100 遥佳は愛人にされて、真琴はふてくされた
通常、お城の王子様からのご招待となれば、もっと丁寧なものではないだろうか。たとえば王室の旗がついた馬車だとか、護衛騎士の同行とか。
(期待なんかしてないけど、本当にどこまで乱暴で身勝手なの)
ミザンガ王城内のゲオナルドが使用している棟に連れ込まれた遥佳は、やっと話せる状態を迎えていた。
それまで何も話さなかったのは、何を言ったところでこの第三王子が聞く耳を持たないことが分かっていたからだ。
誰だって男の小脇に抱えられた状態で運ばれたら、何も言う気にならなくなるだろう。長いスカートでよかった。
「ま、飲め」
「はあ。そりゃ強引に連れてこられたんですから、お茶ぐらい頂きますけど」
こってりとしたバタークリームを使った菓子は甘くて、遥佳にだけ出されたところが、ゲオナルドが普段甘いものを食べないことを物語る。
「まあ、話は簡単なことなんだ。俺は今、受けたくもない結婚話を持ち掛けられている」
「馬には乗ってみよ人には添うてみよと言います。まずは結婚してみたらいかがです?」
「やめてくれ。今度結婚に失敗したら、俺は辺境に飛ばされちまう」
数人がかりで押さえつけられて髪を切られ、不精髭もきっちり剃られてしまったゲオナルドだ。
相手から断られるとは思えないだけに、かなり手詰まりの状況に置かれていた。
だからこそ遥佳の存在を思い出したのである。
自分を王子と知っているくせに普通な対応をしてくる小娘の存在を。
「いいか? まだ結婚してなければ、傷モンにしただの我が国を冒涜しただの言われんで済むが、結婚したら手をつけんわけにゃいかねえ。しかし、だ」
ゲオナルドは重々しい口調で言った。
「俺はあのふにゃふにゃした女が嫌いなんだ」
「男が好きだと打ち明ければいいのでは?」
「駄目だ。そうなると好みじゃねえ男から迫られることになる」
「なんて我が儘な・・・」
普通の女の人は、いつだってそんな状況に生きているというのに。
好みじゃない男性から好意を持たれて迷惑したことのない女性を探す方が、難しいぐらいだ。世の中には痴漢だの変質者だのといった性犯罪者が、どれくらい多く生息していることか。
(女の人なんて好きな格好をしているだけで、誘っただの、見せつけてきただのと、言いがかりをつけられるというのに)
そんな遥佳の非難が通じたのか、ゲオナルドはぽりぽりと頬を掻いた。
「いいか? 男ってのは勘違いで突っ走る生きもんなんだ。ああいう奴らに、俺を口説いてもいけるだなんて誤解が蔓延してみろ。どんなことになると思う?」
「さあ? 私には分かりかねます」
かつて「明日から神子姫様好みの男になれる方法講座」を開催されてしまった神子姫様は、そういう話題にはもう食傷気味なのである。
ゲオナルドは、ふっと皮肉気な笑いを浮かべた。
「なあ。共感と理解の為に、少女から大人の女に移り変わる微妙な時期こそが魅力的だって持論の奴らに囲まれる経験させてやろうか? そういう奴らに限って、自分好みの対象外なウッフーン、アッハーンな女達に囲まれて生きてるからな。心の底から泣いて喜んでくれるだろうさ」
男の好みは千差万別である。
そしてサバサバした性格の女性が好みだという男性に限って、何故かネチネチした性格の女性に囲まれていたりする。
「いえ、理解しました」
即座に、遥佳は前言を撤回した。
けれども理解と受諾は別物だ。
何と言っても遥佳は優理、つまりパッパルート国王の婚約者ユーリ姫になりすまして色々な人達と会っている。たしかこのミザンガ王国の高官達とも会っていた筈だ。
「けれども私にはとても荷が重いのです。ですから・・・」
そんな遥佳の婉曲な拒絶に取り合っていられない事情がゲオナルドにはある。
もうゲオナルドの尻に火はついているのだ。
「なあ。お前さんと一緒にいるイスマルクって神官、第5等だったな。ところで、毎年一回、各王国には第1等から第6等までの神官の名前が一覧表になったものが届くんだが、今年のそれにあのイスマルクって奴の名はなかったんだが?」
「・・・・・・」
「まあ、どう見てもあいつは神官だろうが、なぁんか怪しいよなぁ? 調べてみてもいいか?」
「・・・謹んで協力させていただきます」
遥佳は、そう言うしかなかった。
本当に問い合わされたら、イスマルクというかつて神官だった男は、神子姫と姿を消したことがバレてしまう。
(それこそ神官が数百人がかりで押しかけてくるわ。私だってヴィゴラス無しに空を移動なんて・・・頑張ればできるけど、どっちにしても逃げ続けるのは大変じゃないの)
ゲオナルドは満足そうに頷いた。そうして、遥佳の向かいの椅子にどさっと座る。
「良い心がけだ」
「だけどっ、・・・私っ、パッパルートの・・・っ」
「ああ。大胆にもお前、新国王の婚約者の名前なんざ名乗ってたな。で、本当の名前はなんて言うんだ?」
常識的に考えて、国を跨いでの愛人ならばやはりもっと色気が漂い、男をいい気持ちにさせる美女をどこも用意することだろう。愚かな妄想をしてしまったもんだ。
そう考えたゲオナルドは、単にあの地下牢を出たいばかりに遥佳が適当なことを言っただけなんだろうなと、結論づけていた。
「・・・ユーリよ」
「嘘こけ。たまに俺が名前呼んでも反応が遅れてただろ。偽名ってのは分かってんだ。よりによってパッパルートのユーリ姫を名乗るなんざ何を考えてやがる、てめえは」
その新国王の婚約者を演じていた張本人です。だから間違ってません。
そう言ってしまえばどんなに気楽になることだろう。
「ハールカ」
「何だ、あの神子姫様と同じ名前か。ああ、それで偽名を使ってんのか」
驚いてゲオナルドは遥佳を見直した。
「だが名前負けだな。ハールカ姫はとても物静かでおとなしく、人と会うだけでも疲れて臥せってしまう程に神経が細やかでいらっしゃるそうだ。お前みたいに、人の顔を見たら嫌味を言う娘とは違う」
