88 遥佳はパッパルートを離れた
パッパルート王宮の玉座に座るのは、国王でも王弟でもなく、出自も知れぬ外国人の娘だ。
だが、その「国王代理ユーリ姫」は果敢に王宮内を改革していた。
(だって私だけじゃない。もし、イスマルクに何かされたら・・・。私は毒が入っていたら気づくことができる。だけどイスマルクはそうじゃない)
遥佳は、いつだって受け身に生きてきた人間だ。
何故なら普通に生きていく上で、遥佳が強く望むものはなかった。普通に不自由のない生活をしていれば、特に願わなくてはならぬものもない。
傷つくことはあっても、悲しいことはあっても、それでも流されて生きてきた。
だけど、それはもう過去のことだ。
今の遥佳は違う。
(もっ、知ったことじゃないんだからっ。もうっ、知らないっ)
普段の遥佳ならば、今のような状況に置かれても、諦めて嘆きながらそれを受け入れていただろう。
けれども遥佳はこんなことをしていられない理由があった。
(私はヴィゴラスを迎えに行かなくちゃならないのにっ。優理に任せておいたら、また変なこと覚えちゃうっ。それにもうイスマルクを、私のせいで危ない目になんか遭わせられないっ)
その焦りと怒りが、遥佳の能力を引き出していた。
「この料理を下げなさい。そしてその料理を作った料理人を牢へ。仮とはいえ、国王代理に対して致死量とはいかないまでも毒物を混ぜるような人間がいていい筈がありません」
「え。いや、料理人と言われましても・・・」
「厨房にいるドミーニよ。さっさと実行しなさい」
「はっ、はいっ」
これが冤罪ならば遥佳に対して暴動も起きただろう。
けれども遥佳はその入手ルートどころか、誰とどう繋がっているかも暴露する千里眼の持ち主だった。
「ドミーニの保証人の次男が失脚してるわね。そっちからの依頼を受けたってとこかしら。調べてちょうだい。少し頼まれただけでホイホイ渡された薬を入れるような人間が王宮の厨房にいていい筈がないでしょう? それは外国人に買収されたら、陛下や殿下にも薬を飲ませるということだわ」
「はいっ。かしこまりましたっ」
勿論、誰もが遥佳に対して毒物を飲ませようとしたり、害しようとしたりしたわけではない。
政務を行いながら、時に処理が遅れていることについて説明を求めれば反発もある。
「どうしてまだ報告が上がってこないのかしら。今日のお昼までと私は伝えておいた筈よ」
「ユーリ様にはお分かりにならないのでしょうが、何ごとも手続きには時間がかかるのでございます。これだけの人数が係わっているのですから」
だが、自分に疾しいことはないとばかりに楯突いた人間にも、遥佳は容赦しなかった。
「私に対してその無礼な態度を改めなさい。そうじゃないと、あなたが15才の時におねしょしたのをごまかす為に、5才だった弟さんのせいにしたのを暴露するわよ。あなたを尊敬している弟さんが、今、それを教えられたらどんな気分になるかしら。その時、弟さん、お尻ぺんぺんされたのよね。それをあなたは全く庇わなかった。自分のやったことだったのに10も年下の弟が泣いていても気にしないで。本当にせこい男ね。他にも口にした方がいいかしら?」
その場にいた、遥佳にお茶を出そうとしていた女官達が、「まあ」と、軽蔑の視線を向ける。
歯向かわない限り、遥佳はとても素晴らしい女主人だった。
いびられていたりする女官がいれば配置換えして救ってくれるし、世話をすれば優しく礼の言葉をかけてくる。
自分に対して全く害意のない女官だけを世話役に指名した遥佳だからこそ、女官達は遥佳に対して忠実だった。
「とても真面目な方だと思っておりましたのに」
「そうですわね。新入りの女官も憧れの目でみておりましたのに」
「い、・・・いえ、その・・・」
美しい女官達に蔑むような目で見られ、その役人はそそくさと立ち去る。
そして素晴らしい速さで処理は行われた。
「ありがとう。あなた達が援護してくれたからね」
「まあ、ユーリ様。そんなこと」
「そうですわ。ユーリ様はこんなにも頑張っておいでではありませんか」
優理の真似をしていない時の遥佳は、頼りない風情の姫君にすぎない。だからこそ女官達も、自分達が守ってあげなくてはと、やる気になったのだ。
それでも王宮の外までは女官達もついていけない。
だから水脈を見る為ということで遥佳が街に出た時、現地を案内する者が外国人だからと侮った態度に出ることもあった。
「しかしどうやって国王陛下に取り入ったのでしょう? そうなると結局、我が国の王族に外国人の血が混じるのでしょうか?」
