65 真琴は嵐を起こした
マジュネル大陸における白い大亀・玄武が暮らす山には、魔物も獣人もやってこない。なんだか寂しい気分になって長居したくなくなるからだ。しかも湖の底で眠っていた大亀が目覚めてしまった今、その機能は更に強化されている。
一歩でも足を踏み入れようものなら怖気が走るのだ。
そんな誰もやってこない聖なる山、略名「変な山」に滞在中のドラゴンとペガサス、風の妖精達は悩ましい気持ちを抱えていた。
幻獣なので屋外で過ごしていても問題ないし、家も必要ない。しかし、さすがは守り人だ。
玄武は山の一部を変形させて、大きな洞窟ハウスを作ってくれた。さすがに扉はないが、強風などが洞窟内へ吹きつけてこないように内部の通路は何段階かで曲がっている。温泉や泉を湧かせている部屋もあった。
寝台のようになった岩はとても柔らかい素材で、居住性やプライバシーも確保されている。
テーブルや椅子も硬かったり軟らかかったりする岩で出来ていて、相談や食事もしやすいようになっていた。
きっと元気な状態の真琴なら、秘密基地だと目を輝かせたことだろう。
その洞窟ハウスでペガサス族のガーネットは、純白の髪を手で梳きながら物憂げに溜め息をついた。
「困ったわね。そのシルバータイガー、どこに行っちゃったのかしら」
「姫様、かなり落ち込んでらっしゃるものね。ずっと彼の部屋で泣いておいでだし」
前にくるほど長くなるタイプのボブスタイルだけあって、ラーナの表情は隠れやすい。けれどもその声に、心から案じている響きが滲む。
「せめてその姿が分かれば私達も探索に行けるんだけど。ここにいたシルフしか分からないし」
ルーシーも何か手立てはないものかと悩み中だが、手は小さな布きれを縫い続けていた。
「だけど何か探す方法ってないのかしら。だってどう考えてもそのシルバータイガーだって姫様のこと好きだったわけでしょ? それこそ自分じゃ身分不相応だからって身を引いただけで、両思いでしょ? じゃあ、会ってしまったら問題ないじゃない。ねえ、ラーナ。こういう時、いい方法ってないわけ?」
少し苛立っているようなリリアンは、真琴が案じられてならないのだろう。
「そうね。普通、誰かがいなくなったら私達やペガサスが活躍するってものだけど、シルフならもっと探索には向いている。だけどそのシルフが見つけられないとなったら、その方法が間違えてたってことね」
ラーナは考えこむような感じで、指先を口元に当てながら答えた。
「そう、私達は間違っていたの。ここは姿を捜すことに見切りをつけるべきよ。そのシルバータイガーのにおいを辿ってもらった方がいいわ。リリアン、ルーシー、行くわよ。そのシルバータイガーのにおいのついたものを持ち出して、近くの村で嗅覚の鋭い獣人か魔物を雇った方がいいわね」
結論を出したかと思うと、ラーナが立ち上がる。ルーシーも途中の縫い物を置いて、すぐに用意した。
「え? 私達は?」
「サフィルスはガーネットと一緒に姫様のところにいてあげてちょうだい。そろそろ泣き疲れておしまいになる頃だもの。それに、・・・こういう時は私達の方がいいの」
ふふふと妖しく笑うラーナに、リリアンとルーシーも揃って魔性の笑みを浮かべた。
青紫色を帯びた黒髪に黒い瞳をしたドラゴン族の三人が、洞窟ハウスを出ていく。それを見送って、サフィルスは呟いた。
「さすがドラゴン。あの妖しい美しさなら獣人も骨抜きってもんよね。微笑み一つで十分。全力で協力する、うん。さすがだわ」
「変なことに感心してないのよ、サフィルス。要は私達、色仕掛けはできないって言われたようなもんなんだから」
それにマジュネル大陸の魔物は粘着質で、獣人は惚れっぽいという話だった。だが、ドラゴンならどうなったとしても振りきってくることができる。そういう計算もあるのだろう。
同じ色合いといえども、三人それぞれにタイプが違うドラゴンだ。
(どのタイプが出ていっても骨抜きよね。あの色気はドラゴンならではだもの)
さすがはやるとなったら強烈なドラゴン族だと、ガーネットも実は感心していた。
