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97 優理とヴィゴラスはお買い物をした


 物事は、中途半端というのが一番厄介なのだと、ドモロール王城に勤める人々は知ることになった。

 というのも。


「雨雲が近づいてきておりますっ。どうか屋上の修理をっ。もしくは覆えるだけの大きな布とそれを浸す油をご用意くださいっ」

「大変でございますっ。宰相閣下のお使いになっていらっしゃる寝室に荒らされた跡がっ!」

「陛下っ。王座に剣が深々と突き立てられておりますっ」

「きゃああっ。殿下方のお衣裳部屋がぁっ!」

「どなたか来てくださいっ! お食事室のテーブルが破壊されておりますっ」

「客室の窓が破壊されていますっ。衛兵をっ!」


 それが一つだけであれば、まだ対応ができたことだろう。

 そして全てを破壊されていたならば、そこを閉鎖して新しく作り直すこともできたかもしれない。

 ところが、壊されているのはテーブルだけとか、衣装にしても切り裂かれてはいるけれども縫えば使えないこともないとか、剣を抜いて修理に出せばどうにかなるとか、寝台も中央から真っ二つに折られているけれども天蓋などは無事だとか、その破壊度はどこか宙ぶらりんだった。

 客室にしても、窓が割れてはいるけれども室内は壊されていないものだから、雨が降りそうだというのなら、その間、家具などをどこかに移動しておけばいいことでもある。

 しかし、それだけに誰もが大忙しとなった。


「雨雲が近づいてきている以上、これは雨漏りすることが予想されます。どうか、その階下にある廊下の絨毯も取り外してどこかへっ」

「絵画も壁から外して無事なお部屋へっ」

「カーテンも取り外すのだっ」


 誰もが自分の仕事をそっちのけで協力し合うしかない。

 一番偉い筈の国王だって、誰もちやほやしてくれなくなるというものだ。


「陛下方のお部屋も寝台が壊されております。ですから今日はどうぞ長椅子の上でお休みください」

「客室ではいかんのか。あそこなら寝台も無事であろう」

「現在、客室が集まっている階では、全ての家具を運び出す作業に追われております。陛下のお住まいである区画にまで運んでくるだけの余裕がございません。陛下はお怪我に障らぬよう、どうぞ長椅子の上で安静にしてお休みくださいませ」


 相手が国王だから丁寧な口調だが、どこかに責めるものを含ませている。

 見た目は、ただちょっと城の幾つかの屋根部分が消失しただけだ。それだけならばどうにかなっただろう。

 けれども小さな被害が同時に頻発しているとなれば、誰もが余裕を失う。

 ましてや王城には神殿や一般人が押し寄せて、事情を説明しろと迫っているのだ。本来ならば蹴散らせるそれすら、理由が理由とあって、対応する騎士や兵士達にも不安が広がっていた。


――― お城ばかりか、宰相様のお宅まで屋根が飛んだとか。

――― 本当に我が国が神子姫様を拉致したというのか。

――― どうして国王様が出てきてご説明されないのか。


 そちらには王太子であるアクネトスが向かい、現在、事実を調査中であること、そして今の時点で神子姫らしき存在は確認していないながらも、もしもそういった存在らしき情報があれば即座に知らせてほしいこと、また、何があろうと丁重にと、そう伝えたらしい。

 アクネトスが、自分自身は女神シアラスティネルに誓って何も知らないことを宣言し、その上でもしも神子姫様がこの国にいらっしゃるのであれば、その出迎えに自らが出向くと、そう発表したことで混乱はひとまず落ち着き始める様相を見せていた。


「陛下っ。これは一体何事が・・・」


 そこへおっとり刀で宰相が駆けつけてくる。

 目覚めた時、なぜか自分は裸で男と寝台にいた宰相だ。


(なぜ私があんな恥ずかしいシーツで体を隠しながら服を持ってきてもらわねばならなかったのだっ)


 自分を見るなりプッと横を向いて噴き出す騎士や兵士達の反応に腹を立てながらも、城中が大騒ぎなので駆けつけてくれば、国王は宰相を睥睨した。


「よくぞおめおめと顔を出せたものだ。宰相、そなたが神子姫様を拉致した犯人だったかっ」

「はぁっ!?」


 犯人も何も、それは国王の命令である。

 勿論、もう神子姫が到着していたことは伝えていなかったが、国王が命じたからこそ宰相は動いたのだった。


「何をおっしゃいます、陛下っ」


 だが、国王もこれは自分の尻に火がついた状態だと認識している。

 自分は何も知らない被害者なのだ。そうでなくてはならない。

 見事、手中にしてしまえれば巨万の富を運んでくる存在の神子姫だが、言いなりに出来ぬままにその拉致した事実が発覚すれば、全ての非難を自分が浴びる羽目になる。

 ましてやここまで城が被害を受けた状態で、何も説明せぬわけにはいかない。

 ならば宰相を生け贄に差し出すしかないではないか。

 そこへ、皆への指示を終え、ヘロヘロになった四人の将軍達と、王太子アクネトスが戻ってきた。


「おお、宰相殿。お楽しみだったようだな。そういう趣味があるとは知らんかったが、人生の幅が広いというのは羨ましいことだ」


 一言、まずは嫌味を放つのが第一将軍である。


「違うっ。あれは私と供の者が、いきなり当て身を食らわされただけのことだっ」


 気を失っている間に皆に見られていたと知り、かなり腹を立てていた宰相だ。ラーナを見つけ次第、どんな目に遭わせてやろうかと思っている。


「ほう。誰に当て身を? 詳しくお聞きしたいですな、宰相殿」


 そこで日頃は明るい気性の第四将軍が前へ出る。しかし、今日ばかりはそんな余裕もない。


「報告によると、街中でも屋根が壊れた被害が相次いだそうですが、どれもあなた名義の建物ばかり。しかもその内の一つには、あなたがご家族にも内緒で住まわせていた令嬢と侍女がいらしたとか」