そんなことをさらっと口にする者もいたのである。
「パッパルート王国人がそこまで素晴らしいとも思わないわ。だってあなた、誰も起きていない時間に好きな女性の家に石を投げていたわよね。そうして怯えている彼女に、『俺が守ってやる』とか言って、接近したんだもの。卑劣ね。
自作自演で怖い目に遭わされ、そんな理由で結婚に持ち込まれたと知ったら、奥さん、どう思うのかしら。奥さんのお父さんだって、信用していたあなたをどんな目で見るでしょうね」
案内に立っていた他の男達の方がびっくりして立ち止まった。
しかし、遥佳は気にしない。もう気にしないと決めたのである。何故なら遥佳は父タイガの娘だからだ。
「ところで、誇り高きパッパルート王国人男性の取り入り方だもの。あなたの実名出して、皆に知らせてあげてもいい? だって私、ここまで努力しているのに、そんなやり方をした人にどうこう言われるのって不愉快なのよ。そんな人に案内されるのも嫌だから、やっぱり水脈を見に行くの、やめようかしら」
基本的に遥佳は困っている人を見捨てられない。だから毎日のようにあちこちへと出向き、水が多く出るようにしてあげていた。
だが、そこでそれを当たり前だと思いあがる者が出たならば、それを受け入れてはいけないのである。
それは父タイガの、塔に残る教えでもあった。
「王宮へ帰ります。私、別に王宮から給与や謝礼が出ているわけじゃありませんのよ。いずれ結婚するディッパ様の為だと思って動いてあげていたのに、まさか陛下を侮る男が出るだなんてね」
「・・・申し訳ございませんっ。非礼を平にお許しくださいませっ」
引き留められたが、遥佳はそのまま王宮へ帰る。
「そうね。あの礼儀知らずな男の人に騙されて奥さんになった女性。その人に来てもらったなら水脈を見に行ってもいいわ」
そう伝えさせる。
その頃にはもう噂になっていた二人の結婚秘話だが、皆に頭を下げられ、その妻が王宮までやって来た。
「お願いします。どうか村の水脈を見ていただけないでしょうか」
「顔をあげて。あなたに頭を下げてお願いしたのかしら、あの旦那さん」
「え、ええ」
「そう。良かったわね。・・・これからは恩に着せられることなく、うまくやっていってね」
「・・・え?」
意味が分からなかったらしいその妻も、すぐにその意味を察したらしい。
「あ、・・・有り難うございます」
言うまでもないが、その村での水脈を見る時、最初の男を遥佳は近づかせず、その妻に案内させた。
(まあ、これでこの奥さんも人から馬鹿にされないですむわよね。あっちの夫の方は軽蔑されて良しとして。全く誰がここの王様に取り入ったっていうのよっ。私は被害者なのよっ。会ったこともないわよっ)
優理の真似をしている遥佳は、同じように遠慮なく脅しをかけた。
所詮、ブチ切れた遥佳は、優理の姉妹だったのである。
優理と違って本当に暴露しに出かけたり、破滅させて放置したりする程の根性と熱意はないが、以前の優理がやらかした騒ぎは有名だ。
実行しない筈がないと、誰もが思っている。
(全くこんなことしてる場合じゃないのにっ。本当にもうっ、王様が少しぐらい留守にしたからって、誰もがちゃんと働いていれば何てことないでしょっ)
遥佳の怒りは、全てに向けられていた。
「その政策は、数年前に却下された筈よ。国王が不在だから私に通させようとするんじゃないわ。そんな卑怯な真似を思いつくだなんて、どういうこと?」
執務室に残るディッパの記憶は、指針となってすべきことを遥佳に教えてくる。
だから遥佳は、ディッパが望んでいたであろう通りに政務を行うことができた。
「これからは、私に持ってくる前に、それぞれの部門の責任を大きく持たせることにします。その結果、考えなしにそれを通した場合は反逆行為ともみなされることを理解するよう命じます」
「それは横暴ですっ、ユーリ様っ」
「十代の小娘ができることを、いい年をした大の男ができないとは何事ですかっ。その理由を、分かりやすく述べてみなさいっ。自分が無能だという理由ならば、それを大臣に自己申告して罷免されればいいわっ」
遥佳は、かなり厳しい国王代理だった。嘘や言い訳が通じない。
「こ、こんなことならディッパ様の方が良かった」
「言うな。ああ、早くお戻りになってくだされば・・・」
「なんという恐ろしい姫君」
しかし今や遥佳は国民の支持も高い国王代理だ。
「そろそろ外に行く時間ね。私が戻るまでにこれらを処理しておきなさい」
