19 優理は隠れて過ごしていた
首都ギバティールの中でも、王城や大神殿がある地区から少し離れた場所にある街ティネル。
その街を根城にしているキースヘルムも、無駄に優理だけを見つけ出そうとしていたわけではない。
確実な行動こそが大事なのだ。
あちこちに貼り紙が出された時から、それらしき子供を見つけた奴がいれば横取りしろと命じ、様々な地域に手下を出向かせていた。
各地から戻ってきた手下達にも疲労が浮かぶ。
「しっかしよぉ、やらかしてくれっぜ。何が幼女だ。十代になってりゃ幼女とは言わんだろうがよ」
「全くさ。平和ボケした国王様ってなぁどうしようもねえよ。しかも髪の色も違うって話じゃねえか」
「おいおい。それ、本当なんだろうなぁ。実は年も髪の色も違う偽者が出たってだけじゃねえの」
「知らねえよ。・・・けど、そんならこの情報もいらんのかねぇ」
「何だよ、おい」
「いや。実は三人の幼女を連れて国外に出たって男の目撃情報があんのさ。だが神子様なら国外に連れ出す必要はねえ。だからどうするかって報告だけ寄越してきたんだ」
「けどよ、ドリエータでグリフォンに乗ってったってのがニセモンなら追いかけといた方がよくねえか?」
「偽者ねぇ。グリフォンに乗れるなんざ神子様以外にいねえだろ」
「それこそ何かの手品だったんじゃないのか。あり得ねえだろ。それよか、その三人のガキっての追った方がよくねえか」
てんでばらばらに口にするのは、国中が注目している神子の行方についてだった。
「そのドリエータの神子様とやら、何でも神官がグリフォンに乗せて逃がしたって話じゃねえか。なら神殿は神子様を隠してたってわけだろ? 本当は自分らで神子様を隠しといて、世間で探し回ってる奴らをせせら笑ってたんじゃねえの?」
「いくらなんでもそんなこたねーだろ。隠すより出した方がよっぽどいいぜ。信者も大喜びってもんよ」
「どーだろな。聞いた話じゃ、実は十代って話じゃねえか。なら婿探ししててもおかしかねえ。神殿でいい男を見繕う間、邪魔されねえようにしてただけじゃねえの?」
「言えンな。大体よぉ、幼女なら金になるってぇ話だが、十代の娘っ子となりゃ話は別さ。まずは手にした奴のもんってこったろ」
「違いねえ」
「そりゃうちのボスも目の色変えるわな」
久しぶりに顔を合わせた者同士での会話は、酒が入ってたこともあり、なかなか賑やかなものだ。
その喧騒が聞こえる部屋で、キースヘルムは苛立った様子をみせながら手下達の報告を聞いていた。
「そうか。カイネもまだ見つけてねえか」
「へい。仕事の合間にあちこちを捜してますぜ。あの占い師と親しかった少年達の家まで見張らせてますわ」
「ふん」
「今日は街角でレイスともやり合ってましたね。レイスも、そんなガキのこたぁ諦めろってぇ姿勢のようです」
「そうか。ドレイクはどうだ?」
「レイスと同意見のようで、そろそろ実力で止めそうな顔しとりやした」
報告していた男は、そこでキースヘルムの横顔をそっと窺う。
「あのぅ、ボス。まだその占い師を見つけなきゃならんのですかね。いえ、ドリエータに行っている騎士や神官ン中にも、うちが脅してある奴らも紛れてますんで情報はちゃんと来ますし、もうそんな占い師のことをいつまでも・・・」
「だからてめえはいつまで経っても三下なのさ」
低い声が、まさに鋭さを放った。
「たしかにどこにでもいるような小娘だ」
「なら、どうして・・・」
「だが、あのカイネを見たろうが。利き腕を失ってチンピラな用心棒に成り下がってた野郎が、ここで大暴れしてまで捜す小娘だ。この俺もな。それがただの小娘だと思うか?」
キースヘルムの黄緑の瞳が鈍い光をもって男を睨みつけた。
「あの小娘を攫いやがった奴を見つけたら殺せ。そしてカイネが見つけ出したなら、何が何でも取り戻してこい。その時は何十人連れていこうがかまわん」
「はっ、はいっ」
脱兎のごとく、男は部屋を飛び出していく。
一人、取り残されたキースヘルムは、そこで少し考えこむような顔になった。