「・・・・・・あなたに私の何が分かるというの」
なんだかヴィゴラスの主張が感染ってしまっている遥佳だ。
けれどもゲオナルドに、遥佳の言い分を聞く気はなかった。
「まあ、いい。いいか、ハールカ? 俺は下町でお前と出会い、そして運命の恋に落ちたんだ。な? 大丈夫。そのどう見ても高貴さも上品さもないお前なら、皆が反対してくれるだろう。だが、それだからこそ上手くいくに違いない」
「・・・へー」
殴っていいだろうか。
どうしてこの第三王子は人を不愉快にさせる才能に恵まれているのだろう。これならキマリー国の第三王子ミファレーンの方がよほど可愛らしいものではないか。
遥佳はそう思わずにいられなかった。
「なんで私なの」
「お前なら俺に、後になって本当に結婚しろと言いそうにないからな」
ゲオナルドにとって大切なのはそこだ。
偽装婚約者が、フリをしている内に本気になるだなんて流れは遠慮したい。何より双方共に偽装婚約だと理解していても、その親や親戚が乗りこんできたらおしまいだ。
その点、遥佳はすべての条件を兼ね揃えていた。
「当たり前でしょ。そこまで趣味悪くないもの」
「だろうよ。あのイスマルクって奴の愛人なんだろ? なんだ、てめえみたいな色気のねえ子供にはまって、あいつ、神官としての道を踏み外したってところか? お見通しなんだぜ? そうでなきゃあ、神官の身分は捨てねえよなぁ」
ゲオナルドはにやにやと笑ってみせる。
これでも過去三年分の名簿に目を通したのだ。
「何がお見通しだっていうのよ」
「図星だろ。ま、俺様の眼力をなめんじゃねえってこった」
けっけっけと笑い出したものだから、余計に遥佳もムカッとくる。
これが自分より十も年上の男の言うことだろうか。
自分の方が切羽詰まっているのだから、イスマルクのことで遥佳を脅すのではなく、まずは頭を下げて頼んでくる立場だろうに、あまりにも傲慢すぎる。
「ぎゃっ」
だから遥佳は無言のまま、油断していたゲオナルドの口にとても甘いジャム付きクッキーを叩きこんだ。
ふっと、鼻で笑ってみせる。
「口にしたものは吐き出すものではありませんよ。勿論、王子様なんですから言われなくてもご存じですよね?」
「こ、・・・このっ、・・・色気無し娘がっ」
そして第三王子ゲオナルドは、この都合よく調達してきたつもりの小娘にこれから支配される日々が始まるのだと、まだ気づいていなかった。
遥佳を連れていかれてしまったイスマルクは、どうしたものかと部屋の隅にあるソファに体を預けて苦悩していた。
「ま、そう悩みなさんな。あの言い分だと、素人で尚且つ王子のステイタスに目が眩まないだろう彼女に目をつけただけのことさ。その結婚話とやらが壊れたら返してくれる」
カイネが慰めても、イスマルクの顔は浮かない。何度目かも分からぬままに、膝に顔を埋めんばかりに前のめりとなり、その黒髪を手でくしゃくしゃとかき混ぜた。
その深く懊悩している様は気の毒にも思うのだが、心配しすぎだろうともカイネは思うわけである。
「あん王子ならひどいこたせぇへんわ。ちゃんとそう言ってったやんか。信じて待っとり」
ドレイクなど、さっさと屋敷を出ていった程だ。
「それこそあり得ない。そのまま妃にされるだけじゃないか。ああ、あんなにも可愛くて、この上なく素直で心優しい、愛らしさの化身な彼女を誰が手放すというんだ。今頃、怯えてさめざめと泣いている彼女に何が何でも結婚しろと、強く迫っているに違いない」
「なあ。肝心の王子にあの子が今までどういう対応してたか、ちゃんと見てたか?」
駄目だこりゃと、カイネも天井を見上げる。
「あんな王子にすら茶まで出してあげていた慈愛の権化じゃないか。あんなにも心美しく汚れない魂を知ったからと言って、あんのクソ王子がよくも」
「あのな、イスマルク。普通、王子と知ったら誰しもそれなりにちやほやするわけでな。王子に飲み物のトレイは持たせるわ、昼食の礼代わりにおつかいをさせるわ、かなりぞんざいだったろ? 王子だって、身分を知ってる相手にあそこまで大雑把な対応されたの初めてだと思うぞ」
「だからって恋に落ちるだなんて。ああ、可哀想に。あんなおっさんなんかに」
王城に行ったところで会えるわけがない。今となっては神官を辞めたイスマルクでは、身元確認がきっちりとされる王城の門を通れる筈もなかった。
(せめてユーリ様が帰ってきてくださったならどうにかなるだろうか。いや、あのトリ犬でもいい。空を飛んで連れて帰ってきてくれれば)
あとはもうサフィルスがきちんと伝えてくれたであろうことを信じて待つしかない。
そこに希望を見出すイスマルクだが、肝心のメッセンジャーであるサフィルスは優理ではなく真琴の所へと向かっていた。
キマリー国内にあるロードニア島に行く船は、海賊に襲われるという不幸な事件があったものの、カイトとルーシー、そして真琴により海賊が無力化された為、乗っ取りを防ぐことが出来た。
乗り合わせていたリヴィール王国の王子イアトンも無事である。
勿論、船長を始めとした船員のほとんどは大なり小なりの怪我を負わされていた。けれども皆で手当てし合えば、それなりに痛む体を押して動くことはできる。
「ここまできたら引き返すよりも島に向かった方がいい。駐留している兵士達がいる筈だ」
船長の判断により、船はロードニア島へと向かうことになった。
そこへサフィルスが空から船へと舞い降りる。
「覚悟しなさいっ。マーコットに手を出してたら承知しないわよっ!」
扉を蹴飛ばす勢いで乗りこんできたサフィルスだが、そこには海賊が制圧された痕跡しかなく、助け出された人達が船員達の縄を解いている最中だった。
「結び目が固すぎるっ。こっちナイフ貸してくれっ」
「ちょっと待てっ」
「薬箱くれよっ」
まさに野戦病院のような状態だ。
(あら。なんか終わった後みたい?)