 宰相の自宅の屋根が壊れたというので兵士達がその被害の聞き取りと手伝いに行っていたのだが、他にも次々と似たような事が起こり、そしてそこには一つの共通点があった。ゆえに報告を受けた隊長が不審に思って詳しく調べ、報告してきたのだ。

 宰相は、事態をすぐには把握できずに第四将軍を見返す。


「屋根が壊れた? 私の持ってる建物が?」

「そうです。閣下のご自宅を含めて、あなたの持ち物である別宅全ての屋根が壊されました。それは今、この城でも起きたことと一致しております。また、奥方やご子息にもご協力いただいて使用人達に話を聞いたところ、王族に所縁ある令嬢と侍女をお預かりしていたとか。ですがね、そのような令嬢、存在しない筈なのですが?」


 口調は丁寧だが、第四将軍もかなり腹を立てていた。

 自分だけではなく、部下達とて女神シアラスティネルを崇めていることに変わりない。

 ましてや、あの顔を隠していた娘が呼んだ「カイト」という名前。

 それはこの宰相が手配した男の名ではないか。


「陛下の腹に傷を負わせた娘が共にいた男の名はカイトと呼ばれておりました。そのカイト、薄い水色の瞳をしていたが、宰相殿の手配した男の名であることは皆様が知る通り。宰相殿。あなたには神子姫様を拉致し、監禁し、そしてまた、自分の手の者に命じて陛下を暗殺しようとした疑いがかけられております」


 第四将軍の言葉を受けて、宰相はいささか後退(あとすさ)った。


「なっ!? どうして私がっ! 大体、神子姫を攫って来いと命じたのは陛下の命令ではありませんかっ。私が神子姫様を大事にお預かりしていたのは、神子姫様のそれが落ち着いたらこっそりと城へお連れして陛下にお渡しする為っ。その為に今日も神子姫様の侍女を城へと招いただけですのにっ」


 これはやばいと、宰相も全てを国王のせいにして言い募る。

 聞いていた王太子アクネトスと将軍達の間には、やっぱりそうだったかと、そんな空気が流れた。

 アクネトスがそこで手を顎に当てて考える。


「ですが解せませんね。あの父上に短剣を投げた、神子姫様だか侍女だかは分からぬ娘は、現れたカイトという男をかなり信頼していた様子。自分を誘拐した男に、あそこまで甘えるものでしょうか。しかも父上と宰相の命を受けて神子姫様の拉致を請け負った男が、どうして彼女に対して剣を抜いたからという理由でこちらに攻撃をしかけようとしたのか」


 そこで、国王暗殺は未遂であっても死刑だと知っている宰相が、慌てて口を挟む。


「お待ちくださいっ。その陛下に剣を向けたという娘と共にいたのが、カイトという男ならば、私は無関係ですっ」

「いや、何を白々しいことを」


 呆れて第二将軍が呟く。


「本当ですっ、殿下っ。私はたしかに陛下の命を受け、神子姫様を連れてくるだけの能力を持つ男を探し出しましたっ。ですがあのカイトと名乗っていた男は、運び屋にしてはかなり優秀だと思っておりましたが、やはり違っていたのですっ」

「違っていた?」

「そうです、殿下っ。あの男は、本当の名はユーリと言い、パッパルート王国のドレイク一家に属する人間だとかっ。必要な場所で自分の技能を金で売るという傭兵だったのですっ。だからこそ神子姫様をお連れすることができただけのことっ。そして彼は、神子姫様を私に引き渡すなり、金を受け取って消えたのですっ。私はっ、陛下に神子姫様をお引き合わせする時機を見ておりましたっ。それまで何不自由なくお過ごしになれる環境を調(ととの)えてっ」


 それはまさに、国王に忠実な臣下の主張だ。

 国王が怒鳴りつける。


「ええいっ、何を白々しいことをっ。とっくに神子姫様を連れてきていたというのに、報告しないばかりか謀(たばか)っていたとは何事だっ。お前っ、カイトという男も神子姫様も不明だと言っておったではないかっ」

「陛下にだけこっそりとお引き合わせしようと思えば、どうしてそこで報告できましょうっ。私はあくまで陛下に忠誠を誓った身でございますっ」


 なんだかグダグダな様相を見せ始めたそれだが、どちらにしても神子姫を拉致してきた事実には変わりあるまいと、アクネトスは第四将軍を見た。


「そのご令嬢はどちらに? 丁重にお迎えを」

「それが、侍女殿は宰相殿が迎えに寄越した馬車で城へと向かわれ、そして部屋にいた筈のご令嬢はいつの間にか消えていらしたとか」

「では、宰相。城に招いたという侍女はどこに?」


 アクネトスが冷ややかに尋ねれば、宰相は顔を赤くしたり青くしたりして答えられない。


「侍女だけでもまずは丁重にお迎えせねばならぬでしょう。どちらに?」

「いや、それが・・・。その侍女と会っていたらいきなり気を失わされ・・・」


 もごもごと、宰相が知らぬと答えたものだから、皆が顔を見合わせた。


「その侍女、かなりの色気が漂う美女とありましたが、・・・なるほど、そういうことでしたか。神子姫様と引き離して城に連れてきたはいいが、本懐を遂げられなかったと」


 にやにやと、第四将軍が薄笑いを浮かべる。


「つまりその侍女は男二人を気絶させられるだけの戦闘能力を有し、この王城内で行方不明。となると、私達を相手にあの見事な剣技を披露したのはその侍女だったのか、神子姫様ご自身だったのか。・・・どちらにしても愚かな真似をしてくれたものです。今、神子姫様とその侍女はどちらにおられるのか」