(だが、女は男で変わる。あの小娘もまた変わらされたか。どいつが攫ったにせよ、半殺しでも生ぬれえ)
自分の心を射抜いた焦げ茶色の瞳。女としての魅力は全くなかった上、男を喜ばせる会話すらヘタクソだろうと、誰でも分かる。
(酌ひとつマトモにできねえタイプだ。だが、それでもいい。あの首飾りをどう使うかと様子見するつもりが、いきなり拉致されるたぁな。あんなプライドだけは高い小娘なんざ、適当にあやしてうまく使うべきだったってのに。どこの阿呆がむざむざあいつをぶっ壊しやがった)
あの存在が、既に自分が気に入った小娘ではなくなっているにしても。
その時はその男もろともこの手で殺さねば気がすまない。
たとえ本意ではなく連れていかれたのだとしても。
キースヘルムやカイネ、そして捜しまわっている手下達の頭の中では、拉致した男から一方的に辱められ、暴力に屈して言いなりにさせられている筈の優理だ。
しかし優理は拉致こそされていても、衣食住の世話を全て男にしてもらい、すやすやと惰眠を貪っていた。
そして今日もレイスが部屋に戻れば、優理は寝室で眠っている。
(どれだけ体が弱いんだ。これではキースヘルムにはついていけんだろう)
キースヘルムは自分がそうであるように、周囲の人間にも強さを要求する男だ。愛人も精力的で自信たっぷり、はちきれんばかりに元気な女が揃っている。内気でおどおどしていたり、引っ込み思案だったり、耐えて忍ぶといったりするようなタイプは、最初から切り捨てるか使い捨てにしてきた。
そうでなければ自分が弱くなるだけだと思っている。
力で全てを従えてきた人間は常に強さを追求し続けねば下の者がついてこない。それをキースヘルムはよく分かっている。
(俺にはできん生き方だ。命の炎を燃やし、どこまでも太く強く明るく生きるなんざな)
眠っている優理の長い黒髪を一筋すくえば、さらさらと指の間を通って落ちていった。
このまま首を絞めれば、ナイフを突き立てれば、人は簡単に死んでしまう。
そういう仕事をしていればこそ、人が生きている存在だということを考え始めたら仕事ができなくなる。だけど、人は人を求める生き物だから・・・。
男は仲間だけでいい。女はひとときの相手だけでいい。子供は仕事先での演技だけで十分だ。
(男も女も、時には子供も殺してきた。必要とあれば利用してきた。・・・お前なら変わらずにいてくれるんだろうか)
人は変わる。
今まで仲間だった男達も金や女に狂い、博打や酒に溺れ、そうして自分達を裏切った。
女を大事にすれば、いつかその女は愛情を逆手にとって裏切る。もしくは自分を愛しているならと、レイスに変わることを要求する。そうして彼女が行きつくのはレイスを破滅させる行動だ。
子供を可愛がれば、その子が今度は人質として狙われてきた。
(男でも女でも、大人でも子供でもない、そんな奇跡のような存在。・・・お前なら)
いずれは女らしくなるとは言っていたが、もしかして特定の年齢で性別が決まるとかいった種族の血を引いているのだろうか。だが他大陸に暮らす種族の特徴は、人間にはほとんど知られていない。
(とりあえずはまたクルンを飲ませておこう)
レイスはクルンの実をすり潰し、小さなカップに入れた。
優理の上半身を起こして口移しで飲ませれば、やがて小さく睫毛が震えて焦げ茶色の瞳が現れる。
「いいから寝てろ」
「だ、いじょう、ぶ。起きる・・・、こほっ、・・・ごほっ」
「かなり声が掠れてるな。朝から寝ていたのか」
「ん。ちゃんと、お昼は、食べた」
「そうか」
レイスは夕食を作ることにした。
「手伝うわ。何すればいい?」
テーブルの方へと起きてやってきた優理に薄着を非難するような視線を送り、レイスは自分の服をその肩に掛ける。
「着とけ。体調を崩す真似はするな。医者だって取り込まれてる」
「あ、うん。ありがとう。だけど、病気じゃないし」
「そうか」
種族的に短命なのかと、レイスは思った。
だが、それを同情すべきではないだろう。生き物はいつか死ぬ。
それまでの時間をいかに満足して生きるかが全てだ。
