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18 イスマルクは城と神殿を敵に回して真琴は観光をした


 ドリエータにある第9神殿。

 そこで休息を取ったイスマルクが一人で真琴を捜しに出たからといって、

「ハイ、そうですか。ではさようなら」

と、放置されているものではなかった。

 突如、その姿を現わした神子達の一人、遥佳。イスマルクは、その遥佳を神子と知った上で傍にいたであろう唯一の存在だったからである。

 グリフォンが遥佳を連れ去ったとはいえ、そのグリフォンと連携していた様子を見れば、結論など一つだ。

『あの第3等神官イスマルクとやらを捕らえ、神子姫ハールカ様の居所を吐かせるべきです』

 その意見は、王弟ラルースが率いる一行にも、そして知らせを受けて戻ってきたドリエータ伯爵が抱える家臣達からも出ていた。



 どういう根拠があったのか、現地の神殿から、

「矢傷を負われたマーコット様はどなたかに保護された模様。今後は助けてくれた方へ名乗り出るよう呼びかける所存です。お疲れ様でした」

といった知らせがもたらされ、「神子姫マーコット様捜索詰所」は解散された。

 となれば、ドリエータ城でも違う対策を講じなくてはならない。


(まさか本物だなんて信じてもなかったというのに。それこそ裏の売買に出したらどれほどに高値がつく絵だと思ってると、こんな田舎にある筈ないと思っていたのが裏目に出たか)


 ドリエータ伯爵にも、かなり疲れが出ていた。


「絵を盗んだ犯罪者ではなく、絵を取り戻した神子姫様だったとは。そうと分かっていればこんなことには・・・。だが、こうなっては陛下になんと報告すればいいのか」


 描かれた絵どころか、肝心のモデルになった神子姫様はドリエータ城の地下牢にいた。灯台下暗しとはまさにこのこと。

 情けなくて涙も出ない、だけど冷や汗だらだらなドリエータ伯爵である。


「そこは、・・・そうです。その神官を捕らえて神子様の居場所を白状させるのです。そうすればどうにか面目がたちます。せめて神子様お一方だけでもお連れできたとなれば挽回は出来ましょう」


 ドリエータ城で働く役人の一人が、口から泡を飛ばす勢いで言い募った。彼はずっとそれを主張しているのだが、肝心のグリフォンを見てしまった役人や騎士達からは賛同を得られなかったのである。

 ドリエータの城で開かれた会議でも、王城への報告をどうするかと頭が痛いところだった。

 そこへ国王の末弟である王子ラルースが率いてきた一行の中にいた初老の騎士が口を開く。


「それができれば何よりですが、あの第3等神官がそれを白状しますかな。そして拷問にかけて吐かせたとして、その結果、どうなりましょうか。役人殿はあのグリフォンを見ておられないから、現実味があまりないものとお見受けする」


 若い王子であればこそ、それなりに年を重ねた人間もつけられていた。

 牢に入れられていた、少年の妹とされる娘が神子であったことにもその初老の騎士は驚いたものである。そこで王弟ラルースが信頼を得られるようであればと静観していたら、その思惑は察知されていたようで、あっけなくも公衆の面前で王弟がフラれたときた。


(ドリエータ城で命令をくだしたことで水面下の反発もあろうと、ラルース様はあれから何も口出しなさらぬようにしておられるが・・・。本当はご自分こそが飛びだしていかれたいであろうに)


 しかも頼りなげな風情(ふぜい)の神子は、よりによってあのグリフォンを従えていたのだからやりきれない。たとえ居所が判明したとしても、空を飛んで逃げられてしまうのではどうしようもないではないか。


「私も、ギバティールの騎士殿のご意見に同調させていただきます。神子様お三方の内、お二方は郊外の治療院で貧しき人々の看病をなさっておられ、その第3等神官は流れの薬師に身をやつし、お仕えしていたというではありませんか。第3等といえば大神殿の奥で権力を握る重要な地位。それをあの若さで手にしていた神官が、です。生半可(なまはんか)な覚悟ではありますまい。失礼ながら役人殿は、所詮は地下牢に一度は閉じ込められたのだからと侮っておられませんか?」


 ドリエータ城に属する騎士の一人がそう意見を述べる。

 彼もまた慌てて兵士達から聞き取りを行い、治療院の奇跡とも言われる恵みを知った一人だ。

 当時はイスマルクが第5等であったことも、そして僻地にある第25神殿を押しつけられていたことも、神官でない彼らには分かる筈もない。


「その通りです。そこまでの献身をみせた神官を我らが拷問したとして、それを知ったハールカ様は我らをどうお思いになることか。ただでさえ、まだお怪我をなさったマーコット様は見つかっていらっしゃらないというのに」


 役人の一人が溜め息をついた。

 そこで沈鬱な空気が満ちる。こんなことが他国に知られたらどうなることか。

 それこそ、

「我が国であればそんなことはございません、ギバティ王国に見切りをつけておいでください」

と、全ての国が名乗り出るだろう。

 そうなればほとんどの神殿もその国へと移る。経済を担う商人も、その国へと多く流れていくことだろう。


「まだ大神殿から正式な苦情がきていないのが救いでしょうが、それもこれもまだ神子様が見つかっておられないからこそ。・・・神子様のご容体によってはどんなことになるか」


 ドリエータ城に長く仕える年老いた役人が(うめ)くように吐露(とろ)した。

 ことはドリエータ領のみに留まらない。ギバティ王国の命運がかかる問題だった。

 そこで手を挙げたのが騎士の一人だ。


「お待ちください。その第3等神官は大神殿で神子様の危難を知って駆けつけたとのこと。関所も確認いたしましたが、単騎であったとか。第3等といえば、つけられる神官も数十名はおりましょう。なのにです。つまり、その神官は大神殿の誰にも神子様の報告をしていなかったということではありませんか?」


 その言葉に、ラルースに付き従っていた騎士の一人がハッと鼻を鳴らす。


「どうせ神子様を(たぶら)かしていい思いをしたかったのであろうよ。そうでなければどうしてそんな割の合わないことをするというのだ。誰だって身分を隠しさえすれば神子様の傍にいられるとなれば、それぐらいはする」


