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79 ヴィゴラスは家出して、遥佳は反省した



 ザンガにある高い塀に覆われた屋敷。

 本来のオーナーであるドレイクにとって、その屋敷は人に貸し出している物件だったので、仲間でも知らない者の方が多い。

 周囲に人気がないことを確かめてから、レイスは裏口の鍵を開けた。

 そうして屋敷内へと入っていけば、優理はどうやらエミリールと今日のメニューを話し合っていたらしい。


「あ、お帰りなさい、レイス。あのね、今日は海老のすり身を載せたパンと、野菜と卵の炒め物、それからね、揚げた白身魚に甘酢をかけたものと、鶏の唐揚げとスープでいいかなって。やっぱりディーさん達、お魚、珍しいだろうから色々と食べさせてあげたいのよね。だけど魚だけだと物足りないだろうし、そこは鶏があればいいでしょ?」


 レイスに、そんな話の中身など聞く余裕はなかった。

 鋭い口調で優理に尋ねる。


「ユーリ。お前、今日はどこにも出てないな?」

「うん。エミリールが全部買い出ししてきてくれたもの。ほんと、エミリールってば力持ち。びっくりよね」

「そうか。絶対に出るな。庭にも出るなよ」

「なんで?」

「厄介な奴が来てるかもしれんからだ。場合によっては、お前を地下室のある建物に移す」


 レイスの言葉に、優理の傍にいたエミリールも険しい目つきとなった。

 地下室というのはあまりにも不穏だ。まるで本気で襲撃を受けるかのようではないか。


「ちょっと待ってくれ、レイス。俺だって周囲に人の気配がないことを確かめてから出入りしてたし、買い物中も顔をフードで隠してた。だからここがバレていることはまずないと思うんだが、・・・そんなにまずい状態か?」

「分からん。こっちに何もなかったなら情報待ちだ。ここに居る方がいいのか。それとも今夜にでも闇に紛れて移動するか。まだユーリの居場所はバレていないと思うんだが」


 それを聞いていたエンセとオーリムが、首を傾げる。

 ドレイク達が何やら事情を抱えているのはともかく、優理は無関係な少女だろうと。

 今日も彼らは食事の準備を手伝いながら見学する予定だったのだ。

 パッパルート王国には干物以外の魚介類はまず出回らない。優理が作る鮮魚料理は何かと感動的だった。


「いや、ちょっと待ってください。ユーリ殿は、やはり特別な素性の方なのでしょうか。隠すとは、一体・・・?」


 エンセが戸惑いがちにレイスへ尋ねる。


「そういうわけではありません、エンセ殿。ただ、こんな色気も何もない未発達な子供でも、変わった嗜好の持ち主はいるもので、厄介な男に目をつけられているのです。だから俺達が保護していたのですが」


 優理は、そこで呆けた顔になってしまった。


(レイス。それ、自分にもブーメラン発言って分かってる? ついでに保護してもらった覚えは・・・、覚えは・・・・・・)


 保護してもらうばかりか、完璧に優理は全ての面倒をみてもらっている。


(ま、そんな小さなことは置いといて、と。一体何があったのかしら。私が狙われていたのって、ドレイク達と仲違いした人達じゃなかったの?)


 その事情を説明してもらわなくて意味が分からない。

 優理は意識を切り替え、レイスに尋ねようとした。

 その時、外野から声が掛けられる。


「恐ろしいことだな、厄介な男に目をつけられているとは。まだ他にもいたのか」


 がばっと皆がそちらの方を向けば、扉の所に一人の男が立っていた。


「あれ? ヴィゴラスじゃない。どうしたの? 遊びに来てくれたの?」

「そんなことより、狙われているとは大変な事態ではないか、ユウリ殿。なんという危ないことになっているのだ」


 そこでレイスが尋ねる。


「なぜ、この場所が?」

「その前に問おう。ユウリ殿を襲うと話していた奴らはお前の仲間で合っているのか? つまり、お前こそがユウリ殿の敵だということか?」


 ゆったりと部屋の出入り口付近に佇(たたず)みながら、それでもヴィゴラスはレイスが優理を傷つけようとするよりも速く動ける自信があった。

 だから穏やかそうに尋ねてみせる。

 ヴィゴラスは、遥佳や真琴と暮らした日々の中で猫かぶりというスキルを培(つちか)った、稀有(けう)なグリフォンだった。

 神子姫達の前でならどこまでも無害な幻獣を演じられる。


「違う。俺達はユーリと協力し合うと決めた。だが、それに反発した奴らが出た。だから、かつての仲間とはもう仲間ではない。そいつらが彼女を襲うという計画を立てることも予想して、ここにユーリを匿(かくま)っていただけだ」