「はいっ、ユーリ様っ」
というのも、遥佳は毎日のように外へ出て、井戸の水脈を見ている。
そして、少しずつ緑が広がってきているのを、国民こそが実感していた。
「国王様のご婚約者様は、水脈における天賦の才をお持ちだとか」
「なんて素晴らしいことかしら」
「しかもあのお方がディッパ様の代わりに王宮で頑張ってくれてるおかげで、お役人の仕事も早くなってるそうだ」
「それは感じていたわ。最近、街の役場もすぐに処理してくれるのよね」
乾燥した空気も、湿度を含んだ大気となってきている。
「今日はあっちの岩山の方へ馬車を走らせてちょうだい。涸れた川がある筈よ」
「かしこまりました」
その為に、毎日のように兵士達が鍬や鶴嘴で作業させられるのだが、その度に水が湧き出てくるのだ。
誰もが目を輝かせて従事していた。
「なんとまあ、やはり我々の見る目はあったということですなぁ」
「そうですなぁ」
そんなことをのんびりと話していた大臣達も例外ではない。
「いいですか。年を重ねた人間が尊重されるのは、その人生経験に裏打ちされた英知あってのことです。働かないなら自宅で隠居していらっしゃいっ」
全ての迷いを吹っ切った遥佳は、とてもスパルタな人間だった。
(お父さんだって年上の人達をちゃんと使いこなしてたもの。それにお父さんがいなくなった後、叔父さん達だって頑張ってディリライトを守った。私がここで挫けたら、お父さん達の誇りだって迷子になっちゃうわ。ディリライトの首長教育、決してこんな大臣や役人達に馬鹿にされるようなものじゃないんだからっ)
大人しい人間を怒らせたらどれ程に恐ろしいものになるか。
まさに優理や真琴が、遥佳を怒らせるぐらいなら大人しいホワイト遥佳のままで守ってあげていたかった所以である。
ブラック遥佳は、優理よりも欺瞞を見抜き、相手の限界を見抜いて仕事を押しつけることが可能だった。
「ですがのう。儂も腰が痛くて・・・」
「昨夜、誰の寝台の上で腰を振ってたか、皆の前で言って差し上げましょうか?」
「・・・いや、治り申した。早速、努力させていただきますぞ」
「そうですね。まずは、だらだら作業しているのがクセになっているところを改革していただきましょう。勿論、私のような小娘よりも素晴らしい結果を出してくださるものと期待していますわ。手を抜いたらすぐ分かりますからね」
尚、そんな「ユーリ姫の兄である第5等神官」とされているイスマルクにも、「あの妹をどうにかしてほしい」という嘆願は届いていたが、イスマルクはまさに人々を導く穏やかな眼差しで遥佳の手助けをしていた。
「あなた方よりも小さな体、細い華奢な腕で、あれだけパッパルート王国の為に動いている姿を見て、どうしてあなたは努力せずにいられるのでしょう? あなたにこの故郷への愛はもうないのでしょうか?」
そんなことを言いながらも、イスマルクとて遥佳のことはとても気にかかる。
(うーん。なんというか、まさに自棄になってるな、ハールカ。ユーリ様も一体どこまでやらかしてたんだか)
なるべく離れた場所から見守っているイスマルクも、遥佳には何も口を挟めない。
それどころか、今の自分は全てを読み取ってしまうから近づくなと、遥佳から注意されていた。
相手のことを全く考えなければ、自分は一気に全ての情報を相手から読み取って非情になれるのだと。
(まあ、俺は読まれても別にどうでもいいことしかないからいいんだが・・・。しかし、この分ならかなり早く出ていけそうだな)
遥佳がそこまで周囲を脅していたのは理由がある。
自分がいなくても誰もがきっちりと仕事をする環境を作り上げる為だ。
理由なき遅刻を許さず、サボリを遠慮なく指摘する遥佳のやり方は、皆に緊張を強いていた。
「えーと、すみません。遅刻の始末書を提出しに来ました」
「はい、そこに重ねておいてください」
「あのう、これ、どれくらいの回数で降格になるんでしょう」
「どうしようもない理由がある時には監査が入りますが、考慮はされます。ですが大した理由がないのであれば遅刻しないように気をつけてください」
「はい」
同時に、今までただ黙々と働いていた人達を労い、それがこういう素晴らしい結果に繋がったのだと、皆の前で評価するその姿勢に、目を潤ませる人がいたのも事実だ。
「まさか今になって認めてもらえるとは思わなかったよ。ユーリ様から金一封が出たんだが、かなりの額だった」
「積み重ねてきたことが無駄じゃなかったってことだ。君の努力が認められて、俺も嬉しい」
