49 優理はキマリーを脱出しようとした
キマリー国から貴族を連れて逃げ出すとなると、優理も真面目に考える。何故なら自分が可愛いからだ。
キースヘルムはいくら何でも下半身まで調べないだろうと言ったが、優理はそう思わなかった。
(キースヘルムは分かってない。貴族令嬢なんて言い聞かせれば大人しいもんだと思ってるけど、それはキースヘルムの押し出しに呑まれてしまってるだけだもの。私みたいな温和で優しく礼儀正しい女の子と一緒にいたら本性が出てくるってもんよ。そうなったら関所でプライド高く振る舞って、正体を見抜かれるだけ)
実際、二階より上の部屋に行って世話をしてあげても、優理はそれを感じている。
『窓のカーテンは閉めといてもらいたい。人がいるとなると通報される恐れがある』
『そうでしょうね。分かってるわ』
やはりキースヘルムやその手下でも実権を持っている人がいる時は、彼や彼女達も言葉少なで大人しいものだが、誰もいないとなると、優理に対して彼らはそこそこ命令する口調に変わるのだ。
『あなた、まだそれを片付けてないの? 私が食べ終わったらすぐに片付けてちょうだい』
『私、他の人にも食事を届けていたんです。そこは我慢して待っててくれませんか?』
『まあ、口答えするだなんて』
思うに色々とたまる不満をどこかに向けずにはいられないのだろう。
(私にはそこまで無茶は言わない。だけど土壇場で私の言うことを素直にきくとも思えない)
優理は貴族だからと命令される立場に甘んじる人間ではなかった。
『私、別にあなた方のお世話係じゃありません。頼まれたからお料理も作ってあげてるんです。文句つけるなら、前の男の手料理に戻してもいいんですよ? お片付けだって自分でやればいいじゃないですか。私に文句を言う時には見捨てられる覚悟でやってください』
言うまでもなく、単に焼いただけだの、切っただけだの、全部茹でただけだのといった料理より、優理の手料理の方が美味しい。
今は黙らせた貴族達だが、ここを出たらどうなるかなんて分からない。
ここでは心の広い自分が諦めて耐えるしかないにしても、やっぱり関所では危険だと思っている優理である。
(ここで一発、立場ってもんを分からせとくべきかしら。だけどそんなことして頼られ始めても困る。私、その後は関わりたくないもの。でもって関所で一緒に連行されるのもイヤ)
普通ならそりゃ下半身までは調べないだろう。けれどもそんな怪しげなプライド高い娘を連れていた一行となったら詳しく調べられるのは言うまでもない。
そういうわけで。
「だから後ろと横を一直線になるように整えながら切ってちょうだい。そうすれば髪が短くても男の子には思われにくいもの」
「疲れて帰ってきた男を労うどころか更に世話させようてか。この俺に髪なんざ切らせんのはてめえぐれえだっつーの」
ぶつくさ言いながらもキースヘルムは優理の髪を綺麗に整えてくれた。
内側を薄く漉くようにしてもらえば毛先が顔の方へと丸くカールするボブヘアだ。これなら男の子には見えない上、女の子らしい。
「ふん。まあ可愛いじゃねえか」
「そうでしょう、そうでしょう」
「俺の腕がいいんだな」
「私の顔がいいからよ」
さすがにキースヘルムも呆れ顔になる。
「おいユーリ、謙遜って言葉知ってっか?」
「知ってるわ。私に備わった美徳の一つよ」
「未だかつてお前が謙遜したこたねえよ」
「うーん。やっぱり若草色とかがいいかしら」
優理はどんな格好がいいものかと考えて、キースヘルムの言葉は無視した。
「えーっと、私、フレドルクさんと夫婦のフリで出ていけばいいのよね? ギバティ王国で出会って結婚した可愛い若奥さんの私をキマリーにいる両親に見せに来たフレドルクさんと一緒に。そしてキマリーにいたフレドルクさんの妹に、いい結婚相手がギバティにいるから連れて帰るってことで」
「そうだ。だが、ギバティに直行する街道じゃあ顔を覚えられてる可能性がある。だからミザンガ経由で戻れ」
「分かったわ。新婚だから旅行も兼ねてるってことね」
「ああ。・・・だがユーリ。もしも露見した時にゃ令嬢は見捨てろ。礼金をもらって家族ってことにしたんだと言やぁいい。庇っても無駄死にだ」
「分かったわ」
フレドルクと優理は、どれだけ調べられたところでキマリー人じゃない上、平民だから普通に関所を通ることができる。引っ掛かるとしたら貴族令嬢の方だ。
「で、どの人を連れていけばいいの? 召し使いの人は連れて行かなくていいの?」
誰もがそれなりに態度が大きかったものだから、優理は全員貴族なんだろうなと思っていた。しかし中には貴族に仕える平民も混じっていたらしい。
所詮は貴族の側で仕えているだけに、命令することに慣れていた。それだけのことだった。
脱出すると決まり、改めて上階にいた人達の素性を尋ねて優理はそれを知ったのである。
「ああ? そんなんがついてなきゃ駄目っつぅ手間のかかるなぁ後回しだ。今、誰も彼も連れて出た奴ぁ見つかってやがる。だがお前ならかなり毛色が違う分、成功率は上がる筈だ。その成功率を落とすこたねえ。・・・その上でここに留まるか、運を天に任せて逃げてみるかを尋ねたんだがな」
はあぁっと、キースヘルムがガシガシとその金髪を掻きむしるようにして大きな溜め息をつく。その際にふわりと石鹸の香りが優理の鼻をくすぐった。
(これでキースヘルムも綺麗好きなのよね。洗濯と入浴、皆に徹底させてるし。おかげで屋上、洗濯物でいっぱいだけど、衛生的なのはいいことだわ)
それには高評価な優理だが、意外でもあった。こうして仕事をこなすキースヘルムはまともで健康的生活を心がけ、朝から晩まで走り回っている。
そして優理には食事を作ってもらっているからと、キースヘルムの手下達も早朝から洗濯や掃除を引き受けてくれたりした。
ある意味、キースヘルム達はブラック企業の最前線兵士なのかもしれない。
(本当は全て知ろうと思えばすぐ分かる。だけど知りたくない。知ったらきっと私、嫌悪感を隠せなくなる)
どうして貴族の彼らがこんなにも王族に怯えているのか。
実際、全ての貴族がひどい目に遭っているわけではないらしい。あくまで特定の貴族だけ。
(毒かぁ。そりゃ毒殺されようとしたなら、本気で叩き潰しておこうって思うわよね)
勿論、どの貴族の家だってそんなことに加担すると決めたのは当主だったりするのだろう。
だけど、