しょうがないのでサフィルスは、そこにいた人達に尋ねてみた。
「銀髪に水色の目をしたお兄さんか、黒髪に黒い目をしたお姉さんか、金髪にセピア色の目をした娘さん、見なかった? 多分、海賊を退治したのはその誰かだと思うんだけど」
「あー? そんなら特別室のある階にいるんじゃないか? すげぇ強かったもんな」
というわけで、サフィルスは特別室のある階とやらに行ってみた。
勝手に扉を開けてみれば、一番手前の広い部屋で何やら問い質されたり叱責されたりしている男女が並ばされている。かなり深刻そうだ。
だが、サフィルスは空気も読まずに声をかけた。
「すいませーん。うちの連れ、見ませんでしたぁ? 銀髪に水色の目をしたお兄さんか、黒髪に黒い目をしたお姉さんかぁ、金髪にセピア色の目をしてるんですけどぉ」
じろっと、何かを怒って説教していた騎士達に睨まれる。
「それならゲームルームの方にいると思うよ。マーコットは乗客の中にいなかった筈だし、もしかして密航していたんじゃないかって船長が言い出しちゃってね。だけど今回、一番の功労者達だし、僕達の連れということでこちらに移ってもらったんだ。君もそうなのかな?」
その中で一番のんびりとした雰囲気のある青年が教えられ、サフィルスもちょっと考えた。
「密航? ああ、そう言えば私もチケットは買ってないわね。だって今、この船に着いたばかりなんだもん」
「え?」
「私、海賊に襲われたって聞いて、今、到着したのよ。だけど三人が無事かどうかは確かめさせてもらわないとね。じゃあ、そのゲームルームどこ?」
「いや、そこを出て左だけど、・・・その前に君、今着いたってどうやって?」
イアトンは、初めて身近に接した獣人に興味津々である。
その密航疑惑とやらも、それを口にした船長に向かって、真琴は言った。
『別に密航じゃないよ? 私、獣人だからそっちの姿だと手荷物に入っちゃうんだもん。だけどそう思うなら私、船に乗る必要ないから出てっていい?』
『え?』
『私、空も飛べるし、泳いで行ってもよかったんだけど、せっかくだから船に乗ってみただけなんだ。出てけばいいの?』
『そ、それは・・・』
その真琴の連れであるカイトは、何かと手伝ってくれていた。いなくなられるのは困る。
そこで見かねたイアトンの護衛騎士が、口を挟んだのだ。
『船長。彼女はたしかに獣人の姿ならばこんな鞄に入るサイズだ。たしかに密航したつもりはないだろう。ただ、かなりの数の海賊を彼女とその連れが殺してくれたから、船長達も生きていられる。まあ、お宅の立場もあるだろう。だから彼女はこちらの随員ということにしよう。それでいいな?』
『は、はい』
殺された海賊もいるが、生きている海賊も縛り上げて一室に閉じ込めてある。
もしこれで、彼らに逃げ出されたりでもしたら、真琴達にいなくなられるのはとても恐ろしいことだ。
何故ならイアトンの護衛達はイアトンのみを守り、カイトとルーシーだからこそ船員や乗客達を守ってくれたのだから。
カイトとルーシーは、大切なのは真琴だけだという姿勢を崩さなかった。
イアトン達は特別室のある階と普通の船室とを押さえていたので、余裕があったのである。
「そーゆーのは後よ、後っ」
事情を聞こうとするイアトンを振りきって、サフィルスが娯楽室に行けば、そこには椅子の背に抱きつく形で座りこんでいる拗ねた真琴がいた。
船は順調に、その鍾乳洞が美しいというロードニア島に向かっていた。何故なら風の妖精達がその向きへと船を押し出しているからだ。
それなのに、順調じゃないカップルもいる。
「なあ、マコト。何をさっきからそっぽ向いてんだ?」
「知らないっ」
「あのなぁ。怒りたいのは俺の方なんだが。どうしてお前は嘘をついて危ない所へ行ってたんだ?」
「知らないもんっ」
しかし、カイトに何を言われても娯楽室の椅子に座りこんでいる真琴はぶすくれたまま、カイトから顔を背けていた。それにかかずらっているカイトも弱り顔だ。
少し離れた場所からそれを眺めているルーシーは、汚れた手を洗って服も着替えてきたのだが、予想通りの成り行きに肩を竦めるしかない。
「ねえねえ、ルーシー。一体、何があったの?」
「それが、・・・さっきからずっとこうなんですの。まあ、理由は想像つきますけど」
そんなルーシーの服をちょいちょいと引っ張って、サフィルスが尋ねた。
「なあに? 海賊に船旅を邪魔されたのが嫌だったってこと? なら私が連れてってあげるわよ。その島に行きたいだけなら」
「違うわよ。海賊が乗り込んできたものだから、マーコットはここにいた王子様達、カイトさんは男の人達、そして私は女の人達の所へと手分けして別行動で乗客を保護したんだけど、カイトさんはマーコットが私といると思っていたのよ。だけどマーコットが王子様達の方へ行ったと知ったカイトさん、王子様の代わりにお姫様役をして身代わりになっていた侍女に場所案内させたのね。だけど海賊がいきなり切りつけてきたら危ないでしょう? その侍女を肩に担ぎ上げて案内させて動いていたんだけど、ばったり会ったマーコットがそれを見ちゃって・・・」
「あー、分かった。つまりマーコットったら自分以外の女の人をカイトさんが連れていたから拗ねちゃったのね」
「そうなるのかしらね」
その言葉が聞こえていたカイトが、「はあっ!?」と、振り返る。
「そんな程度でっ? 大体、たかが道案内させただけですよっ? それもこれもマコトの所にいち早く駆けつける為だけじゃないですかっ」
それはその通りだ。
だが、真琴のカイトに対する甘えぶりを知っている二人は首を横に振った。
大事なのは正論ではない。真琴にとって、カイトが自分ではない女性を抱えていたことこそが大きな衝撃だったのである。
「カイトさん。・・・鈍すぎますわ」
「同感。気持ちは分かるけど、それはちょっとねぇ」
他の誰でもなくカイトだけがいいのだという真琴の執着を知る二人は、何故それをカイトが分かっていないのかが疑問だ。
ルーシーとサフィルスの呆れた視線に、カイトが椅子の背に両手両足で抱きついている真琴を指し示しながら主張する。