尚、夜中などに遥佳を襲おうとした者もいなかったわけではないが、どれも死体となって発見された。
その中には夜這い目的だった者もいたらしいが、どうやら遥佳の寝室に入った時点で死体となったようである。
「隊長っ。また中庭に人がっ」
「・・・またか。この中庭、死体のゴミ捨て場になってないか? だが、誰がいつの間に捨ててるのか。いや、警備を更に強化しなくては。俺が降格になっちまうっ。てか、どう見てもユーリ様に恨みのある奴ばかりだろうが」
今や遥佳が寝泊まりする部屋の周辺は、国王よりも厳重な警備体制だった。
厨房にも見張り役が常駐している有り様である。
そして遥佳の有能さは、王宮内に留まらなかった。特に外交面だ。
『我がパッパルート国王陛下は不在ですので、国王代理として私が参りました。で、お話をお聞きしましょうか。その前にちょっとした世間話があるのですけど・・・』
ギバティ王国に甘い餌をぶら下げられて意気揚々と会談に臨んだほとんどの国は、最初の数分で蒼白になる。
会談を長引かせれば長引かせる程、大きなダメージを与えられるだけだと、彼らは学んだ。
『いや、そうでございましたか。国王陛下が外遊中とあれば仕方なきこと。お戻りになるまで待たせていただきます』
『まあ、本当に? ですが急ぎと仰っていらっしゃいませんでした?』
『いやいやっ。若くお美しい姫君を煩わせるなどやってはならぬことですからなっ。ではっ』
外交的な問題に関して、遥佳が会談に出向けば、相手は即座にその話を引っこめる。
それに同行したパッパルート王宮の大臣や高官、護衛の騎士達は、遥佳が何をやったのか口を閉ざして語らなかった。
しかし外交部門秘話として、また貴重な情報として、全ては書き留められていく。
(こういうことは決定権を持つ人間に譲らせればいいだけだものね。お父さん、ありがとう。相手の弱点を調べ上げて潰すってやり方を教えてくれて。若い時のお父さんって、本当に手段を選ばなかったのね)
遥佳は、その交渉にやってきた人間の弱みを探っては脅し、その上司を出させ、更にその上司の弱みを探っては脅してその上司を出させ、・・・そうして他国の国王と大臣、貴族達をまとめて脅したのだ。
「この私に交渉しようと言うのならば、まずは身ぎれいにしてから来ることね」
パッパルート国王の婚約者、ユーリ姫という名前は、一気に高まった。
とんでもない情報通の恐るべき存在として。
(ごめんなさいね、王様。優理が目をつけたばかりに変なことに巻きこんで。だけど代わりにあなたがやりやすいように王宮内を管理、・・・あら、こういう時はシメておいたって言うのかしら? ・・・まあ、活を入れておいたから、これからは少しだけ楽になると思うの)
そうしてパッパルート王宮を大改革した遥佳は、やっと一息つく。
「さ。これで当分はもつわね。じゃあ、私、ディッパ様をお迎えに行ってくるから、後はよろしくね。だけど私がいなくなるからって、いい加減なことはしないでちょうだいね? 戻ってきた時に何かをやらかしてくれていたなら、・・・もう警告はないって、分かってるわよね?」
「はっ、勿論でございますっ」
「陛下がお戻りになるまで、立派にこの国を守ってみせますぞっ」
どうせもう、これらの評価は優理につくと思った遥佳は、恨みをこめて遠慮なくやらかしている。
優理のことだ。
それを知ったところで、適当にどうにかすることだろう。
「それでよろしい。私が留守にしていることは、他国に知られないようにしてください。どんな要求をされるか分かりません。ですが私がいると思っていれば、どの国も無茶な要求はしてこないでしょう。その為に全ての国を黙らせたのです。分かっていますね?」
「はいっ」
「さすがはユーリ様っ」
「なんと素晴らしいお方っ」
恐怖政治で全てを制圧した遥佳は、これでやっとヴィゴラスを迎えに行けると、ホッとした顔でパッパルート王国から旅立つことにした。
「お帰りをお待ちしております」
「どうかディッパ様とお早いお戻りを」
パッパルート王宮の、特に外交関係者は、遥佳をまさに女王として崇めている。
貧乏王国だけに、他国との折衝では何かと辛い思いをしていたのだ。
それをここまでスカッとする国王代理が先頭に立ってくれたのである。
それはもう快感と言っていいだろう。他の王妃など要らない。この王妃こそ我が国に欲しい。
「ユーリ様。ディッパ様と一緒にお戻りになる日をお待ちしております。次は婚礼衣装ですわね」
