意図せぬ幸せ
お義母さま視点を追加します。
この男はいけ好かない。
婚約者であるラザフォード侯爵の嫡男との初顔合わせでの感想だ。
拳で彼に殴りかからなかったわたくしを誰かに褒めてほしいぐらい。
クズ野郎というのはこういう男がなっていくのだろうと、冷静な気持ちで思ったほどだ。
わたくしの婚約は、確実に魔力の強い子供を産むためにと組み合わせられたものだった。
この国では上位貴族になればなるほど、血筋に拘る。愚かしい選民意識というよりも、血による魔力の維持を図ることがこの国の防衛につながるからだ。
もちろんわたくしもそのようなめぐりあわせで結婚した両親から生まれた。わたくしが珍しいほど魔力の強い女性であったため、5歳の時、同じ年周りでは一番の魔力を持つラザフォード侯爵家の嫡男との婚約が結ばれた。
王命によって定められて婚約の場合、お互いに顔を合わせるのは12歳以上になった時と定められている。貴族令嬢など、16歳で成人するまでは家で教育を受け、同世代の令嬢達との交流を行うのが普通だ。その交流の中で、わたくしは婚約者について様々な噂を聞いていた。
もちろん友人たちもまだ成人していないから、噂話を身内から仕入れてくるのだ。わたくしは長女で弟しかいないため、このような情報は有難いものだった。
婚約者は2歳年上で、世間では噂になるほど優秀らしい。見た目も王族と劣らないほどの美貌を持ち、魔力も王族並みだそうだ。
そんな彼と婚約できて、羨ましいとさえ言われる。
会ったこともない婚約者であったが、わたくしは友人たちの言葉を聞きながら、少し得意気だった。
ゆっくりとした時間の中、12歳の誕生日を迎えると婚約者の彼との顔合わせが決まった。
お母さまは気合を入れてドレスを作り、お父さまは呆れながらも色々な注意をしてくる。少し浮かれていたのはわたくしも同じ。
噂だけしか知らない、評判の良い彼に好かれたいという気持ちが強かった。
少し緊張しながら期待感もあり、用意された場所へと向かう。
顔合わせのために整えられたサロンへ行けば、すでに彼は待っていた。
「はじめまして。エリザベス・ブライスです」
「ふうん。お前が私の婚約者か。魔力が多いと聞いていたが大したことはないな」
両親に似て整った顔立ちと、金髪に濃い緑の瞳をした王族とも劣らない容姿。
そして上位貴族にありがちな尊大さを持ち合わせていた。
わたくしが挨拶したにもかかわらず、名乗ることもせずにそんな言葉を吐く。どこのならず者かと思ったほど、礼儀がなっていなかった。
わたくしは少しだけ戸惑いを浮かべて見せながら、内心マイナス点を付けていた。
交流は苦痛でしかなかった。
彼はわたくしの話を全く聞くことはなかった。自分がどのような魔力を持っているのか、今やっている研究がどう、とか。
正直聞いていても全く面白くもないし、理解できない。
わたくしはまだ12歳。特殊な環境でしか知りえない話題についていけるわけがない。
そもそも何を話しているのか、説明がないままに話しているのだ。
それでも時々頑張って、質問をして見たり、わたくしの考えを述べたりしたが。
「そんなことも分からないのか。今まで、どんな勉強をしてきたのだ」
「……」
返事ができなかった。黙り込んだわたくしに彼はふんと馬鹿にしたように鼻で笑った。
「だいぶ頭が足りないようだな。国王陛下が結び付けた縁だ。結婚はしてやる。私の隣に立っても恥ずかしくないように今からでも励め」
マイナス点どころか、彼の評価は底辺を突き破った。
お前の会話能力がなさすぎるだろう! と怒鳴りつけたかったが、ほんのわずかに残った理性が押しとどめた。理性は暴言を止めてくれたが、怒りは収まらない。
次の交流について、何も決めずに別れた。