 ラルースの誠意を踏みにじって対立したイスマルクに対し、彼はいい印象など全く抱いていなかった。

 そこで反対意見を述べるのがドリエータの騎士だ。


「いい思いとはどういうものを? 神子様方はあの貼り紙も見ておいででいらした。その上で名乗り出てくださらなかった姫様方の傍にいていい思いなど出来ません。ただの村娘の傍にいるようなものではありませんか。しかもその神官、日中ばかりでなく、ほとんど夜も病人や怪我人の部屋を訪れては共に祈ったりしていたとのこと。まさに無私の心なくしてできることではございません」

「ええいっ、貴君は誰の味方だっ! どうしてそんな神官の肩を持つっ」


 あの神官のせいで遥佳に逃げられたという事実が分かってないドリエータの騎士に、ギバティールの騎士も苛立つ。


「誰の味方というよりも、神子様の立場に立って考えさせていただいております。神子様に仕える数多(あまた)の神官の内、神子様が正体を明かしてお傍においていらしたのはその神官ただ一人。ですがその神官は神子様のお傍ではなく、薬師としてほとんど働きづめだったと聞いております。また、その治療院の医師と同じ建物で神子様方は暮らしておいでだったそうですが、その医師も帰宅する暇なく献身的に病人や怪我人を診ていたとのこと。つまり、神子様がお傍においてくださるのは、そういう人間だけだということです」


 感じ入ったように、ラルースに付き従ってきていた違う騎士がそこで頷く。


「なるほど。さすがは神子姫様。世に、人々に(かしず)かれて優雅かつ贅沢にお暮らしになる姫君は数多くあれど、既に別格でいらっしゃる。騎士と生まれ、敬愛を捧げる姫君に憧れる者は多くとも、そのようなお方こそをと・・・夢でございますな」


 何人かの騎士達が我知らずといった様子で頷いた。

 けれども今は騎士達の感傷などどうでもいい会議中である。


「そんな神子様が、全てをかなぐり捨てて献身的に働き、自分に仕えてくれていた神官を拷問にかけたと知ったら、さぞお嘆きになることでしょうな」

「さよう。ただでさえ神子様お一方を傷つけた今、更にお仕えしていた神官をも拷問にかけたとあれば、・・・言い訳などできはしますまい」


 しかし、それでは手詰まりだ。


「ならば、・・・ならば神殿にやってもらえばいいではないか」


 一人の騎士が絞り出すような声でそう言い出した。


「たしかに我らは神子様を傷つけた。だが、それは知らなかったからだっ。知っていればそんなことはしなかったっ。どうして神子姫様と分かってて、武器を向けるというのだっ」

「そうだっ。我々はっ、女神様の絵を盗んだと聞いたからこそ向かったのだっ」


 その悔しさはドリエータ城に仕える全ての人の思いでもある。


「この地をお選びいただいたこと、それこそどんな喜びでもってお迎えしたかったかっ」

「そうだっ。ご身分を明かされたくないというのであればっ、こっそり陰からお守りしたともっ」


 無念の言葉は、ドリエータ領民が抱く共通意見でもあった。


「それもこれも、その神官が黙っていたからではないか。だが、我らがその神官を責め立てて事情を吐かせることができぬのなら、・・・大神殿にやってもらえばいい。神殿とて神子様を探し求めていたというのに、その神官が隠していたのだからっ」

「そうだっ。大神殿こそが此度(こたび)の責任をとるべきであろう。大神殿がその神官から情報を受け取ってさえいれば、それはこちらにも知らされていたわけで、そうなれば今回のことはなかったっ」

 

 王城に神官が出入りしているように、大神殿にも王城の人間は出入りしている。

 互いに情報を与え合い、騙し合い、時には対立し、時には手を組み、そうして王城と神殿は並び立っていた。


「そうだ、大神殿こそ今回の失態における責任をとるべきだっ」

「その通りだっ」


 今回の責任を問われる前に、まずは大神殿の責任を追及すべきだ。

 その声が大きく広がっていった。






 やがてギバティ王城から、ギバティールにある大神殿へもたらされた要求は一つだった。


「そちらの第3等神官が神子様の存在を秘匿していなければ、こんな悲劇は起きなかった。責任を持って神子様を出していただきたい。せめてこちらが謝罪する場を設けるのがそちらの誠意であろう」