カイトは服などほとんどを処分していっていた。けれども寝具まで焼き捨てていくわけにいかなかったのだろう。
だからずっと真琴は、カイトの部屋でベッドに蹲っている。
もしかしたら戻ってきてくれるかもしれない。
一人ぼっちで眠っていても、カイトはいつだって戻ってきたらまず寝台にいる真琴を撫でにきてくれていたのだから。
(なんで戻ってきてくれないの? カイト、もう私、ずっと待ってるのに)
こんなにも大人しく待っているのに。
戻ってきたら、一人にしてごめんなって反省してくれればいいだけなのに。
もうどこにも行かないって約束して、誰よりも大事だって言って、そうして目尻にキスしてくれればそれでいいのに。
(もう、目覚めたくない)
カイトの名残りに包まれて、永遠に眠り続けていたい。そうすれば現実を見なくてすむから。
お腹が空いたらガーネットやルーシー達が作ってくれたご飯をちょっと食べて、カイトが戻ってきた時にくさいと思われたら嫌だからちゃんとお風呂入って、そうしてカイトに買ってもらった服を着て、だけどずっとカイトの部屋で待っているのに、彼は今も戻ってこない。
(いつになったら帰ってきてくれるの。また夜がきちゃうのに)
そうしてうとうとと眠ったり起きたりを繰り返して、どれくらいの時間が経ったのだろう。
「姫様っ、マーコット!」
家の外から、少し弾んだようなリリアンの声が響く。
「まあ、リリアンたら」
「いい知らせじゃない?」
食卓のある部屋で椅子に腰かけていたらしいガーネットとサフィルスが、ガタンッと立ち上がった音がした。
バタンと家の扉が開いた音がして、ノックの音と共に、リリアンとラーナ、そしてルーシーが入ってくる。
「まだお泣きになってましたのね。お可哀想に」
ラーナの少し冷たい指先が、真琴の頬をそっと拭ってから抱きしめた。
「マーコット、こちらからカイトさんがお使いになっていたブラシを持ち出させていただき、獣人ににおいを辿ってもらいましたら、川を下る船に乗ったことが判明しましたの。チケットを扱っていた男にも尋ねましたが、快くその乗った船の乗組員も紹介してくれましたわ。どうやら彼は、『ミナト』という街まで乗っていったようですわね」
「え・・・?」
ラーナの背後で、リリアンとルーシーがにっこりと笑う。
そして近寄ってきたルーシーが、真琴の髪を撫でながら額にキスした。
「シルフをお貸しくださいまし。そうしたら私共が追いかけます。このブラシはお借りしますが、カイトさんはちゃんと見つけてみせます」
「そんな・・・。駄目だよ。だってルーシー達だってもうゲヨネル大陸に帰らなくちゃ」
「せっかく出てきたんですもの。たまには違う土地を堪能したいのですわ。マーコット、私達はもう行く気ですの。ただ、川を下ったことが分かったから伝えに来ただけですのよ。どうぞお泣きにならないで」
リリアンが濡らしたハンカチで真琴の顔を優しく拭う。そして、真琴の気持ちを引き上げようとするかのように笑いながら続けた。
「船の乗組員に聞きましたけど、カイトさん、かなり落ち込んでいた様子だったそうですわ。外の景色も見ないで、船室の奥でずっと目を閉じて暗く溜め息ばかりついて、誰とも会話したくないって感じで皆が避けていたとか。きっと彼もお辛かったんでしょうね」
「え?」
リリアンが語るカイトの様子に、もっと彼の話を聞きたくて真琴は顔をあげる。
するとラーナが、真琴のゴールデンイエローの髪を優しく撫でた。
「こんな可愛らしいマーコットに別れを告げて落ち込まない男はいませんわ。愛していたなら尚更、辛いに決まっているじゃありませんの。周囲も明るく騒いだら悪い気がして避けるしかなかったぐらいに鬱陶しくて真っ暗な落ち込みようだったそうですの。大丈夫ですわ、私達の姫君。彼はあなたを今も愛してらっしゃいます」
リリアンがガーネットとサフィルスを振り返る。
「というわけで、私達はその川を下って捜しに行くから、あなた達はマーコットといてくれる? 一応、経過報告は順番で戻ってくるから。お願いね」
