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51 遥佳はグリフォンの子供時代を知り、真琴は情緒不安定になった

 第7神殿は誰も訪れない場所だ。だから遥佳も自然体でいられる。

 今までの服を着ようとして、だけど胸がきついと気づいた。

 そういえば自分は女性体に近づいているのだったと思い出した遥佳である。大人になりつつあるのだ。


(大人といえば・・・)


 そこで遥佳は、いつも自分に色々な宝石をつけては幸せに浸る幻獣に話しかけた。

 黒髪に宝石が映えるとご機嫌なグリフォンは、遥佳の服が白だろうがピンクだろうが、気にせず腕輪や首飾りをつけてくる。

 黒髪は全く関係なかった。


「ねえ、ヴィゴラス。どうしてあなたに作ってあげた真珠のお部屋用暖簾(のれん)、私の寝室の壁に飾ってあるの?」

(そうしたら毎晩それを見ながら眠れる)

「そうなの」


 遥佳の寝室は、既にヴィゴラスの中では自分の寝室扱い(ヴィゴラスルーム)になっているのだろうか。

 とても機嫌良く幸せオーラを発しながら手作り暖簾を眺めてくれるのは製作者として嬉しいが、何かが違うような気がする遥佳だ。

 何故、遥佳の寝室にヴィゴラスの名前入り壁飾りが輝いているのだろう?


「ところでヴィゴラス。あなた、幾つなの?」

(幾つ?)

「そうよ。だってヴィゴラス、男の子でしょ? いつまでも私がお風呂に入れてあげられないじゃないの」

(そんなことないぞっ。いつまでも入れてくれてかまわないぞっ)

「こらこら。そんなこと言ってると、いつまで経っても大人になれないわよ、ヴィゴラス。あなただっていつまでも子供じゃないでしょ?」


 さすがに無性だった時は自分も子供みたいなものだったし、周囲には少女扱いされていてもそこはどうでもいいかと思っていた遥佳だ。

 だけど自分がこうして女性になりかけているのなら、いつまでも幻獣とはいえ男の子と一緒に入浴するわけにはいかないだろう。


(それにイスマルクに怒られちゃいそうだもの。イスマルク、私や真琴に関しては心配性だから)


 これだけ甘えん坊なのだから子供だろうとは思うのだが、いつ頃、ヴィゴラスは大人になるのだろう?

 グリフォンの成獣とはどんなものなのか。翼の色が変わったりするのだろうか?

 見た目はとっくに成獣だが、そもそも幼獣と成獣とはどう違うのか。

 遥佳はそれを知ろうと思ったのである。

 しかし、そこでヴィゴラスは考えこんだ。


(子供・・・。子供と大人との違いか)

「もしかして、グリフォンって年齢とか考えないのかしら? 大人になるのはいつからなの、ヴィゴラス?」

(大人・・・。大人と子供との違いか)


 ヴィゴラスは深く悩み始めた。


「ヴィゴラス?」

(グリフォンの子供時代というのは、・・・そうだな。思うに生まれた瞬間から巣から蹴り落とされるまでの数十秒だけなのだ。だからもう俺は大人だ)

「はい?」


 何なのだろう、その数十秒で終了という子供時代は。

 遥佳の目が点になった。


「巣から蹴り落とされちゃうの?」

(そうだ。元々グリフォンは孤独に生きる幻獣。よって、産んでやっただけでも有り難く思えと、後は放り出される)

「ちょっと待って、ヴィゴラス。それって生きていけるのっ? それって育児放棄じゃないの?」


 いくら強いグリフォンと言っても、生まれたばかりで巣から放り出されて生きていけるのだろうか。

 あまりにも過酷すぎる自然界の掟に、遥佳の顔が青ざめる。


(母グリフォンにとって子グリフォンといえども敵なのだ。何故なら母の宝を見れば、子とてそれを取ろうとするからな。だから母グリフォンは子供の目が開いた時点で巣から追い出す。よって目が開いた時から大人だ)

「それって、母の顔を知らないとかいうレベルを超えてない?」


 母と子の愛を凌駕する宝物愛。遥佳には理解不可能だった。


(目が開いた途端に見たものをお母さんと思うんじゃなくて、目が開いた途端に蹴り落とすのがお母さんっておかしくない?)


 ふぅっと吐息をついて遠くを眺めるヴィゴラスには何が映っているのか。


(思い起こせば、・・・俺の記憶は巣から崖を転げ落とされた時から始まっているのだな)


 初めて見たのは空の青さと地面の薄茶色、そして感じたのは体全体を打ちつける崖の痛みだったと、ヴィゴラスがごちる。


「どうやって生きてきたの、ヴィゴラス?」

(とりあえず崖を転げ落ちたところでいつかは止まる。後は地面に倒れている状態で何か動いている生き物が近寄ってきたら食べて、そうして動く力を蓄えるのだ)

「大きな生き物が近寄ってきたら大変じゃないの」

(そうだな。俺は運が良かった。・・・最初は翼も足腰もまだ弱いから少しずつ歩いたり羽ばたいたりする練習をして、そしてうまく走れるようになったり飛べるようになったりしたら自分の巣を作って、・・・そうやって生き延びることができれば、それがグリフォンだ)

「お母さんとはそれ以来会わなかったの? そんなので他のグリフォンも生きられるの?」

(巣から落とされた時点で、まだ翼もきちんと動かせない子グリフォンでは崖を上がれない。そして飛べるようになったらお互いにグリフォンなのだから敵だ。従って会う必要もない。他のグリフォンがどういう運命を辿るのかは、俺も知らない)


 道理でと、ヴィゴラスが何かと甘えてくるのか分かったような気がした遥佳だ。

 なんて可哀想なのだろう。それでは親の愛など全く知らないで育つだけではないか。


「ヴィゴラスは人の宝なんて取らない、いい子なのに」

(いいのだ。俺はハルカに出会えた。だから俺のグリフォン生(じんせい)に全く問題はない)


 遥佳が両手を伸ばせば、幸せそうに頭を擦りつけてくるヴィゴラスは本気でそう思っているのだろう。

 母グリフォンに対して恨みなど抱いてないようだった。


「それでヴィゴラス。今、幾つなの?」

(さあ? グリフォンは孤独に生きて孤独に死ぬ。だから年齢を数える必要もないし、俺も知らない)

「じゃあ、生まれてからどれくらい冬が来たとか分かる?」

(冬・・・。3回くらい、か?)