短くても輝いた日々を送った人がいたように。長くても腐った日々を送った人がいたように。
「お前の家は扉も修復されたそうだ。大家が心配している。カイネと俺にはキースヘルムの監視がついていた」
「そっか。うん、ありがとう。このフライも美味しそう」
街角で買い求めてきた鶏やチーズや野菜のフライを渡せば、優理がそれを皿に盛りつけていく。
レイスは手早く燻製ベーコンと野菜を刻んでスープを作った。
「カイネの手下達にも監視がついてる。お前、本当はとっくにあいつの女だな?」
「ちっがっいっまっすっ。あり得ないわよっ」
「そうだな。どう考えてもあいつのタイプじゃないんだ」
レイスには、今回そこが理解できない。
(神子姫の新しい情報は少しずつでも入ってきてる気配がある。ならばこいつに固執する必要はない筈だ)
レイスが優理を気に入ったのは仕方ない。生きた人形のようだったそれも、喋らないだけで生きている気配はちゃんとしていたし、性別がないのも都合がいい。
だが、キースヘルムは違う。
あの男は男であれ女であれ、精力的な相手を好ましいと思うタイプだ。人形になど興味はない。
「なんでキースヘルムのタイプなんて知ってるわけ? まさかレイスも、じゃないでしょうね?」
パンを切りながら、優理が疑いの目で尋ねた。
スープのついでに湯がいた野菜でサラダを作ると、レイスはそれをテーブルに並べる。
「互いにあり得ん。あいつは、挑発的で肉感的な女が好みだ。男もな。あいつが何かの折に大規模な宴会を開いた時は三日三晩、酔っ払った男と女が荒れ狂ったが、その三日間を精力的に楽しんだ女があいつの専属になったぐらいだ。ほら、食えるだけは食え」
「・・・よその世界でやってちょうだい。いただきます」
せっかく揚げたてのフライなのにと、優理はとても嫌な気分になった。
買ってきた惣菜とささっと作った料理だが、栄養バランスは問題ないとみる。
「俺は、ああいう騒がしいのは醒めるタイプだ。だからつまらない奴と思われて、キースヘルムのお眼鏡には適わない」
「・・・私も適わなくて結構よ」
「理性を吹き飛ばして自由になろうぜってのがあいつらの言い分だ」
「・・・理性を吹き飛ばして残るのは、ただの野獣です」
「だが、そんなあいつはお前にご執心だ」
「心の底からお断りよ」
うぐっと優理は食べていたフライをのどに詰まらせそうになった。
「そうだな。まあ、あの男も理性を飛ばさん奴を気に入ることもなかったわけじゃないが・・・」
「なんで知ってるのよ、そんなこと」
「こっちに出てくる時にあらかた調べたからだ」
「・・・どんな調査よ、それ」
するとレイスは馬鹿にしたような目で優理を見る。
「新しい場所に出る時には勢力図と動向は調べる。当たり前だろう」
「そりゃご立派ね。どこの外国進出企業よ」
「ミザンガのギバティ進出集団だな」
「いや、真面目な返事を期待していたわけじゃなくて」
優理はスープを飲んで気分を落ち着かせた。
「もし運悪くキースヘルムに捕まってしまっても、そこで泣き寝入りするなよ?」
「どう考えても泣き寝入りしかできないんじゃないの?」
自警団はあるものの、彼らが取り締まるのはケチなコソ泥程度で、巨悪とは癒着している気配も濃厚だ。
優理はか弱き婦女子が踏みにじられる社会にもの申したい。
「しくしく泣いてる女はあいつの好みじゃない。そこで、
『自分の人生を狂わせたなら責任を持て。慰謝料として一つの店なり何なりを手当てとして渡すよう要求する』
と、そうやらかした女は面倒をみてもらったらしいが、そうじゃない女はすぐに捨てられて終わりだった筈だ」
「・・・普通、誰がそんな気丈な交渉できるってのよ」
「それをやれば気に入られてまだ世話してもらえるが、そうじゃないなら打ち捨てられるってことだ。変な世界に売られたくなかろう」
「・・・人を何だと思ってるの」
「人は落ちたら浮かび上がってはこれん。だが、お前ならまだ交渉の余地はある」
レイスはその赤茶けた瞳を優理に向ける。