「いや、だって王女じゃなかった王子とやらが隠れているのがどこか、あの人に教えてもらうのが一番早かったからそうしただけで、そもそもマコトがそっちに行ってなけりゃ俺だって慌てて駆けつけたりはしませんでしたって。大体、それを言うならどうしてこいつは他の男の服を着てんだってことになるでしょうがっ」
「それはそれ、これはこれですわ、カイトさん」
「そう言えばどうしてマーコットったら男物の服を着てるの? ちゃんと服は沢山あったでしょ? 動きやすい服だって女物で用意しておいてあげたじゃない」
「カイトさんと私との二人部屋で寝泊まりする為に、違う姿になってたのよ。だから助けに行ったのは蜥蜴の姿だったの。恐らく王子の服を借りたのね」
「ああ、なるほどね」
理由が分かれば、サフィルスもルーシーが呆れて見ていたのも納得だ。
犬も食わぬとばかりに、どうせすぐに終わるだろうと判断していたのだろう。
「しょーがないわねぇ。なら、カイトさんは先に島まで私が連れていってあげるわ。少し離れてれば頭も冷えるでしょ。こういう時は冷却期間よ、カイトさん。さ、行きましょ」
「え? いや、それは・・・」
ドラゴンの背中に乗せてもらうのも論外だが、ペガサスも同様だ。
何と言っても自分よりも華奢な女性達なのだから。
本体は違うと言われても、男としてそういう失礼な真似はできかねるという認識がカイトにあった。
「まあまあ。じゃあ、行きましょ。結構素敵な洞窟らしいじゃない。一緒に下見しておいたらいいと思うのよねー」
カイトの腕をとってサフィルスが連れていこうとする。
(まあ、その海賊とやらも一件落着していたようだし、それなら遠回りしちゃったけどユーリのところに戻らなきゃね。けど、来た以上は一仕事しておきましょ)
そう思ったからだ。
「駄目っ」
「・・・マコト」
さっきまで椅子に抱きついていた真琴が、カイトの腰にギュッと両手を回している。
しょうがないなと、カイトはその頭を撫でた。
「俺は男だから、不満があるなら言ってくれないと分からない。けど、お前が危ない所に行ってたら、相手が男だろうが女だろうが担いで道案内ぐらいはさせるさ。これからもな。だけど、傷つけたならごめんな」
「・・・・・・」
両手両足で椅子の背に巻きついていた時にはお手上げだったが、やっと違う姿勢になってくれたことで、カイトも真琴の両脇に手を入れて抱き上げる。
「ほら。機嫌を直せ。せっかくサフィルスさんも来てくれたんだ。肩車ぐらい、お前ならいくらでもやってやるから」
しかし、まだご機嫌斜めな真琴はぶすくれたままだった。
けれども抱きかかえてしまえばこっちのものだ。よしよしと撫でている内に機嫌を直すとカイトは知っている。
サフィルスもこれで一件落着と、ひと仕事を終えた気分だ。
「サフィルスさんはユウリ様の所へ戻るんですか?」
「ええ、そうよ。ラーナ宛ての手紙を見ちゃったからこっちに来ただけで、私、ミザンガに荷物を届けた帰りだったの。これからユーリの所へ戻ってイスマルクのお願いを伝えなくちゃ」
そこでぴくっと真琴が反応する。
イスマルクと最後に別れたのは、湖の横に建つ小さなお城みたいな家でのことだった。
「あれ? イスマルクってどうして? イスマルク、遥佳と一緒にゲヨネルだよね?」
「それがこっちに来ていたみたいなのよ。さっさとヴィゴラスに戻れって言ってたわ」
真琴は、不機嫌さも忘れてサフィルスを見る。
どうせ拗ねてみせていただけだ。真琴を見た途端、ディアリーテを放り出したカイトにそこまで怒っているわけではない。ディアリーテも大事なのはイアトンだけだったようだが。
「あ、そっか。ヴィゴラス迎えに来たんだ、遥佳」
「そうみたいね。全くヴィゴラスったら果報者すぎるのよ。口惜しいからもっと苛めちゃおっ」
今やヴィゴラスの弱点はドラゴンとペガサスにしっかり握られている。遥佳の名前を出せば、何かとヴィゴラスは翻弄されるのだ。
人付き合い初心者のヴィゴラスは、大切な遥佳のこととなれば聞き逃せず、また取り合うこともなく無視というグリフォンならではの最強手段をとることもできず、いいように操られていた。
「あの・・・。ヴィゴラス殿はいい人だと思うので、優しくしてやってください」
「カイトさんは甘すぎ。グリフォンがいい人だったら誰も苦労しないのよ。あの言葉というコミュニケーションツールを使えない幻獣のおかげで皆がどれぐらい苦労してると思う?」
「それは言えますわね。サイクロプスがせっせと火を熾していたら、ハッと気づいたらその鋳溶かす筈の鉱石が姿を消していたりもしましたの。それに宝石がくっついていたとかいう理由で。言ってくれればその部分だけ削ることもできますのに、本当にグリフォンってのはどうしようもない鼠みたいな幻獣なのですわ」
「え? ヴィゴラス、ちゃんと頼りになるよ? そりゃしつこいし、鬱陶しいけど。ついでにもう遥佳のところに返品しといた方がすっきりするって思うけど」
「・・・なんかもう、散々すぎないか?」
しかし真琴の機嫌は直っているようなので、カイトも良しとする。後で部屋に戻り、真琴の好きな菓子を取ってくれば大丈夫だろう。
(だけど俺も、俺のいない所では鈍いとか色々と言われてんのかな)
カイトはそう思わずにいられなかった。
ミザンガ王国の首都ザンガ。そこでドレイクも色々な商売をさせている。
だが、人数が減ったことを理由に、ドレイクは持っていた店や資産を次々と金に換えていった。
これだけの内部分裂があった後だ。誰もそれを疑う理由がない。
たとえ人数が減ったと言っても下っ端を雇えばいいだけのことだ。そう急いで売り払う理由もないだろうと、そんなことを言われたりもした。
(ほんまンことも言えへんしなぁ)
レイスは、この国で暮らし続けた方がいいであろう仲間達に、店を格安で譲ったりもしていたようだ。やはり家族が出来てしまえば、環境は変えたくないものだろう。
だから何かと慌ただしく動いていた。ドレイクが口出しをするよりもレイスに任せておいた方が、そこらへんは間違いがない。
レイスがまとめた書類に目を通しながら、ドレイクはぼやいた。
「やっぱしなぁ。あん金髪んサフィルスゆう姉ちゃん、ハールカって呼んどったんや」
「そうか」
「なあ、レイス。俺も馬鹿やないさかい」