 とてもあやふやそうな感じでヴィゴラスが考えこむ。

 なぜならグリフォンは宝を眺めて磨いているだけで幸せになれる生き物だ。空腹になったら食べればいいという概念しかない。

 つまり、季節の移り変わりにとても無頓着なのである。


「そう。じゃあ3才くらいなのかしら?」

(年なんて考えるグリフォンはいないのだ。孤独に生きるグリフォンにどうしてそれが必要あるだろう)

「じゃあ誕生日も分からないのね」


 お祝いもできないだなんてと、遥佳が残念がれば、ヴィゴラスは小首を傾げた。


(幸せなことがあればそれら全てが特別な日だ。だが、ハルカの誕生日ならそれはそれで特別だと思う)


 何にせよ、単に自分が冬を認識したことがあるのは3回ぐらいだというだけで、ヴィゴラスはグリフォンがそういうことを認識するのは5回か10回かに1回あるかどうかということを説明しなかった。

 そして生まれ落ちた時から、グリフォンとして必要な知識は自分達の身に備わることも。


「じゃあ、いいわ。私と同じ日を誕生日にしましょうね、ヴィゴラス」

(ハルカと同じ日かっ)

「ええ。優理や真琴とも一緒。そうしたらお互いに、おめでとうって言えるでしょう? それとも他の日がいい? 嫌?」

(嫌じゃないぞっ。嬉しいぞっ。やっぱりハルカにとって俺は特別だなっ)


 途端に機嫌よくなるヴィゴラスは、何かとそれをアピールしてくるのだが、ここで、

「そうね。特別よ」

などと言ったらどうなるのだろう。

 グリフォンの生態が分からない以上、遥佳も下手なことは言えなかった。


(他のグリフォンに訊くわけにもいかないし・・・。だけど孤独に生きるとか言う割に甘えん坊だし、いつも私と一緒にいたがるし、やっぱり母親に捨てられてしまった心の傷が大きかったのかしら)


 そこで遥佳にもひっかかるものがある。


(問題は心の傷って、ヴィゴラス、どこにあるのかしら。それが全く感じないのよね。魂なんて完全に元気そのものだもの)


 だから孤独が宿命だというヴィゴラスが自分に懐いていることに、遥佳は大きな疑問を抱くのだ。


(しかも優理。ヴィゴラスを無料のお手伝いさんだと思ってないかしら。イスマルクといい、ヴィゴラスといい、優理、タダって言葉に弱くなってない?)


 優理に教え込まれたとかで、髪の手入れまでできるようになって帰ってきたヴィゴラスは、以前にもまして遥佳にべったりである。

 まさに宝を磨く感覚で楽しそうに遥佳の髪をブラッシングしているし、昨日、一緒に温泉に入った時も、遥佳の背中を流してくれるというおもてなしテクニックを披露してみせた。

 こんなグリフォンで、ちゃんとヴィゴラスはいつか野生に戻れるのだろうか。

 いや、戻る気はないだろうなと、さすがの遥佳ももう分かっている。

 ただ、自分が目を背けていただけだ。


「しょうがないわ。3才ならまだまだ甘えたいわよね、ヴィゴラス」

(大丈夫だ。ハルカは俺が甘やかすぞっ)


 全く通じていないようだと思いながらも、遥佳が、

「そうね」

と、笑えばヴィゴラスの前脚が、そうっと遥佳の前髪を掻き上げて髪飾りに引っ掛けていく。


「ヴィゴラス、本当に髪飾りが気に入っちゃったわね」

(そうなのだ。あの赤い宝石がついたのをつけているハルカはとても愛らしかった)


 最近は遥佳の頭頂部に、黄金や銀細工の髪飾りを挿すのがヴィゴラスの気に入りだ。どうやらディリライトで遥佳がティアラっぽく額飾りをつけていたのがツボだったらしい。


(ところでハルカ。前より胸が膨らんだのか? なら、そういう胸元の飾りをつけてもいいか? とてもキラキラしているのだ。きっと似合う)

「駄目ですっ。・・・いーい、ヴィゴラス? 女の子の胸とか体型については口にしちゃいけないのよ?」

(何故だ? ハルカなら胸が膨らんでいても可愛いぞっ)


 そんな遥佳は、戻って来た途端に日替わりで色々な装身具をつけさせられている。

 しかし胸が膨らんだからといって、どんな飾りをつけようと思っていたのか。

 まさかと思うが、あの襟周りを大胆に宝飾品で作り上げた物だろうか。


(ヴィゴラス。ああいうのは豊満な胸じゃないと似合わないのよ。それ以前にあなたは私をどれだけ着せ替え人形にするつもりなの)


 この第7神殿には色々な物が揃っているが、女性用の襟飾りの装身具というのもあった。その襟飾りに布を取りつけて衣装とするタイプのものだ。

 まさに女性らしい体型じゃないと似合わないもので、だからヴィゴラスもそれには今まで手を付けていなかったのだが、最近の女性らしさが出てきている遥佳なら大丈夫かもしれないと思い始めたのだろう、きっと。


「あのね、ヴィゴラス。女性にとって体型っていうのは色々と悩みが大きいものなの。それに、・・・多分、私、これ以上は変わらないわ」

(別に悩む必要はないだろう。胸が膨らんでいなくても膨らんでいてもハルカは可愛い。これ以上変わろうが変わるまいが、全く問題はない)


 本気で言っているのが分かるヴィゴラスに、遥佳は理解を求めること自体を諦めた。

 きっとグリフォンにとって、人間的な体型問題は理解不可能ジャンルなのだろう。


「そうね。だから、・・・多分、もう変わらないわ。これはウルティードに影響された変化だもの。今、私を女性として望む人がいなくて、私にとっても特に問題ない環境なら変化はストップするの。さ、そろそろお昼寝の時間よ、ヴィゴラス。目が覚めたら、朝、買ってきたお魚もいい具合にマリネされていると思うわ」

(昼寝するなら寝室に行こう。それとも外の方がいいか?)