「なるほど。では問題ないな。やはり片付けてきて良かった。で、それとは別の、厄介な男とは?」

「「・・・・・・」」


 ヴィゴラスの言葉に、「ん?」という顔になったのは、レイスと優理だ。


「片付けてきてって、・・・もしかして、何かしてきてくれたの?」


 そこらへんは優理も遥佳も同じスタンスだ。

 相手が知らない人だったり警戒する相手だったりするなら、プライバシーなど全く考慮せずコントロール無しに情報を読み取るが、相手がそれなりに親しい人間ならばそういったことはしない。

 かえって相手のプライバシーを考慮しつつ力を使う方が疲れるのである。

 だから普通に優理は問いかけた。


「ああ。ユーリ殿を探して、男達に声をかけたのだ。すると、彼らは案内すると言い出した。しかしそれは嘘で、ユーリ殿の身柄を押さえるだの何だのと物騒なことを言い出したから、その気がなくなるように軽く痛めつけてきた」


 遥佳の特訓の成果だろう。ヴィゴラスは、人に尋ねて話を聞くというスキルをマスターしている。

 そう、今のヴィゴラスは普通のグリフォンでは到達しえない高みに位置する特別なグリフォンだ。

 何と言っても、人に声をかけて質問することができるのだから。


「え? あら、ありがとう。ごめんなさいね。あなたに痛めつけられたんなら、当分、起き上がれないんじゃないかしら」

「多分な。だが、本当に物騒な国だ」


 うんうんと頷くヴィゴラスは、無傷そのものだ。


(当分どころか、永遠に起き上がることができないようにした物騒な奴がここにいるな)


 そんなことを思いながらも、改めてレイスはヴィゴラスの戦闘能力に驚嘆せずにはいられない。


「ちょっと待ってくれ。ということは、アレをやったのは・・・。いや、その前にここをどうして知ることができた? ユーリがギバティからミザンガに来ていることは、まず知られていない筈だ」

「・・・・・・」


 ヴィゴラスは、「その前に問う」と言いながら、自分の疑問が解決されたならばそんな約束を悪気なく忘れ去ることができる幻獣だった。

 だから無害そうに小首を傾げて、

(え? 何のこと? 意味わかんない。だって小鳥だから)

と、それで終わりにする。

 言うまでもないが、それで「なんて可愛いのかしら」と思ってくれるのは遥佳ぐらいだった。

 神子姫に危険があるのなら情報収集として会話もするが、所詮、ヴィゴラスはグリフォン、ゆえに自分の宝物以外はどうでもいい。


「快く教えてくれるなら、一仕事を終えて疲れているであろう相手に、後で子豚の丸焼きでも買ってきて進呈するのもやぶさかではないと思っているのだが。俺達は情報の質で報酬を決める」


 レイスは情報料をケチる男ではなかった。


「ギバティールのユウリ殿の家に行ったら、絶倫ゴーマン男が声を掛けてきた。

『ユーリをミザンガ王国のザンガまでドレイクとレイスらが拉致したんだ。協力し合おうぜ』

と。だが、移動に邪魔だったので置いてきた。

 ザンガに到着してからドレイクとレイスという名前の人間を知らないかと尋ねたら、何人かの男達が

『知ってるぜ。ついてこいよ』

と、言った。

 ついていったら、

『飛んで火にいる夏の虫ってぇ奴だな。さ、知ってる事を吐いてもらおうか』

と、言ってきたが、それより先に一緒にいるであろうユウリ殿の場所を教えるようにと言ったら、知らんと答えたばかりではない。

 ユウリ殿に、ここで口に出せぬようなことを仕掛けるつもりだと言ってのけたので、そいつらを痛めつけてきた」


 レイスの言葉に子豚の丸焼きの味を思い出したヴィゴラスは、分かりやすく説明した。


「そうか。助かった。これでユーリの安全も確保されただろう。その絶倫ゴーマン男がユーリを狙ってアレをやったのかと思っていたんだが、そうじゃないなら問題ない。で、どうしてこの屋敷が分かった?」

「ユウリ殿を拉致したというドレイクとレイスの出方を見ようと、その口に出せないことを言った奴らを次々に叩きのめして、後は様子を見ていた。そうすれば、ユウリ殿の場所へ案内してくれるだろうと思ったからだ。お前がユウリ殿に危害を与える気ならば殺そうと思って見ていたら、どうやらそうでもないようだからここで出てきた」