「そうか」
しかし、レイスは取り合ってくれない。
「そうかしか言えんのかいっ」
ドレイクは唇を尖らさずにはいられなかった。
「どっちにしても気づいてただろ?」
「せやけどなぁ、気づいとんのと確信すんのとは違ゃうやろが」
ドレイクが机に上半身を投げ出してバタバタと子供っぽく足をばたつかせても、レイスは契約書を見ながら何かをメモしているときたものだ。
どうしてこんな自分の気持ちを分かってくれないのだろう。
ここはもっと何か劇的に熱く語り合うところではないだろうか。
ドレイクはそこが寂しかった。
「それにユーリじゃない方の彼女は、もう分かってる。なら、それでいいじゃないか」
「そらそうやけど。なんつーか、けじめがなさすぎんか?」
「別にかまわんだろう。そんなことより、ギバティールの方をどうするかだな」
反対にレイスはそんな感傷など後回しである。
基本的にリスクとは常に分散させるものだ。一つに賭けるのはすべきではない。
時間は有限で、やることは山積みだった。
「縮小しすぎんのはどうやろな」
危ぶむ様子で呟いたドレイクだ。
「けど、もう頃合いや。俺らは元々、食わせる為に手を染めたんやしな」
しかしすぐ一転して、投げやりな調子を漂わせる。
その口調にレイスは顔を上げた。
ドレイクの声音に何かを感じたらしい。
「疲れたか、ドレイク?」
「せやな」
立ち上がり、自分の斜め後ろへとやってきたレイスの腹に、ドレイクはその頭を凭れさせた。
「なぁんか疲れてしもたわ」
溜め息をつけば、仕方がないと諦められる。諦めたらまた歩きだせると、そう言ったのは誰だっただろう。
そんなとりとめのないことを考えながら、ドレイクは弱音を吐いた。
「仕方ない。俺らの気持ちを、あいつらは分かっていなさすぎたんだ」
「せやかて」
自分の家族とも思っていた。だが、彼らにとって自分達はただ寄生する為の存在だったのかと。
全てが終わったからこそ、ドレイクも虚しく思わずにはいられない。
「ドレイク」
こういう気持ちは、それが終わってからじわじわと自分の心を押し潰していくものだ。
まるで穴の開いた革袋のように、どんどんと心の中にあった力が抜けていくのをドレイクは感じていた。
「なんやったんやろな、俺らは」
自分は、誰の為に走り続けてきたのだろう。
目的も何もかも見失って、魂だけがぼんやりと漂う。
虚脱感に打ちのめされれば、立ち上がり方がドレイクには分からなかった。
「ああ。・・・だが、本当の仲間が誰なのか、改めて知ることができた」
ドレイクの黒い髪を、レイスの指がゆっくりと梳いていく。
その労わるような指先に、ドレイクは心慰められた。
(どんだけぶりやろ。女と寝るんでもないんに、髪梳いてもらうんは)
まるで母の膝で甘える幼子のように、覚えてもいない遠い日の記憶をドレイクは懐かしむ。
結局、自分は大切に思っていた人達をこの手の中から取りこぼしていくだけなのか。
確実な何かを手に入れたと思っても、それはぼろぼろと壊れていくだけで、結局は何も残らないのかもしれない。
「お前はいつだって頑張ってきた、ドレイク。だから、・・・悔やむな。裏切られん人間なんぞおらん」
レイスは、フッと小さく笑った。
「それこそユーリなんて騙されまくりじゃないか。なのに根性だけはしぶといぞ。見習ってこい」
ぷっとドレイクも噴き出す。
思えば短期間に何かをやらかしては袋小路にはまり、そうなったら違うことを考え出しては突っ走る。
まさに猪突猛進なインチキ占い師は、そもそも普通に隠れ住むことを考えなかったのかと言いたくなるぐらいに、馬鹿をやっていた。
「せやな。あん往生際悪いんはもう才能や」
「ああ。だけど俺達だってまだ歩いていける。そうだろう?」
その言葉が、まだ自分を包んでいることにドレイクは気づかされる。
「お前がもう立ち上がれなくなったなら俺が負ぶってやる。俺が力尽きたらお前が手を引いてくれるだろう。それにもう、俺達は二人だけじゃない」
生まれ育った場所や環境に共通点などなかった。それでも自分達は出会った。
そうしてぶつかりながら喧嘩して、それでもなぜか一緒にいるのが当たり前だった。
それを、レイスなら腐れ縁と言うことだろう。
「せや。・・・けど、あと少しこうしとってや」
出会った時にはあんなにも喧嘩していた自分達がこうなるだなんて、誰が思っただろう。
人の縁は本当に不思議だ。人と人とをこうして繋ぎ合わせていく。
「ああ」
もう駄目だと思っても、それでも差し出された手があった。かけられた声があった。
だから耐えられた。
だから、・・・これからも自分は手を差し出し、声をかけていけるだろう。
(それが仲間や言うことやから)
自分と袂を分かつことを宣言し、結果としてヴィゴラスによって殺された彼らとて共に笑い合えた日々があったのだ。
いつの間に心は離れていたのだろうと、今も自分の魂が嘆くけれども。
「お前は入れこみすぎる。だが、・・・そんなお前だから皆もついてきたんだ」
そんなドレイクの心などお見通しだとばかりに、レイスが慰めてくる。
「お前が傷つく必要などないんだ、ドレイク」
ドレイクは目を閉じた。
ミザンガ王城にいきなり現れた庶民の娘、ハールカ。
第三王子ゲオナルドが下町で見初めて連れてきたという少女は、あまりにも異端だった。
「いずれ俺の妃に迎える娘だ。ここの女主人として扱え」
「よろしくお願いします」
ゲオナルドの命令だったが、勿論、侍女や女官達は反発しようとした。
何故ならここはミザンガ王城。王族の近くに仕える彼女達は貴族の縁戚にあたる令嬢が多くを占めている。たかが下町の庶民が命令できる存在ではないのだ。
「お茶をもってきてくれるかしら?」
「お断りいたします。今、他の仕事で忙しいものですから」
だから最初は遥佳が何を頼んでも、適当にあしらわれていた。
何故ならゲオナルドが連れてきたといっても、すぐにこの城を追い出される存在だったからだ。
その対応が遥佳の決意を固めさせていたとは、彼女達も思わなかったことだろう。
(私、無理矢理に連れてこられて、だけど我儘も言っていないし、どう考えてもこの人達の方が悪いわよね? もう思いやってあげる必要ないわよね?
