99 イアトンは銀色の蜥蜴と出会った
ドモロール王国のあちこちで買い物をしていたら荷物が増えすぎてしまったというので、先にそれらをミザンガにある屋敷まで運び終えたサフィルスはペガサスとなり、空を大きく羽ばたきながら駆けていった。
『あら・・・?』
しかし、目の前を一枚の紙がヒューッと飛んで行っている。
『シルフ? もしかしてユーリから? ハールカならミザンガにおいでだけど、私宛てなの?』
こんな上空を飛ぶ文書だなんてシルフが運んでいるに違いないと思ったサフィルスが声をかければ、くるくると紙がその場で旋回する。
『え? ああ、私宛てじゃないのね? なら別にいいんだけど。何かあったのかってびっくりしちゃったわ』
すると、その紙はひらりとサフィルスの前で停止する。どうやら読んでもいいようだと思ったサフィルスはそれを眺めた。
『ええーっ!? ちょっと待ってよぉっ。マーコットの乗った船が海賊に捕まったぁ?』
びっくりしていつも以上に翼をばたばたさせてしまう。
どうしよう。どうすればいいんだろう。
なんということだ。
『こうしちゃいられないわっ。案内して、シルフッ。あ、その手紙はちゃんとラーナに届けてね』
イスマルクから、ヴィゴラスにさっさと戻るように伝えてほしいと頼まれていたが、そんなことより遥かに大変な事態だ。
優理の所へ向かっていた筈のペガサスは、いきなり目的地を変更した。
船内にあるその部屋は、とても緊迫した状態にあった。
この立てこもりはいつまで続くのだろう。いや、いつまで持つのだろう。
そう思いながらも、扉の内側には色々な家具を打ちつけ、通路と面している壁にも、家具を固定して籠城の構えをみせるしかなかった。
「恐らく奴らは窓からの侵入を狙う筈。しかし綱などを使い、不安定な姿勢であることには変わりありません。そこを攻撃すれば少しずつではありますが、どうにか・・・」
そう言う騎士も分かってはいた。
ならばあちらはこちらの戦意が薄れるまで何もしないという手段をとれるのだと。
隣の部屋に置かれている食事は手をつけられぬままである。どれに薬が仕込まれているのかが分からないからだ。
「問題は、救援と僕らの餓死と、どちらが早いかということだろうね」
銀髪に緑の瞳をした青年が物憂げに窓の外を見た。
「ディアリーテは捕まったか」
「恐らくは。ですが、イアトン様がご無事でよろしゅうございました」
その部屋には、イアトンと呼ばれた青年と、8人程の騎士や兵士がいた。
誰もが沈鬱な表情だ。そしてほとんど銀髪、もしくは銀に近い金髪をしていた。そこへ天井からぺたぺたと、大きな蜥蜴が壁を伝って下りてくる。
それは銀色の蜥蜴で、水色の瞳をしていた。
(カイトとお揃いの色だしねっ。それにこの人達も銀色の髪をしてるから、なんか仲間っぽい?)
蜥蜴は蜥蜴なりに、ちょっと統一感を持たせてみたのだ。何かと自由気儘に見られがちな蜥蜴だが、これでも蜥蜴はいつも気を遣っている。
「なんか大きな蜥蜴がやってきたんだが、これはどこか脱出口があるということか?」
そこで真っ先に蜥蜴と目が合ってしまったイアトンだ。驚愕の悲鳴をあげなかった自分を褒めてあげたい。
「なんて大きな蜥蜴だ。・・・これならどうにか空腹もしのげましょう」
「まさに。焼けばそれなりに美味かもしれません」
その銀色の蜥蜴は、イアトンの腕一本分の体長があった。
「食べないでよっ。私を食べたら怒るからねっ」
銀の蜥蜴がブルブルと身を震わせて抗議する。
「あ、違った。食べる前に傷つけたら怒るからねっ。・・・ふー、食べられた後じゃ、文句も言えないよ」
「へ?」
「あ?」
「・・・喋った?」
そんなイアトンや他の男達の驚きを無視して、銀の蜥蜴はぐるりと皆を見渡した。
「悪いけど、私が通ってきた隙間は多分、誰も通れないと思う。小さすぎて。それよりお兄さん達、捕まったお姫様の護衛なの? だけど途中で見てきたら、みんな武器を取り上げられて縛られてたけど?」
壁の向こうなどどうなっているのか分からずに焦燥感だけがあった彼らが蜥蜴を取り囲む。
「なんとっ。それはまことかっ? やはり捕まっておったかっ」
「教えてくれ、蜥蜴よっ。今、どういう状況なのだっ」
蜥蜴は目を白黒させてしまった。
「もしかして、君はマジュネル大陸の獣人なのかい? 蜥蜴の獣人なんて初めて見た。いや、獣人を遠くから見たことならあるんだけど、こんなに間近で見るだなんて」
「いけませんっ、イアトン様っ。その蜥蜴が彼らの仲間でないと、どうして言えましょうっ」
興味深げに蜥蜴に近寄ろうとしたイアトンを、二人の騎士が引き留める。
自分達が寄っていくのはいいが、イアトンだけは怪しげなものに近寄せられないと、そう思ったからだ。
「だが、声は女性のものだし、あいつらは男ばかりだろう。いくらなんでも・・・」
「そうだよ。私はね、なんかお姫様が捕まってるって聞いたから、そっちに行ったげようと思って来ただけ。そしたら途中で男の人達が縛られてて、ここを覗いたらまだ捕まってない人がいたから声をかけてみたの」
まずは状況確認を優先した蜥蜴は、風の妖精達を分散して先行させ、人間のいる場所を確認し、それらを一つ一つ見ていっている。
何故なら風の妖精では、海賊も乗客も、貴人も庶民も見分けがつかず、どれも人間とひとくくりにされてしまうからだ。
「もしかして一般の乗客だったのかい? よく逃げられたね」
そう言いながらも、これだけ大きい蜥蜴でも隙間に隠れて逃げれば大丈夫だったのかと、イアトンはそうも考える。
混乱していればそんなものなのかもしれないが、のっそのっそとこんな大きな蜥蜴が歩いていたら、誰だってびっくりしそうなものだ。
「うん。なんかワインの香りがおかしいから飲むなって言われて、だから飲まなかったら皆が眠り始めたから、私達、寝たふりしてたの。そしたら閉じ込められたの。で、皆が起き出したら今度は男女別に分けられたの。身代金を家族が払ってくれたら解放するって言ってた」
「なるほど。詳しい状況をありがとう、蜥蜴のお嬢さん。僕はイアトン」
「私は、・・・正義の味方なのです」
色々とあって名乗ることには躊躇うようになっていた銀色の蜥蜴だ。
「正義の味方? そりゃいいね。だけど名前が呼べないと困るな」
なかなか面白い蜥蜴だと、イアトンは思った。
「だけどね、・・・あとで私の名前で指名手配されるのは困るんだなぁ」
「何だ、それは。もしかして海賊の仲間だったのかい?」
「違うよ。海賊ってあまり楽しくなさそうだし」
銀の蜥蜴はイアトンに対して深刻そうな面持ちになり、前足を床にぺしっとお手つきする。
「まあ、聞きなよ。お兄さん。この私の話を」
「うん。聞くけど・・・」
なぜか身の上話になっていた。
「その昔、私はある場所でポツンと立ってたら、若いのに偉そうな人と、若くないけど偉そうな人に声をかけられたの。で、名乗られたから名乗り返して、その若い方に食事指導もしてあげたの。
若いのにイライラすることが多い人は栄養が足りていないんだよって。だからちゃんと牛乳とか小魚を食べるとカリカリしなくなりますよって。
その人ね、とっても気が短くて、私がぽつんと立ってる姿が気に入らないとかで注意してきて、そう思ったら次は言葉遣いが悪いとか、自分達は私を呼び捨てにするけどそっちの人は『様』をつけて呼べとか、本当に怒ってばかりの人だったんだよ」
「うーん。マジュネルの民に、ジンネルの身分差を語ってもしょうがないだろうに。その人は大陸の違いを理解しなかったのかな。だけど、そこで怒らずにちゃんと食生活を心配してあげるなんて、君は立派だよ」
うんうんと、イアトンが頷く。
どんなアホが蜥蜴に食事指導なんぞされてるんだろうと、思いながら。
ところで蜥蜴は何が主食なのだろう?