「たとえ胸がなかろうとあいつは気にしない。たとえお前の情報屋としての能力を発揮させる為に気を持たせようとしただけであっても、それでも最愛の女とまでやらかしたんだ。十分にそこらの女より勝算がある」
「・・・なんでそれを」
「店先だけじゃ詳しい鑑定はできないってんで、カイネがあの首飾りを持ちこんできたからな。うちでもお前を確保するかどうかの話し合いがもたれたが、かなり良い石を使ってたぞ」
そこでレイスは肩を竦めてみせた。
「カイネが頼むからやめてくれと言ったからな。だからやめた。甘いと言われようが、俺達は仲間を大事にし合う」
「だけどうちの鉄格子、切ってたわよね?」
「俺達の仕事の都合上でお前を確保するかどうかと、俺個人の入手とは別だろう?」
「そこにどんな仲間への友情があるのよ」
所詮はこいつもキースヘルムと同類だと、優理は思わずにはいられない。
嘘をつかない姿勢は褒めてやってもいい。知っても全然嬉しくないことばかりだが。
しかも優理の非難を鼻で笑って終わらせた。
「さ。そろそろ湯に入れ。俺は入らないから長風呂でいい。下にはもう誰もいない」
「はぁい」
レイスが風呂に入らないのは、必要ないからだ。
汗をかく度に湯を浴びていたのを優理は知っている。
(綺麗好きなのはいいことだけどね。それに私にも手を出してこないし)
けれども人間づきあいとして、雑談は大事だ。ふと尋ねてみる。
「ねえ、レイスってば一日に何回もお湯浴びてるのよね? そんなに綺麗好きなの?」
「まあな。体臭はつけないようにしている」
「へえ。汗臭くないようにって、けっこう周りに気ぃ遣ってんのね」
「ああ。痕跡を残すべきじゃない」
「・・・・・・はい?」
「どこで復讐者を見つけるかも分からん。手がかりを残さないってのは大事なことだ」
「・・・はい?」
「この稼業、現場に髪一本残してくるべきじゃないからな」
「そーですか」
人間嫌いの妖精オタクの暗殺者生活を知ってしまった優理は、遠慮なく湯を使わせてもらうことにした。
(それでもまだレイスの方が見てるのマシなのよね。キースヘルムなんて、あまりにも猥雑すぎて耐えられなかったもの。カイネさんは本気で心配して動いてくれてるから、さすがに罪悪感で見てるの耐えられない)
そんなことを思う。
今日はずっとレイスの様子を探り続けていた。
だからそれなりに信頼感も生まれている。
(てか、本気で女と思ってないわよね。無性って知ってるからだろうけど。この恋人契約って私にとってかなりいいかも)
浴室から出てきたらとっくに寝ているレイスだ。
優理はその隣に潜りこんで自分も寝ることにした。
今日は自分の知らない世界を見過ぎた。だからもう疲れちゃった。おやすみなさい・・・。
ギバティ王国の首都ギバティール。あちこちに点在する全ての神殿は大騒ぎだ。
何がどうしてこうなったのか。
いきなりの知らせに神官達も右往左往するばかり。
「まだ見つからんのかっ」
「何をとろとろとしておるっ」
「ですが神子様ということを伝えずに見つけるのは、あまりにも」
「ええいっ。言い訳などするなというのにっ」
勿論、神子だと伝えて捜索すれば、もっと多くの人を動かせる。
しかし神官以外の人間に見つけられて連れていかれては困る。
こうなっては、まず神殿こそが神子を押さえるのだ。
だが、漏洩しない秘密などなかった。
全ての神官に伝えられた時点で、王城や貴族、豪商ばかりか様々な人に情報は伝わる。
「ほう。黒髪に焦げ茶色の瞳をした少年にしか見えない神子姫、ね」
キースヘルムはニヤリと笑いながら、その似顔絵が描かれた紙をピンと指で弾いた。
テーブルから落ちそうになった紙を、慌てて周囲にいた手下が受け止める。
「ふざけたもんじゃねえか。なーにが薄い金髪にオレンジの瞳だ。で、神官の奴ら、こっそり見つけようと走り回ってるってか」
その情報は神官にしか知らされない秘密だ。けれどもキースヘルムはいち早くその情報を手に入れていた。
というのも、人とは堕落するものだからだ。役人だろうが騎士だろうが、神官だろうが使用人だろうが、それこそ金や女や賭博で身を持ち崩すことは多い。