「お外だと、あなた私を抱っこして寝ようとするでしょ、ヴィゴラス。寝室へ行きましょうね。今日は遠くまで飛んでもらったし疲れてるでしょ。ちゃんと休まなきゃ駄目よ」


 遥佳の後について寝室まで行き、そうして一緒に横になれば、疲れていたのは早朝から遠くの市場まで行って買い出しをして、戻ってきてから魚の調理をしていた遥佳の方だったのだろう。


「おやすみ、ヴィゴラス」

(おやすみ、ハルカ)


 すぐに遥佳は、寝てしまった。


――― 女性として望まれるか否か、か。結局、ハルカは自分の強い意思があまりないから受動的にすぎるのだろうな。


 そんなことを考えるヴィゴラスは、たしかに遥佳が男だろうが女だろうが無性だろうが本気でどうでもいいと思っている。

 ウルティードというのは、覚悟を決めた目をして遥佳に想いを告げた青年の名だった。断られることで思い出を己に刻みつけようとしていた灰色の瞳。


――― 女性として望んでほしいと思うのであれば、いつだって望んだものを。


 分かっているようで分かっていないのだ、この心を読める神子は。

 ヴィゴラスは、顎の下にある一番柔らかな羽毛で遥佳の頭を撫でた。


――― 我らゲヨネル大陸に生きる幻獣は、女神や神子が誰を愛そうが愛すまいが、性別関係なく惹かれずにはいられない。この第7神殿でハルカが暮らすのなら自分達ではあまり役に立てぬだろうからと、シルフの大半はマコトについていったが、その笑顔一つの為に皆が心を砕く。


 だから優理には、ぼやぼやしてるとよその男に掻っ攫われるだけだと言われてしまったのだが。


――― そんなことを言われてしまえば俺とて望んでしまうだろう、ハルカ。


 ヴィゴラスは静かに遥佳の上へと体重を掛けずに覆いかぶさる。

 とても大切な宝を守る姿勢だ。

 そうしてヴィゴラスは黄緑色の瞳を閉じた。






 マジュネル大陸のお山におうちを設置してもらい、小物も増えた。

 それぞれ違う服が8つずつあるものだから、日替わりで着ればいいだろうと、真琴は思う。


「ねー、カイト。これって本当は凄く高かったんじゃないの? お金、大丈夫なの?」

「気にするな。ジンネル大陸で使う暇もなく稼いでたし、贅沢しなけりゃ俺達の一生分の生活費程度は貯めてある。まあ、いずれどこかに定住したらある程度は働いて稼ぐ生活をすればいいかと思っていたが」


 服を真琴のクローゼットに仕舞うのを手伝ってくれたカイトだが、さすがに下着のデザインには口をあんぐりと開けざるを得なかったらしい。


「これは・・・。えーっと、だな」

「凄いよね。このレースが男の人を悩殺するんだって」

「頼むから、お前は、・・・お前だけはっ、そういうことは覚えなくていいっ。いいかっ。服なんて着ておけばいいものであって、男がどうこうとか考えるものじゃないんだっ」


 がくっとカイトが床に膝をつく。

 そしてそそくさと、乱暴に下着を引き出しに仕舞(しま)ってしまった。


(ふーんだ。私の方が恥ずかしかったんだぞっ。けどカイトってば、本当に私を大事にしてるんだなぁ。自分の為に着てみせろとかって言わないし)


 8人の女性達に冷やかされるようにして、セクシーを追及したものを作られてしまった真琴はもっと恥ずかしかったのだ。

 しかし見た目の挑発具合はともかく、着心地はとてもいい。下着も全く肌にこすれることなく全体をカバーしてくれる。どれも花やフリルや色の切り替えなどをあしらったレースの下着だが、普通のレースと違って糸も細く、更にしなやかで弾力がある。

 この世界における高級下着の魔力を、真琴は知ってしまった。


「ねー、カイトぉ」


 背後から圧(の)し掛かれば、カイトはひょいっと真琴をおんぶして歩きだす。


「なんだ? さて、茶でも淹れるか。お前は果汁を絞った方がいいか?」

「お茶がいい。・・・ねー、男の人が女の人に服を贈るのは脱がせたいからってホント?」

「なんで子供ってのは聞きかじりで何かとあれこれ言い出すんだろうな」


 カイトはうんざりした顔でぼやいた。


「子供じゃないもん、大人だもん」

「そうだな。大人ってのはそういうことは言わないけどな」


 四人掛けの大きなソファにぽんっと真琴を後ろ手に落とすと、カイトは振り向いてソファに寝転がってしまった真琴と視線を合わせるようにして屈みこんでくる。


「脱がすのなんてどんな服でもできるだろ。俺はお前に似合う物を着せたいから服を買いに行ったんだが?」

「だってぇ」


 真琴が唇をツンと突き出したので、カイトはそこに軽く人差し指を当てた。


「なあ、マコト。どうして俺をそう挑発するようなことばかり言うんだ? もうそろそろ俺を試さなくてもいいだろ? 何が不安だ? これだけ愛してるって言ってもお前は俺が信じられないか?」


 くしゅっと真琴の顔が歪む。


「怒ってるわけじゃない。お前が不安なら望むことを言えばいい。そうしたら叶えてやる。どうすればお前は俺に愛されている自信を持てる?」

「・・・何でも?」

「ああ。可愛いお前の願いなら。俺にできることは何でも叶える」


 カイトの表情はとても真摯でふざけている様子はない。

 だけど・・・。


「嘘だよ」

「何が?」

「だって、・・・そう言ってもみんないなくなったもんっ」


 シュタッとソファから飛び降りて逃げ出そうとした真琴を、素早くカイトは捕まえてソファへと引き戻した。


「ちょっと待てっ。勝手に俺をいなくなる人扱いするなっ」

「だって・・・っ!」


 セピア色の瞳に、透明なそれが盛り上がっている。


(どうして安心させても安心させても、しばらくしたらこいつは不安に陥るんだろうな。それだけこの家に馴染んだからだろうが。旅している間は毎日が違うことばかりで気を張ってたが、落ち着いたことで試し行動に出始めたか)


 わざと相手が困るような言動をして、それを何度繰り返しても自分を愛し続けてくれるかを確認する試し行動。

 泣かれるのは辛いからもうやめようと思う気持ちが、カイトの中でも膨れ上がった。

 だが、それではずっとこの繰り返しになる。

 カイトは心を鬼にして静かな声で問いかけた。


「誰がいなくなったんだ? なあ、マコト。それぐらいは教えてくれてもいいだろう?」

「・・・お父さんと、お母さん」

「そっか。愛されてたんだな、マコト」


 優しく語りかければ、しゅんっとした顔で下を向く。所詮は甘えっこなのだろう。

 よしよしと頭を撫でてやりながら、もしかして自分は本気で男ではなく父か兄扱いされているのではないかと、カイトは密かに悩み始めた。


(大体、人間ならではの試し行動って、幼児とかじゃなかったか? いや、大人になっても行う奴はいるって話だったが)