「なのに私を捕まえようとした挙句、私が逃げたら、今度はなんと似顔絵と名前を書いた紙を街中に配って、なんとしてでも連れて来いって騒ぎ立てたの。ひどくない? だから私、夜逃げする羽目になったんだよ。私、何も壊してないし、誰かを怪我させてもないし、悪いこと、何もしてないのに。一応、豪華なおうちとご馳走は用意してくれるつもりらしいけど、そんなとこに私の幸せなんてないのに」
「そりゃひどい。だけどまた気に入られてしまったもんだねぇ。よほど蜥蜴が好きだったのかな」
たしかに銀色の蜥蜴は珍しいが、獣人なのだからそれを言っても仕方ないだろう。
そう思ったイアトンは、蜥蜴をまっすぐ見つめて言った。
「だけど約束するよ。僕はそんなことをしない。いくら君が素敵な銀色蜥蜴でもね」
そう言うイアトンは、実は蛇とか蜥蜴とかが苦手だった。
しかし、相手が獣人と知ってしまえば、それを表に出さないだけの良識は持っている。ついでにお喋りできるこの蜥蜴は、見慣れれば可愛いと思えた。
「そーお? あのね、私の名前はね、マーコットって言うの」
「そうか。素敵な名前だね、マーコット」
「イアトンもカッコいい名前だと思う。きっとね、金色の羊が似合う感じで」
「・・・? そうなんだ? 金色の羊は見たことないけど、暖かいセーターができそうだね」
尚、ギリシャ神話で叔父から、王位を譲ってほしければ金色の羊の皮を取って来いという難題を出された英雄はイアソンである。
勿論、イアトンはそんな神話など全く知らなかった。
「まあ、いいや。じゃあマーコット、君はそのお姫様とやらの所に行くつもりなのかい?」
「そうなの。だって可哀想でしょ。捕まってたら怖いと思うし」
そこにいた全ての男達の胸に、一律の思いが浮かんだ。
――― こんなでかい蜥蜴が来る方が怖いのでは?
それこそ小指大の蜥蜴でも普通の貴婦人は悲鳴を上げる。ここまで大きくなったら誰もが逃げ出すだろう。
「そうだろうけど、そっちに行ったら海賊達に捕まって食べられちゃうよ、マーコット」
ついイアトンも引き留めてしまった。
「だいじょーぶ。あっちに行ったら服を借りて人の姿になるもん。そしたら問題ないでしょ。だってもうすぐカイトとルーシーが動いてくれる筈だし」
「それはどういうことかな?」
イアトンの問いに、蜥蜴は胸を張る。
「捕まった男の人達の中にカイトがいてね、ルーシーも女の人達の中にいるの。二人がいれば乗客の人達は大丈夫だけど、お姫様が捕まっているなら誰も守ってくれないじゃない? だから私が行ってあげれば大丈夫だよね?」
皆の視線が銀の蜥蜴に集まった。
「もしかしてマーコット。君、強いの?」
「多分、強いと思うけど? というかね、海賊をやっつけるだけなら簡単だったんだけど、人質をとられたり、破れかぶれになって刃物を振り回されたりしたら、どうしても沢山の犠牲者と怪我人が出ちゃうでしょ? だから私がお姫様の所に行くんだよ。そうしたらいい感じになるよね?」
それで説明責任を果たした蜥蜴は、正義の味方なのである。
(あれ? だけど正義の味方と、白馬の王子様って、どっちがカッコいいんだろう?)