だって私が庶民の娘だからどれだけいびってもいいって思ってるんだもの。
つまり、本当はもっと身分が高い私が彼女達をいびってもいいってことよね? だってこの人達が先に私に仕掛けてきたんだから)
あくまで遥佳は様子見をしていたのである。
実際、第二王子アルマンは、弟王子がどこの馬の骨とも分からぬ娘を連れ込み、その娘と結婚すると主張していると知った途端、乗りこんできた。
「ゲオナルド。お前はどこまで馬鹿な真似をすれば気がすむのだっ。その下賤な娘とやらはすぐに追い出せっ。この愚か者がっ」
そうしてアルマンは、その場にゲオナルドと共にいた娘を睨みつけた。室内にいた女官や侍女達も成り行きを見るつもりのようだ。
弟王子が恋に落ちたという少女は、顔を鼻のあたりまで覆うような緑色の透かし織りを頭に軽く載せて髪留めで固定している。つまり、まだ学生なのか。
どちらにしても外国の姫君と縁談が持ち上がっているゲオナルドからは引き離すしかない。
「そこの娘っ。分不相応な夢は見るものではない。さっさと荷物をまとめて出ていけ」
ちらりと、その緑の透かし織りが揺れる。
「ちょっと皆に頼まれたからって、いい顔してホイホイ引き受けるものではありませんわ。詳しい事情も把握せずに乗りこんでくるなんてお行儀の悪いこと。とりあえずお座りになってくださいな。立って話すだなんてあまりにも失礼です」
その声に、アルマンは遥佳を見下ろした。
(ん? なんかどこかで聞き覚えがあるような声だな)
何故だろう。気のせいではない。自分はこの声を、どこかで聞いている。
ちょうどゲオナルドとその少女は、三人掛けのソファに離れて座っていたところだ。人前では節度を保っているらしいと、アルマンは判断した。
テーブルを挟んで向かいにある三人掛けのソファに座ったアルマンに、彼女は茶を勧めてくる。
「どうぞ。ちょうど淹れてもらったばかりのお茶ですの。ええ、そのお茶を淹れたのは伯爵家の遠縁の令嬢であるミリアさんですわ。ゲオナルド様のお側で侍女をしていらっしゃいますの」
「その王族に仕える侍女よりも自分がお粗末なことぐらいは分かろう。ここでその所作を見ていれば」
「そうですわね。とても素敵なお茶を淹れてくださいましたわ。そのお茶、トレイを拭いたリネンを洗った絞り汁入りですの。私にはとてもできないお作法ですこと」
「・・・・・・は?」
「私のような下賤な娘が淹れたお茶より、伯爵家の遠縁の令嬢が淹れた、トレイを拭いたテーブルリネンの絞り汁入りのお茶の方が安心できますわよね? どうぞお飲みになって? 私、ここの侍女に何かしてもらうよりも自分でした方がよほどいいのではないかと思っていたところですの。このお茶を見ながら」
「・・・おい、ゲオナルド」
「私としてはうちの侍女がそんなことをするとは思いたくないところでしてね。・・・というわけで、本人に飲ませればいいのではありませんか?」
最初は冷笑を浮かべていた侍女ミリアは、既にガタガタと震えている。
「どうぞ。ミリアさん、お飲みになって? あなたが淹れてくれたお茶ですもの。勿論、飲めますわよね?」
「そっ、それはっ。私が淹れたものではありませんっ。用意をしたのは他の侍女ですものっ」
「持ってきたのはあなたよ。だからあなたが飲んでちょうだい。それともあなたが飲めないものを、あなた、ゲオナルド様やアルマン様に飲ませるつもりだったの? あら、そうなると牢獄行きかしら。王族にそんなものを飲ませようとするだなんて、あなたのおうちも社交界から脱落しそうね」
「・・・・・・飲みますっ」
ぐいっと、そのお茶を飲んだミリアに向かって、遥佳は緑のヴェールを揺らした。
尚、アルマンに渡したティーカップは遥佳に出されたもので、ゲオナルドのカップにそんなものは入っていなかったが、まさかそこで遥佳のカップにだけそんなものを入れたとも言えないだろう。
「そうね。ところでそのお茶、あなたがメイドに命じて淹れさせたけど、あなたの気持ちをおもんばかって、そのメイド、雑巾の絞り汁に変更してくれたみたいよ? 床を拭いた雑巾の絞り汁だけど、お味はどうだったかしら?」
「・・・ぅおげぇっ」
そのミリアという侍女は、バタバタと室内から口を押さえて出ていった。
第二王子アルマンと第三王子ゲオナルドの前とは思えぬ無作法さではあったが、立ち上がった遥佳は、戸棚の中に隠しておいた冷茶入りのティーポットを取り出す。
「私が作っておいた冷たいお茶ですけどいかがです? それとも今度は普通に淹れてくると思いますから、他の侍女にお茶を頼みましょうか?」
「いや、いい。それを出してくれ。兄上もその方が安心だろう」
「う、うむ」
飲み物の中にどうしてそんな汚い汁を入れようと思うのか、それ自体が理解の範疇外だった王子二人は、あっけにとられていた。
そうして遥佳が淹れたお茶を飲んで、三人は何事もなかったことにして仕切り直す。
王子という職業は、そのまま何も見聞きしなかったことにする技能を持ち合わせていなくては生きていけないのだ。
「さて、兄上。紹介いたしましょう。俺は彼女と出会い、運命の恋を知りました。きっと俺の全ては彼女と出会う為にあったのです。どうか二人の結婚を兄上だけでも祝福してください。彼女は、ハールカといいます」
「お前は何を聞いていたのだ。だから、そんな下賤な女とは別れろと言っている」
アルマンも茶を飲んだことで少し落ち着きを取り戻していた。
「しかも、神子姫様と同じ名前とはどこまで図々しい。普通、改名する程度の遠慮は見せるものだ」
「生憎と、私の名前は私の両親がつけたものですわ。改名など、したければあなたがすればいいのです。下賤な女も何も、それどころではない下賤な女にはまっていらっしゃるのはどなたかしら」
さらりと、遥佳が告げた言葉にアルマンは思い出す。その声の持ち主の名を。
「まっ、まさか・・・っ。・・・リ姫っ!?」
知らず、アルマンの体がソファから浮こうとしてしまう。思い出すのは、ユーリ姫に次々と自分の密かな趣味を指摘された時のことだ。
「違いますわ。私はハールカ。それとも、あなたがご存じなどなたかと、私の顔がそっくりだとでも仰いますの?」
その問いに、アルマンは何も答えられなかった。
何故ならパッパルート新国王ディッパの婚約者ユーリ姫は、幾重にも重なったヴェールで顔を隠しており、誰もその素顔を知らないからだ。
けれどもこの厭味ったらしいセリフと声は、あまりにもよく似ている。
「初めて会った人に対しての礼儀もご存じありませんの、アルマン王子様?」
こほんと、アルマンは咳ばらいをした。
「し、失礼した。ところで、ハールカ殿とおっしゃったか。おうちはどちらかな?」
「親はおりません。名乗る家名も持ちません。私は街で占いをして生計を立てております」
それは庶民の中でも下層ということである。
アルマンは唇を歪めた。
「なるほど。だが、弟はこの国の王子。君は自分が王子の妃に相応しいと思うかね?」
「相応しいも何も、私は被害者ですわ。私がゲオナルド様と会ったのは、もうどれくらい前のことになるでしょう。今、私は17才ですが、ゲオナルド様と私の間には子供もおります」
「・・・・・・なんだと?」
子供ができたと嘘を言って結婚を迫るという手合いか。
アルマンの眉間に険しい谷間ができていく。
けれども遥佳が続けた言葉は、アルマンにとっても予想外のことだった。
「もう子供は3才になるでしょうか。あの頃、私はまだ何も知らぬ少女でした。そんな私を、ゲオナルド様は無理矢理・・・っ」
くっと漏れた嗚咽に、白いハンカチを握って涙を拭う遥佳だ。
「何ぃっ!?」
