悪夢
人々の悲鳴が真っ暗な空間に響く。
空間を切り裂くような女の甲高い悲鳴に遅れて子供の泣き叫ぶ声が上がり、カイルは浅い眠りから飛び起きた。
眠りから覚めたばかりだが、瞬時に覚醒した頭で辺りの状況を掴もうとしてあたりを見渡すが離れたところにある壁に掛けられた数本の蝋燭の灯りでは辺りを満足に照らすことが出来ず、何が起きているのかを掴むことが出来ない。
鳴り止まない悲鳴と泣き声にいつにも増して不安が胸にこみ上げ、知らず知らずのうちに音を立てて唾を飲み込んだカイル。
悲鳴聞こえる方向に意識を飛ばしていると、突然背後から檻の扉が開く音がしてカイルは太くがっしりとした腕に身体を捕まれる。
ヒッ、と息を呑んだカイルは一瞬身体を硬直させるが、直ぐにジタバタとその腕を振り払おうと藻掻く。
しかしその腕は解けることはなく、カイルの身体は無理やり檻から乱暴に引きずり出される。
「はなせっ、」
檻から出される時はろくなことが無い。恐怖で顔を青くしたカイルがいくら暴れても男の腕は固くカイルをの身体を掴んでいて、片手で暴れるカイルを押さえ込んだ男は彼と檻の柱を繋いでいた長い鎖を鍵で外す。
カイルがいくら暴れても取れなかった鎖は男の手によって一瞬で外され、カイルは冷たい床を引きずられていく。
「やめろっ、……はなせ!」
いくら暴れてもそれは無駄な抵抗にしかならず、男に引きずられるままに暗闇を進んでいくと、僅かな風に揺らされてゆらゆらと揺らめいている淡い蝋燭の光に照らされる空間に放り投げ出されたカイル。
ふっ、と身体が浮いて、カイルは咄嗟に受身をとろうとするが、腕を太い腕輪で括られているためにうまく動けず、ズサッと砂を擦る音を立ててカイルは地面に着地する。
カイルが膝にある傷をかさぶたにならないうちに新たに擦りむいたせいでいつもより痛む膝に軽く顔を歪めると部屋の奥から男たちの笑い声が響く。
バッとカイルが顔を上げると急に明るい光を見たせいで一瞬目が眩んでカイルは眩しそうに顔を顰める。
目を細めて前を見据えると白く染まった視界がだんだんと色を取り戻し、蝋燭の光で満たされた空間を映す。
ぱちぱちと瞬きを繰り返すとそこには浅黒い肌をした体格のいい男たちとカイルと共に連れてこられたのであろう数人の女子供たちが。
全員腕はカイルの腕についているのと同じような腕輪で拘束されていて、女たちはそれぞれ憔悴したようにげっそりとした顔をしていたり怯えた表情をしていて、カイルより幼い子供たちは泣きじゃくって赤くなった目に恐怖の色を浮かべている。
唯一一人だけいるカイルと同い年ぐらいの少年は震える手を固く握りしめて男達を涙の溜まった目で睨みつけている。
しかし男たちはカイルたちの様子など気にせずに一様に使い古された鞭を片手にニヤニヤと下世話な笑みを浮かべていて、カイルは男の握っている鞭に気がつくとサッと顔を青くする。
脚の力が抜けてぺたん、と尻餅をついたカイル。
男はカイルのそんな姿を見てニヤリと口の端を持ち上げると、カイルたちに見せつけるように何回か鞭を振ってみせて、男が鞭を振ったのに合わせてパチンッと革の音が鳴り、カイルたちはその音に過敏過ぎるほどに身体を震わせる。
幼い子供が恐怖に耐えきれないようにボロボロと涙を流しながらも嗚咽を漏らさないようにと唇を噛み締める。
そんな姿を視界の端に映しながら、カイルが怯えたようにじり、と真っ青な顔で身体を男から退く。
しかし男は無情にもたかが一歩でカイルとの距離を詰め、ニヤリと目を細めて笑うとカイルに向かって鞭を振り下ろす。
ヒュッと鋭く風を切る音がして、カイルが反射的に目を瞑って顔を逸らすと、次の瞬間頬で破裂音のような音と鋭い痛みが走る。
肌を切るようなその痛みにおもわずカイルの噛み締めた唇の間から呻き声が漏れ、頬を血が流れ落ち、地面にぽたぽたと染みを作る。