「親や兄達は王族を殺そうとしたけど、自分は無実です」
なんて言い分が通じるだろうか。
それをどうやって証明するのか。
何より遺恨を次の代に引き摺るぐらいなら、徹底的に処分する方を誰だって選ぶだろう。
(だけど毒なら実行犯はそうそう多くない筈よ。なのにここまでアタフタしてるってことは、その取り巻きをも粛清対象に入れてるってことね)
取り巻きというのも解釈が難しい。
力関係的に逆らえずに迎合しているだけのケースと、わざとおだてて誘導しているケースとがあるからだ。
つまり、時に無実かつ被害者的なスタンスだったりもするが、時に有罪どころか全てを操る黒幕であったりもする。
(まあね。別に私が正邪のジャッジをしなきゃいけないわけじゃない。だけど先に仕掛けた以上、反撃されることも覚悟の上であるべきだって思っちゃうのよ。私だってそうだもの。私だって遥佳や真琴に毒を盛られたら、犯人とその家族を殺すわ。だって生き残りがいたらまた狙われるじゃない)
真琴が傷つけられたと知った時、ギバティ王国の全てを壊そうかと思った。
いい獣人と出会って助けられ、真琴の傷が痕も残らず完治したから、こちらのあずかり知らぬことながらその責任問題は凄まじいことになっただろうしと我慢したが、そうでなければ自分はどうしたことだろう。
そうだ。自分は知っている。
一方的に大事なものを傷つけられた時、人がどんなに狂暴な感情を抱くのかを。
だから、それを思い出させる事態には目を背けてやり過ごしたい。
優理にとってそれはまだ生々しい記憶なのだ。
「だけどキースだって本当は見捨てて逃げ出したいんじゃないの?」
「まあな。どうせ金は受け取った。そのままドロンすりゃいい。が、成功例を増やしときゃ次回はもっとふっかけられる。どこの国だって色々あるからな」
「あまり欲をかかないことよ。程々のところで手を打っておいた方がいいわ。そうじゃないと結局は損するだけだもの」
キースヘルムは、横顔でフッと笑ってみせた。
「正論だ。だが、あえてその上で博打に出る。でなけりゃ男じゃねえ」
「屁理屈ね。だから、あえて言うわ。それだから男は馬鹿なのよって」
優理は、横を向いてハッと鼻で笑った。
「可愛くねえ」
「ごめんなさいね。私、嘘がつけない女の子なの」
適当なことを言ってはいるが、単にこの男はスリルを愛している、ただそれだけのことだ。
どうせこの状況から金を追加で巻き上げようとしているだけに違いない。
キースヘルム達は幾つかの隠れ家を確保し、それぞれに貴族達を匿っていた。
優理が過ごしていた建物には、どうやら年配な貴族が割り振られていたらしい。
他の隠れ家にいたという兄妹を、フレドルクと優理は連れて出ることになった。
「わあ、可愛い。双子なのね。幾つ?」
金髪の二人は青い瞳で、その巻き毛がくるくるっとしていてまさにフランス人形のようだ。
少年の方は首筋までだが、少女の方は腰近くまである髪を編みこんで一つにしている。
二人は本当によく似た顔だった。
「可愛いだなんて言われる年じゃない。お前こそ幾つだ?」
「私? もうすぐ18才よ」
一応は、若奥さん設定なのでサバを読んでいる優理である。
すると少年は悔しそうな顔になった。
「15才だ」
「そうなの。私はユーリ。よろしくね。えーっと、あなた達の名前は?」
どうも負けん気が強いらしい少年はフンッとそっぽを向いたが、一緒にいた少女の方は名乗る。
「私はエミリアよ。そして彼はロルファン。あなた、短いけどとてもチャーミングな髪型ね」
「ありがとう。・・・私はフレドルクさんの若奥さんってことになるんだけど、あなた達はフレドルクさんの年の離れた弟妹ってことになるわね」
二人は貧乏な子爵家の人間らしく、はっきり言えば支払金額が低かった。
『今、出てく貴族はまず失敗してんだ。まあ、そいつらなら失敗しても惜しかねえ』
そんな理由でキースヘルムも放り出す感覚で割り当てたらしい。
(貴族の子供って割には気さくな女の子ね。ロルファンの方も単に突っ張ってるだけって感じだし)
二人とも庶民の質素な服装を全く嫌がらず、正直なところ拍子抜けしたりもしたが、四人はうまくやれそうな感じだった。
フレドルクは三十代だそうだが、だからこそ幼な妻にめろめろといった設定らしい。
「ユーリちゃん。じゃあミザンガ王国経由になるが行こうか」
「はーい、フレドルクさん。よろしくお願いします。じゃあロル君、私のことは『お義姉様』って呼んでもいいわよ」
「誰が呼ぶかっ」
「ほーほっほっほ」
どうやらロルファンはちょっとからかっただけで反応するタイプらしい。
「あら。私は呼んであげてもよくてよ」
その点、エミリアはかなり柔軟な性格の持ち主らしく、にっこりと笑って優理の腕に自分の手を絡ませてくる。
ロルファンは優理よりも背が高いが、エミリアは優理よりも僅かに背が低い。
「ね。ユーリお姉様?」
「いやーん。なんて可愛いのっ。フレドルクさん、私、エミリアちゃんもらってもいい?」
青い瞳のくるくる金髪巻き毛。生きたフランス人形に「お姉様」呼びされて甘えられる自分。
うん、悪くない。
優理はついエミリアを抱きしめてしまった。
「それは駄目だ。二人に関しては首都脱出のみの契約だからな」
「ふぇっ? ギバティまでお持ち帰りするんじゃないの?」
てっきり国外脱出と思ったら、そうではないとか。
優理は目を丸くした。
「うふふ。私達は首都さえ抜けられたらいいんです。ね、ロルファン?」
「ああ。まあ、短い間だがよろしく頼む。フレドルク兄さん、ユーリ義姉さん」
首都さえ抜けたら後は領地に行けばどうにかなるということなのだろうか。
「え? じゃあ首都の近くに領地があるとか?」
「ううん。子爵家って言っても、かなり辺鄙な場所なの。それもとっても小さいわ。だから後は適当な村で質素に暮らすつもり」
「へー。なんか堅実なのね」
優理は改めて二人を見直す。
(この庶民臭さなら大丈夫かも)
驚いたことに、二人ともかなり生活力もあるそうだ。
「まあな。そこらの店の小僧ぐらいはできるしよ。畑仕事も慣れたもんだ」
「そうなのよね。私も小間使いとか、女中さんもできるし」
「へえ、貴族なのに凄いわぁ」
「そうだな。これなら大丈夫だろう」
フレドルクと優理はほとんど成功を確信し、出発した。
キースヘルムの手下であるフレドルクが優理との組み合わせに選ばれたのは、彼が性的思考として熟女好みだったことがある。