 なんて厄介なことをしてくれたのか。しかもこの被害は・・・。


(ごまかすにも、あまりにも多岐に渡りすぎている)


 王太子アクネトスはこれくらいなら城を完全破壊された方がまだ楽だったとさえ思う。

 しばらくドモロール王城は機能不全に陥ることが決定されたと言っていい。

 国王と宰相を見ながら、将軍達にもうんざりとした気配が漂っていた。






 いつもなら王太子妃と同じ寝室で眠るアクネトスだが、その日は様々な寝室が壊されていた為、自室の長椅子で寝ることにした。寝相さえ悪くなければ大丈夫だ。

 しかし、ふと気づけば窓の外のバルコニーに人が立っていた。


「何者だ?」

「こんばんは。良い夜ですわね」


 尚、明日は雨になろうかという今夜は、雲が月を隠している。空気も湿度を帯びていた。


「何者だと言っている」


 いつもなら即座に衛兵を呼んでいただろう。それをしなかったのは、まさかという思いがあったからだ。


「取引に参りましたの。神子姫様の情報を幾つか。いかがでしょう?」


 アクネトスの反応を楽しそうに見ながら、その女は続けた。


「そうですわね。金貨300枚。安いものでしょう?」

「高いか安いかはその内容によるな。初めて見る顔に、いきなりそんな大金を注ぎこめると思うか?」

「そこらへんは信用していただくしかありませんわね」

「・・・名を聞こうか」

「パッパルート王国のユーリと申します」


 聞き覚えのある名だ。


「その名には聞き覚えがある。カイトという運び屋を演じていた男が、そう名乗ったとか? どちらかというと、君は高貴なるお方の侍女ではないのか?」

「あらまあ。ですが、全ては謎の方が楽しいでしょう?」


 腰まである黒い巻き毛に優しげな顔立ちで、美女は微笑む。


「なぜ私に? 父王ではなく」

「私は交渉などいたしませんの。あくまでイエスかノーか、それだけですわ」


 ノーというのであれば即座に去ると、その女は言った。


「ならばイエスだ。その話とやらを聞こうか」

「では報酬を用意してくださいな」

「今は夜。せめて朝まで待てぬのか?」

「ならば交渉は決裂ということで」

「待てっ」


 仕方なくアクネトスは廊下へと出ていき、何人かをたたき起こして金貨300枚を用意させ、戻ってくる。

 そこに置かれた金貨を数え、黒い巻き毛の美女は微笑んだ。


「まず一つ目。既に神子姫様は国外に出られております。捜索は無駄とお伝えしておきましょう」

「ではどこに?」

「それはお教えいたしかねます」


 ふふと、優しげに笑うが、知っていて教えない意地の悪さも垣間見える。


「情報を売りに来たのではなかったのか」

「神子姫様がお望みにならぬことまで教えるわけにはまいりません」


 やはりこの女は神子姫自身に依頼されてやってきたのかと、アクネトスは思った。

 いや、ずっと疑い続けていた。その気になったら城や宰相の屋敷を壊して逃げられる神子姫主従を誘拐できたというその男は、本当に自力だけで拉致できたのだろうかと。


「二つ目。今回のことは神子姫様に手を出せばどうなるかというのを、軽くお知らせしただけでございます。二度目はこんな可愛らしいものではすまないと覚悟しておくようにとのことでございました」

「・・・十分、痛い目に遭わされましたがね」

「あら、死人は出ておりませんでしょう?」

「その通りだが、私は本当に何も知らなかったのだ。分かっていれば・・・」


 死人は出ていないが、家族に内緒で愛人を囲っていたのかと、自宅ではそんな疑いをかけられ、城では男同士のそれに挑戦して張りきりすぎたという噂を立てられている宰相の心は、再起不能状態だ。

 そして父王にしても、この城が受けたダメージは大きすぎて、国王としての資質を問う声すら出始めている。


「三つ目。今回のことは不問にしてやるので、さっさと国王を退位させるようにとのことでした。どうせ神子姫様は既にドモロール王国にいらっしゃらない上、証拠など出てこないのです。苦しくても言い張ればどうにかなるでしょう。どさくさに紛れてあなたに国王になるように、とのことでした」


 アクネトスの言葉が少し震えた。


「それは、一体・・・」

「神子姫様を手に入れようという野心を抱く王は不要なのです」


 金貨を持って立ち去ろうとする女を、アクネトスは引き留めた。


「待ってくれっ。もしかして今回のことは最初から神子様の思惑に沿っていたのではないかっ。君の依頼者は最初から最後まで・・・っ」


 唾を飛ばす勢いのアクネトスの唇に、女は嫋(たお)やかな人差し指で触れる。


「生憎と、依頼人については全てを沈黙するのが私共のやり方ですの。そのお尋ねには答えられませんわ」


 間近で見てしまったその女は仕草一つ一つが艶めかしい。

 アクネトスは、ぽうっと見惚れてしまった。

 ドラゴンの女性体は、何故かマジュネル大陸やジンネル大陸の人々に強い色気を感じさせるという特徴を持っている。マジュネル大陸の蛇の獣人も似たような作用を有しているので、爬虫類に近い生き物が持つ資質なのかもしれない。


「では、失礼します」


 女がひらりとバルコニーから身を翻す。

 慌てて駆け寄ったアクネトスだが、もうその姿はどこにもない。


(父を退位させる、か)


 今まで父の影として生きてきたアクネトスだ。

 けれども今ならば王族、軍、国民達全てがそれを支持することだろう。


(今のは脅しなのか。私が神子姫様に何か野心を抱いたら首を挿げ替えるぞということなのか)