「それはどうかしら。そもそも私、デューレ王子がルートフェン国に行く為に、勝手に婚約者ってことにされただけなんだけど」
「いいえ。次は王妃様とお呼びする日をお待ちしております」
「肝心の王様も、結婚なんかよりこの国のことしか考えてないと思うんだけど」
女官長を始めとする女官達も名残りを惜しんだ。
たとえ人前では国王代理だの未来の王妃だのとして偉そうに振る舞っていても、本人にそもそもそんな気は全くない。
『私なんて、デューレ王子の陰謀で、国王役で雇われた役者みたいなものよ。まあ、陛下が戻ったら婚約者役も解消されるからいいんだけど』
そんなことを呟き、女官達が選んだ衣装を着て、全てを任せてくれるものだから、ある意味で遥佳はとてもやりがいのある女主人だった。
「イスマルク様も、ユーリ様のお兄様ですもの。どうかお世話させてくださいませ」
「いいえ。私はおまけのようなものです。よければこの王宮内で、どなたか神官の祈祷などが必要な方がいるようでしたらお手伝いさせてください。ですがこちらの神殿の方を蔑ろにするつもりは全くございません。あくまで私はよそ者でございますから」
この若さで第5等神官になったという割にイスマルクはとても謙虚で、そして王宮内で皆と祈りを捧げる時にも立派な落ち着きをもっていた。
それこそよその傲慢な王女などが王妃となるよりも、この姫君でいいではないかと、皆に期待が生まれたのである。
そんな猫かぶりな元神官イスマルクも、遥佳がいつまでも拘束されずにすんだことにほっとしていた。
(普段、相手に遠慮して生きているから、こういう誰が味方で誰が敵か分からない場所では攻撃的になるしかないんだな。これからはハールカだけは怒らせないことにしよう)
そう思いもしたが、別にイスマルクは遥佳を怒らせるようなことはしないし、絶対に敵に回らない人間でもある。
彼女がどんな一面を持っていたとしても、遥佳をそんな環境下においたこの国が悪かったんだなと、そう結論づけるイスマルクは、何があろうと遥佳の味方だ。
「大変だったな。ヴィゴラスを見つけたら、第7神殿でも、もしくは誰も知らないような田舎にでも行って、ゆっくりしよう。ごめんな、ハールカ。何の力にもなれなかった」
「ううん。イスマルクがいてくれたから頑張れたの」
同じ馬に乗れば、イスマルクの腕から伝わってくる労わりが、遥佳の心を慰撫していく。
(疲れた・・・。だけど、今ならやっと休める)
遥佳の心を癒すのは、自分に決して敵意を向けないと分かっている存在だけだ。
「まあ、いい馬はもらえたし、パッパルート国王がいるミザンガ王国までの関所は最優先で通してもらえるらしい。それにパッパルート国内では離れた場所からの護衛もつくそうだ。だから安全だけは確保されてる。本当によく頑張った。辛かっただろう。お疲れ様」
「うん」
だから遥佳は目を閉じた。
この腕が、決して自分を傷つける筈がないと、分かっていたから。
ミザンガ王国の首都、ザンガ。
そこにある一軒の家に、優理がいることは探り当てていた遥佳だ。
あれでヴィゴラスは賢いグリフォンだ。ギバティールにいないとなったら、何が何でも優理の居場所を探り当てることだろう。
たとえ自分の方が早く着くことになったとしても、優理のいる場所で待っていればヴィゴラスはやってくる。
そう思って遥佳はイスマルクと共に、ザンガにある茶色い建物へと向かった。
「レイスっていう人が、優理の為に鍵をくれていたのよ。扉の色は焦げ茶色で、水晶玉の絵が描かれている筈なの。優理の為に、そんな分かりやすい絵をつけておいてくれたみたい」
「それだけ聞くと有り難い話なんだろうが、その職業が殺し屋だという時点で全く有り難くない話なんだよな。どうしてユーリ様もそんな危ない橋を渡ろうと思われるのか」
「危ないと思ってないからじゃないかしら」
「パッパルートでもあれだけ恨まれてたじゃないか。ハールカが無事で済んだからよかったが、さすがに異常だ。どれだけ敵視されていたやら」
「・・・そうね」
イスマルクがよく分かっていないだけで、その敵視してきた人数を大幅に増やしたのは遥佳である。だが、イスマルクは遥佳と真琴に関してのみ、汚れなき純粋無垢な純白フィルターがかかってしまう元神官だった。
いくらイスマルクが傍にいてくれても、ゲヨネル大陸でもなければ第7神殿でもない場所で深い眠りに入って状況を探ろうとは思えなかった遥佳である。
二人はザンガにあるレイスの持ち家を目指した。