 その神子は居場所不明である、三人が三人共。

 しかし王城は、

「大神殿に所属する神官が、神子様お二方の傍で仕えていながら、居場所を知らぬということはあり得ぬだろう。それこそ神子様を神殿が隠しているのではないのか」

と、強気の姿勢である。


「どういうことだっ」

「イスマルクはこの大神殿で事態を知り、ドリエータに駆けつけたのではなかったのかっ」

「それまで神子様のお傍近くに仕えていたなどと、聞いてはおらんっ」


 ドリエータにある第9神殿が大神殿に出した報告には、あえてその辺りをぼかした内容が書かれていた。

 というのも、第9神殿はずっと治療院にいるイスマルクの様子を観察していたからだ。

 一緒にいた少年少女達が神子姫達だとは全く気づかなかったが、何を目的として身分を隠しているにせよ、薬師として働くイスマルクの姿勢は立派なものだった。

 ましてやドリエータの城で、何があろうと遥佳を最優先する姿勢をみせた後では。

 しかし、付近の第8、第10、第11神殿にとっては、その辺りのことを羅列して説明されても自分達は全くあずかり知らぬことである。イスマルクに対する信頼も全くない。

 少しでも多くの情報を求める大神殿側と、そしてまた各神殿に属する神官側の思惑が交差し、結果としてイスマルクの大神殿に対する背信も明らかになりつつあった。


「呼び出せっ。何があろうとイスマルクをここに引っ立てるのだっ」

「よりによって神子様方をっ」


 そのイスマルクは現在、どこにいるのか。

 ドリエータ地域にある神殿は、神子と落ち合うことを踏まえ、追跡の者を手配しているという。


「探せっ。イスマルクを捕らえろっ。そしてグリフォンと共にその身をお隠しになった神子様の場所を吐かせるのだっ」


 裏切られていたという事実が、第1等神官達を激怒させた。

 ましてや、イスマルクは本当の神子達の居場所を知った上で、ぬけぬけと三人の幼女が国外に出されたなどと報告していたのだから。

 八つ裂きにしても飽き足らぬとは、まさにこのことである。

 第9等神官のままで終わるべきところを、ここまで引き立ててやった恩も忘れて・・・。

 何があろうとイスマルクを見つけ出すのだと、大神殿から第8、9、10、11神殿に早馬が出された。






 一方、放浪の第3等神官イスマルクは風に吹かれていた。

 つけられる神官が数十人どころか、第25神殿長の職も解かれた今、見習い神官3名も部下ではなくなったイスマルクである。

 地位こそ高いが、置かれている状況は一人の部下もいない第9等神官と変わらない。

 それでもイスマルクは努力を重んじる人間だったので、今も一人で馬に乗りながら風の声を聞いていた。


(おかしい。怒りに震えていた大気が、なんだかふわふわとしている。・・・マーコットの傍にいるのは、かなりいい人なんだろうか。邪魔するなと言われているかのようだ)


 恐らくもっと離れた場所に真琴はいる。だけどそちらに向かおうとすると、風がペチッペチッとイスマルクに嫌な感じを叩きつけてくるのだ。


(仕方ない。少し時間をとるか。・・・今、行かない方がいいみたいだ。マーコット、もしかして助けて治療してくれたのは、もう一人の神子様、ユウリ様なのかい? それとも、シアラスティネル様を思い出させるような女性なのかな? 君は甘えん坊だから)


 イスマルクも所詮は女神を信奉する神官である。女神と神子姫達を特別視しすぎていて、その間にいる女神の配偶者、つまり神子の父親の存在など忘れ去っていた。


「分かったよ。今は行かない。だけど心配だから少しはその気配を聞かせてくれ。それぐらいはいいだろう?」


 よく抱っこしてくれていた父親を思い出し、真琴がつい呟いてしまった声を風は拾う。助けてくれたカイトの温もりは、真琴に大好きな父親を思い起こさせていた。

 小高い丘の上の切り立った小さな崖の上に座って、イスマルクは目を閉じる。神子の言葉は聞く風も、イスマルクの言葉は聞いてくれない。

 それでも流れていく風に混じっている、かすかな気配を感じることはできた。


(良かった。マーコット、笑っているんだろう?)


 そうでなければこんなにも優しい風が第7神殿の方へと流れていく筈がない。

 そんな目を閉じて何かを感じ取ろうとしている神官の姿を、少し離れた木々の陰から見つめる男達がいた。


『なーにやってんでしょうかねぇ、あの神官』

『さあな。だが依頼は、あくまであの男を追跡することだ』

『さっさと動いてくれませんかね。なんといっても報酬二倍の依頼だ』


 イスマルクには追跡の為の人間が雇われている。それを請け負った男達はドリエータ城、そしてドリエータ付近の神殿からの依頼を受けていた。つまり、同じ依頼が二つ舞い込んだわけだ。

 そうなれば引き受けて両方に請求すれば報酬は二倍。簡単な計算だ。

 簡単な追跡仕事ではあるのだが、・・・しかし何をやっているのかは不明な神官だった。




 風のなかに、時折、真琴のものらしい楽しい旋律が混じる。

 ずっとそれを聞いていたかったイスマルクだが、何となくここを離れた方がいいような気がして立ち上がった。


(騒がしい場所に行った方がいい気がする)


 恐らく真琴がいるのは、この先の街道を更にずっと先。それこそ首都ギバティールの方向だ。

 なのにイスマルクはまっすぐ行くどころか、90度右折する道を進み始める。

 そんな気がするからだ。まだ行ったことはないが、一度は見ておいてもいいだろう。

 港町、ドレシアを。


(今はまだ会わない方がいいんだろう、マーコット。港町には沢山の海産物がある。君達が喜びそうな何かがあるといいんだけど)


 そんなことを思いながら、イスマルクは馬を歩かせ始めた。






 ギバティール郊外にあるカイトの家で居候中の真琴は、既にそこを自分のおうち化していた。

 獣は縄張り争いが激しいものだが、自分のおうちに引き取った子は同じ縄張りを使わせてもらえるのである。

 だから真琴はカイトの服だろうが物だろうが、好きに使っていいらしい。


(やっぱり虎さんっていいよね。大鷲だと自分の前脚の間に抱えるだけだけど、虎ならぽんっと背中に乗せてくれるもん)