「つまり、俺を尾行したのか。だが、全く気づかなかった。さすがだな」


 フッと、ヴィゴラスは小さく笑った。

 当たり前である。自分は誇り高きグリフォンなのだ。それぐらいできなくてグリフォンは名乗れない。


「レイスを尾行してきた? 凄いな。俺ですら撒(ま)かれたのに」


 エミリールも、ヴィゴラスの言葉に目を丸くする。


(見た目だけなら筋骨隆々でもないし、優男っぽいのにな。しかし、油断するなってことか。ここまで、あのレイスが気を遣っているとなれば、尚のことだ)


 女装できるエミリールの方がよほど優男なのだが、エミリールは冷静に判断しようとした。


「それならユーリに当座の危機はない。礼に、今からでも買ってこよう。いや、エミリールがいるか。悪いが、これで子豚の丸焼きと、鵞鳥(がちょう)か何かの丸焼き、そして果物と菓子とをこれで買えるだけ買ってきてくれ。彼に好き嫌いはない。今回の最大の功労者だ。これでユーリに対する危機はかなり減った。俺は、皆にこのことを知らせないとまずい」


 レイスは、エミリールに金貨を渡す。

 今から優理が料理をしようとしていたのは分かっているが、ヴィゴラスに食べさせたらそれこそ他の人間の分がなくなる。もしもヴィゴラスが優理の料理を食べたがったなら、その分は鵞鳥の丸焼きを他の人間にまわせばいいだろう。

 多めに渡した金額から、口にしなくてもエミリールは、ヴィゴラスがかなり食べることを察したらしく、目だけで頷く。

 貴族の割に、こういうところはやりやすい男だ。


「礼を言う。もしもまだ滞在できるなら、ユーリの身を守ってやってくれないか。勿論、エミリールもかなりの手練(てだ)れだからユーリの護衛でついてもらっていたが、やはり一人では厳しい。いてくれると心強い」

「・・・・・・む」


 それぐらいならここから優理を連れ去った方が早いと考えるヴィゴラスは、無駄に動くのが嫌いなグリフォンだった。

 安全な場所に優理を連れて行き、そこで一緒に宝物を磨いている方がよほど建設的ではないか。

 以前よりも輝きを増した宝石を見せてあげれば、きっと優理もその美しさに感動してくれるだろう。


「毎日、差し入れはさせてもらおう。ザンガは魚が美味い」

「当座ではあるが、引き受けよう」


 同時にヴィゴラスは柔軟な考え方ができるグリフォンだ。それなりの条件があれば、さっと自分のポリシーを譲ることもできる。


「感謝する。エミリール、頼んだ」

「あ、ああ。ちょっと待ってくれ。俺も一緒に出る」


 慌ただしくレイスとエミリールが出ていき、取り残された優理はヴィゴラスを見上げた。


「だけど一人? 遥佳(あのこ)達は?」

「ユウリ殿が言っただろう」

「何を?」

「自分の気持ちを理解してくれない時、人は家出をするのだと」

「・・・はあ?」

「だから家出をしてみた。しかし、この後はどうすればいいのかが分からん」

「ごめんなさい。私の説明が言葉足らずだったみたいだなってことは、今、理解したわ」


 普通、家出というのは大陸を移動してまでのダイナミックなものではない。せいぜいご近所が定番だ。

 これは、・・・そう、失踪というものではないのか?


(ごめんね、遥佳。まさか私の他愛(たあい)ない世間話がこんなことを引き起こしただなんて)


 優理は、遥佳に心の中で謝った。

 だが、今はエンセとオーリムといった目と耳がある。滅多なことは言えない。

 それに大の男、いや、この場合は大の幻獣が家出したところで、いくら遥佳でもヴィゴラスがどこかで悪い人間に騙されて売り飛ばされたり、闇から闇へと消えたりといったルートは馬鹿馬鹿しくて想定していないだろう。