正直、フレドルクは年下の娘に興味を持てないのだ。
(なんだかなぁ。まるっきりガキ三人の引率って奴だな。ボスもこんな色気も何もねえガキのどこがいいんだか)
子爵家の兄妹はともかく、優理はキースヘルムのお気に入りだ。手を出そうものなら冗談ではないことになる。
フレドルクはどうして自分が選ばれたかを理解していた。
(やっぱ日頃から色気に溢れた女と床上手な男に囲まれてっからなあ。たまにゃあ淡泊な素人に食指が動くのかねえ)
そこらへんの疑問はあったが、単なる旅の同行者としてみるのなら、三人はあまり手もかからない。我が儘も言わないのでやりやすい仕事でもあった。
世間話をしていても、なかなか楽しい。まあ、三人が話しているのを聞いているだけだが。
四人は驢馬四頭にそれぞれの荷物を積んで、てくてくと歩いていた。
「え? エミリアちゃんってまだ社交界デビューしてなかったの? 15才なら貴族の令嬢ってデビューしてるもんじゃないの?」
「うちは貧乏だったから、ロルファンも私もそんな余裕がなくて。だからうちに私達兄妹がいるってことを知らない方も多いのよねー」
てへっと笑うエミリアはかなり気さくだと言うべきだろうか。普通、貴族なら恥ずかしくてそんなこと言いたくないだろうに、彼女はそれを何とも思っていないらしい。
だから身の回りのことは普通にできると、エミリアは言った。
「え? だけどそれならよくこの話に乗ったわね。かなり吹っかけられたんじゃないの?」
キースヘルムは遠慮なく大金を要求していた筈だ。たかがデビュー支度金すら用意できない家がその謝礼金を払えただろうか。
「ああ。うち、そもそもこの話に乗る気はなかったんです。正直、迷惑だったというぐらいで」
あっけらかんとエミリアが暴露する。見れば、ロルファンも肩を竦めて、まさに同意と言わんばかりだ。
驚いて優理がフレドルクを見れば、フレドルクも、
「え?」
と、茶色い目を丸くしていた。
「そう、あれは忘れもしない・・・・・・、えーっといつだったかしら?」
「そういうとこ、ホントいい加減だよね。二週間前だろ」
「そうだったかしら。まあ、大した問題じゃないわ。ロルファン、ちょっと神経質すぎよ。ま、そんな感じの二週間前、私とロルファンは朝ご飯の大きいソーセージを取り合いながら、その勝負の決着は夕ご飯のお肉に持ち越すと決まったのだけど、そこへお客様が呼んでもいないのにやってきたのです」
どうやら切実な食料事情が絡んでいるらしいと、優理は目を伏せる。
(ご飯の時、多めにソーセージ買ってあげよう。成長期に食べられないのは辛いもん。しかも二週間前の恨みをまだ引き摺ってるところが)
食べ物の恨みは恐ろしいことを優理は知った。
「我がディッダス子爵家の当主であるおじい様は、社交界のことなど面倒とばかりに無視して暮らしている本の虫なものだから、今回の件も完全に対象外。だから我が子爵家は外でどんなことが起きようと起きまいと貧乏なまま暮らしていく筈だったのが、その伯爵一家は事もあろうに、我がディッダス子爵家ならば誰も存在すら覚えていないだろうから匿ってくれと、そう言って押しかけてきたのです。ええ、迷惑なことに」
「それまで全く交流なんてなかったくせにな」
ロルファンもふわぁっと欠伸を手で隠しながら同意する。
「すると、そこへ、
『外国へ貴族を逃がす為に動いているんですが、そちらでは私共をご入り用ではありませんか?』
などという飛び入りの営業男がやってきて、本来は、
『間に合ってます』
で、放り出す筈が、なんということでしょう、その客の伯爵一家がそれに飛びついてしまったのです」
優理は非難がましい目でフレドルクを見た。
見境なくどこにでも売りこめばいいというものでもあるまい。
目は口ほどにものを言ったか、フレドルクは自分が曳いていた驢馬に向かって語りかける。
「こういうのは時間が勝負でな。契約は多くて困らんし、そいつもお貴族様の細かい事情までは分からなかったんだろう。しょうがないじゃないか」
言い訳の言葉を並べてから、
「お前だってそう思うよな?」
と、驢馬に同意を求めた。
驢馬は、近寄ってきたフレドルクが邪魔だったのか、ぶへぅっとくしゃみする。
「そんなわけで、その伯爵家一行は連れてきた使用人と沢山の荷物を持ってうちから去って行ったのですが、すぐに伯爵達が戻ってきたのです。何でもあれだけの荷物など持って夜逃げなどできるもんじゃないから処分しろと言われた上、使用人もせいぜい一人か二人にしろと言われた、と」
「そりゃそうよね。綺麗なドレスを沢山持って出ていこうものなら、すぐにばれるわ」
そこは納得の優理だ。
「そして事もあろうに、貧乏な我が家にそれを買いとってほしいと言ってきたのです。どうやら国外へ逃がすと言ってきた男達は、ここぞとばかりに値打ちものを安く買いたたく気だったようで」
「あー、分かるわ、それ。・・・だけどそんなの、エミリアちゃんちだって迷惑よねぇ。人んちの物なんて欲しくもないし」
そこでエミリアは溜め息をついた。
「ええ。ですが、さすが夜逃げの際にも持っていこうとしただけあってなかなかの細工物や美術品が揃っていました。国外に散逸するのはあまりにも惜しい。そう思ったおじい様は悩んでしまったのです」
「エミリアちゃんのおじい様、本当に真面目な方なのね。普段は交流の無かった相手に押しかけられても、そうやって対応しようとしてあげるだなんて」
貧乏なのに文化財保存を考えるとはと、優理も感心してしまう。
「そして伯爵夫妻は、もうさっきの客は戻ってこないだろうしと油断していた私とロルファンが、よりによってお掃除や馬の世話をしているところを見てしまったのです・・・!」
よよよと泣き崩れそうになるエミリアだが、歩いている最中なので、泣き真似だけに留めた。
「逃げるに際し、伯爵一家はほとんどの使用人を解雇していました。連れていたのは荷物持ちの下級な使用人達だけ。我が家も子爵家だから世話をする侍女ぐらいいるに違いないと、彼らはそう思いこんでいたのです」
「金持ちってのは自分を中心に考えるからやってられないんだよ、ホント」
うんうんとロルファンが頷く。
「えーと、つまり子爵家にはお世話をする侍女がいなかったのね?」
「ええ。現地で提供されると思いこんでたのです、あの伯爵家ご一行は」