ここは颯爽とお姫様の危機に駆けつける主人公をやってみようと思ったのだが、もしかしてそれは正義の味方ではなく、白馬の王子様だったかもしれない。
「ま、いいや。イアトンも他の人も、邪魔だから全てが終わるまで出てこないでね。人質にされたら面倒臭いし。カイトとルーシー、基本的に私が無事なら他の人がどうだろうが気にしないもん」
蜥蜴は壁に向かってぺたぺたと歩き出す。
「ちょっと待ってくれっ。マーコット、それならここで着替えてちょっと手合わせしてくれないか?」
「何の為に?」
「その姫達を守ってくれようとする君が、僕達より強いのでなければ心配で行かせられないからだ」
「ま、いいけど。じゃあ、その代わりに服、貸してもらってもいい?」
「いいよ」
思いっきり嘘くさい説明だったが、服を貸してくれるというのであればいいだろう。
カイトの目があったので、蜥蜴は着替えを持ち出せなかったのだ。
だから蜥蜴は続き部屋を借りてイアトンの服に着替えた。
「お待たせっ。じゃ、ちょっと短剣も貸してよ」
だが、扉を開けて出てきた真琴を見て、イアトンばかりか、他の男達も目を瞠る。
「なんという美人だ」
「いや、本当に」
「こんなにも若く綺麗なお嬢さんとは」
男物ながらイアトンの服に着替えた真琴は、まさに黄金細工の巻き毛にセピア色の瞳をした印象的な美女だった。
その姿だけでも大抵の男は見惚れるだろう。
「別に私達、戦う理由がないよね? なら、避けてみせるのと、剣を薙ぎ払うのだけでいい?」
「え。いや、それは・・・」
別に手合わせ云々は、イアトンが、蜥蜴が人に変わった姿を見たかったので言ってみただけだ。
勿論、あちらにいる侍女達を守ってくれるというのは有り難いし、是非お願いしたいところだが、今度はこんな綺麗な娘を行かせるほうが危ないだろうと、心配になる。
だが、そこへ窓の外を通じて海賊達の怒鳴り声が響いた。
「姫は偽者だぁーっ!」
「探せっ、探すんだぁーっ」
「全ての部屋を調べ直せぇっ。絶対に捕まえろぉっ」
その言葉に、蜥蜴だった金髪の娘は不思議そうな顔になる。
「捕まったお姫様、偽者だったの? じゃあ、本当のお姫様がいる場所教えてよ。そっちに行くから」
イアトンの顔に紛れもない焦りが浮かんだ。
「ディアリーテが言う筈がないっ。侍女の誰かが口を滑らせたかっ」
「ならば時間の問題ですっ。イアトン様っ、いざとなったら海に飛びこんででも・・・っ。いや、まだ岸は遠いっ。近くに島なり陸地なりが見えていたならば、運を天に任すこともできましょうものをっ」
表情を引き締めたのはイアトンだけではなかった。そこにいた誰もが周囲の壁や窓の外に警戒の目を向ける。
「だがっ、王女じゃないとばれたのだっ。ディアリーテも無事にはすむまいっ」
「その覚悟はできておられる筈ですっ。ディアリーテ様ならば尚のことっ」
真琴はてくてくと窓まで歩いていき、外へと手を伸ばす。何かを口の中で呟けば、風が他の船室へと流れていき、更に戻ってくる。
欲しい情報を聞き取り、真琴は振り返った。
「あのね、その偽者のお姫様、他の女の人達と一緒に、乗客の女の人達の所に連れていかれたみたい。えっとね、・・・ごめんね? なんかその中でも一番美人なの、ルーシーだったらしくて、だから今、ルーシーに皆の目が釘づけらしいんだ」
「え? 何で分かるんだ、マーコット?」
「お友達が教えてくれたの。・・・うちのルーシー、色気、半端ないから」
真琴はぼやいた。
ディアリーテという人も美人なのだろうが、ルーシー達のそれはまた違うのだ。
けれども、そうなると真琴だって気になることがある。
「ねえ、イアトンってば王女様なのに男装してるの?」
「違う。僕は男だ」
「じゃあ、女装するのが趣味だったんだね?」
「違う。頼むから僕の性癖を勝手に作らないでくれ」
ふむと、真琴は思った。
怖がっているであろうお姫様を助けに来た王子様役をやってみようと思ったけれども、いささか番狂わせがあってしまった。
けれども、大した違いはないだろう。
「しょうがない。じゃあ君達は私が守ってあげるよ、イアトン」
「普通は立場が逆だと思うんだけどね」
そこで周囲にいた騎士達がいきり立つ。
「先程からっ。イアトン様を呼び捨てにするとは何事かっ」
「こちらをどなたと心得るっ」
「・・・えーっと、よく分かんないけど、あの人達が捜してる王女様? だけど男の人だから、男装しているわけじゃなくて、・・・えーっと、どんなわけ?」
そこで、皆が呆れ返った。
「イアトン様のお名前でピンとこないとは、どんなもの知らずな・・・」
「いや。獣人ならば仕方ないことか」
獣人じゃないけど仕方ないことである。
そう思う真琴に、騎士の一人が厳かに述べてみせた。
「こちらにおわすお方は、リヴィール王国のイアトン王子殿下であらせられる」
「へー。ところでリヴィール王国ってどこにあるの? 私ね、ギバティ王国とパッパルート王国とドモロール王国とディリライト島は分かってるんだけど、どこらへん?」
指で床にジンネル大陸の地図を描いて、その国名と大体の場所を指し示しながら真琴が問う。
「いや、そこのもっと北側だね」
にこにこと教えてあげるのはイアトンだけで、他の人間には呆れた空気が蔓延した。
どんなもの知らずだよと、彼らの顔にはありありと書かれている。
「そうなんだ。あれ? だけどこの船ってキマリー国にある鍾乳洞の島に向かってたよね? 王子様なのに一人で行くの? 恋人はどこ? もしかしてお姫様とか言って捕まったディアリーテって人?」
「違う。ディアリーテは僕の乳姉妹だ」
キマリー国領になるが、この船が向かっていた海の中にある島は、鍾乳洞が大部分を占めていた。
そこにある洞窟は、海の色が反射してとても綺麗な青色の世界を作り出すのだとか。
「じゃあ、誰と行くの? 恋人同士で行くもんじゃないの?」
「別にそうと限ったものでもないだろう。この船にだって色々な人が乗ってたんじゃないかい?」
長年に渡って波で浸食された結果、できあがった鍾乳洞の洞窟だが、その島にはちゃんと通常の土地部分もある。
だから人も住んでいるのだが、ほとんどはその洞窟を見に来る観光客相手の商売をしていた。