 当てもなくその日の宿を求めて夜の街を彷徨(さまよ)う少年少女の家出と違い、グリフォンは岩山でも元気に生きていける幻獣である。


「それについては夜になったらゆっくり二人で話しましょ。とりあえず豚の丸焼きが来る前に何か作るわね。お腹は空いてる?」

「とても空いてる」

「分かったわ。すぐできる物から出すわね」


 まずはバゲットを丸ごとガーリックオイルでこんがり焼いてバターをたっぷり。それで少しは時間が稼げるだろう。

 ヴィゴラスが遥佳を一番大事に思っているのは知っている。

 だが彼は、優理に危険が及ぶかもしれないと思えば、先に手を打ってきてくれる律儀な幻獣だ。

 感謝をこめて、優理は料理に取りかかり始めた。


「すまない。手伝いたいが、腹が減ってあまりよく動けない」


 細かい作業は力任せに動くのとは違い、かなり神経を集中する。

 今の自分では牛の骨を叩き割ることなら手伝えても、野菜の皮を剥く前に潰してしまうだろうと、ヴィゴラスは冷静に己を分析していた。


「そんなことないわ。私の為にそこまで動いてくれたんでしょ。ありがとう、助かったわ」

「それは良かった」


 ほのぼのとしたやりとりを交わす二人は、お互いに感謝することができるいい関係だ。

 エンセとオーリムも、よく分からないが色々な人間関係があるのだろうと、そんな感じで邪魔にならぬよう控えている。

 一方、慌てて戻ったレイスから、その話を聞いたドレイク達は、ほのぼのどころか戦慄せずにはいられなかった。


「ちょい待てや。あいつやろ? あの人を人とも思わんあいつやろ? あいつが来たんかい。って、どないすんのや、これ。密かに処理なんざ、どないやれっちゅうねんっ。あいつ、まさかこいつらに仲間の場所を吐かせては次々と潰してったんじゃないやろなっ。見ぃやっ、どこも皆殺しやんかっ」

「おい待て、ドレイク。一体、どういうことだ。そのユーリって、お前が連れてたあの嬢ちゃんだろ? なんであんな頭がいいだけの小娘にこんな危険な奴がついてんだ。殺されてんの、100は下らんぞっ」


 あり得ない人数である。一人がやるには多すぎる。

 しかもやった当事者は無傷だと聞けば、フォルナーですら、その身が震える。


「フォルナー。気持ちは分かるが、ユーリの近くにいる黄土色の髪、緑に近い黄緑の目をした褐色肌の男に、決して喧嘩は売るな。たとえどんなに態度が大きくてもだ。あいつは化け物みたいに強い」

「レイス(おまえ)が言うなら相当だな。いや、これだけやらかしたんだ。そりゃ危ねえ奴だろうけどよ。だが、仲間もなしに一人でここまでできるもんなのか・・・?」

「あの男はできる。どうやらユーリの父親の関係者らしい。ユーリの父親はかなりの武人だったようだが。だが、ヘタなことを口にしてスパッと殺されたんじゃたまらんからな。命が惜しければあの男には深入りするな」

「分かった」


 食べ物さえ与えておけばご機嫌になってくれるような単純なだけの男ではないと、レイスも分かっている。

 自分を尾行したということは、どこからか見ていたのだ。

 彼らを殺した後、そこにやってくる人間が誰なのかを。

 建物の中に全て死体を入れこんであったのは、偶然やってくる人間に騒がれたくなかったからだろう。

 そうして慌てて動き出す人間の後を追えば優理がいるだろうと、そう考えて彼は待ちかまえていた。


(なんて男だ。あまりにも非情すぎる)


 これだけの死体の量産ですら、優理の安全確保と、居場所を突き止める手段を兼ねさせていたのだ。

 恋愛感情は全くなくても、彼は優理をかなり大切にしている。

 いい関係を続けていこうと思ったら、決して優理を害さないというスタンスをレイス達も維持しなくてはならない。


(結果として、ユーリに反感を覚えている奴らには造反しておいてもらって良かった。そうでなければこっちまでとばっちりで殺されていた可能性がある)


 その時には、自分達もこれらの死体の仲間入りだ。

 その際、言い訳など一切させなかっただろう。この手際の良さを見れば、全く話し合いなどなかったことは一目瞭然だ。


「どした、レイス。具合でも悪いんか?」

「いや。・・・お前、幻の黄金ガニ、食べたがってただろう。今年、漁師に直接買いつけして買ってやる」

「へ? なんや急に。どないしたん。あれ、高いから駄目や言うとったやろに」


 雄(オス)の本ズワイガニと雌(メス)の紅ズワイガニから生まれる黄金ガニは、珍しさもさることながら、味の良さでも知られている。まず市場に出ない程に貴重だ。

 高い値段の割にはあまり腹が膨れないというので、レイスはカニにかける金を惜しむようになっていた。勿論、ドレイクも自分のポケットマネーでカニぐらい買えるが、そこまでして食べるかと言われたら躊躇(ためら)うところだ。それは過去の失敗が尾を引いていたからである。

 何故ならば、ドレイクはカニを愛していた。スカスカな身のカニは許せない。小さなカニのフライも悪くはないが、やはり両手を使って食べる大きなカニにこそ感動がある。

 そしてカニとは、美味しく食べるのでなければ意味がない。身はしっかりとしていてジューシーなカニを、調理法もそれを引き立てる食べ方にして出してもらいたいのだ。そのこだわりは譲れない。