 甥であるキマリー国第二王子ウルティードが求婚したという神子姫ハールカ。

 大人しく物静かな少女だったという話の裏で、ウルティードに向けられた暗殺者達を全て始末したとも言われている。


(今度は宰相にスキャンダルをかぶせて失脚させ、我が国の将軍達を翻弄して実力の違いを見せつけ、更に国王の交代まで指示してきたか)


 それでいて怖がりな子供のように、自分の実力を知らぬ優しい男に向かって甘いものをねだり倒す無邪気さ。


(あれは神子姫様だろう。顔を隠していたのがその証拠だ。何より剣を向けたという理由で一国の王の命を要求できる存在は限られる)


 あまりにも見せる顔が違いすぎるのだ。

 その本質はどこにあるのか。


(その気まぐれさ、たしかに人が制御できるものではない)


 だが、あのユーリという女。パッパルート王国の人間だとは。

 古さだけが取り柄の貧乏な砂漠の王国。


(今まで何のメリットもないと、父上は交流をあまり深く結んではこなかったが・・・。私の即位を理由に交流を持ってもいいかもしれん)


 アクネトスの中で、色々な思考が渦巻く。

 その夜は、長くなりそうだった。






 思ったよりも真琴に持たせてあげたい物が多く、そうして優理は散財をし過ぎていた。

 あると思って使えば、金は瞬く間になくなってしまうものである。


「ありがとね、リリアン。良かったぁ。金貨300枚あればどうにかなるわ。思ったより使いすぎちゃったんだもの」

「ヴィゴラスも我が儘が過ぎるのですわ。まあ、今回は仕方ありませんけど」


 昼間、その鍛冶工房が建ち並ぶ村で、つまらなそうな顔で優理の買い物を眺めていたヴィゴラスだが、そこでふと、隅っこに並べられていたそれを見つけてしまった。

 それが発端だ。


「これは、銀のティーポットか」


 呟くヴィゴラスに、そこにいた工房の主人が苦笑する。


「うちの倅(せがれ)が作ったもんですがね。こんな高いもん作ったって売れないってのに、一揃い作りやがって。純銀できっちり作りやがって材料費もかかってるし、安く売りもできねえ。しかもそこまで緻密に模様まで彫ってしまったんじゃあ、溶かして作り直すのもできやしねえときたもんだ」


 要は出来が良すぎて安売りもできず、しかし高くつくため誰も買えないということだ。


「しょうがないわよ。こういう村じゃ売れなくても」


 それを手に取った優理が、そこでアドバイスする。


「貴族の人とかなら買うんじゃないかしら。貴族なら銀器も使うもの。これだけの細工でしょ。いいお店に持っていった?」

「いやぁ。そういうお偉いさんが行くような店は、俺達にゃ敷居が高くてどうしようもないのさ」


 丸みを帯びたラインのティーポットは持ちやすく、セットで作られているらしいミルク入れや砂糖壺もまた愛らしくコロンとした形状だ。彫られているのは可愛らしい菫の花。

 お揃いのスプーン、フォーク、ナイフ、茶こしにも菫の花がその柄に彫られている。


「可愛らしいわね。もしかして気に入ったの、ヴィー?」

「ハルカが喜びそうだ」


 ヴィゴラスは値段など見ていない。

 ただ、これなら遥佳の小さい手でも持ちやすいだろうし、遥佳が使うならばこの銀色も嬉しいだろうと、そう思ったのだ。

 問題は全てを購入するとなれば金貨86枚。

 ティーポットとミルク入れと砂糖壺だけならば金貨30枚程度なのだが、見れば菓子を挟むトングや取り分ける為のサーヴィングスプーン、キャンディ入れ、菓子用トレイなどがあるのだ。

 一体何を考えてその息子とやらは全てシリーズで作ったのかと言いたくなるぐらいに、ここまで統一感を出されると、全てを買うしかないのではと、そんな気になってしまう。


(買えない、・・・ことはない。けれども軍資金はかなり目減りする)


 優理もさすがに迷った。あまりにも高額すぎる。

 

「ふむ。金貨86枚か。ならば俺の宝石を売ったら買えるだろうか」


 だが、ヴィゴラスがそう呟くのを聞いてしまえば、あのグリフォンに宝を手放させてまで遥佳の為のティーセットを買わせるなど、どうして優理が見過ごせよう。


「いいわ。小父さん、これ、全部くださいな。だけどまとめて買うから金貨80枚にまけてちょうだい」

「え・・・? 本当にいいのかいっ?」

「いいわ。ここはもう、度胸を見せてやるわよっ」


 というわけで、優理はそれらを全てお買い上げしてしまったのである。


「ユウリ殿っ、それ、本当にハルカにあげていいのかっ」

「いいわ、ヴィー。これはあなたからのプレゼントなのよ。だって沢山働いてくれたじゃない」


 ヴィゴラスの目が感動に潤んでいたのは言うまでもない。

 まさか自分がどんなに説教しても止まらない息子のこだわりが認められる日が来ようとはと、その工房の主人は金貨78枚にまけてくれた。

 さすがにそれ以上はまけられないらしい。


「だけどそれ、運ぶのはヴィーがしてね」

「勿論だ」


 包んでもらったティーセット一式は、ご機嫌そうなヴィゴラスに持たせた。

 そして夜になって少し離れた街で宿泊すれば、優理も考える。


「とはいえ、さすがにここまで一気に減るとは思わなかったわ。どこかで補填しないと・・・」


 そう思った時に、やはりドモロール王城からもそれなりのお小遣いをもらってもいいのではないかと、優理の脳裏に囁く悪魔がいたのである。


――― いいんじゃない? 少しぐらい慰謝料をもらっても。

――― 普通ならお城ぐらい壊してたよね。真琴の前だからやらなかっただけで。

――― どうせ金貨の100枚や200枚、彼らにゃはした金さ。


 勿論、優理の中に天使だっていた。


――― いけません。清く正しく生きるのが人の務め。ゆすりたかりなど、どうしでできましょう。

――― 真琴がいればこそ小さな被害だけですませてあげたあなたの優しさ、失ってはなりません。


 しかし、悪魔の方が手強かった。


――― だけどさぁ、あの宰相だって家族に内緒の別宅持ってる時点で、十分私腹は肥やしてたよな。王族なんてもっと金持ちだろ。何が悪いってわけ?

