舐めているのだなと判断したけど、」
「……ちが、う……」
「違う? そう、ならいい。自分の愚かな行動を自覚できない奴ほど、不愉快なものはない」
「……」
不愉快に思わせたかったわけじゃない。俺は真面目に交渉していた。俺の戦意がないことを理解してもらおうと相手に合わせた。それなのにいつも空回りして、通じない。理解されない。
魔法紋のおかげでできることが増えて、さらにレギナがそばにいたから、本来の”俺”を忘れ始めていたのだろう。これが俺なんだ。意図や意思が伝わらず、怒らせてしまった相手から悪意と受け止められて報復を食らう。これが普通だったんだ。
「馬鹿には醜い死に方がお似合いだ。汚い涎を垂らしながら虫に食われて死ね」
ブーンと強い羽音と共に、俺の体が虫に覆われる。皮膚を齧られる感覚におぞましさを感じて、重い腕をバタバタと動かして払うが、虫は次から次へと現れる。
せめて<移動の術式>が唱えられば、この場から離れることができるんだが。しかし、口が動かないならそれもできない。魔言語は正確に唱えなければ正しい効果をなさないからだ。
最強の力。絶対的な魔力を操る魔王の力。
だがそんなものがあっても、俺は最強にはなれないのか。
使い方が悪い。そうだろう。わかっている。攻撃魔法を撃てるようになったのは魔法紋を得てからだ。冒険者になってからも俺はずっと応援するだけの傍観者であり、直接戦いの中に入ったことはない。
……魔王になったところで強くなれないなら。こんな惨めな負け方をするなら。魔法紋をもらわなければよかったのか。
レギナの顔を浮かべて、罪悪感を覚える。彼女はニルスに囚われて、何を考えているのだろうか。この戦いは見えていたのだろうか。俺に魔法紋を渡さなければよかったと後悔しているだろうか。
レギナは信じてくれていた。無条件に。俺が魔王として活躍してくれるだろうと、励まして。心の奥底では不安もあったのかもしれないが、それよりも魔王に対する忠義が彼女を明るく振る舞うように仕立てていた。
「……ホワ……フェリュハ……ホワ・イン……フェリュハ……」
安易に唱えてはいけないと、何度も言われたが。後悔の念を胸にして、それでも何かにすがりたい気持ちで。俺は魔言語を口にした。