 だが分かってない調理人は、さっと焼くべきカニを無駄に長く茹でて味を落としたり、焼いたと思ったら焼きすぎていたりと本当になってなかったりする。

 かと思えば、シンプルに焼いたり蒸したりして食べるべきカニを、なぜか挽き肉や野菜と共に炒めたり、クリーム煮込みにしたりしてくる。やっていられない。

 しかしレイスは、

「お前のこだわりを要求されても、持ち込まれた食堂だって分かるか。そういう高いカニなど普段から扱ってないんだ。自分で調理できないなら食うこと自体を諦めろ」

と、それらの失敗にグチグチぼやき続けるドレイクに愛想を尽かし、やがて買ってくれなくなったのだ。

 それだけにドレイクも、何を言い出したのかと、レイスの顔色を探らずにはいられなかった。


「たまにはいいだろう。今年は特別だ。有り難いことに、ユーリは食い意地が張ってるから調理法は外さん。俺もお前には美味いもんを食べさせてやりたいしな。勿論、黄金ガニだけじゃなくズワイガニだってちゃんと買ってくるし、その日はカニ尽くしだ。お前がもう食いきれんと言うまで食べさせてやる」

「・・・っ! レイスッ、そなに俺んことを!」


 感極(かんきわ)まって抱きつこうとしたドレイクだが、レイスはそれで今回の件はチャラだとばかりに、腕をいっぱいに伸ばした左の掌でドレイクの額をつっかえ棒のように押さえて近寄れなくする。

 そうしてヴィオルト達に向き直った。


「一時期、ユーリの用心棒をしていた褐色肌の男だ。あの顔を知ってる奴はちゃんと仲間を止めろ。あいつはユーリが危険にさらされると思ったらユーリの意見なぞ全く聞かずに行動に移る。そしてユーリにそのことを密告する奴は殺害するだろう。いいか、黄土色の髪に黄緑色の瞳、褐色肌で、人の話を全く聞こうともしない男だ。それだけは徹底させろ」


 だが、レイスはその男の名前を告げなかった。

 ヴィゴラスと呼ばれているのだから、そういう名前であるのは分かる。けれども、レイスはその名を呼ぼうとは思わない。

 なんとなく感じるのだ。

 あの男は、その名を限られた人間にしか呼ばせていないだろうという気配を。


「ですがレイス。あのお嬢さんを守る立場で意見を聞かないということはないでしょう。そこらへんはあのお嬢さんからもそいつにきちんと話してもらってもいいと思いますがね」

「無駄だ。これだけ殺しておいて、あの男、ユーリには、『軽く痛めつけてきた』としか言わなかった。俺ですら、ユーリに危害を与える側ならそのまま殺すつもりで尾行してきたらしい。本当は殺したと、俺が言おうものなら、闇討ちされただろう。あいつはユーリに変な気兼ねをしてもらいたくないから告げないだけだ。全員殺して静かになるならそれでいいと思っている」


 ヴィオルトばかりか、他の男達も一斉に黙りこんだ。


「そしてあの男に、ユーリが俺達と共にいることを漏ら(リーク)したのはキースヘルムだ」


 げんなりした顔でヴィオルトはぼやいた。


「どうして誰も彼もがあのお嬢さんにそこまでのめりこむんだか」


 しかもこの後始末をどうしろというのか。これはもう、内部抗争なんて可愛いものじゃない。

 大量虐殺だ。

 しかも本来は捕らえられるべき犯人を自警団なり何なりに告げ口しようものなら、自警団(かれら)ごと自分達も殺されかねない。


「なんにしても、死体は内密に処分するしかあるまい。大変は大変だが、こちらに死人が出なかっただけマシだ」


 レイスも、どこか投げやりになっていた。

 何故なら犯人を人に言えない以上、自分達がやったことになるからだ。

 ドレイクに反旗を翻した奴らが一日で全員姿を消したわけである。そうなれば、人は何を考えるか。

 きっとこれから、ドレイクは情け容赦のない残虐非道な人間として知れ渡ることだろう。


『有(あ)り難(がて)えけどよ、俺ら、どっちかってぇと穏健タイプで売り出してなかったか?』

『どうすんだよ。そりゃここまでやったとなったら、しばらくは人数足りなくてもどこも手出ししてこねえだろうけどよ』

『まあな。まさに俺ら、ドレイクと共に下剋上されて追い出されるって思われてたしな』

『それがまさかのコレだろ。どうすりゃいいんだ、ホント』


 こそこそと、誰もが囁き合ってしまう。

 今までドレイクが率いる集団は、トップ(ドレイク)の明るく憎めない性格や、同時に周囲が警戒する程に阿漕(あこぎ)なやり方をするわけでもないことから敵はあまりいなかった。だから、どこともうまくやっていたのだ。