そんな人間を見つけて金を貸したりして恩を売り、やがてそれを脅しのネタにし、キースヘルムは自分が都合よく扱える手駒を作り上げてきた。
それはドレイク達も同じことだ。
自分達の息のかかった女にのめりこませて情報をとる。そんなのはどんな時代でもどんな場所でも変わらず太古の昔から続くやり方である。
「まあ、いい。おい、てめえらっ。うすのろ神官に後れを取るんじゃねえぞ! 誰よりも早く見つけ出せっ。相手は二階の窓から平気で飛び下りる身体能力の持ち主だっ。油断すんじゃねえぞっ、気張れやっ!!」
「へいっ」「おおっ」「わっかりやしたぁっ」
キースヘルムの子分達も、それらを渡されて気勢をあげる。
その少年にしか見えない神子姫とやらを見つけたら、自分達にもどでかい運が巡ってくるのだ。
彼らは神官達の先回りをすべく、散り散りに動き始めた。
一方。
どんなに隠匿することが巧みであっても、上手の手から水が漏ることはある。
レイスはほとんど完璧だった。
いつもと同じ行動パターンを崩さず、部屋にはきちんと鍵を掛け、間違っても窓から優理の姿が外に映らぬよう、そして音が下に聞こえぬよう、きっちり対策をしていた。
誰も優理が、レイスが管理する建物の中にいるとは思わなかった。
優理もまた好奇心から日中は寝続けてレイスの行動ばかりを追いかけていたこともある。
しかし、レイスは一つのリスクを考えておくべきだった。
そう、単なるいたずら心で自分の部屋に入りこむ男がいるという事実を。
「なんや。あいつ、こんなトコに連れこんどったんか。水臭えことすなっちゅーねん、俺にも隠すやなんてありか? そりゃいかん、あっちゃいかん。なあ、お嬢はん。あんたもそう思わはるやろ?」
「・・・えーっと、そうですね、はい」
レイスがドレイクの管理する隠れ家の鍵を持っているように、ドレイクもレイスの管理する隠れ家の鍵を持っている。
ちょうどレイスが見回りと指示をしに出かけている時に、レイスの部屋に新しく入荷したというエロ絵画を飾っておいてやろうと持ってきたドレイクは、レイスお手製のチキンサラダとパンとオレンジジュースでお昼にしている優理を見つけてしまった。
「やってくれよるわ、あいつ」
「あ、あの・・・」
どう見てもレイスの部屋に侵入したコソ泥の振る舞いではない。しかも着ているのはレイスの服。何よりその顔は、仲間であるカイネがあれ程にまで探し回っている占い師のもの。
「ああ。ええねんええねん、ちょい待っとり」
溜め息をついて、ドレイクはどこかに行ってしまったかと思うと、すぐにチョコレートのムースを持って戻ってきた。
「うちん店のや。甘いもんもあった方がええやろ」
「有り難うございます」
「これはコーヒーが合うんや」
どかっと向かいの椅子に座ったドレイクを見て、優理もコーヒーを淹れるしかない。
レイスが戻ってこない限り、生活している気配を出さないよう煮炊きは禁じられていたが、見つかってしまってはどうしようもなかった。
(なんというか、レイスと違ってぐいぐいくる人ね)
ティータイムとしゃれこんでみても、相手の思惑が見えない内はどこか気まずい。
「あー、これは嬢ちゃんが見るもんやないよってな」
持ってきた絵は、ドレイクが背を向けさせて壁に立てかけた。
(もう見ちゃったわよっ。何なのっ、その裸のマハ金髪版はっ。そんなの誰が飾るってのよっ)
裸のマハと言えば、フランシスコ・デ・ゴヤが描いたとされる、着衣のマハと並んで有名なスペインの絵画だ。黒髪の小粋なマドリード娘が挑発的にベッドの上から微笑みかけてくるポーズで知られている。
だが、真っ赤なシーツのベッドに横たわった金髪の美女がカモーンと微笑みかけてくるそれは、あまりにも扇情的すぎた。
(そんなのレイスにあげて、この人、どうするつもりだったのかしら)
疑問に対してまだ説明してくれたレイスやカイネがいかに有り難いか、ドレイクと会って優理は知った。
探索の手をかなり広げようとしていたカイネを止めて回収してきたレイスは、クルンの実を分けてやろうとしただけだった。