フレドルクと優理は、どうして伯爵家一行がディッダス子爵家から一度は去ったのかを理解した。
「そうして使用人がいなくては着替え一つおぼつかない伯爵夫妻は、おじい様にその芸術品を安く譲る代わりに世話をする人間として私達を欲しいと言い出しました。私達なら貴族の作法も分かっている上、更にここまでオールマイティならばと」
優秀すぎる自分が憎いわと、エミリアはハンカチを目に当ててみせる。
(エミリアちゃん。普通、貴族って、使用人も雇えないのって恥ずかしくて口に出来ないことだと思うんだけど。しかもしれっと自分賛歌が凄すぎる)
どうやらかなり心臓は強そうだと、優理は思った。
そしてこの二人は全く首都を脱出する必要がないことに気づかざるを得ない。
「あのー、フレドルクさん?」
「えーっと、まあ、その、だな。こっちだってよその隠れ家のことまで詳しくは分からないもんだしよ。こういうこともあるんだ、ああ」
どうしてこの二人がデビューするお金もないのに、高額な支払金額を要求されるキースヘルム達の隠れ家にいたのか。
その理由を優理はもう悟っていた。
支払ったのは子爵家ではない。伯爵家だと。
「そうして私達はおじい様に物言わぬ芸術品と引き換えにぽいっと売られ、そうして伯爵一家の小間使いとして一緒に国外逃亡へと参加することになりました。ですが、隠れ家での生活が全く不便すぎるということで私達を連れて帰った伯爵夫妻は、どうせ国外には遠い親戚もいるのだしと、私達の分だけはケチって首都の脱出までしかお金を払わないことにしたのです」
「ひどいよな。あれ程、俺達をこき使っておいてさ。おかげで俺とエミリア、他の貴族の着替えまで手伝わされたんだぜ」
「私は別にかまわなかったけどね」
「そりゃエミリアはそうだろうけどさ」
ロルファンはかなり不機嫌そうだが、それだけ優秀だったのだろう。
貧乏は人を育てる。
「あのね、ちょっと心配なんだけど、その伯爵一家はどうなったの?」
エミリアは可愛らしく小首を傾げた。
「さあ? 私達よりもかなり早く出発した筈ですけど。出発する段階になって、やはり大人数だとばれやすいってことで、私達は後回しにされたんです。それなら私達、所詮はお世話係で連れて行かれただけだし、もう子爵家に戻ろうかなと思ったのですけど、せっかくお金を払ってもらっているなら首都を出てもいいかなって」
「・・・そんな理由で」
「だって無料だもの。ねー、ロルファン?」
「ああ。気晴らしにはなるだろ」
何ともいい加減な理由だったが、どうしてそこら辺を確認していなかったのか。
優理はフレドルクにそのあたりを問うような目で見上げる。フレドルクもそんな事情とは思っていなかったらしく、戸惑うような顔つきになっていた。
「しょうがねえだろ。ボスからは成功率高そうな奴を見繕えって言われてたし、この二人が一番お貴族様らしくねえってことだったんだよ」
「だけど意味がない道連れなんじゃないかしら」
そこでエミリアは優理のことに興味を抱いたらしい。
「あら。あなた、実はかなり優遇されてるの? もしかして本当はボスって人の愛人?」
「誰がっ!!! 冗談やめてちょうだいっ!! 私は今回の件で誘拐されてきた被害者よっ!」
怖気のあまり鳥肌を立てて優理が叫ぶと、エミリアは可愛らしく、
「うーん、だけどぉ」
と、人差し指を赤い唇に当てて考える様子になった。
「逃がす人に合わせるんじゃなく、あなたの為に逃がす人を選んだんでしょ? それってかなり特別なんじゃない?」
「やめてよっ。私は、単に入りこむのと逃げ出すのとの成功率を上げる為にっていきなり街角から誘拐されたんだからっ」
あの時の恐怖を思い出せば、優理だって恨み言が出る。
「えっ、何それっ。ひっどぉーい」
「そうでしょっ。いきなり街角で手足を拘束されてグルグル巻きにして運ばれて、そしてそれを外してもらった時は無一文で遠い場所にいたのよっ。ついてくるしかないでしょっ」
「まあっ、なんて非道なことをっ。女の敵ねっ」
「そうよそうよっ」
盛り上がる少女二人に、フレドルクはしっかり釘を刺した。
「あのなぁ、ユーリちゃんよ? あんた、被害者ぶってやがるが、ちゃっかりボスから謝礼金は巻き上げてるだろうが。しっかっも、たんのしそーにキマリー観光もしてやがったよな? 買い物だって十分堪能しまくってそれはねえんじゃねえか?」
「え? ・・・えへへ。そ、それはまあ、それはそれ、これはこれ。・・・というか、何故そのことを」
優理がたじろぐと、フレドルクは種明かしとばかりにとどめを刺してくる。
「言っとくが、俺達ゃボスの命令であんたの護衛に交代でついてたんだからな? 知られてねえと思ってるのはあんただけだ」
「・・・ありゃ? なら荷物持ちぐらいしてくれればよかったのに」
「なんで俺達が荷物持ちしなきゃならねえんだよ」
「だって、そんな背後から守られてたって言われても。・・・意味ないわよね?」
隣を歩いてくれていたなら、優理は自分で荷物を持たずにすんだのだ。
「冗談じゃねえ。あんなこっぱずかしい買い物になんざ付き合えるか。あっちへフラフラこっちへフラフラな買い物と観光に付き合わされたこっちの身にもなれや。キマリーならではの菓子だの何だのを食べ歩いてたあんたの背後で、こっちぁ侘しくパンだけ齧ってたんだぜ」
「うっ」
言われてみれば、女の子が好みそうな店や怪しげな店ばかり行っていた優理だ。
「はっ、何が誘拐被害者だ。小遣いと護衛付きで結構なことじゃないか。所詮、女の自己申告は話半分に聞いておけってことだな」
そうロルファンが鼻で笑ったものだから優理はじろっとそちらを睨んだが、全く効果はなかった。
関所に辿りつき、その行列に並んだ優理達4人だが、そこで名探偵エミリアが、
「なるほどね。全ての謎は解けたわ」
と、頷いた。
「ふっふっふ。私、どうして今までの人達がみんなここで見破られたのか分かっちゃったわ。ロルファンは分かる?」
「分からねえわけねえだろ。俺を見くびんな」
うふふと笑うエミリアに対し、ロルファンがぶっきらぼうに言い捨てる。
「え? どういうことなんだ?」
その秘密を知りたかったフレドルクが、二人に身を乗り出した。
「情報料くださいな。フレドルク兄様?」
エミリアは太陽のような朗らかな笑顔である。
(さすが貧乏貴族。ちゃっかりもらえるものはもらおうというところがせこい)