泣きそうな表情のカイルはそれでも唇を噛み締めて痛みに耐えようとするが、男はそれを見てさらに笑みを深めるともう一度鞭を振りかざす。
パシンッ、と音が響き今度は身体に痛みが走る。
服で覆われていると言っても薄っぺらい布一枚隔てているだけである。そのため身体には鋭い痛みが走り、カイルは先程よりも顔を歪めるが、その間にも鞭は無情に振り下ろされ、カイルの身体にはパシンッ、パシンッという乾いた音とともに鞭の痕が増えていく。
切れた皮膚から血が噴き出し、ぼたぼたと身体を流れ落ちる。
「ぐっ、……かはっ……」
朦朧とする意識の中、いっそ手放した方が楽だろうとそのまま手放そうとした意識は男に腹を殴られたことによって失敗する。
腹を殴られて空気を失ったカイルははふはふと不規則な呼吸を繰り返し、吐血する。
目の前が霞み、目の前にいた男の姿がモヤがかかったようになる。
それに比例するようにそのままだんだんと遠ざかっていく男の怒号。
プツン、とカイルの意識は不自然に途切れた。
シン、と静まり返った部屋の中、一人悪夢に魘されていたカイルはバッと布団を蹴りあげて目を覚ます。
(またか……)
カイルの額には玉のような汗が吹き出していて、浅い呼吸を繰り返したカイルは深くため息をつくとゆっくりと起きあがる。
自身の項を無意識に撫でながら窓の僅かな隙間から入ってくる月明かりを頼りに足音を殺して布団から抜け出したカイルは、ベットの脇に立て掛けてある木剣を手に取るとそれを片手に、窓を開けて窓枠に脚をかけると外へ飛び出す。
タンッと、静かに地面に着地したカイルはそのままふらふらと裏庭の方へと歩いていく。
ここに来てから頻繁に見るようになった悪夢。
それはカイルが人買いに囚われていた頃のそのまま記憶を夢に反映したもので。
カイルの項につけられた烙印はとっくにヴァイスハイトに治癒魔法でとっくに消されていたが、今はないはずのそれが痛む気がしてカイルは顔を歪めながら項に手を当てる。
普段ならこんな悪夢を見た日にはもう眠ることが出来ないからと一人静かに稽古に励むのだが、今日は稽古すらもやる気が起きなかった。
代わりにしゃがみこんだカイルは服に泥がつくのも構わずに地面に膝をつくと、カイルの頬を知らぬ間に涙が流れていき、服に小さなシミができる。
ぽつぽつと増えていくそれをぼんやりと眺めたカイルの喉奥から小さな嗚咽が漏れる。
握りしめていた木剣を手放したカイルは力なくへたり込むと両の手で自分の顔を覆い、とめどなく流れてくる涙を乱雑に拭う。
ここに来てからこんなことは初めてで、溢れ出てくる涙に戸惑いを隠せない様子のカイル。
「くっ……ふぅ、…」
唇を噛み締めて涙を流すカイルの唇から血の雫が一つ流れ落ちる。
チリっとした痛みが走るが、それに気を止めずにカイルは苦しそうに顔を歪める。
その時、カイルの背後で足音がし、カイルは振り向くとそこにはどこか厳しい表情をしたヴァイスハイトが。
突然のことにカイルは驚くが、ヴァイスハイトは厳しい表情を崩すことなくカイルに近づく。
「まだ、囚われているのか」
低い声でヴァイスハイトがそう言って、カイルは目を見開く。
明るい月が雲に隠され、ヴァイスハイトの姿が一瞬見えなくなる。
「お前はここの人間だ。もう心配することなどないのだ、安心しろ」
そのヴァイスハイトの染み込んでくるような声色に、カイルは見開いた瞳からぽろぽろと涙を流す。
安心しろ、なんて言われたことも、優しくされたことも初めてで、胸に湧き上がってきた感情にカイルは戸惑いを隠せない。
「ふ、……うぅ、……っく、」
顔を覆って涙を流すカイル。
その姿はカイルが泣き方を知らない者の泣き方で、カイルのそばにしゃがみこむと、カイルの肩に手を乗せたヴァイスハイト。
「全て、忘れていい」
ヴァイスハイトがそう言って、カイルはヴァイスハイトの胸に顔をうずめて咽び泣いた。