アルマンの頭の中でぐるぐると遥佳のセリフが回っていく。
(今、17才と言った。子供は3才。子供は、約10ヶ月で生まれてくるとして、そうなると13才の少女を・・・・・。ゲオナルド、お前はなんてことをっ)
そんなことが許されるのか。いや、そんな筈がない。
相手が誰かという問題ではなく、ゲオナルド自身の資質を問う事態だ。
17才と言うが、それでもまだ普通の17才よりも顔立ちは幼いように見受けられる。今、15才と言われても十分に通じるだろう。
四年前ならば、もっと幼い顔立ちだったのではないか。
(お前はっ、こんな童顔がっ、・・・それも本物の少女が好みだったのかっ)
アルマンは、弟の性的嗜好に眩暈を覚えた。
「子供はゲオナルド様そっくりですの。誰が見てもすぐに親子と分かるぐらいに。・・・私には親同士が友人だった婚約者もおりましたけれど、それが原因で家名を名乗ることも許されずに家を追い出されました。そして親は死んだものと思え、こちらももう娘は死んだものとみなす、さっさとどこへでも出ていけ、と」
ぐすっと、遥佳がハンカチを瞼に当てる。
「そうして必死に生きてきました。ゲオナルド様との子供を里子に出し、学業の合間に占いで生計を立て、その里親へせっせと仕送りをして育てていただきながら。あの子を、引き取れる日だけを夢見て」
「そ、それは本当なのか」
アルマンが上擦った声で尋ねた。
白いハンカチを目に当てたまま、遥佳は頷く。
「ええ。ゲオナルド様は、里親に連れられているあの子を見てしまい、あまりにも自分によく似た子供が似ていない老夫婦と共にいるというので事情を尋ね、私のことを探り当てていらしたのです」
優理と違って玉葱スライスを仕込みはしなかった遥佳だが、お育ちのいい王子はそのハンカチを取り上げるような真似はしなかった。
「そうして私が、あの頃とあまりにも顔かたちが変わっていないことに驚かれ、そういうことなら妃になれと仰ったのです。成長しても大人びた顔かたちになるのではなく、あの頃と変わらぬままの私ならば妻にしてやってもいいと。そうしてお城に連れてこられたのです」
アルマンだけではなく、ゲオナルドも黙りこんでいた。
(たしかにな、ハールカ。俺は結婚話を壊してくれと言った。そして男に襲われる人生もごめんだと、たしかに言った。だが、これ、シャレにならなくねえか?)
今、自分は最低な男だと兄に認識されたことだけはゲオナルドも理解できる。
「あ、兄上。どちらに・・・?」
「戻る。ゲオナルド、お前という奴はっ。本気で見損なったっ」
そうしてアルマンは、足音も荒く部屋から出て行った。室内にいた侍女達も、ゲオナルドに対してどこか冷ややかそうな眼差しとなっている。
それでもゲオナルドは第三王子。いくらロリコンでも、それを理由に王族の中に庶民の娘を迎え入れていいものではない。
(それならうちの妹なら・・・。そうよ、あの子は9才だもの。婚約するというのであれば・・・)
そんな思惑も侍女達には生まれる。庶子などまともな王族としては認められないが、自分の妹ならばきちんとした正妃扱いで、生まれる子も嫡出子となるのだから。
しかし、遥佳はそんな侍女達に冷たい視線を向けた。
「あなた。悪いけれど、お茶をポットに入れてきてくれるかしら? 少し薄目にね」
「私はお茶の係ではございません」
「なら、いいわ。もうここには来なくてよろしい。出ていきなさい。どうせ仕事などしていない侍女なのだから減っても問題ない筈よ。ゲオナルド様が見ている時だけ、せっせと働いているフリして、後は王太子様の護衛と仲良くやってるんじゃね。そろそろ責任とってもらったらどう?」
「なっ!? あなたに出て行けと言われる覚えは・・・っ」
「私はゲオナルド様の婚約者。つまり、この棟の女主人。この棟で働く侍女は全て私の管理下におかれます。・・・そうですわね、ゲオナルド様?」
「あ、ああ」
そんな筈はないのだが、遥佳が兄王子にやらかしてくれた小芝居の大胆さに気圧されていたゲオナルドは首肯してしまう。
ここに遥佳をよく知る優理や真琴が居れば、すぐに気づいただろう。
ブラック遥佳の降臨だと。
そう、遥佳はもう忍耐の時間を終えてしまったのだ。アルマン王子の来訪が、遥佳にとって始まりのゴングとなった。
「じゃあ、あなたが用意してくれる?」
そうして遥佳は扉の近くにいた侍女に声をかけた。
「お断りいたします。あまりにも強引すぎるではありませんか。たとえゲオナルド様と婚約なさるにせよ、そうならないにせよ、私達はこの城に雇われているのです。あなたに仕えているわけではございません」
貴族の一員としてのプライドが、こんな素性も知れぬ娘に傅くなど冗談ではないと告げる。
「私が聞きたいのは、『はい』の一言だけよ。偉そうに言うのなら、あなたの素性を申告してきたらどう?」
「え?」
「勝てない喧嘩は売るもんじゃないわ。あなた、子爵家令嬢ってことになってるけど、本当のあなたのご両親は、娘にいい縁談を掴ませたくて、だから子爵家にたーーー」
「すぐにご用意いたしますっ」
一気に顔を青ざめさせた侍女は、遥佳の言葉を遮った。
「ならいいわ。うまくやっていきたいわね、私達。それから薄めのお茶と言ったのは、これから他の貴婦人が来るからよ。香りがいいお茶を選んでちょうだい。ああ、変なものが入った不味いお茶は淹れないでね」
うふふと笑う遥佳の表情は、あまりにも得体が知れない。
その棟の実質的な管理を任されている女官が、いささか険しい顔になる。
「ハールカ様と仰いましたか。ですが、あなたはまだお客様でいらっしゃいます。命令を下す立場にはございません」
「知ってるわ。けれどそれじゃ話が進まないの。それに立場がどうこう言うのなら、あなた達はどうなの?」
「どういうことでございましょう?」
軽蔑するような遥佳の言い草に、女官はむっとした顔で問い返した。
その遥佳は、中指にはめた指輪を眺めている。
その指輪には緑色の美しい石が輝いていたが、この棟で働く侍女やメイド達は、「どうせガラス玉でしょうよ」と、陰口をたたいたものだ。
「ゲオナルド様の最初のお妃様、その方に色々と吹きこんだのはあなた達でしょ。ゲオナルド様がだらしないのは、それだけあなたを愛していないから身なりを整える気にもならないようですわとか、あなたのことは肌も汚いと仰っていましたとか、そんな嘘ばかりついて。自分が仕えている王子夫妻の仲を引き裂いて楽しかった?」
ゲオナルドは、その女官をばっと振り返る。
「そ、そんな出鱈目を・・・」
「出鱈目かどうか、すぐに証明してあげてもいいのよ? ゲオナルド様の元お妃様、ご自分が情けなくて惨めで、離婚した時にはそんなこと、口になんてできなかったでしょうけど、今はもう時間も経ったもの。今なら当時のことを話せるんじゃないの? 心の傷も癒えたでしょうしね」
遥佳は、ソファに座ったままで女官を見上げた。
「どう思うかしらねえ、この国の王様と王妃様。まさか息子夫婦の仲が壊れたのは、そして外交的にも面倒なことになったのは、あなた達が原因だと知ったなら。
あなたが愛人をしている侯爵も、役立つと思えばこそあなたと繋がっているのに、そんな人間だと知ったらすぐに捨てられそうね。いいお手当ても出ていたのにねぇ」
「な・・・っ」
「ああ、だけどその前にあなたの一族も全員責任をとって辞職することになるのかしら。
だって政略結婚は一つの外交だもの。それをあなた達、面白がって壊したのよね? それって国家に対する反逆罪になったりするのかしら。
そのあたりをちょっと外交担当の大臣に聞いてこようかしらね?
