心のユキサキ(7)
コウとサキが、並んでブランコに座っている。二人ともいっぱい泣いた。ユキのために泣いてくれた。素直に嬉しいよ。ありがとう。
コウの気持ちも、サキの気持ちも知っていた。ユキも、自分のことを本当は判っていた。ユキはただ、置いていかれたくなかったんだ。コウのことはちゃんと好きだけど、それ以上にサキに独り占めされるのが嫌だった。
コウは優しいからね。ユキが告白すれば、絶対にオッケーしてくれるって思ってた。ユキは可愛いもの。そういう自分を、一生懸命に作っていた。だから、負けるはずなんかない。コウが付き合ってくれることになって、ほっとした。良かった。これで、ユキは二人に仲間はずれにされないで済むんだって。
その代わりに、コウとサキがお互いを避けるようになってしまった。そうなるんじゃないかって、予想はしていた。思っていたよりも、ユキの受けるダメージは大きかったかな。だってそんなこと、望んでなんかいなかったんだ。
コウがサキよりもユキの方を見て、ユキのことを優先してくれるのは、とっても幸せ。
でも、ユキはサキとコウの関係を壊してしまった。二人の気持ちも知っていたのに。
ユキは――悪い子だ。
「俺はユキのこと、忘れないよ。ユキと俺は、付き合ってたんだ。俺はユキのことが、好きだった」
うん。ありがとう、コウ。
ユキもそう思っている。幼くても、ユキとコウはその時れっきとした恋人同士だった。ユキは命の灯の消える最後の瞬間まで、コウの彼女だった。それが大事なことだ。
ユキの時間は、そこで終わり。ああ、幸せだった。別れ話なんて、聞きたくないもの。人生にバツなんて付けたくない。わがままでもなんでも、ユキはコウの最初の恋人。そして、コウはユキにとって人生唯一の人。
過去は譲らない。ただ、コウとサキの時間まで止めてしまうのは、本意ではないんだ。
「あたしはコウにはユキの方が似合ってるって、ずっと思ってた、素敵だなって。見ているだけで、満足してたんだ」
ごめんね、サキ。サキが沢山のことを諦めてしまったのは、きっとユキのせいだね。
大丈夫だよ。サキはコウと、とってもお似合いだ。そうなってしまわないように、ずっとユキがコウのことを引き留めていただけ。サキには、サキの魅力がある。自信を持って、ね? ほら、少なくともここにいる一人は、サキのことをずっと想い続けてくれているんだから。
今までのコウは、申し訳ないけどユキが貰っていくね。譲れないの。その代わり、これからのコウは・・・できればサキに任せたいかな。ううん、サキじゃなきゃ、ダメだ。そうじゃないと、ユキが壊してしまったものを取り戻せない。
過去と未来で、半分こ。罪はお互い様だ。ごめんね、コウ。ユキは知ってました。ごめんね、サキ。コウはちゃんと返します。
二人の手を取って、近付ける。三年、長かったね。ユキも、自分の中を整理するのにそれだけの時間が必要だったんだ。死霊術師の人がここまで導いてくれたんだよ。伝えたいことを伝えて、思い残すことなく安らかに眠れるようにって。
――たとえそれが、この世界の理に反することであっても。
「いいのかな、ユキ?」
うん。コウの正直な気持ちを、サキにぶつけてあげて。サキはそういうの苦手だから、コウの方からリードしてあげること。あ、なるべく優しくね。サキだって、女の子なんだから。ユキにしてくれたのと同じように。できるよね?
「あたし、どうするのが良いのか判らないよ」
なら、コウを信じて、コウに任せて。コウなら大丈夫。サキの大好きなコウだよ? ユキのことをこんなに想ってくれたんだから、サキはそれ以上に愛してもらえるよ。いいな。羨ましいな。
そろそろ、お別れみたい。
伝え忘れたこと、ないかな。
サキもコウも、末永く幸せにね。
ユキのこと、忘れちゃやだよ?