 そんなカイトとて、少し前までは真琴を群れの子扱いしていた保護者である。


「お父さんだって、私達、可愛いって言ってたくせにっ、・・・お母さんとっ、二人でいなくなっちゃうしっ」

「まあ、そういう親は多い。このマジュネルじゃそれが普通だ。だけど子供を愛していないわけじゃない。本当は分かってるんだろう、マコト?」

「お母さんだって、私達のこと、愛してるって言ったのにっ、・・・何にも言わずにお父さんと一緒にいなくなっちゃったしっ」


 ちゃんと両親は説明していたが、真琴は親にアイスケーキをねだることで頭がいっぱいだっただけだ。

 真琴は、難しいことは優理担当、お手伝いは遥佳担当、そして自分はおねだり担当だと思っているところがあった。


「そうか。マコトはお父さんとお母さんが大好きだったんだな」


 そこまで見抜ける筈もないカイトは、可哀想にと真琴を膝に乗せて座り直す。

 親離れしなきゃいけなくなっても離れたくないと泣き喚く子供のように、真琴は両親に可愛がられていた時間を取り戻したいと、今も願っているのだろう。

 優しく温もりに満ちた、とても幸せな過去の時間を。


「二人ともっ。私達のこと、大好きって言ってたのにっ」

「それは嘘じゃないだろ。お前とあのハルカちゃんなら愛さないわけがない。何より見れば分かる。お前は愛されてきた子供だって」

「嘘だよっ。愛してたら放ってなんかいかないもんっ」


 真琴の主張に、カイトはしみじみとジンネル大陸ならではの成人に至るまでの長い期間を思わずにはいられない。

 マジュネル大陸の場合、そこまでの長い期間を親と過ごすものではないだけに。


「嘘じゃない。そういうのは見れば分かる。お前は愛されて育った人間しか持てないものを持っているってな。ちゃんと自分に目を向けるんだ、マコト」


 真琴は少し怯んだようになって、おずおずと訊き返した。


「そう、なの?」

「ああ。お前は自分がひたすら愛されていたから分からないんだな。普通の人は、そこまで強く愛されて育つわけじゃないから、持ちたくても持てないんだぞ」


 その名を、「甘え上手」という。

 さすがのカイトも、最近になってそれが自分に発揮されていることを自覚していた。

 真琴は無条件に愛され育った人間ならではの、あの甘ったれた才能を持ちすぎている。その才能で、カイトに全てをおねだりしていくのだと。

 基本的に可愛がられるのがお仕事という、末っ子気質の人間が持つことが多いそれは、愛され慣れていないと持てない才能だ。


「本当に? お父さんとお母さん、私達、愛してた?」

「当たり前だろ。どうして当の本人であるお前が分かってないんだ?」


 心底不思議そうな顔になるカイトに、真琴もそれは嘘じゃないと思ったのだろう。


「じゃあ、どうして・・・。何も言わなかったの?」


 ちゃんと両親は言った。真琴が聞いていなかっただけだ。

 優理がこのセリフを聞こうものなら、ハリセンでパッコーンと頭を叩いただろう。遥佳だって、真琴の両頬を親指と人差し指を使って大きく横に広げたかもしれない。


「そこまでは分からん。だけど言えば愛しているってわけじゃないし、言わなければ愛していないってわけでもない」


 まるで自分が馬鹿扱いされたように感じたのか、真琴がちょっと拗(す)ねた顔になる。


「そ、それに、優理だって遥佳だって、・・・私のこと、捨ててったもん」

「ユウリって誰だ?」

「・・・私の、お姉ちゃん?」

「何で姉なのに疑問形なんだ? つまりお前達には姉もいたのか?」

「うん」


 さすがに姉妹の絆までは分からんなぁと、カイトも悩んだ。親子と姉妹はまた違うからだ。


「優理だって遥佳だって、私のこと愛してるって言ってたのにっ。私もあんなに愛してるって言ってたのにっ。なのに捨ててったしっ」

「いや、そのユウリってお姉さんのことは分からんが、ハルカちゃんはお前のこと、捨ててってないだろ。あれだけお前の為にお金を用意して、いざとなったら換金できる宝石まで持たせて、そして俺にはこの腕輪を渡してまでお前の無事を願っていたじゃないか」

「だって・・・っ。遥佳は私じゃなくてもヴィゴラスとかイスマルクとかがいればいいんだもんっ。優理だって私や遥佳がいなくても一人で平気なんだもんっ」

「馬鹿を言うな」


 カイトの声が少し低くなったせいか、真琴がその腕の中でびくっと体を跳ねさせる。


「怒ったわけじゃない。だけどお前の言葉を聞いたら、そのユウリさんっていうお姉さんもハルカちゃんも悲しむだろう。ハルカちゃんだってあんなにお前のことを心配してたじゃないか。お前は俺と逃避行してたからそんな余裕はなかっただろうが、きっと彼女はあの後で泣いてたと思うぞ」