疲労の色が濃いカイネは、大人しくついてくる。
いつものように適当な椅子に座ったカイネだが、レイスはそこで二階より上へあがる階段の異常に気付いた。
「どうした、レイス?」
「仕込みが外れてる」
「階段にまでんなもん仕込んでんのかよ。上はお前が使ってるだろ。なんか盗まれてるか?」
「いや」
一階の倉庫で作業していた仲間達にも変わりはない。
二階は休憩用の部屋と更に高い荷物を置く倉庫があるが、何も異常はなかった。
「ちょっと見てくる」
「やれやれ、誰か盗み食いしに行ったか? 限度をわきまえねえからウォーレンから出禁食らうんだよ」
自宅の一つとして上階を使っているレイスだ。
そこへ続く階段に何らかの仕掛けをしていたらしいが、それで侵入者に気づいたらしい。
カイネは渡されたクルンを齧って待っていた。
(あれ? 本気で泥棒か? なんでレイス下りてこねえんだよ)
音を立てずに階段を上がっていけば、レイスは扉の前でしゃがみこみ、かなり慎重な動きでゆっくりとドアノブを回している。
カイネも顔つきを厳しくすると、レイスに並んだ。
優理が相対したところ、ドレイクはかなり不満が溜まっている様子だった。
相手の反応を見るよりも、自分の言いたいことを言いまくる。
「前々から思っとったんや。あいつは規律やの何やのうるそう言うくせに、自分が一番守っとらん。しかもそれを正しぃ思とる。皆に目ぇ光らしといて自分だけ別枠においとるんや」
「あー、それは分かります」
「せやろ。カイネが哀れすぎて涙出てまぅわ。何さらしとんねん、あいつ」
同じ黒髪に焦げ茶色の瞳という色合いだが、優理は漆黒の髪なのにドレイクは褐色と黒色との間という感じだろうか。
見知らぬ人間同士のコミュニケーションとして、二人はそうやって互いに同意できるような内容から始めていた。
「すみません。カイネさんにはとっても心配してもらってるらしいんですけど・・・」
「ほんまや。思っきし心配しとるで。せやかて今カイネに言うかゆうたら俺も迷うとこや。あん男と本気でやり合うのはちょいきついよってな」
「はあ。そんなに厄介なんでしょうか」
レイスばかりかドレイクにまで言われると、優理も亀のように首を竦めたくなる。
「まぁそらな。嬢ちゃんの気持ちも分かるわ。あんキースヘルムやろ。そりゃ逃げとうもなる」
「・・・有り難うございます?」
逃げたんじゃなくて勝手に連れてこられたんですがと、優理は言いたかったがそこは抑えた。
ここで脱線したらどんな流れになることか。
「しかもそん大人しさや。捨てられんのが目に見えてんもんな。そん後に沈められるっちゅう苦界思ぅたら何としても逃げんといかん」
「はあ」
優理は天井を仰いだ。
(レイスの言ってることって本当だったんだ。やっぱりあの男には強気でいかないとそうなっちゃうのね)
そこでドレイクがやや真面目な顔になる。
「で、嬢ちゃん。お前はんの情報ゆうたら完璧やゆうやないか。どないしてそれ探っとんの」
「どうって・・・。地道に調べまわるだけですよ。たとえばその人の行動パターンと性格と好みを調べられるだけ調べて、純粋に先入観を持たずに仮説を立てます。それを基にして新しい面を見つけていきます。また、たとえば何かの際に誰かを調べた時にそれと繋がる人達のこともできるだけ調べておきます。いつか役立つ日がくるかもしれないから。・・・その上で、後は情報を売るというより、その状況を仕立てますね」
「仕立てるってどないすんの」
ドレイクが身を乗り出してきたところで、優理はにっこりと笑ってみせた。
どうやらやっとこの男は、優理がある程度の話し相手になると思える程度にまでもってきたらしい。先程までのはほとんど相手の反応など全くどうでもいい話ばかりだった。それでもずっと会話が絶えないから仲良くなったように思いこまされてしまう。
だが、ドレイクは優理を全く見ていなかった。
「情報を欲しがる人ってのは、本当に情報を欲しがってるわけじゃないんですよ、ドレイクさん。で、私の名はユーリです」