「そうなの? 私は綺麗だって聞いたから見に行こうと思ったんだけど」
「あそこは聖地の一つともされているからね。巡礼的な意味合いで訪れる人も多い筈だよ」
「へー。若いのに大変だねぇ。巡礼だなんて、もしかしてイアトン、神官もしてるんだ?」
洞窟の幻想的な風景は女神様の愛を示しているというので、そこで愛を誓う恋人達も多く、そしてまた女神様への誓いを立てる為に訪れる人もいるらしい。
洞窟には、女神シアラスティネルが時折姿を現すという伝説もあった。
(お母さんがそこで姿を現してた筈はないけど、それはそれっ。やっぱりカイトと見に行きたいもんねっ)
その島には別荘も多く、食べ物も美味しいらしい。宿泊施設も当然ある。
『なら、私はディリライトの守り人様の所にこの荷物を先に運んできますわ。そしてその島で合流しましょうね』
優理が置いていった荷物の内、さしあたって必要な物以外はラーナがディリライト諸島にいる赤い虎の守り人の所まで運んでくれていた。
どうやら小猫がドモロール王国軍の宿舎で面倒をみてもらっている間に、ラーナ、ガーネット、サフィルスは優理によって守り人と引き合わされていたらしい。
どうして真琴を連れて行ってくれなかったのかというと、真琴のわけのわからない逃避行動を見て、そのまま守り人の通路を使ってどこかへ逃げていくのではないかと、優理が案じたからだった。
「巡礼といっても、神官とは限らないんだよ。かえって神官よりも普通の信者が多いだろうね。ま、こっちも周辺諸国を刺激しない為に色々と必要なこともあるのさ」
「ふぅん?」
そんな真琴の顔には、「意味、分かりません」と、大きく書かれていた。
それと見て、イアトンも説明を諦める。
「まあ、いいよ。それより危なそうなら蜥蜴に戻って逃げるんだよ、マーコット」
「ふっふっふ。ま、大船に乗った気で任せなさいっ。・・・あ、何か適当な剣貸して?」
「武器を持ってこないで、誰をどう守る気だったのかな、マーコット?」
「だってそんなの持っていったら心配するし」
てへっと照れる真琴だ。
カイトを心配させない為にも、武器なんて持ってくるわけにはいかなかった。
ルーシーは、どこぞで勝手に調達するだろうとみていたらしいが。
「いや。持ってない方が心配だろう? 獣人の感覚ってのはやっぱり不思議だね」
「しょうがないんだよ。だって危ないからって言うんだもん」
「だから丸腰で行く方が危ないんだって」
イアトンは、溜め息をつく。
「誰か、このお嬢さんに剣を一つ貸してやってくれないか?」
「では、これを」
それでもこの飛びこんできた娘がいきなりイアトンに攻撃しないと限らない。騎士が、一番なまくらな剣を差し出す。
「ん。ありがと」
切れ味をみることもなく、真琴はそれを受け取った。
「他の人はみんな捕まってるし、ここが破られたら終わりなんだよね? なら、それに合わせてカイトもルーシーも動いてくれるんじゃないかな」
ここの扉が破られたら打って出ればいい。そうしたら騒ぎを聞きつけてカイトやルーシーも動く筈だ。
(カイトにはばれたくないんだけど。あ、そっか。シルフに頼めばいいんだ)
真琴はそこで紙とペンを借りる。
『お姫様と思ったら、本当はお姫様のフリをした人だったみたいです。その人は、女の人達の所に移されました。だから私はルーシーといます。心配しないでください』
小さく折った紙を窓から海に落とせば、ひらりと風が掬いあげて運んでいく。
それを確認して、真琴はイアトンを振り返った。
「たまには王子様を助ける正義の味方もカッコいいよねっ」
そんな暢気な発言に、イアトンばかりか誰もが脱力せずにはいられない。
「ここのドアが開かねえっ」
「誰かっ。斧を持ってこいっ」
だが、そんな室内の様子とは裏腹に、ガタッガタガタッ、ドンドンと扉を開けようとする音と殴りつける音、そして怒号が、壁の向こうから響いてきていた。
男だけが残されたその場所で、カイトは黙って隅の方に座り、沈鬱そうにしていた。
しかし、その視線が冷静に皆の様子を観察していたことに、彼らは気づいていなかっただろう。
不安そうな顔で話しかけてくる男達もいたが、それらに対してもカイトは、「ああ」とか、「いや」とか、「別に」といった言葉で往なしていたものだから、段々と話しかけられなくなっていた。
「大体、こういうのは無理にでも頼み込んで金を用意した方がいい。親戚に借金することになろうと、変な所に売り飛ばされたり奴隷にされたりするよりゃあマシだ」
赤ら顔の男がそう言って、皆を見渡す。
「俺はもう親は死んでんだが、親父の弟が農家してる筈なんだよ。そりゃさほど持ってねえかもしれねえけどよぉ。だが、頼むだけ頼んでもいいよな? 俺の命がかかってんだ。大丈夫だよな?」
大柄な体なのに哀れっぽく周囲へ同意を求めた。
「そういう時ゃ、どんだけ要求されんだろうな。まだうちは母ちゃんのへそくりがあるだろうが、足りねえ分はどうすりゃいいんだ」
「いくら何でも金貨50枚は下らねえだろ」
「げっ。金貨50枚っ!?」
一人の意見に、誰もが慄く。
「無理だ。そんな大金あるわきゃねえ」
「ああ。無理に決まってる。どこがそんだけ用意してくれるっつぅんだ」
「こんな船、乗るんじゃねかった」
「どうすりゃいいんだ」
また、別室に連れていかれた妻や恋人の安否も気遣われてならなかった。
そこで一人の男が言い出す。
「一つ一つの家に金貨50枚は無理だ。けどよ、少しでも親戚に少しずつ、・・・それこそ金貨7枚とか8枚とかなら頼んでもいいんじゃないか? 7軒の家に頼みこめば大丈夫ってこったろ?」
だが、一人の男は悲しそうに呟いた。
「金貨8枚だって大金だ。簡単に貸してくれるもんじゃねえ。ましてや全部の家を合わせりゃ結局金貨50枚となりゃあどうやって返せばいいんだ」
すると、一人の男が言い出す。
「けどよぉ、事情が事情だ。俺達が生きるか死ぬかなんだぜ? そりゃお互い様ってもんだろうが。少しずつでも搔き集めてこんだけは用意できるって言やぁ、あいつらだって俺らの命は見逃してくれるんじゃねえのか?」
「そうだ。妻だけは・・・」