「・・・そんなこと」


 ないもんと言おうとして、真琴は口ごもる。

 真琴は遥佳を思った。

 そうだ。あの時はバタバタしていたけれど、遥佳はとても繊細な性格の持ち主だ。

 優理がいなくなった時だって自分と抱き合って寂しさを埋め合っていたのに、自分がいなくなった遥佳はどうしていただろう。


「お前のハルカちゃんは、邪魔なお前がいなくなったと、高笑いする性格だったのか?」

「違うもん」


 ずっと心配し続ける性格だ。

 もしかして自分が遥佳を泣かせていたのだろうかと思えば、真琴の目からも涙が零(こぼ)れる。


「本当は、ハルカちゃんはお前を愛していなかったのか?」

「違うもん」


 三つ子の自分達には、他の人達には分からない絆と愛があった。

 否定する真琴の声が震えるのは、遥佳の愛を疑ったからだ。


「ユウリさんっていうお姉さんは、お前やハルカちゃんを愛しているといった傍から毛嫌いしていたのか?」

「違うもん」


 それどころか、いつだって自分達の為に優理は嫌な役目を引き受けて・・・。

 聖神殿を壊すのも、優理は一人でしてしまった。きっと自分達にはできなかったことを。


「ユウリさんはお前とハルカちゃんが足手まといだったのか?」

「違うよっ。だって優理はっ、優理は私達の為に・・・っ」


 知ってる。

 本当は自分だけが大人になりきれていなかったこと。

 二人とも、自分を愛してくれていたことも。

 次から次へと熱いものが、真琴の頬を流れていった。


「ああ。分かってるんだろう? みんなお前を愛していた。そして今も愛してる。別れたのは愛していなかったからじゃない。お前は一度として捨てられてなんかいなかった」

「・・・だって。だって、カイトも・・・」

「俺がどうした?」


 きゅっと口を引き結んだ真琴に、カイトはそっと親指を当てて唇を割り開かせる。


「だって、カイトだって、愛してるって言っても、いつかいなくなるんだ」

「いや、それはどういうストーリーなんだ? その予告はどこからやってきたんだ?」


 理解不可能と、カイトは困惑した顔になった。


「どっちかっていうと、ずっとお前を愛してるって言っている俺と、何かとあちこちフラフラしているお前とじゃ、俺の方が捨てられる立場だろ?」

「そんなことないもん」

「嘘つけ。それこそ『愛してる』とかいった次の日に、『やっぱりやめた』とか言い出しかねないのがお前だろうが。お前の移り気は凄いぞ。大体なぁ・・・」


 さすがのカイトもここまで不信を連発されると言いたくなるものがある。


「お前はどこにいても俺を捜せるが、俺はお前を捜せない可能性も高いんだぞっ。どう考えてもお前の方が浮気して出ていって行方をくらます立場だろっ」

「私っ、浮気なんてしないもんっ。大体、どうやってカイトがいなくなっても捜せるってゆーのっ」

「お前にゃシルフがいるだろうがっ。あいつらを使えば、世界中どこでも人探しなんて楽勝だろっ」

「ふぇっ?」


 そこでカイトは少し頬を赤らめて横を向いた。

 やはり己の能力が劣るというのは認めたくない。男としてのプライドに響くのだ。


「俺は雨が降ったりして、更にお前がシルフを使ってにおいを撹乱させてくれたら後なんざ追えねえんだ。それこそ世間一般的にも、愛情が変化して捨てられかねないって怖がらなきゃいけないのは俺だろうが」

「私っ、そんなことしないもんっ」

「どうだかっ」

「なんで信じてくんないのっ」

「マコトが俺を信じないのと同じことだろっ。お前、俺にそれをし続けてるんだぞっ」


 そこで真琴も、気づいたらしい。


「あ。・・・・・・そっか」

「ほら、仲直りのキスな。疑われるのって辛いだろ? 俺だってお前に疑われるのは辛い」


 カイトが軽く口づければ、真琴も小さな声で、

「ごめんなさい」

と、謝った。


「いいさ。俺はお前を愛しているし、お前が浮気しないって信じてるけど、お前は俺を疑っていればいい」

「・・・ずるい、そんなの」

「そーゆーことだろ。ほら、茶でも淹れような」


 立ち上がって歩きかけたカイトに、真琴が抱きつく。


「あ。あのね、カイト」

「なんだ?」


 しばらく真琴は黙っていた。


(こんなにもぎゅって胸が苦しい。だって21回心変わりしてくのが普通なんだよ、獣人って。疑うなって言うけど、信じて捨てられたらどうすればいいの)


 ぐちゃぐちゃな心が自分でも分からない。獣人だから浮気されるかもしれないと思うだけで怖くなる。

 だって、獣人はいつだって本気で心変わりするのに。


「好き。・・・だから、怖い」

「それは俺もだ」


 後ろ手に頭を撫でてやりながら、カイトは面倒なのでそのまま引き摺っていくことにした。

 とりあえずは水分を補給させなくては。泣いた後はちゃんと塩分も摂らせるべきだろう。


「人の心なんていつ変わるか分からないから誰だって本気であればある程怖いさ。だけどそれ以上に幸せだから一緒にいたいって思うんだろ。俺はずっとお前といたいから、その怖さに耐えてでもお前に愛してるって言い続けるよ」


 火を熾(おこ)して湯を沸かし始め、そうしてカイトは蜂蜜漬けのレモンに少しだけ塩を振って真琴の唇に押し込む。

 もぐもぐと食べながら、真琴がカイトを見上げてきた。


「カイトも・・・。私のこと、怖い?」

「そうだな。だけどそれ以上に可愛いよ。俺はお前を世界で一番愛してるからな」


 蜂蜜で少しべとついた指を舐めて、カイトは茶葉を選び始める。

 こうやってとすんと抱きついてくる真琴の場合、感情があからさますぎて、本当は愛情の有無を不安になる必要がないのだが、そこは言わなくてもいいだろう。


「なら、・・・ならカイトが怖がらなくてもいいようにっ、私っ、愛してるって言うからっ」


 カイトは目を丸くして取りかけていた茶葉の缶から手を離した。

 見下ろせば、真っ赤になっている顔を自分の脇の下に埋めている真琴がいる。


「そっか。それは俺にとって一番嬉しい言葉だな」


 自分が十回以上愛していると言って、やっと一回好きと言ってくれるかどうか程度の真琴だ。


(人間ってのは言葉に影響される。自分でも言い始めてくれるようになれば、いずれ落ち着くだろう)


 ここまでの道のりは長かったなぁと、カイトはそっと溜め息を天井に逃がした。






 肌の色というのは、本当に微妙で、一言では言い表せない個人差がある。

 真琴の肌は白いと言えば白いが、全体的に金色の刷毛で一塗りしたような、象牙色(アイボリー)ともアンズの実色(アプリコット)とも異なる微妙な配分だ。

 シルバータイガーに属するカイトの肌はミルクのように白いが、きっと真琴の場合は混血が生み出した絶妙な色合いにあたるのだろうと、カイトはそう思っていた。


「そろそろ大丈夫か? 大体、なんで今日も長風呂してたんだ。結局のぼせてるんじゃどうしようもないだろう。俺はなかなかいい眺めだからかまわないが」

「カイトのばかぁ」

「男なんてそんなもんだろ」


 カイトが豚の世話をしてから湖で水浴びしてきたら、家には長風呂でのぼせた真琴がいたのである。

 ぱたぱたと適当な冊子で扇(あお)いでやるカイトにしてみれば、馬鹿だなとしか言いようがなかった。

 尚、ここ数日、真琴は風呂が長いとカイトが心配して「大丈夫か」と、声をかけてくれるので、それが嬉しくて毎日声を掛けられるのを待っている内にどんどん長風呂になっていた。カイトはカイトで、そんなに風呂が好きならば邪魔せずにいてやろうと、どんどん声を掛けずにおいてあげるようになっていた。

 一つのすれ違いパターンである。


(何を考えて、ここんとこ浴室に籠(こ)もってたんだ?)