優理は自分のことを棚に上げてそんなことを思った。
「本当にこれで貴族かよ」
フレドルクも嫌そうな顔になったが、言われた通り渋々と銀貨3枚をエミリアに渡す。何故なら自分達にとっては重要な情報だからだ。
「簡単よ。あそこの関所の前にいるの、王宮で仕える兵士達なの。しかも一緒にいるのは王宮の小間使い達。つまり舞踏会とかでやってくる貴族達の顔を全て把握している人達なのね。だからここでばれちゃってたわけ」
「しかも貴族の奴らはあいつらの顔なんざ全然覚えちゃいねえ。だからどうしてばれたのか分からなかったんだな」
ロルファンの捕捉に、優理も納得した。
そして違うことが気にかかる。
「だけどそれを知ってるあなた達もばれるってことじゃないの? やっぱり引き返した方がよくない?」
二人は歩き続けの移動にも文句を言わず、更に一緒にいて楽しい兄妹だったから優理にも情が湧いていた。
この二人が捕まるところなど見たくない。
エミリアと優理が買ってきた軽食を野原で食べる時も、フレドルクが驢馬の世話をしている間にロルファンは自分から茶を手際よく用意していた。
エミリアはスカート部分が広がるワンピース姿だったが、その上につけていたエプロンは汚れてもいいからと、優理が座る所に敷いてくれるという親切ぶりだったのである。
さすがにそれは申し訳なかったが、
「なら、二人で一緒に座りましょ。だって女の子同士だもの。ね、ユーリちゃん」
とかいう理由で、仲良く座ってお喋りもした。
「ねえ、フレドルクさん。やっぱりやめた方がいいわ。だって元々二人とも自分ちにいれば問題ないわけでしょ。こんな所で牢屋に入れられたりしたら可哀想よ。引き返しましょう」
「あー。だけどユーリちゃんがなぁ」
「私のことはどうでもいいわよ。どうせ滞在が長くなったって大したことじゃないもの」
優理の気持ちは二人にも伝わったらしい。
「なんって可愛いの、ユーリちゃんったら。うふふ、私のところで可愛がってあげたぁい」
「やめろよ、エミリア。変な病気出すな。あー、どうなんだろな。どうせ俺達は見つかっても見つかんなくてもどっちでもいいんだ。首都を抜けたら領地に移動してもいいし、抜けられなかったらたとえ牢屋に入れられてもすぐに家に戻されるだけだからな」
優理をひしっと抱きしめてくるエミリアだが、どちらかというと可愛いのはエミリアの方だ。
なぜ自分はここで遠慮なく年下の女の子に強く抱きしめられているのだろうと、そこが理解し難い優理だが、日頃から様々な小間使い的な仕事を子爵邸でやっていたというだけあって、エミリアはけっこう力持ちである。
「もしもバレそうになったら、遠慮なく頼まれて家族のフリをしただけだって言ってくれればいい。俺達もちょっとお小言は食らうにしても、別にうちは粛清対象に入っちゃいない。まあ、時期が時期だけに本名を名乗れば首都からは出してはもらえないだろうが」
「そうなの?」
「そうなのよね。この時期、特に私達は無関係だからこそ出してもらえないのよ。だけど出られるなら出たいもの」
「そういうことなら遠慮なく、いざという時ゃ見捨てさせてもらう。まあ、一緒に抜けられるのが一番だがな」
しかし優理はフレドルクと違う意見だった。
「それなら牢屋なんて入らない方がいいでしょ。だってエミリアちゃん達が把握している人達なのよ。あっちに二人が分からないわけないじゃない。やるだけ無駄だわ。引き返しましょう」
そこでロルファンとエミリアは顔を見合わせる。
「あー、うん。だけど俺達はデビューしてないし?」
「そうなのよね。見つかるかもしれないけど、見つからない可能性もあるのよ。だって私達が顔を知ってたのって、単におじい様の乗った馬車、御者と小間使いになりきってお供していただけだから」
「・・・・・・」「・・・・・・」
フレドルクと優理が泣けてくるぐらいに貧乏すぎる悲話だ。
「ま、まあ、そういうことなら、ね」
「そうだな。それなら問題ないだろう」
そういうわけで、4人はその関所での取り調べに臨んだ。
さて。
かなり多くの人が集まる広間を通り抜け、荷を検められる。
けれども無事に通過できる人達の行列には戻してもらえなかった。
「この四人、それぞれ別室で取り調べろ」
4人に緊張が走ったのは、やはり駄目だったかというそれだ。
そうしてフレドルクは別の部屋に連れて行かれた。
そのやり取りが優理にも聞こえてくる。
「本当に家族なのか? それならば話は早い。お前も牢に入れさせてもらおう」
「ちょっと待ってくれっ。頼まれただけっ、頼まれただけだっ。ここを出たいからと頼まれて家族のフリをしただけなんだっ」
「本当だろうなっ」
「本当だ。だから見逃してくれよっ。俺だって金もらって家族にいい土産を買っていってやりたかっただけなんだよっ」
はああっと優理は溜め息をついた。
やはり王宮の兵士と小間使いの目はごまかせなかったのだろう。
(やっぱり小間使いだの馭者だのでも顔は覚えられていたのよ)
どう見ても顔そっくりな双子も別室に連れて行かれている。
そのやり取りが聞こえてきた。
「どういう関係か尋ねさせてもらおうか」
「あの二人とは無関係の間柄よ」
「ちょっと一緒に、旅は道連れってやっただけだ。しょうがないだろう。こっちだって子供二人だけで首都を出ようとしたら痛くもない腹を探られると分かっていたんだから」
優理は感動せずにはいられない。
(土壇場で人を裏切る人って多いってのに。自分達が牢に入れられるって分かってて、私達を逃がそうとしてくれてる。なんて立派なの。エミリアちゃん、ロルファン君)
そんな優理の前には、やはり取り調べにあたる人間がいる。けれども他の3人に比べ、優理の前にいる人間にはどこか高貴な印象があった。
言葉づかいも上流の人間らしさを感じさせる。
「あちらの3人とはどういう関係かお尋ねしましょうか」
「偶然行きあったから一緒に家族ってことにしただけだわ。別にいいじゃないの、それぐらい」
ふむと、そこで顎に手を当てて考える様子の青年は、甘いマスクの顔立ちだ。
何故かこの場には二人きりである。
「まあ、私も手荒なことをしたいわけではありません。ですが、あなたにはここに残っていただきましょう」
「へっ?」
ちょっと待て。
捕まるとしたらロルファンとエミリアではないのか?
(どうして私が? 私、キマリーの貴族になった覚えなんてないわよ?)