 それは周囲に反発を抱かれぬよう、ギバティ王国など全く違うエリアにまで人間を分散させていたことも関係していただろう。

 けれどもこれで、ドレイクに対する評価は一気に変わる筈だ。

 そう、自分に歯向かった者には血でその落とし前をつけさせるという、そしてそれに同調した非情かつ凶悪な手下共を従えている恐ろしい男として。


「黄金ガニか。それもええけど、どうせやし、他のカニも全て食べ比べてみたいもんや。タラバガニも食いたい言うていいやろか。迷うわぁ」


 本来は真っ先にそこを気づくべき人間は、今、黄金ガニという人参を鼻先にぶら下げられた馬状態だ。

 他のことが全く見えていない。


『おい、レイス。カニなんてどうでもいいだろ。ドレイク(あいつ)に現実を見せろ、現実を』

『見ても何も変わらん。なら静かにさせといた方がいい』


 そうして一人、旬がきたら幻のカニを買ってもらえるという約束をしてもらった人間が、ぐふふふふと少し未来の幸せを夢見ていた。






 ゲヨネル大陸は、自然と共に生きる幻獣と妖精達の地だ。

 だが、その可愛らしい家には疲れた空気が漂っていた。

 着替えて一階に下りてきた遥佳は、ずっとそこにいたのであろうイスマルクに詫びる。


「ごめんなさい、イスマルク。かなりかかっちゃって」

「いや。ヴィゴラスは見つかったのか?」

「ええ。見つかったというのか、何というのか・・・」


 そんな遥佳に、イスマルクは椅子を引いて座らせた。


「まずは落ち着いてからだよ、ハールカ」


 少し薄着な遥佳にさりげなくショールを掛けてくるところは、やはり病人の世話に慣れているだけはある。

 実の所、ヴィゴラスが家出したといっても、すぐに戻ってくるだろうとイスマルクも遥佳も思っていた。だからその晩は、帰ってきてもいいんだよという気持ちをこめて、分かりやすく全ての窓を開けておいたというのに。


(小鳥が鳥籠から逃げ出した時は、鳥籠の扉を開けっ放して家の外に吊り下げておけば勝手に帰ってくるって聞いたことがあったからそうしてみたのに。やっぱり小鳥とグリフォンって違うのかしら)


 もしかして以前住んでいた山頂に戻っているのではないかと険しい山を登っても、そこにヴィゴラスはいなかった。

 仕方なく遥佳はヴィゴラスの気配を探して、深い眠りについていたのだ。


「大丈夫か? これだけ長く寝ていたんだ。まずは水分を取って。それからポタージュスープも用意してある。ゆっくり口にすればいい」

「ありがとう、イスマルク」


 爽やかな香りがつけられた水と、そして果物のジュースが差し出される。それを飲めば口中に甘みが広がって、遥佳の心を少し慰めた。

 ヴィゴラスの気配だけなら慣れ親しんだものだったが、時間がかかったのは思ったよりも遠くに行っていたからだ。

 まさかそこまで離れているとは思わず、自分の捜し方が悪いのではないかと、何度も近場をやり直していた為に、見つけるのが遅れた。

 

「どうしよう、イスマルク」

「どうした?」

「ヴィゴラス。優理の所に向かってるみたい。なんでも家出したのはいいけど、家出のやり方が分からないから、優理の所に訊きにいこうとしているみたいなの」

「はあっ? 家出のやり方って、家を出るから家出だろ? やり方も何も、出ていった時点で、もう家出は完了してないか?」

「そうなんだけど、家出ってどうすればいいのかが分からなかったらしくて」

「いや、家を出た時点で終了だって」


 イスマルクと遥佳はそのヴィゴラスの意味不明な行動に、眉間に皺を寄せた垂れ目状態となって互いの気持ちを確かめあう。

 そう、今、彼らは困惑していた。

 

「ユーリ様の所に訊きにいったとして、しかし、ハールカにフラれたからって傷心のあまり家出した奴が、それ以上何をできるというんだ? できるのはヤケ酒を呷(あお)るか、新しい恋愛に飛びこむかぐらいだろ」