「わっ、私も行くっ」
慌てて真琴は叫んだ。
けれどもルーシーが真琴の頬をそっと両手で包んで視線を合わせる。
「駄目ですよ、マーコット。こんな泣き腫らした顔で出ていこうものなら、全ての獣人と魔物があなたをお慰めしようと集まってきてしまいます。それにカイトさんはマーコットの幸せを思って身を引かれたのでしょう? マーコットの姿に気づいたら逃げられてしまいますもの」
「え」
かなり真琴はショックを受けた。自分を見て抱きしめてくれるのではなく、今のカイトは自分を見たら逃げてしまうのだろうか。
それに気づき、言い方が悪かっただろうかと、ルーシーも反省する。
ラーナが、それを引き取った。
「愛していればこそ、自分の辛さに耐えてもあなたの幸せを祈るのですわ。そんな男性なんでしょう、私達の可愛い姫君? どうかお泣きにならないで。彼は今もあなたを失った痛みに耐えていますのよ。それを癒せるのはあなただけだと分かっていても」
「そんなこと、・・・ないもん」
真琴の瞳がじわっと濡れる。
だってカイトは、二人で交わした約束だって捨てていった。
来年も再来年も一緒に花を見ようねって約束したのに、一方的にそれを捨てていった。
『私がいなくなっちゃったら愛してないの?』
『そうだな。だからずっと俺の傍にいろよ』
じゃあ、もう離れているから彼は自分を愛していないのだ。
愛していないから、自分を平気で捨てていったのだ。
獣人は何度でも本気で心変わりできる生き物だから。
「お可哀想な姫君。そんな風にご自分をごまかして、怯えて・・・。だけど姫様と知って利用せずに身を引いたこと自体、愛していた証左ではありませんの。怖がることはございません。どうぞ吉報をお待ちくださいませ。というより、早く後を追わなくては」
ラーナは立ち上がった。そうしてルーシーと頷き合うと、二人はさっさと出ていく。
残されたリリアンは行かないというわけではなく、ガーネットとサフィルスに話すことがあったかららしい。
二人を視線だけで促して部屋を出ていくと、ドアを閉めてから食事用の部屋に行って何かを話し始めた。
「あのね、悪いんだけど会話を拾ってくれる?」
小さな声で周囲にいたシルフに頼めば、三人の会話が真琴の所にまで流れてくる。
『なんだかね、かなり落ち込んでいたみたいなの。そんな前の客を船員達が覚えていたのも、自殺しかねない空気だったからですって。だから旅支度もあって一度帰ってきたのだけど』
『あらまあ、やっぱり? 私、シルフが見つけられない時点で身投げした可能性も考えていたもの。姫様は捨てられたって泣いていらしたけど、どちらかというと、状況的にそのカイトさんって人の方が可愛い姫様を奪われた気分だったでしょうし。ね、サフィルス?』
こんなにも可愛い神子姫を泣かせるだなんてと、実はそっちに怒っていたドラゴン族のラーナと違い、ペガサス族のガーネットはカイトの方に同情していた。
『言えるわぁ。だって自分が大事にしていた可愛い恋人が、本来は皆からの愛情と敬意を捧げられる姫様だって分かっちゃったわけでしょ。一人で独占していたことが罪だったって思うわよ。その為に恋人が得られるべきものが得られなかっただなんて思ってみなさいよ。どんな思いで立ち去ったのか、本当に同情ものだったわ。どっかのグリフォンみたいにいかないわよ』
サフィルスもまた、もう一人の神子姫を独占しているグリフォンみたいな図太い根性を誰もが持てるわけじゃないと、うんうんと頷いている様子だ。
『そういうわけでね、ちょっとしばらく戻ってこられないかもしれないけど心配しないでちょうだい。何か分かったらシルフに手紙を持たせるからお願いね』
『分かったわ。気をつけて行ってきてちょうだい。ここはゲヨネルじゃないもの』
『平気よ。かえってガーネットやサフィルスの方が目をつけられたら厄介だもの。ここの獣人ってホントに惚れっぽいんだから。何なのかしらね、あれ。やってられないわ』
そう言って、リリアンは出ていったらしい。
(自殺しかねないって、・・・なんで?)