その日の夜、自室にてわたくしは大いに荒れた。クッションを投げつける。
「なんなの、あの男!」
「お嬢さま、落ち着きなさいませ」
生まれた時からわたくしの世話をしている侍女がひどくおっとりとした口調で窘めた。
「だって! 自分のことを棚に上げて、わたくしのことを頭が足りないなどと言ったのよ!」
「それは残念でございました。ですが、結婚は義務でございます。相手の方に求めずとも幸せなどいくらでもありますよ」
冷静な言葉に息を吐いた。
確かにそうだ。わたくしの両親だって、仮面夫婦だ。外では仲がよさそうだが、父は外に愛人がいるし、母は趣味にいそしんでいる。わたくしと弟は使用人たちに育てられていた。
それが一般的な政略結婚をした夫婦の生活だ。
彼の噂が素晴らしいものだったから、どうやらわたくしは勘違いしてしまったようだ。
彼と温かな家庭を築けるのではないかと、物語にしか出てこないような家庭を夢見ていた。
結婚し、子供を産み、侯爵家の領地経営をする。
政略結婚なのだから、役割を果たせばいい。
子供が二人ぐらいできたら、後は適当でいいだろう。
相手も歩み寄るつもりがないのなら、好き勝手しても問題ない。男の問題は愛人でも娼館でも勝手にすればいい。
わたくしは12歳の時、幸せな家庭生活を手に入れる努力を放棄した。
******
結婚生活は思っていた通りに殺伐としていた。
義務的に肌を重ね、長男と次男を生んだ。次男が生まれた後、わたくしは夜のお勤めを拒否した。
「何故だ?」
「もう二人も息子がいるのです。これ以上、一緒にいる必要はないでしょう?」
「……そうか」
そんな短い会話だけした覚えがある。その後、夫は侍女に手を出したようだった。
心配そうに何人かの使用人がそのことを教えてくれたが、別にわたくしは気にならなかった。妻の座をよこせとか跡取り息子は自分の生んだ息子だと言い出さない限り、放置するつもりだった。
どちらかと言えば、夜の相手をしてくれているのだから感謝していたほどだ。
愛人となってしまった彼女の気持ちはわからないが、彼女も男爵とはいえ貴族令嬢。でしゃばることもなく、何かを強請ることもなく、わたくしの目に触れないようにひっそりとしていた。だから特に何もしなかった。
そんな彼女が消えてしまったのは、愛人となって1年経とうとした時だった。申し訳なかったという謝罪の手紙がわたくしの所に届いた。たった一言しか書いていなかった。
「どうなさいますか?」
家令が聞いてきたが、わたくしは放っておくようにと告げた。彼女が何を考えていなくなったかはわからないが、ここにはいられない何かがあったのだろう。
理由は一つだけ思いついたが、それは言わなかった。
愛人に振られた夫はしばらくは意気消沈していたが、すぐに元に戻った。外に何人もの愛人を作るようになったが、わきまえない愛人は例外なく退場してもらった。
冷めきった両親に関係なく、息子二人はとてもいい子に育った。
夫の容姿を色濃く受け継いだ二人は魔力も夫と同じぐらい、頭の回転も速く、そして夫よりも優しい人間に育った。人の痛みをきちんと考えられるように、優しさを徹底して教えた。
長男が成人して夫と共に王城で仕事をするようになり、次男は剣術も極めて王太子の護衛となった。
この時が一番幸せだったと思う。
自慢の息子たち。
夫にはない物を持ち、これで侯爵家も安泰だと思っていた。
だけど、そんなことはなかった。
戦争という国家の危機に、二人の命は失われた。
長男は国の防衛に使う魔力を最大限まで注いだために命を落とした。
次男は指揮官として戦場に赴いた王太子の盾となり帰らぬ人となった。
幸せだと思っていたのに。
すべてがなくなった。
残ったのは、冷え切った関係の夫とわたくしだけ。