――― 何よりさぁ、本当に自分が無力なままだったらどんな目に遭ってたんだよ。


 優理は、お得な買い物は好きだが、損するのは嫌いだ。さすがに金貨86枚の出費は痛い。


(やっぱり慰謝料はもらってもいい気がする。その代わりに何か情報をあげればいいわよねっ?)


 というわけで、優理はリリアンにおつかいを頼むことにした。

 そうしてにっこり頷いたリリアンはドモロール王城へ戻り、王太子から金貨300枚をもらってきたのである。

 

「もっと吹っかけても良かったような気もしましたけれど。いささか安くありませんでした?」

「いいのよ。欲はかきすぎてもいけないわ。それに夜中だもの。金貨300枚なら用意できても、それ以上になったらきつかった筈よ。程々でいいの」


 外でピクニックするのが大好きな真琴と違い、遥佳は家で落ち着いて過ごしたいタイプだ。

 ヴィゴラスには、そうやっていつもお茶の用意をしては、

「いらっしゃい、ヴィゴラス。お茶が入ったわよ」と、声をかけてくる遥佳の印象が強いからこそのチョイスだったのだろう。


(肝心の遥佳がそこまで高いティーセットを欲しがるかといえば怪しいけどね。実際、銀のティーポットって見かけはいいけど、お茶を淹れるなら使いにくかったりするし)


 温度と蒸らしとジャンピングが多分に影響するそれは、比較的安い陶器の方が美味しく淹れることができる。

 かえって遥佳は、しばらくは銀器のクセが掴めずに試行錯誤することだろう。

 それでもヴィゴラスにとってこういう買い物は初めてのことだから、その気持ちを大事にしてあげたかった。

 誰もがそうやって手さぐりで、相手のことを想い、動くのだと。

 時には失敗もするけれど、それすら人生の糧となるのだと。

 ヴィゴラスもそういう心の揺れを知っていくのだと。

 ・・・信じたい優理だ。

 そう、ヴィゴラスは戸惑い迷う人の心も理解できるグリフォンとなり、新しい高みに飛び立てる筈だ。・・・・・・多分。


(ま、先のことは先になってから考えればいいわ。明日は磁器の村に行きましょ。こっちってどこか作風が違うのよね)


 そうして優理は目を閉じる。

 明日はきっと楽しい一日になるだろう。






 その知らせは様々な国に伝えられた。

 ドモロール国王がいきなり王位から退き、王太子が国王になるというニュースは。

 しかし、箝口令が敷かれてはいるようだが、気になる報告もあった。

 というわけで。

 ミザンガ王国第三王子ゲオナルドは、兵士達から聞いていたその屋敷へと散歩がてら歩いていった。

 しかし、門扉についているノッカーを叩いても返事はない。

 ガンガンと拳で叩いても返事はない。


「あのぅ、あまり力任せに叩かないでください。門を破壊する気ですか?」


 背後からそんな声を掛けられて振り向けば、そこには緑色のヴェールをかぶった娘と、男二人がいた。

 見てたのかよと、コホンと咳払いしながらゲオナルドは向き直る。


「いや、どうしているかと思ってな。ちゃんと滞在していたのだな」

「来てしまったものはしょうがありません。お茶ぐらいは出しますけど」


 困った人が来たわと思いながら、遥佳はゲオナルドを屋内へと案内した。カイネとイスマルクも、王子が供の人間を連れてこないのはどうかと思いながらそれに続いた。


「どうぞ」


 そうして遥佳が茶を淹れて出せば、一口飲んでゲオナルドも他国の茶と気づく。


「なんだ。パッパルート王国から来たのは本当だったんだな」

「そう言ってるじゃありませんか」


 招かれざる客は客じゃないとばかりに、遥佳はカイネとイスマルク、そして自分にも同じ茶を淹れて食事用の部屋でそれを出していた。


「私達、今から食事なんです。・・・王子様にはどうかと思いますけど?」

「遠慮なく出してくれ。俺は気にしない」

「自分の分は自分で焼くんですけど、料理したことあります?」

「・・・難しいのは困るな。というより、女のくせに料理もできんのか」


 ぴきっと遥佳の額に青筋が浮かんだのを見たような気がしたイスマルクだ。


(最近のハールカは、機嫌が悪すぎるからなぁ)


 おかげでイスマルクも軽口を叩けない時があるぐらいだ。その原因であるトリ犬は、未だに優理と物見遊山ときたものである。


「良かったですねっ。初めてのお料理を堪能してってくださいっ」


 今日の昼食はお好み焼きにしようと思っていた遥佳だ。優理のおかげでソースはあった。


「お前、礼儀知らずにも程がないか?」


 だが、厨房に行ってそれぞれのフライパンに、薄切り豚肉や烏賊(いか)や海老(えび)などを一緒に生地と焼いていくのだと教わればゲオナルドも興味深く思ったらしい。


「へえ。具入りパンとは違うのか?」

「ちょっと違いますね。出汁汁も入れるから、・・・何になるのかしら。卵は割れないでしょうから割ってあげます」


 厨房には竈も幾つかあり、四人が一緒に焼けるだけのフライパンもある。

 四人は並んでそれぞれのお好み焼きを焼いていった。


「この薄切り豚肉、ドーンと敷き詰めた方がカリカリして美味いですぜ」

「ほう」


 カイネが如才なくゲオナルドに教えて手伝う。


「こんなのもパッパルートでは食べるのか」

「ええ。実は知る人ぞ知るパッパルート名物なんです」

「・・・なあ。俺が知らんと思って嘘言ってねえか?」

 