だってカイトは自分を捨てていったのに。
自分から真琴に別れの言葉を書いたのに。
(ううん、違う。カイトは誰よりも私を・・・)
知っている。
男の子でも女の子でも、人間でも獣人でも、そのなりそこないでも、カイトにとっては真琴が真琴だというだけで特別なのだと。
(知ってる。カイトがどんなに私を愛していたかなんて。それならカイトは今・・・)
振り返ればいつだって笑顔でいてくれた彼は、今、自分を失ってどうしているのだろう。
その面影を思い浮かべれば、ずっと一緒にいてあげるねと、そう約束した自分の言葉が耳の奥に蘇る。
真琴は体の力を抜いた。
(カイト。カイトも寂しいの・・・?)
自分はどんな姿にもなれる。その能力すら使いこなせると、玄武は言った。
するりと体が透明になり、空気と同化していく。
ああ、そうだ。風と共にある妖精。それが風の妖精。
(分かる。今の私は、シルフィード。囚われることなく動き続ける命)
重い肉体を持たず、移ろいながら変わらぬ妖精の本質を、真琴は知った気がした。
――― 姫様。
――― 凄いね、シルフって服も隠せるんだ。
――― その通りです、姫様。
――― 風の中に姿を現わし、風の中に姿を隠す。それがシルフです。
――― さあ、姫様。ドラゴンはあちらに行きました。
――― 案内してくれる? カイトを見つけたいの。
空いていた窓の隙間からするりと真琴は抜け出していく。風の妖精と共に。
さすがにこれで真琴が姿を消したとなったらまずいだろうと思った何人かの風の妖精は、ガーネットとサフィルスの周囲に風を起こしてクルクルと部屋を指し示した。
何かあったのかと思った二人は、部屋まで様子を見に来る。
勿論、部屋はもぬけの殻だ。
「え? あら? マーコット? だけどドアは開かなかったのに」
「窓も小さくしか開いてないけど、・・・どこに行ったの?」
その話を聞いた玄武は、すぐに風の妖精へと変化して出ていったのだろうと指摘する。
「ってことは、ラーナ達の所ね。いいわ、追いかけましょう、サフィルス」
「ちょっと待ってよ、ガーネット。それならマーコットの荷物とか持っていった方がいいって。大体、行ってすぐに見つかるならシルフがとっくに見つけてるもの。私達も用意しないと」
ガーネットとサフィルスは慌てて荷造りをする。
そうして慌ただしく空を駆けていくペガサス達を、玄武は静かに見送った。
(川を下ったとはのう。船室の中におったならシルフが見つけられなくとも仕方なしじゃ。そうなると恐らく・・・)
玄武は、その黄色い瞳をペガサスが消えた空へと向ける。
長い眠りから目覚めてみれば、とても美しく育ったかつての幼い神子がいた。
赤ん坊だった時には、自分の髪を鼻の穴に入れてしまってくしゃみしていたというのに。
今はもう泣き腫らした瞳で愛しい男を追うのか。
(我も年をとる筈じゃのう。あまりにも時は流れておりましたな、シアラスティネル様)
どうせあの男は真琴に心を残している。
(泣く必要などなかったのですぞ、マーコット。カイト殿は今もあなたを愛しておられますからのう)
所詮、男の決意など愛した女を目にすれば瓦解するものだ。
自分の説得ならば振りきっても、真琴の姿を見れば陥落するのは間違いないと、玄武は踏んでいる。
(しかし本当に見つけられるのかが問題じゃ。あの男も行動力はかなりありそうじゃったしのぅ)
うじうじと悩んで行動力のない男ならさっさと見つかっていたことだろう。
けれどもここで暮らしている時も、常に真琴のことを目の端に入れながら効率的に動いている獣人だった。
玄武は真琴の父タイガのことを思い出す。
明るく気持ちのいい男だった。
(そうですなぁ、タイガ様。きっとここにおられたら苦笑して送り出し、そうしてマーコットがいなくなってからうじうじと寂しがられるのでしょうなぁ)
こんなに愛して可愛がってもお父さんを捨てていくだなんて娘は薄情すぎると、きっと自分相手にうだうだ愚痴を垂れ流したに違いない。
そして母親である女神シアラスティネルは、諦めなさいよと言わんばかりに肩を竦めて放置していたことだろう。それでも優しい眼差しで。
そんなことを考えながら、玄武は懐かしい日々を振り返った。
風と同一化し、真琴はまさに風の速さで移動する。
空を飛んでいったドラゴンの後を追えば、ラーナ達は大河の上を飛んでその「ミナト」へと向かっていた。
「うわぁ。あれ、ドラゴンじゃない?」
「すっげぇ、ゲヨネルのドラゴンが飛んでる」
「お母さん、ドラゴンだよ、見てみなよ」
地上にいる獣人や魔物の子供達が目敏く気づき、指差している。
そうして大河が海とぶつかる地点で、ラーナ達は適当な場所に降り、人の姿をとった。
「だけどなかなか大きな街みたいね。こんな中で見つけてもらうのは難しそうだわ。優秀な鼻の獣人がいればいいけど。そこはルーシーの眼力に頼るしかないし、お願いね」
「そうねぇ。だけどここまで来たら目撃情報の方が早そうよ。ね、ラーナ?」
「ええ。だって貿易港でしょう? ならばここでがむしゃらに働いているか、船を乗り換えたかってとこかしらね」
やはり仲間だからだろう。三人はとても息が合っている。
それを眺めながら真琴は思った。
(なんか三人共、私の前にいる時と雰囲気が違うような・・・?)