様々な意見に翻弄され、皆が周りの顔を見ながらどうしたらいいものかと考えあぐねている様子だ。
けれども誰だって死にたくないし、闇から闇へと葬られるのもご免だ。
「おっ、俺はっ。俺は全てを差し出してでも家に帰りてぇっ。後でみんなに頭を下げることになろうが、助けてもらいてえよっ」
一人がそう言い出し、部屋の隅にあった机の引き出しをがたがたと開け始めた。
元々、この船は海賊に乗っ取られただけで普通の客船だ。閉じ込められたこの場所にも当然のように棚が備えつけられている。乗客の為に本なども用意されていた。
『命だけは助けてください。俺は、善良な左官屋です。妻だって何もしてません。俺はトムと言います。ギバティのミルフェーリという街で暮らしてました。助けてくれるなら、俺は同じ街に住む肉屋の兄から金貨10枚、隣にある村に住む農家の父から金貨15枚、伯父から金貨20枚、そしてもう一つ先の町に嫁いでいった叔母から金貨5枚を用意して差し出します。嘘じゃありません。その証拠に、彼らの住所と名前は・・・』
そうして、紙にそんなことを書き出していく。
「こ、これならっ、これを奴らに渡せば助けてもらえるよなっ」
そのトムという男が、焦ったような顔で皆に賛同を求めたものだから、皆は戸惑いながらもそれを眺めた。
「ああ。奴らだって所詮は金だ。それを用意できるとなれば譲るさ。金が入るとなりゃあ、誰だって心は広くならあ。お前はいいよな。金貨50枚、どうにか集められそうなんだから。きっと助かるさ。・・・俺なんて、いくら親戚に頼もうと、金貨38枚がせいぜいだ」
「・・・諦めるな。なら、残りは12枚だろ。たとえば隣の人に金貨3枚とか、そうやってどうにかやれば、お前さんだって救われるさ」
トムがその男の肩をぽんっと叩いて慰める。
一人だけ、もう助かったような気になったのだろう。
「じょ、冗談じゃねえっ。一人だけ助かるつもりかよっ。なら俺だって、女房の里の親父さんに頼めば・・・」
「おうよ。娘の嫁ぎ先はええ大店なんだ」
それを黙って見ているカイトに、赤ら顔の男が近づいてきて話しかける。
「兄さんよ。黙って座っててもしょうがあるめえ。ここはみんなで協力し合って助かる努力をしようや。な? お前さんも金を搔き集められるところを書きなよ。そうして全員で助かるのさ」
差し出された紙を一瞥し、カイトは薄く笑った。
その気配はあまりにも異質で、皆が注目する。
「見事な仕込みだな。そうやって紙に書かせてそれを元に全ての家にゆすりに行くか。・・・どうせ、それを書いた時点で俺達はもう利用済みだ。売り払うか、奴隷にするかなんだろ? そのトムとやらもミルフェーリなどにいたことなどあるまい。ミルフェーリにトムという左官屋はいねえ」
その言葉は室内によく響いた。
トムという男が僅かに後退りする。
「何を知ったようなことを・・・。俺はたしかにギバティ王国人だ。いいかげんなことを言わねえでくれ」
カイトはせせら笑った。
「いい加減なのはお前さ。この船はキマリー国人が多い。だから外国ならばれねえと思ったんだろ?
だが、俺はギバティ王国内の様々な場所へ行ってんだ。ミルフェーリに左官屋は一軒しかねえ。そこが大きくやってるから競争相手もいやしねえ。そしてその隣にある村とやらは、農家どころか、あそこは村全体が石細工で食ってるときたもんだ。そういう土地に、農家で暮らしていけるだけの小麦は育たん」
皆が、トムと名乗っていた男から少し距離をとる。
カイトはゆらりと立ち上がった。
「お前とお前とお前とお前、海賊の仲間だな。俺達は食事のワインで眠らされたが、その中でお前らは眠ることなく歩き回り、更に海賊達と協力してやがった。俺はあのワイン、飲んでねえんだよ。だからこっそりそれらを見てたのさ。要は、ここで俺達の情報を取り、金はそっちに請求するが、俺達はこのまま海の藻屑って奴か?」
紙に自分のことを書き始めていた男達の手が止まる。
「くっ、くそっ」
赤ら顔の男がカイトに殴り掛かってきたが、カイトはその腹に拳を叩きこんだ。
「言い訳があるなら聞こうか? それとも俺の勘違いかい?」
そうして残りの海賊の仲間達を挑発するように笑ってみせる。
「ああ。勘違いさ、兄さん。俺達はそんなんじゃねえ。何を寝ぼけたか知らんが、俺はあくまであの島を一目見てみたいと思って乗ってきたんだ。・・・勿論、疑心暗鬼になるのは分かるさ。けどよ、こういう時こそ助け合い、協力し合っていくもんじゃねえのか?」
トムという男がカイトに近づいてくる。それこそ、カイトの早合点をとりなすように。
そしてかなり近づいたところでカイトを殴ろうとしたが、それよりもカイトの方が早く、先程と同じように鳩尾に拳を入れた。
「ぐぇっ」
そのまま床に倒れこんだ男を、カイトはもう見なかった。
「騒ぎ立てて、お仲間に助けを求めちゃどうだい? 僕ちゃん、みんなからおうちを聞き出すこともできませんでしたぁって言ってよ。きっと、よしよし、いい子でちゅねーって慰めてくれるぜ?」
まさに挑発としか言いようのないセリフだ。
「てめえっ」
「ざけんなぁっ」
彼らの仲間だと指摘された男達がいきり立つ。
(マコト。怖がりなお前は、見なくていい)
自分もルーシーも命を奪うことは当然のようにしてきた生き物だ。だが、真琴は違う。
頭で理解しているのと、本当にやるのとは違うのだ。
ルーシーと共にいる以上、こちらに真琴が戻ってくることはないだろう。
(ならば、彼らをこっちに引きつけて殲滅させればいい)
捕まった姫とやらなど、どうでもいい。
シルフが運んできた真琴の伝言。
カイトにとって大事なのは真琴だけだった。
まさにやんごとなき姫君として乗っていた、本当は王子の侍女であるディアリーテは、イアトンを庇う為にも姫として振る舞い続けていた。
普通の騎士に扮しているイアトンは、部屋で毒見済みの物しか食べさせてもらえない。だからきっと、この食事には手をつけていなかったことだろう。
けれども覚悟があるのはディアリーテだけで、他の侍女達にそんな根性はなかった。
「へぇ。まさかリヴィール王国の王女様とはな。・・・こりゃすげえ。いくらになるだろうよ」