ほけっと変な顔になった優理の顔近くに唇を寄せて、その男が囁く。
「どうして我が国の事情に詳しいのかと疑問に思っていましたが、まさかあなたご自身がここに入りこんでいたからだとは。ですが、大事なお客人です。歓迎いたしましょう」
「・・・・・・・・・え」
その歓迎とは、一般的な意味には到底思えなかった。
何故ならその男の青い瞳は全く笑っていない。
「全く私がここに来ていて良かったですよ。他の関所を通られてしまえば、あなたの顔を見知っている人はいませんでしたからね。じっくりと間者容疑についてお話もさせていただきましょうか。ディリライトのハールカ姫?」
「・・・・・・・・・えーっと」
「まさか私をお忘れではないでしょう? ディリライト邸ではお世話になりましたし、あれ程にウルティードやエルルーカ共々、親しく交流させていただいたのですから」
さすがに顔が蒼白になった優理に、シンクエンはまさに王子様の微笑みを浮かべてみせる。
(やーばーいー。なんてこったーい)
まさかのまさかで、とっ捕まったのは優理だった。
キマリー国は、薄い色合いの髪の毛をしている人間が多い。勿論、濃い色の髪もいるが、やはり傾向として金髪や薄い茶色が多いのだ。
反対にディリライト諸島はほとんどが黒髪である。
そういう外見上の理由からも無関係と看做され、ぽいっと驢馬三頭と共に関所を放り出された三人だった。
「なんて意外な成り行きかしら。ユーリちゃんって何者だったの、フレドルク兄様?」
「何者も何も、普通の小娘な筈だ」
関所を通過できたのはいいが、どうして優理だけが別室に連れていかれて留め置かれたのか。
そんなこと、フレドルクにも分からない。だが、報告しないわけにはいかないだろう。
自分達は無関係とした以上、今の関所には戻れない。入りこむとしたら他の関所からだ。
(関所の外にある隠れ家に行って、誰かをボスの所まで報告させに行くか)
しかし、この子爵家の兄妹を放っていくわけにもいかない。
「えーっと、あんた達の行き先だが・・・」
「ああ。私達はもうここでいいわ。関所を抜けたら問題ないの。後は自力で行けるわ」
「そうそう。これでもそこそこやってける力はあるんだ。短い間だったけど楽しかった。フレドルク兄さん、元気でな」
それなら本気で自分達は必要なかったんじゃないのかとフレドルクは思うが、今はそれが有り難い。
自分の荷をまとめ直し、そうして驢馬に跨る。
「じゃあ、ここでお別れだ。こっちもユーリちゃんの件を知らせなきゃならん。気をつけて行けよ」
「ええ。フレドルク兄様もね。さようなら」
フレドルクが去っていくのを見送り、エミリアは呟いた。
「さて、どうしよっかな。ユーリちゃん、可愛かったし」
「何言ってんだよ。どうしようも何も、さっさとドモロール軍と合流した方がいい」
「そうだけどシンクエン様、頑張ってるみたいだしね。ならキマリー国内で片付けられるなら片付けた方がいいと思うのよ。だってほら、ユーリちゃんがいたっていう隠れ家、私達が把握してない場所だったじゃない?」
「まさか、・・・戻る気かよっ」
ロルファンが信じられないと言わんばかりに青い目を見開く。
「冗談っ。何の為に抜け出してきたんだよ。ここでしっかり叩いとく為だろうがっ」
「そうだけど、別にドモロール軍じゃなくてもいいわけだもの。まさか王族がこんな関所で取り調べに当たってるとは思わなかったわ。だけど、この程度の変装で私達を見破れないだなんてホント誰も彼もが情けないこと」
「いや、誰もが見破りたくない情けなさはそっちだろ。若作りにも程があるだろ。・・・それにあのシンクエン様がいりゃ、大抵の夫人や令嬢はあの甘い言葉をかけられたことがある。顔色も変わるだろうし、二重三重の包囲網じゃないか、この関所」
ロルファンがぼやけば、エミリアはうふふと笑ってみせる。
「ロルファンは一人でドモロール軍に合流すればいいわ。恐らくケイファスト様なりウルティード様なりがご一緒の筈よ。だけど私は戻るわ、ユーリちゃんの所へ。シンクエン様直々の取り調べだなんて可哀想なこと、放っておけないもの」
「いや、全然思ってないだろ、そんなこと。単に気に入っただけだろ。だけどあのシンクエン様がわざわざ二人きりになったんだ。どう考えてもクロだろ」
「そうなんだけど、あんな貴族令嬢、知らないのよね。ロルファンだって知らないでしょ? 黒髪に染めたにせよ、全く見当がつかないのよ。それにギバティ王国の街角でグルグル巻きにされて連れてこられたって言ってたけど、あのフレドルクだって否定しなかったし、なら無関係でしょ。どうしてシンクエン様、彼女を拘束したのかしら」
「そりゃそうなんだけどさぁ」
勘弁してくれよと、泣き声になるロルファンだ。
何の為に邸ではなく、あの変わり者が住むディッダス子爵家に居候しに行ったのか分からないではないか。
自分達はこの首都にいなかったことになっているのだ。
「だって私達が抜け出せたってことは、他にも抜け出せる人がいるってことだもの。ここは早めに叩いておかないといけないじゃない?」
「そもそも双子設定であんたと俺とを見破れるわけないだろ。よく似た顔ってんで俺に影武者やらせてたくせして。おかげで首都じゃ俺のこと知ってる奴の方がいないんだぜ」
ロルファンは、領地暮らしの病弱な寝台の住人設定されていた。
そんなロルファンに、
「えーい。さっきからそんな可愛くないことを言う口はこれかなぁ?」
と、エミリアはちょいっとその頬を軽く抓る。
「やめろよっ。もういいよっ。戻ればいいんだろっ、戻ればっ」
「別にロルファンはドモロール軍に合流していいけど?」
「あんたを一人で放置できるかっ。俺が怒られるじゃないかっ」
「怒られるとしたら、弟を放置した私ってことになると思うんだけど」
エミリアはにこにこしながらロルファンの頭を撫でた。
「全くもう、そんなに私が好きだなんてロルファンったら可愛すぎるんだからぁ」
「可愛い言うなっ」
その手をロルファンがパシッと振り払う。
「あー。だけどこうやって膝を屈めて歩くのっていい訓練になるけどきつかったわぁ」
ウーンと言って腰を伸ばしたエミリアは、ロルファンよりも背が高くなった。
「せめて俺と同じぐらいの背にしとかないからだ」
「どっちにしても辛さは変わらないわ。ロルファンもやってみたら? 何事も訓練よ。せっかくの童顔、活用しなきゃ損ってもんだしぃ」
「何言ってんだよっ、あんな甘えた声ばっか出しやがって。よくぞ恥ずかしげもなくっ」
