豚も歩けばプリンスとお勉強!
比奈は鏡の前で絶望していた。
去年までは余裕があった服が着れなくなっている。
明日のプリンスとの勉強会にこのチュニックを着て行こうと思っていたのにどうしよう。
クローゼットにある比較的ましだと思われる服を引っ張り出しては試着する。冬物ならいっぱいあるのだが、今はもう若葉が薫る5月に近い。さすがにこのタートルネックのあったかワンピースを着ていくのははばかられる。
こんなことになるのなら、プリンスの質問に答えられるようにと古典の勉強ばかりしていないで素直に母と買い物に行くべきだった。近くのショッピングモールは恒例の土曜一で安かったのに!
けれど、時すでに遅し。
時計を見ると夜の10時を過ぎたところである。デパートも閉まっているし、今から買いに行くのはちょっと無理だ。
「なんか疲れた……、もう制服でいいや。」
そもそも勉強するだけなのにおしゃれする必要とかないよね。
むしろ下手に気合入れておしゃれして、プリンスに『えっ?なにこいつ気取っちゃってんの?』とかドン引きされるよりいいよね。
いや、プリンスはそんなことで馬鹿にしたりしないと思うけど、私の気持ちの問題!
比奈はさっさと諦めて制服の上にいつも通学時に使っているコートを着ていくことにした。
『ここはクラスの皆には絶対バレないと思うから、安心して来ていいよ』
プリンスが指定してきたのは、とあるマンションの一室だ。
てっきりカラオケボックスとか喫茶店の一室とかを想像していた私としては虚を突かれた形だ。
プリンスの住まいはものすごい豪邸だと噂で聞いているので、プリンスの家ではない。
誰の家なのか尋ねたら『伯父さんの家なんだけど、今仕事で海外に行ってるから好きに使っていいって言われてるんだ』との答えが返ってきた。
さすがお金持ち、親族みんなセレブな生活をしている模様だ。確かにマンションの一室なら誰にも見られる心配はない。
女性が軽々しく男性と二人きりになるのはいかがなものかとちょっとだけ考えたが、プリンスほどの美男子が女の子に困ってるとも思えない。そんな心配するだけ無駄である。
そもそもプリンスはそんな人ではない。
勉強会の日程を決めたあとも、プリンスは何故かメールを毎日くれるのだが(しかも割と比奈の趣味嗜好などかなりどーでもいいことを聞いてくる)、さすが育ちがいいだけあってメールの文章にも人柄の良さが表れている。
プリンスに限って何か間違いが起こるということはないだろう。
(そもそも一緒に勉強会などを開いてること自体が比奈にとっては何かの間違いかと未だに疑うレベルである)
私服を諦めた比奈は、散らかした服をクローゼットの中へと戻し、制服をハンガーにかけてため息を吐いた。骨折り損な気分だ。もう寝よう。
バックを開けて、勉強会で使う教材がきちんと揃っているか確かめる。
よし、ちゃんと全部入っているようだ。
確認が終わると、比奈は明日に備えて早々に布団へ直行した。
+++++++
「ここであってる、よね?」
マンションと聞いていたが、これ億しょんの間違いではないだろうか。
勉強会の当日。日曜日だというのにきっちりと制服を着こんでやってきた場所は明らかにセレブ臭が漂う高層マンションだった。
バベルの塔のような堆い建物を見上げながら、もう一度メモと地図を確認する。
やはりここで合っている。
比奈は恐る恐るマンションのエントランスに近づくと、プリンスに電話を掛けた。
3コール以内にプリンスが出た。やはりプリンスは仕事が早い。
『おはようございます。山梨です』
『おはよう。着いた?』
『はい、着きました』
『今開けるから、コンシェルジュの人に案内してもらってね』
『はい?コンシェルジュ?』
『うん、俺のいる階まで案内してくれるから』
コンシェルジュってあれ?ここホテルだっけ?マンションじゃなかったっけ?
疑問に思いつつも、ロックされていた自動ドアが開いたので中に入る。何故か美しいお姉さんが4名ほど立っていて、「いらっしゃいませ」と綺麗なお辞儀をされた。
え?ここやっぱりホテル?あれ?