そうして優理の記憶にあった周辺の特徴を手掛かりに家を見つけ出す。
「えーっと、優理、いてくれるかしら」
「だといいんだが」
持ち主が持ち主だけあって、頑丈な造りの家だ。
扉にあるノッカーを叩いたところで、実はあまり家の中に響かないようになっている。最初から客を拒否している家だからだ。
それでも叩いて叩いて叩きまくって、優理を呼び出すしかあるまい。
遥佳がそう思っていたら、ひょいっと背後から肩を叩かれる。
「お帰り、ユーリちゃん。なんだ、また客か? あのヴィゴラスとかいう男はどうした? ん?」
振り向けば、くすんだ青色の瞳を持つ男が立っていた。
「え? あ、あの・・・」
「まあ、いい。こんな所でぼやぼやしてるもんじゃない。さっさと入りな。そっちの兄ちゃんもほら」
「あ、いや、その、俺は・・・」
ぐいぐいと、イスマルクと遥佳はその男が鍵を開けた扉の中に押し込まれてしまう。
コルクのような薄い色合いの髪をした男はどこか朴訥とした印象があったのに、けっこう強引で力も強かった。
そして、家の中に入ると玄関の鍵を閉めて、中へと声を掛ける。
「おーい、ドレイク。ユーリちゃん、帰って来たぞ。ただ、違う男も連れてるけどな」
そう言いながら家の中へとどんどん押しこまれていった二人は、そこの居間らしき部屋でだらしなく座っていた男に溜め息を吐かれてしまった。
「なんや、ユーリ。お前なあ、ほんま出かける度に毎度毎度、男を連れ帰るて何なん? そこまで男に飢えとんかい。ほならレイスとしっぽりしけこんでき。で、あのヴィゴラスゆう物騒な奴ぁどしたんや」
「え? あ、あの・・・」
黒髪に焦げ茶色の瞳をした男は、どこか投げやりな口調だった。疲労も色濃い。
「置き手紙だけ置くだけ置いて、どこに行くかも書いとらん。何しに行くかも書いとらん。いつ帰るんかも書いとらん。ほんまは攫われたん違ゃうやろか心配したんやで。ええかげんにし」
「す、すみません」
自分は全く悪くないのに、謝らずにはいられない遥佳だ。
そうして近寄ってきた男は、がしがしと遥佳の頭を撫でた。
「まあ、ええわ。二人ともけっこう土埃で汚れとんな。かなり移動したんか。まずは風呂入ってゆっくり休み。そこん兄ちゃん、名は?」
「イスマルクだ」
「ドレイクや。あっちんがカイネ。夕方にゃレイスも戻ってくるやろ。兄ちゃんはエミリールが使っとった部屋、使えばええ。どうせエミリールもお貴族はん生活のアレコレもあるやろし、しばらく戻らへんやろ」
「あ、あの・・・。私、実は・・・」
「ああ、ええんや。あん物騒なヴィゴラス言う男、連れてこんかったならそれでええ。湯、沸かしたるし、体洗ってまずは休み。夕飯はうちん店で食うよって、買い出しん心配いらへん」
「・・・えーっと」
ヴィゴラスは一体何をしたのか知りたくなくて、遥佳はドレイクの心をあえて読まなかった。
(凄いわ、ヴィゴラス。とっくにここを探り当てていたのね。・・・だけど聞きたくないの、その詳細を)
それはイスマルクも同様で、ヴィゴラスが何をしたのか、本気で問い返したくない。
(やりやがったな、ヴィゴラス。何か、・・・そう、とんでもない何かを)
ここでヴィゴラスを迎えに来たと言う勇気など、二人にはなかった。
イスマルクの脳裏に、人質を取って働かされていたドワーフ族の悲しい泣き声が蘇る。
あれはまだゲヨネル大陸で、しかもそれが神子姫絡みと分かったからドワーフ族もいきなりヴィゴラスに好意的になってくれたが、ジンネル大陸で、しかも殺し屋を身内としているような男が「物騒な男」認定することとは何なのか。
その被害額と恨みを抱いている人達の復讐心はどれ程になるだろう。イスマルクだって、「そんな賠償金、抱えこめるか」である。どれ程、吹っかけられるかも分からない。
「ほれ、ユーリちゃん。ぼさっとしてないで、まずは荷物を置いてきな。ああ、イスマルクとか言ったか。案内しよう。と言っても、ユーリちゃんの隣の部屋だがな」
カイネと紹介された男が、先に立って二階へと案内する。
それについていきながら、イスマルクと遥佳はどうしたものかと顔を見合わせた。
優理の姉妹だと言えばいいだけなのだろうが、何をしに来たのかと問われたら答えられない。
「ユーリちゃんがこっちの手前で、兄ちゃんはその奥な。向かいはレイスの部屋だ。湯が沸いたら呼びに来るから、まずは荷物を置いた方がいい」
「え、ええ」
「どうもご丁寧に」
カイネが去ると、ヴィゴラスを信じられない二人はこそこそと相談し合った。