 砂漠の国で、どうして魚介類を使った料理が食べられるというのか。

 この娘だけは信用できんと、ゲオナルドは思った。


(けど、飯は何だか美味そうだしな)


 それぞれが焼き上げたお好み焼きを皿に移し、食事室に運ぶ。


「はい。ソースを好きなだけかけてくださいね」

「なんだ、この気持ち悪い液体は。真っ黒でどろどろしてるぞ」


 カイネとイスマルクは初めてではないのでソースをたっぷりかけていたが、その黒くどろどろしたものを気味悪く思っていたゲオナルドは少ししかかけていなかった。

 しかし、フォークとナイフで切り分けて食べてみたらなかなかいける。

 シンプルな作り方だったが面白いなと思い、追加でソースをかけながらゲオナルドは口を開いた。


「ところでユーリとやら。お前さん、神子姫がいる場所は崩れ落ちるって占ってたけど、外れたぞ」

「あら、そうなんですか?」

「ああ。どうやら神子姫を監禁していたと思わしき場所があるんだが、せいぜい屋根を壊された程度だったらしい」

「まあ、そうですか」


 どうせ占いなんて当たるも八卦当たらぬも八卦である。

 しかし遥佳はイスマルクに目をやる。

 イスマルクが重々しい口調で、誰へともなく口を開いた。


「神子姫様は不可侵の存在でいらっしゃいます。それを監禁とは嘆かわしい。全ての神殿がそれに対して抗議することでしょう」

「まあ、あくまで噂だ。肝心の神子姫がいた証拠はなく、しかもそこの国は国王が退位し、宰相もいきなり引退ときたもんだ。新しく国王となった王子は、あくまで濡れ衣だと突っぱねてるがな」


 優理にしては国王や宰相の引退だけだなんて生ぬるいことだと、遥佳は思った。


「困ったことですね。では、またもや神子姫様を狙う国や人達が出るということでしょう。お気の毒に」

「・・・それはどうだろうな」


 ぽそりと、ゲオナルドは小さく呟いた。

 外見上はさほど被害のないドモロール王城だが、その内部はめちゃめちゃにされたらしいという噂もある。王城で行われる全ての式典が中止になったらしい。新国王即位も簡略にすまされ、盛大な宴が催されることもなかったとか。

 しかも、なかなか出回らないような高価な芸術品が質屋に出回ったとか。それを今、必死に買い戻している人間がいるという噂もある。

 ドモロール王国にも駐在している大使はいる。彼からの報告によると、ドモロール王城へは工事の人間が多く出入りし、更に鼻薬を嗅がせておいた城内の人間から、どうやらその騒ぎが起きた日、秘密裏に王太子アクネトスが公費を動かした上にその使途を明るみにしないということがあったとか。


(もしかしたら王太子アクネトスが邪魔な父王を排除する為に神子姫ハールカと組んだ茶番かもしれん)


 国王が王位を退いた以上、神子姫絡みの何かはあった筈だ。

 その状況で、そんなことは絶対にあり得ないなどと新国王が勝手な発言をしたなら、神子姫の怒りをかうだけだろう。

 だが、もしもそこに両者の了解があったならば・・・?


(あまりにも読めん。まさにその姿は霞(かすみ)のように捉(とら)えどころがない)


 下手につつこうものなら、遠慮なく巻き上げられるだけではないのか。宰相の屋敷からはかなりの物がなくなっていたという。

 そして王太子アクネトスが流用したという使途不明金。


(まだ小娘の筈の神子姫ハールカ。だが、今回のことで味を占めて次回はもっと大金を要求するようになったなら・・・)


 それこそ国庫が空にされるだけではないのか。

 今、神子姫という麗しき存在は、各王宮では要注意な存在へと変わり始めている。

 全ての国がそこまでの諜報能力を持っているとは限らないが。


(うーん。優理ってばお金でカタをつけたのかしら。だけどもうとっくに戻ってきてもいい頃なのに。何をやってるの、一体。しかもどうして私がしたことになってるの)


 第三王子ゲオナルドの心を読みながら、遥佳は何だか自分の知らないところで自分の悪評が出来上がっていっているような気がしてならない。

 しかも、この庶民の味が嫌いじゃない王子は、お好み焼きがとても気に入った様子だ。

 ここになら食べに来てもうるさい兄王子にはばれないとか、そんなことを考え始めている。


(ああ、ヴィゴラス。あなたが家出なんてしなければ・・・)


 いつになったら帰ってくるのだろう。自分の姉妹とグリフォンは。

 そんな遥佳の思いを知らず、優理はお買い物に勤しんでいた。






 あの自分が作りあげた茶器シリーズが一気に売れたと聞いて、帰宅した工房主人の息子は目を丸くした。


「本当かい、父さんっ。あれだけの品を一気にって・・・。俺だって長年、違う仕事をして稼いでは材料を仕入れて作りって、そんな風にちまちまと作ってきたんだぜっ。あれだけのそれをまとめて買えるだなんて、どんなお貴族様だよ」

「いや、普通の格好をした娘さんだったが、何でも一緒にいた若い男が気に入ったらしくてな。誰かへの土産らしい。それで即金で買っていったんだ。まあ、少しはまけさせてもらったが、金貨78枚だ。初めて見たぞ、こんだけの金」