生きているって、とても素晴らしいことだ。
もっと色んなこと、したかった。
ふふ、コウとキスとか。
せめてその初めてくらいは貰っておきたかったな。
サキ、がんばれ。
お迎えが来ちゃった。
はい、今いきます。
マナさん、ありがとうございました。最高の『夢視る死霊術』、確かに受け取りました。
さようなら、コウ。
さようなら、サキ。
そしてさようなら――私。
チャイムが鳴って、お昼休みになった。ヒナはもうバタンキューです。二年生になって、授業がまた一回り難しくなった気がするよ。選抜クラスのサユリなんかは、これの更に上をいっているんだよね。そりゃ、あかん。ヒナなんかあっという間に多項式の除法で鼻血噴いて倒れちゃうよ。因数分解って、人生に於いてそこまで大事なことかなぁ。
「ヒナ、お昼にしよう」
ユマとフユがお弁当を手にヒナの席に集まってきた。お待ちかねの時間ですよ。ヒナもうきうきと机を動かそうとしたところで、ぽこんと頭の後ろを小突かれた。
「おいこら、曙川。あんまり面倒を起こすなと言っておいただろう」
振り向くと、担任のカオリ先生が教科書を丸めて持って仁王立ちしていた。白衣の下のナイスバディが男子の間で人気沸騰中の、若くて美人な数学教師だ。アレだ、リケジョってやつ。頭が良くて一回りしちゃっているせいか、微妙な残念感が付きまとっているのがむしろ高い好感度を生じさせている。
「えー、何のことですか?」
「補習だよ! お前と朝倉に問題があると、みんな私のところに回ってくるんだ。頼むから信頼を裏切らないでおいてくれ」
「はぁーい」
隣の席のハルの方にちらりと目線を送ると、困ったみたいに微笑まれてしまった。カオリ先生はヒナとハルの関係を認めて、その上で同じクラスにしてくれた恩人だ。不必要に波風を立ててしまうのはよろしくない。特に今回の一件は、ヒナが課題の提出を怠ったことが原因となっている。言い訳のしようがなかった。
「朝倉の方がちゃんとしてくれてるから何とか体面は保ててるけどさ、学校が二人を認めるのに足るということを、二人自身が示してくれないと困るのよ。そこのところ、自覚しておいてね」
「わかりました。すいません」
そうそう、ハルは最近勉強の方も頑張っているんだよね。部活で活躍して、授業も真面目に受けて。何それ、完璧超人じゃね? 知らない間に、ハルが高スペックになっている。やん、ヒナの彼氏様って素敵すぎない?
「馬鹿言ってないで中間の勉強しとけよ?」
言いたいことを言い終えると、カオリ先生は足早に教室を出ていった。白衣で風を切って歩く後ろ姿も、颯爽としていて大人の魅力たっぷりだ。男子数名がうっとりとした顔で見送っている。ヒナもカオリ先生みたいになれたらパーフェクトなんだけどなぁ。圧倒的に知力が足りない。魅力は愛嬌、バストは詰め物でカバーします。
「土曜日は大変だったねぇ。せっかくのデートチャンスだったのに」
「自業自得だよ。でもどうせ、朝倉君には待っててもらったんでしょ?」
ユマとフユが、ニヤニヤとしている。はいはい、フユの言う通りですよ。部活のないハルは、ヒナの補習が終わるまで学校の中をぶらぶらしていたんだって。ヒナが鼻の穴からニホニウムとかフロレビウムとかデンドロビウムとかの意味不明な言葉をぼろぼろと垂れ流しているところに、後光と共に降臨なさってくださりましたよ。まさに奇跡!
その際、ヒナ的にはハルの隣に重金属類生意気物体であるところのハナがドヤ顔で存在していることを覚悟していたんだけど。意外や意外、ハルは一人でヒナをお迎えしてくれた。
すごい、何あの子超気が利くじゃん。実は善人? ・・・とか思っていたら、携帯にフユからのメッセージが届いていた。あ、補習授業中は当然携帯の電源はオフです。バイブレーション音が気付かれただけで、教室の窓からガチで投げ捨てられます。ひどい。修羅の教室だ。
で、何のことはない、ハナはフユに連れられてサキの件に関係しているらしい死霊術師を訪ねているとのことだった。死霊術師って普通に生活している分にはまず聞きなれない名詞だし、なんともおどろおどろしい響きだなぁ。ハナって、そういうの平気だったっけ? フユはいつも通りに飄々としていて、今朝も「あ、無事に終わったから」と軽いものだった。あそう。じゃあ深く考えなくても、別に良い・・・のか?
「おーっす、飯食いに来たぞぉ」
何だおめぇら。呼んでねぇぞコラ。
昼時になると別クラスからわざわざやってくるのが、じゃがいもコンビだ。宮下と和田。うるさい根菜と静かな根菜。通常、根菜は静かなものでしょう。マンドラゴラでもあるまいし。
二人はハルの友達で、目当てはヒナが作ってきたおかず一品となっている。ヒナとしては、そろそろこのサービスからは手を引きたいんですけどね。あれだよ、英語の授業中とかに「なんで私、今更教室で自己紹介なんてしてるんだろう」って我に返る瞬間。それが今。今でしょ。
元々はハルの友達ということで、頼まれて始めたことだったはずなのに。知らない間に第二学食みたいな扱いになっているのがマジで解せない。まずはハルに感謝しなさいよ。それからヒナにも感謝しなさいよ。更には調理場所を提供している、曙川家の皆様にも。材料費百円程度じゃ、これっぽっちも割に合わないんだからね。
学食組の人の席を借りて、六人でぐるりと輪を作る。小学校とかの班活動みたいだ。ハルのお弁当は、毎度ヒナの手作りです。こちらは習慣化していただいて全然オッケイ。丹精込めて作っているからね。あっちの化学調味料と塩分と油に塗れた、高コレステロール物体には箸を伸ばさないよーに。
「油が美味いんじゃねーか。女はわかってねぇなぁ」
うるせぇ、黙って食え。ラードでも一気飲みしてやがれ、ばーか。
「そうだ、フユ、後でサキのところに行ってみない?」
「解決した」と言われたところで、それがどういう形を取ったのかは不明のままだ。フユからあらかたの説明は聞いていても、実際のサキを見るまでは安心はできなかった。
死霊術師が、サキにもたらした答えとは何なのか。
ことと次第によっては、こちらから殴り込みの一つでもぶちかましてやらなければならない。大体死霊術師を自称するとか、どうにも胡散臭くはないですかね。フユにそう言ったら声を上げて笑われた。今度会うことがあれば、是非面と向かってツッコんでほしいとか。いいっすよ、やるっすよ。補習さえなければ、ね。
「ん、その必要はないよ」
サンドイッチをリスみたいに頬張りながら、フユはもごもごとそう口にした。何で、と訊こうとしてヒナも気が付いた。教室の入り口から、こそこそとこちらの様子を窺っている女子がいる。背が高いし、後ろを通る別な女子から熱い視線を浴びてしまうのでバレバレだ。ああ、手間が一つ省けたね。ヒナは「ちょっと」と言って席を立った。
「お、何だ、花摘みか? 横浜か? 四番か?」
サツバツ! じゃがいも死すべし。お前、その隠語つまんねぇんだよ。高校生なのにおっさんレベル上げてどうするんだ。犬に縄くくり付けて引っこ抜かせるぞ。ゴルァ。
「ヒナ、やっほ」
「サキ、お久し。元気?」
予想通り、そこにいたのはサキだった。クラスが分かれてから、部活が忙しいこともあって少々疎遠になってしまっていた。でも、大切な友達であることに違いはない。ぱっと見た感じだと、そこまでおかしなところはない、かな?