 肩や背中の傷口も塞がった。赤みは残っているものの、真琴にもう痛みはない。


「大丈夫だ。これでもう痕も残らない。だが、しばらくはちゃんと風呂で血行をよくしておこうな」

「うん。本当に舐めて治るんだねえ、びっくり」

「俺にはお前の方がびっくりだがな」


 カイトにとっては、真琴の無知さこそが驚きの連続だ。


「さ。しばらくは俺の見習いでいろ。一緒に動いていればやり方も覚えるし、いずれ一人でも仕事も受けられる筈だ」

「うん。人生って分からないもんだねぇ。まさか運び屋だなんて職業を選択する日がくるとは」

「なぁに生意気言ってんだ、子供のくせに」


 第7神殿に戻るにも先立つものがない為、真琴は運び屋の組合までカイトと一緒に顔を出した。


「よう、カイトさん。その子がこの間言ってた義理の弟さんかい?」

「そうだ。親の再婚でできた弟でな。しばらくは子連れで引き受けるよ。いいだろう?」


 愛想はいいが、カイトの水色をした瞳が語っている。


――― 誰でもできるような簡単な仕事しかしない。危険なのはまわしてくるな。


 組合の事務をしている男は、やや躊躇(ためら)った様子をみせた。


「そりゃかまわんが・・・。そうだな、大事なことは兄弟仲良くさ」


 それでも迎合(げいごう)してみせる。残念だが、家庭の事情なら仕方ないことだろう。


「こんにちは。マーコットといいます」

「やあ、こんにちは。これからはお兄さんと一緒に頑張ってくれよ。何、心配いらない。カイトさんといればすぐ一人前さ」

「そうなんだ? ねっ、運び屋って荷物持って運んでくんでしょ? 儲かるの? だけど高い値段だと運んでほしい人も嫌がらない? 荷物って重い?」


 好奇心のままに尋ねる真琴は、知りたいことが沢山だ。

 遥佳に教えてあげたいことがいっぱいできた。運び屋の内情なんてきっと遥佳も興味津々で聞いてくれるに違いない。


「はは。そこはカイトさんによく聞いておくんだな、マーコット君。馬には乗れるかい?」

「うんっ。馬の上で逆立ちもできるよ」

「いや、そういうのはいらないかな」


 組合の受付に座っている男は苦笑した。けれども、ふと真顔になる。


「馬の上で逆立ちできるってことは、かなり身軽なのかな。たとえば木の枝から二階の窓に入り込めたりとか・・・」

「そーゆー泥棒みたいなのはやらないけど、自分ちならやるよ」


 パッと明るい顔になった男は、カイトに向き直った。


「カイトさんっ。是非っ、弟さんをみっちり仕込んでくれよっ」

生憎(あいにく)とこの子はそーゆーのじゃないから」

「え? なになに? そーゆーお仕事あるんだ? 窓に配達するの?」

「お前も変な好奇心を持つんじゃないっ、マーコットッ」


 そうして真琴を背に隠したカイトは男と話し始める。


「マーコットには俺の手伝いということで、準組合員の証明プレートを作ってくれ。他の奴にはつけない」

「ああ、分かったよ」

「ねえねえ、証明プレートって何?」

「ああ。運び屋としての身分を証明するプレートさ。首に提げておくんだ。そして運び屋への依頼は、こういう色々な街にある組合の支部か、もしくは店で直接だ。その際、引き受けた運び屋のプレートを確認し、それを記録して報酬が支払われる」

「へえ、そういう仕組みなんだね」


 見せてもらったカイトのプレートには、ここの組合の名前と場所とナンバー、そしてカイトの名前、簡単な外見特徴が彫られている。


「つまり、俺は組合でもここの場所に所属している、このナンバーの運び屋ってことさ。マーコットもここの場所の準組合員ってことになる。準組合員ってことは、一人では運び屋の仕事を受けられないって意味さ。まだ見習いだからな」

「そうなんだ。じゃあ、運び屋の一人一人に、それを登録した場所が責任持つんだね」

「その通りだ」


 明後日にはプレートもできあがるというので、その日、真琴はギバティール観光に連れて行ってもらった。

 真琴の傷が治ったら連れていこうと、カイトは考えてくれていたらしい。


「地方から出てきたならまずはここだろう」


 カイトは、まず王城へと連れて行った。中に入ることはできないが、外側に隣接する公園から城をゆっくりと眺められる。


「うっわぁ。あれが王様の住むお城なんだ。大きいね。ねえ、どうしてあんなに旗がいっぱいあるの? あれ、神殿のマークだよね? 他のは何?」

「どうしてギバティ王国の旗を知らないんだ、マーコット? あれはギバティ中にあるだろう」

「そうなんだ? へー、あれがギバティ王国の旗なんだ」

「お前はどんな箱入り坊ちゃんだ。いや、もの知らずなんだ」

「言っとくけどっ、ギバティの旗を知らないだけで、僕、他の旗ならちゃんと知ってるんだよ? 日本とかアメリカとか」

「どこだよ、そりゃ。じゃあ、あの中で知ってる旗は?」

「どれも知らないけど」

「おい」


 カイトは何とも面食(めんく)らわずにいられなかった。


「まあ、いい。神殿の旗が(ひるがえ)っているのは、王城の中に神官が常駐する建物があるからだ。様々な旗は、今、それらの国や地域からの客人が訪れていることを示している」

「へえ。カイトって物知りだね」

「・・・常識だ」


 公園で売られていたホットドッグなどを食べれば、更に元気になった真琴は、

「いっきまーっすっ、空中一回転っ!」

と、勝手に手をあげて宣言するや否や走りだし、

「とうっ」

と、掛け声をかけて空中でくるりと一回転してみせる。

 ちょうど公園にいた子供達に、

「お兄ちゃん、もう一回やってやって」

と、せがまれて、真琴は色々と器用な技を披露していた。


(なんて身軽な。まさか猿の獣人だったのか? だが、・・・猿の獣人なんていたか? 大体、獣の姿になってみろと言っても、まだ選択中とかほざいて変身できねえし。選択中って何だよ。獣人の血が薄くてうまく変身できないってんなら、別に隠さなくても俺は気にしねえってのに)


 両手もしくは両足を同時に後ろの地面へと交互につかせていきながら回転していく様子は、まさに尺取虫(しゃくとりむし)を思わせる。

 

「あははー。どーもどーも」


 やがて見物客が多くなりすぎたので、わけの分からない挨拶をして真琴が戻ってきた。


「なかなかのものだったな」

「そーお? 今度、カイトも一緒にやる? なんかさぁ、こう帽子をひっくり返して置いておいて、お金入れてもらう感じで」

「心の底から遠慮する。そういう大道芸は縄張りとかもあるからな。考えなしにやるなよ」

「はーい」


 そうして次は大神殿へと向かった二人だ。


「へー。これが大神殿」

「そう。誰もが死ぬまでには一度見ておきたいと願う大神殿だな」

「とっても広そうだね。何だか迷子になりそう」


 城とは違う雰囲気だが、広い敷地と大きな建物という条件は共通だ。

 真琴は感心した。


「はは。だが、俺達が入れるのはこっちの外側にある部分だけだからな。だからこの外側を大神殿って普通の人は言うんだ。だが、神官にしてみれば、この塀の向こうこそが大神殿ってことになる。こっちは信者用のスペースだ」

「なるほどぉ」


 せっかくだからと入ってみれば、白一色の建物の中に窓を通して柔らかな光が差しこみ、様々な人達が祈りを捧げている。

 一番奥の祭壇には女神シアラスティネルを示す像、つまりご神体が置かれていた。勿論それは、一つの象徴的なマークのようなもので、女神の姿とは全く異なっている。

 

(なんであの焼印マークがお母さんなの? みんな椅子に座って祈ってたり、床に膝ついて祈ってたり、そこらへんはあまり決まってないのかな。けど、あんなマークに祈って何になるんだろう)


 真琴は眉間に皺を寄せてしまった。


(これで良かったのかも。だってこんな知らない場所でお母さんの絵とか彫像が飾られてたら悲しくなったかもしれないし)