 父と息子は、まじまじとその金貨を眺める。


「良かったな、クネルテート。お前のそれが認められたんだ」

「・・・ああ。なんかもう、感動して何も考えられない」


 本来は武器や刃物を作るのが当たり前の村だ。けれどもよその地で見た茶器の美しさに魅せられたのをきっかけに、クネルテートはティーセットを作り始めた。

 父親にも馬鹿にされたが、幸せを絵に描いたような銀器を作りたくて止められなかった。

 色々な形を試し、そうして実用性と見た目の可愛らしさを両立して作りあげたそれを気に入ってくれたとは、一体どんな人なのだろう。

 そんなことをクネルテートが思っていたら、いきなり家の扉が開く。


「その男が、あのティーポットを作った息子か?」

「おや。あんたは昼間の・・・」


 そこには、黄土色の髪をした男が立っていた。

 玄関の扉を叩くこともなく入ってきた男だが、そこでしばし考える様子をみせる。


「こんばんは」


 そして挨拶した。

 彼は、ちゃんと挨拶をすることを覚えた特別な存在だからだ。


「あ、ああ。こんばんは。・・・で、どうしたね? あの、何か気に入らんことでも?」

「いや。その息子に用事があって来た。お前、飾りも作れるか?」

「え? あ、まあ、形さえ指定してくれれば作れると思うけど」


 鍛冶だけでは食っていけないとばかりに、違う仕事を終えて疲れて帰ってきたクネルテートだ。しかし、自分の作品を評価してくれたと思えば疲れも吹き飛ぶ。

 その黄土色の髪をした男を見れば、なかなか覇気の溢れる容姿をしていた。

 あの可愛らしいデザインの茶器を気に入ったとはとても思えない程に。


「なら、ああいう花を散らした感じで飾る物を作ってほしい。この予算で作れる程度で」


 ざらっとテーブルに落とされたのは金貨12枚と銀貨8枚。


「えーっと、その、あのティーポットを使う予定の女性に?」

「そうだ」

「どんな人だろう。やはり可愛らしい方だろうか。それとも綺麗な感じか? 花を散らした方がいいなら、豪華にした方がいいだろうか? それともさりげなく小さな感じで?」


 その場でさらさらとクネルテートは紙にそれを描いていく。


「重くない方がいい。黒い髪をしている。世界で一番可愛らしく、性格はとても優しくて、見ているだけで誰もが抱きしめたくなる愛らしさだ。しかし、飾りが重いと辛いだろうと言われた。だから軽い方がいい」

「なら、こういう鎖の長さを調節することで首飾りにも、腰の飾り紐にもできるタイプはどうだろう? その途中に様々な花をモチーフにしたものを散りばめればいい」


 垂らすことで長さを調節できるそれを描けば、なるほどと男は頷いた。


「あのポットを気に入ってくれたなら、同じ菫がいいだろうか? 女性なら薔薇の方がいいだろうか? 妹さんならやめておいた方がいいだろうが、もしもそうじゃないなら鈴蘭はどうだろう」

「鈴蘭?」

「ああ。鈴蘭は最愛の女性に男が贈る花だ。贈り物なら愛を告げるメッセージにもなる。だが、妹さんなら・・・」

「いや。ならばその鈴蘭にしてくれ。そして出来上がったら運び屋というものに頼んで送ってほしい。その送り先はここだ」


 ヴィゴラスはドレイクの持ち物である屋敷の住所を書いた紙を渡す。受取人は優理の名前だ。


「ミザンガか。送料はかなりかかるが、・・・だがこの予算なら大丈夫だろう。任せてくれっ」

「ああ」


 そうして外へと出ていった男だが、

「だが、今からじゃ宿屋に帰るのも大変じゃないのか? どこに泊まってるかは知らんが」という父親の言葉にハッと気づいたクネルテートが出ていけば、もうその周囲に男の姿はなかった。


「せめてランタンだけでも貸そうと思ったんだけど」


 諦めてクネルテートは家の中に入るしかない。


「よぉっし、やるぞぉっ」


 自分の腕をここまで評価してくれたことに感動したクネルテートは、その置いていかれた金貨と銀貨を見ながら、早速考え始める。


(こういう物が作りたかった。武器ではなく・・・)


 その贈られる女性はとても幸せだと思いながら、クネルテートは堪えきれずに微笑んだ。




 一方、ヴィゴラスは、持っていたお金を全て使ってしまったものだから、すっからかんになっていた。

 優理は、ヴィゴラスに通常のお小遣い以上は渡していなかったが、ヴィゴラスは決して愚かではない。

 宰相の建物から持ち出した物を優理が質屋で売りさばく予定だと知り、自分が破壊しに行った建物からそれなりの物を持ち出して同じように売り払ったのだ。

 そしてカイトから、運び屋という仕事についても詳しく聞いていた。


(いくらイスマルクでも花の彫刻は難しいからな。あれならばハルカにぴったりだ。金貨は手放してしまったが、ハルカの為なら惜しくない)


 何かと遥佳は、一緒にお出かけしましょう、お花を見に行きましょうと、ヴィゴラスを誘うが、枯れない花があるなら、どこにも行かずに自分と二人きりでいてくれるに違いない。


(宝石を沢山つけるのは嫌だと言っていたが、花ならハルカも大丈夫に違いない)


 どれ程にドラゴンとペガサスに教育されても、ヴィゴラスは宝石を眺め続けることが幸せな幻獣である。根本的な理解はまだまだだった。






 優理に置いて行かれた真琴達だが、そこで途方に暮れる程の可愛げはない。

 カイトに案内されて、ラーナとルーシー、真琴は一つの家に落ち着いていた。


「ねー、カイト。どうしてこんな家を用意してたの?」

「いざという時には街から離れた隠れ家も必要になるかもしれんと思ってな。まさかユウリ様に放っていかれるとは思わなかったが」


 人里離れた空き家を借りていたのだが、こんな形で無駄にされるとは思わなかったカイトも苦笑するしかない。


「今日はここで泊まり、舟を調達しよう。どうせ神子姫は黒髪に焦げ茶色の瞳だ。マコトが疑われる筈もない」

「心配いりませんわ、カイトさん。明日は大雨ですし、お城は私達の追跡に手を割く余裕はありませんから。しばらく滞在したところで問題ありません」

「ですが、ラーナ殿はユウリ様の侍女として顔を見られています。なるべく早く脱出した方がいい」


 ラーナがどこまで破壊してきたかを知らぬカイトだ。

 何故なら優理は、数ヶ所の屋根としか言っていなかったからである。


「そこまで気にしなくても大丈夫じゃないかしら、カイトさん。ラーナにしても私にしても、手配されたところで大した問題じゃありませんし、捜すとしたらまずはユーリでしょう」