「ごめんね、ちょっとヒナに頼みたいことがあって」
コウとのことをどう尋ねたら良いのか悩んでいたら、サキの方から用件を切り出された。ヒナにできることなんて、ほっとんど何にもないですけどね。ああ、教科書なら貸せますよ。もう驚くほどに真っ新で、新品同様。下手すりゃ一度も開いてません。ヤバいとは思っています。うん、切実に。
サキは言葉を切ると、そろっと教室の中を覗き込んだ。ん、何かあった? ユマとフユ、それから根菜二つとハルがお昼を食べている。あ、こら、ハルの唐揚げを取るんじゃないよ。漬けダレにどんだけ手間がかかってると思ってるんだ。この欠食児童!
「うん。やっぱり、いいな」
ぼそり、と呟いたサキの横顔を見て、ヒナは不覚にもときめいてしまった。サキは普段から王子様って感じで、可愛いよりもかっこいいし、どちらかと言えば中性的で、コケティッシュなイメージは希薄だった。
それがその時には――きらきらとした女の子の顔をしていた。少なくとも、ヒナの目にはそう映った。
「あのさ、ヒナ。お願いだ」
ヒナには判った。この表情はよく知っている。そりゃあもう何年もの間、毎日のように見続けてきたからね。
そう、鏡に向かえば常にそこにいる。
「あたしに料理、というか、お弁当の作り方を教えてくれないかな?」
恋する乙女の顔。サキは王子様から、お姫様にクラスチェンジしていた。
「掴むなら胃袋から、ということだね。サキも判ってますなぁ」
「え、いや、そういうつもりはなくてさ。ただ、朝倉っていつも、ヒナの作ったお昼をすごく美味しそうに食べるじゃないか」
そうだねぇ。ヒナにとって、それは最高に幸せな瞬間だ。ハルのお世話をして、ハルが喜んでくれる。好きだなぁ、って、心の底からじんわりと愛情が持ち上がってくる。こうやって生きていくという行為の様々な過程の中で、大好きなハルと繋がっていたい。そんな願いが、きっと結婚とか、家庭を作るとか、そういう想いに変化していくんだと思うよ。
「なるほど。サキにはお弁当を美味しく食べてもらいたい人がいると」
「うええ・・・うーん、まぁ、そうだよ。ヒナと朝倉みたいではないけどさ」
サキはあっさりと観念した。いやいや、判りませんよ? 第二の幼馴染カップルの誕生だ。その辺り、ヒナは先輩ですからね。どぉーんと頼っちゃってくださいよ。まずはご飯。食の相性。お味噌汁の味噌と具のコンビネーション。これ大事。
熱く語り出したヒナと反比例して、サキの顔色がどんどんと青くなっていく。しょうがないじゃない、嬉しかったんだからさ。サキだってそのうちこうなるんだよ。覚悟しておくことだね。
・・・良かったね、サキ。
ヒナは、サキのこと応援しているよ。死んでしまった妹さんに、色々と後ろめたく感じるところはあるかもしれないけど。
それでも生きているサキの方が、真っ先に幸せになるべきだと思う。
少なくともヒナは、サキの味方だ。ヒナが教えてあげる。人を好きになるのって、とっても楽しいことなんだって。それはこの世界の誰にも、神様にだって負けないくらいの、大きくて強い力を与えてくれる。
さあ、最初の一歩を踏み出そう。
その心の行き先に――沢山の輝きが満ち溢れていますように。
読了、ありがとうございました。
物語は「ハルを夢視ル銀の鍵」シリーズ「みずイロ」に続きます。
現在鋭意執筆中ですので、公開までしばらくお待ちください。