 横を見れば、カイトも目を閉じて膝をついている。

 けれども周囲にいる人々は何かを唱えながら目を閉じて祈っているのに、カイトは静かに目を閉じて祈るだけ。


(そっか。獣人は人間と違うって言ってたもんね。神官も必要ないって。そうなると人間・幻獣・獣人の違いを私は知ってしまったことになる。種族が違えば世界に対する感謝の示し方も違う、と)


 とはいえ、自分はどうするべきなのか。観光しようにも、祭壇の奥にあるマークしか見る物はなさそうだ。


「そこの少年。神殿に入ってきたならちゃんと祈りぐらいは捧げるものだよ」


 真琴は後ろからぽんと肩を叩かれ、振り返れば若い神官が立っていた。


「あ、ごめんなさい。だけどお祈りって知らないし」

「・・・は?」


 礼儀知らずな少年を(たしな)めようとした神官が、目を丸くして真琴を凝視する。横にいたカイトも驚いた顔だ。


「ここの神殿、広くて綺麗だね、白いし。けど光ってないんだ。神殿ってどれも光ってると思ってた」

「どこの田舎者かな、君は」


 白く光っている神殿は聖神殿、つまり人が立ち入ることのできない聖山にある女神の住まいである。今となっては失われた聖域だが。

 なんて物知らずな少年なのかと、コホンと咳払いして神官はそう言った。


「何を隠そう。ここからとても遠い、ジャパンという島から来たのです」

「知らんな。・・・なるほど、ならば仕方ないか。野蛮人であれば」

「え? まさかの野蛮人扱いっ? 言っとくけど先進国だよっ?」


 ショックを受けた真琴だ。

 するとちょうど横を通っていった赤毛の男が、ぽんぽんっとその神官と真琴の肩を叩いた。


「いけねえな、そこの青二才と坊や。どんな辺鄙(へんぴ)な場所で暮らしてたとしても、そしてどんな都会で暮らしてたとしても、そこに命の上下はねえんだぜ? 先進国も後進国もねえ、文明人も野蛮人もねえ。そんなことで優劣をつけるのは悲しいことだ。大切なのは愛。それだけさ」

「な・・・っ」


 青二才と呼ばれた神官が、茹蛸(ゆでだこ)のように顔を赤くする。


「その通りかも。小父(すご)さん、(すご)いね。うん、僕は自分の傲慢(ごうまん)さを恥じようと思います」

「ふっ。じゃあな、素直な坊や。お前は見どころがある」


 ニッと笑って、その赤毛の男は神殿を出ていった。


(祭壇近くからここまで凄い速さで来たよね。人間じゃないのかな。何にしても先進国で生きてたからって、後進国で生きていることを(さげす)んでいい筈はないよ)


 だから真琴は青年神官に言ってみる。


「大丈夫だよ。僕、馬鹿にしないから」

「何を言ってるのかな、君は。野蛮人だと馬鹿にされているのは君なんだが」


 その若い神官と見つめ合えば、あちらはどうすればいいのか戸惑っている様子だ。


(なんかもうここまで来ると、世界が違うって感じだよね。獣人扱いされたのも初めてだし、10才の子供扱いされたのも初めてだし、野蛮人扱いされたのも初めて。そう考えるとこのギバティール行きは初めて尽くしで、なかなか新鮮だったり・・・しないけど)


 だけど何がどうしてこうなったのだろう?


「何をやっておる」


 更に声がかけられ、顔を横に向ければ少し年老いた神官が立っていた。

 真琴に声をかけてきた若い神官が、その神官に向かって軽く一礼する。


「僕が祈りの言葉を知らないって聞いて、この人が目を丸くしてただけだよ。綺麗な神殿だね」

「そうか。だが、祈りの言葉は一つでいいから覚えておくといい。何ならその彼に教えてもらいなさい」


 少し真琴は考えた。


「親切にありがとう。だけど多分使わないからいい」

「だが、何も知らないと野蛮人扱いされてしまうぞ?」


 少しひょうきんな顔になる年老いた神官は、どうやら真琴が野蛮人と言われてしまったのを聞いていたようだ。


(目が笑ってない。立場がある人なんだな。周囲の目を計算してる)


 くすっと笑って、真琴はそろそろここを出た方がいいと判断し、出入り口へと少し向き直った。

 いざとなったら割って入れる位置で、カイトも様子見をしている。


「そうなんだけど、野蛮人なんて言われたの今回が初めてだし、二度目はないからいいと思う」


 にこにことしていても、その奥に全く違う計算をしている人だと分かったから。

 バイバイと手を振って歩き出せば、少し鋭さが混じった声が追いかけてくる。


「君は女神様を信じていないのかね?」

「ううん、それはないよ」


 真琴はその年老いた神官を振り返った。最初に声をかけてきた若い神官など、顔が真っ赤になっている。

 祭壇には全く母には似ていないマークがあって、それに皆が祈りを捧げている姿は、自分の知らない母を見ているかのようで辛くなるだけだ。


(私達の、・・・なのに)


 学校から帰ってきた自分達を笑顔で迎えてくれていた、そんな自分達だけの母だったのに。


「信じるも信じないもないよ。存在しているのなんて当たり前でしょ。多分、誰よりも僕の方がそれを知ってる」

「・・・ほう。この(わし)よりも」

「うん」

「言葉を慎めっ。このお方をどなただとっ」


 どうも若い神官は気が短いようだと、真琴は思った。


「あのね、お兄さん。その気が短いの、カルシウムが足りてないよ。牛乳とか小魚、食べるといいよ。ちゃんと魚の骨もカリカリに焼いて食べればイライラしない人になれるから」

「なんて生意気なっ」

「人の親切を素直に受け取れないのって悲しいことだよ? 騙されたと思って小魚食べなよ」

「何が親切だっ」

「んもう。なんでこんな人に僕が野蛮人扱いされちゃったのさ」

「このぉっ」


 それでもきっとこの若い神官は、年老いた神官の為に動く露払いのようなものなのだろう。


(もしかしたらかなり偉い人だったのかもね、このお爺さん)


