第15話
(ね、寝れない……)
天井の飾り細工を見上げながら、俺は必死になって羊の数を数えていた。
頭の中の羊たちは元気に牧場の柵を跳び越えまくっていて、けれど眠気を誘ってはくれそうにない。
燭台の明かりも消えた寝室。さっさと眠ればいいのに、一向に瞼は重くなっていなかった。
「んぅ……んっ」
理由は単純で、傍らから聞こえてくる吐息のせいだ。
バニー姿で爆睡中の俺の婚約者さまは、じつに数十秒に一回という割合で艶めかしい声と衣擦れの音により俺の睡眠を妨害してくる。
「んんぅ」
眠れるわけがない。
床で寝ていたときは聞こえなかったが、こうして同じベッドで横になっていると耳元で囁かれているのかと思うほどに寝息が気になる。
いや、ただの呼吸音と服が擦れる音なわけで、別にいやらしいものではないはずだが、俺にとっては刺激が強すぎる。
(大丈夫。リリィはただ寝てるだけだ。平常心平常心)
俺が邪な気を起こさない限り、なにも起こるはずがない。言い聞かせながら、けれど俺はついリリィの方へ顔を向けてしまった。
「ん、んぅ」
こてんと、すっかり寝入ったリリィの身体が寝返った。乱れた衣装に、俺は思わず口を押さえる。
胸の谷間が見えている。生足が布団を挟んでいる。なんなら太股は全開である。
(お、落ち着けッ! 落ち着くんだッ!)
誰だあの衣装をデザインした奴は。
俺だ。
(天才か俺は!)
いやまぁ、デザインしたといってもバニーガールそのまんまなわけだが、あまりにも似合いすぎているリリィの姿に俺は喝采を送りたかった。
まず、胸が凄い。なにがとは言わないがこぼれそうだ。胸がだ。
ネココの隙間がある故の無防備さもあれはあれで強烈なものがあったが、こちらはストレートに脳味噌をぶん殴ってくる。
荒くなる呼吸を押さえるように、俺は両手で口と鼻を遮った。ひとまずリリィを起こしてはいけない。速くなる心臓に止まれと念じつつ、俺は音を出さないように慎重に深呼吸した。
そのときだ。
「んぅー。ぎゅう」
寝返りを打ったリリィの腕が、俺の腕を引き寄せた。ふにゅりと当たる感触。柔らかな刺激に、思わず身体が硬直する。
「テッペーのあほぉ……むにゃ」
ひぃいいいと声にならない悲鳴を上げてしまった。温かくて柔らかな感触は間違いなくリリィのもので、部分で言えば上半身だ。
革の生地自体は硬めと言えるが、そこから隠しきれていない柔肌が。肌触りのよさと感じたことのない柔らかさに、脳細胞がガンガンに白旗を上げていく。
「あ、あのリリィ?」
「うーん」
勇気を出して声をかけたが効果はない。当たり前だ、寝ているのだから。
そのとき、胸を覆う革のパーツが下にずれた。
「ッッ!!?」
最悪だ。いや、最高なのだが、これはさすがにマズい。
自分の腕が邪魔でよく分からないが、先ほどよりも確かに柔らかな感触が増している気がして、ともすればこれはリリィのアレがああなっている可能性も否定できないわけで――。
(だ、だめだ。自分を見失ってしまいそうだ。こ、このままでは……)
自分が全然信用できない。だってなんかいい匂いがする。衣擦れの音も小さい吐息も、俺の下半身を攻撃しているとしか思えない。
ぶっちゃけそんな度胸あるわけなんてないのだが、理性が耐えれる保証もない。
なにせ、美少女と同衾。そしてなぜかバニーガール。人生で考えたこともないシチュエーションだ。お金を払う関係すら怖くて手が出せないでいたのに、いきなりこれはハードルが高すぎる。
「だ、だめだ。可愛すぎる」
悪魔どころか天使のような寝顔で眠っているリリィの顔を盗み見て、俺は逃げるようにリリィの腕を振り払った。
◆ ◆ ◆
「……なにしてんのあんた?」
朝。小鳥の鳴き声とともに起床して、私は第一に眉を寄せた。
隣で寝ていたはずのテッペイの姿は無く、なぜか床の上で丸くなっていたからだ。しかもよく見れば、毛布でぐるぐると自分の身体を器用に縛っている。
「いやその、なかなか寝付けなくて」
赤い目を腫らしたテッペイが「おはよう」と言ってきた。返しながら、呆れたように自分の婚約者を見下ろす。
わけがわからない。あんなに恥ずかしいのを我慢して同衾を許したのに、なんでこいつは相変わらず床石の上で寝ているのか。