「うふふふ。可愛かったでしょ。あらやだ、禁断の恋になんて落ちないでね」
「誰がだっ、気色悪いっ」
今の二人を見たら双子の兄妹ではなく、よく似た顔の姉弟だと誰もが判断するだろう。
可愛らしい笑顔でにこにことしていたエミリアの時ならば15才でロルファンと双子と言われても納得できたが、今はその大人びた表情といい、ロルファンよりも背が高い事実といい、よく似た顔でも同い年ではないと分かる。
きゃんきゃんとがなり立てるロルファンを歯牙にもかけず、エミリアは、
「さぁて、あなたの正体は誰だったのかしらね、ユーリちゃん」
と、まさに舌なめずりするかのような表情で関所を振り返った。
さすがに遥佳の名前を出されたら、目の前にいる人物について優理も慌てて探る。
(王族だったのっ。なんでそんな人がこんな所にいるのよぉっ)
しかもディリライトでの日々はともかくとして、シンクエンは貴族達の処刑にかなり立ち会っている男ではないか。
大慌てでシンクエンの過去をざーっと見ながら、優理は本気で帰りたくなった。こんなことならキースヘルムの隠れ家にいた方が平和だった気がする。
(うわぁ、何こいつ。そこまで第二王子とやらが可愛いわけ? それとも第一王子が大事なわけ? どっちが理由か分かんないけど、よくぞここまで汚れ仕事を引き受けたわね)
はっきり言ってドン引きだ。
それこそ舞踏会で居並ぶ貴婦人を口説いていればいいだけの顔と背景を持ちながら、この男は貴族達を粛正する総責任者である。
(縁起わるー。やだぁ、陰湿さが感染しそー)
優理は、フレドルク達三人が関所を通過した後、関所の中にある一室へと連れてこられていた。
そして椅子に座らされている。しかしシンクエンは行儀悪く執務机に腰掛けながら、向かいに座る優理を見下ろしているときたものだ。
(せめて私の前にも机が欲しいわ。こういう時の机って、自分を守る盾なのね)
けれども優理は挑戦的にシンクエンを見上げた。
「悪いけど、そのハールカ姫って何のこと? 私、分からないんだけど」
「私をお忘れだと?」
あくまで起こった出来事しか優理は探れない。
けれども間者容疑といったところで、シンクエンは自分に何もできないだろうと判断し、優理は強気に出てみた。
ディリライト首長を怒らせたらとんでもないことになるからだ。この男が可愛がっていた第二王子ウルティードはディリライト邸で保護され、遥佳はその姪として一人娘と同様の扱いを受けている。
仮にここにいるのが遥佳自身だったとしても、シンクエンは自分を害せない。
キマリー国はディリライトに対して大きな借りがあるのだから。
「ディリライトだなんて行ったこともないもの。あなたとも会ったのは初めてよね? もしかして過去にあなたをフッた人に私がそっくりだったの? それなら忘れなさいよ。他にもいい女は沢山いるわ」
「・・・たしかにあのハールカ姫ならそんなことは言わなさそうだが」
どちらかというと人に遠慮ばかりしていた遥佳とは似ても似つかない性格に、シンクエンも戸惑った表情を浮かべ始めた。
「知らないわよ。誰かに似てるだなんて言われて嬉しい女がいるとでも思ってるの?」
「しかし声はそっくりだし、顔もそっくりだ」
そりゃ三つ子ですから。
ここは生き別れの姉妹設定でいくべきか。
互いに存在を知らないだけでよく似た顔の親戚同士だったというオチに持っていくべきか。
世の中には同じ顔が三人いるのよと言い張ってみるべきか。
(ヴィゴラスはとっくにイスマルクを連れて行ったし、そろそろ遥佳を迎えに行ってるわよね。なら遥佳が変なことに巻き込まれる心配はしなくていいかしら)
元々、遥佳のことは案じていない優理だ。ディリライト島では一番の権力者に庇護され、更にヴィゴラスが傍にいるなら遥佳は安心だ。悪意ある者が近づくだけで遥佳にはすぐ分かる。
だから探る必要さえないと割り切っていた。
(そう考えると一番無力なのは私なのよね。切ないわぁ)
この期に及んでもそういうことを考えられる優理の神経構造は三人の中でもピカイチのタフさを誇っている。
その内心のセリフを知ったら遥佳と真琴にも何らかの言い分はあったことだろう。
「よくあるのよね。君は初恋の人にそっくりだとか、幼くして亡くなった母にそっくりだとか言って口説くのって。だけどあれ、女にとっては嬉しくも何ともないのよ?」
「生憎と私の初恋は君とは似ても似つかないし、うちの母は存命だ」
「あらまあ。じゃあ、私の黒髪があなたにとって特別な誰かを思い出させるのかしら? どんな人? 男性?」
この国では珍しく、第一王子は黒髪で、第二王子は黒に近い焦げ茶色の髪だ。
キマリー国人のほとんどは、薄い茶色か金髪である。
「たしかに君はハールカ姫じゃない。よく分かった。あの人の気持ちを大事にする姫なら、そんなことは決して言わない」
いいように手玉に取られ始めていると分かったのだろう。
シンクエンは頬を引き攣らせながらそう睨みつけてきた。
「女を美化するもんじゃないわ。どんな女も一皮剥けば聖女じゃないってことに、人はいつしか気づくものなの」
わざと話を下劣な方へと持っていきながら、
(どうせならディリライトへ送還とかしてくれればいいのに。無料でディリライト旅行ができるわ)
と、優理はそんなことを思う。
やはり自費よりは他人の金で旅行する方がお得だ。
そこへトントンとノックの音が響き、兵士が入ってきた。
「すみません。その娘の連れだった双子がやってきて、彼女に会わせろと。そしてあなた様の正体もご存じらしく、ディッダス子爵家のエミリアとロルファンだと名乗っております」
「ディッダス子爵家? だが、あそこは・・・。いや、ロルファン? ロルファンと言ったか?」
「あ、はい。ディッダス子爵家令嬢のエミリア様とロルファン様だと」
シンクエンの確認に、そんな自己申告など眉唾モノだと思っていた兵士は改めて言い直す。
「お連れしろ。丁重にだ」
しばらくしてエミリアとロルファンが姿を現わした。
優理はガタッと椅子から立ち上がる。
「エミリアちゃんっ、どうして戻ってきちゃったのよっ」
「だって可愛いユーリちゃんを放っておけないもの。・・・先程はああいう場であなた様のお名前を口にすることができなかったとはいえ、ご挨拶もせずに失礼な真似をいたしました。ディッダス子爵家のエミリアと申します。こちらは弟のロルファンでございます」
まさに貴族令嬢らしく、シンクエンに向けて恭しく膝を折ってエミリアは挨拶した。