 誰かを好きになっても、相手が好きになってくれなかったらそれで終わりだ。

 イスマルクは至極当然な現実を指摘する。


「そもそも振ってもいないのよ、イスマルク。大体、家出の原因は違うものだったと思うんだけど」

「何が違うんだ?」


 遥佳も混乱していた。


「どうもヴィゴラス。私があの子の才能を伸ばしてあげようと思ってたの、あれ、私がヴィゴラスを遠ざけようとしているとしか思えなかったみたいで・・・。何故なのかしら。ヴィゴラスの興味があるものを、私、その世界を広げてあげたいと思っただけだったのに、ヴィゴラスは私に捨てられ始めてるって思ってたみたいなの。どうしてそうなるの? なんでそんなこと思うの? 大事に思ってるからこそ、私は・・・っ」

「落ち着け、ハールカ。そもそもヴィゴラスは人間じゃない、グリフォンだ。感性が人間とは違うんだ。たとえどんなに同じように思えても」


 両手で顔を覆い、テーブルに突っ伏すようにして嘆く遥佳に、イスマルクも慌てる。

 自分よりも小さな両肩に両手を添えるようにして、勇気づけようとした。


「落ち着くんだ、ハールカ。どちらにしてもユーリ様の所に向かったなら、居場所は分かってる。そうだろう?」

「え、ええ」


 その通りだ。

 ヴィゴラスはギバティールのティネルの街に向かっている。


「俺達もちょっとご飯を食べて、自分を取り戻した方がいい。・・・俺も、ヴィゴラスとは別に問題なく過ごしていたから、分かってなかったんだろう。そもそもグリフォンとはどういう幻獣なのか。ちょっと他のグリフォンに話が聞けないかどうか、ケンタウロス族にでも尋ねてみるよ」

「え?」


 イスマルクは、まさに信者を落ち着かせるかのような穏やかな笑顔を浮かべてみせた。


「安心しろ、ハールカ。お互いの気持ちが擦れ違ったなら、まずはお互いに理解し合えばいいだけじゃないか。ハールカの気持ちを説明して、そうしてヴィゴラスの気持ちも説明してもらえばいい。だが、あの言葉足らずなトリ犬に説明なんて求めても、真実から遠ざかるだけだからな。ちょっと他のグリフォンを紹介してもらおう。それである程度なら、彼らの価値観も分かるに違いない」


 なるほどと、遥佳は暗闇の中に光を見出した信者の顔になる。


「そう言われてみれば、グリフォンってちょっと変わった生態だったものね。ええ、話が聞けるならそれが一番なのかも」

「ああ。ヴィゴラスと同じで話が通じなかったら、その時は他の幻獣に知る限りのことを教えてもらえばいい。な、ハールカ。大丈夫だ。家出なんて、家に帰ってきたい人間がやるもんなんだから」

「そ、そうかしら」


 それならいいのだけれど。

 光明が見えたことで、今度は不安になる。

 遥佳がぎゅっと手を握った。


(だけどヴィゴラス。戻ってきても、私、どんな顔をすればいいのかしら。あの子は・・・)


 ならばヴィゴラスが戻ってこない方がいいのかと問われたら、そうではないのだ。


(ヴィゴラス。私は・・・)


 ジンネル大陸を目指して飛んでいたヴィゴラスの心はとても切なさに溢れていた。

 ひどい目に遭わされたのは、無理矢理キスされた遥佳の方なのに。

 まるでヴィゴラスの方こそ、ひどい目に遭わされたかのように。


「ハールカ?」


 ガタッと椅子から立ち上がり、遥佳は窓の方へと歩いていった。

 そうして手を伸ばして風に語りかける。


――― あの子に、どうか冷たい雨を打ちつけないで。あの子の周りには、向かい風を吹かせないで。


 ずっと自分の傍にいてくれた大事なグリフォン。

 行くと言うのならば止めはしない。

 けれども・・・。


(なんで優理なわけっ? どうしてそこで相談相手が優理なのっ? 私じゃ駄目だったわけ? ヴィゴラスの馬鹿っ!)


 どうして自分を置いて優理の所へ行くのか。

 その選択基準は何なのか。

 まだ真琴の所に行くならばまだしも。


(そんなに私、頼りにならなかったのかしら。どうせ私なんてそんなものよ。だけどちょっと一緒にいただけで私より優理の方が頼りになるって思っちゃったわけっ? あんまりだわ、ヴィゴラス。ひどすぎる)


 ずずずずずんっと、遥佳は落ちこんでしまった。






 ゲヨネル大陸には様々な幻獣が生息している。

 高い岩山の上で黄金や宝石と共に暮らしているグリフォンは、常に我が道をいく孤高の幻獣だ。

 お腹が空いたら何かを食べて、眠たくなったら目を閉じて、そうして宝を眺めてはうっとりとしている。


(ふむ。この輝きを理解できる感性、グリフォンとはその得がたき資質を天から与えられた特別な幻獣に違いない。宝とはなんて素晴らしいのだろう)