「そらすまんかったな。で、どうするんや、ユーリちゃん?」
自分の名前も聞かないで、全てお嬢ちゃん扱いだったのが不満な優理だ。
厭味ったらしく言えば、ドレイクはその意味も分かっているだろうに、簡単な謝罪で流してきた。
「情報を欲しがる程に困ってるってことです。なら、その困っていることを解決してあげればいいだけです。その為なら情報なんてどうでもいいんですよ。そして困ったことを解決して満足してもらえれば、全ては成功ということになります」
「ほう。全ては成功」
「そう。たとえその情報なんて私が分かっていなかったとしても」
「・・・なるほど。なかなか可愛い性格しとるやんけ」
ドレイクはそこでポケットから金貨を取り出す。
「なら俺の依頼も受けてぇや。実はここにキースヘルムが執着しとる娘っ子がおってな。そいつを差し出しゃ全てが丸ぅ片付くんやが、うちんカイネが納得しそうにないんや。それをどうにか説得して差し出させてもらえんかいな」
つまり優理の存在こそが邪魔だから失せろと言いたいらしい。
(やっと本性を現したわね。カイネさんが私のことを気にしてなければ、この人、笑顔で私を連れてったわよ。それも高値で売りつけてくれたわね)
レイスが仲間を守る為、優理の情報を完全シャットアウトしてカイネに無駄骨ばかりをおらせることを選んだなら、ドレイクは仲間を守る為、優理を差し出してカイネには優理自身に説得させようと考えたわけである。
どちらも自分の集団を大事に思えばこそだが、優理にとってはかなり違ってくる自分の未来だ。
だが、それは優理だけに言っているわけではないのだろう。さっき、階段のほうで少し物音がした。思えばそろそろレイスも下の階に戻ってくる頃だ。
この部屋に戻ってくるのはもっと後だが、見に来たとしてもおかしくない。
(キースヘルムにしてもレイスにしても、このドレイクって男にしても、人を何だと思ってるのかしら。一度、自分達こそが売り飛ばされてみなさいよ)
仲間同士の絆だの、集団の維持だの、そういうお題目さえ唱えれば何をしても許されると思ってるのだろうか。
どいつもこいつも身勝手すぎる。
「丸く片付く方法ならありますわ」
「ほんまか」
「ええ」
そこでにっこりと挑発的に、そして階段にいるであろう男達にも聞こえるように優理は言ってみせた。
(甘いわね。私がレイスの様子を探ってたのは別に覗き趣味じゃないのよ)
そう、自分は知っている。キースヘルムが気に入っている存在が自分以外にもあることを。
「私じゃなくて、私と同じ黒髪、焦げ茶の瞳をしたあなたをキースヘルムに差し出せば、全ては丸く片づきます。きっと喜んで受け取ってもらえて、あなた方の様々な仕事にも融通してもらえて、カイネさんも文句言わなくて、誰もが満足。一件落着」
「・・・・・・おい」
「では、この金貨は解決料の報酬としていただきますわね。本当に相手を満足させてこそ成功と言えますの。完璧な私の仕事ぶり、ご堪能いただけまして?」
一拍のタイムラグを置いて。
その部屋の扉の向こう、階段に身を潜めて二人の会話を聞いていたレイスとカイネがぷっと噴き出して笑い出した。
秘密を知る人間は少ない方がいい。
階下にいた他の仲間達を今日は戻らせ、ドレイク、レイス、カイネ、そして優理の四人は一つのテーブルについていた。
「なんや、俺が悪い言うんか? 悪いんはレイスやろが」
「だが、ユーリをキースヘルムに差し出す気だったのはドレイクだ。俺はそれをさせんよう全力を尽くしてやった」
「いや、その前に俺のあの苦労の日々って何だったわけ? 俺、どんだけ金と手下を動かしたと思ってんだ? なあ、レイス?」
「せやろが。全くなぁ、ひどいんはレイスやな」
「だけど私をキースヘルムに差し出す為にカイネさんを説得しろって言ったのはドレイクさん、あなたですよね?」
「嫌やなぁ、ユーリちゃん。やけどほら、ユーリちゃんかてキースヘルムの最愛の女らしいやん。なら左団扇で贅沢三昧やでぇ。もう男共を従えて女帝になれてまうわ、な?」