そして貴族令息として礼をとるロルファンを、シンクエンがその青い瞳を丸くして見つめる。
口をパクパクしているのは、エミリアの背が伸びているからだろうか。
「ねえ、エミリアちゃん。いつの間に育ったの?」
自分より背が低かった筈なのに、今のエミリアはロルファンよりも背が高い。
その事実に、優理はきょとんとした顔で尋ねた。
「うふふ。双子ってことにしておいた方がばれにくいと思って。本当は私、ロルファンより年上なんです。頑張って腰を屈めて背を低く見せかけていたんだけど、さすがにこのお方の前でユーリちゃんの所に行こうと思ったら嘘はつけないでしょう?」
少しおどけたような口調に優理の瞳も潤む。
「だからって、わざわざ戻ってこなくてもいいのに。なんでそんな馬鹿な真似するのよっ」
けれども理由なんて優理にも分かっていた。一度は関所を抜けることができた二人が戻ってくる理由なんて一つしかない。
優理よりも背が高くなったエミリアは、女性にしては背が高かった。たしかにこれでは特徴がありすぎて、すぐにばれたかもしれない。
優理に詰られたエミリアは、困ったような顔で優しく微笑む。
「だって私達、お友達だもの。そうでしょう?」
「エミリアちゃんっ」
「ユーリちゃんっ」
ひしっと抱き合う二人に、シンクエンは白い目を向けた。
そして同じく呆れたような顔をしているロルファンに話しかける。
「これは一体どんな茶番なんでしょう? それに病弱で寝台から離れられないというロルファン殿と私はよく顔を合わせていたような気がするのですが? そうですね。その時のあなたは違う髪型でしたか」
「申し訳ございません。ですが私としても好きであの人の影武者をやらされていたわけではございません」
その一言でシンクエンは事情を悟った。
ロルファンも優理の前とあって、言葉を選んでシンクエンに説明したのである。
「なるほど。影武者ね。道理で」
「はい。やっとこれであの鬱陶しい髪を切ることができたと安心していたのですが」
「そうですね。短い髪だから気づきませんでしたよ」
そこでロルファンはシンクエンに問いかけた。
「ところであのユーリ嬢はどういう方ですか? ギバティ王国の市井に暮らしていたのを連れてこられたという話でしたが、わざわざ留め置かれたということは、貴族令嬢だったのでしょうか?」
「ギバティ王国の市井暮らし?」
「あ、はい。そう聞いております。今回、貴族達から謝礼を受け取って国外に逃がす為のそれを手伝うようにと、素人っぽい人間が必要だからとグルグル巻きにされて連れてこられたとか」
「なんと。そんな商売を行う奴らがいたか」
シンクエンの目が光る。
どうして二人が戻ってきたのか、それは自分にも関係すると分かったからだ。
「その根城をご存じか?」
「ある程度は。そこのユーリ嬢も一つはご存じでしょう。私共はそれを知らせる為に首都外へと出るつもりでしたが、こちらにあなた様がいるのをお見かけしましたので、それならばと戻ってきた次第でございます。なんと申しましても、現在、王宮やあなた様方の城は全て閉ざされており、そこに接触しようとするよりも、ドモロール軍に合流した方が確実かと思っていたものですから」
その二人の会話が聞こえていた優理が、ぴくっと肩を震わせる。そしてそろーりと顎をあげてすぐ傍にあるエミリアの顔を見た。
そんな優理を抱きしめていたエミリアは、とても優しい顔で見下ろしてくる。
「うふふ。あのね、ユーリちゃん。我がディッダス子爵家は全く今回のことに関係していないけどぉ、王家に忠誠を誓うことには変わりないの。だからそんな貴族を逃がす集団がいるとなったらおじい様だって私達を潜りこませて探らせちゃうわよね? だから、ね? 協力してくれるわよね?」
「・・・エミリアちゃん。まさかあなた、わざと入りこんだとか?」
「うふふふふ。瓢箪から駒って感じでしたわぁ」
可愛らしい子猫の正体は凶悪な山猫だった。
そんな気分になる優理だ。
「勿論、そうなればこちらのユーリちゃんの罪は問わないって約束してくださいますわよね?」
顔だけ振り返ってシンクエンに確認するエミリアは、どこまでも笑顔を絶やさない。
シンクエンは考えた。
(ここまで似ていてハールカ姫と無縁なわけがない。だが、そこを追及して得られるものは何もない。ならば不問にした上で、その貴族を逃がしているという集団の情報を取った方がいい)
実際にディリライトの間者だったとしても、キマリー国にとっては第二王子の暗殺を阻止してもらったという大恩があるディリライトだ。
そしてギバティ王国の市井の娘ならば、全くもって意味のない小者だ。
どちらにせよ、この娘は解放するしかない。ならばもらえる情報はもらうべきだろう。
それでもすぐには答えられず、シンクエンは、つい小声でロルファンに尋ねた。
「ロルファン殿。・・・いや、その、だな。かなり気に入ってらっしゃるのか?」
「そうらしいですね。ただの変態だと思ってやってください。俺、いえ、・・・私の不幸はその弟に、しかも同じ顔で産まれたことだったと、たまに思わないとやっていられなくなります」
ロルファンの言葉には、どこか虚無が漂っている。
「変態か」
「あれを見て、変態じゃないと言う男はいないと思うんです」
目の前では可愛らしい金髪の娘が、戸惑う黒髪の娘を抱きしめて愛でているといった光景が繰り広げられていた。
かなり倒錯的だ。
(どいつもこいつも、この顔に惹かれるのか? 何なんだろうな、一体)
シンクエンの脳裏に遥佳のことを「可愛いよなっ」と、べた褒めしていた第二王子ウルティードの顔が浮かぶ。
けれども気を取り直したシンクエンは優理に向かって甘く微笑んだ。
瞳は全く笑っていなかったが。
「勿論ですよ、ユーリ殿。あなたが私達に協力的であるのなら、私達も協力的でいられることでしょう」
優理は悟るしかない。
(ああ、詰んだ。・・・エミリアちゃん。あなたが戻ってきてくれない方が、・・・よほど良かった)
あのままなら、適当にシンクエンを挑発しまくり、更に遥佳に対して借りがあることを思い出させ、どうにかこうにか言いくるめられたであろうものを。
もしかしたらディリライト無料(強制送還)旅行だってできてしまったかもしれない。
自腹で行けばどれだけ旅費がかかったことか。
なのに・・・。
(そりゃ無罪放免を約束させてくれたのは嬉しいけどっ。その気持ち「だけ」は嬉しいんだけどっ)
思いっきり損した気にしかなれない。
だけどこの場合は仕方ないのだろう。
優理は悄然と項垂れてしまった。