いつもにこにこして優しい言葉をかけてくれる三人は、こうして見ていると何だかとても肩で風を切るというのか、邪魔する者は全てなぎ倒すというのか、そんな空気が漂っている。
妖艶に思えるラーナ、優しい雰囲気のリリアン、背筋が伸びるものを感じさせるルーシーだが、こうして三人が揃って会話している様子は、どこか表情も冷たい。
出ていっていいのか悪いのか分からず、真琴は三人の周囲をくるくると風に紛れて漂っていた。
「悪いんだけど、実はシルバータイガーの男を探してるのよ。間抜けにも、恋人にフラれたと思いこんで人生終了お先真っ暗気分でそこの川を下る船に乗ってきた男、知らないかしら?」
三人はまずチケット売り場の方へ向かい、そう尋ねる。
(ラ、ラーナ・・・。私、カイト振ってない。振ってないからっ)
真琴は出ていく勇気をなくしてそのまま周囲を風と共に漂い続けた。
風の妖精達も真琴とお揃い気分で、同じようにくるりくるりとしてくれている。
「何だそりゃ。いつぐらいのことだい?」
「そうね。かれこれ一ヶ月ぐらい前のことかしら。真面目で思いこみ激しいタイプなのよ。恋人に一途なシルバータイガーでね。多分、自棄になってここらで毎日ぶっ倒れるまで働いてるか、どっかにまた流れて行ったんじゃないかと思うんだけど。その男の持ち物がコレ」
ルーシーが差し出したブラシを、チケット売り場の男はちらりと眺めた。
「おい。ミーシャン、ちょっと来い」
「なんだい?」
「人探しだとよ。協力したれや。一ヶ月ぐらい前に、シルバータイガーのフラれ男が絶望してここに来たらしいんだが、この辺りで働いているかどうか分かるか?」
そしてチケット売り場の男は近くでカートを押していた少年を呼び止め、それを嗅がせる。
「はぁん。じゃあ、銀髪かぁ。そうなると、・・・うーん、ここ、においを辿るのは難しいんだよねぇ。人も物も多く動くから。だけどこのにおいならここらで働いてないね。全く覚えがないや」
ミーシャンと呼ばれた少年は、どうやらここらで皆の使い走りをしている獣人らしい。
事情を聞いて首を傾げた。
「一ヶ月ぐらい前かぁ。ここはゲヨネルとジンネルに向かう船も出てるし、他の『ミナト』に行く船も多いんだよね。ならそっちに乗ったかなぁ。大体、シルバータイガーがいたなら目立つと思うんだ。ここらは見るとしてもせいぜいブラウンタイガーで、タイガー自体があまりいないからさ。おいらもシルバータイガーなんて数年前に一度見たきりだし」
「まあ、頼りになる坊やね。記憶力もいいなんて」
ふふっと笑うリリアンに、そのミーシャンはぽうっと頬を上気させる。
「え? いや、それほどでも。あ、だけどそれならさ、ロトルさん、見てないってこったろ。おいらに訊いてきたんだから」
「ああ、シルバータイガーなんて見たら覚えてると思うんだがなぁ」
ロトルと呼ばれたチケット売り場の男も首を傾げた。
「じゃあ、ここで船には乗ってないってことよね。チケットを買ってないんだもの」
リリアンが困ったような上目遣いで尋ねると、ミーシャンは慌てて早口になる。
「あ、だけどチケット売り場は通してないかも。あのさ、ここらじゃ船員が乗客にチケット販売するんだよ。それをここで、ロトルさんがまとめて受け取るわけ。その方が確実だからってさ」
「まあ、そうなの。じゃあお金を扱う船員さん達を監督なさってらっしゃるのね、こちらのロトルさん」
どうやらこのチケット売り場の男は、その販売方法がいい加減だと看做されているらしい。
だからチケット売り場の人間として存在はしていても、船員がまとめたチケット売り上げを受け取って事務所に持っていくことが仕事のようだ。
しかしリリアンがそう持ち上げると、ロトルも胸を張った。
悪い男ではないのだろう。実際、ミーシャンを呼んでくれたぐらいだ。
「ああ。だからちょっと分からんなぁ。船員も寄港地で交代したりするからよ」
力になってやりたいのは山々だが、すぐにその船員達が戻ってくるわけじゃないのだと、ロトルは額をかりかりと掻きながら説明する。
(うーん、さすがマジュネル大陸。チケット売り場がチケット売り場じゃなくてもお給料もらえちゃうんだ)
真琴は、船員達の苦労を思った。きっと彼らには、諦めと妥協が備わっているに違いない。
