第23話 北門町の婚姻証
その日の午後、私は北門町の旧番所で臨時窓口を開いた。
机を一つ、椅子を四つ、帳面を二冊。たったそれだけで、人は驚くほど列を作る。配偶者欄を空白にされた未亡人、続柄を消された継子、住民票から外されかけた老人夫婦。皆、似たような紙を持っていた。
「火災前の礼拝堂納付票です」
「これ、婚姻式の時の席次札でして」
「うちの夫婦名は炭の配給簿に残ってます」
王都なら鼻で笑うような証拠ばかりだった。けれど私は笑わない。台帳の本質は、人がそこにいた事実をつなぐことだ。豪奢な証書だけが真実ではない。
ハンナが持ってきたのは、煤けた小さな銀札だった。礼拝堂の結婚献金を納めた時に受け取る控えで、裏に日付と二人の頭文字が刻まれている。
「これだけでは法的な婚姻証に届きません」
私が言うと、ハンナの顔が曇る。だが私はそのまま続けた。
「でも、補助証拠にはなります。式の立会人は?」
「粉屋のオットー夫妻と、礼拝堂の鐘守だった老夫婦です」
「では次に、その四人から聞き取りを取りましょう」
机の向こうでエーミールが息をついた。まだ少年だが、家が消える恐怖だけは大人以上に知っている目だった。
そこへ、磨かれた馬車が番所前に止まった。春泥の似合わない白革の靴が降り立つ。青磁色のドレスをまとった女が、嫌に滑らかな笑みを向けてきた。
「まあ、ずいぶん庶民的な窓口ですこと」
年は三十前後。胸元の徽章は王都民政院の臨時観察員。だが仕草は、役人というより自分が見下す側だと思い込んでいる人間のそれだった。
「私はベアトリクス・フォン・アルヴェルト。王都より今回の国勢調査に同席いたします」
彼女はハンナたちの紙束を見下ろし、唇を薄く曲げる。
「けれど、こうした情に流された登録は困りますわ。証書の弱い家まで数に入れては、公金が濁りますもの」
「公金を濁したくない点は同意します」
私は椅子から立ち上がった。
「ですので、机の上だけで家族を消した人間から先に洗わせていただきます」
ベアトリクスの目が、ほんのわずかに細くなった。
見た目だけは上品でも、この女はすでに誰かを切り捨てる計算を始めている。