「侍女とやらも美人ばっかじゃねえか。王女様を無事でいさせたけりゃ、お前らが俺達をご主人様にすんだな」
げへへへへと、楽しそうに笑う海賊達を青い瞳で睨みつけるだけの気力を持っていたのはディアリーテだけだ。
他の侍女達は貴族の遠縁といった令嬢達だが、そこまで覚悟があるわけではなかった。
ましてやディアリーテは、自分達と同じ侍女である。そんな彼女を守ろうと、どうして思えるだろう。
「ちっ、違うわよっ。そんな王女様じゃないわっ。だって彼女は偽者だものっ。どうして私達が彼女の犠牲にならなくちゃいけないのよっ」
手を引っ張って連れて行かれそうになった侍女の一人が悲鳴をあげる。
さすがに本来の主人であるイアトンのことは口にしないが、自分がディアリーテの為に何かしなくちゃいけない義理はないと、そう思ったのだろう。
何故ならディアリーテも自分達と同じ身なのだから。
どうして彼女だけが、それでも無事でいられるのか。
「そうよっ。彼女は偽者よっ。王女様なんかじゃないわっ」
「どうして私達だけがっ」
次々と侍女達がそれを言い出していく。
「じゃあ、本物の王女とやらはどこなんだっ」
「偽者ってこたぁ、どこかに隠してるってことかっ」
俄然、張りきったのは海賊達の方だ。
ディアリーテも美人だが、まだ見ぬ王女とやらを庇ってのこととなれば期待も高まる。
「言えっ、どこにいるんだっ」
「し、・・・知らないっ。私達には知らされてないわっ」
「そんなの知らないわよっ」
手首を捻りあげられた侍女達も、さすがに王子であるイアトンを売ろうものならどうなるかは分かっているらしい。
あくまで知らぬ存ぜぬを貫く。
王女に扮していたディアリーテも、腕を掴まれて乱暴に問われた。
「言えっ。本当の王女とやらはどこだっ!」
「いるわけないでしょ。この船に乗りこんでみせたことに意味があるのよ。残念だったわね、王女様を手に入れられなくて」
ディアリーテは果敢に悪態をついてみせる。
しかし、海賊達は信じなかった。
「恐らく見つけてねえだけだっ。全ての部屋を調べ上げろっ!」
「こいつらは、あっちの女共と同じ部屋に入れておけっ!!」
海賊達を束ねる男は、ディアリーテを憎々しげに見下ろした。
「クソ生意気なお嬢ちゃん。てめえはその王女様とやらの前で、俺に仕えさせてやるよっ」
ディアリーテは何も言わなかった。
しかし、その手を乱暴に引っ張られ、他の侍女と共に、一般乗客の女性が閉じ込められているという部屋に連れていかれる。
けれども、その部屋には海賊の仲間が一人の女性に対して何かを慰めるかのように集まっていた。
「てめえらっ、何やってやがるっ!」
「見張りをしとけって言ったんだっ! なぁにをもう楽しもうとしてやがんだっ!」
そこで女達の身元などを聞き出す動きもせず、一人の女にかかずらっているとは何事かと怒鳴りつければ、そのフードを目深にかぶった女が新しく入ってきた男達を見上げる。
「・・・・・なんて綺麗な女だ」
彼女は、とても深い吸い込まれるような黒い瞳をしていた。そして、魅惑的な赤い唇も。
思わずディアリーテの手を離し、海賊達の頭領もふらふらと近づいていく。
「痛いわ。そんな乱暴に手を掴まないで」
「あ、・・・ああ、すまん」
それでも手を離す気にはなれない。
しっとりとした肌は、まるで自分の為にあつらえられたもののようで。
(この女が欲しい・・・)
手下達が、本物の王女を捜している音すら、頭領の耳にはもう入ってこなかった。
その様子を見てとり、ルーシーは内心で冷笑する。
(今、連れてこられた人達が偽者ってことは、本当の王女はどこにいるのかしら。マーコットはそっちにいる筈。ならば、こちらにできるだけ引きつけた方がいいわね)
真琴はとても治安のいい場所で人間として育ってきている。だから血に染まるような現場などには耐えられないだろう。
そう思うルーシーもまた、カイトと同じように自分が全てを引き受ける気だった。
(ドラゴンのフェロモンなら人間なんて一発だって聞いてたけど、本当だったのね)
なら、後は簡単なものだ。夢心地のまま、永遠の恍惚状態へと送り出してやればいい。
(どうせマーコットは気がすんだらカイトさんの所へ直行する筈だもの。後はこっちで片付けときましょう)
ルーシーの爪が、閃光のように空を飛んだ。
血の臭いはよく分かるものだ。だからカイトは叩きのめす手段に出ていた。
自分に血痕がついていたら、真琴が怯えるかもしれないと思ったこともある。
しかし。
(血の臭いだ。・・・どこからだ? 悲鳴はあがってないようだが)
空気を伝ってくるそれは、どこかで血が流れていることを示している。だからカイトは焦った。
その室内にいた海賊達の仲間を一発で気絶させた後、他の乗客達に告げる。
「こいつらは服を脱がして、その服を紐代わりにして縛りあげておけ。目を覚ましたら反撃してくるぞ。そして俺が出ていったら、家具を積んで扉を押さえるんだ」
「あっ、おいっ」
「兄ちゃんっ、どこに行くんだっ」
瞬く間に四人の男達を床に沈めたカイトだ。
それだけの強さを持つ青年にいてもらう方が有り難い乗客達は、焦った顔になって引き留めようとする。
「助けに行くに決まってんだろっ。女達だって別室にいるんだっ」
しかし、カイトは鍵のかかったドアノブを叩き壊して廊下に出た。
「てめえっ」
「何を勝手に出てきてやがるっ」
廊下で屯していた海賊の男達が、短剣で斬りつけてくる。
「げぇっ」
「ごへぅっ」
それらを一発で気絶させたカイトは、今まで自分が閉じ込められていた室内に彼らを蹴りこんでおいた。
けれども廊下に出れば、余計に空気に血の臭いが混じっていることを感じる。けれども断末魔の悲鳴は聞こえない。
(となると、これはルーシー殿か。ドラゴンならその爪や牙で一瞬だ)
あの真琴の前で何をしてくれているのか。いや、真琴に何かあるぐらいならそれでいい。
矛盾する思いを抱きながら、出遅れたカイトはせめてルーシーの負担を減らす為に、他の海賊達を全て処理していこうと決めた。
(だが、廊下に血が飛び散っていたら真琴だって怖がるだろう。とりあえず気絶させて、後で海に放りこむか)