 世界は黄金色に輝いている。何故ならばグリフォンは宝物に埋もれて生きることこそが幸せだからだ。

 グリフォンは宝物を集め、それを眺められる日々にこそ幸福を感じる。

 しかしそんなグリフォンにも、最近はちょっと変わった日課ができていた。


「こ、こんにちは」


 その日課とは、ぜえはぁと息を切らしながら、ひょこっと崖の下から現れる訪問者である。

 なんとグリフォンの住処(すみか)に、客が来るようになったのだ。あまりにも画期的な出来事すぎて、今では毎日の楽しみにもなっていた。

 翼のない身でここまで登ってくるのは厳しかろう、だから迎えに行くと伝えたのだが、どうやらその客は風に頼んで自分の体を押し上げてもらうことが可能らしく、それには及ばないと言われた。

 そうしてグリフォンは待っている。この小さな訪問者を。


「ようこそ、姫君。今日は何を語ろうか。やはりここは宝石の輝きを増す羽磨きについてかな」


 赤や黒の筋が入った白い髪に、黄褐色の肌。瞳はくすんだ青紫色だ。

 イスマルクから提供されたずるずるっぽい服を着た彼は、笑顔でその訪問者を迎えた。


「それはまたの機会に。本当に幻獣って人の姿になれるのね。でもグリフォンみたいに羽毛があるわけじゃないから、その姿じゃ寒いんじゃないの?」


 まだ会話ができそうなグリフォンということで彼を紹介された遥佳は、今日は人間の姿をとっていたことでそう尋ねる。


「別に寒いとは感じないな。だが、姫君が寒いようであればグリフォンに戻って温めることを厭(いと)うものではない」

「ありがとう。だけど私も寒くないから平気よ。ちゃんと厚着してきたもの」


 本来は自分の宝など自分一人で眺めるものなのだが、この客は特別だ。

 グリフォンは、この訪問者にだけは宝石を磨く部分の羽を分けてもいいぐらいに気に入っていた。


「それは残念だ。では黄金の見つけ方について語ろうか」

「えーっと、できれば今日もグリフォンの言動における意味を教えてもらいたいんだけど」

「ふむ。姫君はそこまでグリフォンのことがお気に入りか」


 なんとゲヨネル大陸に暮らしているという神子姫が、グリフォンのことをここまで知りたいと望む日がくるとは誰が予想しえただろう。

 やはりグリフォンの生きざまは神子姫にも深い感銘を与えてしまったに違いない。


「どの幻獣がお気に入りというわけじゃないわ。ただ、私にとってグリフォンは初めて見た幻獣だったの。だから、そうね。特別なのかもしれないわ。あ、だけどこのことは内緒よ? だって、ゲヨネルに来てみたら、どの幻獣の人達もいい人達ばかりなんだもの」


 人差し指を口元に当てて口止めしてくる様子は愛らしい。


「その通りかもしれぬ。全ての幻獣がグリフォンに嫉妬するであろうな」

「そこまでの価値は私にないんだけど。だけどみんなを傷つけたくないもの。それに、いくら一緒にいても、私、何もグリフォンのこと、分かっていなかったのよね。だから知りたいの」


 そうだ。やっと我らは理解を得られたのである。

 黄金、万歳。宝石、万歳。


「なんと素晴らしきこと。姫君もいつかグリフォンのように宝石集めをしたくなったら遠慮なく声をかけていただきたい。姫君ならば全面的に協力しよう」

「ありがとう。だけど私、グリフォンが宝石を見つめてうっとりしているのを感じてる方が好きなの。本当に幸せそうにキラキラぽわぽわしているのよ」


 ここで悔やまれるのは、既にこの神子姫には特別なグリフォンがいるということだ。

 けれどもその為に、わざわざ自分を選んでグリフォンのことを聞きたいと言ってきたとは、この自分こそが一番信頼できるグリフォンだと思われたということであろう。


(そう、信頼というのはそれなりのグリフォン生経験を持つ者にのみ、預けられるものなのだ。全くその小僧グリフォンも情けないことだ。所詮、若さはそれだけ未熟ということよ)


 やはり自分が持つ落ち着きと魅力は、まだまだ小僧のグリフォンには出せぬものだったに違いない。

 そう思うグリフォンは、今日もまたグリフォン道について神子姫に語るべく、姿勢を正した。



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