 真琴と会話していた年老いた神官から少し離れた場所には何人かの神官がいて、じっとこちらの様子を見ていた。どうやら彼らはお供らしい。


「気分を悪くさせちゃったならごめんね。さよなら。もう帰る」

「待ちなさい、少年」


 そこで年老いた神官が引き留める。


「儂は第1等神官のファミルイードという」

「ご丁寧に。僕はマーコットです」


 周囲の人々はそこで驚いた顔になった。

 次々とファミルイードに向かって膝をついて頭を下げていく。


「この儂よりも女神を知ってると豪語してみせるか、マーコット?」

「お付き合いの長さだけなら僕が負けるかもね。僕、まだ子供だから」


 この年寄りが自分と母のことで勝てるとしたらそこだろうと、真琴は譲ってみた。


(なんて謙虚な私。やっぱりお年寄りは大事にしなきゃいけないよね)


 なぜかカイトが長い溜め息をついてその体を少し動かす。

 真琴は少し顔を動かした素早い目配せで、

「来ないで」

と、合図した。


「子供はどうしても意地を張るものだ。だが、いつか君がその心得違いを改めると信じておこう」

「そういうことにしておいてもいいけど。だけどファミルイードっていうの? 名前、長いね。名前なの、苗字なの?」

「口を慎めというのにっ。このお方に対して、せめて『様』をつけて呼ばんかっ」


 たまりかねたか、最初の青年神官が怒鳴りつける。


「何で僕が『様』をつけなきゃいけないのさ。そっちだって呼び捨てならこっちもそれが当たり前でしょ? 知らない仲なんだから、せめて『さん』ぐらいつけてよ」

「マーコットとか言ったかっ!? お前は神官を何だと思ってるっ」

「女神・・・サマの追っかけ?」


 その場に沈黙が広がった。

 人々の後ろに紛れているカイトは片手で額を押さえて頭痛を堪えながら、その一方、真琴と脇にある出入り口との距離を目で測っている。


(いい人だよなぁ、カイトさん。僕を()(つか)んで逃げるカウントに入ってるんだから)


 そういう最後まで自分を見捨てないところも父そっくりだ。無茶したら怒るけれども、まずはやらせてくれた父、タイガに。


「追っかけとは何だ?」


 年老いた神官はその単語が分からなかったらしい。


「えっとね、その人のことが好きで、一目でも顔とか姿を見たくて、あちこち追いかけてはその姿を見ることで幸せになる人達のこと、かな。ファンクラブにも入会してるよね、大抵」

「・・・ファンクラブとは?」

「その人のことを好きな人達で作り上げる集団のことかな。その人を応援することが目的って感じで」


 背後から迫っている人の気配。だけど、真琴の方がタイミングは早い。

 そこで床を蹴って近くのベンチへと飛び移った真琴は、更にジャンプし、吹き抜けになっている二階の手すりを掴んだ。くるりと回転して手すりに着地する。

 優理には猿呼ばわりされるスタイルだ。


「・・・なっ!」

「貴様っ」


 背後から真琴を捕まえようとしていた神官達が悔しそうに見上げてくる。

 素早く二階の通路を走り、開放されていた二階の窓に足をかけて真琴は振り返った。


「ごめんね、お爺さん。捕まりたくないから逃げるよ。・・・だけど一つだけ言わせて?」


 それまで世間知らずな少年ですと言わんばかりだった真琴が、神官達を冷たく見下ろす。


「女神様を信じてるというのなら、どうして聖神殿に押し入ったっ。あんた達こそ、女神の威光を笠にきて威張り散らしてるだけの役立たずな強盗集団じゃないかっ。何が第1等だよ、馬鹿馬鹿しいっ!」

「・・・っ!」

「捕まえろっ! 二階の窓の外にも梯子(はしご)があるっ」


 ひょいっと二階の窓から地面に着地し、真琴は大神殿の敷地外へと走り去った。自分のスピードに、まず普通の神官が追いつける筈もない。

 すぐにカイトも追いついてきた。


「マーコット。お前なぁ」

「ごめんなさい。反省してます。迷惑かけてごめんなさい」


 怒られる前に謝ってしまうのは、そうすれば許してもらいやすいと知っているからだ。

 真琴の遥佳に対するそれを見ていてヴィゴラスがマスターしてしまったことを、まだ真琴は知らない。


「まあ、いい。あの神官って奴らが威張りくさってるのはその通りだからな。なんで人間同士、あんな等級をつけてまで偉そうにしてんだか」

「だよねー。野蛮人なら筋肉むきむきじゃないとロマンがないよ」

「お前、全く反省してないな?」

「え? えへっ?」


 がしがしと真琴の頭を撫で、カイトが促すように歩きだした。


「さ、今度は市場に行こう。色々と美味しいものがある」

「うん」


 せっかくだからちゃんとピッタリな服もみてみようなと言われて、さすがの真琴も申し訳ない気になる。


「僕って、カイトにお金ばっかり使わせてる?」

「そんなことないさ。安心しろ、働いて返してもらうから」

「うんっ」


 外国からきた珍しい陶磁器だとか、織物だとか、そういったものもあったが、食べ物屋も多かった。

 カイトは食べ物関係しか見ていないし、真琴も別に雑貨に興味があるわけではない。


「この肉が辛くていいんだ。ほら、一つ食べてみろって」

「・・・(から)っ、何これ、辛すぎっ」

「そこがいいんだろ。ははっ、水飲むか?」

「飲むーっ」


 食べ歩きしながら、二人は仲良く観光を続けていった。






 地方にいた第1等神官ファミルイードがギバティールに戻ったのは、街角に貼られていた絵の本物が王城から盗まれたという報告があったからである。

 ふと気が向いて、外にある信者の為の神殿を通過してみようとすれば、とても生意気な少年がいて、しかもその少年は二階の窓から逃げ出すといったことをやらかしてくれた。

 どこぞの島から出てきた田舎者ということだったが、ならば猿のように身軽なのも致し方あるまい。


(この儂の顔を潰してくれおって)