「それはそうですが」


 侍女などより神子姫こそが価値があるので、捜索されるとしたら黒髪に焦げ茶色の瞳をした少女だけだと、ルーシーは指摘した。


「それよりマーコット。ここの国では、お菓子のようなチーズが売られているそうですわ。食べるのにお皿がいるからラーナも買ってこられなかったようですけど、こうして泊まる場所があるならいいんじゃありません?」

「えっ、どんな味なんだろ」


 ぴくっと反応した真琴は、カイトを見上げる。


(うっ・・・)


 カイトは、違う方向へと視線を逸らせた。

 しかし真琴は見ている。真琴はじーっと見ている。真琴はあくまでじーっと見続けている。


「分かった。・・・だが、追手の気配があったらすぐに発つからな」

「わぁいっ。明日には雨が来ちゃうから今買いに行こっ。ねっ、ラーナ、ルーシー」


 たとえ両側に二人のドラゴンがいても、カイトは真琴の安全だけを考える。

 それが嬉しくて真琴はまだ帰りたくなかった。


(ずっと旅していられたらいいのに)


 危険なことがあるのではないかと思っただけで、カイトは真琴から目を離さない。

 小猫じゃなくなっても、それは変わらなかった。


「私達はお掃除や部屋の用意をしておきますわ。カイトさんとお買い物に行って来てくださいな、マーコット」

「そうですわね。そのラーナが言ってたチーズと、それからお肉を買ってきてくれます? お肉は焼きましょうね。野菜はスープにできるものを選んできてくださいな」


 そうしてぽいっと家の外に放り出されてしまえば、カイトも真琴もお互いの顔を見るしかない。


「行こうか、マコト」

「うんっ」


 差し出された手に自分の手を重ねて、真琴は頷いた。

 とりあえず時間はたっぷりある。

 置いていかれた恨み言は、ゆっくり落ち着いてから言わせてもらえばいいことだ。

 二人は近くの街に向かって歩き出した。


「ねーねー、カイト。優理が攫われたらその仕返しは屋根を壊すだけでいいけど、私に剣を向けられたらみんなを殺すの?」

「・・・そういうことは忘れろ」


 銀の髪も大好きだけど、黒く染めた髪だって悪くないと思う。

 耳まで赤くなったそれが、隠しきれずにいるけれど。


「ねーねー、カイトぉ」

「もう黙れ」


 左手で抱き上げられれば、その見慣れた角度のつむじを最近は見ていなかったことに気づく。

 人間でいる時と猫でいる時は、視界が違うからだ。


「やっぱり猫がいいかなぁ」


 こんな風に顔を背けられることもない小猫の方が幸せな気がしてしまう。だけどカイトは、小猫相手にこんな風に赤くはなってくれない。

 どっちがいいんだろう。

 真琴はずっと肩に乗っていた日々を思い返した。


「やめてくれ。姿を変えられると体臭まで変わるだなんて詐欺だ。そうなると俺には探せない」


 弱りきったような声は、小猫の正体が分からなかったからか。

 カイトはカイトなりに獣人としての何かに落ちこんでいるらしい。


「もう、・・・どこにも行かない?」


 小さく呟けば、真琴の頬にカイトの右手が伸ばされた。

 目を閉じてカイトの手に自分の手を重ねれば、その温もりに懐かしさを知る。


「ごめんな」

「私のこと、嫌いに・・・」


 その言葉を最後まで言うのが辛くて言えずにいれば、ぎゅっと抱きしめられた。


「それはない。お前を嫌うなんてことは絶対にないよ」


 いつものように抱きしめられても、お互いに口にしにくいことがある。


「お前は、・・・俺でいいのか?」


 その言葉に、カイトが何かを辛そうにしているのを真琴は感じた。

 どうしてだろう。

 嫌な人と一緒にいたがる人がいるわけないのに。

 カイトがいいから、ずっと一緒にいたいと願ったのに。


「・・・っ!」


 溢れる気持ちを言葉にできずに、真琴のセピア色の瞳からぽとっと雫が落ちる。

 それに気づいたカイトは真琴を腕から下ろして抱きしめた。

 カイトの心臓がどくどくと、真琴の耳に響いてくる。


「ごめんな。俺はお前に、・・・ただ、俺に縛られることなく幸せになってほしかったんだ」

「・・・私のことっ、邪魔っ、・・・からって」

「それだけはないっ」


 ああ、そうだ。小猫だったなら撫でられることはあっても、こんなにも強く抱きしめられることはなかった。


「ずっとお前を想ってた」


 身動きができない程の強さで、だからカイトの肩越しにそのうっすらと灰色がかった雲と青い空を見上げるしかできないけれど。

 小猫ならこうして愛の言葉を告げられることもなかった。


「愛してるよ。ずっとお前だけを」


 頬に触れるその髪は銀色じゃない色に染められていても慣れ親しんだ肌触りで、だからやっと取り戻せたのだと思わずにはいられない程に心が締めつけられるけれど。

 小猫ならこうして唯一の存在だと言われることもなかった。


「他に大事なものなんて、俺にはないんだ」


 こうして優しくキスされることもなかった。


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