カイトも腕だけ虎に戻せばその爪で命を奪うことなど簡単だ。しかし、血の汚れは落としにくい。
見落としがないようにと、全ての部屋を開けて見つけた人間は全て骨折させる程に叩きのめしていくことで、カイトは海賊退治を始めていった。
さて、大事な王子様を守っていた騎士と兵士達8人は、他の食事を終えた人々が眠り始めたことから、これは異常事態だと判断し、いち早く立て籠もることを選んだそうだ。
仲間を見捨てることに忸怩たる思いを抱かなかったわけではない。
けれども、そこで遅くなればなる程、イアトンの身が危険にさらされる。
「へぇ。さっすがぁ。そこで無謀にも戦おうとするより賢いよね。損切りができない人は引き際を誤って全てを失ったりするんだって、うちの姉も言ってた」
理屈では理解していても、損切りを見誤ってはドツボにはまる人生を送っているのが優理だ。そんな事実を真琴は知らない。
「だが、こんなにも早くばれるとは。ディアリーテ様が王女様のフリをしてくれている以上、ここの扉が開かないことぐらい見逃すだろうと思っていたのだが」
ガンッ、ガツッ、ダンダンッ、ドンッと、扉や壁に斧が叩きつけられる音が響いてきている。それは一番金になりそうな王女を手に入れる為だ。
王女はおらず王子なのだが、大した違いはないだろう。
「きっと長く持たないね。けど、いいよ。私がやっつけてあげるから」
「いや、マーコット殿。あなたは女性だ。我らの後ろに控えていてくれ。奴らは綺麗な女性に対してひどいことしかしない」
「へーきへーき。これでも私、強いんだ」
その8人は扉を打ちつけたばかりか、いち早く室内の家具をきっちりと積み上げ、それも釘で打ちつけてあった。だから簡単に扉は開かないし、どうにか扉や壁一枚を壊してもすぐには入ってこられない。
けれどもここまで執拗に壊してきているなら、もう時間の問題だろう。
「お腹空いてるんでしょ? たしか薬が入ってるのはワインだった筈だから食事はしてもいいと思うよ」
真琴がそう言えば、助かったとばかりに彼らも食事を始める。空腹では戦えないからだ。
そこまで真琴を信頼するようになっていたのは、扉を開けるのは難しいと判断した男達が窓から侵入しようとロープを使って入りこもうとしてきたのだが、真琴がそのロープに短剣を投げつけて切ることにより次々と海へ墜落させたことが大きく影響していただろう。
短剣の持ち手に縄をつけてあった真琴は、回収もばっちりだ。
限られた物しかない時には物資も惜しむようにと、真琴は父に仕込まれていた。
「ちゃんと仲間が助けてくれたら溺れないと思うんだけど」
「どうだろうな。マーコットは人を殺したくないんだね」
「誰だってそうじゃないの?」
やはり、土壇場で命を奪うのは躊躇われてしまう真琴だ。人間、死んだら終わりだからである。
けれども海賊達にも仲間意識があるなら海に落ちた仲間を助けてくれるだろう。
たしか父のタイガも、海の男は義理人情に厚いと、そう言っていた。
渡された剣を見てみれば、あまり切れ味が良くないのは真琴にも分かったが、自分にはその方がいい。こんな狭い船内では、大きな跳躍も出来ないからだ。
ダンダンダンッ、バキッベシッと、かなり音が響き、壊れた板の間から海賊達の目が覗く。
「いたぜっ。こんな所に上玉がいやがるっ」
「どう見ても騎士や兵士に守られたお姫様じゃねえかっ」
「へへっ。やぁっぱりこんな所に隠れてやがったかぁ」
イアトンを始めとした皆が、いささか黙りこむ。
彼女は王女様じゃない。
だが、ひらひらと片手を振って、笑顔の真琴は言ってのけた。
「小父さん達、悪いことは言わないから、ごめんなさいって言って退散した方がいいと思うよ? だってもう負けるの分かってるし」
言うや否や、その部屋にあった小皿を投げつけた真琴だ。
「ぶへっ」
思いっきりクリーンヒットしたそれに、海賊が、顔を押さえてひっくり返る。
たらりと、鼻血が流れた。
「てめえっ」
「この女ぁっ」
「・・・ぐぎゃっ」
「ぃでっ」
しかし、その壊れた隙間から顔を出すたびに見事なコントロールでカップだの何だのを投げつけてくるものだから、彼らもやがて顔を出すことが危険なのだと学ぶ。
「くそうっ。さっさと広げて壊しちまえっ」
「おおっ」
余計に意地となった彼らが周囲の板壁を斧で壊し続け、やがて壁そのものが大きく破壊された。
しかし、打ちつけられていた家具が邪魔で入りこめない。彼らはせっせと家具をも斧で壊し、そうしてやっと人が入れるスペースを作りあげていった。
「ばっかだなぁ。挟撃ってのも知らないの? 自分からやっつけてくれって言ってるようなもんだよ。一方に私を配置すべきじゃないのに」
なのにそこから入りこむ間もなく、真琴によって汚れた食器がぶつけられる。
「ぎゃあっ」
「でえぇっ」
ただでさえ斧を力任せに振り下ろしていた後だ。また、船内の通路はとても狭かった。
反撃もままならず、部屋に入りこめず、彼らは地団太を踏む。
「誰かっ、応援を呼んで来いっ」
「なんてじゃじゃ馬な姫だっ」
「てめえっ。後でひでえ目に遭わしてやっかんなっ」
まさかこんな小娘にいいようにされるとはと、誰もが憎々しげな顔になり、倒れた仲間達をその場から引き摺ってどかしていった。
けれども人が入れる隙間ができたなら、真琴の方がもっと素早くすり抜けられる。
「てっ、・・・ぐぇっ」
「ぎゃあっ」
「おいっ、ニー・・・ぅっ」
「ロイ・・・ッ」
風のようにするりとその隙間から外に出ると、真琴はそのなまくら剣を次々と彼らの急所に無言でぶつけていった。
(戦意を失わせる時には派手な出血をさせる。相手の戦闘能力を削ぐ時には、動けない状態にする)
そういう時は自分を過信するなと、父は言った。ただ冷静に行えと。
相手を挑発するのは最初の段階で、自分が動き始めたらもうその必要はないのだ。
全ての感覚を研ぎ澄まして感覚だけに身を委ね、無意識の内に頭が処理するそれを体に命じていけばいい。
――― いいか? 相手を殺さなきゃならない時には躊躇うな。情けはお前の身を破滅させる。だが、お前達が傷つかないというのであれば相手の命も惜しんでやれ。・・・難しいけどな。
――― お父さんは惜しんだの?
