第16話
どうしてこんなことになったんだろう。
両脇に感じる柔らかな感触に困惑しながら、俺は魔界の空を見つめていた。
「ちょっと! テッペーにくっつかないでくれる!? 貧民が移るでしょ!」
「なんですかそれ。そっちこそ関係者以外は立ち入り禁止ですよって」
俺の両端では二人の美少女が俺を取り合っていて、それ自体はとんでもなく素敵なことなのだが、問題なのは二人が俺を物理的に取り合っているという点だ。
右腕をリリィに。左腕をネココに引っ張られながら、俺は為すすべもなく畑のカカシのようになっていた。
「テッペー! こっちに来なさいよぉ!」
「お兄さん、こっちです! こっちぃ!」
ギリギリと俺の腕が悲鳴を上げている。特にリリィの腕力はすさまじく、なんかもう筋繊維やら皮膚やらが音を立てているような気がした。
躊躇のない二人の引っ張り合いに、このままでは裂かれてしまうと俺はたまらず申告する。
「リリィ痛い! 腕ちぎれる!」
その瞬間、ハッとしたネココが手を放し、俺はリリィの下へと倒れ込んだ。
いきなり押し倒されてリリィが驚いたように赤面するが、すぐに俺の右腕を持ち上げると高らかに勝利を宣言する。
「やったー! 私の勝ちー!」
「ちょ、ちょっと! 今のはうちが勝ちの流れでしょう!」
ネココの申し入れに「?」とリリィが首を傾げる。私が引っこ抜いたんだから私のもんだというように俺をリリィは抱き寄せた。
「なに言ってんの? あんた手放したじゃない。馬鹿なの?」
「いやだから! お兄さん痛がってましたやん!」
指摘を受け、なんだそんなことかとリリィは得意げに胸を張った。ポンポンと俺の頭を叩き、満足そうに口を開く。
「よく我慢したわテッペー。褒めてあげる」
リリィの大岡捌きの判決にネココもあんぐりと口を開けた。だがまぁリリィらしいといえばリリィらしい。
「普通は! 好きな人の身を案じるんですぅ!」
「そんなの知らないわ。たとえ腕がもげようとテッペーは私のモノよ」
ふふんとリリィが勝ち誇る。
ぎゃあぎゃあと騒ぐ二人の喧噪を聞きながら、俺はとりあえず仕事をさせてくれと晴れた魔界の空に思いを馳せるのだった。
◆ ◆ ◆
「……なんですか?」
不機嫌そうに見つめてくる猫女に、私は海よりも深い寛大な心で話しかけた。
「あんたテッペーのこと好きなの?」
「はぁ?」
猫女が呆れたように眉を寄せるが、こいつの魂胆は見えている。
作業に戻った私のテッペーを見つめながら、私は腕を組んで言ってやった。
なにをやっているかは分からないが、どうやら周りの者たちから頼られているようだ。初めはとんだヘタレだと思ったが、なかなかどうしてマシになってきている気がする。
「どうせあれでしょ? 貧民が好きな……玉の輿? そういうのでしょ」
猫女の身体がぴくりと止まる。図星だ。
ふふんと胸を張って、私は勝ちを確信した。卑しい貧民の考えそうなことだ。この事実を突きつければ、女に疎いテッペーも目を覚ますだろう。
「……まぁ、初めはそうですけど」
「認めたわね。ふふ、まさに泥棒猫って感じね!」
はい勝ったー! これはもう完璧完全に私の勝利というものだろう。
しかし、「やはりテッペーには私しかいないわね!」とふんぞり返っていると、なぜか優しげな瞳で猫女が私を見つめてくる。
「なによ? 言い訳なら聞いてあげなくもないわよ」
「いや、ほんとにお姫さまなんやなぁって」
呟かれ、なにを言ってるんだこいつはと私は見返した。
私が王女なんて、生まれたときから決まっている。
「お金持ちって、すごいんですよ?」
「はぁ?」
今度は私が口を開く番だ。そんな当たり前のこと言われても、なにが言いたいのかさっぱりわからない。
「生まれもありますけどね……それでも、親の財産継ぐのも大変です。それが貧民から成り上がろうってんなら尚更」
誰に言っているのか、猫女は私を見ずにどこか遠くを眺めながら言葉を続けた。
それが、聞いておいたほうがいいことのような気がして、私はなぜか猫女の声に耳を澄ましてしまう。
「思うに、お兄さんは貧民の出や思うんですよ」
どきりとした。確か、テッペーがそんなことを言っていた。
テッペーから聞いたのだろうか。いや、そうではないと猫女の口振りが言っていた。
「お兄さん優しいですよって……運やろうな思います。実力とか競争とか、そういうんじゃないんやろうなって」
それも当たりだ。テッペーがこの魔界にやってきたのは、完全なランダムなのだから。
なにやら得体の知れない胸騒ぎを感じて、私は猫女の顔を覗き込んだ。
「頑張ってるやないですか。優しいし、なによりうちを見つけてくれはりましたし。……好きになるには十分ですよ?」
素顔で言われたその言葉を聞いた瞬間、なにか言い返そうと口を開く。
しかし、なにも出てこないことに気がついて、私は愕然とネココを見つめた。
「て、テッペーは私のモノよ!」
なんとかそれだけ絞り出して、けれど空しく響くその言葉に私は焦りを覚えていた。
「……さいですか。うちなら、自分をお兄さんのものにして欲しいですけどね」
それだけ言うと、猫女は「それじゃ」とカジノに戻っていった。
テッペーにはわき目もふらず、自分の持ち場に戻っていく。
「……な、なによ!」
なんだかどうしようもない感覚に侵されて、私はその場に立ち尽くした。
◆ ◆ ◆
「どうしたの?」
帰り道、いつもよりも随分と大人しいリリィに俺は首を傾げて声をかけた。
不機嫌なわけではなく、ただ黙って俺の横を歩いている。
「……別に」
ぷくりと頬を膨らまして、リリィが軽く下を向いた。
怒っているのかとも思ったが、どうもそうではないらしい。
(ネココとなにかあったかな……)
二人きりにしたのはまずかったかもしれない。けれど、考え込んでいる様子のリリィは苛立っているような感じはなく。
なんだろうと思っていると、不意に左手に柔らかな感触が当たった。
「リリィ?」
それがリリィの右手だと気づくのに時間はかからず、無言で握ってくるリリィの手を俺は困惑しながらも握り返す。
「……手、握る」
「握ってるよ」
本当にどうしたんだろうと思いながら、けれど嬉しい出来事に、俺は魔王城までの歩みを少し遅くするのだった。