 一般人は立ち入り禁止の大神殿。

 不愉快な気持ちを抱えながらファミルイードが帰還すれば、かなりざわついていた。


「どこも落ち着きのないことよ。全くもって最近の若者は嘆かわしい」


 背後に供の神官達を連れて歩けば、ファミルイードの姿を認めて、前方から来ていた神官達も廊下の脇に寄って次々と頭を下げていく。

 大神殿において、第1等神官はまさに権力の象徴だ。

 ちょうど急ぎ足で歩いてきた神官もまたファミルイードに気づき、一礼してから声を掛けてきた。


「ファミルイード様、お戻りでいらっしゃいましたか。お待ちしておりました」

「うむ。今、戻った」

「お帰りなさいませ。よろしければ今すぐ緑の間へ。これから大事な集会がございます」


 そこで、ファミルイードの背後にいた神官達が不機嫌そうに言う。


「ファミルイード様は今お戻りになったばかりですぞ」

「全く。女神様と神子様方の絵が王城から盗まれていたと聞いて慌ててお戻りくださったというのに、休む暇もなしにとは、一体どんな大事な集会だと・・・」


 けれどもファミルイードに声を掛けた神官はさっさと黙らせる手段に出た。


「絵ではなく、神子様についての報告が行われる予定の集会でございます」


 さすがのファミルイードの供達も、いびろうとしていた言葉を止めて、その神官に向き直る。


「神子様の行方がっ!?」

「いいえ、それとは違うのですが・・・。どちらにしても廊下の立ち話ですませることではございません。どうぞお急ぎくださいませ。私も今、皆様の為に資料を取りに参るところでございます」


 ではと、その神官は足早に去っていった。

 ファミルイードも緑の間へと急ぐ。緑の間に入れば、そこには様々な神官が揃っていた。


「ファミルイード殿。戻られたか」

「あの大元の絵が盗まれていたと聞いて慌てて戻り申した。神子様の行方が分かったとか?」

「いや、分かったわけでは・・・。だが、まずはお坐りくだされ」


 ファミルイードも頷いて、上席の一つに座る。

 周囲の第1等神官は誰もが苦々しげな顔になっていた。


(なれば恐らく意味のない報告であろう。行方が分かったならば、こうではあるまい)


 ファミルイードは両隣にいた第1等神官に語りかける。


「そういえば先程、外の神殿を通ってまいったのですがな。思うのですが、今度から信者以外は立ち入り禁止というのを決めてはいかがか」

「なんと。だが、信者以外の者などおりませんでしょうに」

「そうですぞ、ファミルイード殿。一体何をまた・・・」


 周囲の第1等神官達が、いきなりの意見にやや戸惑いながらファミルイードを見る。各々の第1等神官の背後にいた第2等や第3等といった側近神官達も、顔を見合わせた。

 この世界に、女神シアラスティネルを敬愛しない生き物など存在しないからだ。


「いや、それがですな。聞いてくだされ。先程、外の神殿で、一人、祈りもしない少年がおったのです。それを神官に(たしな)められれば、祈り方を知らぬと言う。ならばと、この儂がその神官に祈り方を教えてもらえばよいと言えば、その必要はない、祈ることはないからと、こう申したのですよ」


 さすがにその言葉が聞こえていた神官達全員が驚き、ファミルイードを仰ぎ見た。

 近くにいた第2等神官達まで、それぞれの手を止めて自分達の上席にいる第1等神官達を見上げてくる。


「なんとっ」

「祈る必要などない、ですか」

「なんという不敬な」

「嘆かわしい」


 全くだと思いながら、ファミルイードはその不満をぶちまける。


「どこぞの聞いたことのない島の出身だと言っておりましたが、どんな小さな島であろうと女神シアラスティネル様をないがしろにしていい筈がない。しかも聖神殿と大神殿をごっちゃにして、どうして神殿が白く光ってないのかと、そんなことも言っておりましたな」


 そこで周囲にも苦笑が漏れた。


「なんと。白く光るのは女神がお暮らしになっていらした聖神殿のみ。そんなことも知らぬとは。どんな田舎者でございましょうな」

「まさに愚かな。ここを聖神殿と勘違いしていたのでしょうか。物知らずなことだ」


 話が聞こえてしまった第2等神官達もそれぞれに失笑するしかない。


「神殿もないような島があるとは」

「いやいや、島だからこそ、まともな神殿も建てられぬのでしょう。きっとギバティに行けば全ての神殿は白く光ってるとでも思いこんでいたのでは」

「そう思うと哀れなことですな。話に聞く聖神殿を誰でも見ることができると思っていたのであれば」


 そこかしこで、皮肉気なくすくすといった気配が起こる。

 本当に今時の子供は愚かなことよと、ファミルイードも頷いた。


「全くもって礼儀知らずで常識知らずな上、更に言うに事欠いて、女神のことならこの儂よりもよく知ってると言ってのけましたな。しかも儂が第1等神官だと知っても、負けるのは女神様との付き合いの長さだけだと、こう言い返してきました」