「山梨さまでございますね?桐生さまより案内を申し付かっております。どうぞこちらへ」
お荷物をお持ちいたしますと、参考書とノートぐらいしか入っていないバックを差し出すように促される。
え?ここやっぱり(略)
エントランスホールの天井は高く、最上階まで中央が吹き抜けになっており、落ちてきたら死ぬだろうと思われる大きさのシャンデリアがぶら下がっていた。
プリンスが御曹司なのは知っていたが、ここまでハイソだとは思わなかった。なんでうちの高校に通ってるんだろう。
もっとお坊ちゃまお嬢様が集まるところに行くべきなんじゃないだろうか。
そんなことを考えながらエレベーターに乗っていると、たちまちプリンスのいる階まで到着してしまった。
考え事をしていたせいでうっかりここが何階なのか見ていないが、中央の吹き抜けから見えるロビーがだいぶ小さいので結構な高さの階だと思われる。
「お待たせいたしました」
こちらでございますとコンシェルジュのお姉さんが部屋の前まで案内してくれた。今更だがお姉さんが美人すぎる。パリコレとか今すぐ出ても誰も違和感を感じないレベルで洗練されている。顔小さい。
笑顔だけど、なにこの芋くさいデブとか思われてたらやだなと比奈は無駄にネガティブになった。
「お客様をご案内いたしました」
お姉さんが言うが早いか、玄関のドアが開いた。
「おはよう山梨」
心なしか三割増しキラキラして見えるプリンスが出てきた。なんか眩しい。
「おはよう」
「さ、入って」
プリンスと二人でお姉さんにお礼を言ってから、部屋に足を踏み入れる。色んな意味でドキドキしながら足を進めると、予想通りというか、予想以上に素敵なお部屋だった。
それこそドラマに出てくる高級マンションみたいにこじゃれたインテリアが置いてある。あれだ。たぶんこういうのはストイックっていうんだ。ほら、スタイリッシュとかモダンだとかそれ系だ。だってラックとかテーブルとか全体的に鉄パイプ……、じゃないシルバー素材?がかっこよく多用されているもん。
「座って。珈琲と紅茶。どっちがいい?」
「あっ、お構いなく。え、えーとでは紅茶で!」
比奈があまりにも少ない語彙と知識で部屋を観察している間、プリンスはせっせとお茶の準備をしていた。
いいのに!プリンスにお茶くみまがいのことさせるくらいなら水道水とかでいいのに!
紅茶と共にショートケーキが出てきた。イチゴが沢山乗ってて、しかもホイップで綺麗に装飾された見るからに高級そうなケーキだ。1個500円くらいしそうな凝った奴だ。思わずうわ~!と目が輝いてよだれが出てしまう。
「私ショートケーキ大好きなんだ!」
「遠慮なくどうぞ」
「ありがとう!いただきます!」
さっそくショートケーキをフォークですくって一口食べた。
う、うまぁ~!
蕩けるよ。イチゴのほのかな甘酸っぱさとしっとり感がじんわりと舌の上で踊ってるよ。まさに舌鼓を打ってるよ。舌がソーラン節踊ってるよ!
比奈はあまりの美味しさに身悶えながらケーキを食べ続けた。
「山梨って本当に美味しそうに食べるよね」
「うん。美味しいから。なんかがっついててすみません」
プリンスに見せられる姿ではなかったよね。そんなに食うから太るんだとか思われてたらどうしよう。
比奈は少し冷静になった。
いけない。本来の目的を忘れるところだった。私は勉強しにここまで来たんだ。
「食べ終わったら古典の勉強しなきゃね」
「うん。でもまだ午前中だし、ゆっくりお茶してからでも大丈夫だよ。ケーキおかわりもあるよ」
おかわりの単語に心ひかれたけど、そこは理性で抑える。
「ううん。太っちゃうから大丈夫」
「そんなの気にすることないのに」
気にします。スタイル抜群でイケメンのプリンスには縁遠い悩みだからいまいちピンと来ないだろうけど、死活問題です。はい。
比奈は曖昧に笑ってから、最後のイチゴをほおばった。
う~ん。やはりデリシャス!トレビア~ン!美味しさのあまり、へにゃっとふやけた笑顔になってしまう。
「ありがとう。美味しかった。ごちそ」
「口元にクリームついてるよ!」
ごちそうさまにかぶせるようにプリンスが勢いよく言い放つ。
大声で指摘され、比奈は驚いて咄嗟に腕で口を拭ってしまった。なんという残念な女子力。
プリンスはテーブルに乗り出し片手を差し出したままの体勢で固まっている。
あ、そりゃドン引きだよね。女の子がビール飲んだ後みたいに豪快に腕で口元拭ってたらね。
プリンスの指が顔の目の前にある。あとちょっとで唇に届きそうなくらいだ。
あ、もしかしてここだよって指でしめそうとしてくれたのかな?
わざわざテーブルの反対側から身を乗り出してまで指摘してくるなんて、やっぱりセレブなプリンスにとっては汚い食べ方が許せなかったんだろうか。
こういう所で育ちの差が出るよね。
「ごめんね。食べ方汚くて」
「い、いや、全然。こっちこそごめん」
プリンスは何故かシュンとした様子で指を引っ込めた。心なしか顔も赤い。
えっ、もしかしてプリンス相当怒ってる?
なにこれ気まずい。
「あ、じゃあ食べ終わったし、勉強する?」
「う、うん。そうだね。勉強しよう!」
こうしてしょっぱなからぎこちない勉強会が始まったのである。