あちらの国も元お妃様に確認を取ってから、遠慮なくミザンガ王国の不実を責め立ててくるでしょうよ。ミザンガが背負う賠償、どうなるのかしらねぇ。あなた達の一族の全財産を合わせても足りないんじゃないかしら」
女官は、顔を赤くしたり青くしたりと落ち着かないが、ゲオナルドだって心はとても複雑だ。
何故なら彼女達はいつだって自分には優しかったのだから。そんなことをしていただなんて、今まで考えたこともなかった。
「私はこれでも優しいから、あなたに質問してあげる。この棟においては、ゲオナルド様の婚約者である私が女主人だと思うのだけど、あなたはどう思う?」
「そ、・・・その通りで、ございます」
「そうね。他の侍女や女官達にもそれを徹底してちょうだい。私が握っている情報、まさかこの程度とは思わないわよね?」
「は、はい」
「じゃあ、とりあえずお茶だけじゃなく、お菓子も用意してもらえるかしら? これから更にお客様がいらっしゃる筈だから、カップも多めに持ってきてちょうだい。あと、私用にわざと汚い布で拭いたカップやカトラリーも特別に用意していたみたいだけど、ああいうのを使われるのも遠慮したいわ。私が外交担当の人達と会うも会わないも、あなた達次第よ?」
「か、かしこまりました」
女官が出ていった際に、そそくさと他の侍女達まで全員、部屋を出ていく。
しばらくしてから、ゲオナルドはかすれた声で尋ねた。
「なあ、おい。どうして、それだけの情報を握ってたんだ?」
「これでも占い師なんです。私がこの指輪を見ながら話していたの、気づかなかったんですか?」
「お前、本物の占い師だったのか」
「そう言ってるじゃありませんか」
パッパルート王宮と違い、第三王子を含め、その棟で働く女官や侍女達はそこまでの目利きではない。
遥佳の指輪がグリーンダイヤモンドとも気づかず、ただのガラス玉だと思っている。
そして遥佳は、この詰めの甘い王子に向き直った。
「いいですか、ゲオナルド様。あなたは私に婚約者として結婚話を壊してほしいとお願いしたわけです」
「あ、ああ」
今やミザンガ王国第三王子は、ブラック遥佳ヘビに睨まれたゲオナルド蛙だ。
自分はたくましくなったと思っている女神様の愛娘は、自分の可愛いグリフォンを姉妹に横取りされたばかりか、更にイスマルクを使って脅迫されたことに、とても怒りを燃やしていた。
「けれども王城の人達にしてみれば、そんな得体のしれない娘、ぽいっと城の裏口から川に投げ捨てておけばいいって考える人も出てきてしまうんですよ? ということは、私の身の安全の為にも子供がいた方がいいわけです。ですが、これで妊娠中だと言おうものなら、その子が生まれる前にと、私がとても危険な目に遭うことぐらいお分かりですよね?」
「そ、そうだな」
なぜか王子の方が庶民の娘に現実を突きつけられるという状況。
何かが間違っていないかと、ゲオナルドは思った。
自分だってその恐れを考えればこそ、遥佳の傍にこうしてついているというのに。
「だがな、いくらなんでも3才の子供ってのはひどすぎるだろう。せめて0才か1才にしといてくれ。俺の名誉はガタガタじゃねえか」
「何を甘えたこと言ってるんです? いいですか、ゲオナルド様? あなたの名誉なんてゴミです。そんなの気にしてたら結婚話なんてこれからも止まりませんよ?」
「うっ」
ブラック遥佳は痛いところを遠慮なく突いた。
何故ならもう、この王城にいる人達に対して自分が遠慮してあげる優しさなど必要ないからだ。
「子供の手配なんて、孤児院を使えばどうにでもなります。ちょっと顔が似ている子を探せばいいだけですし、3才くらいなら少しばかり里親体験させたところで覚えていません。何より0才の子供はまだ可愛らしく振る舞えないのです。それぐらい、あなたが考えておくべきところでしょうっ」
第三王子の権限を横取りする気満々の遥佳にとって、もう怖いものなどない。
「だが、占いは外れることだってある。あんなことを言って、女官達の名誉を侵害すると思わなかったのか、ハールカ」
「無実なら十分に反論できたと思いますけど? それより、自分の管理能力がゼロだったことを恥じたらどうです? 私、悪いことなんて何もしてないのに、あなたのおかげで雑巾の絞り汁入りのお茶を飲まされ、雑巾で拭き上げたカップで飲み物を淹れられるところだったんですよ? 責任もって、これからは雑巾の絞り汁入りのお茶はゲオナルド様が飲んでくださるんでしょうね?」
「う・・・」
「管理不行き届きもいいところです。私一人も守れないなんて」
「・・・そ、それは」
「元お妃様もお気の毒に。こんな甲斐性なしに嫁いだばかりに心を病まれておしまいになって」
「・・・ぐっ」
ゲオナルドを含め、もうブラック遥佳を止められる人はいなかった。