本当に雄なのだろうか。こんだけ頑張っている婚約者が横で無防備に寝ているわけで、ここはむしろ手を出すのがマナーみたいな感じだと思う。
いやまぁ、来たところで許すわけじゃないんだけど。
「あんた……私に変なことしてないでしょうね?」
「大丈夫だ。誓ってなにもしていない」
キリっとした顔で答えるテッペイ。どこかやり遂げた表情なのはいいとして、私は自分の衣装を探ってみた。
ペタペタと、自分の身体を確認する。多少乱れてはいるがそれは寝返り等が原因だろう。脱がされた形跡もなく本当の本当になにもされていない。
「いやまぁ……いいんだけどさ」
私はテッペーを睨みつけた。
あんなヘタレな雄などごめん被る。しかしひとつ言えることは、せっかく頑張って着てやった破廉恥な衣装はどうも不発に終わったということだ。
別になにがしたかったわけでもないが、鼻の下を伸ばしてきたら踏みつぶしてやろうと思っていたのに。
「むかつく!!」
「なんでッ!?」
ただ、なんか負けた気がして、私は枕をテッペイの顔面にぶん投げた。
◆ ◆ ◆
「本当に付いてくるの?」
「なによ、私がいたら不都合でもあるわけ?」
刺々しいリリィの声が響く。困ったことになったぞと思いながら、俺はカジノへの道を歩いていた。
別にやましいことがあるわけではないが、なにせリリィだ。トラブルしか思い浮かばないと俺は汗を流す。
「例の雌猫の顔を近くで拝んでやらないといけないでしょうよ」
「いやほんと、勘弁してください」
どうやらなにか起こるのは確定のようで、ずんずんと歩いているリリィに俺は肩を落とした。
仕事ぶりを見に来てくれるのは素直に嬉しいが、そう喧嘩腰だと困る。
「安心なさい。私は節度は弁えてるから。仕事の邪魔はしないわ」
「ほんとかなぁ」
胸を張るリリィは得意げだ。というか、カジノまでの道のりで既に目立ちまくっている。
なにせ舞踏会に行くのかとでもいうようなドレスを身に纏い、ハイヒールで城下町を闊歩しているのだ。そりゃあ美少女関係なく道行く人は振り返る。
「王女さまだ」
「ほんとだ、なにしてんだろ」
ぶっちゃけ思い切りバレてしまっていて、あのお忍びデートはなんだったんだろうと俺は思った。
ただ、久しぶりの城外にリリィ自体はご機嫌なようで、楽しそうに街並みに目をやっている。
「テッペー! 見てみて! 屋根に鳥がいるわよ!」
「……そりゃあ、いるんじゃない?」
睨まれた。どうやら返答を間違ったようで、これが恋愛シミュレーションなら好感度はマイナスといったところだろう。
「なによ。私と一緒なのがそんなに嫌なの?」
ぷくっと頬を膨らませてリリィが睨んでくる。可愛い。
ともあれ女の子の扱いは難しいと俺は息を吐いた。
「嫌なわけはないけどさ。その……いいの? 思い切りバレてるけど」
「いーのいーの。もうあんたと一緒にいてもお付きにしか思われないだろうしさ、問題ないわ」
そんなものなのだろうか。現に街行く人の中には俺の方を興味深げにじろじろ見ていく人もいるようで、あまり王女さまが見知らぬ男と二人きりというのはよろしくないのではと思う。
「あ、ここがカジノだよ」
「知ってるわよ。昨日来たって言ってるでしょ」
そういえばそうだった。というか、つまり昨日リリィは一人でここまで来たわけで、それはどうなんだと俺はリリィを見つめた。
リリィが一人で城の外に出るなんてリチャードが許すわけもないのだから、つまりはこのお転婆姫は勝手に城を抜け出したということになる。
きょとんとした顔で見返され、とりあえず注意しておいた。
「あのさ、あんまり一人は危ないよ。ただでさえリリィ可愛いんだから」
「なッ!?」
リリィの口が栗型に尖った。加えて言えば王女なわけで、せめて護衛ぐらいは付けてくれと念を押す。
いやまぁ、現に今襲われたとして、俺になにが出来るのだとは思うが。
「俺じゃなかったらリチャードさんに言うとかさ。わかった?」
「わ、わかったわよ。うるさいわね」
なにやら照れたようにそっぽを向くリリィに呆れつつ、俺は前途多難な今日の職務に想いを馳せた。
◆ ◆ ◆
「わたしの、テッペーが、お世話になってます」
「あらほほほ、これは可愛らしいお姫さんやわぁ」
数分後、案の定広がってしまった光景に俺はだらだらと背中の汗を流すのだった。