 けれどもそろそろ肌の表面から必要以上の赤みもとれてきたし、減らず口を叩く余裕も生まれてきているようだと、カイトは見てとる。


「ほら。もう一度飲んどけ」


 少し塩とレモンの皮を入れた水を、真琴の上半身を起こして飲ませれば、こくこくと飲み干した。


「もう一杯飲むか?」

「んー。もういい」

「そうか」


 同じ寝台に横座りしながら、真琴の額に置いてあった布を取って冷たい水で絞って顔や体を拭いてやれば、更に体表面の熱も取れて落ち着いてきたらしい。


「ねえ、カイト。なんでまた体を拭くの? もうとっくに乾いてるのに」

「濡れた布で体を拭けば、水分が乾く際に体表面の熱を奪って、体が冷えるからだ」


 気化熱(きかねつ)、または蒸発熱の原理である。

 夏でも濡れた服を着たままでいると、低体温症を起こして危険になるのと同じことだ。体の表面が濡れていると、それが乾く際に体温を奪っていく。

 たしか湖で濡れた服をすぐに着替えさせた時にも、カイトは真琴にそれを説明した。

 健康の為にも乾いた衣服は大事なのだ、濡れたらすぐに着替えろと。


「あー。そう言われてみればそんな感じがするような?」

「もういい」


 もしかして真琴にしてあげているほとんどは肝心のご当人サマに通じていないのではないかと、そう考えるとカイトも虚しくなる。

 それでもいいかと思えるのだから、カイトの愛情こそがどうしようもないのかもしれない。

 自分が捧げた愛情と同じだけの愛情が相手から戻ってくるのであれば誰も苦労はしないが、10の愛に1の愛が戻ってくるのであれば、100の愛に10の愛は戻ってくるし、1000の愛に100は戻ってくるだろう。


(一割の還元率か。マコトだしな)


 そう思えば諦めの境地に至ることもできた。

 相手は浴びる程に愛情を与えられていても自覚していなかった甘えん坊だ。


「カイト?」

「ちゃんと寝間着を着て。いいか? もしよそで長風呂なんかして倒れたら、そのままどこかの男にお持ち帰りされるんだからな。ちゃんと安全な入浴時間も把握しとかなきゃ駄目だろう」

「むぅっ。よそで長風呂なんてしないもんっ」

「どこであっても倒れるまで入るな。この馬鹿」

「馬鹿じゃないもんっ。これはカイトが悪いんだもんっ」

「なんで俺のせいだよっ」


 それでもカイトは真琴に寝間着を着せて、塩とレモン皮入りのお水を飲ませてくれる。

 愛されている自分が我慢するしかないんだねと、真琴は思うことにした。






 よく寝た気がする・・・。

 そんなことを思った真琴は、同じ寝台に入ってきた気配で、意識を少し浮上させた。

 手を伸ばせばその体に触れたけれど、少し冷たい気がする。

 けれども慣れ親しんだ体だと分かるからぎゅっと握った。


(いつもは温かいのにな。水でも浴びてきたのかなぁ)


 そんなことをぼんやりと思えば、再び意識は眠りの世界へと入りこもうとする。


(やっぱりカイトだ)


 いつものように自分の肩が冷えないようにと引き上げてくれたのだろう、シーツが首まで包み込んできた。

 体をすり寄せれば、自分の頭を包み込む腕もある。

 だから大丈夫だ。もう少し寝ていても。

 きっと朝になったらいつものように起こしてくれるだろう。




 鳥がチュンチュンと囀っている。コッココケッコと今日も鶏は元気に歩き回っているようだ。

 周囲が明るくなっていることに気づき、はっとカイトは目覚めた。


(やべっ。寝過ごしたっ)


 隣にもう真琴はいない。

 慌てて着替えて部屋を出ていけば、カッティングボードの上に置いたパンをナイフでスライスしていた真琴が驚いたように振り返る。

 蜘蛛の魔物が作ってくれた一つの、紫がかった青色(ヒヤシンスブルー)のワンピースを着て、自分で髪も一つにまとめていた。


「おっはよー、カイト」

「ああ、おはよう。悪い、寝過ごした」

「ううん。卵もらってきた。今ね、パン切ってた」

「そうか。ありがとな」


 カイトは真琴に近寄ると肩を抱いてキスする。


「じゃあ、俺はベーコンとお前がとってきてくれた卵を焼こう」


 火を熾してフライパンを温め始めれば、真琴の顔が褒めて褒めてとうずうずしていた。


「たまにはそういう女らしい格好もいいな。よく似合ってる」

「えへへっ。ワンピースはさすがにスカートになっちゃうからって、脚の横部分でプリーツを調節できるんだよ。もっとタイトにもできるんだって」


 ワンピースといっても上半身はぴったりと体に沿うラインで、スカート部分はふわりと広がるようになっている。

 けれども両太腿の所にあるホックをきっちり留めていけば、その広がっているスカート部分が中にプリーツとして仕舞われてしまい、まさにチャイナドレスのようになるのだ。ただしチャイナドレスのように生足は見えない。

 せっかくだから動きやすいようにと、ホックはすべて外してスカートを広げていたのだが、やはりカイトはこういう格好が嬉しいらしいと、真琴はその表情から察した。


「あまり体にぴっちりとしていると、見かけた奴が勝手に連れていっちゃいそうだからな。スカートは広げとけ」


 真琴がにらんだ通り、ホックは留めるなと言ってくるカイトだ。

 刻んだ野菜入りスープとパンとベーコンエッグに果物。

 そんな朝食はいつもと同じだけど、少し違うような気がして、真琴は食べながら向かいに座るカイトの顔を見る。


「どうした? 今日はせっかく可愛い格好をしてるしな。少し遠くの街に出かけてみるか? それとも山頂まで散歩しに行くか?」


 真琴は少し考えてみた。

 遠くの街に出かけるのならお買い物だ。きっとカイトは真琴の何かを買いに行くつもりなのだろう。

 そしてここの山頂は綺麗な花畑なども途中にあって、景色を見ながら歩くだけでも楽しい。人はあまり近づかない山らしいのに、歩道のようになっている道はきちんとある。


「お散歩しに行きたいっ」

「そうか。ちょうど今日のワンピースみたいな色の花が咲いてる。ぴったりだな」

「そっかな」


 自分のチョイスを褒められたみたいで嬉しい。

 真琴はそこでふと疑問に思った。

 なぜカイトは今、ここよりも高い位置で咲いている花の色を知っているのだろう?