『優理達が帰ってくるまで優理のフリして、それで戻ってきたらヴィゴラスと共に逃げるってどうかしら』
『そ、そうだな。思うにあいつ、かなりやらかしたんじゃないか?』
逃走を一番に考えてしまう二人は、ヴィゴラスに関してはシャレにならない空気をドレイクから感じていた。
『多分・・・。だけど大丈夫よ、イスマルク。だってヴィゴラスなら私達二人を連れて空を飛べるもの』
『それしかないか。逃げてしまえば後はどうにでもなる』
卑怯だと言われてもいい。だが、自分達は無実だ。
これがちょっとした、それこそ窓を割りましたとか、扉を壊しましたとかなら、イスマルクや遥佳も平謝りして弁償したことだろう。
だが、あのドレイクという男の言葉からは、そんな可愛いものではない何かを感じずにはいられなかった。
何かとは、・・・考えたくない。
『だけどヴィゴラスがそれをしたというのなら、きっと優理絡みなのよね』
『たしかに。ハールカに絡む何かがここである筈もない。やるとしたらユーリ様か。考えてみりゃ、あれだけ王宮でも恨みをかってたんだ。普通の暮らしでもユーリ様がやらかしてない筈がない』
もうイスマルクの中に優理への信頼はゼロだ。
『そうよね。ヴィゴラス一人だけなら何もしないと思うもの』
あれでヴィゴラスはお腹が空いていても家畜を襲わなかったグリフォンだ。それが何か凶行に至ったというのであれば、その理由は一つしかない。
何故なら遥佳は、ザンガにいなかったのだから。
あのグリフォンが他人の為に動くとしたら、それは神子姫以外にあり得ないのだ。
(どこに行ったか知らないけれど、置手紙を残していったなら優理は戻ってくる。そして優理と一緒にいるヴィゴラスも)
だから待っていればいい。
けれども言っていいだろうか。
一体、優理は何をしているのかと。
(私なんて、お母さんに義理立てしてくれた神官とグリフォンだけで静かに暮らしてるっていうのに、優理ってば何を男の人をとっかえひっかえしてるのかしら。パッパルートの王様だけじゃなく、エミリールっていう貴族の人もって・・・)
しかもこの家を優理の為に用意してくれたのは、まだ帰ってきていないレイスという男の筈だ。
どこまで男を渡り歩いているのだろう、自分の姉妹は。
ドレイクにあそこまで言われても反論できないではないか。
『だが、ハールカ。それなら違う場所で待ってた方がいいんじゃないか? 彼らを信用していいのか? あまりいい素性の奴らじゃあるまい』
『そうなんだけど・・・。だけどあのドレイクさんとカイネさん、触れた時に心が流れこんできたけど、いい人だと思うわ。だって優理のこと、心配してくれていたのが伝わってきたもの。それに、・・・多分、私が優理の妹だって言っても、そのまま優理が戻ってくるまで面倒みてくれそうな気がするの』
『そうなのか?』
『うん。だから、優理のフリをして待ってればいいんじゃないかしらって思うのよね。だって、なんか私が優理じゃないこと、あの二人、もう気づいたみたいだもの。やっぱり優理と私、反応が違いすぎるのよ。いくら同じ顔でもイスマルクが私と優理を間違えないのと同じことなんだわ』
『まあ、ハールカがそう言うのなら』
イスマルクが優しく遥佳の頭を撫でて微笑む。
だから言わなくてもいいだろうと、遥佳は思った。
(というより、優理と同じ顔で普通の宿に宿泊する方が危険すぎるなんて言えない。イスマルクも私といるわけだし、彼らの庇護下にいた方がいいわ)
今、階下から二人の感情が流れてきている。
戻ってきたのが優理じゃないと、互いの結論を摺り合わせ、ドレイクとカイネは遥佳の安全確保を話し合い始めた。
遥佳達の入浴に使う湯を沸かしながら、彼らは遥佳を優理として扱った方が安全だと判断したようだ。
一緒にいるであろうヴィゴラスのことも含めて、優理がとんでもないことに巻き込まれていないか、心配してくれてもいる。
それでも遥佳を放り出す気はなくて、保護するつもりだ。
優理と同じこの顔でトラブルに見舞われた時、イスマルク一人で遥佳を守るのはかなりきついことになるだろう。
それならここにいた方がいい。
(いい人だわ、あの人達)
生業はともかく、それでも優理を大事にしてくれていることは確かだ。
同時に遥佳は思った。
(優理の姉妹なのはバレても仕方ないけど、ヴィゴラスが本当は私の関係者っていうのだけは隠し通さなきゃ。ヴィゴラスはもうお父さんの関係者でいいわ。・・・言えない。ヴィゴラスがうちの子なんて、言えない)