「ありがとう。とても参考になったわ」
三人は礼を言って、その場を離れる。
「いい女だよなぁ」
「だけど無謀だよ。強いってのはおいらにも分かるもん。けど綺麗だったなぁ」
その後ろ姿を、ロトルとミーシャンはずっと呆けた顔で眺めていた。惚れたと言うには、あまりにも無謀だと思ったらしい。
やがて三人はそのまま近くの公園へと入っていく。
「その出発日が分かれば、どの船かを割り出すこともできると思うのよ。あなたはどう思う、ルーシー?」
「無駄だと思うわ。かなり行き当たりばったりよね、ここ。さっきも周囲の会話を拾ってたんだけど、決まった日に出港することの方が少ないみたいよ。しかも記録もいい加減みたい」
「だけど一ヶ月なら、まだ到着していないわ。それらの船を全てシルフにチェックさせればいいんじゃないかしら」
リリアンが、そう明るく提案してみるが、ラーナは首を横に振った。
「そうね。だけど難しいわ。だって色々な『ミナト』から船は出ているもの。どの船がどこから出てどれに向かっているか、そして客船なのか貨物船なのか、貨物船に客を乗せているのかどうかなんて、本当に分からない。何より、大陸を移動する大型船の船員は人間だわ」
「それがどうしたの? 別に船員が人間だとしても構わないじゃない」
リリアンが不思議そうな顔になる。するとルーシーがラーナを補って説明してきた。
「かえって幻獣の乗組員ならいいのよ。事情を話せば分かってくれる。だけど人間は神子様方のことを理解していない。それどころか、わざわざ人を捜しているとなったら嘘をついて『いない』と返答し、そして隠しかねない」
「え? どうして?」
「嫉妬ね。私とラーナ、以前ジンネル大陸から来た人間と話したことがあるのよ。人間ってのは自分達が一番シアラスティネル様に愛されてると思いこんでいるの。かえって獣人が姫様に大事に思われているだなんて知られたら、嫉妬からシルバータイガーに何をするか分からない。そして理性的な人間だったとして、変な行き違いがあったら、乗客を守るのは船員の使命だとか言って、無駄に道義心からシルバータイガーの存在を隠しかねないの」
リリアンは、目が点になってしまった。
「だって・・・。そんなの仕方ないじゃない。姫様が愛されたならそれが全てよ。どうしてそれをどうこうしようって思えるわけ? それはやってはならないことだわ」
「それが分かってもらえるならいいのだけどね。駄目よ。所詮、人間はそこまで世界を理解などしていない生き物だわ。
リリアン、それよりもここから出たとしてどこの港に行くのかを調べなきゃ。そして海を船で行く場合、どれだけの日数がかかるものなのかも。
私は恐らくジンネル大陸に向かったんじゃないかと思ってるけど、どうする、ラーナ? ここから他のマジュネル内『ミナト』に行ったなら、とっくに船を降りている可能性も高いわ。本当にこうなると全世界が対象じゃないの」
ラーナは溜め息をついた。
「そうね。まずは今、海を渡っている全ての船が対象ね。だけどマジュネル大陸なら全地域よ。せめて私達がその姿を分かっていれば良かったんでしょうけど、全ての船を虱潰しにチェックしていくとして私達は鼻が利かない。だけど・・・」
ラーナは物憂げな顔を空に向けた。
「ラーナ? なんでそんなに悲観的になっているの?」
「何となくなんだけど、そのカイトさんって人、なんか獣人らしくない性格に思えて仕方ないのよ。リリアンはあまり人間と接触したことないから分からないんでしょうけど。ね、ルーシー」
「そうね。まだ獣人らしい性格なら良かったんでしょうけど。私、こっちの獣人と接してみて、本気でそのカイトさん、変わっているなって感じたもの。自棄になってどんな転落街道突っ走ってるか分からない感じよ。そうなると思いがけない場所にいたりするかもしれないわ」
そこまでの会話を聞いた真琴は、ふらりと風に身を任せて空へと舞いあがる。
そうして上空から船の発着場を見下ろした。
(大きな船ばかり。色々な荷物とか運び入れてる。人も沢山いる)
カイトはここからどこへ行ったのだろう。故郷だという北の大地だろうか。それとも・・・。
(カイト。ここからどこに行っちゃったの?)