――― いいや? そんな余裕なんざなかったな。
本当は殺すべきなのだろう。
だけど今の自分はかなり強い。だから殺さなくても傷つくことはない。
そしてここには自分が何としてでも守らねばならない優理も遥佳もいない。カイトとルーシーも負けることはない筈だ。
『シルフ。索敵して』
小さく囁けば、目に見えぬ範囲にいる海賊達の位置を風の妖精が伝えてくる。
「そこにいてっ。邪魔だから出てこないでよっ」
イアトンとそれを守る騎士や兵士達に言い捨てると、真琴はその通路を走り出した。
その手を血に染めて立ち上がったルーシーに、その室内にいた女達がびくっと怯えて後退った。
何人かはぎゅっと目を閉じて顔を背けている。
「安心なさい。もう死んだわ」
捕まった女達の中でただ一人、海賊達にちやほやとされていた黒髪の女が、今となっては一番恐ろしく思える。
震えが止まらないのは、この女が怖いからだ。
けれどもディアリーテは勇気を振り絞った。
「どうやって、・・・殺したの? あなた、短剣を持ってたの?」
「似たようなものね。だけどあなたには無理よ。そんなことより、海賊はあと何人いる様子だったかしら?」
ルーシーは淡々と尋ねる。
かぶっていたフード付きの上着を脱ぎ、緩くウェーブがかった髪を一つに束ねた。
ワンピース姿なのに、どこかきりっとしたものを感じさせる。それでいて何故か艶めかしい。
「少なくとも私達の周りにいたのは、・・・30人はいたかしら」
「そう。私達の方には下っ端を寄越していたけれど、お姫様の方には違う人間が集まっていたのね」
「私は、・・・姫じゃないわ」
「そうらしいわね。だけどどうでもいいことよ」
ルーシーは扉の方へと歩きだした。
少なくともこの周囲にいる海賊達は自分が処理するしかないだろう。
「襲われたくなければ悲鳴はあげないことね。彼らは平気で女の顔を切りつけられる男達よ」
そう言い捨てて、ルーシーは扉を開ける。
ディアリーテが思わず伸ばしかけた手が、その行き先を失った。
「何を勝手に出てきてんだっ」
「おいっ、勝手に出るんじゃねえっ」
廊下で待っていた男達が大声で怒鳴りつけてきたものだから、ルーシーは素早い動きでその目前へと入りこみ、次々とその首を爪で掻き切っていく。
「あまり大声を出さないでちょうだい。だみ声は嫌いなのよ」
その言葉を、聞く耳はもうなかった。
死体となった海賊達を、ルーシーは女達が閉じ込められている部屋に投げ込む。
「ひぃっ」
「きゃあっ」
悲鳴をあげて腰を抜かした女達を、ルーシーは見下ろした。
「この周囲にいる海賊達を順番に片付けていくけど、自分で自分を守る程度の気概はお持ちなさい。そしてなるべく騒がないようにしてちょうだい。騒いだら海賊が駆けつけてきて乱暴するだけよ」
「わっ、私も行くわっ」
そこでディアリーテが海賊達の持っていた剣を引き抜いて言う。
その青い瞳には、自分も戦うのだという意志があった。ルーシーは黒い瞳を少し緩ませて問う。
「あなたじゃ足手まといになるだけよ、お姫様。どうして安全な場所から危ない場所へ行こうとするの?」
「お助けしたい方がいるからよ。それに、・・・あなたにだけ汚れ仕事を任せてのうのうとしてらんないわっ」
それなりに剣もたしなんでいるのだろう。だが、強くはない。いや、かなり弱い。
そう判断したルーシーだったが、そういう根性は嫌いじゃなかった。
「いい瞳をしてるわね。いいわ、ついていらっしゃい」
「ええっ」
バタンと、その扉を閉めてルーシーの後をディアリーテが追う。
しかしルーシーの攻撃が速すぎて、ディアリーテにできるのは、海賊の死体を部屋に蹴りこむことぐらいだ。
「あなたはどこに向かってるの?」
「どこというわけじゃないわね。女の人達を守ってほしいと言われたから、この周囲をまずは片付けていってるだけ。それが終わったら他の階へ移るけど」
ディアリーテはルーシーの手元を見ながら驚かずにはいられない。
(短剣を持ってるわけじゃないのね。だけど指先は血まみれだなんて)
どうやら爪の先につけるタイプの刃物で攻撃しているようだ。それは暗殺道具ではないのか。
(ううん。ここで何かを言うべきじゃないわ。たとえ彼女が暗殺者だったとしても、今、彼女は私達を助ける為に海賊を殺していってくれるのだから)
これだけの美しさで躊躇いもなく人の命を奪う女。きっと一流の刺客に違いない。もしくは一流の護衛か。
けれども自分達以外に、この船にそんな特別な人が乗っていただろうか。
そこでディアリーテの前を行くルーシーが立ち止まった。
「そこにいる人、出てらっしゃい。隠れてても分かるのよ」
「え? やはりルーシー殿か?」
壁で見えない通路の角に向かってルーシーが告げれば、そんな言葉が戻ってくる。
「あら、カイトさん」
音もなく姿を現したのは銀髪の男だった。
「マコトは?」
「あら。・・・ほほ、ちょっとこの状況が怖かったらしくて。困ったものですわね」
「どうしてそう見え見えの嘘を」
がっくりと両肩を落としたカイトは、はあぁっと溜め息をつく。
「あれ程、くれぐれも目を離さないでくれと頼んだのに」
「私もあまり見てもらいたくない光景だったのですわ。・・・なら、この下はもう終わりましたのね?」
「ええ。全て片付けてきました。と言っても、俺は気絶させただけですがね。その後ろにいるのがお姫様とやらですか?」
「そうなんですけど、どうやら偽者だったようですの」
「そういう話でしたね。・・・じゃあ、あいつは本物のお姫様を守りに行ったってわけですか」
「仕方ありませんわ。そういう方ですもの」
目を見交わして頷くと、ルーシーはディアリーテを振り返った。
「その本物が隠れているのはどちらかしら? 私達の大事な方が、そちらへ助けに行っていますのよ」
「え?」
ディアリーテが目を丸くする。
けれどもこの二人が海賊達とは敵対していることが分かった以上、その正体を知るのは後回しだ、
よく分からないが、イアトンの所に彼女達の仲間が行ってくれているというのであれば。
「こちらですっ。ご案内いたしますっ」
「待て」
ディアリーテが二人の前を走って行こうとすれば、銀髪の男がディアリーテを左手で抱えて自分の左肩に乗せた。
「悪いが、そこを右とか左とかまっすぐとか指示してくれ。先に行かれてあいつらに攻撃されたんじゃ困る」
「・・・あ、はい。すみません。えっと、とりあえずあと二つ、じゃない、えっと三つ上の階に行ってください。そして船尾の方へ」
「分かった。ルーシー殿、俺の後ろを頼みます」
カイトは、ディアリーテを肩に担いで走り出そうとする。けれどもルーシーは冷静に尋ねた。
「ええ。ところで三つ上の階ということは、この上の階は放置していいということですの?」
「・・・・・・う」
そうなると、そこで取りこぼした海賊達が残してきた乗客達を襲うかもしれない。
「私が片付けていきますから、カイトさんはそちらに向かってくださいな」
「すみません。よろしくお願いします」
カイトと呼ばれた男が情けなさそうな顔でルーシーに頼むのを、ディアリーテは不思議な気分で見ていた。