(おっかしーなぁ。いつもお出かけする時は一緒なのに、カイトってば一人でハイキングしてたのかな?)


 それを尋ねようとしたら、一足先に食べ終えているカイトは、余っているパンに切れ込みを入れていた。


「中に入れるのは何がいい?」


 どうやらお昼ご飯を持っていくつもりらしい。


「えーっと、バナナとチョコとクリームッ」

「そりゃおやつだ」


 文句を言いながらも、フルーツサンドのようにしてバナナとチョコを挟んでくれるところがカイトだった。






 薄い青紫や赤紫の花が咲き乱れる野原で、カイトは持ってきたシートを敷いて目を閉じていた。

 どうせ誰もいないとばかりに、真琴はワンピース姿で長い蔓を持って新体操ごっこだ。


(うっわぁ。本気で凄い身体能力が上がってるー。もしかして今ならヴィゴラス並みに動けるかも)


 真琴が蔦をリボンのようにクルクルさせながら軽々と5メートルジャンプをすれば、ちらりと見たところ、カイトは熟睡しているときたものだ。


(どうしたのかな。睡眠不足? そういえば夜中、カイト、どこかに行ってたような・・・?)


 カイトの睡眠不足は真琴のせいだったが、肝心の本人には全く理解されていなかった。

 可愛い恋人が同じベッドで寝ていて、ドキドキしないでいられる男はいない。

 けれどもそんなカイトの事情を真琴が分かっている筈がなかった。

 風の妖精(シルフ)達も楽しそうに遊んでくれるが、真琴は少し寂しい。


「カーイトッ」


 一通りターザンごっこもしてから真琴が戻れば、カイトが薄く水色の瞳を開けた。


「ああ、寝てたか。悪かったな」

「別に平気っ。・・・寝不足?」


 どこかその眼差しが遠く優しく思えて真琴が焦れば、その質問にカイトも苦笑する。


「そういうわけじゃないさ。お前が起こしてくれればいつだって爽やかに目覚められるよ。おいで」


 腹筋の力だけで起き上がりながら、カイトは自分の横に座りこんでいる真琴の頬にキスした。


「花の冠でも作ってやろうか、マコト。きっと似合う」

「ううん、いい。一緒に見てる方が綺麗だから」

「そうだな」


 花冠にしてしまうと、せっかくの花が枯れてしまう。

 それよりは二人で同じものを眺めていたい。

 並んで座れば、花が咲き乱れる場所に、キラキラとその姿を現わしたり消したりしながら風の妖精(シルフ)達が飛び回っている。

 悪戯好きなシルフ達は、どうやら小川の水を風の勢いで掬(すく)うようにして、細かく散らしたようだ。うっすらと野原に虹がかかった。


「うわぁ、虹だ」

「ああ。きっとシルフもお前に見せたかったんだろう」


 カイトが言えば、嬉しそうに真琴が笑う。


「来年もまた見たいな」

「そうだな。再来年も見に来よう」

「三年後もね」

「ああ。四年後もな」


 来年まで待たなくても明日もまた来ればいいだけではないかと思ったが、カイトは真琴に合わせた。

 先の約束を、嬉しそうに真琴が受け取るから。


「愛してるよ。来年も同じように」

「・・・来年だけ?」

「再来年も」

「再来年まで?」

「三年後も」

「三年後まで?」


 さてさて、どう言えばいいものなのか。このまま一年分ずつ言わされたのではたまらない。


(この甘えん坊のことだ。百年分まで言わされかねん)


 カイトはしばし考えた。


「お前が俺と一緒にいてくれる間、俺はずっとお前を愛してるよ」


 真琴は少し考えた。


「私がいなくなっちゃったら愛してないの?」

「ああ。だからずっと俺の傍にいろよ?」


 カイトは立ち上がり、真琴を高い高いと、その腰を持って高く持ち上げる。


「大人になっても俺の可愛いマコトでいてくれるんだろう? これからもずっと」


 自分で飛び跳ねるより低い位置だったが、真琴にとってみればカイトがしてくれるのが嬉しい。


「じゃあね。じゃあ、んーとっ、・・・私もカイトが私の傍にいる間、ずっと愛してるからねっ」

「そうか。じゃあ一生だな」

「うんっ」


 くるくるとひとしきり回してもらってから、真琴はカイトに思いっきり抱きついた。






 カイトに肩車してもらいながら、今日は山で食べられる果実を探している真琴だ。二人が暮らしている山は、歩けば色々な場所に様々な果樹があったりする。

 とても暮らしやすい場所なのに、どうして他の人はここで暮らしたがらないのか、それが不思議だ。


「んーっ、あとちょっと右っ」

「そうか。取れそうになければ無理するなよ」

「へーきっ」


 よく熟れていそうな柘榴(ざくろ)を真琴が渡せば、カイトが持っていた袋に入れていく。


「こんなもんじゃないか? なかなか豊作だな」

「柘榴って色がとっても綺麗だよねーっ」

「そうだな。帰ったらこの柘榴でサラダを作ろう」


 カイトの銀色の髪に両手を置いて、真琴は柘榴が入ったサラダの味について考えた。柘榴はそのまま食べるものだと思っていたが、サラダに入れるとは。


「カイト、柘榴も好き?」

「そうだな・・・。柘榴だけで食べていると面倒臭くなるが、彩(いろど)りとしては綺麗だな。それにお前が、隠れた場所にまだ実が残ってないかって柘榴の皮をひっくり返して捜すのを見てるのは楽しいよ」

「何それぇっ」


 ぶーっと怒りながらも、いつだってカイトが自分から目を離さないでいてくれることが、真琴には嬉しい。


「なあ、マコト?」

「んー?」

「ジンネル大陸に戻るか?」

「どうして?」


 きょとんとして尋ね返せば、言葉を選ぶかのようにカイトが説明しだした。

 こうして肩車している時も、間違っても落ちないようにと、真琴の背中や脇腹に当てられているカイトの手は力強い。


「いや。お前のご両親、何も言わずにいなくなったなら生きている可能性もあるっていうことだろう? 亡くなったっていう話だったし、葬儀にも立ち会ったのかと思ってたんだが、そうじゃないなら実は亡くなってないって可能性もある。それにユウリさんっていうお姉さんだって別れただけなら捜せば見つかるだろう。・・・ずっと考えてたんだが、今のマコトなら前とは色合いも顔かたちも違っているし、正体なんてばれない。だからちゃんと会って、そうしてスッキリした方がいいんじゃないかと、そう思ってだな」