分からない。きっとラーナ達だって割り出すのは難しいと思っているのだろう。
実際、船は思った場所に着かないこともよくあると、大陸間を渡る船の船長ケイドトスは言っていた。その時は到着した場所で食料を補給し、近くにある港に到着地を切り替えたり、やっぱり本来の場所に向かうなり、ケースバイケースなのだと。そこらへんのリスクも織り込んで考えるものだとか。
――― お前にゃシルフがいるだろうがっ。あいつらを使えば、世界中どこでも人探しなんて楽勝だろっ。
懐かしい声が耳の中で反響する。まるで昨日のことのように。
だけどカイトは嘘つきだ。風の妖精を使っても彼は見つからない。自分に背を向けて、彼はこの海の向こうへと消えてしまった。
(ここから、私を忘れて行っちゃったんだ)
もうカイトはマジュネル大陸にいないだろう。
そんな気がする。
カイトはとても優しくて、情けないぐらいに自分に甘かった。
だけど一度決めたならどこまでも頼もしかった。ギバティ王国での全てを捨てて自分をマジュネル大陸に連れてきてくれた。
そんな彼は、真琴のことがなければマジュネル大陸に居続ける意味などないのだ。
(この海を再び渡って、カイトは・・・)
今やシルフとなっている真琴の感情に引き摺られて、雨雲が風と共にやってくる。
「うわっ。あそこに黒い雲が来てるっ」
「雨かっ? そんな兆候なかったのにっ」
「そっちの荷を早く入れこめっ」
地上で、急な突風に驚いている人々の声が響き渡った。
「嵐が来るっ。帆を外すんだっ」
「沖に出るんだっ。このままなら大破しちまうっ」
そんな騒動すら今の真琴にはどうでもいい。
(私を置き去りにして・・・。結局カイトなんて私のこと、どうでも良かったんだ)
空は青くて、海も紺碧に光り輝いている。
かつて黒髪だった真琴が、その海の上を渡る船の上でよくカイトと眺めていたように。
だけどもう空なんて青くなくていい。海だって太陽の光を反射して光り輝いていなくていい。
(どうして私を・・・!)
周囲を雨が激しく打ちつけていく。
風が、びゅううっと唸り声をあげて激しく吹きつけ始めた。
その荒れ模様はミナトから海へと広がって大きな嵐となっていく。
風の妖精達の姿がどんどんと大きくなり、真琴の周りでダイナミックに飛び回り始めた。
(あれだけ愛してるって言ったのに・・・)
風と共に生きる妖精は、この嵐によって大きな姿となり、そうして更に大きな風を呼びこんでいく。
その風に身を任せながら、真琴の体から悲嘆と怨嗟が流れ出していった。
(一人にしないって言ったのに・・・)
全ての船がこの港に戻ってくればいい。
カイトが乗る船ならば難破したところでかまわない。その時はカイトだけを自分は海岸へと運ぶだろう。
他の人なんて見ないで。他のことなんて気にしないで。ずっと自分だけと一緒にいて。
そう願った初めての男性だった。
(傍にいるって、あんなに約束したのに・・・)
風の妖精は風があれば生きていける存在だ。
真琴が嘆き続ける心のままに、局地的な荒れはかなり長引いて太陽を見ない日々が続くことになった。