お互いの平和な関係の為にも、それだけは絶対に言えない。
そりゃヴィゴラスが優理の身を守ってくれたのは嬉しいと思う。
けれどもものには限度があるのだ。
今、彼らの心に浮かんでいるものは、あまりにも・・・。
(大量殺人って、どうしてあなたは極端なの、ヴィゴラス)
甘えん坊な自分だけのグリフォン。
なのに今、遥佳はもうヴィゴラスをどう見ればいいかも分からない。
信じていた全てに裏切られた気分だ。
可愛らしくキュルル、クルルルと鳴く自分の小鳥は、どんな凶悪犯罪者と化してしまったのか。
だけど自分は責められない。ヴィゴラスのそれは、優理の安全に大きく関与している筈だから。
(早く連れて帰りましょ。ええ、さっさと連れて帰るわ。もう、ヴィゴラスを野放しになんてできないっ)
遥佳はぎゅっと拳を握りしめた。
イスマルクと遥佳が体を洗って着替えて出てきたところで、ドレイクから出された葡萄の果汁はとても甘かった。
旅の装束を脱ぎ、ピンクのワンピースに着替えてしまえば、遥佳も今更ながら優理はこういう格好はしないかもしれないと気づく。
だが、どうせ自分が優理ではないとドレイク達も気づいているのだからいいかと、思い直した。
「あ、美味しい」
「すみません、俺まで」
「ええんや。なんや、思たより元気そうやな。ほならすぐ食べ行こか。そん方がゆっくり休めるやろ。あんな、イスマルクん兄ちゃん。ユーリな、ちょおっとやらかしてくれとんのや。やから一人にしたらあかん。気をつけとき」
「やらかしてって、・・・何を?」
ヴィゴラスのことは聞きたくないが、優理のことは聞いておかねばならない。
そう思ったイスマルクは、神官を辞めても女神と神子姫達を至上と戴く青年だった。
「んー。まあ、そやな。ユーリな、ちょい気にいらん男ん建物、グリフォン突っ込まして全壊させたんはええんやが、更にそいつ騙して金貨200枚まきあげてな。んで逃げてザンガ居ったんや」
「えーっと・・・」
「今、そいつがユーリ攫おぅしとってな。あんヴィゴラス言う男使うて攫わすつもりやったらしいんやが、それは失敗したからええ。けどな、一人にはさせんとき」
優理には優理なりの事情があったのだが、そうとも知らず、イスマルクは何ということだと、瞼を押さえる。
「分かった。騙して金貨をって、・・・そんなにお金に困っていたとは」
「いや、金はあるやろ。単に気に入らんから騙し取っただけや。やられたら20倍返しすんのが礼儀や思とんと違ゃうか?」
「そ、そうか」
イスマルクは女神シアラスティネルに感謝した。
同じ神子姫でも、遥佳や真琴といった素直で愛らしく、皆に愛されている清純な二人といられたことに。
反対に遥佳は顔が上げられない。
(優理―っ。あなた、何やってるのぉっ)
自分の小鳥ばかりか、姉妹までそれときたなら、自分はどうすればいいのか。
遥佳の反応に、ドレイクも言い過ぎたと考えたらしい。
「ユーリもそう気にすなや。どうせあん男も金は有り余っとる。それよか魚は好きか? うちで働いた分の報酬もまだ払っとらんし、そん分、ちゃんと食べ。そこん兄ちゃんもな。心配せんかて、ユーリがザンガでしとった仕事代金、そこそこいっとるよってな」
「あ、有り難うございます」
「いや、俺の分はちゃんと・・・」
「ええって。うちでやらしとる店やし、そもそも俺らも代金払うたことないよってな。そんかし、何が出てくんのか分からんってのはあるんやが。どしてもなあ、こっちが食べたいもんより、沢山仕入れたもんとか出してくんのやわ」
そこへカイネが戻ってくる。レイスも一緒だった。
「裏から入ればいいってよ。個室、押さえた。お、ユーリちゃん、着替えたのか。うん、可愛い。やっぱり女の子が黒一色ってのはなぁ。うんうん、やっぱり女の子は女の子らしい格好が一番だ」
「レイスだ。ほら、ユーリ」
「え?」
レイスが遥佳の手に小さな紙袋を渡してくる。
「クルンの実だ。齧っておけば栄養になる。持っておけば何かあった時にもそれでしのげるだろう。二人共、寝る前に一個か二個ずつ齧っておくといい。旅の疲れも取れる筈だ」
「有り難うございます」
「いや。ここにまっすぐ来てくれて良かった。疲れが取れなかったりする時は薬の手配もする。お宅の姉妹が戻ってくるまでここに滞在しているといい。その方がこっちも目が行き届く」
ぽんぽんとレイスに頭を撫でられ、遥佳は優理のやらかしたことについて色々と思わずにはいられなかった。