泣く力さえもなかった。
茫然自失として毎日を過ごしているうちに、家令が躊躇いがちに声を掛けてくる。
「何かしら?」
「もう一人……侯爵様の血を引いた息子様がおります」
「……どういうこと?」
訳が分からなかった。わたくしの生んだ子供以外にはいないはずだ。沢山いた愛人たちには子供ができないように注意していたのだから。
「この屋敷に勤めていた侍女を覚えておりませんか?」
「そう、彼女は妊娠したからここを出て行ったのね」
彼女が出て行った時に思った予想が当たっていたようだった。
ため息を一つつくと、家令に指示をする。
「彼女を探し出して、その子を連れてきなさい」
見つけた子供は孤児院にいた。
彼女はすでに病で亡くなっていた。
彼は彼女の色を持った子供だった。顔立ちは夫に似ていたが、色が違うだけで似ているように見えない。こうして見ていても、魔力も大したことなさそうだ。
そうであっても。
たった一人の血を継いだ子供だ。
わたくしは彼をラザフォード侯爵家の跡取りにすることを決めた。
その中で、期待以上だったのが魔力だ。彼は市井で生きていくために魔力を隠していただけで、夫よりもはるかに高い魔力を持っていた。
その事実にほっとしながらも、息子たちよりも優れているかもしれない彼を疎ましく思う気持ちもあった。
二人の息子が生きていたら会うことのなかった夫の血を継いだ子供。
それでも彼を跡取りに、と押したのは、夫がわたくしと離縁して若い女と跡取りを作ることを阻止するためだ。20年も侯爵家を切り盛りしていたのに、今更取り上げられるのは許せなかった。
市井育ちの義理の息子を教育しているうちに、疎ましい気持ちは次第に消えていった。
とにかく彼は人間として色々な部分が欠けていた。それは苦労して育ってきたのもあるだろうが、母親に捨てられたくなくて無理やり魔力を隠し、自分を押し殺していたせいでもある。
勉強や魔法についてのことならば優れていたが、人間関係が全く駄目だった。
会話が続かない、まともに顔が見られない。
貴族社会で嘲笑されたのも一因だろう。
「ロイド」
「はい、義母上」
彼を部屋に呼び出せば、小さくなって返事をする。わたくしがため息をつけば、大げさにびくりと体を揺らした。
「対人関係が苦手なのはわかりました。これからは無理に反応しなくてよろしい」
「え?」
「常に無表情でいなさい。笑顔もいりません」
「でも、それでは」
貴族では気持ちを悟らせないように笑みを浮かべることが多い。だがそれで失敗するぐらいなら、そもそも表情を変えなければいい。
幸いにして、ラザフォード侯爵家は王族にも認められているほどの家だ。王族に頭が下げられれば問題はない。
「隙ができなければいいだけです。無表情で問題ありません」
そう言い切れば、ロイドはほっとしたように笑顔を見せた。少し泣きそうな顔に息子たちとは違うのだとしみじみと思った。
この子はわたくしがいないと、貴族社会では生きていけない。いい妻を見つけるまでは、わたくしが支えていかねばと強く心に思ったほどだ。
ロイドに妻となる女性を見つけた。
それがわたくしの侯爵夫人としての最後の仕事だった。ロイドと結婚したパトリスはわたくしの意をくんで、とてもよくやってくれた。
ロイドは大人になっても不安定な子供で妻にべったりであるが、子供たちともそれなりに仲が良く、侯爵としてもきちんと勤めている。
もうわたくしがいなくとも、何も心配いらなかった。
想像以上に幸せな人生だった。
とても満足だ。
もう少しで先に逝った息子たちに会うことになるだろう。
その時にはお前たちの弟はとてもいい子だったと伝えようと思う。
Fin.
誤字脱字報告、ありがとうございました。
とても助かりました。




