218話 機のままに
―― As it flows ――
ユニムが電気石をそっと鞄にしまい込むと、わずかに視線を上げ、隣に立つエレナへと問いかけた。
「では、機の魔獣は存在しないのか?」
その問いは軽いものではなかった。機という新たな力の広がりを考えれば、それを宿した存在がいても不思議ではない――そんな直感が、ユニムの中にあったからだ。
エレナはすぐには答えなかった。しばらく思索するように視線を落とし、指先で顎に触れながら、ゆっくりと口を開く。
「おそらくだけど……存在しない、もしくは極めて例外的ね」
静かな声だったが、その言葉には確信に近い重みがあった。
「そもそも魔獣という存在は、古の時代に魔王が生み出したものだとされているの。
つまり、あの時代に確立されていた“元素”や“元力”が基盤になっている」
そこで一度言葉を区切り、ユニムの反応を確かめるように視線を向ける。
「機の元素や元力は、それよりもずっと後に見出されたもの。
比較的新しい概念だから、魔獣の構成要素には含まれていないと考えるのが自然ね」
ユニムは小さく息を吐いた。理屈としては納得できる。しかし同時に、別の疑問が浮かぶ。
「……魔王は、それほどのものを生み出せるほどの力を持っていたのだな」
エレナはわずかに目を細める。
「正確な魔力量なんて、誰にもわからないわ。
でも、魔獣という種そのものを創り出した存在よ。底が見えない、としか言いようがないわ」
その言葉は、単なる畏怖ではなく、歴史そのものに対する認識だった。
ユニムは無意識のうちに拳を握る。自分自身も魔力には自信がある。少なくとも、並の術者には劣らないという自負があった。だからこそ――
「氷については、問題ない――」
そう言いかけた瞬間だった。
「いいえ、問題はあるわ」
エレナが、言葉を遮るように告げた。
その声音は先ほどまでよりも鋭く、わずかな緊張を帯びている。
「氷は今、“機”に侵食されつつあるの」
ユニムの表情がわずかに強張る。
エレナは続けた。
「四元力の中でも、氷は機との親和性が異常に高い。結びつきやすいと言ってもいい。そしてその影響が、すでに各地で顕在化している」
彼女の言葉は、淡々としていながらも現実の重さを伴っていた。
「電気石……それに電気を動力とする機械。その多くが凍結しているの。しかも局所的じゃない。四王国全体で、同時多発的に起きている」
ユニムの脳裏に、先ほど凍りついた電気石の光景がよぎる。
「街の機能は麻痺しつつあるわ。
交通も、通信も、生活基盤そのものが滞っている。
四つの王城街をつなぐインフラも同様にね」
エレナは一瞬だけ空を仰いだ。
「まるで、“氷の時代”が再び訪れたかのように」
その言葉には比喩以上の現実味があった。
「……さっきの電気石も、それが原因なのか」
ユニムが低く呟く。
「ええ。あなたの魔力が、機に反応したのよ。そして、その結果として凍結が引き起こされた」
自分の内にある力が、知らぬうちに世界へ影響を与えている。その事実に、ユニムはわずかな違和感と責任の重さを覚えた。
エレナは視線を戻し、静かに言う。
「だから気をつけて。機械に触れるときも、氷を扱うときも。
今は、以前と同じ感覚ではいられない」
忠告は簡潔だったが、その裏にある危険性は明白だった。
しかし――エレナはそこで言葉を終えなかった。
「ただし、すべてが悪い変化というわけでもないの」
ユニムが眉をひそめる。
「どういう意味なのだ?」
「氷の性質そのものが、変質し始めているの」
エレナの瞳に、わずかな研究者としての興味が宿る。
「通常ではありえないほど溶けにくく、そして硬度を増した氷……いわば“反物質的な性質”を帯びた氷が生成可能になっているのよ」
その言葉に、ユニムの意識が鋭くなる。
「防御にも、攻撃にも転用できる。
常識外れの強度と切れ味を持つ氷――それは、従来の魔法体系を逸脱した力になり得る」
危機と可能性は、常に隣り合わせだった。
ユニムはしばらく黙り込む。状況は単純ではない。むしろ、これまでの常識が通用しない局面に入りつつある。
やがて、彼女は静かに息を吐いた。
機の流れに抗うのか、それとも――機のままに進むのか。
その選択は、まだ誰にも委ねられていなかった。