「え」

「そりゃ勿論、今になって探し始めても時間が経(た)った分、見つけにくいってことはあるだろう。だけど見つかる可能性もないわけじゃない」

「カイト・・・」


 もしかしてカイトはずっと考えてくれていたのだろうかと、真琴は少し胸が苦しくなった。


(どうしよう。嬉しくて泣きたい)


 今、幸せだよって世界に向かって言いたくなる。そうすれば、・・・二人に届くだろうか。


「ごめんなさい」

「うわっ? 何、泣いてんだっ。おいっ、マコトッ」


 慌てて真琴を抱き下ろしてから、カイトがおろおろと腰を屈(かが)めて顔を覗(のぞ)きこんできた。

 なんだかとても自分は素敵な人生をゲットしてしまったのではないかと、そう思いながら真琴はカイトに抱きつく。


「ごめんね、カイト」

「何がだ?」

「えーっと、・・・あれ、八つ当たりだったの」

「へ?」


 ぎゅっとその背中に両手をまわせば、自分の背中をぽんぽんとしてくれるものだから、やっぱりこの人で良かったなぁと、真琴は思う。

 カイトがこんな風に自分のことを大切に考えてくれているのが嬉しかった。


「私、お父さんとお母さんにはね、ちゃんと真面目な時間をとって言ってもらいたかったの。だけどお父さんとお母さんは私が絶対にごねるって、泣いて嫌がるって見越してたから、慌ただしく終わらせてったっての、分かってるんだ。優理だって私に何も言わなかったのは、私が嫌だって言って、しがみついてでも行かさないって言うのがお見通しだったからだって、それも分かってる」

「・・・そうか」


 カイトの手が真琴の髪を撫でていく。


「お父さんもお母さんも優理も遥佳も、私が嫌だって言ったら困っちゃうんだもん。だっていつもなら私の意見はちゃんと聞いてあげたいって思ってるから。だけど聞けないって分かってるから、あの時はささって姿を消したの」


 父も母も優理も、基本的に人の助けを必要としない人達だ。だから真琴がどんなに分かりやすい我が儘を言っても、それまでは決して苦になっていなかった。

 だけど、あの別れだけはそうもいかなかったのだろう。


「本当にお前、我が儘っ子育ちだな。あまりご両親やお姉さんを困らすなよ」


 カイトが全く怒っていない顔で、それでも窘(たしな)めてくる。


「だってしょうがないもん。甘やかしたお父さんとお母さんと優理と遥佳が悪いんだもん」

「・・・・・・なんつー開き直りだ、おい」


 おいおいと思うカイトだ。


(まさかその内、「甘やかしたカイトが悪いんだもん」とか言い出すんじゃなかろうな)


 あり得る未来予想図だ。

 自分の我が儘を、そういう責任転嫁に持ってこられた日にはどうなることやら。

 普段から真琴に甘くなっている自分に気づいていたカイトが内心で冷や汗を垂らしていると、真琴が続ける。


「だけど・・・、別にそれなら怒ってくれればよかった。私が何を言っても、ダメだって言ってくれればよかった。私が泣き喚いても、嫌だってごねても、ぴしって言って怒ってくれればよかっただけなのに、それをしなかったのを、・・・ずっと、文句、言いたかった」

「そうか。マコトは甘やかされるよりも怒られたかったんだな」


 真琴だって、自分が我が儘を言っているのは分かっている。

 それを叱られたところで家族を嫌いになるわけじゃないのだから、そこできちんと向かい合ってほしかったのだろう。


「うん」


 けれども別れの際にどうして愛しい存在を怒ったりできるだろう。

 思い返す顔が泣き顔だなんて、愛していればこそ耐えられない。


(そういえば運び屋している時も家族持ちの男ってのは子供が泣いて、

「行かないで、パパ」

って縋(すが)ってくるのを振りきって出てくるのが辛いと、寝顔だけ見て出てくるって言ってたもんなぁ)


 詳しい事情は分からないが、どちらの気持ちも分かるような気がしたカイトだ。


「捜しに行く必要はないんだ。ごめんね、カイト。ただの八つ当たりだったの。ずっと文句言いたかったのはお父さん達と優理達だったのに。・・・カイトに八つ当たりしてごめんなさい」

「本当にいいのか? 捜せば会えるかもしれないんだぞ? 俺に遠慮する必要はないんだ」


 カイトが言葉を重ねても、真琴は首を横に振る。

 実際、捜しに行く必要はない。両親は捜すだけ無駄だし、優理や遥佳にはいずれ時期が来れば会えるだろう。

 何より真琴は、いつも一緒にいてくれるカイトを手に入れてしまったのだ。


「うん、いいの。だって今はカイトがいればいいし」

「・・・そうか」


 そんないじらしいセリフを、少し頬を赤くして下を向きながら言うものだからカイトも照れてしまう。

 こうやって太陽の下で改めてそういうことを口にされるというのは、どうしてこんなにも照れ臭く感じられるのだろう。

 えへっとカイトの首に、真琴は抱きついた。


「カイトと一緒にずっといたかったから・・・。だからずっとお父さん達に言いたかったことをカイトに言って、そっちはすっきりしちゃった。もう平気。それよりカイト、チューして?」


 両親や姉妹に続いてカイトまで失いたくなくて感情をぶつけたのだと、真琴も分かっている。

 カイトにも、真琴がそれでこの件を幕引きしようとしているのが分かった。


「お前は本当にタチが悪い」


 それでもリクエストに応えてしまう自分が悲しい。


(なんだかんだ言いながら、それでも甘えれば全てをごまかせると思ってないか?)


 しかし実際に、カイトは誤魔化(ごまか)されてしまうのだ。


(どうしてこいつはこんなに可愛いんだ。いや、そう思って甘くなってしまう俺が全て悪いのか?)


 もしかして最初から最後まで自分は真琴に振り回されっぱなしになるのだろうかと、カイトは溜め息を呑み込んで、それでも丁寧な手つきで真琴の頬を押さえてからそっとキスをした。



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