「さっき、捨てられて苦界に沈められるって言いきりましたよね?」
「大丈夫やて。ユーリちゃんならいけるよって、おっさんが保証したる。なんや、それともユーリちゃん、レイスとええ仲んなってもて、やっぱりレイスの方がええ言うんか? そらキースヘルムよかレイスん方がええ言われたらしゃあねえわな」
「ちょっと待てっ。やっぱり彼女に手ぇ出したのかっ、レイス!?」
「出してない」
「出されてませんからっ」
その場に置かれたチョコレートのムースは手つかずのまま、時間だけが経っていく。
そこでドレイクがこほんと咳払いをした。
「まあ、なんや。せっかく買うてきたんや。な、ユーリちゃん。お菓子食べて機嫌なおし、な?」
「・・・そうですね」
優理はチョコレートムースにスプーンを入れると、掬ったそれをドレイクの口元に差し出した。
「はい、あーんして?」
「いっ、いやいやっ。俺やのうてっ。ユーリちゃんに買うてきたんやでっ」
「あら嫌だわ。男が女に買ってきてくれたお菓子は、こうして一口目はお礼の意味もこめて食べさせてあげるって決まってるんですよ」
「ええからっ。俺、甘いもんは嫌いやねんっ」
そこで呆れてレイスが口を挟む。
仲間だけに一目瞭然の事実がそこにあった。
「お前、甘いもんもいけるだろ」
「可愛い女の子に食べさせてもらって何が不満なんだ、ドレイク?」
カイネも馬鹿らしいと肩を竦めながら、レイスに同意する。
「ほら。皆さんもそう言ってるじゃないですか。ね? はい、恥ずかしくないからあーんして?」
スプーンを差し出す優理は、とても可愛らしく微笑んでいる。
「・・・!! なんっつー性格ひねくれた小娘やっ。カイネッ、お前っ、こんなんのどこがええんやっ!」
「どこがいいも何も、そんな小娘と暮らしてたのはレイスだろ」
「レイスッ! こんなクソ生意気な娘っ子、なして放り出さんかったっ!」
「そんな子供にばれてる己の浅はかさをまずは呪え、ドレイク」
全くもって素人の小娘に見抜かれているとはと、二人に冷たい視線を向けられたドレイクだ。
「こんな意地くそ悪い小娘、さっさとキースヘルムにくれてやれっちゅうんやっ!」
「あら、嫌だわ。本当にドレイクさんたら分かってないんだから」
勝利を確信した優理がころころと笑う。
「ね、考えてみて? 今までキースヘルムがモノにしたくてできなかった男はドレイクさん、あなたひ・と・り。そうしてあなたとそっくりな色合いをした私にキースヘルムは目をつけている。ねえ、ここから何が読み取れると思います?」
ふふふと微笑む優理のそれは、まさにドレイクには悪魔の微笑にしか見えなかった。
「所詮、私は代用品。だけど人は代用品で心を慰めようとしても耐えきれなくなるもの。結局、人は本当に欲しいものを諦められないの」
「いっ、いやいやっ。そんなことはないでっ。ユーリちゃんには本気やでっ」
「大丈夫、怖がらないで。本来のキースヘルムが執着しているあなたが行けば万事解決ですわ。さあ、この眠り薬入りのお菓子を食べて? 眠りから覚めれば王子様に会えちゃうの」
こういう時は、自信たっぷりに言うのがコツだ。
たとえキースヘルムの目的が優理そのものだったとしても。
優理はさもドレイクのおかげで同じ色合いの自分が目をつけられて迷惑だと言わんばかりに、斜め下を向いて嘆いてみせる。
くすんと、全く滲んでいない涙も拭ってみせた。
「ドレイクさんのおかげで、本当にいいとばっちりですわ。だけどここでドレイクさんが素直になってくだされば、何と言っても気に入った相手には大盤振る舞いなキースヘルムですもの。ここの人達も喜ぶ結果が出るんじゃないかしら」
「ああ。シマの一つや二つ、軽いもんだろう」
レイスが頷く。
「だな。兵隊の貸し出しもしてくれそうだ。使い捨ての奴らが欲しかった」
カイネも同意してみせた。
「おまっ、・・・どこがええんやっ、こんなクソ娘―っ!」
優理をキースヘルムにくれてやる気のないレイスとカイネは最初から優理の味方だ。
(フッ、これが人望の差というものよっ)
ドレイクの雄叫びが夜空に消えていった。