 さすがの神官達も呆気にとられる。

 第1等神官といえば、ほとんど高位貴族といってもいいぐらいの権勢を誇る地位にある。

 いや、その場で立って控えている第4等や第5等の側近神官達ですら、ほとんどの神殿ではそこに所属する全ての神官達が深く頭を下げる立場にあるのだ。


「なんと。それはまことか? そなたら、ファミルイード殿がそんな侮辱を受けておったというのにでくの坊の如く黙っておったのか? 答えよ」

「まさか本当にそんなことが?」


 ファミルイードではなく、その背後にいた側近の神官達が叱責されてしまったのは無理のないことだろう。

 普通の最下位神官でさえ、一般民衆からは敬意を持って恭しく接せられる。その神官でも最上級の第1等神官に向かって、ただの少年が生意気な口など利いていいものではない。


「本当でございます」

「申し訳ございません。我らが捕まえようとしたら、その少年はかなり身軽なものでして、二階の廊下へと飛び移り、窓から逃げたのです。追いかけましたが見失いました」

「更に、二階の窓から我々に向かい、神官などは女神の威光を笠にきる強盗集団だと罵倒していきまして」


 口々に言い募る神官達である。

 その勢いに、真実だと理解した周囲の神官も険しい顔になった。


「そんな不届き者を神殿内に入れたとは・・・。いくら外の神殿が開放されているとはいえ」

「全くですな。なんという慮外者か」

「この大神殿でそんな不埒な行為に及んだ愚か者です。他の神殿でもやるかもしれませんな」

「即刻、貼り紙をいたしましょう。女神シアラスティネル様を信じぬ愚かな子供だと」

「そうですな、それがいい。・・・そうして誰からもそっぽを向かれてしまえば、その子供も自分がいかに愚かなことをしたかを理解するでしょう」

「見せしめは大事です。次の愚か者を出さぬ為にも」


 そこで一人の第1等神官が命じる。


「その少年の特徴を書き記し、似顔絵も作成するのだ。そうして貼り出すがよい」

「かしこまりました」


 命じられた神官が筆記具を取り出し、ペンを握った。


「ファミルイード様、皆様。よろしければその少年の特徴を教えてくださいませ」

「ふむ。黒髪であったな。だが、それ以上は・・・。そなたら、覚えておるか?」


 ファミルイードの言葉を受けて、供をしていた神官達も覚えていることを口にする。


「何やら聞き慣れぬ名前の島出身だと申しておりました。ジャハンだか、ヤパンだか・・・」

「名はマーコットと申しておりましたな」


 しかし、そこで緑の間にピキーンッという何かが走った。


「黒髪の少年でマーコットッ!?」


 いきなり右隣の第1等神官ウーカシュからファミルイードは文字通り胸倉(むなぐら)を掴まれる。


「なっ、何をいきなり乱暴なっ」

「お答えくだされっ。ファミルイード殿っ、その少年、幾つぐらいであったとっ!?」


 目を白黒させながらファミルイードは背後の側近神官達を振り向いた。

 なぜなら、少年の年頃など自分には分からないからだ。


「恐らく、・・・14か、15才程度ではないかと思いますが」

「瞳の色はっ!?」

「黒か、茶色か、そんな色だったと」


 側近神官達の方が具体的に答えるものだから、ファミルイードの胸倉を掴んでいた手が離されて、今度はその神官の襟元をぐいっと掴んで引き寄せた。

 それを誰も止めないばかりか、ぐるりと神官達が怖い顔で取り囲む。


「髪の長さはっ!?」

「えっと、男の子らしく普通に首筋程度までで・・・」


 どうしてこんなにも皆に詰め寄られるのかと、ファミルイードの側近神官達は体を()()らせつつ、気持ちもかなりたじろがせて答えた。


「その少年、ファミルイード殿よりも女神を知ってると言ってのけたのだなっ!?」

「あ、はい」


 そこで一人の神官が、静かに尋ねる。


「その少年、いや、そのお方、お怪我をしている様子は?」

「怪我? いえ、元気なものでございました。何と言っても身軽にベンチへと飛び移り、更に二階の手すりをくるりと回転することで二階通路に着地までしてみせたのですから」


 そこで周囲の神官達に、ほうっと安堵の空気が流れた。

 確認の為にと、もう一人の神官が尋ねた。


「祈りはしないと言ったということだが、それは女神をお嫌いだという意味だったのか?」

「あ。いいえ。信じてはいるそうです。存在していることは神官などより遥かに知っていると偉そうに言ってのけました。ですが、祈る気はない、と」


 周囲を取り巻いていた神官達が目配せをし、頷き合う。


「すぐさまギバティール中の各神殿に号令をかけよっ。丁重にお迎えするのだぞっ。そして似顔絵を作成して各神官にもたせよっ」

「はっ」


 さすがにファミルイード達も、嫌な予感がせずにはいられない。


「そ、それは一体・・・」

「ファミルイード殿。どうしてそこで気づいてくださらなかったのか」


 先程までなんという不届き者がいたのかと、そう言っていたくせに、いきなりの掌返(てのひらがえ)しである。

 まさに嘆かわしいといった面持ちで、全ての第1等神官達がファミルイードを見遣(みや)った。

 ファミルイードもわけが分からず戸惑うしかない。


「全くでございます。第1等神官よりも女神を知ると豪語できるお方など限られておいででしょうに」

「そこでまだ丁重におもてなししてくだされば、誤解も解けましたものを」

「わざわざここまでおみ足を運んでくださったというのに」


 まるでファミルイードが、もの慣れぬ若子のような言われようだ。まるで、情けない人間だと言われているかのような気にすらなる。いや、そう言われている。


「祈りを捧げるのはただ人のみ。一番お近く、それこそご一緒にお暮らしになっていらした()のお方にしてみれば、何故自分が今更とお思いになるのも致し方なきこと」

「白く輝く聖神殿でお育ちになったお方。どうして普通の神殿をご存じでありましょうか」


 その少年も物知らずなことよと、彼らが言っていたのはつい今しがたのことである。

 しかし一転、いきなりファミルイードが愚かで何も分かっていない不敬な奴扱いとなっていた。


「いや、ちょっと、ちょっと、・・・ちょっとお待ちくだされ」

 

 さすがのファミルイード一行も事態を把握する。ファミルイードも自分が知っていた情報を、頭の隅から引っ張り出した。

 そう、それならばおかしいことがある。


「だっ、だがっ、髪は月の色でも夕焼け色の瞳でもっ、更に・・・っ」


 そこで周囲が溜め息をついて諭すような口調となった。


「あの貼り紙に使われていた大元の絵は、ただの黒一色のスケッチだったとのことです。王城が勝手に神子様の髪と瞳の色を決めただけにすぎません。・・・そして少年とおっしゃいましたが、少年の格好をしていただけで、少女ではありませんでしたかな?」

「あれが、・・・少女で、あったと。い、いや、そう言われてみれば・・・」


 本来、今からの集会で皆に伝えられる予定だったのは、女神と神子達を描いた大元の絵を盗んだ少年とされていたのは神子様本人で名前をマーコットといい、矢傷を負っている筈なのにまだ見つからないという報告だった。

 しかし急展開したこの状況。

 緑の間は瞬く間に騒乱状態となり、信者たちが祈りを捧げることのできる神殿は一時閉鎖された。


「マーコット様はお一人だったのでしょうか、それともどなたかと一緒でしたか?」

「どの位置においでだったのです?」

「おおっ。このベンチに足をかけられて二階のあの手すりにっ」


 そうしてファミルイードとその一行、そして会話した青年神官は何度も真琴とのやり取り状況を再現させられ、かなりへとへとになったのである。




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